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[18203] Re12:◆ 首相選挙を初期化 ◆返信 削除
2013/8/23 (金) 20:25:16 徳翁導誉

> > あと、あれからシリアに関する本を3冊ほど読みましたけど、
> > アサド・ファミリーの知識は深まったものの、認識的にはほぼ変わりませんでした。
> > 内容的に詳しい本ほど、元々シリアとの関わりが深いだけに、同情的だったものの、
> > シリア側の視点で見れば、欧米視点の勧善懲悪な報道が腹立たしいのは解りますが、
> > それは今に始まった話じゃないですし、アサド政権の問題とはまた別ですからねえ。

> 認識的にはほぼ変わらなかったと・・・・
> いや、考えがころころ変わるようではそちらの方は問題ですな。

いやいや、問題だなんて事は全くありませんよ。
それ相応の新たな根拠さえ得られれば、認識は一気に変わるモノであり、
それでも変えないのは、事実認識よりも自己の自尊心を優先するタイプです。
少なくとも私は、この件に関して認識を変えた所で、失うモノは何も無いですし、
ただ今回の場合は単純に、認識を変えさせる程の新たな情報が無かっただけです。
と言いますか、そもそも聖職者さんは、
「参考にしたサイトのURLを貼っていいのか、悩んでいます」と書いたのみで、
そう考えた根拠なり、情報なりを一切示されてませんので、
「考えがころころ変わる」とかどうか以前の状態ですよ、現状では・・・・
「こういう情報を得て、こう考えた」と書く事自体に、リンクを張る必要性は無いですしね。


> > > イスラム圏の話から外れますが、民主主義の次は、
> > > これから人口の割合を増していくであろう、高齢者層による民主主義的な支配、
> > > 資源不足からの効率的な資源配分のためのコンピュータによる統制社会、
> > > 資源不足からの効率的な資源配分のための改良された社会・共産主義
> > > 迷走の挙句の軍とか警察による支配、
> > > などによって人類は支配されていくと私は考えています。

> > 結論が先にありきの考えで無ければ、
> > まずは前提となる「資源不足」から調べてみましょう。
> > 効率的な配分を要するような絶対量の不足では無く、
> > その多くは、コスト(費用対効果)の話である事が解ると思います。

> ・・・・・・・・・・・・・・
> 質と量の双方の面を含めての「資源不足」という表現ですが、
> 私は質も含めた資源の効率的配分を目指していますが、
> 単純に絶対量という表現になったようで失礼しました。

表現と言いますか、そもそもの聖職者さんの設定が曖昧過ぎるんですよ。
現実の世界では既に、世界の8人の1人が飢餓状態にあり、その人口は9億人近いです。
質的な分配が求められるだけで、それが実行されるのであれば、
現在の数値だけでも、十分にそれが為されて然るべき数値だと思うのですが?
逆に問えば、どういう条件になれば、そうした転換が起きると想定しているのでしょうか?
他の事でもそうですが、そうした過程があまりに抜け落ちている為、
私から見ればどうしても、「結論が先にありき」の考え方にしか映りません。


> > > 徳翁導誉様は人類は民主主義で政治体制の選択を終えると考えておられますか?
> > 個人的には、そう思ってますよ。
> > それが最も政策上の最適解を得られる政治形態だとは思いませんが、
> > 少なくとも、それが最も文句の出にくい政治形態だとは思いますので。
> > 「あれをやってくれ」より、「これを止めてくれ」の方が、普通はは言い易いですからね。
> > まあ何らかの危機が訪れた時、それに適した別の形態が求められる事もあるかも知れませんが、
> > それが解決した後には、その形態のままだと、必ず文句が噴出するモノでしょうし。

> 文句が出にくいか…
> 私はこれからは文句自体が出ないように統制が進んでいくと思います。
> 無論、過去、そういった自由を抑圧した体制は失敗していますが、
> どうしても、私の頭からはそういう統制社会の幻想が消えません。

「文句自体が出ない統制」のイメージ像が、おぼろげにすら示されていないので、
そうした事を一方的に言われても、言われた方が困ってしまいます・・・・
「ああ、そうですか」としか、言い様がありませんからねえ。
でもまあ、誰が何を妄想しようと、その事自体は別に構わないと思うのですが、
聖職者さんは時々、それがあたかも真相であるかのように広めたがる事があるので、
それに関しては、止めはしませんけども、少々問題ありと思っています。


> > > > そしてそこには、勝利だの敗北だのと言うモノは存在せず、あるのは結果のみです。
> > > > 歴史の結果に勝敗を付けるというのは、個々人の主観に基づいた評価にしか過ぎません。

> > > 歴史は結果論ということですか?

> > 歴史とは事実の積み重ねであり、それ以上でも、それ以下でも無いという事です。
> > それをどう評価するかは、個人の主観でしかなく、
> > 都合のいい部分だけ抜き出すのは、単なる道具化に過ぎません。
> > もちろん、全ての事実が把握できるなんて事は無いので、
> > 程度の差こそあれ、必ず歯が欠けてる部分は生じるのですが、
> > その隙間を好き勝手な想像で埋める事は、遊びであって史学的ではありません。
> > (これは、そうした遊び自体がダメなのではなく、史学的に装う事がダメなんです)

> 歴史の隙間を想像で埋めないと何も説明ができませんし、
> 歴史上の説も唱えることができません。

もう、この認識自体が間違っているとしか言えませんし、
これこそが、「歴史そのものに関心が無い」と私に感じさせる最大要因だったりします。
歴史で「遊ぶ」のであれば、確かに空白部分を想像で埋めても問題ありません。
しかし、歴史を「学ぶ」とか「知る」という以上は、それは歴史学の範疇です。
例えば、歴史学書と歴史小説を比べた場合、
歴史学書では空白部分に関して、史料やデータが無い不明箇所なので何も書けませんが、
一方で歴史小説では、不明で何も解らないからこそ、想像の翼を働かせる見せ場とも言えます。
確かに歴史学においても、空白部分に対して想像(仮定)を行う事はありますが、
それはあくまでキッカケ作りであり、仮定を実証しうるモノが出てこない限りは、
仮定は仮定でしか無く、そんな仮定で埋め合わせて説明を行う事はありません。
また、司馬遼太郎などの歴史小説にしても、あれはあれで優れた作品だと思いますが、
しかし、これもあくまで歴史を題材にした娯楽小説であり、
キッカケ作りには成り得ますが、それを読んだだけでは歴史を知る事も、学ぶ事も事も出来ません。
実証なき想像は、それはどこまで行っても想像にしか過ぎませんので・・・・

> 古より、戦いの勝者が作った事実により歴史は記録されてきました。
> ある程度はその時の為政者・権力者の都合に合わせて書き換えなど行われてるのでは?
> それ自体が歴史の隙間を好き勝手な想像で埋める事ですが、
> 歴史、過去に興味がない層にとっては関心が低いことでしょう。

時の権力者が、自分の都合良いように歴史書を書き換える事は、
歴史の当事者として「隙間を作る」行為をしているのであって、
ここで言ってる所の「好き勝手な想像で埋める」という事とは根本的に違いますよ。
こうした返答が来るという事は、私が言ってる事が全く伝わって無いのかな?
でもまあ、本当に歴史を語るのであれば、
例えば中国史の場合、「二十四史に書かれた事が全て真実」とはならない訳で、
その中から、どれが真実で、どれが創作なのかを、
他の資料と比べつつ、より真実へ近付こうというのが歴史を知る事なんです。
であればこそ、「零か百か」で考えている内は、そのスタート地点にすら立てないと思いますよ。

> 現代・今・未来・明日などの方が大切なものにとっては、
> そういうものにつなげていくためには歴史を道具として使うこともいとわないと思います。

私から言わせれば、そうした行動を取る人は、
現代・今・未来・明日などすら、大切にはしないでしょうけどね・・・・
結局は「自分さえ良ければ、他人なんてどうでも良い」というのが、
そうした思考パターンの根底にあると考えているので。

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