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[18601] Re2:神社の祭りと祝祭日返信 削除
2014/1/10 (金) 19:24:39 徳翁導誉

> > 五穀豊穣を祈り、感謝する、神への信仰に従事する側の神職たちは、
> > 農作業中で忙しい彼らに代わり、春や秋のど真ん中である「社日」にも祭り(神事)を行います。
> > そして、その祭りに合わせて、皇室では歴代皇族の霊を祭る「春季・秋季皇霊祭」を行っており、
> > これが戦前は祭日であったモノが、戦後は「春分の日・秋分の日」と呼ばれる祝日になりました。
> > 「昼と夜の長さが同じ日だから休み」というのも、冷静に考えれば意味不明ですからねえ(笑)。

> 春分と秋分ってそういう由来があったんですか。
> 突然できた海の日と同じようなもんだと思ってましたw

「海の日」は、本当に正体不明な祝日ですよね(笑)。
数十年ぶりの新しい祝日として、1996年の「7月20日」に、いきなり登場したと思ったら、
わずか数年で、ハッピー・マンデー制度により「うつろう祝日」になっちゃいましたので。
これがまだ、体育の日の10月10日や、成人の日の1月15日のように、日付が定着して以降なら、
月曜に移されても、まだ少しは違った印象になってたかも知れませんけどね。
まあ逆に、あそこまで日付のイメージが定着してた体育の日や成人の日を、
日付が可変な祝日にしたのは、個人的には思う所もあるんですけどね。
特に体育の日など、東京五輪の開会日である10月10日であってこそ、意味のある祝日だと思いますし。

一方で、戦前の旧祭日に由来する祝日は、ハッピー・マンデー制度の対象とはされません。
こちらはこちらで体育の日と同様に、「その日付にこそ意味がある」だからですが、
一般の国民からすれば、東京五輪の開会日の方が、いろいろと思い入れが深い日付だと思いますが、
やはりそこは、皇室・・・というか、そこに絡む人たちがいるので、いろいろ面倒なんでしょうね。
以前、保守系の議員が「勤労感謝の日もハッピー・マンデーの対象に」と提案した時、
「保守系のくせに、新嘗祭も知らんのか!?」と叩かれてましたし・・・・
って、何でこんな話をしたかと言えば、「海の日」も戦前は「海の記念日」として知られており、
それは明治天皇が初めて船に乗った日が由来で、祝日化にはその由来で権威付けしてたのに、
その割には、あっさりハッピー・マンデー化されたので、本当に正体不明な祝日だなぁ、と(笑)。
こうなると、「右翼のドン、政財界の黒幕」と呼ばれ、競艇利権を握ってた船舶振興会の笹川良一が、
祝日化の旗振り役だっただけに、「笹川の権力を誇示する為」との噂もあながち大袈裟じゃないのかも?


> 農作業関連で冬と夏が暇ってことは、
> 冬休みや夏休みの起源って熱いから、寒いから以上に
> 農作業と密接にあるんですかね?

う〜ん、農業と気候と宗教とが、密接に絡み合っているので、
どっちが上とか下とか断言するのは難しいですが、結局は「お盆」と「正月」ですよね。
盆と正月が休みだというのは、既に江戸時代の頃から定着してたそうですし。

> 逆に農作業中心から産業中心になる過程の中で、
> 明治維新以降に春分、秋分は祭日として休日にすることができたんですかね?

いや、その辺はあまり関係ないかと。
明治政府は国家神道を軸として、体制を作り上げて行きましたから、
その一環として、皇室の祭日が国家の祝日に制定されただけでしょうし、
そもそも明治時代どころか、農村では昭和の後期くらいまで、
小・中学校に「田植え休み」や「稲刈り休み」があったくらいですからねえ。
春と秋の農繁期に1週間ほど休みが入る分だけ、夏休みなどが短くなるのだとか。

高度経済成長の影響により、日本全体では減少傾向にあった小・中学校の農繁休暇は、
コンバインやトラクターなど農業機械が普及し出した1970年代から、農村でも減り始め、
昭和から平成になる頃には激減し、週休2日制の導入以降はほぼ姿を消したらしいです。
でも言い換えれば、ほんの20〜30年前まで、子供まで総動員する地域が残ってたくらい、
田植えや稲刈りという作業は、実に重労働だったという事なんですよね。

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