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[19062] Re3:言語と民族返信 削除
2014/5/23 (金) 11:51:59 帰ってきた伊豆大島のキョン

▼ 徳翁導誉さん
民族を語るうえで「血」がよく持ち出されますが、私の感覚だと民族って自然科学的概念では
なくてあくまで社会科学的な概念だと思ってます。さらにいうと相対的なものだとも思ってい
ます。
私の民族のイメェジは端的にいうと「この人なら同類とみなしてもいいと思う人の意識の集合
体=自分たちのコミュニティ(社会)の構成員」だと思っています。で、当然見た目や言葉が
大きく異なり、血縁関係も遠かったりするとどうしても同類と思い難い面があるので別民族と
お互いに扱ってしまうだけだと思います。要はこういった要素は民族判断の材料であってたと
えアメリカに住む黒人と白人でも社会的に自分たちが「同類」だと思っていれば、それはアメ
リカ人という民 族でいいと思います。もちろんそれはあくまでアメリカ社会内部の話で外の人
たちがはたしてそう思うかどうかというのはまた別問題だと思いますが。
蛇足なんですけれど、依然黒人は白人社会(狭義のアメリカ社会)に同化しようとして戦って
きた歴史がありまた現在もそうあるのである程度アメリカ社会の構成員とみなされているよう
ですが、アジア系移民は母国の文化を保持し続け、アメリカよりも母国に愛国心があるように
みえるためアメリカ社会の構成員として扱われにくいという話を耳にしましたがこういったこ
とも私の民族感に合致する事例なのではと思います。(イギリス王室もドイツ系、スウェーデ
ン王室もフランス系ですしね。)
次に相対的ですが、これは民族の範囲が 立場によって変わってしまうという意味です。
明治以前の日本はぼんやりと日本人意識はあってそれを外国に対しては主張していたでしょう
しかし、対内的には会津だとか薩摩だとかの自分の出身藩の構成意識というものが強かったと
思います。それが戊辰戦争以降の国民国家形成の段階で徐々に解体されていったものと思って
おります。そうすると外国に対しては日本人、日本人同士では薩摩人といった使い分けが存在
しているように見え、こういったことで相対的といえるものです。もっともこの薩摩人だとか
は狭義には民族に当たらないとは思います。民族意識に類似した(つまり自己と他者のコミュ
ニティを区別するような)意識傾向であることは否定できないと思います。近年では縄文 系・
弥生系といった区別も民族類似の意識であるといえます。

付け加えると民族って非常に政治的なものでもあるんですよね。
モルドヴァ人はルーマニア人とほぼ同一でラテン系でしたが、ソ連が占領した際ラテン意識を
とるためにキリル文字を導入してモルドヴァ人という民族意識を植え付けて
ルーマニアから切り離しました。
中国では漢民族以外の少数民族はある種法定的に定められていて(民族識別工作参照)、いま
だに識別されていない民族や自分たちの意識とは関係なく違う民族として記載されます。

ですから民族という概念は意外と適当なんじゃないかなと思っております。19世紀の民族国家の
時代(それ以前は民族という確固とした意識さえあったかどうか微妙ですが、 同族意識はあった
と思います。)時代はこれはこれで自治を促す面で有用だったのだけど現代においてそれほど民
族が重要かという問題もあります。私にしてみれば白鵬だってもう日本民族でいいと思いますし。


> > 日本は、アメリカの占領下に置かれた時代を除き、
> > 占領、植民地の経験がないといわれています。
> > (蒙古襲来など、あと少しでということはありましたが。)

> 戦後に一世を風靡した「大和朝廷の騎馬民族征服王朝説」なんてモノもありますけど(笑)、
> 日本は島国ですから、大陸にある多くの国々とは事情が異なりますよねえ。
> 特に日本の場合、中国大陸との間に朝鮮半島があった事から、
> 文化は入って来るけど、軍事的脅威は受け難いという、なかなかの好立地でしたので。
> (イギリスの場合は欧州大陸に近過ぎて、フランス貴族の植民地だった時代もありましたし)
> とは言え、外部からの襲撃は有り、代表例は上記にあるモンゴルによる2度の元寇ですが、
> 他には、平安中期(藤原道長が摂政の頃)に女真族(満州族)が襲来した「刀伊の入寇」や、
> 朝鮮の混乱期に海賊が続発した「新羅の入寇」(日本で言えば戦国時代の倭寇)がありますね。
> まあ、日本本土はそこまで被害を受けないのですが、通り道にある対馬は毎度酷い目に・・・・
>
> って、その対馬が一番危なかったのは、幕末のロシア艦隊による占領事件かも?
> 幕府は自力で問題を解決できず、イギリスの介入でロシア艦隊が撤収するまで、
> 半年に渡って、対馬の一部を占領され続けましたからねえ。
> 歴史の展開次第では、そのままロシアの租借港と化してたかも知れませんし、
> もしも日露戦争で日本が負けていたら、対馬の割譲を要求された可能性もあったでしょうから。
> でもまあ、第二次大戦の敗戦時に、ドイツ同様の「日本分割統治」↓が計画通りに行われていたり、
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB
> ヤルタ会談でスターリンが要求した、千島・南樺太だけでなく「北海道半分」↓のソ連併合が通っていたら、
> http://blogs.yahoo.co.jp/nakamushyh/GALLERY/show_image.html?id=36067679&no=9
> それどころのレベルじゃ無かったでしょうけどね(笑)。
>
> ・・・と、if話にズレてしまいましたが、史実でも幕末には他の例がありまして、
> 長州藩が英・仏・蘭・米の四国連合艦隊と争った馬関戦争では、下関を占領されてしまいましたし、
> プロイセン人に北海道の開墾農地を租借する事件があったりしました(後に賠償金を払って契約を破棄)。
> でも、一時的に終わったそれらの件よりも、問題が深刻だったのは、
> 横浜や神戸などの開港地に作られた「外国人居留地」の方でしょうね。
> 確かに江戸時代にも、似たような感じで「出島」がありましたけど、
> 日本人側が外国人を押し込めた出島と、外国人側が日本人を追い出した居留地では、意味が大きく異なり、
> 実質的には、植民地とまでは行かなくとも、租借地には近い状態でしたからねえ。
> 中国で言えば、まさにマカオが同じ感じでした(名目的には居留地だけど、現実的には租借地)。
> つまりは、日本の近代化が上手く行かなければ、中国と同じようになっていた可能性もあった訳です。
> (ちなみに、現在でも神戸や横浜に中華街が残っているのは、その頃の名残りですね)
>
> ですが忘れてはならないのは、現在の日本にも実質的な「租借地」が存在するという事実です。
> 言うまでも無いですが、それは「在日米軍基地」の事です。
> 正直、私もあまり実感はありませんけど、GHQ統治下の6年間を除けば、
> 現在は日本の歴史の中で最も、国家的な主権が蔑ろにされている時代だとは言えます。
> 歴史地図では、高麗がモンゴル帝国と同じ色で塗られているモノがありますが、
> 未来の歴史教科書だと、今の時代の歴史地図では日本も、アメリカと同じ色に塗られているかも?(笑)


そのほかに小笠原諸島も米国の占領期を除いても一時的に植民地になってましたね。それに神戸事件では
神戸中心街を占領されてますね。この件に関しては維新政府がうまく対処できたおかげで最悪の事態を防
げたと思っています。
維新政府で話はそれますが、いわゆる薩長土肥だと長州っていまいち人気ないですよね。まあ判官びいき
の日本人からしたら、西南戦争で勢いを失った薩摩、明治六年政変で大隈が下野した肥前、志半ばで絶え
た坂本竜馬が魅力的な土佐に比べ、政治家的な印象が強く大正デモクラシィまで命脈を保った長州閥とい
うのはあまり印象が良くないのではと思い ますが。
それに長州って表向きはそうですけれど(これは特に伊藤博文の功績が大きいのかなと思いますが)実質
的には彼らの作った制度なんかは今も残っているので、長州の亡霊といいますか、いまだに長州
的政治体制ということも可能かと思います。具体的には、憲法(表向きは大日本帝国憲法の全面改正で一
部GHQの意向がはいっているけれども、骨格は大日本帝国憲法と大きくは変わらない。)内閣制度、東京大
学(帝国大学の構想)、自由民主党(その源流は立憲政友会)などが代表例でしょうか。これを以て長州閥
とは言えませんが、少なくともその残滓が生きているとはいえると思います。

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