| ▼ 世界史の名将ランキング
> > > 楚漢戦争期の韓信(淮陰侯とか言われるほう)と戦国末期の楽毅は印象に大きく残ります。
> > > 別の時代にもそれぞれこういった怪物な人材はいると思いますが、
> > > 知っている時代だとこの2名が凄く大きく見えます。
> > 楚漢の時代ですと、やはりNo.1は韓信でしょうねえ。
> > と言いますか、中国史上で見ても、韓信は一二を争う名将だと思います。
> > かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> > 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> > 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。
> 世界史上だとどういうランキングなのか気になります。
まず5項目というのは、こんな感じでしたね。
1.歴史(巨大な帝国を築いたり、時代に影響を与える勝利を得た人物)
2.名声(その時代や国家の象徴として、今でも人気や高名を博す人物)
3.理論(戦術や兵器に革命を起こしたり、優れた組織運営を見せた人物)
4.用兵(寡兵で大軍を破る采配や、勝機を逃さぬ決断ができた人物)
5.戦績(数多くの勝利や生涯無敗など、勝敗面での成果を残した人物)
そして、この5項目をそれぞれ10点満点で採点して、合計点でランキング化したと。
ただ、こうして項目別に細分化して採点すると、客観的で平等な評価にはなるんですけど、
どうしても第一印象とは微妙にズレる傾向にあるのが、実際には少し難しい所・・・・
ちなみに以前、第一印象だけで並べた時は、こんな感じ↓でした。
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r12031
ともかく、見やすいように100点満点に置き換えた上で、70点以上の名将を並べてみました。
(厳格に採点したのは80点前後までで、70点代には未採点で漏れてる人物もまだ居るかと?)
94点 ナポレオン(1769〜1821 フランス第一帝政)
92点 アレクサンドロス大王(前356〜前323 マケドニア王国)
90点 ハンニバル(前247〜前183 共和政カルタゴ)
88点 チンギス・ハーン(1162〜1227 モンゴル帝国)
大モルトケ(1800〜1891 プロイセン王国→ドイツ帝国)
86点 李靖(571〜649 唐王朝)
ネルソン提督(1758〜1805 グレートブリテン王国)
84点 韓信(前231〜前196 漢王朝)
グスタフ・アドルフ(1594〜1632 スウェーデン王国)
82点 スキピオ・アフリカヌス(前236〜前183 共和政ローマ)
ベリサリウス(505〜565 ビザンツ帝国)
ティムール(1336〜1405 ティムール帝国)
80点 テミストクレス(前524〜前459 都市国家アテネ[古代ギリシャ])
スブタイ(1176〜1248 モンゴル帝国)
スヴォーロフ(1729〜1800 ロシア帝国)
78点 ハーリド・イブン・アル=ワリード(592〜642 イスラム帝国)
バイバルス(1223〜1277 マムルーク朝[エジプト])
フリードリヒ大王(1712〜1786 プロイセン王国)
ダヴー(1770〜1823 フランス第一帝政)
76点 キュロス大王(前600〜前529 アケメネス朝[古代ペルシャ])
孫武(前544年〜紀元前496 呉[春秋])
カエサル(前100〜前44 ローマ帝国)
マウリッツ(1567〜1625 ネーデルラント共和国)
ウェリントン公ウェルズリー(1769〜1852 グレートブリテン王国)
74点 トトメス2世(前1400年代 古代エジプト第18王朝)
エパミノンダス(前418〜前362 都市国家テーベ[古代ギリシャ])
ゴンサロ・フェルナンデス(1453〜1515 スペイン王国)
イスマーイール1世(1487〜1524 サファヴィー朝[ペルシャ])
シャルンホルスト(1755〜1813 プロイセン王国)
72点 サラディン(1137〜1193 アイユーブ朝[エジプト])
徐達(1332〜1385 明王朝)
ヤン・ジシュカ(1374〜1424 フス派教徒[ボヘミア])
スレイマン1世(1494〜1566 オスマン帝国)
ヴァレンシュタイン(1583〜1634 神聖ローマ帝国)
マールバラ公チャーチル(1650〜1722 イングランド王国)
プリンツ・オイゲン(1663〜1736 ハプスブルク帝国)
ナーディル・シャー(1688〜1747 アフシャール朝[ペルシャ])
ロバート・E・リー(1807〜1870 アメリカ合衆国→アメリカ連合国)
70点 フィリッポス2世(前382〜前336 マケドニア王国)
ターリク・イブン・ズィヤード(670〜720 ウマイヤ朝[イスラム帝国])
カール大帝(742〜814 フランク王国)
耶律大石(1087〜1143 遼王朝→西遼帝国)
アクバル(1542〜1605 ムガル帝国)
テュレンヌ(1611〜1675 フランス王国)
グデーリアン(1888〜1954 ナチス・ドイツ)
ヴォー・グエン・ザップ(1911〜2013 北ベトナム)
P.S.
各項目には、満点を超える11点と12点を付ける「伝説的な英雄」枠を、
以下のように、それぞれ1人ずつ設けてあります(要するに下駄を履かせてあると・笑)。
歴史 12点:チンギス・ハーン 11点:ワシントン
名声 12点:アレクサンドロス大王 11点:関羽
理論 12点:ナポレオン 11点:大モルトケ
用兵 12点:ハンニバル 11点:韓信
戦績 12点:ベリサリウス 11点:スヴォーロフ
特別点を与えられてランク入りしなかった所だと、ワシントンが60点、関羽が50点でした。
それでも、軍人ワシントンがもたらした、アメリカ独立戦争での勝利は、
その後の世界の歴史に、多大なる影響を残したのは確かですし、
関羽にしても、史実はどうあれ、彼を神として祀る関帝廟が中国全土どころか、
中華街の拡大により、それこそ世界各地に建てられてる程ですからねえ。
特に日本の場合、もちろん横浜や神戸の中華街にも、立派な関帝廟がありますけど、
江戸初期に日本へ伝わり広まった仏教の黄檗宗に、関羽信仰が含まれていた為、
出版文化の発展に伴う中国史ブームも相まって、既に江戸時代から特別な人気がありました。
▼ 日本と中国の名将十傑?
> (物心ついた頃には中国史の本が家にあったのがきっかけで)現状知識が中国史寄りですが、
> 他の地域のも知りたいというのはあるので。
でも正直な所、私は理系ですし、現在みたいに世界史が必修化される前だったので、
ちゃんと学校で習った知識自体は、中学生レベルで止まっていたり(笑)。
それ以上は独学ですから、どうしても分野的な知識の偏りはあるでしょうし・・・・
という事で、私の歴史知識も、基本的には日本史と中国史に偏りがちですね。
最初は、司馬・陳・宮城谷の歴史小説や、コーエーの歴史ゲームの影響も大きかったかな?
(ただまあ今では、歴史小説も歴史ゲームも、すっかり御無沙汰ではありますど)
ちなみに、私の「徳翁導誉」というハンドル名であるも、
南北朝時代のバサラ大名・佐々木道誉の法名から採っていたりします。
ちなみに、上記の名将ランキングですが、
日本人のトップは66点で東郷平八郎、次いで64点で織田信長でした。
ランクインこそ逃しましたが、ただし「海将十傑」とか選ぶ形であれば、
誰が選んでも間違いなく、東郷はランクインしてくる人物だと思います。
東郷本人がどうあれ、日本海海戦は世界の海戦史上でもトップ5に入る勝利でしたので。
あと、個人的な第一印象では、古代なら阿倍比羅夫、源平なら木曽義仲、南北朝なら北畠顕家、
戦国なら小早川隆景、幕末明治なら立見尚文といった所が、パッと浮かぶのですが、
前述の通り、やはり項目分けして採点すると、微妙に順位は変わって来ちゃうんですよねえ(笑)。
(阿倍比羅夫の略説だけは、以前企画倒れに終わった日本名将TOP10のスレッドにあります)
http://tokuou.daiwa-hotcom.com/cgi-bin/kjb/kjbn.cgi?tree=r12254
まあ逆に、一般的な人気や知名度から日本史上の十傑を選ぶとすれば、
源義経・楠木正成・武田信玄・上杉謙信・織田信長
大村益次郎・乃木希典・東郷平八郎・山本五十六・山下奉文って所が来るのかな?
(朝敵なので名将のイメージには合わないものの、知名度重視なら平将門inで山下out)
う〜ん、正直な所、日本史は身近で知り過ぎてる分、却ってスパッと単純には選び難いですし、
明治以前の日本史は、基本的に小さな島国の中での話で世界史的な影響度が小さい上に、
そもそも日本の社会自体が、1人の有能な人物がトップで仕切るよりも、
良くも悪くも組織で分担して動く文化なので、誰か1人を選ぶのは向かないんですよね。
って、「組織で動くから、個人での評価が難しい」という部分に関しては、
20世紀以降はWW1やWW2など、日本に限らず、近代国家はどこもそんな感じになりますけども。
加えて近現代の戦争は、物量と技術の効率的運用が勝敗を決める時代となって、
個人的才覚で戦局を好転させたりとか、まず困難になりましたし(悪転なら可能ですが・苦笑)。
逆に言うと、20世紀からランクインした2人に関しては、
グデーリアンが電撃戦の生みの親であり、ザップが近代ゲリラ戦の体現者だったからですね。
と、何だか途中から、「戦争の世紀」と言われ、有名人も多い20世紀から、
ランク入りした人物が少ない理由の説明みたいな感じで、少し話が脱線してしまいました・・・・
まあ、日本人がこうした順位を考える場合、日本史みたいに近過ぎず、世界史ほど縁遠くない、
適度な距離感と知識のある中国史の方が、意外と妥当な評価が行えるのかも知れませんね(笑)。
世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
一般人気だと、どうしても「救国の英雄」補正みたいなモノが掛かるのですが、
でも冷静に考えれば、そうした名声も「名将」には重要な要素であろうかと。
孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)
単に人気だけであれば、神格化の域に達した太公望・関羽・諸葛亮などは別格ですし、
(一応、太公望こと呂尚は羌族出身なので、今回みたいに漢民族縛りだと外れるのかな?)
君主もOKなら、後漢の劉秀・魏の曹操・唐の李世民・宋の趙匡胤・明の朱元璋といった開祖たちも居ます。
ただ、劉秀&岑彭、曹操&郭嘉、李世民&李靖、趙匡胤&曹彬、朱元璋&徐達みたいに、
君臣とも優秀だと、評価の線引きが難しい所(劉邦&韓信みたいな感じなら、解り易いんですけどね・笑)。
そして、開祖であり神格化もされてるという意味では・・・現王朝の毛沢東も入るのかな?(笑)
って、冗談っぽく言ってますけど、時代が近過ぎるから欠点がいろいろ見えてしまうだけで、
歴史として客観的に評価すれば、毛沢東も十分に優れた偉人である事は確かですがね。
あとは次点組として10人を挙げれば、このあたりが来る感じでしょうか?
呉起(戦国)・班超(後漢)・陸遜(三国)・王猛(五胡)・劉裕(南北)
柴栄(五代)・孟【王共】(宋末)・戚継光(明末)・左宗棠(清末)・朱徳(中共)
もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
他にも歴史小説ファンの人でしたら、田中芳樹が「奔流」で描いた陳慶之(南北)や、
北方謙三が「楊家将」で描いた楊業(五代)あたりも、入れたがるかも知れませんけど。
▼ 遊牧民の生活
> > > 南方は県都だけだとスカスカなのは確かなので、
> > > 周辺の地名が分からない場所などは例えば「□□城東部」とかいった表現になります。
> > > 中原の密度に合わせることを考えるとこのくらいのマスにしたいのです。
> > でもまあ逆説的に考えると、都市が密集せずスカスカな地域というのは、
> > 地形の影響によって、多くの人口を養えなかったり、支配が及ばなかったりって事ですからねえ。
> > そう考えれば、そうした地域は無理してマスを埋めようとせずに、
> > 敢えて空白にする事により、山脈などの地形効果を表してみるのも、1つの方法かも?
> 山とか人口の居ないマスも作りますが、そこも名前を何かしら振るつもりです。
> マップに名前を振り始めましたが、南方よりも匈奴や鮮卑の領域に名前を付けるのが難しいことに気づきました。
> 南蛮や羌は「城」の代わりに「聚」と名付けた場所をそれっぽい場所に配置してごまかしていますが、
う〜ん、中華から見て辺境に位置する場所の名前となりますと、
直接支配が及ばない異民族の統治エリアは「○○部」(厳密には地域名ではなく部族名)、
中央から軍隊を派遣して支配の拠点化してるエリアは「○○鎮」みたいな感じでしょうか。
有力所だと、チャハル部とか、ハルハ部とか、タタル部とか、聞いた事は無いですかねえ?
ちなみにモンゴルという国名や地名も、チンギス・ハーンがモンゴル部の出身だった事に由来します。
一方で鎮の方は、後に隋や唐を建国する事となる武川鎮の軍閥とかが有名ですね。
でもまあ三国志の当時だと、そうした長城外の辺境地まで中華の支配は及んでませんから、
「○○部」だけの方が無難そうですけど、それでも当時から情報が少なかったのは事実で・・・・
特に北方の遊牧民は、あの頃、まだ文字を持ってませんでしたから、
どうしても中国側の文献頼りになるのですが、中国も内乱期でそれ所じゃなかったので、
記録に多く残っているのは、長城の内側に移住した南匈奴の事がほとんどだったり。
しかし逆に言えば、南匈奴の事は解ってる訳ですし(曹操は南匈奴を五部に分割して間接統治)、
もう思い切って、長城の外側に関してゲーム的に切り捨ててしまうのも一案かも?
> 匈奴や鮮卑がそもそもどういう暮らし方をしているのかイメージも湧かず、
> 名前を付けるのに困ってしまいました。
前述のように、当時の北方遊牧民は文字を持たず、自分たちで記録を残しませんでしたから、
どうしても解らない部分は多いのですが、それでも遊牧民の生活自体は結構解っています。
文字通り、遊牧の生活でしたから、農耕民みたいに定住する訳ではなく、
季節や天候などに応じて、牧草地を求めて各地の縄張りを転々として暮らしてました。
ですから、農耕民の土地みたいに、細かく地名が付けられる訳で無かったので、
中国側では便宜的に、そこを縄張りとする部族の名前で大雑把に呼ぶしか無かったのかと。
それに、部族名すら把握できてれば良い方で、影響力が乏しければ、それすら不明な時代もありました。
で、話を遊牧民の生活に戻しますと、基本的には数十人規模の家族集団があり、
自然に生えてる牧草をエサにして馬や羊などを飼い、時には狩猟などをして暮らしていたので、
次々に牧草を得る為にも定住する訳にも行かず、移動式テントで季節ごとに移住していました。
そして牧草地も農地と同じで、やはり良い土地もあれば、悪い土地もあるんですよね。
ですから、良い牧草地を自分たちの縄張りとし続けるには力が必要ですし、
天候不順の年とかになれば、縄張りとする牧草地を奪われる危険性も高まります。
だからこそ、移動生活をする家族集団は、部族という更に大きな集団に属する事になると。
まあ解りやすく言えば、ヤクザの組みたいなモノで、親分の庇護を受けるような感じです(笑)。
そして、遊牧民の社会が実力主義なのは、牧草地の有無が家族の生死に直結しているからでした!!
なので有能な大親分が現れると、寄らば大樹の陰とばかりに、一気に集団が巨大化する為、
中国側から見ると、いきなり遊牧民の大帝国が出現したかのように映ります。
戦闘上手と言われる遊牧民ですが、別に彼らも好き好んで流血沙汰をしたい訳ではなく、
実力ある大親分がキチンと利害を調整してくれるなら、それが理想的だったんですよね。
ですが一方で、頼るべき大親分が消えてしまえば、大帝国も嘘のように瓦解してしまうのですが、
瓦解しても部族集団や家族集団は残るので、新たな大親分が現れれば再び巨大勢力と化すと。
それを恐れて、時に中国側は部族や家族といった集団自体を潰そうとするのですが、
都市や農地を潰せば良い農耕民と違い、遊牧民は別の牧草地に移り住むだけで、徒労に終わるので、
まあ結局は、大親分が現れないよう内部分裂させておくのが、中国側の基本戦略になります。
しかし、そんな群雄割拠を勝ち抜く大親分が現れれると・・・中国側まで征服されるなんて事も(苦笑)。
そもそも遊牧民は馬上生活ですので、騎馬の機動力を存分に活かす事に長けてますし、
日常的に移動生活を行っているので、それこそ遠征なんて慣れたモノなんですよね。
そして攻撃力の方も、狩猟で用いてる弓矢が、そのまま遠距離攻撃の武器となる為、
いざ戦争となれば、男たちはすぐに優秀な兵士に変わり、家族もすぐに後方の兵站基地に変わります。
まあ言うなれば、家族や部族という生活集団が、簡単に戦闘集団へと転じられる仕組みな訳ですね。
しかも、遊牧民には防御すべき都市や農地も無いので、劣勢となれば家族ごと逃げてしまえば良いと。
農耕だと確かに多くの人口を養えますけど、その社会の維持に要する労力も多岐に渡る為、
定住者の兵士は全住民の3〜4%が限度と言われており、しかも遠征ともなれば経費も莫大となり、
その上、実力社会ではなく秩序社会の住人で、戦闘慣れもしてなければ、やはり兵士の強さが違います。
この力関係を逆転するには、鉄砲や大砲といった火器の発展を待たなければなりませんでした。
一方で、そんな遊牧民にも弱点があるとすれば、それは圧倒的な人口の少なさでしょうね。
やはり遊牧生活では、養える人口に自ずと限りが出てきます。
それでも農耕生活を行わなかったのは、寒冷で、水も不足し、痩せたモンゴル高原では、
農業をしようとしても上手く行かず、逆に言うと、牧草くらいしか育たないからでした。
しかし、遊牧生活だけでも生活に必要な最低限の品(羊の肉・毛・乳)は揃うものの、
ビタミン補給用の茶葉や、補食としての穀物、家を飾る工芸品などは、外部から入手する必要があり、
その為に彼らが行ったのが、機動力を活かした交易であり、攻撃力を活かした略奪や恐喝でした。
そして、時には金品だけでなく、職人や農民を連れ帰る事もありましたね。
まあ職人の方は、工芸品を自主生産する為なので解りやすいですけど、
農民を連れてくるのは、そんな高原地帯にも少しは農業に適した土地があり、
穀物も少しくらいは自主生産しようとした為でした(実際に作るのは漢民族の農奴ですけど)。
って、今の感覚からすると、随分と酷い話に聞こえますけど、彼らの論理からすれば、
勝手に入植してきて開墾を始め、自分たちの縄張りである牧草地を潰した漢民族を、
農耕に適した土地へと再入植させて、潰された農地の再生を待っただけの話なのかも?
逆に現在の共産党政権では、土地の特性を考慮しない大規模な開墾計画の失敗により、
農地どころか牧草地としても使えなくなり、砂漠化を進行させてしまいました(泣)。
そこで日本側の支援により、植林作業による緑化が進められているのですが、
そもそも「緑化=良い事」という発想自体が、農耕民の勝手な思い込みである為、
善意で行う日本の活動も、現地では思わぬ反感を買ってしまっている側面も・・・・
と、何だか少し話が脱線してしまいましたけど、こうした高原地帯で、
良い牧草地であったり、農耕に適した土地というのは、やはり水に恵まれた河畔や湖畔なんですよね。
という事で、地名として「○○部」と付けるのに抵抗があるようであれば、
河川や湖の名前は結構残っていますし、「○○河畔」や「○○湖畔」と付けるのはどうでしょう?
河畔上流部とか、湖畔北東部とか、小分けにすればエリア数も増やせますしね。
> 中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。
絶える事のない、農耕社会と遊牧社会の定期的な衝突や融合があったればこそ、
文明としての発展や拡大が続いた訳で、もしも、それが無ければ、
他の古代文明と同様に、早期の消滅や停滞は免れなかったかも知れません・・・・
そういう意味では、確かに三国志自体は中華の内部に限定された動乱でしたけど、
それは同時に、周囲の異民族が流入する五胡十六国時代のキッカケを作った訳で、
「魏晋南北朝」という1つの大きな時代として見た場合、三国志はまさにその導入部なんですよね。
▼ それら以外の話題
> マップは64×64で一旦作ってみますが、実際ゲームに使うとなると大きいとは思っているので、
> 作ってみてイメージを掴んだら縦横半分くらいのサイズに再構成しようかなと思っています。
> ゲームのコンセプトとしては、「派閥もの」「何もかもが足りない」をイメージしています。
> ちなみに作成に当たって言語はJavaを使っています。
JAVAですか、私も随分前に少し弄った事はありますね。
ただ私の場合、そこまで高級なプログラム言語は結局必要なかったので、
最終的には、ブラウザで動いてネットとの相性も良い、
JavaScriptの方がメインになってしまいましたけども(笑)。
でもまあ、ブラウザ上で動くJavaScriptというプログラム言語は、
ゲームをダウンロードしてもらうという、大きなハードルが無いので手軽ですし、
オープン・ソースですから、いろいろと意見を得やすいので、利点も結構多いです。
逆に言うと、製品版として販売しようとか考えたら、不向きな言語ですけども。
> プレイヤー以外の動き(昔の意味でのAI)を作る要領がまだわかっていないですが。
コンピューターの思考ルーチンに関しては、昔は「COM」とか呼んでましたね。
由来とか特に気にしてませんでしたが、恐らくコンピュータの頭文字なのかなぁ?
ともかくこの部分は、シミュレーション・ゲームを作る上で、最も困難な所だろうと思います。
「信長の野望」などの光栄ゲームは、この部分の貧弱さが、ユーザーには最も不評でしたし、
その為に、思考ルーチンの弱さを物量チートで補う方法が、更に不興を買っていました(笑)。
だからこそ逆に、思考ルーチンが強かった「天翔記」は、シリーズでも屈指の人気を誇り、
それでも満足できないユーザーは、更にシビアで手応えのある「天下統一」に流れていきました。
(おかげで、2001年に発売された天下統一3が酷い出来だった時は、阿鼻叫喚の地獄絵図に・苦笑)
で、インターネットの登場と普及により、同好の士を見つけ易くなった当時、
ユーザー間で語られていた内容と言えば、ライトな話題だと武将能力値の増減や新設とかで、
マニアックな方は「どうすれば手強いCOMで満足できるゲームになるか?」みたいな感じでした。
まあ当時は、今みたいにコンピューターの性能も良くなかったですし、
囲碁や将棋でAIが勝つなんて夢物語な頃でしたからねえ・・・・
という事で、最終的には「強いCOMを作れるゲーム・システム案」みたいな、
逆方向からのアプローチとかまでやってましたね。
要するに、コンピューターが得意とする分野から、ゲームを構築していけば強いはずと!!
その一方で私は、「手強い敵が欲しいなら、何もCOMに拘る必要もないのでは?」と、
人間が対戦相手となる、「多人数ゲーム」を試し始めたという経緯もあったり(笑)。
> …雑談と言っても、こんなに色々ここに関係なさそうなことを書くと
> 他の方に迷惑がられないかな、とは思っていますが…。
いやいや、もう十数年も前の事なので、私以外は誰も覚えてないと思いますけど、
そもそも、ここの掲示板は、そうした「歴史とゲーム」を語る場所でしたからねえ。
関係ないどころか、むしろ本来の設置理由だったりします!!(笑)
そして、長文で語っても他の記事の邪魔にならないよう採用されたのが、
今となっては珍しい、このツリー・スレッド形式の掲示板ですから、その点も大丈夫かと?
> > > でも、戦国七雄だと燕が一番好きなのは楽毅の存在が大きく貢献していると思います。
> > > (燕でいうと郭隗の業績が大きいと思いますが楽毅のインパクトが強い)
> > 「まずは隗より始めよ」の郭隗ですね(笑)。
> > こうした文官エピソードがお気に入りという事であれば、
> > 唐代の「貞観政要」と、宋代の「名臣言行録」がオススメですね。
> > 両方とも歴史的な名著ですので、既にご存知かも知れませんが、
> > 多くの名臣を輩出した両王朝の、文官エピソードをまとめた2冊です。
> 文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。
ならば、やはり気軽に読めるのは陳舜臣「小説 十八史略」ですね(笑)。
あの作品は戦乱期だけでなく、泰平期も時代として扱っているので、
そうした泰平の時代は、当然ながら文官エピソードが話のメインとなります。
また、もっと手っ取り早く読みたいとなれば、宮城谷昌光の作品群に、
「春秋名臣列伝」「戦国名臣列伝」「楚漢名臣列伝」の3部作もありますし、
余計な物語など要らなければ、「中国古典の言行録」なんていう1冊もあります。
どちらも有名作家による文庫本なので、手に入れやすく安いのも魅力の1つです(笑)。
> > 中国古典の翻訳本として、昔から何冊か出版されてますけど、
> > 一昨年、ちくま学芸文庫から抄訳版が出版されて、より手にしやすくなったかと?
> ちくま学芸文庫からは以前、史記の抄訳本を買ったことがあるので、
> 個人的には信頼度もありますし、欲しいものが増える一方ですw
文庫は「中公文庫・ちくま学芸文庫・講談社学術文庫・岩波文庫」が四天王ですね(笑)。
(ちなみに新書の方だと、「中公新書・講談社現代新書・岩波新書」が御三家かな?)
この中の4レーベルだと、ちくま学芸文庫は新参者ですけど、
1999年に中央公論が読売新聞に買収されて以降は、中公文庫の質も落ち来ていているので、
(学術的価値は高いけど、売れない本を多産した事で、中公の経営が傾いたとも言えますが・苦笑)
私個人の印象だと、文庫御三家の地位は、既に交代している感じですね。
特に、ちくま学芸文庫の青版(科学系)のラインナップは、理系の私としては本当に頭が下がります。
あと、既に廃刊となってますが「学研M文庫」も、海外の戦史関連に意外と掘り出し物が多いです。
「南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記」などは、私の蔵書の中でもトップ10入りしています。
> > 以前も少し書きましたが、農耕民の住む中国大陸と、遊牧民の住むモンゴル高原の境に位置する上、
> > その立地から、半農半牧である狩猟民の住む満州がすぐ側にあり、
> > 加えて、渤海に突き出した半島が海への玄関口として、対岸の山東半島とも深く結びつき、
> > 更には、朝鮮半島の付け根でもある為、そこから朝鮮や日本とも繋がってますからねえ。
> > あまり意識される事はありませんけども、実は遼東と言うのは、
> > 東洋における「文明の交差点」なんですよね!!
> なるほど、言われると納得する一方、もっと知りたくなりました。
> 知りたいことがたくさん見つかって嬉しい悲鳴です。
知的好奇心は成長の原動力だと思いますので、
「知りたい事が、たくさん見つかる」というのは、
大変かも知れませんが、それはそれで良い事なのでは?(笑)
> > いや単純に、「好き」と感じるモノは、それに対する何らかの「良い記憶」が元になっており、
> > 「嫌い」と感じるモノは、それに対する何らかの「悪い記憶」が元になってるって事ですね。
> > で、嫌いの根元となる理由を自らの記憶から掘り返そうとすれば、
> > 昔の腹立たしい出来事や恥ずかしい出来事など、封印していた記憶の扉を開けてしまう事になると(笑)。
> なるほど…思い返せば腹立たしい出来事がいくらでも出てきますし、
> そういうのが無意識に反映されているかもしれません。
まあ私は専門が物理なので、全ての結果には原因がある(いわゆる因果律)と思っており、
心や魂でさえ、所詮は脳内の化学反応でしかないと考えてますからねえ・・・・
ですから感情に関しても、脳がそう処理しているからであり、
脳がそう処理するのにも、何らかの理由があって事であると見ています。
で、その理由こそが、アレルギーなどの身体的反応か、過去の体験からの精神的反応かであると。
> > で、その教科書を監修したのでも、このバッシング運動を行っているのも、
> > 道徳の教科化を進めたのも、同じ人たちという事で、随分とキナ臭い世の中になったなぁと。
> そうなのですね、さすがにこれは少し調べました。自分では見つけられませんでしたが。
> こういうことにおいて、まずは「知る」ことが力になるのかなと思います。
最初に見た記事は、確か、Yahooニュースで見掛けたような気がするのですが、
それ自体は見付からなかったので、Yahooに転載された元記事の方を貼っておきますね。
(身内による擁護記事なので、そこから情報を読み取るにはテクニックを要しますけど・笑)
http://www.sankei.com/life/news/170908/lif1709080005-n2.html
> > > こちらが知識を貰ってばかりになってしまっている感じがして恐縮です。
> > > こうやって雑談しているからにはお互い得るところがあってほしいものですが…。
> > いえいえ、ただの雑談なんですから、そんな恐縮とかしなくて良いですよ(笑)。
> > まあ、こういうのも「巡り巡って」の一種なんだと思いますし、
> > それに実際、こうした雑談する事で、私の中でもバラバラだった情報が整理されたり、
> > 改めて考えてみる事で、思わぬ発見とかがあったりするのも事実ですからねえ。
> そちらがそれでも大丈夫ということであれば安心しました。
> 身勝手かもしれませんがどうも自分では役に立てていない状態というのが耐えられないもので…。
繰り返しになりますけど、まあ雑談なんですから、
そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ(笑)。 |
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