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[18951] Re:クリミアは「第二のズデーテン」になるのか?返信 削除
2014/4/23 (水) 20:17:45 ミカエル

▼ 徳翁導誉さん
> 短期間だからこそ、最近急に始まった「税抜き価格表示」が期間限定で許めてるそうなので、
> 基本路線としては、それで行くつもりなのでしょうけど・・・・


税抜き価格表示・・・本当に混乱しますね。
安いと思っても8%がオンされるとちょいキツイっす。
>
> > > 冷戦が終結して今年で四半世紀が経つ訳ですが、旧東側陣営の諸国も、
> > > 今では大きな都市だと、そうした街の雰囲気も幾らか変わっているのでしょうか?

> > 街の雰囲気は25年経過してもぱっと目につくところ以外は社会主義時代の無機質な建物が多いですよ。
> > 集合住宅ややたらに広い道路、場所によってはスターリン様式の建物が見えると(笑)
> > 反対に空港や外資が入っているホテルなどは東京よりモダンで綺麗ですね。
> > 噂だとアルバニアのティラナの空港は超近代的だとか(笑)

> まあさすがに、25年程度じゃ表部分くらしか変わらないでしょうからねえ。
> そんな中でも、街並みの雰囲気が最も変化した旧東側の国ってどこなんでしょ?
> カザフスタンなんて新首都として、計画都市アスタナを黒川紀章の設計で作ってるらしいですから、
> http://trekking1179.seesaa.net/article/313283906.html
> http://d.hatena.ne.jp/stertwist/20110920/1316480876
> http://adaisuke.blog100.fc2.com/blog-entry-33.html
> 一見すると旧ソ連的な雰囲気は皆無ですが、よく見ると新たな高層建築なのにスターリン様式だったり(笑)。
> ちなみに、ミカエルさんが中央アジアへ出向かれたのは、前述の旧ソ連時代が最後なのでしょうか?


さすがに最後ですね。
いっときアシュガバトに行く機会がありましたがぽしゃってしまいました。
しかし、アスタナの画像を見るとある意味「独裁者」ですので雰囲気は
「スターリン様式」やイタリア等にある「ファシスト様式」に通じるものがありますね。
>
> あと逆に、昨年の10月にサッカー日本代表がベラルーシで強化試合を行った際、
> 「今まで旧ソ連の国はいろいろ行ったが、最もソ連の雰囲気が残っている」という観戦記事を読んだのですが、
> ルカシェンコ時代が続いている事もあり、やはりベラルーシって、そんな感じなのでしょうか?


ベラルーシは訪問したことは無いのですがミンスクなどは旧ソ連の雰囲気が濃厚でしょうね。
しかしベラルーシからモスクワのシェレメチェボを経由して日本に来る場合ロシアのビザが必要なのは絶句です。

> > > > > > クリミアのロシア復帰の可能性はでてくるかもしれませんね。
> > > > > ロシア系が多数派を占めるクリミア半島では、
> > > > > 逆に親ロシア派の武装集団によって、議会や空港が占拠されたみたいですね。
> > > > > http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1Q05520140227
> > > > > http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYEA1R02S20140228
> > > > > しかもクリミア南端には、ロシア海軍の租借港であるセヴァストポリがありますので、
> > > > > 武装集団の侵入を防ぐとの名目(笑)で、ロシア側は同地での軍配備を強化する一方、
> > > > > ウクライナの代行政権側も「基地外で軍事行動は侵略行為と見なす」と牽制してますし、
> > > > > 更にそこへ、中央アジアに強制移住されていた先住民のクリミア・タタール人が、
> > > > > ソ連崩壊後に続々と帰郷して第3勢力と化してますから、クリミアの情勢は本当に読めない・・・・

> > > > この二週間でまた情勢が目まぐるしく変化していますね。

> > その後の2週間で一気にロシアへの編入が進んでしまいましたね。
> > このまま既成事実化してしまうのでしょうか。
> > 米国といえどクリミア半島まで派兵する気はなさそうですし。

> そうして今度は、ドネツク・ハリコフ・ルガンスクのウクライナ東部3州で、
> 親ロシア派デモ隊が州庁舎を占拠して独立を宣言し(しかも国名が人民共和国・笑)、
> http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014040802000224.html
> その直後に、暫定政府側が軍の特殊部隊を投入してドネツクの庁舎ビルを奪回ですか・・・・
> http://www.cnn.co.jp/world/35046228.html
> まあ、やってる行為自体は、暫定政府側が1ヶ月前に首都キエフで行った事と同じなのですが、
> ヤヌコビッチ前政権は、内戦化を恐れて軍を動かさなかった(動かせなかった?)のに、
> いかに特殊部隊とは言え、暫定政権は軍を動かしちゃったんですね・・・・
> (本当に軍の特殊部隊だったのかは、誤報も多いので正直わかりませんが)
> それこそ武力衝突が大規模化する事態になれば、最悪の展開であるロシア軍の侵攻というシナリオさえ、
> まだまだ可能性は低いとは言え、以前に比べるとグッと高まってしまったのではないでしょうか?


いつのまにかクリミアの件よりもウクライナ本土に焦点が移ってしまいましたね。
4者合意があったと言えどもまだまだ情勢は流動的ですね。
ついに米国が東欧へ派兵したとなると、ますます武力衝突への危惧が大きくなったと言えます。
米国大統領も東アジア歴訪をする余裕なんてあるのかなぁとも考えてしまいます。

> > > > トゥバのように「独立宣言はしたけど当面はロシアに留まる」って可能性もありますが・・・
> > > んん?
> > > これは大戦前の「タンヌ・トゥバ」の事ですか?
> > > それともソ連崩壊後の「トゥバ共和国」の事ですか?

> > ソ連崩壊後のトゥバですね。

> 返信後に少し調べてみた所、トゥバってソ連崩壊の直前に「主権回復宣言」をしてたんですね。
> http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/996/1/KJ00000044314.pdf#page=23
> ソ連が崩壊し、連邦を構成していた共和国が独立した後に、
> ソ連にあった自治共和国の方も、旧構成国内の共和国に格上げされた事は知ってましたが、
> スムーズに事が進んだというよりも、このような経緯があっての格上げだったんですね。
> それを事前に知っていれば、「モンゴル、独立への道」の構成も少し変えてたかも?(笑)
> http://www.youtube.com/watch?v=0d3xWBbFPsc
> あと、この件を見ても思うのですが、何でトゥバはソ連の構成国になれなかったんですかねえ?
> 同じく第二次大戦中に併合されたバルト三国やモルドバ(ルーマニア領ベッサラビア)は、
> そのまま構成国へと移行されたのに、独立国とされたトゥバが自治国どころか自治州だなんて・・・・
> 吸収された時代が異なるとは言え、ウズベクやタジクなどの中央アジア諸国も構成国だったのに。


案外これが原因かもしれませんね(笑)
http://www.chinayouth.org.hk/China/rocmap.html

 
> > > いや何も、サンマリノまで弾丸ツアーで行く事を想定していた訳ではなく、
> > > 「サンマリノは、ボローニャから2時間ちょっと」という事前認識があったので、
> > > 「ミラノやフィレンツェに行ったついでに、ボローニャで1泊すれば、サンマリノの日帰り観光も可能では」
> > > とイメージした次第です(笑)。

> > 今は半弾丸ツアーしかできないのでサンマリノって遠いんですよ(号泣)
> > 10年ほど前、無職の時に行きましたがあの時は時間がありあまっていたので
> > ベニス(3泊)フェラーラ(2泊)ラヴェンナ(2泊)フィレンツェ(3泊)
> > とのんびり堪能してきました。
> > しかしボローニャって駅は10回以上通っているのに乗り換え以外に1回だけ
> > 駅前で食事した以外何もしていないんですよね。
> > まああの駅はローマ=ベニス=ミラノ=バーリの4方面からくる鉄道が直角に交差する場所であるために
> > たいてい遅れがでているのですよねー。
> > それで焦って次の列車に早々に乗ってしまう(笑)

> まあ私も「ボローニャ」と言われてイメージするのは、
> 1000年近い歴史がある欧州最古の大学がある事と、中田英寿がプレーした街という感じで、
> 古い街並みが残っている事は知っていても、イタリアには何よりローマがありますし、
> ミラノ・フィレンツェ・ヴェネツィアの中間地点にある立地から、
> ボローニャをじっくり観光しようとは、なかなかならないでしょうからねえ・・・・


あはは、本当にそう思います。
フィレンツェに滞在して、ちょっと遠出するならピサに行って斜塔を見ますもんねぇ。

> > > ところで、西欧だと教皇を頂点とした縦の繋がりの帝国・王国・公国などは何となく解るのですが、
> > > 東欧世界における帝国・王国・公国などの関係性が、いまいちよく解らないんですよねえ・・・・
> > > 東ローマ帝国の内部であれば、テマ軍管区制があり、プロノイア制へと移行したという感じですが、
> > > 例えばセルビア王国やキエフ公国の「王位」や「公位」が、どこから授けられたモノなのか?とか、
> > > 正教国家における、東ローマ皇帝やコンスタンティノポリス総主教との関係性が、実はよく知りません。
> > > 西欧世界とは違って、正教会のように国家の方も緩やかな横の繋がりしかなく、
> > > 王国や公国などの名称も、単に領土の大きさに比例して自称しただけなのでしょうか?

> > ビザンツ世界における称号ですが前半(マケドニア王朝以前)と後半では
> > だいぶ違っていて皇帝と帝国からの重要度によって分けられていました。
> > 基本はディオクレティアヌスのテトラルキア制に準じているのですが
> > 所謂「正帝位」(ギリシャ語でバシレイウス)はローマ皇帝とペルシャ皇帝だけで
> > あとは「副帝位」(ギリシャ語でカイサル)となります。
> > それ以外ですと「王」(ギリシャ語でレークス、アジア系だとカン)
> > や「公」(ギリシャ語でデュクス)などが帝国からの重要度に応じて付与されました。

> う〜ん、もともとローマ帝国だったバルカンやアナトリアなどだと、
> そうした枠組みがあった事は、何となく想像が付くのですが、
> その外にあったであろうルーシ世界で「キエフ大公」や「モスクワ大公」という感じに、
> なぜ「王」ではなく「大公」なのかが、最大の疑問点なんですよねえ・・・・
> 単純に訳語的な問題なのでしょうか?


ちょっと調べてみたのですがやっぱり「王」と「公」の違いは存在しますね。
(大公は日本語訳の問題のようです)

ブルガリアですがもともとアジア系のため「汗」とされていましたが
ビザンツ皇帝ミカエル3世時の864年にボリス1世が「王(クニャス)」の称号を付与されています。
(同時にキリスト教への改宗も行われています。所謂「ボリスの改宗」です)
のちにシメオンが「ブルガリア人の皇帝」位を承認されますが
もちろんこれは「カイサル(副帝)」の方です。

キエフの場合はビザンツ皇帝レオン6世の時の911年にオレグが「公(パトリキオス、古代ローマの爵位が名称そのままで実態が変化していった)」の爵位を与えられて
「キエフ公国」と日本では呼称されています。

クロアチアについてはもっと遅くバシレイオス2世時(981年)に「公」位を与えられていました。

> 独立正教会の存在とかは関係ないですよねえ?
あんまり関係ないと思います。当時は東西分裂前ですので各国の教区はあくまで府主教扱いです。

 
> > 後半になるとビザンツ世界では主に「君侯」(デスポト)を自称していたのですが
> > ビザンツ帝国の弱体化によりローマ教皇から称号を受けたのです。
> > セルビア王国もビザンツ側からの史料を見ると「デスポト」なんですよねぇ。
> > ちなみに「デスポト」の和訳が「専制公」となるのかは私にはよくわかりません。

> 対象が同じでも、「専制公(公国)」だったり「専制侯(侯国)」だったりと、
> 書籍によって表記が違ったりしますからねえ・・・・
> まあ、古代中国の周時代に用いられた「五等爵(公・侯・伯・子・男)」を、
> 制度の異なる西洋の和訳に用いようというのが、そもそも無理があるのかも知れませんね。


私もそう思います。周の大封建につかわれた爵位をそのまま使うのはどうも・・・
でも幕末の大名家はこの基準でと分けられていますね。
(これも実高を使っていて非常にわかりづらいのですが)

今回も時間の制約があるのでこれぐらいに。

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