▽ 2014/2/28 (金) 21:00:45 ▽ 徳翁導誉 |
| 貴重な体験談、ありがとうございます。
以下、それに対する質問が並びますけども、返答は無理のない範囲で構いませんので(笑)。
それと、これは最初に質問すべきだったかも知れませんが、
初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。
> > 2010年というと、その直近での発端と言える大統領選挙が過熱してた頃ですよねえ?
> > 当時のウクライナの雰囲気って、どんな感じでしたか?
> > 今では内戦化の危機さえ伝えられてますが、当時から既にその潜在的な空気感ってあったのでしょうか?
> 残念ながら2010年の時は単なる一旅行者だったので、あまり現地の情勢には留意しませんでした。
> ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。
> ちなみに当時の行程はワルシャワ→(鉄道IC)→クラコヴィア→(バスEuroline)
> →リヴォフ→(飛行機LOT)→ワルシャワ→(飛行機AF)→モスクワでした。
何だか凄い行程ですねえ・・・・
乗り物酔いの酷い私には、絶対に無理だと思います(笑)。
> > ・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
> > 『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
> > http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html
> ホントにあっという間に政権崩壊してしまいましたね。
> 今後どうなるのでしょうか?東西分裂は極論だとしても
ヤヌコーヴィチが国内東部に留まり、徹底抗戦で応じていれば、
内戦から東西分裂の流れも有り得たでしょうが、少なくともそれは回避できた模様。
でもまあ、全てはプーチンの対応次第なんでしょうけど、恐らく当分の間は様子見でしょうね。
親ロシア政権が倒れた以上、1兆円を超える財政支援も、天然ガスの7割引き価格も停止なので、
仮に混乱が収束できたとしても、ウクライナはすぐさま困難に直面するでしょうし、
これを支持したEU側が、ロシアに代わって、どれだけ支援の負担に耐えられるのか?
ギリシャ問題だけでも、あれだけ揉めてるというのに・・・・
まあ逆に言えば、IMFの国家再生プランは、ロシアからの支援ほど甘くは無いので、
国民から上がる反発の方も、ウクライナの方がギリシャの比にならない可能性も・・・・
あと、オレンジ革命の例を見るまでもなく、デモの過熱化にはアメリカも一枚噛んでいるはずですが、
ソチ五輪の隙に煽ったアメリカと、直接の対応を強いられるEUとの関係は、実際どうなんでしょ?
EUがアメリカ側に経済負担を割り振れば、その分の何割かは日本が代理で負担するんですかねえ?
と言いますか、そもそもデモは収束するのでしょうか?
年内の選挙実施で、野党勢力は合意できたとしても、それは野党の利益であって、
100名近い死者を出したデモ隊が、それで納得して収まる状況には見えないのですが・・・・
アメリカにしても、火に油を注ぐ事は出来ても、それを鎮火する事は出来ないでしょうし。
何だか3年前のエジプトと、状況がかなり酷似しているような気がします。
「反ヤヌコーヴィチ」では纏まる事が出来ても、そもそも野党勢力もバラバラですから。
釈放されたティモシェンコは出馬するらしいですが、クリチコ兄も当然出馬しますよねえ?
親ロシア政権が倒れても、ロシア系の国民が居なくなる訳ではないので、
最終的には決選投票で親EU派が勝つにしても、1回目の投票で親ロシア派に負ける展開は・・・・
> クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・
ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・
歴史的な経緯を考えれば、リヴィウが分離独立を目指しても説明は付きますし、
ユーゴ分裂時のスロベニアのように、国内の混乱を余所に自分たちはEU加盟なんて構想も?
まあ実例ですと、20年前にクリミアの州議会も独立宣言を行い、
結果的には州から自治国に格上げされて事態は一時収束しましたから、
リヴィウも一気に独立とまでは行かなくても、それくらいの権利拡大は求める可能性はあるかも?
> > なるほど、旅行の中継地として立ち寄った訳なんですね。
> > 一応は知識として、現在の北朝鮮のように、ソ連も旅行などで入国できた事は知っているのですが、
> > 子供の頃の「鉄のカーテン」の印象が強過ぎて、未だに鎖国的なイメージが拭えないもので(笑)。
> > 10年前に刺殺された国会議員の石井紘基が、1960年代にモスクワ大学へ留学していた事を思えば、
> > 却って今の北朝鮮などより、ソ連の方がずっと開かれていたのかも知れませんね。
> えぇ、当時もソ連はビザさえ申請すればちゃんと入国できますよ。
> 北朝鮮と比べるとはるかにハードルは低いです。個人でも溜池の大使館に行けばビザは発給してくれます。
> ソ連邦は鎖国はしておりませんので当時も共産主義国同士はだいたいビザ無しで入国できるようです。
> 当時のプラガやプロブディフのような田舎町などにも陸上を移動してきた中国人行商人が多くいましたしね。
テレビ朝日の番組じゃないですけど、今も昔も変わらず、
本当に「こんなところに中国人」って感じですよね、中国人は(笑)。
あのバイタリティは、どこから来るんでしょう?
単に「人口の絶対数が多いから」という以上の何かがあるように感じます。
> まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)
日本からの直行便なんて無いでしょうし、
それこそ、乗り継ぎ、乗り継ぎになりそうですからねえ。
でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?
> > > ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> > > 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。
> > これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
> > いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
> > クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
> > ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、
> 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> 私はヤロスラーブルの街にいました。
いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?
リヴォフみたいに中継地という立地でも無いでしょうし、
気になって調べてみた所、動乱時代のモスクワ陥落時の臨時首都が、この街だそうで、
歴史的な建築物も多く残されてるらしいですから、その辺が関係しているのでしょうか?
> 突然ラジオからゴルバチョフが病気で倒れたということが流れ、
> (当時の私のロシア語のヒアリング能力はこの程度)
> 近くのロシア人に聞いたところ「ゴルバチョフが失脚した」とのことでした。
> 私が持っていたロシア語会話集の中に「クーデターが起きたのですか?」の一文があったので確認したら
> ロシア人は「Да(YES)」とのこと。
「クーデターが起きたのですか?」って、何でそんな例文が載ってるんですか?(笑)
そして、かなりデリケートな質問だと思うのに、意外と外国人にも素直に答えてもらえるんですね。
> 結局現地では情報も入らないのでモスクワに移動し、
> クトーゾフ通りの外国人アパートに出向き状況を確認しました。
> 結局現地に居るよりも東京からの新聞(2日遅れで入荷する)の方が詳しい情報があったりするのでした。
なるほど、情報というのも時や場合によりけりで、
噂話の方が早い時もあれば、外部からの発信の方が早い時もありますものね。
って、現地ではそこまで大事にはなっていなかったんですか?
私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・
あと、この事件が引き金となる形で、あのソ連があっという間に崩壊してしまいますけども、
その事に対して、現地の市民の反応はどうだったのかは、かなり興味があります。
ベロヴェーシ合意にしても、市民は突然それを知らされた訳ですよねえ?
秘密会議の舞台裏は、書籍やドキュメント番組などで、いくらか伺い知る事は出来るのですが、
その時の国民の反応などは、なかなか解らないもので・・・・
> しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)
1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。
> > とりあえずの質問は、その半年に及ぶ滞在は、初めから予定しての事だったのですか?
> 一応はじめっからの予定でしたね。学生みたいな身分でしたので
> バイト感覚で映画「おろしや国酔夢譚」の関連企画(正確にはオフィシャルとは全く関係のない便乗企画)で
ありましたね〜、「おろしや国酔夢譚」(笑)。
莫大な制作費を掛けた割には、興行収入をあまり得られず、大赤字になったんでしたっけ?
当時見たはずなのですが、ロシアの映像が綺麗だったくらいしか記憶にない・・・・
いま見直したら、また違った感想になるでしょうかねえ?
> レニングラードに滞在しておりました。
サンクトペテルブルクは、私が憧れてる都市の1つなのですが、
「レニングラード」と表記されると、一気にイメージが変わるから不思議(笑)。
時期的に言うと、ちょうど市の名前が変わった頃ですか?(1991年11月に改称らしいので)
って、ソ連の崩壊前に都市の名前が、市民の要望でサンクトペテルブルクに戻されるって、
レニングラードという名称は、実は住民からも好かれてなっかたんですかねえ・・・・
ところでサンクトペテルブルクというと、エルミタージュ美術館には行かれましたか?
ルネサンスからバロック、ロココを経て印象派へ至るまで、その収蔵絵画は世界でも屈指ですけど、
私が最も好きなカンディンスキーの「コンポジション6」もあるはずですが、ご覧になりましたか?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/f/fc/Kandinsky_-_Composition_VI_%281913%29.jpg
> その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> (ドライブ中に道路標識に「Kabul ××kM(何故かこれだけ英語表記、ドゥシャンベすらキリル文字での表記なのに)」
> と出てくるとちょっと焦ります。)
アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
(以前、マスードの歴史Flashを作ってましたけど、未完のまま途中で止まっちゃたなぁ・・・・)
って、そんな地域にまで外国人が行けるのかと、改めて思いました。
それにしても、本当にあちこち行かれたんですね(笑)。
「何故また中央アジアに?」という印象です(サマルカンドやブハラは見たい気もしますが)。
ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?
> > > 1994年は2月から3月にかけてウクライナ・ハンガリー・チェコ・ユーゴに滞在しておりました。
> > こちらは、ソ連の支配から脱して、東欧諸国が新たな国造りで熱かった頃ですね。
> > 東欧の民主化や資本主義への移行は、各国ごとにそれぞれ状況が異なったとは思いますが、
> > その辺の事で、特に印象に残った事などはありましたか?
> やっぱり貧しい国だからこそ西欧への憧れが大きいようです。
> ウクライナであった企業家とお話したときですが「ウクライナは2〜3年で西欧に追いつく」と述べていたことは印象的でした。
> その彼の希望は20年経過しても残念ながら実現しておりませんが。
さすがに2〜3年でとは行かずとも、何でも揃っているウクライナの潜在能力を考えると、
もう少し上手く行ってても良さそうですが、現実はなかなか厳しいみたいですね。
統計データの推移↓を見ると、イメージ以上に大変そう(人口減少と実質GDPが特に)。
http://ecodb.net/country/UA/
キッシンジャーと並び称され、オバマ政権でも外交ブレーンを務めるブレジンスキーが、
「15年後、フランス・ドイツ・ポーランド・ウクライナが欧州の新たな軸になる」と、
15年ほど前に出された本に書いてましたけども、そうはなっていませんね(笑)。
それと、ウクライナ人やベラルーシ人って、ロシア人とどれくらい違うんですか?
正直な所、当の本人たちはどう思っているのかも、よく解りません・・・・
やはりソ連時代と独立後とでは、民族意識の持ち方が変化していたりするのでしょうか?
独立直後はロシア代表を選ぶウクライナ人選手もいましたが、現在ではまず有り得ないでしょうし。
また、これはカザフスタンなどでも大変らしいですが、
国民の母語の脱ロシア語化って、現状ではどうなっているのでしょ?
> とりあえず簡単に返信しておきました。
> しかし、インターネットって便利な反面、現地にどっぷりつかることができなくなりますね。
> 当時はロシア語であろうが2〜3週間で普通に会話ができるようになりましたが
> (ロシア語が話せなければ現地では何もできませんので否応にも話せるようになります)
> 今では一カ月間滞在しても英語ですら話せないと断言できます(苦笑)
インターネットは便利すぎますからねえ(笑)。
調べモノをするにしても、ネットの登場以前と以後では、
掛かる手間や得られる情報量が、格段に変化しましたし、
しかもそれは、地方だろうと、海外だろうと、場所を選ばないんですよねえ。
(ただし情報の取捨選択を心得ていないと、却って圧倒する情報量に溺れそうですが)
ですから、言葉の通じない外国に行っても、以前に比べれば困る事も減ったでしょし、
逆に言うと、日本に居ながら、海外の人と交流する事も可能な時代なんですよねえ。
まあ、海外とまでは行かなくても、こうして体験談を伺う機会なども得られる訳ですしね(笑)。
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