| ▼ 徳翁導誉さん
> > > > 楚漢戦争期の韓信(淮陰侯とか言われるほう)と戦国末期の楽毅は印象に大きく残ります。
> > > > 別の時代にもそれぞれこういった怪物な人材はいると思いますが、
> > > > 知っている時代だとこの2名が凄く大きく見えます。
> > > 楚漢の時代ですと、やはりNo.1は韓信でしょうねえ。
> > > と言いますか、中国史上で見ても、韓信は一二を争う名将だと思います。
> > > かなり昔ですけど、ネットの雑談で「世界史の名将ランキング」を考えた時に、
> > > 個人的に5つの項目をもうけて、各将を採点した事があったのですが、
> > > 中国史からトップ10入りしたのが、韓信(楚漢)と李靖(唐初)の2人でしたので。
> > 世界史上だとどういうランキングなのか気になります。
(第一印象)
>1位 韓信
(点数化ランキング)
> 94点 ナポレオン(1769〜1821 フランス第一帝政)
>〜
第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
点数化したらナポレオンが一位になったと。
ナポレオンについては、詳しく背景は知らないのですが、
分進してくる総数2倍だったか3倍だったかの敵を先制、各個撃破したというのは聞いたことがあります。
それ以外は具体的な場面が浮かばないですが、機動力を活かす能力に長けていた印象があります。
名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。
韓信といえば優劣を覆す用兵が印象的ですが、個人的には用兵以外でも有能だと思います。
本国から増援がないばかりか逆に兵を送りながら諸国を平定し、趙攻略前に3万だった軍が最後30万で垓下の戦いに参加しているというのは、
降伏分をある程度吸収していたとしても、自前で兵を集める能力自体も充分に持っていたということだと思います。
劣勢でも勝っている印象ですが、そもそも劣勢でなくても戦える状況を作れる、と見えるのが底知れぬ能力に思えます。
(もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)
話の軸からは外れてしまいましたが、楽毅は、
(燕に行ってからのものとして)戦術は変わったものがないみたいですが、戦略的に勝てる状況を作り出した(ただし不完全燃焼)ので、
そういう意味では、大軍で勝つ、に分類されるでしょうか。
> > (物心ついた頃には中国史の本が家にあったのがきっかけで)現状知識が中国史寄りですが、
> > 他の地域のも知りたいというのはあるので。
> でも正直な所、私は理系ですし、現在みたいに世界史が必修化される前だったので、
> ちゃんと学校で習った知識自体は、中学生レベルで止まっていたり(笑)。
> それ以上は独学ですから、どうしても分野的な知識の偏りはあるでしょうし・・・・
そもそも学校ではあまり内容のあるものを習った記憶がないですし、それ以外で学んだもののほうが興味深いです。
あと、自分も(自称)理数系です。
…といっても「理」と「数」で言うと「数」寄りですので「理系」という徳翁導誉さんとはまた違うかもしれません。
> ちなみに、私の「徳翁導誉」というハンドル名であるも、
> 南北朝時代のバサラ大名・佐々木道誉の法名から採っていたりします
そうなんですね、佐々木道誉という人名をそもそも知りませんでした。
> う〜ん、正直な所、日本史は身近で知り過ぎてる分、却ってスパッと単純には選び難いですし、
> 明治以前の日本史は、基本的に小さな島国の中での話で世界史的な影響度が小さい上に、
> そもそも日本の社会自体が、1人の有能な人物がトップで仕切るよりも、
> 良くも悪くも組織で分担して動く文化なので、誰か1人を選ぶのは向かないんですよね。
同感です。
> 世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
> 一般人気だと、どうしても「救国の英雄」補正みたいなモノが掛かるのですが、
> でも冷静に考えれば、そうした名声も「名将」には重要な要素であろうかと。
> 孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
> 李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)
ありがとうございます、これから読み進めていくに当たって参考になりそうです。
> もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
他の時代の枠を取ってまで入れるつもりはありませんが、三国志なら自分は司馬懿を押します。
人気とか名将という表現なのかとか考えると疑問はありますが、能力で選ぶなら。
> > マップに名前を振り始めましたが、南方よりも匈奴や鮮卑の領域に名前を付けるのが難しいことに気づきました。
> > 南蛮や羌は「城」の代わりに「聚」と名付けた場所をそれっぽい場所に配置してごまかしていますが、
> う〜ん、中華から見て辺境に位置する場所の名前となりますと、
> 直接支配が及ばない異民族の統治エリアは「○○部」(厳密には地域名ではなく部族名)、
> 中央から軍隊を派遣して支配の拠点化してるエリアは「○○鎮」みたいな感じでしょうか。
ありがとうございます、手掛かりになりました。
> > 中華の領域での戦乱を表現したいだけなのに鮮卑のほうで躓いたというのは皮肉な気もします。
> でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。
確かにそう思います。
> > 文官エピソードは多くは知っていないですが好きです。
> ならば、やはり気軽に読めるのは陳舜臣「小説 十八史略」ですね(笑)。
「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
(ついでに「韓非子(徳間書店)」も)買いました。
陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので忠実な訳に近いらしいのを買いました。
これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。
> まあ私は専門が物理なので、全ての結果には原因がある(いわゆる因果律)と思っており、
> 心や魂でさえ、所詮は脳内の化学反応でしかないと考えてますからねえ・・・・
> ですから感情に関しても、脳がそう処理しているからであり、
> 脳がそう処理するのにも、何らかの理由があって事であると見ています。
自分も普通にそう思います、というか他の解釈って何だろうって思ってしまいますが…。
> > そちらがそれでも大丈夫ということであれば安心しました。
> > 身勝手かもしれませんがどうも自分では役に立てていない状態というのが耐えられないもので…。
> 繰り返しになりますけど、まあ雑談なんですから、
> そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ(笑)。
ありがとうございます。 |
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