| ▼ 徳翁導誉さん
> > > 歴史的な流れの方向性で言えば、上手く行くか否かは別として、
> > > やはり民主化の方向へは流れて行くと思いますよ。
> > 行くのか。
> > それでイスラム圏が今よりも平和になるといいですが。
> 長期的には解りませんが、短期的にはまず無理でしょうね。
> 体制が変われば混乱は付き物ですし、その成熟には相応の年月が掛かります。
> それを見越した上で、更にその先に何を見るかの話です。
> あと、あれからシリアに関する本を3冊ほど読みましたけど、
> アサド・ファミリーの知識は深まったものの、認識的にはほぼ変わりませんでした。
> 内容的に詳しい本ほど、元々シリアとの関わりが深いだけに、同情的だったものの、
> シリア側の視点で見れば、欧米視点の勧善懲悪な報道が腹立たしいのは解りますが、
> それは今に始まった話じゃないですし、アサド政権の問題とはまた別ですからねえ。
認識的にはほぼ変わらなかったと・・・・
いや、考えがころころ変わるようではそちらの方は問題ですな。
とりあえず、私の視点は迷走しているということだけは言っておきます。
> > イスラム圏の話から外れますが、民主主義の次は、
> > これから人口の割合を増していくであろう、高齢者層による民主主義的な支配、
> > 資源不足からの効率的な資源配分のためのコンピュータによる統制社会、
> > 資源不足からの効率的な資源配分のための改良された社会・共産主義
> > 迷走の挙句の軍とか警察による支配、
> > などによって人類は支配されていくと私は考えています。
> 結論が先にありきの考えで無ければ、
> まずは前提となる「資源不足」から調べてみましょう。
> 効率的な配分を要するような絶対量の不足では無く、
> その多くは、コスト(費用対効果)の話である事が解ると思います。
・・・・・・・・・・・・・・
質と量の双方の面を含めての「資源不足」という表現ですが、
私は質も含めた資源の効率的配分を目指していますが、
単純に絶対量という表現になったようで失礼しました。
いまや、資源の消費、開発が進み、かつてよりも資源の開発コスト等が高まっています。
だれがこれから、資源の消費量を増やしていく新興国を支えるのでしょうね。
> > 徳翁導誉様は人類は民主主義で政治体制の選択を終えると考えておられますか?
> 個人的には、そう思ってますよ。
> それが最も政策上の最適解を得られる政治形態だとは思いませんが、
> 少なくとも、それが最も文句の出にくい政治形態だとは思いますので。
> 「あれをやってくれ」より、「これを止めてくれ」の方が、普通はは言い易いですからね。
> まあ何らかの危機が訪れた時、それに適した別の形態が求められる事もあるかも知れませんが、
> それが解決した後には、その形態のままだと、必ず文句が噴出するモノでしょうし。
文句が出にくいか…
私はこれからは文句自体が出ないように統制が進んでいくと思います。
無論、過去、そういった自由を抑圧した体制は失敗していますが、
どうしても、私の頭からはそういう統制社会の幻想が消えません。
> > > そしてそこには、勝利だの敗北だのと言うモノは存在せず、あるのは結果のみです。
> > > 歴史の結果に勝敗を付けるというのは、個々人の主観に基づいた評価にしか過ぎません。
> > 歴史は結果論ということですか?
> 歴史とは事実の積み重ねであり、それ以上でも、それ以下でも無いという事です。
> それをどう評価するかは、個人の主観でしかなく、
> 都合のいい部分だけ抜き出すのは、単なる道具化に過ぎません。
> もちろん、全ての事実が把握できるなんて事は無いので、
> 程度の差こそあれ、必ず歯が欠けてる部分は生じるのですが、
> その隙間を好き勝手な想像で埋める事は、遊びであって史学的ではありません。
> (これは、そうした遊び自体がダメなのではなく、史学的に装う事がダメなんです)
歴史の隙間を想像で埋めないと何も説明ができませんし、
歴史上の説も唱えることができません。
古より、戦いの勝者が作った事実により歴史は記録されてきました。
ある程度はその時の為政者・権力者の都合に合わせて書き換えなど行われてるのでは?
それ自体が歴史の隙間を好き勝手な想像で埋める事ですが、
歴史、過去に興味がない層にとっては関心が低いことでしょう。
現代・今・未来・明日などの方が大切なものにとっては、
そういうものにつなげていくためには歴史を道具として使うこともいとわないと思います。 |
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