▽ 2014/3/8 (土) 19:45:52 ▽ ミカエル |
| すいません。一週間多忙で返信に時間がとれませんでした。
▼ 徳翁導誉さん
> 初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
> 日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。
ソ連に初めて入国したのはハバロフスクだったのですが、まず街の雰囲気が灰色だったりセピア色なんですよ。
当時の日本と比べても華やかさが全くない土地でした。
このあたりは時間が経つにつれて慣れてくるかと思いましたが
結局ヨーロッパロシアに入るまで全く解決しませんでした。
また、特別の事情で当時に閉鎖都市「クラスノヤルスク」での滞在は
とてもとても古く暗いホテル住まいだったので大変でした。
ホテルの部屋に怪しい電話やドアをたたく音もするのでかなり恐怖ですよ。
(後程確認したところ所謂「売春婦」だったようですが)
> > ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
> 言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
> 丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。
はい、以下のとおりの行程です。
中谷剛さんの本を読み、ご本人のガイドも受けてきました。
> > ちなみに当時の行程はワルシャワ→(鉄道IC)→クラコヴィア→(バスEuroline)
> > →リヴォフ→(飛行機LOT)→ワルシャワ→(飛行機AF)→モスクワでした。
> 何だか凄い行程ですねえ・・・・
> 乗り物酔いの酷い私には、絶対に無理だと思います(笑)。
>
> > > ・・・って、リヴィウに五輪を招致なんて話ができる状況じゃ無くなっている気も・・・・
> > > 『ウクライナ危機が深刻化、リビウ州議会は独立を宣言』
> > > http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N18U9K6KLVRB01.html
> > ホントにあっという間に政権崩壊してしまいましたね。
> > 今後どうなるのでしょうか?東西分裂は極論だとしても
> ヤヌコーヴィチが国内東部に留まり、徹底抗戦で応じていれば、
> 内戦から東西分裂の流れも有り得たでしょうが、少なくともそれは回避できた模様。
> でもまあ、全てはプーチンの対応次第なんでしょうけど、恐らく当分の間は様子見でしょうね。
> 親ロシア政権が倒れた以上、1兆円を超える財政支援も、天然ガスの7割引き価格も停止なので、
> 仮に混乱が収束できたとしても、ウクライナはすぐさま困難に直面するでしょうし、
> これを支持したEU側が、ロシアに代わって、どれだけ支援の負担に耐えられるのか?
> ギリシャ問題だけでも、あれだけ揉めてるというのに・・・・
> まあ逆に言えば、IMFの国家再生プランは、ロシアからの支援ほど甘くは無いので、
> 国民から上がる反発の方も、ウクライナの方がギリシャの比にならない可能性も・・・・
> あと、オレンジ革命の例を見るまでもなく、デモの過熱化にはアメリカも一枚噛んでいるはずですが、
> ソチ五輪の隙に煽ったアメリカと、直接の対応を強いられるEUとの関係は、実際どうなんでしょ?
> EUがアメリカ側に経済負担を割り振れば、その分の何割かは日本が代理で負担するんですかねえ?
>
> と言いますか、そもそもデモは収束するのでしょうか?
> 年内の選挙実施で、野党勢力は合意できたとしても、それは野党の利益であって、
> 100名近い死者を出したデモ隊が、それで納得して収まる状況には見えないのですが・・・・
> アメリカにしても、火に油を注ぐ事は出来ても、それを鎮火する事は出来ないでしょうし。
> 何だか3年前のエジプトと、状況がかなり酷似しているような気がします。
> 「反ヤヌコーヴィチ」では纏まる事が出来ても、そもそも野党勢力もバラバラですから。
> 釈放されたティモシェンコは出馬するらしいですが、クリチコ兄も当然出馬しますよねえ?
> 親ロシア政権が倒れても、ロシア系の国民が居なくなる訳ではないので、
> 最終的には決選投票で親EU派が勝つにしても、1回目の投票で親ロシア派に負ける展開は・・・・
>
> > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・
この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。
前大統領は復権をめざしロストフ=オン=ドンにとどまっているようですが
ロシアも全面的な軍事進攻はするとは思えませんし。
ただし、クリミアの分離独立傾向はさらに進んでいくのでしょうね。
まぁ、ロシアへの分離併合まで一気にすすむかどうかは微妙だとは思います。
ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。
トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
> 州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
> 日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
> それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・
> 歴史的な経緯を考えれば、リヴィウが分離独立を目指しても説明は付きますし、
> ユーゴ分裂時のスロベニアのように、国内の混乱を余所に自分たちはEU加盟なんて構想も?
> まあ実例ですと、20年前にクリミアの州議会も独立宣言を行い、
> 結果的には州から自治国に格上げされて事態は一時収束しましたから、
> リヴィウも一気に独立とまでは行かなくても、それくらいの権利拡大は求める可能性はあるかも?
リヴォフ周辺が独立することは可能性としては無いのでは?
ウクライナ人の国家が2つになってしまいますので不安定化してしまいます。
> > まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> > 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> > (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)
> 日本からの直行便なんて無いでしょうし、
> それこそ、乗り継ぎ、乗り継ぎになりそうですからねえ。
> でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?
サンマリノ、行くのは大変ですよ(笑)
ローマからアンコナを経てリミニまで行きます。
ローマからリミニまで7時間程度かかりますし、そこから国境を越えるバスに乗って1時間ですよ。
でもなぜかサンマリノにはメキシコ大使館をはじめ南米各国の大使館があったりします。(謎)
アンドラは行ったことはありませんがあっちも大変のようです。
> > > > ちなみに1991年は8月から1992年の1月までソ連(ロシア)滞在しておりましたので
> > > > 旧ソ連の8月革命からソ連邦崩壊まで現地入りしておりました。
> > > これはまた、ソ連崩壊の激動をピン・ポイントで見ている訳じゃないですか!!
> > > いや〜、もう何だか「凄い」の一言しかありませんよ、本当(笑)。
> > > クーデターが起きた時はどうだったのか?とか、
> > > ゴルバチョフ軟禁はどのように報じられたか?とか、
> > 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> > 私はヤロスラーブルの街にいました。
> いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
> モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
> 長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
> ・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?
はい、その「ヤロスラブリ」で間違いないです。
学生時には正教の研究をしておりましたので「ヤロスラブリ」などを含む
「黄金の輪」の地域には良く出向いていました。
ちょうど「ヤロスラブリ」の街の創建1000年だそうで宗教的行事が開かれていました。
(教会自体はほぼ廃墟になっているのですが少しずつアレクセイ2世の権威が復活しはじめた時期
なのでこのようなこともできたのでしょう)
> > 突然ラジオからゴルバチョフが病気で倒れたということが流れ、
> > (当時の私のロシア語のヒアリング能力はこの程度)
> > 近くのロシア人に聞いたところ「ゴルバチョフが失脚した」とのことでした。
> > 私が持っていたロシア語会話集の中に「クーデターが起きたのですか?」の一文があったので確認したら
> > ロシア人は「Да(YES)」とのこと。
> 「クーデターが起きたのですか?」って、何でそんな例文が載ってるんですか?(笑)
http://www.amazon.co.jp/%E6%A8%99%E6%BA%96%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BC%9A%E8%A9%B1-%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%9D%B1-%E4%B8%80%E5%A4%AB/dp/4560006113/ref=sr_1_94?s=books&ie=UTF8&qid=1394273784&sr=1-94&keywords=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%E3%80%80%E4%BC%9A%E8%A9%B1
これには載ってます(笑)
> そして、かなりデリケートな質問だと思うのに、意外と外国人にも素直に答えてもらえるんですね。
全く大丈夫でしたね。
モスクワで良く出入りしていたのはクトゥーゾフ通7番地の「外国人アパート」
だったのですが近くには「ウクライナホテル」や「コメコン本部」そして「ロシア共和国のホワイトハウス」が
ありましたが、燃えたバスとかバリケードに覆われたホワイトハウスも普通に写真とれましたね。
また、8月革命3日後の22日には普通にクレムリンの中に入れました。
エリツィンの勝利宣言の集会には出向いても全く危険を感じることはありませんでした。
>
> > 結局現地では情報も入らないのでモスクワに移動し、
> > クトーゾフ通りの外国人アパートに出向き状況を確認しました。
> > 結局現地に居るよりも東京からの新聞(2日遅れで入荷する)の方が詳しい情報があったりするのでした。
> なるほど、情報というのも時や場合によりけりで、
> 噂話の方が早い時もあれば、外部からの発信の方が早い時もありますものね。
> って、現地ではそこまで大事にはなっていなかったんですか?
よくコップの中の嵐と言われますがまさにそんな感じでしょう。
後のハズブラートフの時の騒動はもっとそんな感じだったのでしょう。
しかし、この外国人アパートの存在がほぼ正確な情報を入手できたと思いますよ。
(この建物の詳細は今井博の「モスクワ特派員報告(岩波新書)」に詳しくでています)
> 私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
> 核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・
そうなんですよね。私の子供のころはブレジネフ政権時だったので
一時期は米ソ開戦一歩手前まで行った時でしたから。
そのような超大国がこのようなことになるとははっきりいっておもいませんでした。
> > しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> > モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)
> 1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
> 佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
> 日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。
そうなんですねぇ。モスクワで起きていることよりそっちの方が大事かも(笑)
(私は広島ファン)
> > その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> > (ドライブ中に道路標識に「Kabul ××kM(何故かこれだけ英語表記、ドゥシャンベすらキリル文字での表記なのに)」
> > と出てくるとちょっと焦ります。)
> アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
> (以前、マスードの歴史Flashを作ってましたけど、未完のまま途中で止まっちゃたなぁ・・・・)
> って、そんな地域にまで外国人が行けるのかと、改めて思いました。
> それにしても、本当にあちこち行かれたんですね(笑)。
> 「何故また中央アジアに?」という印象です(サマルカンドやブハラは見たい気もしますが)。
> ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?
ちょうど9月にちょっと日本に帰ることになり、それならちょっと寄り道をしました。
レニングラード → 飛行機 → モスクワ → 飛行機 → サマルカンド(ウズベク) → 乗用車
→ ドゥシャンベ(タジク) → 飛行機 → タシケント (ウズベク) → アバカン (カザフ)
→ 飛行機 → ハバロフスク → 新潟
でした。 今考えると、もうこの経路を再現するのは不可能に近いですねぇ。
それにしてももう20年も前のことなんですよねぇ。
あー年くったなぁ。 |
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