| > > > > > 他に可能性があるとすれば、クラクフやリヴィウくらいじゃないですかねえ?
> > > > クラコウもザコパネなどの山岳地域がちょっと距離があります。
> > > > このあたりがどのように判断されるかですね。
> > いやいや、クラクフの五輪招致案でそれ以上に問題なのは、
> > アルペン・スキーの会場が、ザコパネより更に遠い隣国スロバキアのヤスナなんですよ。
> やっぱりスロバキアとの共催なんですね。今まで同一国の二都市はともかく
> 二か国での共催は前例がありませんので選考にどう影響するかですね。
「広島&長崎」五輪のように、表立って共催を唱っている訳では無いですけど、
この招致案では、最終選考に残れない可能性もあるんじゃないですかねえ?
まあ過去には、1956年のメルボルン五輪が、検疫の問題で馬術競技をストックホルムで行ったり、
2008年の北京五輪も同じく馬術競技を香港で行っているので、前例が皆無という訳では無いですが。
逆に言えば、これが一次審査を通るのか否かも、注目ポイントとして楽しめると(笑)。
招致に成功しなくても、一次審査を通過すれば、IOCが実質的な2ヶ国共催を認めた事になりますしね。
ところで、五輪の話で急に思い出しましたけど、2020年の五輪開催が決まった東京は、
「頭脳五輪(チェスや囲碁などマインド・スポーツの世界大会)」の方はどうするんでしょ?
2012年こそロンドンではなく対岸のリールでしたけど、
2008年の北京や、2016年のリオはパラリンピック後に頭脳五輪をやりますし、
やはり東京としては、こちらも一緒に開催するんですかねえ?
> > > > ちなみに私は1991年と1994年にこの町を訪問していますが
> > > > 現地の方(ロシア人)はルヴォフと言っていました。
> > 個人的には、「リヴォフ」表記が一番しっくり来るのですが、
> > 現地のロシア人は、そう発音していないんですね(笑)。
> 自分的には「リボフ」が一番しっくりくると思います。
> 昔の文献にはあまり「ヴ」の文字は使いませんのでロシアの臨時政府の首相は「リボフ公」と表記されていましたよねぇ。
> あ、でもこれは人名だから別物なのかなぁ(笑)
言われてみると、いつの間にか「ソビエト」表記よりも、
「ソヴィエト」表記の方が、しっくり来るようになってますね。
まあ私が意識的に変えたというよりも、世間的に傾向が強まった感じですが、
う〜ん、いつ頃からこうした表記が一般化したんだろう?
ソ連があった頃は、完全に「ソビエト」表記だったはずですが・・・・
> > ・・・って、それよりも、この街を2度訪れているというのが凄い!!
> よく考えると2回っていうのはウソでした。2010年にもちょい立ち寄ってますので都合3回ですね。
こちらは数年前と比較的最近の訪問ですね。
最近のニュースでは、ウクライナの情勢がかなり深刻だと報じられていますが、
2010年というと、その直近での発端と言える大統領選挙が過熱してた頃ですよねえ?
当時のウクライナの雰囲気って、どんな感じでしたか?
今では内戦化の危機さえ伝えられてますが、当時から既にその潜在的な空気感ってあったのでしょうか?
・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html
> 1980年代後半までは現在のように格安航空券でシベリア上空をひとっとびできる時代では
> ありませんでしたので、お金の無い学生は新潟や横浜から船でナホートカまで行き
> そこからシベリア鉄道やロシア国内航空線でヨーロッパに出ていました。
> (ちなみにお金のある人は欧州や米国系の航空会社でアンカレジ経由)
> そうなるとモスクワからプラガ・ブダペシュタ・ローマなどに行く旅行者は
> リボフに立ち寄っている日本人はそれなりにいるのでした。(変わり者が多いですが(笑))
> その当時には観光地の説明看板には変な日本語ですが日本語表記もあったのですよ。
> 当時のソ連には「開放都市」と「閉鎖都市」の2種類があり、旅行者が通常訪問できるのは
> 開放都市だけだったのです。ちなみにモスクワからこの方面の解放都市はキエフとルヴォフだけ。
> そういった理由が最初の2回の訪問の理由です。
なるほど、旅行の中継地として立ち寄った訳なんですね。
一応は知識として、現在の北朝鮮のように、ソ連も旅行などで入国できた事は知っているのですが、
子供の頃の「鉄のカーテン」の印象が強過ぎて、未だに鎖国的なイメージが拭えないもので(笑)。
10年前に刺殺された国会議員の石井紘基が、1960年代にモスクワ大学へ留学していた事を思えば、
却って今の北朝鮮などより、ソ連の方がずっと開かれていたのかも知れませんね。
あと、「アンカレッジ経由」という言葉を久しぶりに耳にしました(笑)。
冷戦当時は日本と欧州を結ぶ空の交通拠点でしたけども、今ではどうなっているんでしょ?
と言う事で、気になって少し調べた所、貨物便のハブ空港(世界5位)になってるんですね。
「閉鎖都市」なんかも懐かしいと思いましたが、よくよく考えると、
近場では中国の旅順が、つい数年前まで閉鎖都市で入れなかったんですよね、確か。
> > 旧市街が世界遺産になってるとは言え、訪れる日本人なんてほとんど居ないのでは?
> > しかも1991年と1994年って、ソ連崩壊の直前と、ウクライナ独立の直後じゃないですか!?
> > 物凄く興味をそそられるのですが、迷惑にならない範囲で体験談などを伺う事は可能でしょうか?
> 可能ですよ。
> えーっとお話できることは結構ありますねぇ。
> どのようなことをお話しすればよろしいでしょうか?
う〜ん、具体的にとなると、どんな事ですかねえ・・・・
漠然としていて申し訳ありませんが、資料などでは伝わらない、
体験者だけが語れる当時の「空気感」みたいなモノでしょうか?
特にソ連などになると、どうしても子供当時のステレオ・タイプなイメージが先行しがちで、
(それこそ現在開催中の五輪なんて、冷戦当時は東西両陣営の代理戦争のような印象でした)
テレビや本からじゃ解らない、東側諸国の実際の街や市民の様子などは興味がありますね。
でも、やはり一番は、日本人の目から見た素直な感想はどうだったのかですかねえ?
いろいろ聞く内に、疑問や質問も湧いてくるかも知れませんし。
> ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。
これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、
ベロヴェーシ合意が発表された時はどうだったか?とか、
ソ連という国が無くなった事への反応はどうだったか?など、
聞きたい事が多すぎちゃいますので、どこから尋ねれば良いかも解りません(笑)。
とりあえずの質問は、その半年に及ぶ滞在は、初めから予定しての事だったのですか?
それとも、クーデターや連邦解体のゴタゴタで出国が出来なかったり、
こうした一連の激動に遭遇して、敢えて滞在を延ばしたなどの事情があったのでしょうか?
また、予兆を感じての渡航だったのでしょうか? それとも偶然のタイミングだったのでしょうか?
> 1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
こちらは、ソ連の支配から脱して、東欧諸国が新たな国造りで熱かった頃ですね。
東欧の民主化や資本主義への移行は、各国ごとにそれぞれ状況が異なったとは思いますが、
その辺の事で、特に印象に残った事などはありましたか?
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