▽ 2011/7/1 (金) 21:24:55 ▽ 徳翁導誉 |
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太平洋戦争直前(1940年)の人口データ ※ 1941年/開戦 ※
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日本【帝国政府:1庁3府43県】 ※ 1868年/明治維新 ※
・ 合 計 7311.4万人 [現在1億2805.6万人 (1.75倍)]
・ 東 京 677.9万人 [現在 894.7万人 (1.32倍)]
・ 大 阪 325.2万人 [現在 266.5万人 (0.82倍)]
・ 名古屋 132.8万人 [現在 226.4万人 (1.70倍)]
・ 札 幌 20.6万人 [現在 189.7万人 (9.21倍)]
・ 仙 台 22.4万人 [現在 104.7万人 (4.67倍)]
・ 横 浜 96.8万人 [現在 368.9万人 (3.81倍)]
・ 京 都 109.0万人 [現在 147.4万人 (1.35倍)]
・ 神 戸 96.7万人 [現在 154.4万人 (1.60倍)]
・ 広 島 34.4万人 [現在 117.5万人 (3.42倍)]
・ 福 岡 30.7万人 [現在 146.7万人 (4.78倍)]
※ ちなみに1940年時の在日朝鮮人は119万人、1945年の終戦時には200万人超。
※ 在日台湾人の方は解りませんでしたが、恐らく5万〜10万人くらいかな?
朝鮮【朝鮮総督府:13道】 ※ 1910年/韓国併合 ※
・ 合 計 2370.9万人 日本人69.0万人( 2.9%) [現在 7223.9万人 (3.05倍)]
・ 京 城 98.9万人 日本人15.9万人(16.1%) [現在 979.4万人 (9.90倍)]●
・ 平 壌 34.2万人 日本人 3.2万人( 9.4%) [現在 325.5万人 (9.52倍)]●
・ 釜 山 32.9万人 日本人 6.1万人(18.5%) [現在 341.5万人(10.38倍)]●
台湾【台湾総督府:5州3庁】 ※ 1895年/日清戦争で獲得 ※
・ 合 計 607.7万人 日本人34.9万人( 5.7%) [現在 2305.5万人 (3.79倍)]
・ 台 北 28.8万人 日本人 8.2万人(28.5%) [現在 261.6万人 (9.08倍)]◎
・ 高 雄 8.7万人 日本人 2.0万人(23.0%) [現在 153.1万人(17.60倍)]◎
南樺太【樺太庁:8支庁】 ※ 1905年/日露戦争で奪還 ※
・ 合 計 33.9万人 日本人33.7万人(99.4%) [現在 46.3万人 (1.37倍)]★
・ 豊 原 3.7万人 [現在 17.3万人 (4.68倍)]☆
千島列島【属:北海道庁根室支庁】 ※ 1875年/千島樺太交換条約 ※
・ 合 計 1.7万人 [現在 1.9万人 (1.12倍)]
南洋群島【南洋庁:6支庁】 ※ 1922年/第一次大戦で国連委任 ※
・ 合 計 12.9万人 日本人 7.7万人(59.8%) [現在 27.7万人 (2.15倍)]★
関東州【関東局:関東州庁】 ※ 1905年/日露戦争で租借 ※
・ 合 計 122.6万人 日本人18.5万人(15.1%) [現在 583.4万人 (4.76倍)]★
・ 大 連 57.2万人 日本人17.0万人(29.7%) [現在 211.0万人 (3.69倍)]★
満州【満州国政府:18省1特別市】 ※ 1932年/満州国を建国 ※
・ 合 計 4320.3万人 日本人82.0万人( 1.9%) [現在1億1426.6万人 (2.64倍)]
・ 新 京 37.1万人 日本人 7.7万人(20.8%) [現在 358.0万人 (9.65倍)]★
・ 奉 天 78.5万人 日本人 9.6万人(12.3%) [現在 398.0万人 (5.07倍)]★
・ 哈爾浜 46.6万人 日本人 3.3万人( 7.0%) [現在 267.0万人 (5.73倍)]★
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ちなみに、各地域の「合計」に書かれた「日本人」についてですが、
元のデータ↓が、「内地人・現地人・外国人」の3項目になっている為、
http://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index02.html
朝鮮では台湾人が、台湾では朝鮮人が、それ以外では朝鮮・台湾人が、
データ上では、日本人(内地人)として扱われています。
ただし満州国のデータ↓だけは、朝鮮・台湾人を日本人に含みません。
http://www.jaas.or.jp/pdf/56-3/1_11.pdf
また、各印は「●:1944年」「◎:1935年」「★:1938年」「☆:1941年」のデータです。
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以上、戦前の大日本帝国とは、大体こんな感じだったのですが、
外地における日本人の割合とか、どんな印象を持たれるでしょうか?
思ったよりも多い? それとも少ない?
まあ仮に、大日本帝国が現在まで存続したと考えれば、
ここから更に70年以上が経過しますので、民族の混在化も進んでいるでしょうね。
「満州国が無ければ」という仮定なら、移民先が満州から外地になるので尚更に。
あと、「言葉」の方面に関しては、
当時から既に外地でも都市部(公の場)では、ほとんどが日本語使用で、
学校でも日本語で教育が施されていた事を考えれば、
出身民族に関わらず、ほぼ全ての国民が不自由なく日本語を扱えたでしょうね。
戦争が無ければ、急進的な皇民化政策も無いでしょうけど、それでも70年も経てば。
(ちなみに当時の就学率は、日本で95%以上、台湾で55%ほど、朝鮮で45%ほどでした)
まあそれに、大日本帝国のままでは、朝鮮語や台湾語が日本語と共に、
公用語として認めるほど寛容性のある社会になるとは、ちょっと思えませんし。
ただし、現地語を話せないと、現実的に就職では少し不利になったかも?
いくら公用語使用だと言っても、使えない人が来れば現地語対応になりますので。
って、台湾では未だに、そんな感じなんですよねえ・・・・
人口の70%が台湾語(本省人)ですけど、公用語は13%の北京語(外省人)ですから。
同じ中国語とは言え、英語とドイツ語くらい違うとか言いますし。
続いて、「都市」の方面に関しては、
当時の時点で既に、朝鮮の「京城(現ソウル)」は大都市ですねえ。
さすがに、韓国の首都である現在と比べれば見劣りするでしょうけども、
それでも、東京・大阪・名古屋の3大都市圏に次ぐ規模になっていたでしょうね。
「満州国が無ければ」という仮定なら、朝鮮が大陸展開への拠点になるので尚更に。
日本と世界とを結ぶ拠点として、清津や新義州も発展していたんだろうなあ・・・・
あと、まあ韓国・台湾は別として、北朝鮮の一般庶民的に考えれば、
あのような現状なら、まだ日本統治下の方がマシだったかも知れませんけどね。
自由も権利も名誉も、多くの人にとっては、まずメシが食えてからの話ですし、
崔承喜にしても、金永吉にしても、帰朝した文化人は悲惨な目に遭ったらしいので。
まあ朝鮮も順調に発展が続けば、「平壌帝国大学」とか出来ていたかも?
既に外地では、朝鮮の京城帝国大学と、台湾の台北帝国大学がありましたので。
内地にも「東京・京都・東北・九州・北海道・大阪・名古屋」と帝大がありましたが、
京城帝大や台北帝大の方が、大阪帝大や名古屋帝大よりも早く出来てるんですよねえ。
それと、戦前の半島開発では、北部は工業重視・南部は農業重視だったので、
今頃、南よりも北の方が豊かだった可能性が、かなり高いかと思われます。
実際に1960年代までは、それも一因にあって、北朝鮮の方が韓国より豊かでしたし。
まあ、今ではちょっと想像が付かないですけどね・・・・
あとついでに、当時の朝鮮の繁栄ぶりが見て取れる、
「大正広重」と呼ばれた吉田初三郎の鳥瞰図↓を貼っておきます。
・京城 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50010.jpg
・平壌 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50013.jpg
・釜山 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50015.jpg
・仁川 http://www.asocie.jp/oldmap/gaichi/image/50012.jpg
でもまあ、私個人の趣味的には、
「プロ野球やJリーグのチーム配置がどうなっていたかな?」という方向を、
まず1番に想像してしまうんですけどね(笑)。
特に台湾の場合は規模が小さいので、なかなかプロ・スポーツが健全に育たず、
その辺りは1人のスポーツ好きとして、ちょっと悲しい面があるので・・・・
ただプロ・スポーツなら、アメリカとカナダなどは国を越えて、
野球・サッカー・バスケ・アイスホッケーの統一リーグを運営しており、
日韓台でも、不可能では無いんでしょうけどね(資金面などの話は別として)。
例えば2002年には台湾で、福岡ダイエーがプロ野球の公式戦を行っていますし。
って、話を戻し、外地ばかりでなく、大日本帝国が存続する大前提として、
「太平洋戦争が無ければ」という仮定が有ると考えれば、
(もっと言うと、大正デモクラシー的な社会のまま帝国の発展が続けば?)
内地では「大阪」の運命が、かなり変わったていたんでしょうけどねえ・・・・
戦中は軍事目的により、戦後は経済目的により、東京への一極集中が進められ、
その影響を最も受けたのが、経済力では東京に比肩していた大阪でしたので。
関東大震災の影響もあり、昭和初期の頃なんて、
東京市よりも大阪市の方が、人口的に多かったくらいなのに、
前述の都市人口を見ると、大阪だけ「0.82倍」とダウンしてるんですよ・・・・
外地に比べると、内地の行政単位(府県)が、細かく分かれ過ぎていた事もあり、
戦前には、現在の「道州制」にも通ずる「州庁設置案」がありましたので、
戦争が無く、これが実行されれば、州庁所在地である大阪は更に発展していたかと。
※ 1927年/内閣へ提出された州庁設置案 ※
・仙台州(宮城・青森・岩手・秋田・山形・福島)
・東京州(東京・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川・山梨・長野・新潟)
・名古屋州(愛知・静岡・岐阜・三重・富山・石川・福井)
・大阪州(大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山・徳島・香川・高知)
・広島州(広島・岡山・鳥取・島根・山口・愛媛)
・福岡州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島・沖縄)
ちなみに史実では、その後、戦時体制へと移行した事で、
経済目的での「州庁」分割から、軍事目的の「地方総監府」分割となり、
「北海・東北・関東信越・東海北陸・近畿・中国・四国・九州」に分けられました。
(当時は、北海道と南樺太を合わせて「北海地方」と呼ばれてました)
でもまあ、すぐに終戦を迎えたので、この分割が効果を発揮する事はありませんでしたが。
と言うか、今の日本にこそ「道州制」の議論が必要だと思うんですけどね。
それにしても、「行政単位」という観点から見てみると、
内地が「1庁3府43県」で、朝鮮が「13道」、台湾が「5州3庁」で、
その他に「樺太庁(後に内地編入)」と「南洋庁」と「関東庁」かあ。
(ちなみに戦前は、東京都ではなく東京府、北海道ではなく北海道庁でした)
う〜ん、本当に各地ごとでバラバラですね・・・・
これらを内地として同一に扱うとなれば、一体どういう仕組みにしたんでしょ?
(まあ、別にそのままで行けるのでしょうが、妄想する以上は弄りたい・笑)
朝鮮の「道」や、台湾の「州」は、それぞれ内地の「府県」に相当するとは言え、
そのまま府県に置き換えるには、道も州もちょっと大き過ぎますしねえ。
とは言え、1940年当時の北海道が人口327万人なので、無理ではないでしょうけども。
いっそ、北海道と朝鮮13道の「道」は同じモノとし、台湾には南北2道を新設とか?
(ちなみに「市・町・村」は、朝鮮では「府・邑・面」、台湾では「市・街・庄」でした)
でもまあ戦前は、中央から官選の知事が派遣されるほど中央集権的だったので、
地方統治の観点から言えば、却って大きい方が中央的には便利なのかな(笑)。
取り敢えずは北海道や樺太のように、府県よりも中央統制の強い「庁」を置き、
朝鮮の13道や、台湾の5州3庁を、それぞれそのまま支庁に移行して、
「朝鮮庁13支庁」「台湾庁8支庁」って所が、想像的に無難でしょうかねえ?
(やはり朝鮮単独では大き過ぎとなれば、南北で2庁に分ける手もありますし)
実際に樺太では、原敬が軍の「総督府」設置要求を退けて「庁」を置いてますので、
朝鮮総督府から朝鮮庁へ、台湾総督府から台湾庁へ移行させると。
ただ、70年も時間が経ち、朝鮮・台湾の内地化が進んでいるような世界なら、
地方自治の方も少しは前進して、知事の公選化や、庁から道への移行がされているかな?
それこそ「道州制」が導入されていれば、旧内地が州で、旧外地が道ですかねえ?
あと、もし「南洋群島」も内地化したなら、あそこはそのまま庁だと人口が少ないので、
大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁のように、東京府管轄の「南洋支庁」かな?
いや、でも樺太も北海道には組み込まず、そのままの形で内地に編入されているので、
こちらの方も、そのまま南洋庁として編入と考えた方が妥当かも?
人口に関しても、済し崩し的に日本へ併合される頃には、
更なる日本人移住者の増加で、人口も割合も増しているでしょうし。
まあ南洋群島は、国連の委任統治領という形ではありましたが、
史実でも、南洋群島の一部である北マリアナ諸島(サイパン島など)は、
戦後に日本からアメリカへ統治権が移ると、その後に自治領として編入されており、
更に日本の場合は、現地在住の日本人が既に過半数に達してましたからねえ。
当時の国連も、南洋群島を「Cランク(独立はまず不可能)」と見ていたので、
頃合いを見計らっての併合であれば、そこまで国際的な支障も無かったかと。
仮に住民投票を行われた所で、日本人の多さから、結果は自ずと明らかでしたし。
続いて「関東州」の方は、相手国も期限設定もある「租借地」なので、
史実のように、香港・マカオが中国に返還されているような世界設定なら、
こちらの関東州も、租借期限が切れる1997年には返還でしょうね。
史実では満州国からの租借に切り替えるので、満州国ありの設定なら解りませんけども、
ままそもそも、日本の大陸侵攻が無いとなると、中国の歴史も大変化を強いられるので、
中国自体がどうなっているのかも、再設定が必要になりそうですが・・・・
仮に「現状通り」で押し通しても、台湾が日本領なので中華民国は消滅扱い?
やはり深く考えて行くと、どうしても歴史経緯の設定は必要になりますよねえ。
中国共産党が天下を取らなければ、「魔都・上海」も存続していたのでしょうか?
あの頃の中国は、まさに「動乱期」と呼べる時代だったので、
日本以上に、様々な展開の可能性があったでしょうから。
「満州国」なんてトンデモない代物の登場も、その一部ですよねえ・・・・
って、こう書いていると、ネタとしては結構面白そうなのですが、
そうした設定の作品って日本では見掛けませんよねえ?(裏設定の作品はありますが)
まあ日本は支配した側ですし、「面倒事は御免」と避ける面もあるのでしょうけど、
「もし日本統治が未だに続いていたら」という映画の「ロスト・メモリーズ」や、
日本統治時代(1930年代)を舞台にしたラブコメ・ドラマの「京城スキャンダル」など、
韓国の方では、決してタブーなネタでは無いみたいですからねえ。
前回、活き活きとした戦前の日本として、大正末期から昭和初期の日本を書きましたが、
確かにその頃は朝鮮の京城などでも、欧米風のモダン文化が花開き、
当時を経験した朝鮮の人たちの文章を読んでも、その華やかさが伝わるんですよねえ。
まあ私は両作とも未見なのですが、題材的に抗日的描写は避けられないものの、
日本文化好きな制作陣が、「日本化された韓国」の描写に凝ってしまうなど、
再現部分の感想を見聞きすると、ちょっと興味が湧い来たりもします。
それにしても、ガンダム好きだという京城スキャンダルの監督は遊び過ぎ↓(笑)
http://www.kjclub.com/UploadFile/exc_board_61/2010/08/03/200911101756.jpg
ああ〜、もしも京城としての繁栄が続いていたら、
近江商人の呉服屋から、朝鮮を中心に満州・中国へと店舗展開して、
戦前の一時期には、三越以上の売り上げを出した「三中井百貨店」とかも、
今頃どうなっていたのでしょうかねえ?
吉田初三郎による「三中井を中心にした京城」の鳥瞰図↓
http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/2004kikaku/minakai.htm
ちなみに三中井百貨店は、終戦と共に店舗を全て失い消滅。
今では故郷の彦根市に、ケーキ屋↓が残るだけだとか・・・・
http://yumekyobashi.jp/shop/minakai/
って、終戦時の三中井2代目の事を調べてみると、
ヤオハンの2代目とかなり被る印象なので、どのみち消滅していたかも?
以上、興味ある人はきっと少ないとは思いますが、
先週の書き込みで広がった妄想を、ダラダラと書いてみました(笑)。
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