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[13685] Re2:足軽や幕府の話返信 削除
2010/12/29 (水) 23:19:17 ミカエル

ちょっと気になったので横から失礼します。

> もちろん色々と考えていますが、大名がつぶされて従う訳もありませんが
> ただ江戸幕府が出来て100年ぐらいは十万人規模ぐらいは鎮圧出来る力はあったと思います。


反対ですよ。江戸初期については幕府の統制力は完全に全国(特に西日本)に行きわたっていないですよ。
それを管理人さんがおっしゃるように家光期までかかって少しずつ幕府の威光を確立していったのです。
この時期の大名取りつぶしも無嗣断絶がかなりの割合を占めております。
また、織豊政権時には江戸期の様な朱子学が確立しておりませんので
必ずしも長子相続とはならないがために御家騒動が勃発して取りつぶしになる家もありました。

織田豊臣系の大名に関しても管理人さんのおっしゃる通り
大藩に関してもいきなり取りつぶさず1〜3万石程度の小大名として存続させたり
参勤交代や普請作業等で普段から大名家の力をそいでいたために「蜂起したくともできない」
状態に各大名をおいていたからでしょう。

それでも完全には幕府の威光が日本全国に普くいきわたったかといえば微妙で
伊能忠敬が島津家領の測量を実施する際には多少問題にもなりましたよね。

> 幕末の長州藩でも数万ぐらいしか兵を動かせていないことを考えると、
> 大名って実はたいした兵力を持っていなかったのでは?


ちょっと時期はちがいますし、戦時と平時の違いもありますが
1万石あたり250人程度の動員力ですので江戸期の大名と戦国大名では動員兵力は全く違います。
(戦国期は農業従事者まで動員していたのもあるので比較としては不適ですね)

> 時間を置きながら徐々に大名を交代させていけば
> 外様から親藩譜代に交代させることは十分可能だと思います。


それでも完全には無理ですねえ。結局外様の大藩の改易は豊臣家恩顧の加藤福島の他は
蒲生・最上・堀など御家騒動を理由にしたもの以外にはあまり実績がないですよね。
大大名の改易は大量の浪人を出し、社会が不安定化するので幕府としてもそう旨みがあるものではありません。

> 中国はほぼ同時代の清時代で皇帝独裁体制の確立が可能だったみたいですから、なおさら日本でも可能だったかと。
> 戦国あけの日本なんですから、軍事力や国力の発展をとっても、
> 清と比べても可能性はあるでしょう。


これは絶対ありえません。明=清朝期の中国はおっしゃる通り皇帝を中心とする中央集権国家ですが
江戸時代の徳川の幕藩体制は事実上封建制ですよ。
そう簡単に大名家を移封改易はできません。
実例として江戸期後半になってしまいますが鶴岡14万石の酒井家の転封を
幕府が画策した際に酒井家は転封阻止行動に出て、結局幕府は転封を断念したこともあります。
それ以来幕府は大藩の転封は事実上できなくなってしまいます。


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