▽ 2013/8/30 (金) 19:51:29 ▽ 徳翁導誉 |
| > > > 中国ではないですがオーストラリアにてあったこと。
> > > まず米。
> > > インディカ米なのですが初めて食べたら不味・・・
> > > 食物でおいしかったのは牡蠣でした・・・
> > 私はインディカ米よりも塩でベタベタのベーコンに参りました。
> > 唇がひび割れると言うおまけつきで二重苦でしたね。
> ベーコン・・・
> しかしそれもそれで嫌ですね・・・
オーストラリアで食べ物というと、私はまず最初に、
弟が旅行土産で買ってきた、カンガルーの干し肉を思い出しますね(笑)。
> > あと、マクドナルドはオーストラリアでも同じ味だったのは感動ですね。
> > こういうところにグローバリズムがあるのかという、ね(コカコーラ帝国主義でもいいですが。)。
地域や文化を越えた、あの世界規模での普遍性って何なんですかねえ?
純粋に味だけでも通用するのか? それとも、背後にある欧米の文化や歴史が影響してるのか?
例えば日本食の中にも、ファストフードはあるのですが、
どれだけ海外で人気を博しても、それは健康志向な高級料理としての域を出ませんし・・・・
(ただし最貧国に行けば、マクドナルドも、その地の富裕層がターゲットみたいですけどね)
ハンバーガーのようにおにぎりが、コーヒーのように緑茶が、洋菓子のように和菓子が、
今後、世界的に受け入れられるような展開も、可能性として有ったりするんでしょうかねえ?
日本のコンビニがアジアに進出する事で、多少ながらそうした傾向は見られるそうですし。
> > あそこで一番おいしい食べ物はティムタムですが(笑)。
> > 日本でも売ってるやつより、ティムタムボールという奴の方がおいしいです。
チョコ菓子の「TimTam」の事ですね、カタカナ表記だと解りませんでした(笑)。
オーストラリア在住の知人が帰国する際、土産の定番として持ってくるのですが、
う〜ん、海外産の菓子としては良い方ですが、それでも個人的には甘過ぎて・・・・
「駄菓子文化は日本が世界一」だと思うのは、私が日本人だからですかねえ?
その一方で、デザートとしての菓子文化は、どうもいまいちな感じで、
これは日本だけでなく、世界3大料理と呼ばれる中国でも同様なのは、地理的要因があるんですかねえ?
> > > キタイスカヤの街並みや正教会の寺院など、ロシア的な景色は未だ健在なのでしょうか?
> > > それとハルピンという事は、伊藤博文が撃たれた駅のホームは見に行かれましたか?
> > 観光で言ったわけでは無いので、名所巡りと言うのはしてないんですよね。
なるほど、それは残念・・・・
ただ上記のは、ハルピン駅やその駅前なので、
敢えて見に行かずとも、途中で見かけたりしたかな?と思ったのですが、
よくよく考えれば、日本からハルピンに行くなら、鉄路では無く空路ですよね(笑)。
どうしても私の中では、未だに満鉄のイメージが強いもので・・・・
気になって調べてみた所、鉄道で大連−ハルピン間は、
戦前が12時間半、現在が9時間半と、そこまで変わっていない事に驚きました。
東京−大阪間なんて、戦前が8時間半、現在が2時間半、リニア開通で1時間ですからねえ。
> > 動画の建物の道幅は日本の規格のように見えるのに対し、
> > 中国は片側4車線5車線当たり前なので、都市設計の段階で取り壊されているかも。
> > たまに日本統治時代の建物が保存されたりしてますから、残ってるかもしれませんが。
まず最初に、ハルピンや大連は帝政ロシアが作った街なので、日本規格という訳では無いですし、
特にハルピンに関しては、モスクワやサンクトペテルブルクに次ぐロシア帝国・第3の都市を、
極東に築くべく作り上げたので、100年前は「東洋のパリ、東洋のモスクワ」と呼ばれる程の街でした。
また、日本が作った新京にしても、幹線道路の道幅は50〜60mという日本では規格外なモノでした。
歴史的な良い悪いは別として、小さな日本に囚われず出来るのが満州の魅力でしたからねえ。
新幹線のルーツとも言える「あじあ号」も、国内では実現できず、満州で実現させたりしてますし。
とりあえず、GoogleMapなどで現在の道路区画を見ても、戦前の地図とほとんど変わらないと思いますよ。
・・・って、書いていて思い出しましたが、戦後ふたたび旧満州を訪れた日本人が、
「昔は、歩道・馬車道・自動車道が街路樹で綺麗に分けられ、中央部は細長い緑地公園だったのに、
今では全て潰されて車道のみになってた」と残念がってたので、残したとも壊したとも言えるのかも?
> 日本は戦後急激な宅地造成で農道をそのまま舗装したものとか結構ありますからね……。
> 道もせまいですよね。
> ヨーロッパなんかは車の時代の前に、馬車の時代が長いことあったので、道は基本的に広いです。
> ま、日本が可住面積が狭く、都市部に人口が集中しているというのもあるんでしょうが……。
う〜ん、それはちょっと違うような気が?
そもそも、「片側4車線5車線」あるのは主要道路でしょうし、
「宅地造成で農道をそのまま舗装」したのは生活道路なので、一概に比べる事が出来ませんし、
生活道路の狭さというのも、歴史がある街では、洋の東西を問わず似たり寄ったりかと。
馬車が走ってたと言っても、現在のように何車線分も並んで走れる道幅が必要だった訳じゃないですし、
却って日本の方が参勤交代という制度があった分、欧州よりも道路が整備されていた面はあるかも?
よく「欧米」と一緒くたにされがちなヨーロッパとアメリカですが、それは文化面の事であり、
住宅や道路が広いイメージは開拓地であるアメリカのモノで、歴史の古いヨーロッパは狭いと思いますよ。
石造り文化のヨーロッパの方が、古い街並みで道路を拡張するのは日本より困難でしょうし、
広い道路があったとしても、街を囲む城壁を取り壊して作られる「環状道路」であったり、
その環状道路の外側に作られる郊外の新市街に限られてくると思います。
だからこそ欧州では、郊外に駐車場をたくさん作り、郊外と中心部をトラムで結び(パーク&ライド)、
街中心部への車の流入を厳しく制限して、トラム(路面電車)やバス路線を街中に張り巡らせ、
トラム駅や大型施設にレンタル自転車を置き、自転車専用レーンを整備する方式が進んでいるのかと。
19世紀半ば、皇帝ナポレオン3世と県知事オスマンにより大改造が行われ、道幅が広いパリは例外的かな?
一方で、アメリカは確かに道路が広いかも知れませんが、その分だけ街もだだっ広く、
逆に「車がないと生活できない」らしいので、単純に道路が広ければ快適というモノでも無いようですし、
そういう意味では、まだ日本だと「車をどう使い、どう使わないか」という考え方が足りないのかも?
欧州方式を採用するなら環状道路は必須なので、東京なら「首都圏3環状」の開通状況にも注目ですね。
あと、各地の環状道路については、ここ↓の比較評がなかなか興味深いです。
・世界の環状道路(前編) http://blogs.yahoo.co.jp/festiva1202/64813093.html
・世界の環状道路(後編) http://blogs.yahoo.co.jp/festiva1202/64817848.html
・日本の環状道路(前編) http://blogs.yahoo.co.jp/festiva1202/64793047.html
・日本の環状道路(後編) http://blogs.yahoo.co.jp/festiva1202/64806510.html
ちなみに日本の道路も、広い道路は皆無という訳では無く、
前述の満州で作ったような広い道も、内地の開拓地である北海道や樺太では作られており、
特に札幌大通りなどは、防火帯としての役割もあったので、中央部の公園も含めて100mありますよね。
また、敗戦後は主要都市の多くが空襲を受けて焼け野原だったので、
札幌同様に、各地で「100m道路」の建設計画が立てられるのですが、財政的な問題もあり、
名古屋に2本(久屋大通と若宮大通)、広島に1本(平和大通り)で終わってしまいました・・・・
実は東京でも、関東大震災後に後藤新平が立てた道路計画を、これを機に進行する予定があったのですが、
道路拡張用地は防火帯として軍の管理下だったので、戦後はGHQにより接収されてしまい、
建設を願い出ても「敗戦国が戦勝道路でも作るつもりか」と却下され、用地は分配されてしまったと・・・・
これが実現していれば、東京の道路事情もマシになっていたのかなあ?
更にもっと歴史を遡ると、律令制により「五畿七道」が整備された飛鳥時代に、
東海道や山陽道などに、都へと繋がる道幅10m以上の直線的な道路が作られ、300年近くも維持されてました。
高速道路を作る際に遺跡として発見される事も多く、今も昔もルートは変わらないんだと実感させられます。
> > 見た感じでハルピン市のイメージは、ゲームのトロピコでプレーヤーが
> > マンションをばしばし建てていく感じを中国の大きさに合わせたものです。
> > そして空き地にバラックが集中してるのもトロピコに似てます。
> > それプラス、シムシティで新品に見える建物の隣に廃墟が出来ますが、それが町中に広がってる感じです。
前回、その凄さを語った上海の高層ビル群にしても、裏側はこんな感じ↓ですしね。
http://media.melty.fr/article-1293453-ajust_930/la-ville-de-shanghai.jpg
でもまあ、こうした低層の住宅街も、そのうち順々に再開発して行くんじゃないですかねえ?
再開発というと、日本では民間主導で行われる事も珍しく無いですが、
中国の場合、土地が全て国有化されている事もあり、政府主導で行われますから、
あちらでも、こちらでも、という感じではなく、やはり順番があるんだと思いますよ。
特に地方などだと財源も乏しい為、開発業者に土地の使用権を売る事で地方政府は収入を得て、
開発業者はドンドンと高層ビルを建てて、建築作業員として労働者の雇用も確保され、
バブル景気によって高層ビルの値段が上がり、それを投資家が売買を繰り返してバブルが維持されると。
報道によると、そんな仕組みが既に出来上がってしまっているらしいですが、
バブルはいつか弾けるモノですし、何より土地を奪われた農民が各地で暴動を起こしてるんですよねえ。
・・・と、何だか硬い話題になってしまいましたが、
多人数で行う箱庭開発ゲームというのも、何だか面白そうですね(笑)。
地権者プレイヤーが土地を売ってくれず、あと少しなのに鉄道が開通できないとか、
その土地に立つ商業施設にチンピラを送り込み、嫌がらせをして強引に土地を取得するなど、
1つのマップを多人数で共有すれば、開発する楽しさだけでなく、競争する楽しさも出てきますしね。
> > 中国って建物の取り壊しをしないんでしょうか。不思議です。
> > あ、もしかして日本は地震があるので廃墟の建物は危険で即取り壊されるから、日本が特別なのでしょうか。
> さっきの話もありましたが、日本は都市部だとすぐ土地が売れちゃって、
> 新しい建物が建つので、廃墟が目立たないだけでは?と思います。
> 実際、山陰地方等に行くと朽ち果てるままに朽ち果てた家々などがよく見られます。
確かに日本だと土地の問題から、すぐに買い手が付いて新しい建物が建ちますが、
そこはやはり需要と共有のバランスであり、地方都市になるほど出現しやすくなりますし、
その一方で、過疎化した田舎で朽ちてるのは、廃墟というよりも廃屋ってイメージで、
廃墟というからには、過去の賑わいを感じ取れる様子が欲しいかな?と。
そうなると日本では、やはり炭鉱の町なんかが、それに当てはまり易いんじゃないですかねえ。
特に「軍艦島(長崎県端島)」などは、20世紀前半の街が保存された日本のポンペイみたいなモノで、
http://rocketnews24.com/2013/04/06/311814/
もう50年ほど保存しておけば、将来的には世界遺産になってもおかしく無いかも知れませんよ(笑)。
> 東京でも、おしゃれタウンで知られる広尾にも、廃墟らしき建物はありますよ。
こうした古い路地裏↓の事ですか?(さすがに廃墟と呼ぶのは失礼ですが・笑)
http://tokyodeep.info/2010/07/14/090357.html
http://tokyodeep.info/2010/07/14/094656.html
http://tokyodeep.info/2010/07/14/102612.html
> > あと、都市部には一軒家がありません。すべて集合住宅です。
> > 同じ建物が何百個と並ぶ辺りが、共産国+独裁国家っぽい感じがします。やっぱりトロピコ的都市作りだよなあ・・・。
> > こうして考えると、中国の「都市」には歴史や文化と言うののが無いのかも。
いや〜、そんな事は無いと思いますよ。
中国は城郭都市がしっかり作られていただけに、逆に却って残ってる方かと思います。
ただ一方で、共産党による独裁国家なので、1度開発の手が入ると止められないと・・・・
特に、北京オリンピックでの大規模開発では、旧城内に残る伝統的建築の四合院と胡同の路地が、
一部の保護地区を除き、かなり取り壊されてしまったらしいのですが、
逆に言えば、オリンピック開催というキッカケが訪れるまでは、
首都・北京の中心部でさえ、そうした街並みが残されてたって事ですからねえ。
それに都市の記憶というのは、建て替えられる建物以上に、道に残されるモノなので、
そうした点から見ても、やはり中国の都市というのは、歴史や文化が残されてる方だと思いますよ。
500年以上前の道が色濃く残されている都市と言われると、中国の旧城郭都市では多そうですが、
日本だと京都くらいしかパッと思い浮かびませんしね(奈良は中世に衰退してあまり残されていませんし)。
(日本には城郭都市が無かった事が、都市が無秩序に拡大するスプロール化を生み易い下地を作ったのかも?)
> 以前私のフランス語の先生(日本人ですが)が「日本は最近再開発でみんな同じ風景にしている。
> 例えば駅は高架で、ペデストリアンデッキがあり、大きめのデパートなどの商業施設があって……。といった具合に」と仰ってました。
> 確かに大都市近郊や、地方都市などはみんなこんな感じですよね……。
う〜ん、地方都市や郊外がミニ東京化する事に対して、
以前は私も同じように「味気ない」とか「個性に欠ける」と感じていたのですが、
よくよく考えてみると、それって、一方的に都会に住む人間が、
地方都市や郊外を観光地的にしか見ておらず、そこに住む人の存在を忘れてる考え方なんですよね・・・・
住民からすれば便利や快適な方が良いに決まってますし、そうなると最適解はほぼ似た形になると。
確かに、田舎に住んでいた当時の不便さを思い出すと、
今では駅前や郊外の大型店や全国チェーン店で、都会のように商品を選ぶ事が出来るようになり、
それでも満足できない時は、amazonなどのネット通販を利用すれば、不自由なく買える時代となりました。
地方でも土日のショッピング・センターへ行けば、まさにミニ東京が如く人も物も溢れているんですよねえ。
それにそもそも、戦後の地方都市が各地とも個性的だったかは、冷静に考えると疑問ですし・・・・
解り易く言うと、都会住民と地方住民との「地域間格差がかなり小さくなった」のですが、
これを観光客的な視点で見てしまうと、「地域差(地域の個性)が失われた」となってしまいます。
例えばヨーロッパの都市にしても、日本に比べれば変化する速度が遅いというだけで、
パリにしても、バルセロナにしても、街が大きく変わる時には、その時々の最適解が採用されており、
変化が遅いからこそ歴史的な時間差として現れるだけで、住民にすれば不便は不便ですからねえ。
最近だとドイツ東部のドレスデンで、街中を流れるエルベ川に橋↓を架けた事により、
http://news.so-net.ne.jp/photos/19/2964280/11239928.jpg
「歴史的な景観が損なわれた」として、世界遺産の登録を抹消された事が話題となりましたが、
それでも住民は橋の建設を欲した訳ですし、時が経てば新しい橋も自然と街並みに溶け込んでいくはずです。
そもそも、100年前の鉄橋は景観を作り、現代の鉄橋は景観を壊すというのも、観光客的視点だと思いますし。
(一応言っておくと、観光客的視点もあって全然問題ないと思いますが、絶対的な価値観では無いという事ですね)
整然と並ぶバルセロナの街並み↓なども、単純に観光地として見るなら美しいですが、
http://www.takagi-dental.net/blog/archives/989b2199.jpg
時代こそ100年違うものの、コンセプト的には戦後の日本で作られた団地や文化住宅と変わらず、
あまりに無機質だからこそ、そのアンチ・テーゼとしてガウディのような建築家が生まれる訳ですね。
ちなみに、この分野に関しては、「都市計画の世界史」という本がなかなか良かったです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062879328
それに、他所の人間から見れば「どこも同じ」に見える風景でも、
そこに住む人からすれば、やはり違いはあるモノです。
例えば都会から田舎に行けば、どこの山も、どこの川も違いは無いように感じられますが、
地元の人間からすれば、それは他所のどこにもない、自分たちの山であり、川なんですよね。
これは山や川のように大きなモノでなくても、橋や坂や公園や神社などでも同じなんです。
もちろん、他所の人間でも知っているようなランドマークがあれば理想ですけども、
仮にそうした解り易いモノが無くても、地元民が愛着を持てるモノがあれば十分なんだと私は思います。
街というのは歴史や観光の資源である以前に、まずはそこに住む人々のモノだと思うので。
その一方で、住民が求めるのは生活の快適さですから、便利さ追求の一辺倒ではなく、
地元への愛着が深まる歴史や自然などの保存も、同じくらい重要だとは思います(要はバランスですね)。
> あと以前何かの番組で拝見したのですが、外国人が日本に来て驚いたことというのに
> 「日本は来るたびに街並みがかわる」というものがありました。ですから、その辺は日本もあまり大差ないかも……。
石と土で建物を作って来たヨーロッパと違って、
木と紙で建物を作って来た日本では、「スクラップ&ビルド」の傾向が強いですからねえ。
例えば江戸なんかは、大火事の度に焼け太りで拡大され続けて出来た街ですし、
今年行われている伊勢神宮の式年遷宮なんかも、そうした文化の象徴と言えるかも知れません。
その上、太平洋戦争で受けた空襲により、多くの都市は焼け野原からのリセットになりましたし、
そこに戦後の高度経済成長と大量生産・大量消費が加わって、建て替え傾向が加速したと。
だからなのか、明治期の百年建築はまだしも、大正期や昭和期の建築物を保存する意識がとても低く、
あと数十年も経てば、立派な歴史遺産となりそうなモノまで、次々に壊されちゃうんですよね・・・・
逆に言えば、日本で古い街並みが残った地域というのは、江戸から明治、戦前から戦後、昭和から平成など、
急激な時代の変化に取り残され、結果的にそれが見直される時代まで衰退してた所が多いかと。
ちなみに東濃・飛騨の一帯は、不便な内陸部として近代化の手が及ばなかった分だけ、
世界遺産の「白川郷」をはじめ、幕府天領として栄えた小京都「飛騨高山」、中山道の宿場町「馬籠&妻籠」など、
江戸時代の風情を色濃く残す地域なので、中央リニア(新中津川駅)と濃飛横断道路が開通し、
交通の便が大幅に改善されれば、今以上に日本を代表する一大観光スポットになるかも?
中央リニアは富士山や奈良にも停まりますし、観光鉄道としても重要な価値を持つと思います(笑)。
|
|
|