| > > > 第一印象だと、韓信は世界史上でも1位につけていたのですね。
> > > 点数化したらナポレオンが一位になったと。
> > まあ第一印象の方は、「用兵」という要素を最重視したのに対して、
> > 点数化した方が、用兵も5項目ある内の1つでしたからねえ。
> > ある意味で、異なるランキングになっても、当然と言えば当然とも言えます。
> > 言い方を換えれば、用兵重視というのは、あくまでも私個人の名将イメージであり、
> > 5項目を作って点数化した方は、個々人でバラバラな名将イメージを標準化したモノであると。
> 個人的には情報落ちした数値で見るよりもどこに重きを置いて考えたかというのが興味深いですが、
> 広く伝えるには点数化したほうがいいのかな?
> 徳翁導誉さんはランキング作成時点で用兵を重視して付けていた、ということみたいですね。
> 自分はランキングを付けるならインパクトで付けそうです。
> …と言っても、「名将」と銘打っているのでそれにふさわしい基準でつけるべきでしょうか。
> インパクトで付けるならインパクトがある将と銘打つのが自然かもしれません。
要するに、「個人的な好み」で選んだのが、第一印象によるランキング版で、
「一般的な評価」で選んだのが、採点方式でのランキング版ですね。
結構、ごっちゃにしている人も多いんですけど、そもそも、
個人的な「好き嫌い」と、全体的な「良い悪い」は、全く異なる価値基準ですからねえ。
例えばアートで言うと、私はピカソの作品があまり好きではありませんが、
それでもアートの文脈として見た時には、ピカソを評価しないなんて事はありませんし、
そこら辺の小学生が描いた自由な発想の絵に、衝撃を受ける事はあっても、
その子の事を、アートの文脈上で評価する事は、恐らくしません。
もっと言うと、この全体的な「良い悪い」というのも、
技術的にとか、社会的にとか、利害的や道徳的になど、様々な基準で細分化されるんですよね。
核開発などにしても、技術的には素晴らしいけど、社会的には許されないみたいに、
軍人を評価する上で、多くの敵兵を殺すのはプラスか?マイナスか?という問題点もあります。
でもまあ、この辺の話まで始めてしまうと、なかなか纏まらないのも事実でしょうね。
> それで思ったのですが、名将と呼ばれる基準とはどのようなものがあるのでしょうね。
それを一般化しようとしたのが、前の採点で設けた5項目ですね。
個々人がイメージするバラバラな名将像をまとめると、こんな感じに集約されると思います。
1.歴史(巨大な帝国を築いたり、時代に影響を与える勝利を得た人物)
2.名声(その時代や国家の象徴として、今でも人気や高名を博す人物)
3.理論(戦術や兵器に革命を起こしたり、優れた組織運営を見せた人物)
4.用兵(寡兵で大軍を破る采配や、勝機を逃さぬ決断ができた人物)
5.戦績(数多くの勝利や生涯無敗など、勝敗面での成果を残した人物)
> > ナポレオンを軍事面から語る場合、外せないのが「三兵戦術の完成者」という点ですね。
> 長短ある要素を上手く組み合わせることに長けていたということであれば、
> 凡人と天才で大きく異なる「臨機応変」というのに長けていたと考えていいのかな。
> その三兵戦術というのが才能の差が大きく表に出るものだったのでしょうね。
もちろん、三兵戦術自体は、長い軍事史の積み重ねにより誕生した理論ですが、
それを上手く用いるというのは、やはり才能による所が大きいでしょうねえ。
机上の理論としては熟知していても、実際に現場でそれを使いこなせるかは、別の話なので。
それでも「軍事」というのは、単純明快な結果が出るモノであり、
言うなれば、人間の活動の中で最も、物理現象に近い存在だと思うんです。
そういう意味では、これだけコンピューターが発達した現代であれば、
天賦の才とされてきた軍事的才覚も、今後は訓練で格段に伸ばす事が可能かも知れません。
ただ、そうは言っても、それを活かす場というのが、現代の戦場では少なそうですし、
それこそAIがここまで進歩してくると、そちら頼りになるような気がしますね(笑)。
それに、戦場において状況を左右するのは、「戦場の霧」と呼ばれる情報の不確定要素であり、
結局は、そんな軍事的才覚よりも、物量と情報量が勝敗を決めるという話でもあります。
ですから、戦場でAIが活躍する場合は、こちらの情報面の方が大きな比重を占めるかも?
> > > 名将といえば機動力という印象があるので、そういう意味で自分も納得です。
> > 特に騎兵というのは、打撃力に優れる反面、防御力では弱さがありますからねえ。
> > そういう意味で、より効率良く勝てるのが騎兵の活用であり、勝利するからこそ名将と呼ばれると。
> より効率良く勝てる、ですか。
> 考えてみれば名将の評価の上ではただ勝つことよりも効率良くというのが大きい気がします。
> それが機動力というのと深く関わっていると考えると繋がりますね。
まあ、その時々の状況次第ではあるものの、
どれだけ勝利を重ねた所で、その度に兵力を大量に消耗していたら、
最終的な勝利はおぼつかないのも、実際の所ですからねえ・・・・
楚漢戦争の項羽や、南北戦争のリー将軍は、このタイプであったと思います。
(南軍の戦争目標と兵力不足を考慮すると、リーには厳しい評価かも知れませんが)
> > そして、この事を物理学的に解釈すれば、
> > ニュートンの運動方程式に通ずる気が、私はしてるんですよねえ(笑)。
> > 力は質量に比例し、速度の2乗に比例するというヤツです。
> なんか共感しました。
> 考えてもなぜそれがしっくりくるのか分かりませんが、直感的に入ってきました。
まあ、こういう発想は、何となく漠然と思い浮かべてるモノではありますが、
ゲーム制作であったり、数理モデル化などで、
この辺の感じ、上手く利用できないかなぁ?とかも考えます(笑)。
例えば、以前、三国志ゲームにおけるマップ作りの話をしましたけど、
三国志をはじめ、戦乱の時代を統一する王朝の「建国ゲーム」は多く有りますが、
泰平の時代を続けるべく国家を運営する王朝の「存続ゲーム」であったり、
王朝が興亡を繰り返す歴史全体の流れを楽しむ「通史ゲーム」は、なかなか有りません。
そんなゲームがあれば、天下統一後に劉邦や朱元璋が行った大粛清も、体感できるそうです(笑)。
(日本が舞台であれば、戦国後も幕府運営が続くゲームといった感じでしょうか?)
で、そうした存続ゲームや通史ゲームを考えた場合、
舞台となる中国大陸と、北方のモンゴル&満州さえあれば、中国史はほとんど表現できます。
東方の朝鮮・日本や、南方の東南アジア、西方の中央アジアなどとの関係は、
長い中国の歴史において、ある意味オマケみたいなモノでからねえ(苦笑)。
以前の雑談では、北方マップの扱いについて困ってらっしましたけども、
つまり、中国大陸と北方のマップを作ってしまえば、全時代に対応できる訳なんです!!
もちろん、日本人としてゲームを楽しむ事を考え、そのマップに東方も加えれば、
4世紀(倭・高句麗戦争)から20世紀(日中戦争)まで、広い時代を扱う事も可能となります。
それに直接的な影響では無くとも、元は元寇の失敗により、
明は秀吉の朝鮮出兵により、清は日清戦争により、中華民国は太平洋戦争により、
それぞれ消耗を強いられ、日本との衝突が国家滅亡の遠因ともなっていますからねえ・・・・
まあ日本側も、元寇で鎌倉幕府が、朝鮮出兵で豊臣政権が、太平洋戦争で大日本帝国が滅んでますが。
う〜ん、そうやって改めて考えてみると、近世以降は東方マップも必須な気がしてきました(笑)。
それでも近代は日本だけでなく、イギリス・フランス・ロシアなども中国に押し寄せましたし、
モンゴルや満州と違って、中国側から打ち出す事が出来なかった事を思えば、
いっその事、その辺りは割り切って、イベント的に表現する事も十分に可能かとは思いますが。
あと、これは一般的なゲームとは少し違いますけど、
多くのマス目で座標マップ的に中国を表すのであれば、プレイヤーは神の視点に立ちながら、
軍事力や文化力の数値を決め、どのマスに首都を置いたり、たまには天災を起こしたりなどして、
自分で設定した王朝が、どのように繁栄し、そして滅びるかを眺めるゲームとか、どうでしょう?
まあ一言で言ってしまえば、「中国史の数理モデル」ですよね。
それこそ、王朝史ではなく通史という視点で見て行けば、上記のような神目線の介入も行わず、
最初は黄河流域で文明が起こり、そして文明の進歩により長江流域での疫病問題を克服する事で、
耕作適地である南部でも爆発的に人口が増え、中国大陸の全域に中華文明が拡散し、
時には北方から強力な騎馬民族が侵入して来るも、時間経過と共に彼らも文明的に同化させ、
海からは倭冦が来たり、時には天災や飛蝗が襲ったりなど、そうした変動をただただ眺めながら、
数理モデル的に、とにかく「中国史っぽい」歴史の流れを再現してみるという感じで。
もちろん、実際の歴史とは異なる流れも多々現れるでしょうが、
ある程度はリアルに感じられるモデルは作れると思えますし、
毎回展開は違うものの、いかにも有り得そうな流れを、ぼんやりと眺めるゲームですね(笑)。
逆に言うと、中国史だけに限定せず、人類史の普遍的な数理モデルを作れれば、
マップの違い(地形や気候などの違い)によって、欧州や中東などの歴史モデル化も可能かと?
地政学・・・と言うには、時間的なスパンが長すぎるかも知れませんが、
例えば、中国は統一王朝が誕生し、欧州は小国が林立するみたいな歴史的傾向を、
1つの数理モデルでも、マップ条件の違いによって、それを再現させる事は可能だと思うんですよ。
『国家興亡の方程式 歴史に対する数学的アプローチ(Discover社)』という挑戦的な本もあり、
先日読んだ『感染症と文明 共生への道(岩波新書)』も、なかなか興味深い内容でしたので、
対象を限定して、人類拡散や伝染病流行の数理モデル化とかでも、シンプルながら面白そう。
(ちなみに、飛蝗発生と農民移住の数理モデル化は、随分と昔に試作してみた事があります)
こうした歴史の観察方法は、歴史好きな理系ならではの方法のような気がします!!(笑)
恐らく文系の人だと、歴史を数式で表現しようだなんて、まず考えないでしょうからねえ。
> > 私が特に韓信を評価したのは、「背水の陣」と「暗渡陳倉」ですね。
> > これは、あの「兵法三十六計」の第八計にも、暗渡陳倉の計として載っているほどです。
> 韓信の用兵は「奇策」の言葉に尽きると思っています。
> 決して理論的に最善の手ではないけれど相手に決定的な悪手を出すように誘っている、という印象ですね。
> それによって、最善の手の時の期待値を遥かに上回る成果を常に挙げているという。
> 一見かなりリスキーなことを敢行しているので、敵の心理状態まで読んでいるのではと思ってしまいます。
う〜ん、奇策・・・なんですかねえ?
確かに場合によっては、奇策と映る事や、悪手を誘うように見える事もあるでしょうけど、
しかし実際は、誰よりもシンプルに原理原則に従ったるだけのようにも感じられます。
例えば将棋の羽生さんなど、別に本人は策に走る訳ではなく、シンプルに指してるだけでも、
相手の想定を超えていれば、その指し手は奇策にも映るでしょうし、
逆に相手が考え過ぎて自爆すると、悪手を誘ったかのように見えるかも知れません。
ですから韓信に関しても、私はそんな感じがするんですよねえ・・・・
学校の勉強とかでも、解の公式を丸暗記すれば、テストの点数は取れそうですけど、
何故その公式が成り立つかまで理解しないと、応用の場面では役に立たないのと同じ事かも?
> > そして、これが地味に大きいのですが、韓信の用兵はこのように詳細が残されている事です。
> 韓信自身、戦においても情報を重視している部分が窺えますが、
> こうして情報が後々まで残っていることも、
> 韓信自身が詳細に情報を収集し、そして勝った、というのが繋がっているように思ってしまいます。
ただ、ぶっちゃけた話をすると、1番大きいのは司馬遷の存在でしょうけどね(笑)。
記録して残してくれる人や、伝え広めてくれる人が居なければ、
どれだけの功績を挙げても、やはり「伝説」にはならないのが実際の所です。
そういう意味では、韓信の死から50年後に、あの史記を書いた司馬遷が生まれた事は、
韓信が伝説として語り継がれていく上で、非常に幸運な巡り合わせだったと思います。
司馬遷と言えば、ヘロドトスと並び称される、東西の歴史学における2大巨頭ですからねえ!!
しかも年数的に、感情は排除されつつ情報は残っているという、ちょうど良い頃合いだったと。
まあ韓信の場合は、別に本人も意図していなかった幸運ですけども、
アレクサンドロス大王に関しては、あの大哲学者・アリストテレスの弟子だった事もあり、
その点を理解した上で、自ら意識的に、かなり記録を残させている面がありますね。
一方で、大王が愛した英雄アキレスの伝説も、吟遊詩人ホメロスの存在があればこそと考えており、
これほど記録を残して尚、それを伝え広めてくれる英才の不在を嘆いたのだとか・・・・
しかし、ハンニバル・カエサル・ナポレオンといった後世の英雄達から賞賛されたのも、
自らの偉業を記録させたからこそだと思えば、当人が望んだ伝説化も成功したと言えるのかな?
記録が多く残る近現代でさえも、日記などで当時の詳細な情報を残してくれた人物は、
研究者にとって非常に有り難い存在なので、どうしても評価が高くなりがちですし、
そしてそれは、何も偉人だけに限らず、例えば一般市民が残した記録であっても、
例えばアンネの日記みたいに、その価値を見出される(付加される?)モノはあります。
ですから、現時点ではあまり注目されてないような個人ブログとかでも、
後世の歴史研究者から見た場合に、価値の高い記録と評価されるモノも現れるかも?
って、何だか最後は、韓信の話題から大きく脱線しちゃいましたね(笑)。
> > 韓信は、世界史上の名将と名高いハンニバルと、ほぼ同じ時代を生きた人物ですけど、
> > この2人が同時期に、ユーラシア大陸の東西両端に居た事は、本当に歴史上の奇跡だと私は思います。
> > (ちなみに、カンナエの戦いが紀元前216年で、井ケイの戦いが紀元前204年)
> ハンニバルも名高い名将というのは知っていましたが、具体的な場面を知りませんでした。
> せっかく話題に出てきたので「カンナエの戦い」を検索で調べてきました。
> なるほど正面から戦って劣勢側が大勝したというのはなかなかないことですね。
> …でも、知っている量が違うからかもしれませんが
> 現状、開戦の前に一仕事行っているのが見える韓信の方がより光って見えます。
いや〜、私も韓信贔屓ではあるものの、やはりカンナエの戦いだけは別格ですからねえ。
未だに軍事の教科書では、「包囲殲滅戦の手本」として扱われる程の完璧な戦術ですし、
戦争の時代を生きた近現代の軍人達も、このカンナエの再現を望んで止みませんでしたが、
それでも、ハンニバルほどの完成度を見せた用兵は、遂に1度も現れませんでした。
・・・って、もうこの辺は、本を読んでもらった方が早い気がします(笑)。
という事で、個人的にはこれがオススメ↓
図解雑学シリーズ『名将に学ぶ 世界の戦術(ナツメ社)』
https://www.amazon.co.jp/dp/4816348220/
46個もの合戦がそれぞれ、文字通りに図解入りで解説されており、
予備知識とかが無くても、パッと見て凄く解りやすい構成になっています。
他には、『世界戦史 歴史を動かした7つの戦い(学研M文庫)』とかも、
絶版にさえなっていなければ、なかなか悪くない内容なんですけどね。
> (楽毅について)
> > これにより戦国七雄のパワー・バランスが崩れ、長期的には燕の滅亡にまで繋がる事を思うと、
> そうなんですよね。2強から秦の1強になってしまったので結果的に滅亡の遠因を作っているという。
> 燕目線でいうと勝たなかった方が国が存続して都合がよかったのかもしれません。
まあ流石に、一武将でしかない楽毅に、そこまで求めるのは酷な話ですけど、
これがトップの人間であれば、やはり評価に大きく関わってくると思うんですよねえ。
ムガル帝国の6代皇帝・アウラングゼーブは、インド史上でも最大の版図を築きましたけど、
その積極的な軍事行動と、厳格すぎる反融和的な政策姿勢は、
彼の死後、急速な帝国の衰退を招きましたからねえ・・・・
もっと身近に日本史で見ても、例えば武田信玄などは戦国大名として評価されてますが、
信玄が積み残した政策上のツケは、息子・勝頼の代で支払わされた側面もあり、
その結果だけ見て「信玄は有能で、勝頼は無能」と、単純に言い切れるモノでは無いかと?
> > > (もし損害が同じでも兵がより多く集められるのが有能だと思っていますので、
> > > 個人的に、大軍で勝つ>寡兵で勝つ
> > > とはいえ、実際に大軍で勝つ、は注目されないので、
> > > 大軍で勝つ<大軍集めれるけど寡兵で勝つ、になってるという解釈の苦悩)
> > この辺は、戦術と戦略とを明確に区分すると、結構解りやすいかも知れません。
> なるほど、一括りにしようと思うからぐちゃぐちゃになってしまうのですね。
もちろん、見ていて解りやすく、そして華々しいのは戦術面なのですが、
「戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的不利を覆すのは困難」と、
よく言われているように、やはり最後にモノを言うのは戦略面ですからねえ。
どれだけドイツの技術力が高くても、アメリカの物量には敵わないのと同じです(笑)。
例えば織田信長にしても、有名なのは、寡兵で大軍を破った桶狭間の戦いですけど、
これは今川軍の侵攻を受けての、止むに止まれぬ奇襲作戦であっただけで、
その後の信長の戦争は、自軍の優勢を築いた上で実行に移される作戦がほとんどでした。
・・・って、それでも金ヶ崎や本能寺の時みたいに、たまにヤラかすのですが(笑)、
でもまあ、桶狭間みたいな成功体験を1度してしまうと、その後も調子に乗り、
無茶な博打で身を滅ぼすタイプも多い事を思えば、信長は意外と堅実派なんですよね。
> > 今となっては、こうしたプロ野球の例え話が通じるのか、少し不安になってきました。
> > まあ、話が解らなければ、聞き流しておいて下さい。
> すみませんほとんど解りませんでした。
> 野球だからということではなくてスポーツ全般詳しくないのでピンとこなかったと思います。
あ〜、やはり今現在だと、そんな感じになっちゃいますか?
まあ、ここ10年ほどの間に、日本だけでなく世界全体で、
競技面でも、観戦面でも、急速なスポーツ離れが進行中ですからねえ・・・・
もちろん若い世代にも、スポーツ好きや詳しい人は大勢居るのは確かですけど、
しかし10年ちょっと前までなら、その辺の主婦とかでも、
巨人軍やサッカー日本代表の主力選手は、普通に認知されてるレベルでした。
なので男性同士の会話となると、程度の差こそあれ、野球やサッカーは知ってて当然でしたし、
そんな状況でしたから、「戦術・戦略・兵站」を野球に例えると凄く伝わり易かったのですが、
う〜ん、そろそろ時代に合わせて、別の説明方法を考えなきゃダメな頃合いなのかも?
ただ一方で、スポーツ好きな私としては、ちょっと寂しい時代ではあります(泣)。
リアルの雑談でも、スポーツが話題になる機会は、めっきり減ってしまいましたし、
ネットの方でも、以前は試合後の感想戦とかも、もっと技術的な話が多かったのですが、
今では、試合内容とは懸け離れた選手個人への誹謗中傷だったり、
挙げ句の果てには、その競技とは全く関係ない政治的主張が溢れる始末・・・・
もちろん、そうした書き込みは以前から有ったものの、埋め尽くされる程では無かったです。
これもまた、ある意味で「悪貨は良貨を駆逐する」の一例なのかも知れませんね。
サッカーW杯予選の裏で同時進行中のアジア杯予選の話とか、そうしたマニアな話題も、
以前なら、ネット上で物好きが語り合ってましたけど、今では見掛けなくなりましたし、
そうした頃のネット黎明期が好きだった私としては、これまた寂しい限りです。
> > いや、理系の中でも私は物理で、しかも実験系ではなく理論系でしたから、
> > 数学に関しても、かなり近い存在でしたよ。
> 自分は自分で、一般的に数学と言われてイメージされそうな生の数字を使う分野とは違うので
> (用語的に何というのか分かりませんが)、思ったより分野的に近いかもしれません。
う〜ん、この「生の数字」の意味をどちらで取るかで、大きく変わってきますけど、
普遍的な心理を求めて、抽象的な概念を扱ってる分野でしたら「純粋数学」でしょうし、
机上ではなく現実の数値を集めて、具現化させる分野でしたら「数理統計学」でしょうから。
ちなみに理論物理で用いるのは、その中間に位置する「応用数学」が多いのかな?
フーリエ級数とか、テイラー展開とか、ゼータ関数とか、やってた記憶があります。
まあ個人的には、「数字は文字であり、数学は言語である」って感覚ですね。
つまり、世界で最も普及している言語は、英語ではなく、実は数学であると(笑)。
・・・って、そんな事を言っても、世間的にはなかなか理解されないかも知れませんが、
世界で最も普及している文字は、アルファベットではなく、アラビア数字と言えば、
納得してくれる人も、それなりには居るように思えます。
> > あと、ここからは日本語の話になりますけども、
> > 「理系」というのは、理学・工学・医学・歯学・薬学を一纏めにした用語で、
> > 基本的には、「文系」に対する対義語として使われる感じですね。
> > そして「理数系」とは、理科と数学を合わせた用語で、理学系とほぼ同じ意味だと思います。
> > ですから、理科系・数学系と分ける事はあっても、理系・数系と分ける事は無い気がします。
> そうだったのですね。
> 呑み込めたような呑み込み切れてないような…。
> 文系と理系という対比があって、理科系も数学系も理系の中に含まれるということでしょうか。
理系の人であれば、下手に文章で説明されるよりも、
こう書いた方が、却って解りやすいですかねえ?(笑)
「理系⊃理学≒理数系=数学+理科」
> > > > 世間的な人気を加味しつつ、中国人(漢民族)の将軍十傑を選ぶと、こんな感じでしょうか?
> > > > 孫武(春秋)・白起(戦国)・韓信(漢初)・霍去病(前漢)・周瑜(三国)
> > > > 李靖(唐初)・郭子儀(唐末)・岳飛(南宋)・徐達(明初)・袁崇煥(明末)
> > > > もちろん、三国志や春秋戦国のファンからすれば、もっと入れたい武将は挙がるでしょうし、
> > > 他の時代の枠を取ってまで入れるつもりはありませんが、三国志なら自分は司馬懿を押します。
> > > 人気とか名将という表現なのかとか考えると疑問はありますが、能力で選ぶなら。
> > 単純に「三国志で評価する武将を1人挙げろ」となれば、恐らく私も司馬懿ですね。
> > 軍事的実績はそこまでなので、名将と呼べるか否かは置いておくにしても、
> > 何だかんだ言って、やはりあの戦乱の最終勝利者ではありますし、
> > 棚ボタ的に天下を手にできた訳でもないので、政治家としては大きく評価できるかと?
> 私は司馬懿は軍事的実績も充分あると思っています。
> 上庸の孟達攻め(間違ってたらすみません)とかは個人的に名将と呼べる枠に入りそうです。
> ただ、襄平戦役とかでイメージが悪いので、名声的な意味で「名将」表現は疑問符ですが。
う〜ん、確かに司馬懿は、孟達の反乱蜂起も早期に解決していますし、
諸葛亮の北伐をその度に跳ね返してますし、遼東への遠征も卒なくこなしています。
そういう意味では、軍事的実績も充分にあるという意見も、もちろん解るのですが、
ただ、ここでの大前提として、中国史を代表する意味での「名将」を語っていますからねえ。
司馬懿が軍事面でも有能であった事は、私も決して否定するモノではないのですが、
しかし一方で、戦乱の時代であった三国志の時代には、
司馬懿以上の才能を見せた軍人が、他にも数多くいると思うんです。
そんな彼らを差し置いて、三国志No.1の名将を司馬懿とするには、やはり実績が少ないのでは?
物語的なライバルとされる諸葛亮と比べても、魏と蜀の国力差を排除して見た場合、
入蜀・南征・北伐の軍事的実績は、司馬懿のそれを上回るような気がしますからねえ。
> > ところで三国志と言えば、曹操が築かせた「銅雀台」という大宮殿がありますが、
> > その柱を飾っていた「獅子の石像」が、実は東京にあるのは御存知でしょうか?
> 知らなかったです。
> そういうところで現在も繋がっているのを知ると、一段と歴史に思いを馳せます。
こうした歴史や美術のコレクションの充実度で言うと、
さすがにイギリス・フランス・アメリカには圧倒されるものの、
日本もなかなかのモノで、ドイツに次いで世界でも5番目くらいだと思います。
イタリア・スペイン・ロシア・オランダ・中国なども、自国作品のコレクションは凄いものの、
地域や時代を超えて網羅している面では、やはり上位5ヶ国と比べると見劣りするかと?
まあこの辺は、歴史的な善悪は置いておくとして、近代の日本が列強国であった事に起因します。
近世までですと、他国からのコレクション収集は限定的なモノでしたし、
現代となると、国外への流出が厳しく規制され、購入可能でも金額が莫大になりましたので、
近代に日本がそうした地位にあった事は、充実度の面で非常に有利に働きました。
逆に言うと、今の日本人はそれだけ恵まれた環境にあるのですから、
それを味わわないのは損なんですよね(笑)。
(しかも娯楽文化の面で言うと、東京はニューヨークに次ぎ世界でも2位の存在ですから)
ただ一方で、その辺の思いが強すぎると、維新や敗戦で流出・強奪された作品群は悔しく、
そこを思うと、相手国を差し置いて日本が保有していて良いのか?という気分にも・・・・
> > 十八史略の扱う範囲だと南宋までなので、登場するのは岳飛まででしょうか?
> > 誰の著作だったかは忘れましたが、日本の有名学者が書いた中国通史も、
> > 中国史の範疇に収まらないモンゴル帝国の登場により、そこで執筆が止まってしまいましたし、
> 文化圏というのが割とはっきりあった時代があり、
> まとまった書物が存在したことが学ぶ上で都合が良い気がします。
> 中国史でも、モンゴル帝国など外因の歴史の比重が増してきてからは、
> それ以前とは学び方が違う気がします。
ちなみに、中国史の通史ですと、つい最近、
2年前に再販された『中国史 上・下巻(岩波文庫)』を読んでみたのですが、
さすがは宮崎市定の著作だけあって、なかなか良かったですねえ。
まあ全2巻なので超ダイジェスト版であり、話の展開としては凄く速くて、
その点では物足りない部分があるものの、歴史の考察部分はやはり見事でした。
しかも、それを半世紀近く前に行っているのですから、やはり感嘆の一言に尽きます。
とは言え、そこは40年前に出版された本なので、当時は冷戦の最中でしたし、
特に現代史(中華人民共和国)の記述は、今から見ると的外れな箇所もありますが(笑)、
そこを差し引いても、結構オススメできる内容でしたね。
> ヨーロッパの方はそういう意味でまとまった書物が見当たらないのが、
> 自分にとって敷居がまだ高いのかもしれません。
う〜ん、ヨーロッパの通史モノとなると・・・正直、思い浮かびませんねえ。
そもそも欧州自体が、幾つもの国に分かれている訳で、
例えばこれが、日本や中国、タイにベトナムも一緒に扱う、
東アジアの通史モノが存在しないのと、同じ事なのかも知れません。
まあ各国史であれば、一応、山川出版社からいろいろ出されてはいますし、
世界史の通史だと、少し読み物的ですけど、W.H.マクニールの作品群がありますけどね。
それでも強いて、ヨーロッパの通史モノを挙げるとすれば、
EUが編纂した『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書(東京書籍)』というのがあります。
ただこれは、図版が豊富な全頁カラーの大型本なので、読むというよりは見る感じかも?
ちなみに、読むというよりは見る感じの大型本ですと、
こちらは欧州史限定ではなく、世界史全般となりますけど、
『クロニック世界全史(講談社)』は、超が付くほどのお気に入りですね!!
カラフルな作りは眺めているだけで楽しく、年代ごとに出来事が並べられている為、
通史として流れを掴みやすいだけでなく、同時代の別の出来事も把握する事が出来ます。
ただ、大型本で1000ページを超えるので、どうしても場所を取りますし、
四半世紀前の本なので、既に絶版で、中古市場でしか手に入らないでしょうから、
気軽にオススメとは言えませんけど、歴史好きなら必ず気に入る1冊だと思います。
(出版当時は高額な値段もネックでしたが、今は古本で結構手頃な価格になっています)
このシリーズには他にも、「日本全史」「戦国全史」「20世紀全記録」があり、
それらも出来は悪くないものの、やはりスケール感では「世界全史」が圧倒してますね。
・・・って、何だか少し脱線してしまいましたので、話を元に戻しますと、
欧州史全体をカバーする通史モノというのは、なかなか無いのが実状ですけど、
神聖ローマ帝国の皇帝であった「ハプスブルク家」の歴史を追って行けば、
中世から現代までの欧州史の基本的な流れは、結構見えてくるように思います。
オーストリアやスペインの王であり、ドイツ・イタリア・オランダなどに領地を持ち、
周辺国としてイギリス・フランス・ロシア・トルコなどとの関係もありましたからねえ。
主役であれ、敵役であれ、脇役であれ、中世以降の欧州史にはほぼ関わってくる一族です。
まあハプスブルク帝国自体は、第一次大戦により崩壊するのですが、
その時の皇太子は、第二次大戦後の冷戦期に、欧州議会の中心人物として活動し、
東欧の民主化や、EUの欧州統合では、主導的な役割を果たしましたからねえ。
この一族の歴史を軸として、後は英・仏・露・土からの歴史を肉付けしておけば、
ここ1000年の欧州史は、だいたい押さえられるかと思います。
で、それ以前となると、ヨーロッパはいわゆる「暗黒時代」ですから、
ローマ帝国と、その後継国である西のフランク王国&東のビザンツ帝国を押さえておけば、
とりあえずは充分な気もしますね(もちろん歴史は流れなので、暗黒時代も欠かせませんが)。
中国の通史を、始皇帝から溥儀まで、連綿と続いた皇帝たちの歴史として見た場合、
ローマ帝国からフランク王、そしてハプスブルク帝国へと繋がる帝位を軸にすれば、
そこから見えてくる歴史は、西欧の通史と言っても過言では無いかも知れません。
ちなみに、ローマ帝国からビザンツ帝国、そしてロシア&オスマン両帝国へと繋がる、
もう一方の帝位の方も追っていけば、東欧の歴史もカバーできますしね。
要するに、全ての道がローマに通ずるが如く、欧州の歴史もローマに通ずるんです(笑)。
ちなみに、ハプスブルク関連の書籍は、講談社現代新書がなかなか充実してまして、
江村洋『ハプスブルク家』『ハプスブルク家の女たち』
菊池良生『神聖ローマ帝国』『戦うハプスブルク家』『ハプスブルクをつくった男』
などが、良書として知られています。
あと、こちらは私自身まだ読んでいないのですが、つい先日も、
岩崎周一『ハプスブルク帝国』という、若手研究者による通史本が出版されたみたいです。
ネットの書評を見ると、なかなか良さそうなので、そのうち機会があれば読むと思いますが、
前の両名は昭和世代の研究者なので、今だと、こちらの方が文章的に読みやすい可能性も?
でもまあ、ハプスブルク関連の書籍は意外と数が出ている一方で、
一般層はあまり食い付かない題材なので、どれを手に取っても悪書は少ない気がします。
> > それ以降の元・明・清の3王朝の歴史と、中華民国から中華人民共和国に至る流れは、
> > 想像している以上に、日本人にとっては縁遠い存在なのかも知れませんね・・・・
と言いますか、よくよく考えてみますと私自身も、
明王朝の知識って、スポッと抜けてる時期な気がします(序中盤は特に)。
古代からモンゴル帝国までは、それこそ十八史略のお陰もあり、一連の流れが入っており、
明末清初も秀吉の朝鮮出兵に始まり、日中ハーフの英雄・鄭成功も登場しますし、
清王朝は私が好きな王朝の1つな上、文明の十字路に居た満州族の存在は実に興味深く、
清末から中華民国、そして中国共産党と至る近現代史は、日本も大きく関わりますからねえ。
しかも明王朝は、モンゴル統治の粗野さが残る宋王朝の劣化コピーという評価が一般的で、
中国歴代王朝の中でも「最も魅力に欠ける王朝」と見なされていますからねえ・・・・
開祖の朱元璋にしても、450年ぶりに中国全土を漢民族の手に取り戻し、
孤児ホームレスから皇帝にまで出世した、世界史上でも前代未聞な英雄なのですが、
功臣に恵まれた事もあり、わずか10年ほどで乱世を平定したのが、却って物語性に欠け、
しかも皇帝即位後には、その功臣たちのほとんどを、一族郎党に至るまで皆殺しにした為、
いまいち人気が出ないだけでなく、その重い空気感が宮廷や世間を支配し続けるんですよね。
その中には、燕王・朱棣(後の永楽帝)による軍事クーデターなんてモノもありました。
中国の歴史上、易姓革命は何度も起きてますけど、皇族が武力で皇位を簒奪するのは、
あまり例が無いように思います(武力蜂起させて潰したり、そのまま内乱化はありますが)。
正直な所、この皇位簒奪の内乱期まで含めた、元末明初の動乱というのは、
数ある中国史の群雄割拠の中でも、個人的に最も知識の浅い題材になっちゃってます。
(モンゴルの中国支配が終わる時代であった事も、遊牧民好きな私には影響したのかも?)
でも、ここまで来ると、何だか逆に元末明初の事を知りたくなってきました(笑)。
元王朝にしても、中国の領土を失ったものの、北方の本拠地モンゴルに帰っただけで、
王朝自体は通称「北元」と呼ばれて、その後も存続しましたからねえ。
ゲームの題材として捉えた場合も、元末明初は意外に面白い時代かも知れません。
特に「ココ・テムルvs.徐達」みたいな名将同士の対決は、世界史的にも希少ですし。
ちなみに元王朝の玉璽(皇帝の印章)は、このモンゴル北帰から約250年後に、
急速に勢力を拡大していた満州族へと降る際、この玉璽が満州族の王に献上されました。
それにより、満州・漢・蒙古の3民族を統べる皇帝として即位したのが、清王朝の始まりです。
・・・って、明から更に進んで清の話になっちゃいましたが、この明にしても、
燕地方(燕雲十六州)を4世紀半ぶりに、漢民族の手に取り戻したのが初代皇帝・朱元璋で、
その地を治め、北帰したモンゴルに睨みを利かせていたのが、息子の燕王・朱棣でした。
そして父親の死から数年の後、北の国境を守る兵を率いて首都・南京へと攻め込み、
甥の2代皇帝から皇位を奪うと、永楽帝として即位して、自らの本拠地である北京に遷都。
まあ当時としては、中国大陸の北端であり、騎馬民族圏の南端でもある「燕」は、
元にとっても、明にとっても、清にとっても、重要な土地であったのでしょうが、
(余談ですけど、極東であり、極西でもある日本も、世界的には面白い存在です)
その戦略的意味が薄れた現代においても尚、そこが中国の首都なんですよねえ・・・・
それにしても、雑談の最初の方で、燕と楽毅の話をしてましたけど、
あの辺境国であった燕の都・薊が、今では中国の首都だというのも凄い話です(笑)。
正直な所、単に中国を統治するだけであれば、北京は端っこ過ぎるので、
立地的には南京の方が良さそうですが(実際、中華民国は南京を首都にしましたし)、
まあこの辺は、歴史上の成り行きとしか言えないんでしょうかね?
もしも永楽帝がクーデターを起こさず、北京への遷都が行われていなければ、
こうして未だに、あの北端に中国の首都がある展開にはならなかったかも知れません。
そういう意味では、漢民族の歴史にとっての明王朝は、思う以上に重要な存在なのかも?
また日本からしても、日本が中華王朝の冊封体制に組み込まれるは、
卑弥呼や倭の五王などを除くと、この明王朝と室町幕府(永楽帝と足利義満)の頃だけですし、
この時の交流により中国の文物が大量に流入して、日本文化の成熟に繋がった事を思うと、
(私個人の趣味に走るなら、芸術作品や科学発見のランキングも作ってみたい所・笑)
日本人の歴史にとっても、意外と明王朝は重要な存在だったりするかも知れません。
まあ明朝末期には、豊臣秀吉や鄭成功だけでなく、徳川家光さえ少し関わりますしね。
清に抵抗する南明政権から幕府へ援軍要請があり、徳川御三家などは出兵に乗り気でしたが、
幕閣重鎮の松平信綱や井伊直孝は派兵に反対で、最終的には将軍家光の判断で見送りとなりました。
ですが、当時はまだ大坂の陣より30年ほどしか経っておらず、戦国の気風も色濃く残り、
そして何より大量の浪人問題が深刻でしたから、援軍派兵も決して有り得ない話では無かったかと?
もし本当に出兵となれば、家康の末子である水戸家・徳川頼房が先陣を務める話が出ており、
その跡継ぎである徳川光圀(水戸黄門)も、中国の地で初陣を迎えてたんでしょうね。
if設定ではあるものの、ちょっと妄想を掻き立てられる題材でもあります(笑)。
ただ結局、派兵は行われなかったものの、実際の光圀は朱舜水など明からの亡命者を招き入れ、
それが水戸学の誕生に結び付く一方で、やがては幕末の尊皇攘夷運動に繋がる事にもなります。
これはこれで、歴史の流れとしては面白い話ですよね。
> > 個人的にパッと思いつくまま、1時代に1人の基準で選んでみました。
> > とは言え、やはり偏りがある為、何人も浮かんで誰を選ぶか悩んだ時代もあれば、
> > 高評価な人物が思い浮かばず、少し無理やりに選んだ時代もありますね(笑)。
> >
> > 中国史・各時代の名宰相
> > 伊尹(殷)・周公旦(周)・管仲(春秋)・商鞅(戦国)・李斯(秦)
> > 蕭何(前漢)・ケ禹(後漢)・諸葛亮(三国)・王導(晋)・王猛(五胡)
> > 高ケイ(隋)・狄仁傑(唐)・馮道(五代)・包拯(北宋)・秦檜(南宋)
> > アフマド(元)・張居正(明)・ドルゴン(清)・顔恵慶(民国)・周恩来(中共)
> > ※ 皇帝もアリなら、後漢は光武帝(劉秀)、清は雍正帝かな? ※
名将ランキングで韓信を語り、名宰相として蕭何を選考すると、
楚漢戦争が好きな私としては、やはり張良も入れてあげたくなる所(笑)。
という事で、ついでに今度は各時代の軍師でも・・・と思ったのですが、
こうして考えると、そもそも「軍師」と呼ばれる人自体、意外と少ない事に気が付きました。
(軍師とは本来、従軍する占い師や祈祷師の事でしたが、ここでは参謀的な軍略家の意味で使用)
近代になって参謀制度が始まるまで、一般的にイメージされるような軍師の存在は、
全く無かった訳ではないものの、ほぼ中国史だけに限定されますからねえ。
西洋の場合、偉くなるほど後方に控える東洋と違い、自ら先頭に立ち引っ張るのが理想像ですし、
まあ日本の戦国時代だと、何人かは名前が挙がるものの、実際ほとんどは講談の創作ですので。
しかも本家の中国においても、基本的に軍師が必要となるのは、戦乱期か建国期に限られる為、
ランキング化しようとすれば、選ぶどころか、全て挙げてみる作業になるかも知れません(笑)。
という事で、たくさん挙がりそうな三国志はメジャー所だけに限定しますと、
呂尚[太公望](周・文王)、伍子胥(呉・闔閭)、范蠡(越・勾践)、呉起(魏・文侯)、
孫ピン(斉・威王)、范増(西楚・項羽)、張良&陳平(漢・劉邦)、韓キン(後漢・宰相 ケ禹)、
荀攸&郭嘉など(曹魏・曹操)、周瑜&魯粛など(孫呉・孫権)、諸葛亮など(蜀漢・劉備)、
張賓(後趙・石勒)、王猛(前秦・苻堅)、尹緯(後秦・姚萇)、王買徳(胡夏・赫連勃勃)、
房玄齢&杜如晦(唐・李世民)、李振(後梁・朱全忠)、趙普(宋・趙匡胤)、
劉基(明・朱元璋)、姚広孝[道衍](明・永楽帝)、洪承疇(清・摂政ドルゴン)
って感じでしょうか?
建国期であっても、異民族による征服王朝の場合は、あまり見当たりません。
ただし例外として、中国に入植した異民族が初めて王朝を建てた五胡十六国の時代は、
異民族であっても中国の文化に詳しく、漢民族の統べる上でも漢人登用は有益だった為、
却って積極的に、政策や軍略のブレーンとして用いていた印象ですね。
あと、滅んだり敗れたりした勢力にも、参謀的な存在は居たのでしょうが、
イメージの問題として、そうした人材はあまり軍師とは呼ばれないと(笑)。
それと、これだけ戦乱期や建国期の人物が並ぶ中で、ただ1人、
皇位を簒奪した永楽帝と共に策謀を練った、僧侶で軍師の道衍は少し異色な存在かも?
> > 日本史・各時代の名宰相
> > 大伴金村(古墳)・蘇我馬子(飛鳥)・藤原不比等(奈良)・菅原道真(平安)
> > 北条泰時(鎌倉)・細川頼之(室町)・石田三成(戦国)・田沼意次(江戸)
> > 大久保利通(明治)・西園寺公望(大正)・田中角栄(昭和)・小渕恵三(平成)
> 知らない人も入っていますが昔の区分のほうが知っている率が高かったり。
> (平成と区分されているのに小渕恵三が何をした人か知らないという)
平成なんて、まさに前言の「少し無理やりに選んだ時代」ですね。
宰相という事であれば、今の時代だと首相から選ぶのが妥当でしょうけど、
平成の首相で凄い人が居たかというと・・・日本の国家的にも「失われた時代」とされており、
その状況を打開できた人物も居ませんでしたから、結局は消去法なんですよね。
まあ、その中でも小渕を選んだのは、特に何かを成し遂げたからではなく、
色々やろうとしたものの、道半ばで任期中に急死してしまったからなんです・・・・
期待値の段階なら高止まりする評価も、実際に行って失敗すれば評価は下がりますし、
何も行う意欲が無ければ評価などされず、意欲はあっても悪い方向に進めれば論外なので。
まあ小渕というのは、自ら先頭に立って引っ張るのではなく、柔和な人柄で調整を行い、
明確な指針を示した後は、全て部下に託すという、古い東洋的タイプのリーダーでしたから、
欧米メディアから「冷めたピザ」と揶揄されるなど、海外からは評価されませんでしたし、
見た目は凡庸で、何事にも根回しを重視する姿勢は、国民ウケも最初は良くありませんでした。
ただ華々しさには欠けても、その着実な実行力、堅実で大胆な政策力、バランスの取れた外交力は、
今になると、「あのまま小渕政権が続いていれば」と、思わせる所があるのは確かですね。
と言いますか、その後は失言連発で支持率1ケタの森政権に、政治を劇場化させた小泉政権と続き、
首相の座をタライ回しにした後、民主党政権のドタバタがあり、そして今の安倍政権ですから、
ちゃんとした「政治家」が日本の首相を務めたのは、この時が最後だったのかも?
国防・治安・愛国を重視したけど右翼ではなく(周辺事態法、通信傍受法、国旗国歌法を制定)、
教育・環境・沖縄を重視したけど左翼ではなく(沖縄サミットや、左右対立を超えた教育方針)、
中国・韓国・ASEAN諸国とは媚びない友好関係を結び(左右極端な外交姿勢は国益を損ないます)、
生活インフラとしての大容量ネットの整備を目指し(郵政族の小渕が居なくなると有耶無耶に)、
断腸の思いで赤字国債や派遣法改正を実施(しかし後の政権が安易に拡大して日本は滅茶苦茶に)。
公明党との連立とか、議員定数の削減とか、対人地雷の全面禁止とか、男女平等の急速推進など、
賛否の別れる政策もありましたが、何より小渕は、選挙に強くない事もあってか常に謙虚でした。
(定数4議席で同じ選挙区に、首相の福田&中曽根や、社会党書記長の山口が居ましたからねえ)
う〜ん、こうして改めて振り返ると、1年半あまりの短い在任ではありましたが、
平成時代の総理大臣としては、いろいろと成し遂げた方なのかも知れませんね?
> > 佐々木道誉は、日本史上でも一二を争うほど面白い人物ですよ(笑)。
> > 鎌倉末期から南北朝に至る動乱の時代、政治に、軍事に、文化にと活躍(暗躍?)した人物です。
> > 三国志の曹操を、もっとダークで派手好きな性格にした感じの道誉が、
> > 足利尊氏の盟友であり、2代将軍・義詮の後見役を務めた為・・・室町時代は、ああなったと(苦笑)。
> 曹操をもっとダークで派手好きな性格にした、とは恐ろしい。
> 知識の不足で分かりにくいところもありましたが、
> 良くも悪くも歴史に大きな影響を与えたことはわかりました。
権力者に取り入っては操り、機会があれば得になる方へと簡単に寝返り、
対立する相手がいれば、どんな手段を使っても追い落とし、
朝廷だろうが、幕府だろうが、大寺院だろうが、気に食わなければ平気で喧嘩を売り、
それで一時的に立場を悪くしても、実力があるので結局は許されて出世を重ねると。
こうして改めて書いてみても、やはりロクでも無い人物ですね、佐々木道誉は(笑)。
ですが、如何に動乱の時代とは言え、こんな傍若無人ぶりが罷り通ったのも、
政治面でも、軍事面でも、謀略面でも、道誉は頼りになる一級の人物だったからであり、
そして、彼の評価を更に高めているのは、彼が文化人としても超一級の人物だったからです。
もし道誉が居なければ、茶道・生け花・俳句なども、今と違ったモノになってたかも知れませんし、
彼の派手好みは、戦国の安土桃山文化を経て、世界遺産の日光東照宮に繋がってますからねえ。
具体的に何かを残した人物では無いですけど、大きな下地を築いた人物ではあります。
> > 例えば、江戸時代には何度か改革が試みられましたけども、
> > その中でも、時代遅れな懐古主義的政策で、失敗を重ねた享保・寛政・天保の改革を、
> > 「江戸幕府の三大改革」として教えているのは、個人的に違和感があるんですよねえ。
> やっぱり違和感ありますよね…。
> 私の意見と徳翁導誉さんの意見も色々違いはあると思いますが、
> 私はそもそも「改革」という言葉が相応しいかどうかから疑問です。
う〜ん、まあ改革は改革だと思いますよ。
改良や改悪であれば、その中身や結果で判断されますけど、
改革であれば、中身や結果がどうであろうと、とにかく変えれば良いのですから(笑)。
> > > > でもまあ、ある意味で中華文明の歴史というのは、
> > > > 中原の農耕民だけでなく、「北方の遊牧民も居てこそ」という面はありますからねえ。
> > > 確かにそう思います。
> > 別に構いませんけど、意外にサラリと流されてしまった(笑)。
> すみません、思ったより長文で返答が面倒になってきていたのが出てしまったようです。
> まともに返答付けれるかどうかは分かりませんが、語りたいことなら読んでみたいです。
いえいえ、こうして匈奴や鮮卑の話題が挙げられ事で、
遊牧民好きな私が、それに食い付き気味になっただけの話であり、
自分の方から進んで語るというのは・・・あまり得意では無いんですよねえ(苦笑)。
私には長文癖がある為か、どうも勘違いされる事が多いのですが、
正直な所、自分から語るよりも、相手の話を聞く方が好きなタイプの人間ですし、
長文になってしまうのも、あれこれ話題を振る事で、少しでも反応が欲しいからですね。
もしも自分から発信したいタイプであれば、掲示板ではなくブログをやってると思います(笑)。
それに、ここまでの長文になってしまうと・・・更に長くなる話題は、避けた方が得策かと?
> > > 「十八史略(講談社学術文庫)」、「宋名臣言行録(ちくま学芸文庫)」、「貞観政要(ちくま学芸文庫)」
> > > これから本格的に読みますが、ここでの話がきっかけでいい買い物ができたと思っています。
> > おおっ、一気に買われたのですね!(笑)
> > 私の方は「あの本は良かったなぁ」と、思い出話半分で気軽に語っていたので、
> > 何だか恐縮すると共に、「果たして満足してもらえるか?」と、少し不安にもなってきました。
> あまり読み進められていませんが、読んだ限りでは悪くないと思います。ただちょっと退屈な感じが。
まあ、これらの書籍はエピソード集みたいなモノですし、
そもそも古典をオリジナルに近い形で読むというのは、実際、味気ない事も多いと思います(笑)。
言うなれば、野菜をそのまま生で食べる行為に近いですからねえ。
ですから、ドレッシングを掛けてサラダで食べるみたいに、解説本の方を読んでみたり、
調理をして野菜炒めで食べるみたいに、物語化された小説版を読むといった方法があります。
研究対象として読む場合だと、なかなかそうは行かないでしょうけど、
趣味で読むのであれば、いろいろと食べ比べてみて、自分に合う方法を探してみるの一手かと?
宋名臣言行録や貞観政要であれば、どちらも山本七平の解説本がありますし、
個々人の好み次第ですが、そうした一手間加えられたモノの方が、味わい易い場合もあります。
もちろん、人の手が加わるほどオリジナルからは乖離する為、そのまま味わえれば最良ですけど、
結局は、どの方法が最も自分の栄養になるか?というのが一番ですからねえ。
例えば洋書を読む場合でも、背伸びして英語の原書版を読んでみた所で、
翻訳版を読んだ方がずっと理解が出来るのなら、原書に拘る意味はあまり無いでしょうし。
> 今までまとまって持っていなかったので買いましたが、韓非子はやはり刺激が強い。
> これだけは他の本より読み進んでます。
> ただ、「韓非子をビジネスに生かそう」みたいな本があるみたいですが、それは違和感があります。
> 自分は歴史の一部として学ぼうと思って買いました。
> 法学うんぬんはよく分かりませんが、そのまま現代に適用したらちょっとおかしい内容でしょうね。
う〜ん、それはなかなか難しい所ではありますねえ・・・・
確かに、歴史便乗のビジネス本や自己啓発本などには、酷い内容のモノも多いですけど、
その一方で、たまに掘り出し物もあったりするので、一概には言えない所。
以前話題にした、大手出版社とマイナー出版社の書籍の話にも通ずる部分があると思いますが、
敷居の低い本だからこそ、無名だったり専門外だったりする人にも書く機会が与えられ、
それにより、新しい視点から語られたり、シンプルで大胆に語られたりする事もあります。
(本のタイトルは出版社側が付ける為、書名と内容が乖離しているケースもありますしね)
そして、原書のエッセンスを的確に抜き出して、纏められていれば、
却ってそちらの方が、本質的な部分を理解しやすい場合もありますし、
そこに普遍性があるのなら、現代での応用も決して出来ない訳では無いと思います。
時代や場所が変われば、社会のルールも変わりますけど、人間の本質的部分はあまり変わらないので。
・・・って、そうは言っても、やはり駄作が多い事実に変わりはありませんけどね(笑)。
> > > 陳舜臣「小説 十八史略」を勧めて頂きましたが、創作が多分に含まれているとのことなので
> > > 忠実な訳に近いらしいのを買いました。
> > 創作の部分が多いと言いますか、十八史略そのものを翻訳をした訳ではなく、
> > 扱う時代を合わせてタイトルを拝借しただけの、基本的には完全に別物の作品です(笑)。
> > ですから、翻訳本や解説本とは、また別の魅力を帯びた作品であるとも言えますね。
> そうなのですか。
> ちなみにすみません話がそれますが、小説読まない…というか嫌いなんです。
いえいえ、私も小説はほとんど読みませんので(最近は特に)。
> > いや、やはり一般的な感覚だと、心や魂などは特別な存在だと思われてる気がしますよ。
> > 幽霊や死後の世界すら信じてる日本人が、だいたい6〜7割と言われていますし、
> > (世界的には、日本よりも宗教意識の強い地域がほとんどなので、全人類だと大多数?)
> > 心や魂を「脳内の化学反応」と割り切って見てる人なんて、日本で1割も居ない印象ですね。
> そうなのですか。
> 私自身も、普段は意識することはないですが、考えるとだた物理法則だよね…という感じです。
> うーん、でもそれ以外の考え方があるということが理解できなくてちょっと苦しいです。
「心や魂の存在は特別」「命の存在は特別」「自分の存在は特別」「人類の存在は特別」
宗教を信仰していれば、教義的にそうなってる事は多く、とにかく疑わずに信じるだけですし、
そこまでの宗教意識のない日本人であっても、漠然とそう考えてる人は多数派だと思います。
で、「特別」なら文字通りに特別なので、それ以上は深く考える必要なんて無いんですよ。
何と言ったって、それは「特別」なのですから(笑)。
「なぜ特別なのか?」「本当に特別なのか?」と考えるのは、変わり者のやる事です。
ただ一方で、「特別なんだから特別なんだよ」で止まってしまう多数派の人は、
科学というモノに対して、どうも偏見と言いますか、正しい見方をしていないように感じます。
科学というのは、まず大前提として自然界の存在があり、
それを現時点の技術で見た時に、最も妥当な解釈であろう見方を「科学」と呼ぶのであって、
自然界の法則に反する科学だとか、妥当性に欠ける科学なんて、そもそも存在しないんですよね。
また、現時点ではそう解釈しているだけの不完全な存在が科学なので、
それを絶対視する科学万能主義も、単なる信仰に近く、同じく科学というモノを理解してないんです。
例えば心霊現象とかも、それが最も妥当な解釈であれば、それを認めるのも科学だと思うんです。
逆に言えば、そうした妥当性に欠けるからこそ、心霊現象は科学的に否定されるだけの話であり、
だからと言って、それを完全否定できる証拠も無い為、絶対に有り得ないとは言わないのも科学かと?
> 文章の最後になりましたが返信遅れてしまいすみません。
いや、それは構いませんよ(笑)。
長文癖のある私と付き合うのも大変でしょうし、
今回みたいに、私の方も返信が遅れる事はありますから。
と言いますか、何だかボケーッと返信を書いていたら、
削る作業を忘れてしまい、トンデモない長文になってしまいました・・・・
今週は、エアレースで日本人初となる室屋の劇的な世界王者獲得や、
10年ぶりとなる浦和レッズのACL決勝進出に、U-17W杯での日本惜敗、
プロ野球や大リーグのポストシーズンの激戦などがあり、
知らず知らずの間に、私の中のテンションも上がっていたのかも知れません(笑)。
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