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[11897] 第11章:小泉劇場の到来返信 削除
2009/7/11 (土) 21:23:44 徳翁導誉

▼▲ 第11章:小泉劇場の到来 ▲▼

しかし、「加藤の乱」が不発に終わったとは言え、
森内閣の退陣は、既に時間の問題でした。
乱の終息から4ヶ月あまり後、森が退陣して総裁選挙が始まります。
この総裁選では、最大派閥の橋本派から「橋本龍太郎」、
森前首相の森派からNo.2の「小泉純一郎」、
村上・亀井派あらため江藤・亀井派からは「亀井静香」、
そして河野グループから後継者の「麻生太郎」の以上4名が出馬しました。
大方の予想では、橋本元首相の返り咲きが有力だと見なされていましたね。
確かに小泉は過去に2度、総裁選に出馬をした事はありましたが、
両方とも当選は度外視の出馬であり、始めの内のは今回もそうだと見られていた訳です。
亀井や麻生の出馬も、それまでの小泉同様、名を売り経験を積む為の出馬でした。
森内閣によって落ちた支持率をどう上げるかというのが焦点でしたので、
誰もが、橋本当確で、注目を集める総裁選であろうと見ていたものの、
最終的には、当初の予想を大きく裏切り、まさかまさかの小泉総裁誕生となります!!

そもそも最初の内は、同じ橋本派からでも、
名目上のボスである橋本ではなく、実際の実力者である野中を推す声も多く、
自公路線を支え、政策的にも近かった野中を、公明党も推してきましたが、
前回の首相時にやり残した事がある橋本が、
自らの出馬を猛烈にアピールし、橋本派からは橋本が出る事となります。
ちなみに、この野中出馬の件に関連して、派閥内で麻生が、
「部落出身の野中を、日本の総理にする訳にはいかんわな」と発言したとされ、
それを伝え聞いた野中は、以後、何度と無く麻生批判を繰り返す事となります。
と、まあ、橋本派からは橋本が出る事となり、
加藤の乱の後から、森退陣後を睨んで派閥工作などに動き出したんですが、
どうやらこれが、森を支える小泉をキレさせたみたいですね。
また橋本派では、この半年ほど前に、後見役に回っていた竹下が死去し、
鉄の結束を誇っていた経世会にも、綻びが見えるようになってきていました。
そして、加藤の乱を劇場的に報じたマスコミに、
この辺りで急激に増えた国民のインターネット人口。
こうした要素がいろいろと混じり合い、予想外の結果を導く事になる訳です。

次の内閣に求められる大きな課題は、
森内閣で落とした支持率を、如何にして回復させるかと言う事です。
橋本は「数の論理」で、派閥工作による議員数の確保に努めますが、
少しでも世間の注目を集めようと、各都道府県連にも3票ずつ票を与えた事で、
密かに、しかし確実に、形勢は橋本から小泉へと移っていきます。
そもそも小泉の所属する清和会は、ここの1番最初でも触れたように、
佐藤後継レースで勃発した、福田赳夫と田中角栄による『角福戦争』に端を発し、
経世会(旧田中派)には、事ある毎に苦渋を舐めさせられてきた訳です。
長年続いた「主流派の経世会・非主流派の清和会」という自民党の構造を、
一気にひっくり返す好機だと、小泉は捉えたんでしょうね。
加藤の乱の時、それを煽るマスコミの行動を、それを潰す側から見ていた小泉は、
「これをうまく使えば、物凄く大きな力になる」と、確信したんじゃないですかねえ?

まず小泉は、国民から絶大な人気があり、
同じく経世会支配を反感を持つ『田中真紀子』と手を組みます。
角栄の娘である真紀子は、クーデター的に田中派を奪った竹下派を、
本当に心の底から憎んでましたので。
当初は「虎の威を借る狐」ならぬ、「真紀子の人気を借る小泉」だった訳ですが、
この2人で衆院選ばりの全国遊説を行った事で、マスコミが食い付き、
歯切れの良い小泉節が、何度も何度もテレビで流されると、
ネットを通じて小泉人気が広まり、最終的にはフィーバーを巻き起こします。
こうなると、国会議員よりも国民目線に近い都道府県連は、
「支持回復の為には、この人気に乗るべきだ」として、多くの票が一気に小泉へ!!
ある意味で、国民世論を表した形である都道府県連の投票行動に対し、
「派閥の論理で投票しては、更に支持を失う」と、国会議員の票も小泉へ流れ出し、
終わってみれば、橋本との票差が2倍近く付く、小泉の圧勝となっていました。
経世会を纏めていた小渕を「中国王朝の宰相」に例えるなら、
この小泉は、「古代ギリシャの政治家」といった所でしょうかねえ?
小泉政権の誕生により、自民党は急激にその色を変化させていく事となります。

そして、小泉劇場による熱狂は、総裁選から3ヶ月後に行われた参議院選挙で、
改選議席の過半数を自民党単独で獲得するという、圧倒的勝利によって如実に表れます。
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* 2001年 参議院選挙(121議席)
*  与党  自民:64 公明:13 保守:1
*  野党  民主:26 自由:6 共産:5 社民:3 その他:3
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目新しさ、敵失、風頼み・・・・
それらを期待できず、「改革」という旗印さえ小泉に奪われ、
小泉改革に対するスタンスすら不明確な民主党が、選挙で勝てる訳もありませんでした。
そんな逆風の中、議席数を微増にまで押し上げた熊谷弘が、責任を取らされ更迭。
そして菅に更なる権限を与え、代表への返り咲き意欲を抑えようとする鳩山と、
どのような厚遇をされようと、お構いなしに代表返り咲きを目指し続ける菅。
国民やマスコミの目線が、「自民vs.民主」ではなく、
自民党内部の「小泉支持派vs.抵抗勢力」へと移っていったのも、
ある意味では、当たり前だったのかも知れません・・・・
ですが、小泉が言った「古い自民党」とは「経世会支配の自民党」の事であり、
「自民党をブッ壊す」とは、『清和会主導の自民党に変える』という意味である事を、
小泉劇場から関心を持ち始めた人が、理解するのは難しかったかも知れません。

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