| > 真田丸ですが、第36回「勝負」の第二次上田合戦はどうでした?
> 正直いって、期待していただけにちょっと肩透かしでしたね。
> しかし、第二次上田合戦をあんなにしょぼく描いたのは、かなりガッカリでした。
確かに、もう少し盛り上げても良かったかと、私も思いましたけど、
ですが冷静に考えてみると、第二次上田合戦って史実的には、
砥石城を明け渡した以外、いくらか小競り合いがあり、数日ほど足止めをしただけなんですよねえ。
城内に徳川軍を引き込んでまで戦った「第一次上田合戦」とは、激しさで比べるまでも無いですし・・・・
それに、中山道の秀忠軍が関ヶ原決戦に間に合わなかったのは、あくまでも結果論であり、
確かに物語として盛り上げるのであれば、後付け的な解釈を用いて、
その足止めした数日間を、昌幸の功績として高く持ち上げる事も可能でしょうけど、
意外に史実派な三谷本人は、恐らくそれを望まなかったのだと思います。
早期決着を見越していた信繁や直江兼続ですら、数ヶ月は掛かると見ている描画がある上、
福島正則の行動が早過ぎて、家康が焦ったというナレーション解説も入ってましたから、
真田丸の世界観では、誰もが思わぬほど早く決着しまっただけかと?
そして、今回の父・昌幸による第二次上田合戦の戦いぶりは、
それに続く、信繁による大坂の陣の戦いへの前フリになっている気がします。
「戦さは始まる前の準備こそ肝要」というのは、大坂冬の陣での「真田出丸」に繋がるのでしょうし、
敵本陣の位置を予測し、事前に奇襲路を用意するのは、大坂夏の陣の家康本陣への突入にリンクさせ、
今回の奇襲が未遂に終わり、秀忠が戦さ下手にならなかったからこそ、
大坂の陣で徳川方が勝利するシナリオに持っていくかも知れません。
・・・って、この辺はあくまで、下手に先の展開を知ってるが故の邪推・憶測ですけどね(笑)。
あと個人的には、前話の「犬伏」が面白かったので、それだけで満足している部分も(笑)。
ナレーションをバックに、真田親子が3人で語り続けているシーンでは、
話している音声は使われないので、役者同士でアドリブの会話をしていたらしいのですが、
ドラマ的にも、3人で一緒に撮るシーンは、これが最後だったとの事で、当人たちも名残惜しかったそうで、
堺信繁が「父上、韓信をどう思われます?」と問うと、草刈昌幸が「あいつは感心なヤツだ」と答え、
続いて「兄上、史記の話をもっと聞きたいです」と言うと、大泉信之が「では、劇団四季について語ろう」と、
尽きる事無く冗談を飛ばし合っていた などという裏話を聞くと、いろいろと感慨深い感じもします。
そうなんですよね、1年続いた真田丸も、残す所、あと10話ほどですから・・・・
ちなみに先日、再来年の大河ドラマが「西郷隆盛」に決まった事が発表されてましたね。
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/252141.html
こうして、ネットで情報が簡単に収集できるようになる以前は、
最終回で翌年の大河ドラマを知ってた事を思うと、ちょっと隔世の感があります。
それにしても、去年に長州をやって、今度は薩摩とは・・・いろいろ事情があるのかな?
(同じく幕末ネタで、先日、新選組の三番隊組長・斎藤一の53歳時の写真が見つかったそうですね)
http://www.sankei.com/photo/story/news/160715/sty1607150004-n1.html
まあ、2018年は明治維新150年ですし、同じく西郷が主役の「翔ぶが如く」からも随分経ちますから、
それ自体は別に良いんですけど、林真理子が描く愛の物語という文言に不安が・・・・
来年は来年で「おんな城主 直虎」ですしね。
うん、とりあえずは、残り少ない今年の真田丸を、存分に楽しんでおく事にします(笑)。
あと個人的には、先の話になりますけど、2020年は東京五輪もある事ですし、
保科正之や後藤新平を見てみたい所(共に東京の歴史には欠かせない上、東北にも縁があるので)。
今年の正月特番「大江戸炎上」では保科を扱ってましたので、こちらは可能性がありそうな気も?
> いや、関ケ原の描写がほとんど無かったってのは気にならないんですよ。
> 真田家からすれば、関ケ原から遠く離れた上田城で戦っているわけで、
> 実際も関ケ原の結果を知るのはあんな感じだったと思いますし。
日本史上最大の決戦が、わずか50秒で終わってしまった為、
絶賛上映中の映画「超高速!参勤交代リターンズ」に掛けて、
ネット上では、『超高速関ヶ原』とか言われてるみたいですね(笑)。
でもまあ、本能寺の変で信長が死んだ時も、そんな感じでしたからねえ。
とは言え、やはり肩透かしを喰らった感が残るのも、また事実・・・・
関ヶ原って、本当に多くの人間ドラマが複雑に絡み合ってますし、
群像劇としてガッチリと、これ1本で作られた大河ドラマとかも見てみたいですけどね!
前半は1人1話で焦点を当てて、後半は彼らが入り乱れる展開なら行けるのではないかと?
> 「真田丸」にとって、大きな合戦といえば、2回の上田合戦と、あとは大坂の陣くらいしかないわけで、
> 本来ならば信繁にとっても大事な見せ場なわけです。
> それをあんなにしょぼい合戦として描かれると、信繁が戦上手ってのも嘘っぽく感じられてしまうでしょう。
どの辺だったかは忘れましたが、作中での加藤清正とのやりとりで、
信繁が「自分は戦さは・・・」みたいに発言する描写がありましたし、
そもそも史実的にも、活躍したのは大坂の陣だけで、戦上手のイメージも後世の補正が強いですからねえ。
逆に言うと、従来のステレオ・タイプ的な幸村像では、大坂の陣での活躍を描かない可能性も高そうですし、
それはそれで、三谷脚本がどう描くのかが楽しみではあります(笑)。
> ここからは三谷幸喜批判になってしまうのですが、
> 三谷作品は劇作家だけあって、合戦シーンを迫力あるものにするのは
> ちょっと苦手なのかなと。
> 密室での演劇スタイルは素晴らしいと思うのですが、合戦のカタルシスを出すことができないのは、
> 戦国モノを演出するにあたりちょっとどうかなと思ってしまいました。
そうですね、そうした大規模な演出は・・・ちょっと所か、大の苦手だと思います(笑)。
また、CG全盛である昨今の映画(特に米国や中国)の合戦シーンに見慣れてしまうと、
TVドラマのそれは、凄く物足りなくなる面はあると思います。
(見栄えを優先して、兵士たちを過密に置き過ぎ、リアリティーを失ってる作品も多いですが)
って、逆に言えば、だからこそ敢えて、最初から俯瞰的な合戦シーンを入れてない可能性も?
あと、これは卵が先か?鶏が先か?の話になりますけど、
前回の新選組!の時は「坂の上の雲」が、今回の真田丸では「精霊の守り人」が、
NHKのスペシャル・ドラマとして、大河以上の予算を掛けて制作されている事情から、
大河ドラマの予算が、例年以上に削られている事情があったりも・・・・
予算が少ないから三谷抜擢なのか? 三谷が低予算に合わせているのか? それは解りませんけど、
基本が舞台の延長であり、役者にもカネを使わない三谷作品は、NHK的には有り難いはずです(笑)。
> いや、別に金をかけて大規模な合戦にすればいいというわけではないんですよ。
> だけど、真田丸の合戦シーンは泥臭さが皆無で、まるで三谷作品でおなじみの密室劇がそのまま
> 外に出されただけのような感じがするわけですよ。
> 合戦はあくまで人と人との殺し合いですが、血なまぐささが感じられない。
う〜ん、今回の真田丸のような作風で、そうした血生臭さが必要かといと・・・私は正直いらないと思います。
いくら史実を題材にするからとは言っても、
ドキュメンタリーではなく、あくまでドラマとして描写する以上、
やはり、その作品ごとに応じて、適した世界観というモノがありますからねえ。
作風とは異質な描写を突然組み込んでも、単に作品を壊すだけで終わってしまいます。
例えば漫画で言うなら、ワンピースみたいな作品には、バトル・シーンに血生臭さは要らないですし、
逆にベルセルクとかだと、ほのぼのシーンとかは別に要らないみたいな感じです(笑)。
なので、あのような作品でそうした描写を入れる場合は、そこを作品の重大な転換点とすべく、
受けて側に敢えてショックを与える事を狙い、意図して衝撃的なシーンを入れる事となります。
それこそワンピースで言えば、50巻以上も回想以外で登場人物が死ぬシーンを一切描かず、
物語が折り返しを迎えた時に、主人公の兄が目の前で死ぬ描写を行ったのも、凄く計算された構成です。
こうした構成意図があるのであれば、作風とは異質なショックを与える演出手法も有りえるかと思います。
ただ、史実の人物である真田幸村の人生を見ると・・・その手法を用いる機会はきっと無いでしょうね。
ですので、クライマックスの大坂の陣に突入しても、そうした合戦の血生臭さは恐らく描かないと思います。
もしも行うのであれば、淀と秀頼、それに息子・大助の最期でしょうけど、
1年やってきて、最後の最後に惨いのは、インパクトは大でも、やはり後味が悪くなりますしねえ・・・・
それに、生活臭さえ上手く描けない三谷作品では、無理して組み込んだ所で、無残に終わる可能性が高いかと?
> 最後のクライマックスの大坂夏の陣では、しっかりと合戦シーンを描いてほしいものですが、
> どこまで期待できるやらです。
> 演劇スタイルの秀吉編が良かっただけに、尻すぼみにならないことを望みます。
そうですね。 ここまで、あれこれと言いましたけど、
やはりクライマックスとなる大坂の陣だけは、「画で魅せる」演出が所は欲しいですね!!
個人的に、戦国時代で最も好きな題材が大坂の陣って事もあるのですが、
何だかんだ言っても、そこが主人公である真田幸村にとっても、人生最大の見せ場ですし、
血生臭さは無くても、黒澤映画の「乱」のように、美しくて迫力のある合戦シーンは撮り得るはずなので。
ただ、10年ほど前に読んだ三谷のインタビュー記事を思い出すと、
「大坂城内の人間模様を描きたい」との事でしたので、どこまで期待できるかは不安ですが・・・・
でも逆に言うと、三谷本人が最も描きたかったパートが、これから登場する訳なので、
合戦部分の心配はありつつも、城内の演劇部分(シットコム)は更に面白くなるかも知れませんよ(笑)。
> 不屈の棋士、読み終わったんですね。千田翔太五段の話は特に面白かったですね。
そうですね、11人の棋士のインタビューの中でも、1人だけ異質な感じでした。
逆に言えば、だからこそ11人の中で、最も面白いインタビューだったと思います。
あと実を言うと、読む前に目次で11人の名前を見て、ピンと来なかった唯一の棋士でしたが、
読み始めると、去年のNHK杯テレビ将棋で「知らない若手が上がってきたな」と思ったのを思い出しました。
その若手こそが、この千田五段だったんですね。
> 「将棋ソフトが人間の棋力の向上に役立つかという命題について、
> 千田五段が5年以内にタイトルを奪取できればyes、そうでなければnoということができるのではないでしょうか。」
> と書きましたが、今のところやっぱり答えはnoだと思います。
NHK杯テレビ将棋では準優勝でしたけど、
一般棋戦ではなく、やはりタイトル戦じゃないとダメですか?(笑)
> 将棋の強さって、単純化してみると、コンピュータソフトのような「絶対的な正解」を出す能力と、
> 「相手に悪手を指させる」勝負強さの2つを掛け合わせたものだと思うんですよね。
> コンピュータソフトのような「絶対的な正解」を出す能力に長けているのが、豊島将之七段、千田五段あたりだと
> 思うのですが、それだけでは彼らはタイトルを一つも取れていない。
> 一方、不屈の棋士でも登場する山崎八段は「相手に悪手を指させる」勝負強さには長けているが、
> コンピュータソフトのような「絶対的な正解」を出す能力が多少劣るため、
> これまたタイトルを一つも取れていない。
> そして、「相手に悪手を指させる」勝負強さだけでは、コンピュータソフトには歯が立たないというのが、
> 山崎八段がソフトに完敗した今春の第1期電王戦だったと思います。
> 糸谷八段は、山崎八段と同じく対人間の勝負強さを持っていますが、ソフトと違って
> 名手も悪手も指すような波のある棋士なので、これまたソフトに勝つのは厳しいかもしれません。
う〜ん、私には棋力とか無いので、「不屈の棋士」を読んだままの印象になりますけど、
まず第一に、コンピューターの強さって、「絶対的な正解」を出す能力なんですかねえ?
どうも読んだ感じでは、読みの力はプロ棋士でも対抗できるレベルだが、
人間には必ずある凡ミスを、コンピューターは絶対しない事が、勝敗を分けてる感じを受けるのですが?
プログラムに穴があると、ソフトだってトンデモない凡ミスをしたりはしますが、
人間だって、王将ですら、二歩なんていう超凡ミスで負けたりしますからねえ(笑)。
そういう意味では、人間の凡ミスを極力排除する試みとして、
一昨年の大晦日に行われた「秒読み10分&継盤あり」の森下ルールによる特別対局は、
電王戦関連の全試合の中でも、個人的に最も面白かった一局でしたね(笑)。
電王戦前の印象的な煽りPVや、小田原城での本戦、そして最終戦後の記者会見と、前振りも存分でしたし、
ソフト相手であり、十分な時間があるからこそ出来る「自己解説」も、凄く新鮮で楽しいモノでした!!
もちろん、詰みの有無とかを調べる場合は、網羅的に全パターンを検索できるコンピューターに、
人間は太刀打ち出来ませんし、その場合には絶対的な正解を出してきますけども、
詰み判定を行うプログラムと、通常の将棋を指すプログラムって、別々に搭載されてますからねえ。
この辺を一緒くたにして見てしまうと、将棋AIというモノを見誤るような気がします。
そして第二に、「相手に悪手を指させる」というのは、
定跡から外れた力戦形の盤面にする事で、積極的に相手のミスを引き出す事だけでしょうか?
それとも、粘りに粘る事で、消極的に相手のミスを待ち続ける事も含むのでしょうか?
前者であるのなら確かに、人間相手の時よりも、ソフト相手の時の方が、分が悪いかも知れません。
見慣れた局面と、初めて見る局面とでは、人間の対応力は大きな差が出てくるでしょうけど、
機械同士の対局だと力勝負が多いイメージなので、これでは相手の土俵で相撲を取るようなものかと。
でも逆に言えば、コンピューターは力戦を鍛える上での、良いスパーリング・パートナーになる可能性も?
一方で、後者も含むのであれば、佐藤八段は「粘り」を武器に新名人の座を勝ち得た印象なので、
「相手に悪手を指させる」勝負強さで、タイトルを取った事になるのでは?
ちなみに、佐藤名人は「研究の中でソフトが占める割合は3割」と答えてますけど、
これは「将棋ソフトが人間の棋力の向上に役立つか?」という問いに、何らかの影響を与えますか?
あと、これは「相手のミス待ち」をするという思考が、組み込まれていないからですけど、
将棋ソフトと言うのは粘りが苦手で、劣勢に立たされると、無茶な手を連発して自滅する事が多いので、
アンチ・コンピューター戦略なのかも知れませんが、この辺を上手く突くのも手だとは思います。
> 2つの能力を十分に兼ね備えているのは、やはり羽生、渡辺の2人くらいしかいないような気がします。
> それだからこそ、彼らはタイトルを量産できているのでしょうな。
羽生三冠が、16名で争われる叡王戦の本戦トーナメントした為、
あと4回勝てば(決勝は3番勝負なので厳密には5勝ですが)、
「羽生vs.コンピューター」の対戦が実現する訳ですが・・・ぶっちゃけた話、見てみたいですか?
一般人の感覚からすれば、単純に「そりゃ見てみたい」となるでしょうけど、
将棋ファンからすれば、やはり、いろいろ複雑な思いがありそうな気がするので。
ちなみに私は、その勝敗よりも、対戦が実現する事に「歴史的意義がある」と考えているので、
断然「見てみたい派」・・・というか、より正確に言うと「実現して欲しい派」ですね。
そして本当に実現した場合には、ニコニコ動画だけでなく、是非ともNHKで放送してもらいたいと。
> そういう意味では、将棋って単純にコンピュータソフトが導き出す「絶対的な正解」だけを指せばいいものではなく、
> ポーカーのようないわば人と人との心理戦みたいな側面も大いにある。
> それだからこそ、人間同士の対局の棋譜を人を惹きつけるものがあり、
> 興行面で棋士がソフトに取って代られることはないと断言できるかと思います。
「興行面で棋士がソフトに取って代られることはない」と言うのは、まさにその通りだと思います。
実際、ソフト同士で行われる電王戦トーナメントが人気を博しているかとなると、そこまでじゃ無いですし、
もしこれで「勝てばプロ棋士と対戦」というボーナスが無ければ、更に関心は低くなると思います。
大部分の人にとっては、やはり機械同士の戦いを見ても、面白味に欠けますからねえ・・・・
しかし一方で、「人を惹きつける」要素が、人間同士の「対局」なのか?「対局の棋譜」なのか?となると、
残念ながら大部分のファンにとっては、恐らく前者なんだと、私は思いますよ。
私は将棋の事は解りませんけど、例えば野球観戦でも、配球まで楽しめるファンというのは実際は一握りです。
同じく将棋ファンであっても、棋譜の中身まで楽しめる層は、それと似たような感じなのでは無いでしょうか?
更にそこへ、コンピューターも棋譜を作れて、しかもプロ棋士よりも強いとなれば、
ファンが「棋譜」の中身を求める比重というのも、必然的に低下していくと思うんです。
悲しい事でしょうけど、興行的には、タイトル保持者やキャラ立ちした棋士に人気が集約して、
中身で勝負のいぶし銀タイプは、今後、更に苦しい立場に追いやられていく気がします・・・・
> 今まではなんとなくソフトは異星人みたいなものであり、それを迎え撃つ正義の側の将棋棋士という
> アングルがありましたが、プロ棋士を打ち破るソフトを開発し続けるソフト開発者というのも、
> もっともっと評価されてもいいのではないかと思います。
たぶん少数派だと思いますが、私の場合は棋士側より開発者側の視点で見てるので、
「この辺の見方は、かなり違っているんだろうなぁ?」とは感じます。
おもちゃ程度のモノではありますが、私もオセロや将棋の思考ルーチンは作った事があるので、
「異星人」と言われる程の、得体の知れないモノを見るような感覚を、味わえてないんですよね。
何だか、それはそれで凄く残念な感じがします・・・・
異星人と捉える感覚は、恐らく、未知な存在から与えられる恐怖心が元にあるのでしょうけど、
個人的には、未知な存在こそ好奇心の根源であるので、その感覚を得られたのが逆に羨ましいです。
> そもそも、将棋の世界のソフトは厳密な意味では人工知能によるものではないですし。
いわゆる「強いAI」も「弱いAI」も、どちらもAIであると私は考えてますけど、
強いAIこそが厳密な意味でのAIであって、弱いAIなどAIとしては認めないという事でしょうか?
まあ所詮は単語の定義の話ですから、どちらでも良いと言えば、どちらでも良いんですけどね(笑)。
> 囲碁の世界のAlphaGoは最先端の企業が金と人材を注ぎ込んで作り上げたものですが、
> 将棋の世界のソフトは、あくまで個人がその知能を駆使して作り上げた職人的なものなんですよね。
> そういう意味では、同じソフトでも、AlphaGoと将棋ソフトは
> いわば対極にあるといえるかもしれません。
> 将棋の世界ではそれほどうまみがないのかグーグルみたいな大企業が
> ソフト開発に参入してきていませんが、グーグル発の人工知能によるソフトと、
> 人間がその英知により開発したソフトとの対戦があると、
> 本当に人工知能が人間の知能を超えたかどうかわかるかもしれませんね。
大企業による物量勝負だった囲碁AIと、個人が職人的に作った将棋AIが、
対極にあると言うのは、確かにそうかも知れません。
ですが、Googleアルファ碁の開発チームと、将棋ソフトの開発者が、
違う事をやっているかと言えば、別にそういう訳ではありません。
前者は、より高性能なコンピューターを使い、より画期的なプログラムを作っただけで、
前者も後者も、やっている事自体はそんな違いは無いはずですよ。
例えば、アルファ碁で用いられてる、機械学習で評価関数を調整していくやり方なんて、
将棋ソフトに革命をもたらしたボナンザ・メソッドが、まさにこのやり方ですし、
そのボナンザ・メソッドも、大本はチェスAIの論文から始めってるはずですしね。
コンピューターの性能で劣る部分を、プログラムで対抗するのは職人的かも知れませんけど、
でも最終的には、評価関数の出来が良いか悪いかですからねえ。
そして結局、どちらが勝つかと言えば、どの分野でもそうですが、最後は性能よりも物量です。
ただ、Googleが凄かったのは、「DQN」という汎用性のあるAIを作った事ですね。
今までの将棋やチェスのAIって、古い例えで言えば、それ専用のゲーム・ウォッチでしたが、
GoogleはDQNというファミコン本体を作り、アルファ碁というのは1つのカセットに過ぎないと。
そして、Googleの目標としては、将来的に自動運転や医療診断などのカセットを作りたいだけで、
その性能をアピールできる舞台が他にあるなら、別に囲碁でなくても良かった訳です。
専用機であるチェスや将棋のAIは、効率的に評価関数の出来を高める為に、
人間たちが対局してきた数多くの棋譜を読み込ませて、機械学習を行ってますけど、
アルファ碁の方は、そうした過去の棋譜をほぼ読み込ませていないらしいんですよね。
まず最初に、人間の打つ普通の手を6割くらい再現できるソフトを作ったら、
あとはスパコンで力任せに対局数を重ねさせ、評価関数の精度を上げて一丁上がりって方法らしいです。
なので、もしもGoogleがスパコンを貸してくれるなら、将棋用のカセットも多分すぐに出来ると思います。
> 最近流行りの「居角左美濃」は、ソフト発祥の戦略だと言われておりますが、
> 千田五段が去年最初に実戦で投入し、今年になってA級順位戦でも登場するなど
> けっこう注目を浴びている戦法をいえるでしょう。
「不屈の棋士」の中でも、王将戦(渡辺×郷田)で指された新手が、
電王戦対策でツツカナと練習対局していた時に、
森下九段が見つけたモノだったというエピソードが載ってましたね。
ソフト発祥だろうが、棋士発祥だろうが、結局は実戦で使えるか否かって事ですよね?
> 小説を創り出すソフトも世の中にはあるそうですから、特許出願の書類を
> 自動で作るソフトが開発されてもおかしくはないでしょう。
> 今まではそこまではコンピュータもすることができないと思っていましたが、
> 将棋の世界でソフトが新手を生み出すのを目の当たりにして、認識をちょっと改めなければと思いました。
結局、「知能とは何か?」という問いを、簡単に答えてしまうと、
「情報を取得し、分析し、活用する」って事ですからねえ。
作業の行動的に言い換えれば、情報を「集めて、分けて、選ぶ」という事です。
将棋や囲碁などのゲームは、明確で簡潔なルールが存在する為、
この作業の方法を見つけるのは、書類や小説を書く事よりは容易だったと思います。
一昔前、人工無能と呼ばれるチャット用の会話ボットが流行ってた頃だと、
これら3つの作業は、かなりの部分を人の手で担って行っていたのですが、
現在のように、ネット上から膨大なビッグ・データを集めて、
分ける作業も、選ぶ作業も、コンピューターが自己学習して行えるようになると、
今後は、それこそ飛躍的なスピードで、人工知能が幅を利かせてくると思いますよ。
あとは人脳と電脳とを、如何にリンクさせて行くかが大きな課題になるかと?
ですから本当、現在行われているパラリンピックとかも、
もう少し時代が進めば、その最先端の場となる可能性は十分にあると思ってます。
健常者は、特に大人になるほど、「五感」というモノを分けて考えがちになりますけど、
感覚として脳で処理される時には、情報として変わりが無く、分類もし難いモノですし、
それを現実に体感している人こそ、障害者であり、乳幼児なんですよね・・・・
目が見えない人は、耳で見るので、健常者ほど前後の差が生じませんし、
乳幼児は五感という先入観に捉われないから、何でも触るし、何でも口に入れる。
まあ健常者にしても、例えば食べ物を味わう際に働く感覚は、
甘味や酸味などは味覚ですけど、辛味や食感は触覚ですし、嗅覚・視覚・聴覚も影響を及ぼします。
また、数字は基本的に視覚から得られる画像情報ですけど、別に脳内ではそう処理されてませんし、
五感が働いていなくてもリアルな夢を見ますし、筋電義手を動かす際は感覚の再配置が行われます。
身体拡張や電脳接続には、新たな感覚の取得が必要だとすると、この分野はまさに最前線なんですよ!!
・・・と、この辺の話は恐らく興味ないでしょうから、ここらで切り上げておきますね(笑)。
とりあえず、「不屈の棋士」を読んだ事で、年に1〜2度ほど来る「読書モード」のスイッチが入り、
Kawaii文化の話とかもあったので、ジャンルごちゃ混ぜにいろんな本を、また読み出しました。
渋谷や原宿のガールズ・ファッションなんて、今回の事が無ければ調べる機会など無かったかと(笑)。
リオ五輪が終わり、プロ野球のプレーオフまで、ちょうど1ヶ月くらいありますしね。
(いつもだと読書モードは3〜4週間ほど続き、大体の本はこの期間に纏め読みしてます)
一応、その間にもサッカーのU-16アジア選手権がありますが、そこまで時間は割かれないでしょうし。
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