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[18856] 今昔のロシア・東欧事情返信 削除
2014/3/14 (金) 19:57:44 徳翁導誉

> すいません。一週間多忙で返信に時間がとれませんでした。
いえいえ、別に急ぎの用件って訳じゃ無いですし、
ウクライナ情勢の方もジワジワと進行中なので、
仮に2週間に1度くらいのペースでも、私の方は全然構いませんよ(笑)。
いつもは抑えてる長文癖も、今回はあまり気にせず返信してるので、読むだけでも一苦労でしょうし。

> > 初めてソ連に行った時の第一印象って、どんな感じでしたか?
> > 日本との違いや、事前のイメージとの違いなど、強く印象に残った事があれば教えて下さい。

> ソ連に初めて入国したのはハバロフスクだったのですが、まず街の雰囲気が灰色だったりセピア色なんですよ。
> 当時の日本と比べても華やかさが全くない土地でした。
> このあたりは時間が経つにつれて慣れてくるかと思いましたが
> 結局ヨーロッパロシアに入るまで全く解決しませんでした。

なるほど、映像から通して伝わる、社会主義国特有の無機質な街並みのイメージは、
(革命の初期には、前衛アートとの蜜月時代があったんですけどねえ・・・)
実際に現地で見てみても、そのまま変わらないんですね(笑)。
冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?
とりあえず、バクーの夜景ライトアップがとんでもない事になっているのは聞いていますが(笑)。

> また、特別の事情で当時に閉鎖都市「クラスノヤルスク」での滞在は
> とてもとても古く暗いホテル住まいだったので大変でした。
> ホテルの部屋に怪しい電話やドアをたたく音もするのでかなり恐怖ですよ。
> (後程確認したところ所謂「売春婦」だったようですが)

こう言うのはまさに、現地の体験談じゃないと解らない話ですよね(笑)。

> > > ちょうどその時はモスクワの山火事で「日本に予定通り帰れるの?」って感じでそちらの情報に目がいってしまいました。
> > 言われてみれば、数年前に大規模な山火事がありましたねえ。
> > 丁度その頃、ロシア方面に滞在されてたんですか。

> はい、以下のとおりの行程です。
> 中谷剛さんの本を読み、ご本人のガイドも受けてきました。

旧アウシュヴィッツ収容所で、公式ガイドをされてる方ですね。
名前だけだと誰なのか解りませでしたが、検索してみてピンときました。
ところでアウシュヴィッツと言えば、その中谷さんの著作を含め、
「アンネの日記」などのホロコースト関連の書籍が破られる事件があり、
昨日、容疑者が逮捕されたらしいですが、あれは一体どんな意図で行われたんですかねえ?
浦和レッズの差別横断幕の件とかなら、根幹は恐らく嫌韓なんだろうと想像は付きますけど・・・・

> > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。
> 前大統領は復権をめざしロストフ=オン=ドンにとどまっているようですが
> ロシアも全面的な軍事進攻はするとは思えませんし。

私もそう思っていましたが、予想を上回るクリミア情勢の急速な緊張感の高まりを受けて、
「もしかしたら・・・」という考えも、まだ低いですが、日増しに強くなりつつありますね。
独立宣言を行ったクリミア自治政府と、それを認めないウクライナ暫定政権との間で、
武力衝突が起き、そこにロシア軍が加担するような展開に発展すれば、
ウクライナ東部におけるロシア系住民への締め付けや蜂起が発生する可能性はありますし、
その場合はクリミアで火が付いてしまった以上、そちらにも類焼する事も有り得無くは無いので。
もちろん現段階では、「さすがにそこまでは」と私も考えますけど、
これだけ緊迫を増した状況になると、時には急転直下で物事が激変しますからねえ・・・・

> ただし、クリミアの分離独立傾向はさらに進んでいくのでしょうね。
> まぁ、ロシアへの分離併合まで一気にすすむかどうかは微妙だとは思います。

いや本当、クリミアの件は一体どうなるうでしょ?
前倒しに前倒しされ、この日曜にもロシア編入の是非を問う住民投票が行われる事になりましたが、
ここまでスケジュールが早まり、投票内容も先鋭化するとは、私も当初は考えてませんでした。
住民投票はロシア編入ではなく独立の賛否を問うモノになり、その結果、
クリミアが独立を宣言して、ウクライナや欧米は認めなくても、ロシアが承認&支援し、
実質的には独立国となる「南オセチア化」するシナリオが、妥当な落とし所かと見ていたので・・・・
ひょっとしたらプーチン自身も、ここまで急進化した事態に苦慮しているのでは?
一般的には、大国の利害により、小国が良いように振り回されるイメージが強いですが、
ただ実際には、小国の暴走により、大国が振り回されるケースも、決して珍しくは無いですからねえ。
ロシア下院の方からも、編入手続きを簡素化するようプーチンは突かれてますし、
一方で、独立ではなく編入となると、「欧米もコソボを独立させた」という先例を名分に使えませんし、
そして何より、編入まで踏み込んでしまうと、欧米との対立の出口戦略が描き難くなる上に、
南オセチアやアブハジアに関しても、同様の処置を要する展開になりかないですからねえ・・・・

> ロシアへの併合はタタール人のクリミアへの帰還を加速させる恐れもあり
> ヘタをすると第二のオセチアになる可能性もあります。

オセット人の場合は、大多数が正教徒ですし、グルジアという明確な敵も居るので、
ロシアとしては、まだ扱いやすい少数民族だとは思いますが、
クリミア・タタール人の方は、大多数がイスラム教徒な上、ロシアに対する感情も悪いだけに、
オセチアの事情とは、また違った感じなんじゃないですかねえ?
クリミア編入でタタール人の帰還が加速すれば、逆に今度はロシアからの独立を求める声が強まりそうですし。
・・・って、もしかして「第二のオセチア」ではなく「第二のチェチェン」の間違いですか?
それであれば、その可能性は私もあると思います。

> トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
んん?
これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?
どちらなのかで、意味も大きく変わって来ると思いますけど。
ただ個人的には、「分離独立させた上で本国併合」という流れだと、
テキサス共和国やカリフォルニア共和国を思い出しちゃうんですよね(笑)。

> > ところで、話の脱線のきっかけとなったリヴィウですけど(笑)、
> > 州議会が独立を宣言した後、現在どうなってるんでしょ?
> > 日本語だと続報が得られないのですが、親ロシア政権の崩壊で独立を引っ込めたのか、
> > それとも親EU政権が誕生しようが独立の道を進むのか、よく伝わって来ません・・・・

> リヴォフ周辺が独立することは可能性としては無いのでは?
> ウクライナ人の国家が2つになってしまいますので不安定化してしまいます。

う〜ん、まあ普通に考えれば、暫定政権と共同歩調が妥当な線なのでしょうけど、
今回のデモが起きる前に、この記事の地図↓を見た際に、
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshij007/32491322.html
「何でリヴィウ州だけ色が違うんだろう?」と思った記憶が、強く残ってまして・・・・
って、キリル文字とか読めないので、これが何なのか未だに謎なままなんですけどね(笑)。
(「2012」の数字が見えるので、恐らく議会選挙の各州の第一党かな?とは想像しますが)
ただ、クリミアの独立宣言が欧米を刺激した以上、そんな青写真はもう描けないのは確かかと。
未だにポーランド系住民が多ければ話は別でしょうけど、現状はそうじゃないですしね。

> > > まぁ個人的には単なる入国のしやすさのレベルで考えるとソ連よりも
> > > 今となってはアンドラとかサンマリノの方が厳しいのかも(笑)
> > > (さすがに連続休暇が10日程度しか取れないので物理的な移動だけ考えると結構キツイっす。)

> > でもサンマリノならイタリアの地方都市みたいなモノなので、何とかなりそうなイメージも?

> サンマリノ、行くのは大変ですよ(笑)
> ローマからアンコナを経てリミニまで行きます。
> ローマからリミニまで7時間程度かかりますし、そこから国境を越えるバスに乗って1時間ですよ。

いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
とイメージした次第です(笑)。
例えば日本への観光でも、山奥にある白川郷だけを見に行くのは大変そうですが、
金沢観光とセットなら、バスで1時間ちょっとらしいので、苦にならなそうな感じでしょうか?

> > > 1991年8月19日はソ連入国から約半月程度経っており。
> > > 私はヤロスラーブルの街にいました。

> > いきなり知らない地名の登場に、地図帳で調べちゃいましたよ(笑)。
> > モスクワから北東に200kmほどの所にある「ヤロスラヴリ」で合ってますかねえ?
> > 長期滞在なので、てっきりモスクワなどの大都市だろうと思い込んでいました。
> > ・・・って、また何でこんな郊外の都市に滞在を?

> はい、その「ヤロスラブリ」で間違いないです。
> 「ヤロスラブリ」などを含む「黄金の輪」の地域には良く出向いていました。

なるほど、各都市名までは解らなくても、「黄金の環」と言われればイメージが湧きますね。
古都ウラジーミルみたいな感じを想像すれば、だいたい良いですかねえ?
繁栄を続ける首都モスクワよりも、却って郊外の方が古い建築群が残っていそうですし。
私のロシア史に関する知識は、雷帝と呼ばれたイヴァン4世から始まりますけど、
モスクワ大公国からロシア帝国へと至る下地を築いた先代たちの歴史も、結構面白そうかも?
(モンゴル好きなので、ジョチ・ウルスの盛衰から通して見た、諸公国の歴史は何となく解りますが)

> 学生時には正教の研究をしておりましたので
だから以前、中世東欧の話をされてた訳ですね。
ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?

> ちょうど「ヤロスラブリ」の街の創建1000年だそうで宗教的行事が開かれていました。
> (教会自体はほぼ廃墟になっているのですが少しずつアレクセイ2世の権威が復活しはじめた時期
> なのでこのようなこともできたのでしょう)

前々から疑問だったのですが、ソ連時代の信仰事情って、実際はどうだったんでしょ?
共産主義では宗教に対して否定的な一方、ロシア人自体は敬虔な正教徒のイメージが強いので、
目に見える教会の方は廃れていっても、心の中にある信仰心の方は強く残っていたであろう事は、
ソ連崩壊後の急速な復活ぶりを見るだけでも、何となく想像はつきますけども。

> モスクワで良く出入りしていたのはクトゥーゾフ通7番地の「外国人アパート」
> だったのですが近くには「ウクライナホテル」や「コメコン本部」そして「ロシア共和国のホワイトハウス」が
> ありましたが、燃えたバスとかバリケードに覆われたホワイトハウスも普通に写真とれましたね。
> また、8月革命3日後の22日には普通にクレムリンの中に入れました。
> エリツィンの勝利宣言の集会には出向いても全く危険を感じることはありませんでした。

えっ!?
あのベールイ・ドーム前での勝利集会にも立ち会ったんですか?
大群衆だった記憶があるので、現場に居合わせれば参加できそうなのは理解できますが、
何より、そんな世界史の1ページに「居合わせた」という事が何より凄いですね!!
数行前の「コメコンって懐かしいなぁ」なんて感想が、すぐに消し飛んでしまいましたよ(笑)。

> よくコップの中の嵐と言われますがまさにそんな感じでしょう。
> 後のハズブラートフの時の騒動はもっとそんな感じだったのでしょう。

でもあの時は、真っ白なベールイ・ドームが、砲撃で真っ黒に焼け焦げてましたし、
さすがに緊迫感は高かったように想像しますけど、まあ空気感は現地に居ないと解りませんからねえ。

> しかし、この外国人アパートの存在がほぼ正確な情報を入手できたと思いますよ。
> (この建物の詳細は今井博の「モスクワ特派員報告(岩波新書)」に詳しくでています)

ちょっと興味が湧きましたけど、調べてみると絶版本ですね・・・・
まあ、ソ連崩壊から既に20年以上が経過してますし、仕方ない面もあるのかな?
ちなみに現地ルポものだと、先日読んだ「謎の独立国家ソマリランド」が面白かったのです。

> > 私も子供ながらに「いま大変な事が起きている」と、ニュース映像を心配しながら見てましたし、
> > 核をもつ超大国でのクーデター事件だけに、湾岸戦争などより怖かった記憶があるのですが・・・・

> そうなんですよね。私の子供のころはブレジネフ政権時だったので
> 一時期は米ソ開戦一歩手前まで行った時でしたから。

赤い嵐シナリオでも採用した「新冷戦」の時代ですね。
って、今後のウクライナ情勢に対する米ロの対応次第では、
まさに今の時代こそが「新冷戦」と呼ばれかねませんが・・・・

> そのような超大国がこのようなことになるとははっきりいっておもいませんでした。
こんなにもあっさりと、冷戦が終わり、ソ連邦が崩壊し、東西ドイツが統合するなんて、
当時は想像だにしてませんでしたからねえ(私が子供だったからかも知れませんが)。

> > > しかし、当時はインターネットなど無い時代ですから
> > > モスクワの状況より日本のプロ野球の結果が気になったりするのですが(笑)

> > 1991年のプロ野球と言うと、12球団で最も優勝から遠ざかっている広島カープが、
> > 佐々岡の大車輪な活躍もあって、最後にリーグ優勝を果たした年ですね。
> > 日本シリーズでは佐々岡が第1・4・7戦に先発するという、時代を感じさせる起用を覚えています。

> そうなんですねぇ。モスクワで起きていることよりそっちの方が大事かも(笑)

日本を離れているからこそ、国内に居た時以上に「試合結果が気になる」という話はよく聞きますしね。
特にプロ野球の場合、シーズン中は毎日のように試合がありますし、
「情報で日本と繋がる」という事を考えると、プロ野球って大きな存在だったのかも?
今のプロ野球事情を思うと、過去形になりつつあるのは寂しいですが・・・・

> (私は広島ファン)
私は中日ファンですけど、一番下の弟が広島ファンですね。
まあ私の場合は単純に、プロ野球を見始めた時に住んでいたのが名古屋だったからですが、
弟が見始めた頃は、地元に球団が無い静岡に住んでいたので、
「緒方・正田・野村・江藤・前田・ロペス・金本・西山」という最強打線に惹かれてファンになり、
そのおかげで、十数年に及ぶBクラス地獄を味わう羽目に(笑)。
そんな訳で、1993年の最後の広島リーグ優勝も、私は見てますが、弟は見ていないと。
ちなみにミカエルさんの年代ですと、私も見てない「赤ヘル旋風」時代まで知ってるのかな?

> > > その間にロシア語の勉強をしたりアフガン国境に近い地域を訪問したりしていました。
> > アフガン侵攻自体は1989年に終結しているとは言え、まだまだ記憶が生々しい頃ですからねえ。
> > ちなみに、この時の移動は陸路だったんですか? 空路だったんですか?

> ちょうど9月にちょっと日本に帰ることになり、それならちょっと寄り道をしました。
> レニングラード → 飛行機 → モスクワ → 飛行機 → サマルカンド(ウズベク) → 乗用車
> → ドゥシャンベ(タジク) → 飛行機 → タシケント (ウズベク) → アバカン (カザフ)
> → 飛行機 → ハバロフスク → 新潟
> でした。 今考えると、もうこの経路を再現するのは不可能に近いですねぇ。

めちゃくちゃ乗り継いでるじゃないですか!?(笑)
以前、シベリア鉄道の話が出ていたので、鉄路なのかと勝手に想像してました。

> それにしてももう20年も前のことなんですよねぇ。
> あー年くったなぁ。

このサイト内でも、ソ連の記憶がある人って、ごく一部でしょうしね(笑)。
中高生だと、長野五輪や日韓W杯ですら、物心つく前の出来事だったりしますから。

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