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[11889] 第3章:新党ブームの到来返信 削除
2009/7/11 (土) 21:18:42 徳翁導誉

▼▲ 第3章:新党ブームの到来 ▲▼

自民党一党体制から、政権交代可能な体制への移行を望む国民に対して、
自民党と対抗し得る政党の不在は、大きな失望感へと繋がっていきます。
そんな中で起こったのが「新党ブーム」でした。
そして、その火付け役となったのが、
熊本県知事だった細川護煕が作った『日本新党』でした。
父方は旧熊本藩主の細川家、母方は公家筆頭の近衛家という血統の良さ、
そしてルックスの良さと、熊本知事や自民党参議院議員を務めた政治経験が相俟って、
この細川が作った日本新党は、国民の中で一躍人気となります。
今風に言えば、東国原知事の顔も血統も経歴も良くしたような存在です(笑)。
そんな細川を中心に、ルックスが良く知名度もあるを集めたのか、
経済評論家の海江田万里や、キャスターの小池百合子などが新党に参加。
冷静に考えれば、思いっ切り「イメージ戦略」先行の作戦を採ってるんですが、
まあ日本人の国民性は、昔も変わらずこう言ったのに乗せられると(笑)。
ちなみに、この日本新党が擁立した若手議員の中には、
現民主党の前原誠司や枝野幸男や野田佳彦、
現名古屋市長の河村たかし、現横浜市長の中田宏などが居ました。

こうした中で行われた1992年の参議院選挙。
89年に行われた前回の参院選での獲得議席数と比べると、
自民党は倍増近かったのに対し、社会党は半減以下、
そして日本新党が、新党ブームを生み出す小さな足跡を残しました。
*****************************************************************************
* 1992年 参議院選挙(126議席)
*  与党  自民:68
*  野党  社会:22 公明:14 共産:6 民社:4 日本新:4 その他:8
*****************************************************************************
一瞬の夢を見せられた後、そこからの転落を強いられた社会党では、
選挙に負けるたびに、右派と左派の抗争に伴い、党首の座がコロコロと交代。
統一地方選の敗北により、土井たか子から田辺誠へ、
この参院選の敗北により、田辺誠から山花貞夫へと代わっていきました。
また、前回の参院選でいきなり11人の当選者を出した連合の会も、
今回は1人の当選者も出せずに惨敗しました・・・・

一方その頃、自民党の方はどうだったかと言えば、
国民から不信を拭い去る為に、党内で「政治改革」を唱え始めます。
金が掛かる政治を変えようとして始まったこの行動は、
時間の経過と共に「政治改革」から「選挙制度改革」へと変わっていきます。
この選挙制度改革というのが、現在導入されている「小選挙区制」ですね。
ですがこれでも、党内では大きな抵抗が起きるんです。
しかし、それを強引に押し切ろうとしたのが、
父子2代で政治改革に情熱を燃やす『小沢一郎』でした。
普通なら中堅議員の小沢が1人張り切った所で、それが通る訳もありませんが、
小沢は「自民党影のドン」である金丸信に、まさに我が子の如く可愛がられていました。
そこで、党内でも良識派と見られていた「伊東正義・後藤田正晴・羽田孜」が、
政治改革の旗振り役を務める事となります。

ここで、自民党の4大派閥を確認しておきますと、
小沢や金丸が属する最大派閥「竹下派」の他は、
「宮沢派」「安倍派」「中曽根派→渡辺派」となっており、
リクルート事件で竹下内閣が倒れた状況から、竹下派からは総理総裁を出せないものの、
竹下派が味方した派閥の領袖が首相となれるキングメーカー状態になっていた為、
首相になりたい渡辺美智雄・宮沢喜一・安倍晋太郎は、表立って小沢に反対できない。
そこで出てきたのが、その3派閥で次世代のホープと目されていた
渡辺派の「山崎拓」、宮沢派の「加藤紘一」、安倍派の「小泉純一郎」の3名で、
彼らのイニシャルを取って『YKK』と呼ばれました。
で、YKKの役割は、竹下派のやる事には何でも反対の「抵抗勢力」でした(笑)。
この選挙制度改革などは、反対するのはなかなか難しい対象でしたが、
小泉などは「こんな改革は出来る訳ないから反対!!」と騒ぎ回ってました。
まさかその十数年後、そう発言した小泉自身が首相となり、
その選挙制度改革の恩恵で郵政選挙に大勝しようとは、人の世とは因果なモノですね(笑)。

ちなみにこの時は、東京都知事選で小沢が擁立した候補が敗れ、
そこに小沢自身の病気が重なり、自民党幹事長の職を降りてしまいます。
リクルート事件の影響で、小派閥の「河本派」から御輿として擁立された『海部首相』では、
小沢抜きの状況で、抵抗勢力の攻勢に耐えきられる訳もなく、
解散してでも改革を断行しようとしたものの、結局最後には内閣が倒れてしまいました。
この時の海部の置かれた立場は、今の麻生以上に脆弱でしたので・・・・
で、次の首相を決める事となり、金丸は「自分でやればどうだ?」と小沢に言いますが、
病気が治ったばかりの小沢は健康に不安があり、まだ40歳代と若かった事から、
「もっと経験を積み、健康が万全になってから」と、この提案を断ります。
結局その後、小沢は首相になれないまま現在に至ります。

小沢が首相をやらない以上、竹下派以外の3大派閥から首相を選ぶ事となるのですが、
順番的に言えば、安倍晋太郎が最有力候補と目されていたのですが、
首相就任への願望が強かった安倍も、67歳でその直前に病死・・・・
安倍派四天王と呼ばれた「三塚博・加藤六月・塩川正十郎・森喜朗」が争った結果、
安倍派の後継は三塚に決まり、加藤は派閥を離脱して「加藤グループ」を作ります。
こうして、渡辺、宮沢、そして安倍派を引き継いだ三塚の3人が、
自ら小沢の元へ出向いて、首相就任への面談試験を受ける事となります。
年齢も経歴も小沢より一回り二回り上な大派閥の領袖たちが、
小沢にヘコヘコ頭を下げ、「是非とも自分を首相に」と懇願する。
自民党の他派閥議員からの小沢憎悪は、これが大きく影響していると思います。
自分たちの親分が、格下の人間に頭を下げさせられている訳ですからねえ。
逆に小沢は、金丸の後ろ盾がある事で、若くしてこんな地位にあった為、
他人をうまく使う事が出来ず、傲慢な対応が目に付くようになったんでしょうね・・・・
で、この面談の結果、新首相は『宮沢喜一』となります。

こうして宮沢内閣が誕生するのですが、自民党の多くは選挙制度改革なんてやりたくない。
それは社会党などの野党側も同じで、小選挙区制への改革に対して「比例代表制」を提示。
今までのやり方なら、与野党まとまらず両案とも廃案・・・というのが普通でした。
しかし前述の通り、国民の政治意識は急激に変革を遂げており、
更に同じ頃、影のドンであった金丸が佐川急便からの献金問題で議員辞職へ追い込まれ、
国民からの「政治改革」を求める声が、宮沢を追い詰めていき、
宮沢はテレビ番組で「政治改革は今国会で絶対にやる。私は嘘をつかない」と断言してします。
ですが、そうは言ってみたものの、国会の方はなかなかまとまらない・・・・
そのうち宮沢がブレた発言を始めると、マスコミは一斉に「嘘つき!!」と責め立てます。

そんな中で、金丸が失脚した竹下派内では、竹下の後継者争いが激化。
竹下派には「竹下派七奉行」と呼ばれる次世代の人材がいました。
「小渕恵三・橋本龍太郎・梶山静六・小沢一郎・羽田孜・奥田敬和・渡部恒三」の7人です。
そもそも竹下派は、世代交代を拒む田中角栄に対し、「表の顔に竹下・裏の顔に金丸」と、
この2頭体制によって、クーデター的に田中派を乗っ取って出来た派閥であり、
この七奉行も、竹下系の小渕・橋本・梶山と、金丸系の小沢・羽田・奥田・渡部に分かれていました。
何事もなければ、後継者は金丸一押しの小沢で決まりだったのでしょうが、
後ろ盾である金丸が失脚した事で、最終的には梶山が押し立てた小渕が勝利します。
ここで小沢一派は竹下派を離脱し、政治改革派閥として「羽田派」を発足させると、
政治改革の方針で迷走する宮沢内閣を猛烈に攻撃し始めます。
一方、同時期に自民党内では、保守(右派)である羽田派とは一線を画し、
リベラル(左派)からの政治改革を求める「武村派」が誕生します。
こうして、党内からも、党外からも、世間からも、「嘘つき」と糾弾された宮沢内閣に対し、
野党が内閣不信任案を提出すると、羽田派が賛成に回り、宮沢は解散へと追い込まれます。

ここで、羽田派と武村派は自民党を離党し、
羽田派は「新生党」を、武村派は「新党さきがけ」を立ち上げます。
永年与党である自民党を離れるというのは、本当に決死の行為なんです。
企業も団体も、その議員が政権与党の自民党所属だから献金する訳ですからねえ。
自民党から割れた以上は、必ず自民党から政権を奪わなければならない。
常識的に言えば、こんな賭けの行動に出る政治家は居ません。
実際、竹下派から小沢を追い出した梶山も、「どうせ小沢に付いていくのは5〜6人」と読み、
積極的に小沢一派を離党の方向へと追いやって行きました。
しかし蓋を開けてみると、衆参合わせ50名近い羽田派の議員がほとんど付いてきた訳です。
これは本当、驚天動地の事と言って良いと思います。
ハッキリ言って、当時から小沢は世間的にあまり好れていませんでした。
ただし、その剛腕と能力は高く評価されていて、
離党当時の小沢には、一種の「オーラ」みたいなモノを漂わせる雰囲気でした。

一方で武村の方も、10名程度の小規模な離党とは言え、独自の存在感を示してましたね。
バブル景気に踊らされ、疲れ果てていた日本国民に対して、
小さくても確実なキラリと光る幸せを追い求める党風でしたからねえ。
こんな党風なので、「友愛」信者である『鳩山由紀夫』も新党へ参加しています(笑)。
おかげでさきがけは、金銭面での不安は無かったのかな?
鳩山兄弟の母方の祖父はブリヂストン創業者なので、金は滅茶苦茶持ってますから。
ちなみに弟・邦夫の方は、同時期に自民党を離党して無所属で戦っています。
党首の武村も「ムーミンパパ」と呼ばれるおおらかな風貌で、人気がありました。
でもこの武村、その風貌に似合わず、結構な策略家であり、野心家でして、
更なる人気と知名度を得る為、ある新党と手を組みます。
その手を組んだ相手こそ、先述した細川率いる「日本新党」でした。
両党は合併も見据える形で、まずは統一会派を組む事となります。

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