| > > 将棋界では毎年新手や新定石を考えた人に升田賞が与えられますが、
> > そろそろ「コンピュータソフト」が升田賞を受賞してもおかしくないかもしれないという状況です。
> > これは、ソフトは新手を考え出すことができないといわれた数年前からすると、
> > 考えられないことかもしれません。
> > もしソフトが今までにない概念を発明できるとすれば、
> > これは将棋界だけではなく、一般社会にも適用できるのかもしれません。
今回、AIと将棋について雑談したのを機に、録画したまま未見だった
5月放送のNHKスペシャル「羽生善治、人工知能を探る」を、ようやく見ました。
50分という短い番組で、AIの予備知識に乏しい視聴者にも解り易いよう、よく纏まってたと思いますが、
個人的には、羽生さんの英会話と拙いナレーションの方が、内容以上に残ってしまい・・・・(苦笑)
https://www.youtube.com/watch?v=qyggJZH65vY
まあ番組内容の方では、本題である情報処理の面よりも、情報収集の面が印象的でした。
シンガポールや中国の実例は、何だか恐ろしい監視社会の未来予想図を見せられた気分です。
って、この前も書きましたけど、ポケモンGOやペッパーなども、そうした危険性を内在してるんですよね?
そもそも現代社会においても、ネット検索とか電子マネーとか、個人情報を垂れ流し状態でしょうし。
・・・と、このまま今後のビッグ・データについてを、話題にするのも面白そうではありますが、
とりあえず人工知能の話に戻しますと、将棋界ではまさに現在進行形で起こっている事である
「人工知能(AI)の情報を、人間の知能(HI)がどう活用するか?」というのが、今後の課題だと思われます。
そこで今回は、人間の知能の「公式化」にチャレンジしてみる事にしました!!
やはり数値化や公式化した方が、物事は理解しやすい・・・って、それは理系人間の考え方か?(笑)
まあともかく、まず最初に、従来の知能と言うのは、次のような公式で表せると私は考えています。
『知能=(経験+知識)×知恵』
「経験」とは、自分自身が体験した事により得た情報であり、
「知識」とは、他人が体験した事を、伝聞や書物として情報とします。
要するに、直接的に得たのが経験で、間接的に得たのが知識って事ですね。
そして、場面に応じて情報を活用する応用力こそが「知恵」であり、
「地頭が良い」というのは、この知恵の部分が秀でてる事なんだと思います。
ただ、余程センスに優れていたり、驚異的なシミュレート能力を持っていない限り、
やはり場数を重ねる事でしか、この知恵というのも磨けないと思いますし、
だからこそ、知識だけの人間というのも実際にはダメなもので、
実体験を通じて、経験を得て、知恵を磨く事が重要になってくるんでしょうね。
しかし一方で、実体験と言うのは、下手にその2つを獲得できるだけに、
それで知能を完結させてしまうのは不十分で(実際に体験できる事なんて高が知れてますし)、
ビスマルクは「愚者は経験だけに学び、賢者は歴史にも学ぶ」なんて言葉を残してますけど、
歴史と言うのは、他者の経験の膨大な集積物(知識)であり、それを利用しない手は無いと。
続いて、人間が情報をどのように処理しているのかと言うと、次のような感じだと思います。
情報処理の3ステップ『収集→整理→選択』
例えばカード・ゲームの場合なら、手札としてカードの枚数を増やすのが収集、
扱い易いよう並べ替えるのが整理、状況に応じて適切に手札を切るのが選択ですね。
上記の公式で言うと、知識や経験は「収集」、知恵は「選択」にあたります。
そして「整理」に関しては、人が記憶上で扱える情報量は限度があるので、
あまり意識される事はなく、収集や選択の部分に内包されていたように思います。
記憶を本棚に見立てれば、図書館ほど蔵書数があれば、キチンと整理が必要ですけど、
自宅の本棚なら基本的に、そこまでキッチリ整理しなくても大体解りますからねえ。
そして現在、「AI」や「ビッグ・データ」など、
コンピューターの急速な台頭により、人間の知能の公式はどうなったのか?
経験や知識に、新たに「AI」が加わった訳ですが、それを単純に足せば良いのか?
『知能=(経験+知識+AI)×知恵』
もしも、この公式が成り立つようでしたら、話はそんなに難しくならなかったと思いますが、
将棋の実例を見ても解る通り、実際はそう単純には済みませんでした。
それは何故かと言えば、「AI」で得られた情報を、従来の「知恵」では処理できないからでしょうね。
やはり人間とコンピューターとでは、物事の考え方がまるで異なりますから。
逆説的に言えば、他人の経験である「知識」は、疑似体験化の処理を経る事で、
「経験」と同じような感じに知恵の処理が行えたと。
再び将棋で言うなら、対局が経験、棋譜並べが知識、ソフト使用がAIでしょうか?
AIの手筋があまりに人間の手筋と異なる場合、やはり従来の知恵では情報の処理が困難でしょうし、
どんなに過去の名局を並べても、疑似体験化の処理を行えるほどの棋力が無ければ、効果は薄いと。
まあ、それを言うと、どれほど多くの実戦を積んだ所で、そこから学ぶ姿勢が無ければ、
経験という情報の収集蓄積も出来なければ、知恵という情報の選択精度も磨けないんですけどね。
ですから、AIを有効活用する「新たな知恵」を見つけられた場合には、
『知能=(経験+知識)×知恵+AI×新たな知恵』
という公式も成り立つのでしょうけど、現状ではそれを見つけられていない以上、
『知能=(経験+知識)×知恵+AI』
となりますし、従来の人間の知能「(経験+知識)×知恵」と、人工知能「AI」とは、
同じ土俵上で、どちらが良いかを判断したり、両方の良い所取りをするのは困難でしょうから、
結果的には、人間の意見か? コンピューターの意見か? どちらかを選択する事になります。
これを公式っぽく表すと、こんな感じでしょうか。
『知能=A%{(経験+知識)×知恵}+B%{AI}』 ※ A%とB%の合計は100% ※
でもまあ本来なら、このA%やB%の割合を決めるのも「知恵」であり、
そもそも、そこを正確に計れるなら、AIを有効活用する「新たな知恵」があるでしょうから、
ここはもう、思想・信念や考え方の割合になっちゃってるのが現状でしょうね。
AIの意見を参考にしつつ指す「アドバンスド将棋(電王戦風に言えばタッグマッチ)」にしても、
恐らくはそんな感じで、Aが100%なら従来のままの指し方で、Bが100%なら完全なソフト打ちになると。
そして現在は、多くの場合、Bの割合が高くなるほど、勝率も高くなるのが実情でしょうから、
目先の勝利だけに拘れば、ソフトの指し手を覚えるのに労力を割く方が効率的であり、
逆説的に言うと、Aの割合が低くなれば、従来の知能を鍛える方に労力を割くのは非効率的となる為、
結果として、地力が落ちてしまうor伸びない事に対する恐怖が付きまとう訳ですね。
(しかし一方では、ソフトで事前学習できる事で、怖い局面でも恐れずに踏み込める利点はありますが)
って、そんな現時点の状況を公式化するだけでは、やはり面白味に欠けるので、
このコンピューターという新たな存在を、如何に有効活用するかの公式を、次に考えてみる事とします。
現状ですと、AIを完全に拒否するか、AIに丸投げするかの、どちらか一方に振り切らない限りは、
A%とB%の割合を決めるのが困難である為、結局はそこで振り回されて苦労してしまいます・・・・
ですから、コンピューターからの情報というのを、人間に使えるよう最適化する方法が求められるでしょうし、
そこで注目すべきなのが、AIと並ぶコンピューターもう1つの武器「ビッグ・データ」だと思います。
アルファ碁や、近年の将棋ソフトを見ても、AI進化の機械学習にビッグ・データが欠かせませんけども、
何もビッグ・データは、AIだけが利用できるモノではなく、コンピューターと通して人間も活用が可能です。
こちらの方は、AIよりも一足先に、現在の人間社会にも大きな影響を与える存在になってますよね?
インターネットを通じて、大量の情報の容易に得られる様は、まさに大きな革命をもたらしました。
その一方で、「ggrks(ググレカス)」などというネット・スラングが普及している割には、
同じネット検索を利用しているはずなのに、導き出された答えのレベルが、あまりに違う事が多々あります。
始めから結論ありきや、自分に都合の良い情報に流されたりとかは、そもそも論外として、
これって結局、あまりに過多な情報量を持て余したり、玉石混交な情報の選別できないからなんですよね。
ですが、物事の調べ方を身に付けた上で、後からネットが普及した私たちのような世代からすれば、
ネットの登場というのは本当に革命的な出来事でしたし、
そもそも調べ方を知らないと、基本的に、大量の情報なんて得られませんでしたからねえ。
だから逆に言うと、ネット・ネイティブ世代というのは、
調べ方を身に付けない内から、容易に大量な情報を得られる環境にある為、
却って誤った情報に躍らされやすい反面で、その環境を乗りこなす層は非ネイティブ世代の上を行きそう?
要するに、学術的によ、感覚的にせよ、ネット時代の統計学をうまく身に付けた人間が強くなりそうかと。
ここで改めて、情報処理の「収集→整理→選択」を、コンピューターに合わせて見てみると、
ビッグ・データが担っているのが「収集」で、AIが担っているのが「選択」ですね。
そして、ここまで情報量が増えてしまうと、「整理」の重要性というのも今まで以上に際立ってきますし、
この整理という分野は、コンピューターが最も得意な(人間と最も差のある)部分だと思います。
だからこそ人間社会は既に、それをデータ・ベースとして有効に活用してますよね?
ですから、この部分が結構、今後のキーになってくるのかも知れません。
それにそもそも「整理」というのは、順序的には「整理→選択」の順ではありますけど、
「では、どのように整理するか?」と問われれば、それは後の選択を考慮してでの整理となる訳で、
つまりは「収集→(選択考慮)→整理→選択」というステップを経ている訳です。
記憶の本棚という例えを引き続き用いるなら、分野別か? 著者別か? 出版社別か? サイズ別か?
どのように書籍を整理して並べるかは、その後の選択(使い方)を想定した上で整理が行われるという事ですね。
で、こうした大量のデータの記録整理という作業は、既に日常でも行われています。
簡単な例で言いますと、一昔前なら電話番号は一生懸命に記憶するモノでしたけど、
これだけメモリーの技術が進んでしまうと、どこにあるか調べ方を記憶するだけで、
実際のデータの方は、記憶を外部委託するかのように、機会への記録に任せてしまっています。
それだけでなく、これだけ携帯電話やPCなどの性能が進化した事で、
自分では覚えていないような行動まで記録として残されたり、写真や動画なども手軽で大量に残されます。
そして、そうした機械に記録した情報を、まるで記憶する脳を外部拡張したかのように使いこなしていると。
つまりこれは、コンピューターを使用する事によって「経験の拡張」が起きたのと同義であり、
もちろん、それは他の人々にも同様に経験の拡張が起きている訳ですから、
「知識の拡張」の方は、経験のそれ以上に拡大を果たしてますし、人類はそれに適応しつつあります。
要するに、情報の収集や整理の段階までは、脳とコンピューターの相互作用が部分的に始まっている訳です。
ですから今後の進展次第では、AIは抜きにしても、次のような公式が成り立つようになるかも知れません。
『知能=(経験[従来&データ]+知識[従来&データ])×統計時代の知恵』
更には、第三者の意見と、AIの意見が、顔さえ見えなければ区別できないレベルになれば、
「知識」の部分に、多少なりともAIが加わるかも知れませんし、
そうなってくると、一緒くたに「知恵」として扱っていた部分も、
同じ土俵上で扱えるようにした上で、経験用と知識用に分けて最適化した方が、より良くなるかも?
もちろん、可能なようであれば、そうして最適化した知恵に、
それ用にカスタマイズしたAIも、参考程度にでも利用できれば理想でしょうけどね。
(AIを最大限には活用できませんが、人間が扱える範囲でのAIも可能性は有り得るはずです)
『知能=(経験[従来&データ]×最適化した知恵K)+(知識[従来&データ&AI]×最適化した知恵C)』
ただ正直な所、人間の脳がそのままであれば、ここが限界だと思います。
ですが一方で、このまま技術の進歩が続けば、そう遠くない未来に、
人類はコンピューターとの深化を進めるべく、「脳の最適化」を始めると思うんです。
前回した「五感がどうの」とか「新たな感覚がこうの」という話題は、
もちろんバーチャル・リアリティーが主題ですけど、実はここにも繋がる話でした。
要するに、機械とのリンクを飛躍的に高めるため、脳を人為的に弄るって事ですね。
この変化が人類史にとって、産業革命は勿論、文字の発明や、火の使用よりも、
更に大きな衝撃であるのは、これが「進化」であり、しかも人類の手により自ら行われるからです。
そこまで行けば恐らく、最初に提示したAI込みにシンプルな公式まで行けるんじゃないでしょうか?
『知能=(経験+知識+AI)×人工進化した脳の知恵』
とは言え、この方向に技術革新が進むと、自己の記憶だの、他者の記憶だの、AIの記憶だの、
そうした壁のようなモノが希薄になってしまい、全てはクラウド上で渾然一体としてしまうのかも?
そこまで行ってしまった場合には、『そもそも知能って何だ』って所まで行き着くかも知れませんね。
って、何だか最後は、ホラーみたいな話で終わってしまいました・・・・
いや、それ以前に、私としても、今回の雑談でモヤモヤと脳内に湧き出したモノを、
とにかく吐き出して処理してしまおうと、あまり深く考えをまとめず、思いつくがままに書いたので、
そもそも何の話をしているのかすら、まともに伝わっていない可能性も高そうですけどね。
その場合は「何か訳解らん事言ってるなぁ」と、気持ち悪がらずにスルーしてください(笑)。
まあ結局は、現状ですとAIを有効活用(使われるのではなく、使うという事)には、
情報の収集&整理の場面で利用したり、人間の思考方法に合うようマイナー・チェンジ化させたり、
そういった方向でしょうね、というだけの話です。
> 個人的には、来月のリオ・パラリンピックの開閉会式も、地味に楽しみにしています。
リオ五輪&パラでの東京の引継ぎ式は、
まずは最初に渋谷のスクランブル交差点から始まり、
最後は渋谷系バンドのピチカート・ファイヴの曲で閉めるという
気がつけば、何だか妙に「渋谷」色の強い構成に・・・・
「椎名林檎は以前、新宿系を自称していたはずでは?」とか思いましたけど(笑)、
考えてみれば、中田ヤスタカがその系統でしたね(きゃりーのプロデュースもしてますし)。
それにしても今回、Kawaii文化の話から渋谷・原宿のガールズ文化とかも調べた事もあり、
改めて「渋谷」という街とその歴史を考えてみましたけど、やはり面白い街ですよね!?
そして気付かされたのは、表面的には対極にある気がしていた渋谷と秋葉原に、
内部的にはかなり似通った部分があるという事ですね。
海外では、渋谷系のKawaiiも、アキバ系のKawaiiも、一緒くたに愛好されてる話を以前しましたが、
それは単に情報量の少なさと言うより、固定観念の少なさに所以があったのかも?と思わされました。
> 「不屈の棋士」を読み終わりました。
> 教えていただき、ありがとうございます。 良い本でした。
お返しと言っては何ですが、最後に、
今回読んだ本の中で最も面白かった1冊を紹介しておきます。
『五色の虹 満州建国大学 卒業生たちの戦後(集英社)』
https://www.amazon.co.jp/dp/4087815978
戦前の日本の傀儡国家であり、多民族国家でもあった
満州国の最高学府「建国大学」の出身者たちの その後を追ったドキュメント・ルポです。
ほのぼのさんなら、歴史として知ってる事も多いかも知れませんけど、
一般レベルの知識で読むと、まさに驚きの事実の連続だと思いますので、
「近現代史はあまり詳しくないけど」という方にこそ、是非ともオススメの1冊です!!
また、歴史に詳しい方にも、このルポ自体が凄い力作ですので、もちろんオススメです。
いや本当、私がここ2〜3年で読んだ本の中では、恐らくナンバー1の作品だったと思います。
・・・って、それにしても、風が吹けば桶屋が儲かるみたいなモノで、
東京五輪や渋谷から この本にまで至った経緯なんて、説明なしだと意味不明ですよね。
その途中で、池上彰の資本論講座とか、築地市場移転の一件とか、いろいろ挟まってますし(笑)。
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