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[22211] Re4:雑談返信 削除
2019/3/9 (土) 20:28:37

▼ 徳翁導誉さん
> う〜ん、非難と批判は、深い部分で大きく違いますけど、
> 批判と疑問は方向性的に、そこまで違わないんじゃないですかねえ?
> 批判というのは、あくまで、「より良くする」過程の為に指摘するのであって、

これは衝撃を受けました。
批判も責める目的のものだと思っていました。
(非難が人物への責めだとすると批判は出来事への責めという違い程度の認識でした)
となると、一般的には批判される事で改善しようという意欲が湧くということなのでしょうか。
自分はそうではないのですが…。

「何を言うかではなくどう言うか」だと教わって、それを心掛けてきた(そうしていると見られてはいないのかもしれませんが)ので、
わざわざ攻撃要素のある言い方をしているように聞こえるのはこちらは違和感を感じているのです。

あと、話の流れ的に学問的な意味合いを持ってしまっていたのでしょうけど、
実際グラフを書いたりしていた時はそういうつもりでやっていた訳でもなかったですし、
その立ち位置や熱量などが意図した伝わり方ではなかったのかなと今は思ったりしています。

> いや、私は関西人じゃありませんよ(笑)。
そうでしたか、勘違いすみません。
1〜2割くらいとの関西人要素を感じてしまうのは、苦手意識が先行しているからなのでしょうかね。
逆に東海要素を感じたかというとそうではないですし。(東海に多くのイメージを持っている訳ではないですが)

> 東北人が、関西人を苦手に・・・と言いますか、
> 厳密には、関西弁を苦手にしている事は知っています(笑)。

うーん、そうなのですかね…。
あまり表立って苦手と言うのも憚られますので多くを書けませんが、自分の認識とは違うようです。

> この辺の各地方の意識は、日本地図上に図示してみると、意外に面白いかも?
そういうノリでやるものではないのではと思います。
お互い良い思いをしないでしょうし。

> それは、あくまで「話し言葉」の時であって、
> こうして「書き言葉」の時には、あまり方言的な特徴は出ませんから、

うーん、出てると思いますけどね。
合っているかどうかは確認できないことも多いですが、感じることはあります。
(説明が難しいですが、単語ではなく文脈として、感じることがあります)

> ちなみに、発達障害だと方言が話せない(標準語しか使えない)タイプも、
> 中にはあると聞きますけど、官さん自身はどうですか?

方言でも話せますよ。方言で話す方以外には方言で話さないですけどね。
ちなみに、文章を口語的に書いてしまうので、逆に言うとここの文章は口語に近いです。(イントネーションは情報落ちしてますけど)

> ですから、「明らかに怒ってるな」と感じるとき以外は、
> 「たぶん気のせいだな」と、頭に浮かべられれば、気持ち的には随分と楽になるかと?

分かりました。

> それに、私自身が前述の通り、日本各地を転々としていた為、
> その土地、その土地で、文化も常識も異なるという事を、
> 幼い頃から肌で感じながら、育ってきましたからねえ・・・・
> 普通の人は、そんな事を意識せず育つでしょうし、
> 一生地元で暮らす人は、気付かないままという事も多いと思います。
> だからこそ私自身は、その地域だけのルールを押し付けられるのも慣れてますし、
> 考え方の違いというモノに対して敏感で、しかも許容度が高いような気がします

考えてみれば、地元以外に住んだことが無いです。
多分自分は許容度が低いのでしょうね。

> 家族とか友人など、親身な人から「不愉快な思い」をさせられた時には、
> その人は「もっと不愉快な思い」をしている事を、
> 感じ取れないにしても、知っておいた方が良いかも知れませんね。

家族・友人からは今までは無いですが(避けられた結果無いのかもしれませんが)、その時にはそう思うようにします。

> 「よく解らないけど、きっと不愉快な思いをさせてるだろう」と思えるだけでも、
> その相手への対応が変わってくるでしょうから。

分かりました。

> 実際、歴史上の英雄と呼ばれる人たちを見ても、
> 恐らくは発達障害だったのだろうな、という人物は多いですから!!
> 他人を気にせず、我が道を進む・・・と言うか、その方法しか知らない発達障害者が、
> たまたま進んでいった方向に、新しい時代が待っていたとすると、
> その人は時代の開拓者として「英雄」と呼ばれ、皆が彼の後ろを付いて行く訳です。

後世になっても後ろ指を指される訳ですから、結局は人柱ですよね…?仕方のないことかもしれませんが。
あと、他の発達障害の方のことまでは分かりませんが、自分は他人を気にしています。
他人に欲されない人生には意味が無いと思っていますし、頼られたいという思いがあるので。
(特にネット上では上手くいかないことが多いですが)

> 逆説的に言えば、人類とか、民族とか、大きな単位で人間の集団を見た場合、
> 行き詰まった有事の際に、集団として大きな方向転換を行えるよう、
> 発達障害と言われる人たちが、一定の割合で生まれるようになっているのかも知れません。
> 単に障害でしかないのなら、自然淘汰されて消えていても、おかしくないですからねえ。

そういうことを友人と話したことはありますね。
ただ…今がそうではないからと言ってこれからもそうだとは限らないと思います。
自然淘汰の途中だとしてもおかしくないということですね…。

> でもまあ、「ピンチの時の為に、自分たちみたいな人間がいる」と思えれば、
> 気持ちの面で、意外と楽になれる人もいるかも知れませんね。

そう思うことにします。
そういえば、大震災の後に発達障害の知人と話したのですが、
「自分たちは何ができるかを考えていたけど、周りは何ができないかを考えて手を付けられないでいた人が多かったと思う」
という話をしたことがあります。
多くの健常者よりピンチの時への耐性は少しあるのかもしれません。

> よく言われる表現としては、発達障害はロウソクの火で物事を見ていて、
> HSPは眩しすぎる照明の下で物事を見ている、という感じのがありますね。
> ・・・って、この例え話、うまく伝わってますかねえ?(苦笑)
> HSPの場合、相手に何とか解って貰おうと、比喩表現を多用する人が多いのですが、
> 一方で発達障害の方は、比喩表現を理解するのが苦手な人が多いですから。

今回のに関しては伝わりましたよ。
ただ、確かに多用されるのは苦手です。
適切な比喩なら良いのですが、数あると適切でない比喩が混ざったりしますから。
でも理解自体は出来ると思うのですけどね。

> ただ、同じ傷付くとは言っても、発達障害の方は他人の感情を読み取るのが苦手なので、
> 怒られてる人の感情に共振して、自分も心が苦しくなると言うよりは、
> 他人が怒られる姿を見て、自分が怒られた時のトラウマが蘇ってしまい、
> その事で心が苦しくなるというケースが、実際には多いようです。
> 一方で、他人の感情を読み取れすぎてしまうHSPの場合、
> それこそ、怒られてる人の心と、自分の心がリンクしてしまって、苦しくなると・・・・

んー、前半は自分には当てはまっていないような気がします。
怒られてる人を見る時、怒られる程のことに対してではないと思った場合ですが、
感情移入して苦しくなります(同時に、物理的に頭を殴られたような感覚が起きます)。
対して、怒られることが妥当だと思った場合には感じないのですけどね。

> しばしば、他者への「共感性に欠ける」と言われる発達障害ですけど、
> 発達障害の人同士であれば、普通に共感し合えるパターンも多いと聞きますし、

ああ、他にもそういうことがあるのですね。
自分も発達障害の友人がいますが(前出の「知人」とは別)、コミュニケーションに問題が起こったことは無いと思っています。
こちらの気遣いが通じるのですよね。
20年来の付き合いになりますが衝突したことは一度もありません。
向こうが同じように思っているのかまでは分かりませんが。

考えたのですが、健常者との間ではお互い気遣いが通じないようなので、それがこじれる原因なのでしょう。
こちらとしては、自分は倫理的な行動をしているつもりですから(健常者からはそう見えないようですが)、
自分から見て倫理的な行動をしていないように見える方から何か言われると反発するというのはあると思います。
しかし、お互いそう見えるということなのでしょうかね。

> あと、込み入った話になると、どうしても私は長文になるので、
> 長過ぎるようなら、返信時に適当にカットして下さい(笑)。

分かりました。

> 私は、感謝の言葉を言われるのが苦手なタイプなので(苦笑)、
> どうしても言いたい場合は、最後の最後に、
> 「ありがとうございました」と、過去形の一言で十分ですよ(笑)。

了解です。
思ったのですが、「叱られて伸びる・褒められて伸びる」で言えば、
徳翁導誉さんは「叱られて伸びる」の方なのでしょうね。
自分は「褒められて伸びる」だと思うのですが、相手もそうだと思っていたのかもしれません。

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