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[22232] Re13:新ゲーム案・歴史人物談義・未来予想etc返信 削除
2019/3/21 (木) 20:55:38 徳翁導誉

> > > > > もっと長生きしてたら、平家も…やっぱり滅ぼされてるかな?
> > > > 武田信玄とかと、似たような感じなのかも知れませんね。
> > > > 一族にとって、偉大なリーダーではあるものの、
> > > > 同時に、一族を滅亡に追い込む要因も、自ら作っている人物であり、
> > > > その人が存命中は大丈夫でも、死後は結局同じ展開なのかも?

> > > 信玄が死んでなくても多分滅ぼされている気がします。
> > > まあ、上杉謙信の方は長生きしてたら上杉家安泰だったでしょうが。
> > > 毛利家も上杉家同様ですかね?

> > 毛利家と上杉家とでは、かなり違うような気もしますけどね。
> > 毛利家は元就の死後も、吉川と小早川の両川体制で安定してましたけど、
> > 上杉家は謙信の死後に、景勝と景虎による跡目争い「御館の乱」が勃発し、
> > その背景には、一門筆頭の古志長尾家と上田長尾家の対立がありましたからねえ。
> > この内乱により、上杉家の力は一気に衰えて、風前の灯火な所まで行きましたし、
> > それでも滅びなかったのは、ひとえに本能寺の変が起きたからですよね。

> じゃあ、上杉家は謙信が生き残っていたら、もっと上杉家は栄えていたでしょうね。

う〜ん、でも謙信の限界も、見えていたと言えば、見えてましたからねえ。
関東管領として、度重なる関東出兵を繰り返しても、結局は成果を得られませんでしたし、
仮に北国から兵を率いて上洛というのも、それ以上に困難であろうと思われますので・・・・

確かに信長は、手取川の戦いで謙信の前に苦杯を嘗めており、
もしも謙信が長命であれば、史実ほど信長の北陸平定はスムーズに進まなかったでしょうけど、
だからと言って、謙信が北陸に大きく勢力を広げられたかとなれば、それも難しく、
信長も謙信も生きている条件であれば、最終的には国力の差は如何ともし難かったはずです。
結局の所、上杉家が存続できた最大の要因は、
「時の権力者が秀吉だったから」という点に尽きると思うんですよね。
秀吉は本当に、大名家の処分に関して寛大でしたから。

> > でもまあ、武田家は滅び、上杉家は何とか持ちこたえ、毛利家は無事だったのも、
> > 身も蓋もない事を言ってしまえば、織田家との地理的な近さの差、
> > 要するに、信長と戦うのが早かったか?遅かったか?の違いが、
> > 最も大きいような気はしますけどね(苦笑)。

> でも、毛利家ってそういうわけでもないのでは?
> まあ、確かに近畿の大名とかほとんど滅んでいますしね。

吉川と小早川の毛利両川は、実際に毛利家の両翼であった反面、
常に二人三脚の状態であったかと言えば、必ずしもそうとも言い切れず、
結局は関ヶ原の時に、吉川系(吉川広家)と小早川系(安国寺恵瓊)の対立から、
毛利家が空中分解して、敗戦によって大減封となりましたからねえ・・・・
信長の武田攻めであったり、秀吉の北条攻めのような感じで、
こうしたピンチがもっと早く毛利家に訪れていれば、どうなったか解らないと思います。

> > しかし、それでも、もしも信玄や謙信が長命であったとすれば、
> > 信長の天下取りの事情も、また変わってきた可能性は大いにありそうですけど。
> > 例えば、信長どころか、秀吉の死後に勃発した関ヶ原の時でも、
> > もし生きていれば、信玄は79歳で、謙信は70歳と、ありえない年齢では無いですし、
> > 逆に言えば、信長や謙信は40代、秀吉や信玄は50代で亡くなったのに対して、
> > 家康は70代まで生きたからこそ、天下人になれたという見方も出来るんですよね。

> 家康が天下江劣ったのは、家康自身の性格のおかげですかね?
> 本人も慎重で健康にも気を使ってたらしいですしね。

家康が健康オタクだったのは事実ですけど、結局はガンで死んでますし、
健康に気を使ったからと言って、ガンにならない訳では無いですからねえ・・・・
当時の医療レベルでは、早期発見で手術とかもありませんので、
この辺りも、最終的には「運」の要素が大きかったと思います。
それこそ、家康も同じく50代くらいで亡くなっていれば、
関ヶ原はギリギリ間に合っても、大坂の陣までは無理だった訳ですし、
そうなると、戦国最後の勝者は伊達政宗になっていても、おかしくなかったかも?
まあ、こうした歴史if話をする方が、話題的には扱いやすいかも知れませんね(笑)。

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