▽ 2011/7/9 (土) 15:29:00 ▽ 徳翁導誉 |
| > > あと、「言葉」の方面に関しては、
> > 当時から既に外地でも都市部(公の場)では、ほとんどが日本語使用で、
> > 学校でも日本語で教育が施されていた事を考えれば、
> > 出身民族に関わらず、ほぼ全ての国民が不自由なく日本語を扱えたでしょうね。
> > 戦争が無ければ、急進的な皇民化政策も無いでしょうけど、それでも70年も経てば。
> > (ちなみに当時の就学率は、日本で95%以上、台湾で55%ほど、朝鮮で45%ほどでした)
> 今も台湾人の方では日本語を使える人間がいるみたいですね。
> 商売上でしょうけども、老若問わず、です。
「老若問わず」と言いますか、老人と若者に多いんです(笑)。
老人の方は「日本語族」と呼ばれる人たちで、
戦前の日本統治を経験し、日本語で学校教育を受けた世代です。
ただし終戦から66年も経っており、その数は年々減って来ています。
続いて若者の方は、いわゆる「哈日族(ハーリーズー)」という人たちで、
アニメやJ-POPなどの日本文化が好きで、そこから日本語を覚える層です。
かなり前には、このサイトにも数名ほど遊びに来てましたね(笑)。
簡単に言えば、老人には懐かさの対象で、若者には憧れの対象であると。
って、別にこれは台湾だけでなく、韓国でも見受けらる現象なんですけどね。
台湾の方はデレデレだけど、韓国の方はツンデレという、態度の違いだけで(笑)。
日本語で教育を受けた戦前世代は、台湾でも朝鮮でも事情は同じですし、
十数年前に民主化され、日本文化の開放が一気に進み、
一定数の若者が、日本文化に熱中するに至る経緯とかも同じですので。
それに言語的には、韓国語の方が日本語にかなり近いですし。
あとは、台湾と韓国の社会状況(対日感情)の違いですよね。
日本好きを素直にアピールできる台湾社会と、それが難しい韓国社会との。
ちなみに、老人でも若者でも無い、台湾の中年層ですが、
日本が好きでも嫌いでも無い層が、大半を占めているように思います。
老人世代のように、日本の統治を経験した訳でも無く、
若者世代のように、日本の文化に触れて来た訳でも無いのですから。
触れるとしたら、当時台湾で行われていた国民党による反日教育くらい?
でもまあ、支配者側の国民党自体が憎悪の対象でしたので、
反日教育の方も、そこまで成果を上げた訳でも無いのでしょうけど。
とは言え、日本が中国と国交を結び、台湾と断交したのを見た世代は、
親日よりも反日の傾向が強いような気がしますね・・・・
> あと台湾人は日本人と中国人(大陸系)が見分けられるとか。
いや〜、結構分かると思いますが?(笑)
日本人だって、韓国人と中国人なら、
見分けが付く人も、それなりに居ると思いますよ。
> > 人口の70%が台湾語(本省人)ですけど、公用語は13%の北京語(外省人)ですから。
> > 同じ中国語とは言え、英語とドイツ語くらい違うとか言いますし。
> 南部と北部の違いですよね?本省人は福州出身等南の人間が主体で、外省人は北京語を使う人間なんですかね?
「本省人」とは、戦前から台湾に住む人たち(主に漢民族)の事ですね。
ここでの本省とは、台湾省の事を指してますので。
まあ、元々は福建省などの中国沿岸南部から渡って来た人が多いのですが、
移民は基本的に男性でしたので、台湾先住民との混血化も進み、、
その後の日本統治により、半世紀以上も中国本土と切り離されてましたので、
個人的には、「台湾人・台湾語」という表現が適当のような気がします。
あと、少数ながら客家系も居ますが、彼らは客家語を使います。
続いて「外省人」とは、戦後に台湾へと移ってきた人たち、
要するに、台湾省以外の人達なので外省人という訳です。
中国での内戦に国民党が敗れると、その残党が一気に台湾へ流れ込んだ為、
別に彼らが全員、北京語を自らの母語としていた訳ではなく、
あくまで「共通語」として、北京語が使われていただけでした。
ですので台湾に渡った第1世代には、台湾語も北京語も出来ない人が居ました。
まあこれは、元々台湾に住む先住民たちも事情は同じですね。
部族外での共通語は、それまで統治に用いられていた日本語でしたので。
ただし、国民党統治下の台湾で育った世代になると、
学校で使用される国語が北京語であり、公用語でもあった為、
外省人の母語はほぼ北京語となり、本省人の中にも北京語を母語とする人が出ます。
(日本統治下で育った人の中には、日本語を母語とする台湾人も居ますので)
これにより、まあ母語では無くとも、戦後世代は、
本省人も先住民も、普通に北京語を使えるようになります。
こうした事情は、中国本土の方でも同じですね。
またテレビ番組では、台湾でも中国でも、必ず北京語の字幕が付くと聞きます。
> > でもまあ、私個人の趣味的には、
> > 「プロ野球やJリーグのチーム配置がどうなっていたかな?」という方向を、
> > まず1番に想像してしまうんですけどね(笑)。
> 台北ゴールデンアイランズとかあったんじゃないですか笑
> 台北の方はまんまですね笑
台湾島の別名は、ポルトガル語名を直訳した「美麗島」なので、
まあ雰囲気的には、似通ってなくは無いのですが、
チーム数の少ないプロ野球の方にしても、
台湾に球団は台北と高雄で2チームできると思いますので、
島自体をチーム名に入れるのは、ちょっと問題が起きる気も・・・・
って、日本領のままだったら、高雄もあそこまで発展してないかな?(笑)
台湾新幹線にしても、日本領のままなら未だに完成していないと思いますし。
ちなみに、今ある台湾のプロ野球チームの愛称は、
「エレファンツ・ライオンズ・ブルズ・モンキーズ」の4つです。
> 京城タイガーズとかでしょうか笑
> 京城タイガーズの由来はどこかで朝鮮の形が「立ったトラの形だ!」とか主張して記事をみたことがあるので、
> もじってみました。
半島の形が虎だと言うよりも、朝鮮のシンボル的な動物が「虎」なんですよ。
ですから、象徴の虎が先にあり、半島の形がと言うのは後付けですね。
朝鮮・中国・ロシアの国境地帯が、野生のトラの生息地域なんです。
例えば昨年、サッカーのワールド・カップがありましたが、
世界最大級のスポーツ専門局ESPNが作った全出場国のポスターがあるのですが、
日本がサムライで、韓国はトラになっています↓
http://blog.livedoor.jp/funs/archives/51850690.html
また、ソウル五輪のマスコットも、同じくトラでした↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Seoulgamesmascot2005.JPG
日本で朝鮮の虎と言うと、朝鮮出兵での「加藤清正の虎退治」が有名ですね。
虎の毛皮は高級品で、虎の肝は滋養強壮の薬だったので、
清正に狩られた虎は、豊臣秀吉の元へと送り届けられました。
ちなみに、その時の虎の頭蓋骨が今でも現存しています↓
http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h14/03/obj06.html
ですので、「タイガース」という愛称は悪く無いのですが、
如何せん戦前(1935年)には、既に「大阪タイガース」があるんですよ(笑)。
名前を変えて、今では阪神タイガースですね。
仮にサッカーの方だとしても、プロ野球チームと被る愛称を付けた例は無いですし。
> あとは樺太ベアーズとかも面白いですかね笑
> サイパントロピカルズなんてね笑
ただ、樺太も南洋諸島も、人口的にチーム設置が困難そうですけどね。
移動距離的にも、トンデモない事になりそうです(笑)。
まあ樺太はまだしも、南洋諸島の方は・・・・
そうそう、南洋諸島でプロ野球と言えば、
南洋諸島出身のプロ野球選手が居たのを思い出しました。
「相沢進」という、半世紀以上も昔にいた投手なのですが、
日本人の父親と、ミクロネシア人(酋長の娘)の母親の間に生まれ、
終戦で父親と日本に引き上げ、その後にプロ野球選手となって、
引退後にはミクロネシアに帰り、酋長になったという経歴の人物です。
http://www.tabichan.jp/overseas/shucho
> > でもまあ戦前は、中央から官選の知事が派遣されるほど中央集権的だったので、
> > 地方統治の観点から言えば、却って大きい方が中央的には便利なのかな(笑)。
> > 取り敢えずは北海道や樺太のように、府県よりも中央統制の強い「庁」を置き、
> > 朝鮮の13道や、台湾の5州3庁を、それぞれそのまま支庁に移行して、
> > 「朝鮮庁13支庁」「台湾庁8支庁」って所が、想像的に無難でしょうかねえ?
> > (やはり朝鮮単独では大き過ぎとなれば、南北で2庁に分ける手もありますし)
> たとえば、北朝鮮道○支庁○市○区○○・・・っていうのがありえそうな気がします。
> 北海道をモデルにするのが一番簡単なんじゃないかと思いますが・。
前回も書きましたが、そもそも戦前には、行政単位としての「道」が存在しません。
「北海道」とは、道まで含んだそれ自体が単なる地域名であり、
「府・県」に相当すモノは「庁」でした(ですので北海道庁や樺太庁となります)。
それが変化するのは、日本を占領統治したアメリカの指導によるモノです。
また仮に、占領統治が無くとも独自に「庁→道」の改変を行ったとしたら、
それこそ朝鮮には、行政単位としての「道」が既に存在し、
道知事や道議会までありましたので、
わざわざ北朝鮮道・南朝鮮道など新設しなかったのでは?
あと、戦後に出来た「道」というのは、基本的に「府・県」との違いが無く、
強いて違いを上げるなら、その面積の大きさから来る対応の違いくらいです。
まあこれは、函館県・札幌県・根室県を統合し、北海道庁を作ったからとも言えますが、
そういう観点から見れば、朝鮮の各道にしても、県レベルの集合体とも言えます。
実際、朝鮮が日本に併合される15年前に行った「23府制」↓など、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%BA%9C%E5%88%B6
それぞれの府が、日本で言う所の府県に相当する単位だったと思います。
規模がほぼ倍の日本では、ちょうど2倍の「46府県制」でしたし。
結局の所、何も朝鮮と台湾とを、同じ行政単位に分ける必然性もない訳ですし、
北海道や樺太道で行くなら、朝鮮の13道もそのまま同様に道として、
台湾は統治初期に県制を敷いた事があるので、それに戻しても良いのではないかと。
これなら内地・外地合わせても、「道・府・県」の3つだけに収まります。
もしくは、朝鮮にあった23府を県に移行し、北海道の3県も元に戻せば、
「府・県」の2つに収まりますね(京城は東京・京都・大阪と同じく府で良いかも?)。
> > 実際に樺太では、原敬が軍の「総督府」設置要求を退けて「庁」を置いてますので、
> > 朝鮮総督府から朝鮮庁へ、台湾総督府から台湾庁へ移行させると。
> > ただ、70年も時間が経ち、朝鮮・台湾の内地化が進んでいるような世界なら、
> > 地方自治の方も少しは前進して、知事の公選化や、庁から道への移行がされているかな?
> > それこそ「道州制」が導入されていれば、旧内地が州で、旧外地が道ですかねえ?
> そうでしょうね。もしかすると今日のスコットランドとイングランドのような関係であるかもしれません。
> 朝鮮議会が財政の権限だけ所要しているとか・・・。
ですが、史実での日本の統治傾向というのは、明らかに、
イギリス流の自治主義ではなく、フランス流の同化主義です。
連邦制に近い州制度のアメリカにより、戦後憲法には地方自治が明記されますが、
それでも今の日本では、全くと言って良いほど、地方自治が進展していません。
その上、敗戦が無いのだとしたら、地方自治など今以上に無い想像が現実的かと。
まあ朝鮮では、総督府が本国からの干渉を阻止し、権益を守る為の道具として、
操り人形の自治議会を作る構想もありますが、これはもう自治でも何でも無いですし。
そもそもイギリス流は、「内と外(本国と植民地)」を明確に区分する事で、
統治を楽にし、いざとなれば簡単に切り離せる仕組みです。
自治政府から独立と言う流れも、スムーズに行きますしねえ。
しかし、朝鮮や台湾を切り離す考えは、戦前の政策方針に無かったですし、
逆に終戦へ奔走した頃には、最悪、北海道と沖縄は切り捨てて良いと考えてました。
って、ちょっと脱線しましたが、日本が採用したフランス流の同化主義、
日本流に言うと「内地延長主義」は、上手く行けば強力な力を生みますが、
分離独立運動が起きると、人が混じり合っている為、大混乱に陥ります。
例えばフランスでも、南米のギアナ↓みたいな海外県を残している一方、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%A0%98%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A
地中海を面して向かい合うアルジェリアの独立戦争は、本当に悲惨でしたので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
> で、現在の韓国の領域はほぼ日本語の使用地域になっていて、
> 現在の北朝鮮の山岳地域に日本語の影響を受けた朝鮮語の使用地域があるという形になっている気がします。
> 北朝鮮地域の都市部は完全に日本語の使用地域になっているでしょう。
この「使用地域」というのは、学校・役所・商店などの公的な部分の話ですか?
それとも家庭内で用いられる私的な部分での話ですか?
公的な部分の話であれば、戦前から既にそれに近い感じでした。
私的な部分の話であれば、それはなかなか難しいかと思います。
例えば台湾の本省人にしても、公用語が北京語だからと言って、
自らの母語である台湾語を、別に捨てた訳ではありません。
そこまでやるのは、他の旧植民地などを見ても、一部の上流階級に限られます。
それ以外の層が、母語を捨てて公用語を用いる社会は、
彼らがその社会での少数派で、そのままでは生活に支障をきたすケースですが、
まず間違えなく、朝鮮でも台湾でも、彼らは多数派のままなはずです。
以前、中国もそれをやろうとして、あっさりと失敗してますしね。
> > あと、もし「南洋群島」も内地化したなら、あそこはそのまま庁だと人口が少ないので、
> > 大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁のように、東京府管轄の「南洋支庁」かな?
> > いや、でも樺太も北海道には組み込まず、そのままの形で内地に編入されているので、
> > こちらの方も、そのまま南洋庁として編入と考えた方が妥当かも?
> 併合して東京府管轄の南洋支庁が現実的だと思います。
ただ、最大の大島支庁でも、人口が現状で1万人ちょっとなんですよ。
一方、南洋諸島は当時でも、人口が13万人近いんですよねえ。
しかも南洋諸島は、東京から物凄く距離が離れてますし・・・・
まあ仮に東京府編入でも、「南洋庁→南洋支庁」ではなく、
「サイパン・パラオ・ヤップ・トラック・ポナペ・ヤルート」と、
南洋庁の既存の6支庁を、そのまま編入の方が無難かも?
って、「東京府ポナペ支庁」とかいう住所も、かなりカオスですが(笑)。
> > そもそも、日本の大陸侵攻が無いとなると、中国の歴史も大変化を強いられるので、
> > 中国自体がどうなっているのかも、再設定が必要になりそうですが・・・・
> > 仮に「現状通り」で押し通しても、台湾が日本領なので中華民国は消滅扱い?
> 意外と重慶や広州取って中華民国が長江以南にあるなんて設定もありじゃないですか?
> そっちのほうが現実よりもおもしろいと思ってますw
う〜ん、「現実よりもおもしろい」とか、「設定」とか、
私としては、そう言う話をしているのではなく、
「歴史とは、幾つもあった可能性の中から、その時々で1つを選択して来たモノの積み重ね」
という観点から、「選択次第で有り得た可能性」の話をしているだけなのですが・・・・
まあ、私が拘っているだけで、別に良いんですけど(笑)。
で、話を戻しますと、中国の南北分断は、普通に有り得たシナリオでした。
大戦終結後に再燃した国共内戦で、中国北部を制圧した共産党は、
国民党の本拠地である南部へと侵攻すべく、長江を渡ろうとしました。
(ですので、重慶や広州を中華民国が取ると言うより、守ると言う方が適当では?)
それに対し、猛烈な反対を行ったのが、共産党の後ろ盾だったソ連のスターリン。
中国共産党がこれ以上大きくなる事も、長江を渡り破れる事も嫌でしたが、
しかし何よりも、国民党の後ろ盾であるアメリカが参入して来る事を嫌いました。
まあスターリン的には、当然の判断ですよねえ。
せっかく緩衝地帯が出来たのですから、もうそれだけで充分なんです。
ですが、そんな事を素直に聞くほど、毛沢東も甘くはありません。
結果的には、共産党軍が長江を渡ると、国民党軍はあっさり瓦解しますが、
渡河作戦とは本来困難なモノで、失敗した可能性だって無くは無いですし、
展開次第によって、スターリンの言う事を聞いた可能性だってあります。
中国の歴史において、欧州などと比べると、断然「統一」がされ易い地形ですが、
それでも分断だれる時と言うのは、長江流域を境にした南北分断でした。
いわゆる「南船北馬」の違いというヤツですね。
ですので、北は共産党、南は国民党で固定する事も、有り得ない展開ではありません。
とは言え、しかしそれは、日本が中国大陸へと侵攻し、
第二次大戦によって破れると言う条件が、必須な前提条件となっています。
そもそも、日本による中国侵攻と敗戦とが無ければ、
共産党が国民党を逆転するなどという展開自体が、ハッキリ言って夢物語なので。
当の本人である日本では、ほとんど意識される事もないのですが、
「元王朝→明王朝→清王朝→中華民国」と、
歴代の中国政府が崩壊するキッカケを作っているるのは、日本なんですよ。
2度に及ぶ元寇の失敗が無ければ元王朝は、
秀吉による朝鮮出兵が無ければ明王朝は、
日清戦争が無ければ清王朝は、日中戦争が無ければ中華民国は、
あそこまで早く崩壊していく事は無かったと思います。
で、今の中国共産党が恐れているのは、日本から来る民主化の流れかも?
・・・って、脱線した話を元に戻しますと、中国のIFを想像するには、
日本がどう行動したかをちゃんと規定しない限り、やはり不可能ですよ。
> > やはり深く考えて行くと、どうしても歴史経緯の設定は必要になりますよねえ。
> > 中国共産党が天下を取らなければ、「魔都・上海」も存続していたのでしょうか?
> > あの頃の中国は、まさに「動乱期」と呼べる時代だったので、
> > 日本以上に、様々な展開の可能性があったでしょうから。
> > 「満州国」なんてトンデモない代物の登場も、その一部ですよねえ・・・・
> ウイグル、チベットは独立国の設定でw。内モンゴルは中華人民共和国ですかね。
戦前のチベットに関しては、実質的に独立国でした。
清王朝が崩壊した際、モンゴルとチベットは独立を宣言し、
互いに独立維持の為の協力関係を結びます。
まあその辺の過程は、モンゴル中心ながらココ↓で描きました。
http://www.geocities.jp/flash_okiba3/flash/mongol.html
で、モンゴルはロシアの、チベットはイギリスの後ろ盾を得る訳です。
モンゴルは極東ロシアと隣接してましたし、
チベットも英領インドと隣接してましたから。
もちろん中国(漢民族政権)側は、その独立を認めませんでしたが、
大国の後ろ盾に加え、中国内部での闘争に忙殺され、実質的に放置状態でした。
しかしモンゴルとチベットで大きく違ったのが、大国による干渉の度合いです。
極東地域とは言え、ロシア本国と隣接していたモンゴルは、
ハッキリ言って、ロシア(後のソ連でも)の属国になっていました。
まあだからこそ、中国からの干渉も退けて独立を維持でき、
ソ連崩壊によって、現在のような完全な独立国として存続しているんですけどね。
・・・って、中華民国(台湾)は未だに公式見解としては、
モンゴルの独立を認めず、自国領扱いとしていますが(笑)。
ついでに言うと、琉球王国の日本併合も、正式には認めていません。
一方、チベットの方は、イギリスと接すると言っても植民地ですし、
しかもその間には、あのヒマラヤ山脈が横たわります。
ですので、無線基地を置いたりなど、イギリスの影響力は限定的で、
だからこそ戦前は、独立国と言っても、ほぼ差し支えない状態でした。
しかしそれも第二次大戦と共に状況が一変します。
イギリスは日本と戦う中国国民党の蒋介石を支援するべく、
支援ルートとしてチベットを使おうとするも、チベットはそれを拒否。
その結果、大戦終結後に中国共産党がチベットへと侵攻した時には、
イギリスからの後援も得られず、あっと言う間に独立は失われました・・・・
ですので逆に言えば、日本が中国に侵攻さえしなければ、
モンゴルと同じく、今では完全な独立国になっていた可能性はあります。
ちなみにウイグルの方には、この地域に派遣されていた国民党の総督軍やら、
現地の様々な民族やらが混在し、モンゴルやチベット以上にグチャグチャでした。
そんな中でも、「東トルキスタン共和国」というのが2度建国されてますね。
トルキスタンとは、トルコ系民族の住む中央アジア地域の事で、
ソ連領だったカザフスタンなどが、西トルキスタンに当たります。
まあ最初の建国は、総督軍とソ連軍の協力によりアッサリ崩壊し、
ソ連の後ろ盾を得た総督が、実質的な独立国のように振る舞い始めます。
その後、第二次大戦が始まり、ソ連がドイツ相手に劣勢を強いられると、
ソ連を捨て、国民党に出戻ろうとしますが、息を吹き返したソ連に潰され、
今度はソ連自らが、傀儡国家として東トルキスタンを建国をします。
まあそれも、中国共産党が中国を制圧すると、中国に明け渡され、
東トルキスタンの政府要人たちは、暗殺されて終わるのですが・・・・
そうした経緯を鑑みると、ウイグルの独立はなかなか難しいですね。
第2次の東トルキスタン建国にしても、前提として大戦勃発がありますし。
でもまあ、その可能性を探るとしたら、
やはりモンゴルのように、ソ連の完全属国化ですね。
中国内部が安定してしまえば、独自でその力に抗うのは難しいですから。
いっその事、「もしも日露戦争で日本が負けていたら」とかの仮定の方が、
ウイグルも、内外モンゴルも、満州も、朝鮮も、全てロシア領化して、
歴史的な可能性の幅を、大胆に広げる事も可能なんですけどねえ(笑)。
あと、最後に内モンゴルですが、ここの独立はまず無いですね。
当時から既に、漢民族の方が多数派だったような気がしますし、
あそこに自治政府を作ったのは日本くらいですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%81%AF%E5%90%88%E8%87%AA%E6%B2%BB%E6%94%BF%E5%BA%9C
それも大前提として、中国への侵攻があったからの話ですので、
満州国の建国を無しで行くなら、まず有り得ないシナリオですよね。
> 欧米風のモダン文化についてですが。
> 私はなぜか、2000年前後まではその流れが続いていたのではないかと思います。
> なぜかわかりませんが、2000年前後から全く、モダン文化の流れがすたれてしまった気がします。
> やはり、1900年代前半に生きた人々が2000年前後で急激に少なくなってきたからからとか、、
> 建物の改築なんかも関係しているかもしれないと感じます。。
> まぁ個人的な見解なので感覚的な話なんですが。
その「モダン文化」というのが、
私が使っている意味と同じかどうかは解らないのですが、
建築で言うなら、ちょっとした復元ブームですよ。
1894年(明治27年)に建てられた「三菱一号館」は、
高度経済成長期に解体されたものの、2009年に復元されましたし、
http://mitsubishi-ichigokan.jp/
1914年(大正3年)に建てられた「東京駅舎」も、
空襲で破損し、応急修理のまま60年が経過しましたが、
5年間に及ぶ工事の末、来年ようやく元の姿を取り戻す予定です。
http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/righting/index-j.html
http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/data/index-j.html
> > ああ〜、もしも京城としての繁栄が続いていたら、
> > 近江商人の呉服屋から、朝鮮を中心に満州・中国へと店舗展開して、
> > 戦前の一時期には、三越以上の売り上げを出した「三中井百貨店」とかも、
> > 今頃どうなっていたのでしょうかねえ?
> 朝鮮を中心に発展はしますが、内地にも進出して日本国内一の百貨店を作っていたのでは?
う〜ん、そもそも三中井は、新天地である朝鮮にビジネス・チャンスを見つけ、
欧州発のモダンな商品を、日本経由で仕入れ、後進地域であった朝鮮で売る事により、
発展を遂げて行った百貨店ですからねえ。
簡単に言えば、未開の地域に手を付けたのが凄さであって、
開発された地域に後発で乗り込んで、果たして上手く行ったかどうか・・・・
逆にそれだけの商才があれば、今でも生き残っていると思います。
もっと言えば、朝鮮は市場価値が上がって行けば、
三越以外にも、ブランド力のある内地の百貨店が上陸して来るでしょうから、
ブランド力で劣る三中井としては、中国への先行拡大こそが活路だったのでは?
だからこそ、バブル期にそれをやったヤオハンの名前を上げた訳です。
無理な拡大戦略により、直後にあっさりと倒れてしまいましたが、
未だに中国(特に上海)では、ヤオハンのブランド力は強いと聞きますし。
(現在は中国資本により、上海ヤオハンは店名そのままに百貨店を営業中)
> リアルの事情で少々返信が遅れてしまいました。
> 忙しいので内容もあまり詰められませんでした。
> 申し訳ないです。こらからも返信遅れてしまいそうです。
いえいえ、別に構いませんよ。
ただ、大河の話題からは随分離れちゃいましたね(笑)。
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