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[11900] 第14章:小沢民主と小泉後継レース返信 削除
2009/7/11 (土) 21:25:08 徳翁導誉

▼▲ 第14章:小沢民主と小泉後継レース ▲▼

郵政選挙での大敗北から6日後、民主党では岡田の後任を決める代表選が行われます。
立候補したのは、またまた出馬の「菅直人」と、
これを機会に党の若返りを図る「前原誠司」でした。
小沢は前原に対して応援の打診しますが、前原はこれを拒否。
そして結果は、『前原96票 菅94票 無効2票』という僅少差で、
優勢が伝えられていた菅を破り、42歳の前原が民主党の新代表に就任します。
「鳩菅の綱引きから、一気の若返りで民主党の体質さえ変わるのでは!?」
若くてルックスも良い前原に、国民は期待し、自民党は民主党への警戒心を強めます。
そうした党外からの目に応えるかのように、前原は党の要職をガラリと若手に替え、
与党との関係も、「対決路線」から「対案路線」への転換を図り、
更には、小泉が支持母体である郵政組織と決別して、国民から称賛を受けたのを見て、
民主党最大の支持母体である労働組合との関係見直しまでブチ上げます。
その上、「対米追従路線の批判」と「中国の軍事力増強への脅威論」を展開し、
党の内外から、右派からも、左派からも、非難を浴びる事となりますが、
逆に、こうした民主党代表の新しい姿勢を、評価する声も一方ではありました。

ですが、こうした前原の新路線は、
与党政権と対決すべき「最大野党」として、スタンスが凄く解り難く、
経験の乏しい若手主導の党運営、そして国会運営は、誠にお粗末なモノでした・・・・
それを最も端的に表してしまったのが、『永田メール問題』ですね。
ライブドア事件・防衛庁の官製談合・耐震偽装問題・牛肉輸入問題と、
いわゆる「4点セット」によって、自民党が窮地に追い込まれる中、
堀江からの電子メールを根拠に、永田議員がライブドアと自民党の関係を糾弾しますが、
それが偽造メールである事が判明し、永田を後押ししていた前原も窮地に追い込まれると、
代表の責任を肩代わりする形で、民主党の国会対策委員長である野田佳彦が辞任。
こうして混乱させてしまった国会をどうにかする為、野田の後任を探すものの、
強引なまでに若手切り替えを行い、それで躓いた前原に対して、
国会対策に精通した菅直人などのベテラン議員は、後任依頼を次々に断り、
最終的には、ほとんど隠居状態だった党内最長老の渡部恒三に、すがり付きます。
渡部が後任に就くと、そこはさすが元・竹下派七奉行の1人。
こんな人物に出てこられては、自民党の議員も頭が上がらず、
更には、マスコミ行脚をして「民主党の黄門様」などと祭り上げられ、
地にまで落ちた民主党の信頼も、何とかギリギリ甦生の方向へと向かいます。
しかし、代表である前原への信頼までは、それで回復する事はありませんでした。
結果、前原はわずか半年あまりで代表を辞任。
そのキッカケを作った永田も議員を辞職し、その後、自殺してしまいます・・・・

仲間が居らず失敗した岡田、仲間だけに頼り失敗した前原。
ここで遂に、民主党の代表として小沢一郎が登場してきます。
前原の後任を決める代表選では、菅が今度も挑戦するのですが、
2票差だった前回とは違い、今回は47票差という大差での敗戦。
この大敗が響いたのか、その後、菅は東京都知事への転身を検討し始めます。
まあ、郵政選挙で大惨敗し、永田メールで自爆した民主党は、
もう本当に、危篤寸前という状態でしたからねえ・・・・
1993年の55年体制の崩壊後、10年以上に渡る政界再編を経て、
自民党政権に対抗すべく最後に残った「民主党」が、ここで崩壊してしまえば、
日本の政治は当分の間、自公連立政権で運営され続ける事となる可能性が高い。
そう見る人も多かった為、菅の転身模索も、ある程度は現実味を帯びた話でした。

ですが、最後の最後にすがった小沢により、民主党はまさかの甦生を開始します!!
それは自自公連立政権からの離脱以来、久方ぶりの小沢の本格復帰でもありました。
民主党の初代事務局長であり、現在は政治評論家である伊藤惇夫が言うように、
自民党の強固な派閥に対し、民主党のグループは「文化系サークル」みたいなもので、
しがらみが少なくて自由度も高い分、凄味や纏まりに欠けて勝負感も精神力も弱い。
そんな文化系サークルの集団である、サークル連合みたいな民主党の中に、
「体育会系運動部」みたいな自民党の派閥から、
そうした体育会系の気風を最も濃厚に持つ小沢一派がやって来たと。
言うなれば、文化系サークル連合に、応援団か野球部が入ってきたようなモノです(笑)。
そりゃあ、これだけ毛色の違うのが入ってくれば、周りはみんな警戒しますけど、
状況が状況だけに、警戒なんてしている場合じゃ無くなってしまった訳ですね。
しかし、『狼に率いられた羊の群は、羊に率いられた狼の群より強い』という諺の如く、
小沢に率いられた民主党は、一気にその姿を変化させます。

その時の風頼みで、票固めという事をほとんどして来なかった民主党の議員に対し、
「足」を使って選挙区を歩き回り支持を広める、泥臭い地上戦での戦い方を徹底。
それまでの民主党議員は、街頭演説などの空中戦による選挙活動が多かったですからねえ。
更には小沢自らが、小泉により切り捨てられた団体組織を回る事で、
自民党の支持母体であった組織票(「コネ」)を切り崩していき、
苦しい地方や業界に対しては、手厚い支援政策(「カネ」)を約束する。
良いか悪いかは別として、新聞記者にしても、営業マンにしても、政治家にしても、
必要なモノは、「足」と「コネ」と「カネ」を駆使して得るものですからねえ。
また、民主党の党内運営に関しては、
岡田・前原と2代続けて若い代表が失敗した事で、若手議員も比較的に大人しく、
菅と鳩山による綱引きも、小沢が入って三極鼎立による「トロイカ体制」となって安定し、
リベラル系議員からの反発対策も、既に左派大物の横路とは入党時に連携済みであり、
小泉政策に対抗する為にも、左派色のある政策を提示している事で彼らを抑えていると、
小沢代表の元、民主党は過去最高の安定感を見せるようになっていました。

こうして小沢新体制が始動した民主党に対し、
自民党では、小泉後継レースが始まっていました。
郵政選挙の前から小泉は、「あと1年で辞める」と公言しており、
麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・安倍晋三といった総裁候補を競わせていました。
この4人は、まとめて『麻垣康三』とも呼ばれました。
ここでちょっと、当時の自民党の派閥を見てみましょう。
最大派閥となった小泉属する清和会は、森派から「町村派」に代わり、
総裁候補としては安倍と福田の2人を擁していた上、
また、その別働隊として「小泉チルドレン」を抱えていました。
一方、「津島派」と名を変えた元・最大派閥の旧橋本派は、
所属議員数では未だに、町村派に次ぐほど大規模な派閥でしたが、
有力議員の多くが、小泉政権時に政治的失脚か郵政造反へと追いやられ、
トップを継いだのが、出戻り組で、しかも元宮沢派の津島だという事実からも、
この経世会に、往時の力が既に無い事が分かると思います・・・・
その他には、郵政造反で派閥の長である亀井自らが抜けた師水会「伊吹派」、
小泉政権では、最初は良いように利用され、最後には捨てられた「山崎派」、
加藤の乱の際、切り崩し工作によって分かれて出来た「古賀派」が中規模派閥。
あとは、加藤の乱後も加藤に付いていき、そして派閥を継いだ「谷垣派」、
河野グループを継いだ「麻生派」、旧河本派の「高村派」、
旧保守新党系の「二階派」が小規模派閥と言った感じでした。
各派のおおよその議員数を記すと、町村派が70人、無派閥の小泉チルドレンが50人、
津島派が60人、中規模派閥が40人前後、小規模派閥が15人前後といった所です。
派閥が9つも乱立し、その中で清和会が図抜けて強大な力を持つという、
まさに「小泉の天下」といった状態だった訳ですね(笑)。

でもまあ、小泉後継レースと言っても、麻生も谷垣も派閥の長とは言え小派閥で、
強大な力を持つ小泉の意中が、同じ派閥の安倍となれば、
ある意味で、やる前から結果は見えていたんですけどね。
首相になりたくて、なりたくて、でもなれずに死んだ親分・安倍晋太郎を、
間近でずっと見続けてきた小泉は、息子の晋三を首相にさせたかったんでしょうね。
一方、安倍は安倍で、本人も父の事を間近で見てきただけに、
首相になりたいという願望はかなり強かったものの、
「大臣経験すらない自分には、首相はまだ早過ぎる」と躊躇してました。
それを小泉が、「1度機会を逃せば、次はもう来ないかも知れない」と背中を押し、
こうした一連の動きを客観的な立ち位置から見ていた福田は、総裁選不出馬を表明。
まあ元々、福田は郵政選挙前から小泉と距離を置き、
亀井が郵政造反で党内から姿を消すと、反小泉派の期待を集めるんですよね。
残る3人は、郵政選挙後に重要ポストに据えられ、表向きには親小泉の立場でしたから。
ですが、衆院選圧勝後の後継レースで、未だ小泉の人気と影響力が大きい以上、
「ここで安倍と争っても損をするのは自分」という、政治的嗅覚が働いたんでしょうね。
福田康夫という政治家は、なかなかそう言う部分が優れてますので。
それに安倍は、拉致問題での対応から国民的な人気も高かった為、
人気で戦う小泉のやり方に慣らされた自民党議員が、人気のある安倍へと集まり、
結局、総裁選の結果は2位の麻生を3倍以上離す圧倒的な得票数で安倍が勝利。
戦後最年少の52歳、しかも戦後生まれ初の首相として、安倍内閣が発足します。
ちなみにこの小泉後継レース、清和会に最大派閥の地位を奪われた経世会からも、
「小渕派のプリンス」として竹下から可愛がられた額賀福志郎が出馬を目指すのですが、
久間や青木などが派内から足を引っ張り、額賀自身の覚悟もブレて断念。
鉄の結束を誇った経世会のなれの果てを、衆目に晒す結果になります。

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