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[20421] 脳とコンピューター&渋谷と秋葉原(超長文 その2)返信 削除
2016/10/14 (金) 19:43:04 徳翁導誉

※ 長文すぎて容量オーバーになった為、2分割で送信(笑) ※

▼ 直感と大局観
> 非売品の某新聞に羽生三冠のインタビューがあったので中身をちょっと紹介。
> > > 局面の先を深く読んでいくときに、たくさん読むよりも自分にとって一番良くなる局面を考えたり、
> > > 相手に差された時に一番悪くなる局面を考えて行けばたくさん考えなくて済むのです。

この考え方は、従来の検索プログラムでも使われてる「ミニマックス法」と同じですね。
で、将棋ソフトが、この良い・悪いを判断している部分こそ「評価関数」であると。
単純に検索力(計算力)だけで言えば、人間がコンピューターと勝負するなんて無理ですけど、
今までは評価関数の精度の部分で、人間はソフトを相手にしても勝負ができた訳です。

> > > 「大局観」とか「直感力」が人間の専売特許で機械には全くできない、
> > > ということは幻想になってきているのかなと思っています。

いや本当、アルファ碁の見せた「大局観」には、本当に驚愕させられましたからねえ!!
将棋にしても、囲碁にしても、ゲーム展開としては「序盤・中盤・終盤」とあって、
手の絞られる終盤は、計算力がモノを言うので、ここでの勝負はコンピューターに勝てないけども、
手が多すぎる序盤は、計算力では対処できないので、大局観や直観力に優れた人間側に有利だと、
今まではそう認識されていましたし、実際にソフトの凡ミスも終盤より序盤の方がが多かったと思います。
電王戦でも、棋士側が勝利する展開って、序盤で大きくリードして逃げ切るパターンがほとんどでしたしね。
要するに、評価関数の影響力が小さくなるほど機械が強く、逆にそれが大きくなるほど人間が強いと。
ただ、こうしてアルファ碁に、序盤の展開力で上回われた事実を経験すると、そのような認識は塗り替えられ、
そもそも「大局観や直感力とは何か?」という根本すら、真摯に考えてこなかった事に気付かされます。

基本的に、経験と才能によって築かれる「人間の判断力」というのは、
ソフトでいう所の「評価関数」に近いと思いますし、
序盤みたいに可能性ある手の数が多過ぎて、漠然としかイメージできない場面での
人間の評価関数こそが、言うなれば「大局観」なんだと思います。
そして、検索すべき手の数が多くなり、計算力でカバーできる範囲を超えると、
この評価関数の部分で、まだ人間は上回れると見られていました(少なくとも現時点では)。
だからこそ、その差が最も顕著に現れる大局観は、人間側が圧倒的だという認識だったのに、
しかし、そんな今までの見通しすら、アルファ碁は簡単に打ち破ってしまったと!!
人間の頭脳が、アナログ的なイメージ処理で得ていた大局観を、
まさか人工知能が、Googleの画像検索技術を応用してデジタル的なイメージ処理に獲得し、
ミクロな計算力とマクロな大局観との双方でコンピュータに上回れるなんて、本当に衝撃的でしたよ。
しかも両端を押さえられた事で、「人間が勝るのはこの範囲内」と、明示されてしまった訳で、
今後の技術発展を考えれば、その範囲は年々狭まり、遂には消滅する事も示されたようなものなので・・・・

また、それと同時に、囲碁や将棋というゲーム性の面からしても、
このアルファ碁が見せた実力により、可能性があり過ぎる序盤(特に囲碁)は、
難し過ぎて人間の頭脳では持て余してる事実を、突きつけられてしまった気分でもあります(泣)。
人々は長い時間を掛け、将棋は「9×9」、囲碁は「19×19」が最適と辿り着いたはずだったんですがね。

> AIが直観力を持つというのは、とんでもなくすごいことかと思っています。
> 「直感」とは、「論理」からは直接導き出すことができないものかと思います。
>   (中略)
> 今思い出してみても、あのときの直感は論理的には導き出せないもので、
> それこそ「いきなり閃いた」というのが正直なところです。
> 羽生三冠のような超一流の棋士はこの直観力も優れていると思いますが、
> AIが直観力を持つというのは、大きなブレークスルーのような気がします。

う〜ん、これは「大局観や直感力とは何か?」という問いの答えが、
ほのぼのさんと私とでは、似ているようで、ちょっと違うのかも?
ほのぼのさん的には、「直感は論理的には導き出せない」との事ですけど、
私的には、「直感とは、経験則から論理的な結論を除いたモノ」という感じですね。
解り易く言うと、論理的に整理できた経験則は「これこれ、こうだよ」と自信を持って答えられますが、
論理的に整理できなかった経験則は「何となく、こうだと思うよ」としか、裏打ちが無いので言えない。
しかし、漠然としたイメージでしかなくても、役立つ場合はあるし、経験を積み重ねた人だと凄い事もある。
整理は上手でも選択が下手な人はいますし、逆に、整理は下手でも選択が上手な人はいますからねえ。
で、論理的に整理できてない為、自分でも説明はできないけども、
確実に存在している経験則に、与えられた用語こそが「直感」なんだと思います。

ですから、「直感は論理的に導き出せない」事には同意するものの、それは当然の事とも言えます。
論理性を除いて残ったモノ、論理的には説明できない経験則が、直感の正体だと私は考えていますし、
また、自分では無意識に経験則を用いてるけど、本人がそれに気付いていない場合も、これに含まれるかと?
まあ私の場合、多くの人が無意識に判断している「好き/嫌い」という感性の部分でさえ、
そこには経験則なり身体的反応なりに由来する何らかの原因・理由が必ずあると、信じていますからねえ。
当人が意識するかは別として、「何となく」の奥底には、必ず「何か」が潜んでいるはずなんです!!

▼ 自作ゲームと当サイト
> いきなり話が脱線してしまうのですが、WW2onlineで私は奇襲攻撃を得意としていましたが(ヲイヲイ)、
> 全くの不意打ちの奇襲を掛けられたことが1回あるんですね。
> 世界戦場版No.8のソ連でプレイしていたときに、2006/3/27の深夜に複数の国から奇襲攻撃を掛けられるのですが、
> どの国からもソ連に奇襲がかけられるという情報を教えてもらっていないにもかかわらず、
> 奇襲攻撃の1時間前くらいに「ああ、複数の国から奇襲攻撃を掛けられそうだな」という直感がありました。
> この直感があったため、奇襲攻撃をけん制すべく、2006/3/27(月) 23:20:26にソ連は公式発言で防衛大綱を発表することになります。
> もっとも、あの段階では奇襲攻撃を予見しても盤面をひっくり返すことはできませんでしたが。

何かこうして、10年も前に遊んだゲームの事を覚えていて、細かく振り返ってもらえると、
「ゲームを作って良かったな」とか、「過去ログを保存しておいて良かったな」とか思わされます。
こういうのを、開発者冥利に尽きると言うのかも知れませんね(笑)。
あの2度の優勝者大会のログ↓を残せた事は、このサイトが存在した意義にも繋がってる気がしますし。
 ・第1回 優勝者大会 http://www.geocities.jp/rikken_teisei/ww2_session/ww2_22.html
 ・第2回 優勝者大会 http://www.geocities.jp/rikken_teisei/ww2_session/ww2_32.html

まあ元々は、お遊び作ったJavaScriptゲーム「信玄の野望」を、ネット上の歴史ゲーム仲間にメールで配った所、
「メールだとバグる」と言われ、ブラウザ上で遊べるようにネット公開した所から始まった、このサイト。
配信目的だった当初は、3ヶ月限定の予定(当時のサーバー規則だと3ヶ月未更新で削除)だったものが、
存続の要望を結構いただき、ブラウザゲームがホームページへと拡張され、だらだら続いて16年。
実を言えば、「信玄の野望」というサイト名も、当初は単にゲーム名に過ぎなかった為、
どうせホームページとして継続させるなら、ハンドル名である「徳翁導誉(佐々木道誉の法名)」が示すように、
私が好きな「南北朝時代の歴史サイト」に移行させるつもりが・・・どうして今みたいになったんでしょ?(苦笑)
って、真剣に作ると出来に満足できずに公開まで至らず、お遊びで気軽に作った作品ばかり溢れたのが真相ですね。

▼ 渋谷と秋葉原の変遷
> > 改めて「渋谷」という街とその歴史を考えてみましたけど、やはり面白い街ですよね!?
> > そして気付かされたのは、表面的には対極にある気がしていた渋谷と秋葉原に、
> > 内部的にはかなり似通った部分があるという事ですね。

> たしかに渋谷と秋葉原の街の歴史を追っていくといろいろ深いものがありますね。
> なんとなく、渋谷は「計画的に作られた街」であるのに対し、原宿や秋葉原は「自発的に変化していく街」のような気がします。
> 生態的としては、後者のほうが生存に適しているのですが、街の魅力としても原宿や秋葉原の方が多様性があって好きですね。

いやいや、渋谷は「計画的に作られた街」では全然ありませんよ!?
まあ、日本の都市計画に関しては、詳しく後述するとして、
渋谷という街は文字通り「谷地」にあるので、そもそも街をつくるには適していない場所なんです。
すり鉢状の谷地ですから、谷底の平地は水捌けが悪く、四方八方に通じる道は坂道ですからねえ。
で、そんな渋谷に先ずは東急が、続いて西武が進出する訳ですけど、
横に広い巨大な建物は無理なので、坂道にポンポンと飛び地的に店舗が作られていきますし、
また、そんな立地ですから、小さくて賃料の安い店舗が多くでき、ビルも雑居化していきます。
東急の109にしても、西武のPARCOにしても、様々なテナントが入ったオシャレな雑居ビルです(笑)。
小さな店舗が沢山あるからこそ、個性的な店も増えて、それが街の特徴となった訳ですね。

で、こうしてニッチな需要を満たす店が多くある街には、やはり個性が出てきます。
ある特定の客層が街に集まれば、その層向けの店が更に増え、それに合わせて客もまた増える為、
行政や大資本による上からの街作りではなく、店と客による自発的な街作りが行われます。
江戸時代に、伊賀衆が住んでいた原宿や、鉄砲組が住んでいた大久保では、その頃の狭い区割り残った為、
原宿は尖った若者の街となり、大久保はアジア系の外国人街へと変貌しましたし、
それは戦後にラジオ露天商が移されてできた秋葉原という街にも、同じ事が言えると思います。
だから前回、「渋谷と秋葉原は、内部的にはなり似通っている」と言ったのも、
好みの方向性が異なると言うだけで、渋谷も秋葉原もニッチな客層向けの街だという事です。

そもそも秋葉原も、十数年前はまだ家電の街で、今のようなサブカル系オタクの街ではなく、
(とは言え、既に無線マニア・PCマニア・機械マニアの街ではもあったので、その下地はありました)
オタク趣味の人たちは、書籍関連は神保町、ソフト関連は秋葉原、グッズ関連は点在する各店舗へと、
秋葉原にそれらが集結する前は、いろいろ東京各地を巡っていた訳ですが、
意外かも知れませんけど、点在するグッズ店舗が多い場所の1つが渋谷だったんです。
何故かと言えば、渋谷が「小さくて賃料の安いニッチな需要を満たす店」が出せる街だったからですね。
つまり、今のように客層の明確な棲み分けが起こる前までは、ひっそりと共存していた訳です。
それが90年代後半に入ると、バブル景気の崩壊や、郊外に大型家電店が次々と誕生した事で、
最盛期には国内需要の1割を担っていた秋葉原の家電市場は、急速な衰退を見せ、
その為の生き残り策として、ゲームやPCなど、大型店でも取り扱いが少ない分野に特化し始めます。
そして、そんなゲームやPCの愛好層を追うかのように、まずはマンガ専門店が秋葉原に集まり出し、
続いてエヴァ・ブームなどもあって、グッズ関連も秋葉原に移転したり、新たに誕生したりしました。
こうして秋葉原は、実に短期間の内に「サブカル系オタクの街」へと変貌を遂げる訳ですね。
で、電車男のTVドラマ化により、そんな秋葉原の実態が世間的にも認知される事になると。

とは言え一方で、近年は行政や大資本による上からの街作りが起きているのも事実ですよね。
実際、渋谷の再開発とか、本当に凄い事になってますし・・・・
そういう意味では、渋谷が「計画的に作られた街」というのも、あながち間違いとは思いませんが、
ただ、それを言うと、渋谷だけでなく秋葉原でも、同様の事が起こっているんですよね。
一昔前まで家電の街だった秋葉原は、パソコンの街や、オタクの街を経て、
今やオフィス街&外国人の観光地へと、街の姿を変貌しつつあります。
おかげで家電やパソコンの街だった頃には、ほとんど存在しなかった飲食店が急増しましたけど、
いや本当、秋葉原の駅前にバスケやスケボーを興じる広場があった頃の風景↓は、今や昔です(笑)。
http://4.bp.blogspot.com/_qTXvowecccE/TT60qQ6MwcI/AAAAAAAAEHA/1dWr1Xzt9Fo/s1600/34961.jpg
広場があった場所には今、下層階に多くの飲食店が入った小綺麗なオフィス・ビルが建ってます。
たった十数年の間に、秋葉原の街はめまぐるしく その概観を変え、
そして今、世間一般のイメージとは違って、何処にでもあるような普通の街になろうとしています。
余程の高い理念を持たない限り、行政や大資本が介入し出せば、どうしてもそうなりますよね。
手堅く目先の利益を追うなら、無難な成功例を真似るのが一番ですから。

それは再開発が進む渋谷でも同じ事で、一昔前まで「若者の街」の代名詞であった渋谷に、
オフィスビルや、オトナ向けの商業施設が次々と建ち、そして今では外国人向けの観光地となりました。
少子化・高齢化・国際化・安易な商業化という、これからの日本の縮図を、
何だか、真っ先に見せられてる感じもします(さすがは流行に敏感な最先端の街・苦笑)。
すり鉢状の谷底にある渋谷駅を中心に、放射状に坂道を登って広がる街だからこそ、
奥行き感があって立体的に街が広がり、迷路のような小道には個性的なショップが沢山あり、
そしてまた、重力に従うかのように、街へ広がった人々が渋谷駅へと押し寄せていく街。
だからこそ渋谷のスクランブル交差点は、観光地になるほど人で溢れる訳ですし、
ロンドンのトラファルガー広場・パリのコンコルド広場・ローマの広場など、
欧米の都市みたいに、人々が集える「広場」が存在しない東京では、
このスクランブル交差点こそが、東京における広場の代替でもあるんですよね。
ハロウィンやサッカーW杯などの時に、人々が渋谷に集まるのは、
あのスクランブル交差点が、大都市・東京における広場だからなんです。
(皇居前広場・神宮外苑・その他の大きな公園などを活用できれば、東京もまた変わるのですが)

正直な所、そういう渋谷の空気感が、私はあまり好きではありませんし、
昭和末期に西武が作った「セゾン文化」の感じも、正直好みではありませんでした。
しかしこうして、「若者の街」としての活気が徐々に失われつつあり、
西武が作った文化の香りも消え失せようとしている現状には、やはり寂しさが伴います・・・・
今やセゾン文化など、残骸程度にしか残っていないと思ってましたが、
これは渋谷ではないものの、大宮では入居ビル建て替えでロフトが退去させられ、代わりに入ったのが、
よしもと劇場・ブックオフ・パチンコ屋・ドンキホーテ・ガスト・ダイソーですからねえ(泣)。
いや別に、それぞれの店舗が嫌な訳じゃ無いですけど、街からは文化の香りが消えた感じはあります。
ロフトの最上階にあった本屋など、かなり品揃えが良くてセンスもあったんですけどね・・・・
ブックオフにしても、移転前の店舗は場所は解り難かったけど、広くて専門書も揃っていたのに・・・・
Amazonの影響もあるのでしょうが、大型書店が次々と縮小・閉店しているのは、私的には凄く寂しいです。

って、話を渋谷に戻しますと(笑)、それこそ一昔前までは、同じ若者の街と言っても、
一駅先にある「原宿」とは、完全に異なる文化をそれぞれ持っていたのですが、
最近では「渋原系」とか言って、渋谷系と原宿系の融合が始まっているんだそうです。
(きゃりーぱみゅぱみゅは原宿系だと思ってましたが、原宿系を取り入れた渋谷系だったんですね)
そして、それが「ガールズ文化」として一纏めになり、ネット社会とも融合し出して、
渋谷と原宿の間にある代々木体育館で開かれる祭典こそ、「東京ガールズコレクション」であると。
渋谷と原宿の壁が取り払われ、ネットを介して世界にも発信されるようになった日本のガールズ文化を、
それはそれで興味深いモノだと今まで見てきたのですが、
でもこうした傾向って、凄いスピードで進む日本社会の少子化により、
個別にでは文化を守れなくなりつつあり、世界に発信しないと生き残れなくなってきていると考えると、
文化としての新しい息吹以上に、それを上回る衰退や消滅が見えてきて、凄く悲しくなってきました。

別にこれは渋谷や原宿だけでなく、秋葉原もそうでしょうし、日本全体がそうなんですよね。
もちろん、何処も彼処も同じ顔の街ばかりになっては面白味に欠けますけども、
パイの縮小により、街の維持すら困難な情況に陥りつつあるのであれば、仕方ない事なのかも知れません。
しかし一方で、そんな時代を生き抜く為にこそ、やはり個性が必要だと思うんですけどね?
ただ、今のように行政や大資本の主導によって進む形では、そんな挑戦心はなかなか望めないと・・・・

▼ Kawaii文化と2.5次元
> > 海外では、渋谷系のKawaiiも、アキバ系のKawaiiも、一緒くたに愛好されてる話を以前しましたが、
> > それは単に情報量の少なさと言うより、固定観念の少なさに所以があったのかも?と思わされました。

> Kawaii文化はらくちんこと小林敬幸さんのこのあたりの受け売りだったのですが、
> http://biz-journal.jp/2014/12/post_8361.html

上の方で、「きゃりーぱみゅぱみゅは、原宿系を取り入れた渋谷系」と書きましたけど、
彼女の事を好きな海外のファンって、アキバ系文化が好きな層が多いと思うんです。
アニメの中のキャラクターが、実際に3次元の世界へ現れたような印象でしょうからねえ。
(もちろん、日本のファッション好きや、キティちゃん好きとかの層も、中にはいるでしょうけど)
ただ実際に日本では、「だったら秋葉原にも、きゃりーファンが多いか?」と問われると、
どうも、そういった印象はあまり受けないんですよね・・・・
やはり原宿や渋谷とは文化圏が違いますし、2次元と3次元も違うからかも知れません(笑)。
とは言え、海外ほどでは無いにしろ、一昔前に比べれば、日本でも文化圏の接近が見られると思います。
で、それを読み解くキーワードは「2.5次元」じゃないかと、私は密かに考えています。

2次元のキャラクターを、3次元の世界に投影して実体化させた精巧なフィギュア。
3次元に住む人間が、2次元のキャラクターを投影して、それに為り切るコスプレ。
2次元のモニター上に、美しく作り込まれた3次元の世界を描写する3DポリゴンCG。
秋葉原を舞台にしたアイドル・リアル育成ゲームの雰囲気だったAKBグループや地下アイドル。
(サブカル好きな層の嗜好としては、AKBグループよりも坂道シリーズ向きな気も?笑)
昭和みたいにアイドルに幻影を抱けなくなった現在、その代替として普及した声優アイドル。
声優アイドルですら無理だとして、ゲームやアニメの世界に舞台を移した2次元アイドル。
アニメやコスプレの影響を受け、原宿に出現したゴシックロリータ・ファッション。
ロリータを突破口して繋がった原宿化したアキバガールに、アキバ化したオタクガーリー。
そして秋葉原ではコスプレ喫茶が一気に広まるも、今ではオタク向けのキャバクラ化・・・・

う〜ん、最後はどうも不健全なイメージが拭えませんけど(苦笑)、
それでも壁が取り払われて、融合により新たな文化がいろいろろ現れるのは面白い事です!!
そして、壁の障害とかを気にせず楽しめるのが、海外のファンなのかも知れません。
ネットを通ってやってくる情報には、秋葉原だの、原宿だの、渋谷だの、地名は付属しませんし、
変なシガラミが無いからこそ、とにかく純粋に「Kawaii is Kawaii」と出来ますからね。

▼ 日本の都市計画
> なんとなく、渋谷は「計画的に作られた街」であるのに対し、原宿や秋葉原は「自発的に変化していく街」のような気がします。
考えてみると、そもそも計画的に作られた街って、東京にどれだけあるんでしょ?
東京は世界でも有数の近代的都市だとは思いますけども、
その一方で、アジアによく見られる無秩序なスプロール都市でもあるんですよね。
まあそこが、極東であり、極西であり、中華でもある、日本の魅力かも知れません(笑)。
もちろん日本にも、古くは奈良や京都の街並みだったり、江戸期の河川改修や干拓はありますが、
ただ近代以降となると、オスマンによるパリ大改造などとは比べるべくも無いまでも、
明治中期に整備されて「一丁倫敦」と呼ばれた丸の内や、
昭和中期に浄水場の跡地を副都心として開発した新宿くらいでしょうか?
まあ丸の内のあたりは、もしも「ベックマン案」が実現していたら、きっと壮観だったでしょうし、
http://www.mlit.go.jp/common/000033964.jpg
都庁のある西新宿などは地形図で見ると、大地が切り刻まれていて少しグロテスクです。
http://guitarmatsu.sakura.ne.jp/image/TokyoGeoMapWide.JPG

それにしても、こうして改めて東京の地形図を見てみると、
山手線を通す為に、土を盛ったり削ったりした様子が実によく解ります。
これほど起伏に富む地形をぐるりと結んだからこそ、山手線沿線は多様性に満ちているのかも知れませんね。
って、この山手線自体も、環状線として計画的に作られた訳じゃないですけど(笑)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Construction_of_the_Yamanote_Line_ja.svg
ただ、台北での環状線計画論争で、東京の山手線があまりに理想的に語られているのを見ると、
私たち日本人が考えている以上に、山手線のルーレットには魅力と可能性が潜んでるような気がします!!
上野東京ラインの開通を受けて、数年後には品川−田町間に山手線30番目の新駅が完成する予定ですし、
それに合わせて、東京観光の中心としての山手線の利用というのも、少しは考えてみるのも面白いかも?
4年後には東京五輪がありますし、10年後には品川始発でリニアも開業予定ですからねえ。
3年前のヴェネチア映画祭で、「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」が金獅子賞を受賞した事で、
(NHKの「ドキュメント72時間」や「新日本風土記」みたいに、ローマ郊外の環状道路GRAから様々な人生を撮った映画)
日本でも一部で、「国道16号」をGRAに見立てて、東京を見てみようという試みが流行り、
それはそれで私も面白い試みだとは思いましたが、やはり東京の場合、まずは山手線を通してだと思います。

ただ、そうは言っても、やはり今の日本では「計画的な街づくり」というのは困難なんですかね?
東日本大震災があっても、東京五輪が決まっても、ご存知の通り状況ですから・・・・
まあ新国立競技場の件とかは、五輪開催が決まる前からいい加減だったので、
それなりに諦めも着いているのですが、せめて上野公園の改良くらいはどうにかして欲しかったです。
五輪は大戦直後の大会まで、絵画・彫刻・音楽・文学・建築・都市計画などの「芸術競技」が存在し、
順位をつけるには即さないと競技から除外された後も、「文化事業」を行う事は義務付けられているんです。
もちろん、それは今回の東京五輪でも同様であり、やはり東京なら文化事業の舞台は上野となります。
上野公園とその周辺には、それこそ数多くの文化施設があるのですが、
国立・都立・区立・民間・学校法人・宗教法人と管轄が様々で、今まではなかなか足並みが揃いませんでした。
だからこそ、この五輪決定を契機に、それを進めよう話し合いが行われ、
いろいろなプランが出されたものの・・・それを引っ張るべき国や都がスルーしてそのまま実質頓挫(泣)。

舛添前都知事の美術館巡りが以前問題となってましたけど、この方面には感心が無かったんですかねえ?
小池新都知事にしても、五輪会場の代替地選考では思いっ切り やらかしてますけど(悪質さでは豊洲の件以上)、
メディア報道やネットの反応などを見ると・・・結局は、皆が本気で関心を向けないと変わらないんですかね?
本来、文化施設の建設において、五輪やW杯などの大型イベントは、手段であって目的ではないので、
方便以外で「レガシー(遺産)」なんて言葉を使う事自体が、おかしな事ではあるんですけど、
それ所か、利権絡みや、政治パフォーマンスを優先させ、中身を蔑ろにするなんて言語道断なはずなんです!!
まあ所詮、民主主義とはそういうもの(有権者のレベルを映す鏡)だと言えば、それまでなんですが、
しかい幾らなんでも、最近は政治だけに限らず各方面で目に余る事が多過ぎます・・・・
利己的で場当たり的な事無かれ主義が蔓延していて、それこそ「大局観(青写真)」が欠けてますよ。
私程度ですら あれこれ思うのですから、私より遥かに凄い人など それこそゴマンといるはずなのに、
う〜ん、戦後70年の制度的な勤続疲労なのか? 単に日本の国力が落ちてるから粗が気になり始めたのか?

と、少し話が愚痴っぽく脱線してしまったので、都市計画に話を戻しますと(笑)、
北海道の札幌や、樺太の豊原を始め、満州国では特に首都の新京を筆頭として、
(新京の地図が頭の中に入っている為、「五色の虹」を読んでも、ありありと風景が浮かびました)
戦前の日本では、かなりダイナミックな街づくりも見られるんですよねえ。
もちろん、それらの土地は当時、無人の荒野に近かったからという理由もありますけど、
例えば、戦前は東京に匹敵する大都市だった大阪では、関一が大胆な都市改造を試みましたし、
http://www.youtube.com/watch?v=TS-NYXOQLQk
東京にしても、関東大震災や敗戦後の復興時には、後藤新平の改造プランが活用されています。
ですから、日本だからダメなのではなく、現在だからダメなんでしょうね・・・・

それを思うと尚更、荒川修作&宮崎駿が創る街というのを、本当に見てみたかったです。
宮崎駿と養老孟司の対談本である「虫眼とアニ眼(新潮文庫)」にも、
https://www.amazon.co.jp/dp/410134051X
荒川に心酔していた宮崎が考える街のモデル↓が載ってますけど、なかなか興味深いです。
http://matome.naver.jp/odai/2140394836899228901
ただ荒川修作というのは、こんな集合住宅↓を実際に作ってしまう異色の建築家なので、
http://matome.naver.jp/odai/2136921601792516201
http://matome.naver.jp/odai/2134369109216045701
「もののけ姫」を最後にアニメ監督を引退し、こんな奇抜な建築家と組んで、
新たな街をつくる大事業に挑むなんて、周囲に大反対されて結局は夢物語に終わると・・・・
まあ確かに、アニメ映画というのも後世に残る作品ではありますけど、
人が暮らし続ける街なんて、それ以上に大作ですから、出来る事なら見てみたかったんですがね。

あと最後に、ついでなので、私が気に入った都市計画関連の本を紹介しておきます。
文庫や新書ですが、テーマがあまり一般的ではない為、オススメという訳ではありません(笑)。
「都市計画の世界史(講談社現代新書)」
https://www.amazon.co.jp/dp/4062879328
「満州国の首都計画 (ちくま学芸文庫)」
https://www.amazon.co.jp/dp/4480087079
「都市と消費とディズニーの夢(角川新書oneテーマ21)」
https://www.amazon.co.jp/dp/404110307X
・・・って、様々な分野の本が、文庫や新書で手軽に読めんるんですから、
もちろん世界言語の英語には敵いませんけど、日本の出版文化もなかなか凄いですよね!!

▼ 読書モード終了のおしらせ
という事で、「不屈の棋士」の紹介を受けて始まった今回の読書モードは、
「五色の虹」などを経由し、最後は「ヘンタイ美術館」で終了いたしました。
読書モードのスイッチを入れていただき、ありがとうございました(笑)。
それと、読書モードが終了した事で、その分の熱量が返信へと一気に流れ込んでしまい、
自分でも驚く程の長文になってしまって、どうも申し訳ありませんでした・・・・
きっと読むだけでも一苦労でしょうから、返信は「読んだよ」の一言でも構いません。

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