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[11892] 第6章:政治変革は夢と潰えて返信 削除
2009/7/11 (土) 21:20:08 徳翁導誉

▼▲ 第6章:政治変革は夢と潰えて ▲▼

2大政党制の実現へ向け、好調な発進をした新進党。
しかし、結党からわずか1年で早くも亀裂が表面化します。
それは寄り合い世帯という党の対立から来るのではなく、
なんと、小沢の土台である旧新生党の内部対立でした・・・・
もともと新生党というのは、小沢の力が大きな政党であったものの、
派閥の長、そして新党の党首というのは、常に羽田だった訳です。
つまり、表の顔役に「人柄の羽田」で、裏の顔役が「剛腕の小沢」の2頭体制で、
羽田を慕って付いてきた人間や、傲慢な小沢に付いていけなくなった人間が、
新進党の実権を握り、更に増長してきた小沢に反発するようになります。
強力な団結力も、いったん対立関係になると凄まじくなる・・・・
結党1年後の党首選挙で、彼らは羽田を擁立して小沢に対抗します。
小沢と2人でやってきた羽田としては、自身が新進党の党首となっても、
新生党での関係を新進党でも続ければ良いと考え、小沢もそれに同調するのですが、
「両方とも旧新生党から出しては、党内の結束が乱れる」と、羽田擁立派は小沢降ろしを敢行。
ここまで来てしまうと、小沢自らが党首選に出馬するしかなくなります。
ちなみにこの党首選は、前代未聞の方法で行われるのですが、
それは、「1000円を払えば国民なら誰でも投票出来る」という選挙方法でした。
有権者の関心と政治資金をダブルで得ようと制定されていた方法でしたが、
元・経世会同士の戦いとなっては、そんなキレイな選挙になるわけありません。
結局、そうした裏の工作に長けた小沢が圧勝で羽田を破り、
裏の顔役で居たかった小沢は、自らも望まなかった『党首』という表の顔に就きます。

一方、その頃の自社さ政権ですが、
社会党の内部では、右派などから自民党との連立に疑問が呈され続け、
左派出身ながら細川政権では閣僚を務め、右派の中心人物となっていた前党首の山花が、
新進党に参加しなかった旧日本新党の海江田万里や、
新進党へと参加していた旧民社党系などと諮り、民主リベラル系の新党結成を模索。
新たに誕生した新進党は、小沢が率いるだけあって自民党以上に保守的傾向が強く、
自民党と新進党による2大政党制は、「保守vs.保守」の2大政党制でしたからねえ。
社会党が国民の支持を失った以上、リベラル系の政党が必要と考えた訳です。
そして、新党結成を発表しようとした当日の朝、阪神大震災が起きます・・・・
当然、新党結成の発表は延期され、機を逸した事で話は後退。
最終的に、山花など数名が社会党を離党し、この構想は不発に終わり、
その半年後、離党した山花は海江田と合流して「市民リーグ」を結成します。
ですが、こうした一連の動きが、後に『民主党結成』への布石となって行く訳です。

こうして、党内部では前党首による分裂騒動が起きる中、
55年体制下の万年野党、しかも非主流派の右派に居た村山は、
突如巡ってきた「総理大臣」という役職を手に持て余し、
更に運の悪い事に、オウム事件や阪神大震災などの国難が立て続けに起こり、
その上、社会党も国民からの支持を落として選挙に惨敗しと、
村山首相は完全にギブアップ状態になっていました。
宮沢内閣崩壊から実に2年半、ついに自民党は政権の中心に復帰します。
しかしその時、既に自民党総裁は、河野洋平から橋本龍太郎に替わっていました。
政権与党に復帰した事で、勢力を盛り返してきたのは自民党だけでなく、
自民党の最大派閥であった小渕派も、小沢一派の分裂から回復してきていた訳です。
自社さ政権によって、自民党が与党に復帰してから初めて行われた総裁選で、
最大派閥「小渕派」から、切れ者として知られ、女性人気もある橋本龍太郎が出馬。
離党騒動があった「渡辺派」は死に体で、「宮沢派」も橋本支持に回ると、
現総裁の河野は総裁選前に降りてしまい、橋本が新総裁となります。
その為、今現在で河野洋平は『総理になれなかった唯一の総裁』となっています。
ちなみに、一応格好としては総裁選を行おうと、
河野が降りた後、「三塚派」が形ばかりの対立候補を擁立します。
これが小泉純一郎にとって、初めての総裁選出馬でした。

こうして、政権の表舞台へと戻ってきた橋本率いる自民党。
2大政党制を目指し、それに立ち向かう小沢率いる新進党。
竹下派の後継を巡り構想を繰り広げた両派の戦いが、
形を変えて再現される・・・と、見られていたのですが、
ここでも小沢は自民党の分裂工作・・・と言うか、
両党の左派を切り捨て、保守同士による「保保合同」を画策し始めます。
新進党の中心は自らが押さえ、自民党の中心は勝手知ったる出身派閥でしたからねえ。
橋本首相の不正融資事件に関しても、同じ七奉行であった奥田を中心に、
新進党内で対策チームが作られるのですが、小沢が自民党との連携を画策していた為に不発。
一方、宮沢派の後継と目され、自民党左派の中心人物になっていた加藤紘一官房長官は、
新進党への分断工作を行い、所属議員をドンドンと自民党へと引き抜いていきます。
安倍内閣で大臣を務めた高市早苗なども、こうして自民党へ引き抜かれた内の1人で、
現農水大臣の石破茂も、いったん無所属を介して、新進党から自民党へと移っていき、
遂には「小沢の秘蔵っ子」と呼ばれたまでが船田元、
新党さきがけの鳩山由紀夫と連携し、『鳩船新党』の結成を画策するまでの自体となります。
融和と団結を唱える新進党内の大勢に対し、小沢は更なる剛腕で対抗。
小沢・羽田・細川の党内3頭会談が行われるも、小沢が態度を改めず物別れに終わり、
政権交代を賭す大事な衆院選を前に、既に新進党の内部はボロボロとなっていました・・・・

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