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[22247] Re9:雑談返信 削除
2019/3/28 (木) 19:36:14 徳翁導誉

> > う〜ん、多分その辺だろうなとは思ったのですが、
> > でもそこは恐らく、私の中の関西人要素じゃないと思いますよ・・・・
> > 管理人としての私のスタンスでしょうか。

> なるほど、そうなのですね。
> 立場というのが関係しているとは思いますが、身近な人にこういう言い方をする人もいませんし、
> 読んでいて、関西からの観光客を見たときのことをよぎったので、そう思ったのかもしれません。

私の関西人要素というのは、「おもろさ」が何より勝る基準であったり、
やたらと「擬音語・擬態語」を好んだりとか、そういう所ですかねえ?(笑)
ただ、こういった傾向は、やはり面と向かっての時に出やすいので、
掲示板でのやり取りでは、そこまで解りやすく出てはいないと思っています。
会話の中での自然なボケとツッコミとかも、相手が解ってないと難しいですし。

> まあ自分が似ている分、多くの方が違うであろう
> 話し言葉と書き言葉を混同して考えてしまっている気もしますし、

話し言葉と、書き言葉とを、あまり区別できないというのは、
発達障害の症状の1つとして、どうやらあるらしいですね。
そうですね、話し言葉と書き言葉とでは、まるで異なるというのが私の方の実感です。
ただ一方で、発達障害の人の中には、用いる言葉に区別は無くても、
「話す」よりも「書く」方が楽だという傾向もあるとは聞いてますが、
官さんに関しては、どうなのでしょう? そういうのとか、あります?

> > なので、敢えてハッキリと強めに書いていた面があるのですが、
> > そこが強すぎると不快にさせるので、匙加減が難しい所ではありました。

> 伝わるという意味では、強くではなく、細部を丁寧に、という方が近い気がします。
> 強く表現すればより伝わるということでもないですし。
> 伝わり辛い、というのはそうなのかもしれませんが、対応の方向性が違っていると感じます。
> まあそれを一々求めるのは贅沢事だとは思いますが、一応伝えてはおきます。

いや〜、「圧を感じた」との事なので、そのような意味に取ったのでしょうけど、
ここで言う「強め」とは、間接的だったり、回りくどい表現をしないという意味ですね。


> > 会話の目的というのは、大別すると2つのタイプあり、
> > 論理中心の「解決型」と、感情中心の「共感型」に分かれていて、
> > 前者は男性に、後者は女性に多い傾向があるとされています。

> そういう概念があるのですね。
> 厳密な分け方は知らないですが、共感型だろうと自分でも思います。

例えば、何か問題が起こって、その愚痴をこぼした際に、
「こうすれば良いんじゃない」と、原因の除去をアドバイスするタイプが解決型で、
「ああ、それは大変だったね」と、傷付いた心のケアをするタイプが共感型ですね。
そして、愚痴をこぼした方も、同じタイプであれば万事OKなのですが、
これがもし、両者のタイプが異なっていたとすると、
解決型のアドバイスでは、「何で私の心に寄り添ってくれないの?」となり、
共感型の心のケアでは、「再び問題が起これば、また苦しめと?」となるので、
その不満から、却って感情的に拗れてしまう訳です・・・・

で、解決型が多いとされる男性の中でも、理系は更に解決型の世界ですし、
数学や物理に関しては、まさに解決型の中の解決型みたいな世界ですからねえ。
だからこそ、数学や物理の世界の男女比って、
「8:2」とか「9:1」なんて数字になってるのだと思いますし、
これは何も、男女の能力差を表す数字ではなく、男女の志向の違いを表す数字な気がします。
要するに、女性は共感型の割合が多いから、解決型の世界に飛び込む絶対数が少なく、
その一方で、女性でも解決型であれば、解決型の世界でも、能力に違いは無いと。
あと、同じ理系でも、医学生理学系は女性の比率が高くなるのも、
数字よりも生命を扱う方が、心の部分で共感しやすいからかも知れませんね(笑)。

> > ただ、発達障害と共感性は関係が難しく、また、現在は話題が話題でもあるので、
> > 内面的には気遣いながら書いていても、外面的には本当に微々たる感じでしょうけど(苦笑)。

> 「発達障害と共感性は関係が難しく」というのがどういった意味なのかちょっと分かりませんでした。

「ヤマアラシのジレンマ」という言葉は、御存知でしょうか?
ヤマアラシというのは、背中や側面を針状のトゲで覆い、身を守っている動物ですが、
そんなヤマアラシが、寒さから逃れる為に、互いに身を寄せ合おうとした際、
あまり近付きすぎると、鋭いトゲで互いを傷付けてしまい、
だからと言って、やはり暖を取る為に近付きたいという、ジレンマを表現した哲学用語ですね。

要するに、人間関係というのは、こうしたヤマアラシのジレンマと同じように、
離れ過ぎると寂しいし、近付き過ぎると傷付け合ってしまうので、
自分と相手の共感性を量り、程良い距離感で付き合うのが理想という訳ですが、
発達障害者の場合、相手の心情を推し量るのが苦手ですから、
当人としては、単に寄り添いたいだけでも、相手をトゲで血塗れにしてしたり、
相手と少し距離を取りたいだけなのに、相手を突き飛ばしたりする恐れがある為、
どうしても、程良い距離感で「共感性」を保つのが、現実的には難しかったりすると・・・・
「発達障害と共感性は関係が難しい」というのは、そういった意味ですね。

> 徳翁さんが表現を変えたのは分かりまして、楽に聞けるようになりました。
> 自分はそういう場合によって話し方を変える柔軟性を持てていない気がします。

でも、ぶっちゃけた話をしてしまうと、
目に見えて、対応できるから、行っているだけの話で、
見るのも、対応するのも、行うのも、それぞれ負担の掛かる行為であり、
それをしている私の方は、まるで楽にはなってないんですけどね(苦笑)。
まあ、この程度の雑談であれば、こうして話せてしまう軽さなので平気ですけど、
実際問題、出来るからって、無責任に丸投げされるのは、非常にキツかったりします(泣)。
そりゃ、任されれば頑張りますけど、簡単に出来てる訳じゃ決して無いですからねえ・・・・
と、何だか最後は、無関係な愚痴になっちゃいましたね、すみません(笑)。


> > > > 一言に「発達障害」といっても、それこそタイプは様々なのですが、
> > > > この辺りの返信から、官さんのタイプが、何となく見えて来つつある気がします。

> > > どのように見えてきているのか気になります。
> > > ちょっと聞くのが怖いところもありますけど、話して頂けるなら聞きたいです。

> > いやいや、別にそんな怖い話では無いと思いますよ(笑)。
> >(以下略)

> どう見られているかというのは気になっているので、参考になります。
> 自分は細かい用語は知りませんし、分類もよく分かっていないのですが、
> 一応、診断名は「高機能広汎性発達障害」→「自閉症スペクトラム障害」だったと思います。
> (定義が変わって診断名が変わったようです、一字一句合ってるかは自信ありません)

まだ途上な分野だけに、名称が変わったり、基準が変わったりはありますよね。
だからと言って、症状まで変わる訳では無いですけど(笑)。
あと個人的には、「自閉症」と言われると、古典的な自閉症のイメージが強く、
複数のタイプを一纏めにして、「自閉症スペクトラム」と呼ぶようになったのは、
正直な所、ちょっと違和感があると言うか、あまりしっくり来ない部分はあります・・・・

まあ、専門用語がいろいろ出てきたので、ついでに言ってしまうと、
私が受ける感じとしては、アスペルガー症候群の積極奇異型なのかな?といった印象。
繰り返しになりますが、もちろん、私自身は専門家でも何でもないので、
あくまでも、コチラから対応する時の見立て(目安)に過ぎませんし、
ネットの文字だけで話すのは、実際に面と向かって話すのと違って、
やはり情報量が大きく異なりますから、軽々には判断できないですけどね。
特徴的には似ているが別物の、多動・衝動型ADHDの可能性だってあるかも知れませんし。
(両者の違いとしては、決まり事を守れるか否か、運動か苦手か否かなどがあるそうです)

> ちなみに、親からはサヴァンも持っていると思われているようです。
サヴァン症候群という事は、官さん自身も、何か図抜けた得意分野があるのでしょうか?
雑談的には、そういう分野の話の方が、面白い気はしますけどね(笑)。

それはともかく、個人的にはサヴァン症候群と言われると、
脳の一部に物理的もしくは処理網的な欠損があり、
その欠損部を、また別の脳の部分が代替する事で生じる
極端な得手・不得手の差異という認識なんですけど、
まあ、用語の定義など様々ですし、もっと広範な意味合いなんですかねえ?
もちろん、発達障害者にも、得手・不得手の差異が現れる傾向は強いですが、
そこは脳の障害と言うよりも、視野の問題な気がするので。

> > また、10人の人が居たとして、自分と他人の意見が1:9で割れた時に、
> > 「自分1人が正しくて、多の9人全員が間違っている」と反発するタイプではなく、
> > 「なぜ自分1人だけ違うのか」「それでも正しいはず」と悩むタイプに映りますので、
> > 自分の感情をネガティブな方向に追い込んでしまうタイプだと思うので、

> どちらかというとそうかもしれませんね。
> ただ、細かいことで言うと、自分は正しいとか正しくないとかで判断していません。
> 大抵のことは一長一短ありますし、どちらに重きを置いているかの違いで判断が分かれると思っているので、
> 正しいとかいった一元的な解釈をしたいとは思っていません。
> まあ例外もあるのかもしれませんが。

まあ正直な所、健常者だとか発達障害者だとかに関係なく、
大部分の人は「正しい/正しくない」などと、特に考えず行動してると思います。
しかし一方で、実際に行動に移そうとする際には、何らかの動機が必要となる訳で、
そこを無自覚に行動できているのは、無意識の内に、
「自分は正しい」と、思えているからこそなんですよね・・・・
ですが、そこは無自覚・無意識ですから、当人にその気はまるで無く、
気が付く事も難しければ、気が付く事自体も避けている印象があります。

ただ、そこは人間の心理的に、ある意味では妥当な行動原理ですから、
そうした人が多数派である以上、ここではそれが太い軸に当たるのでしょうし、
自覚しつつ行動したり、自らの正しさを疑うor信じていない人は、
このケースでは少数派になるんでしょうね。

> > まあそこは、「軸は複数あっても良い」と見れば良いのでは?
> > 社会の常識とされる軸は太く、自分が正しいと思う軸は細くても、
> > それはそれとして、2本の軸があって悪い訳では無いですから。

> あまりそうは思えませんね、だからといって太い軸の方にいけるかと言われれば難しいですが。

これは、私がHSPだからか、転勤族として育ったからかは解りませんけど、
ぶっちゃけて言うと、この世には何本もの軸が存在するのは事実だと思います。
その土地で生まれ育った人達にとっては、絶対的なルールが存在しても、
土地が変われば、そのルールだって結構変わったりしますからねえ・・・・

これが、対象が世界ともなると、異なるルールが存在する事が理解できるのに、
対象が国内になると、同じルールだと思い込んでしまう人の割合は多い気がしますし、
他地域から人の流入が少ない地方になるほど、その割合は高まる印象が強いです。
逆に言うと、例えば東京などは、それこそ様々な人が集まってきますから、
異なる事への寛容性(不干渉)が、国内では最も高い地域でしょうし、
そうした距離感が却って、「東京は冷たい」というイメージを生んでいるとも言えます。

> > ただ、時や場合に応じて、太い軸にも合わせられる適応力があれば、
> > コミュニケーション上のトラブルというのは、結構避けられるのかも知れません

> それはそうですね。
> まあそれが難しいので苦しんでいるのだと思いますが、それで合っていると思います。

でしょうね。
それが難しいからこそ、「発達障害」と呼ばれる訳ですし、
以前用いた「発達障害はロウソクの火で見ている」と表現を再び使うなら、
その光で、太い軸が見えていれば、そちらの方向に近付く事は簡単でも、
光が照らす範囲で、太い軸が見えなければ、近寄るのも大変であると。
ですが、仮に目に見えなかったとしても、条件に応じて、
「こういう場合は、前に3歩、右に5歩動く」などとパターン化できれば、
自分の光が届かない範囲であっても、そこに近付くのは不可能ではありません。
要するに、発達障害者の世間への対応方法というのは、そんな感じの事なのかも?


> > まず、人を動かす段階には、手取り足取り教え、褒める事が重要となるものの、
> > やはり育てる(伸ばす)段階となると、自主性を生む必要があるのかも知れません。

> 個人的には伸びるのは目的ではないんですよね…。
> できるだけ苦しまずに生きたい、人の役に立ちたい、が自分の目指す所でしょうか。
> まあ甘えていると思う人もいるのだろうなとは思ったりしていますが。
> 問題点を見つけて解決したりしても、苦しんでそれをして結局何かになるのかというのは自分は疑問です。

まあ、伸びる云々の話は、ひとまず置いておくとして、
(そもそも、その話を始めたのは官さん自身ですけどね・笑)
問題を解決しようというのは、何も「自らを成長させよう」と思っての行動ではなく、
問題を解決しないと、「苦しい状態が続く」からこそ、それに対処する訳ですね。

前々回の返信時にも、少し似た事を書きましたが、
人間であれ、その他の動物であれ、基本的に行動原理というのは、
報酬を得たくて動くポジティブな動機と、
リスクから逃れたくて動くネガティブな動機の、2つしかありません。
そして、仮に自分の目の前に、嫌なモノがあった場合、
共感型(感情中心)の人は、そこから目を逸らして、心情的に回避しようとしますが、
解決型(論理中心)の人は、そのモノ自体を除いて、物理的に回避しようとする訳で、
結果として、採った行動は異なっていても、根本である動機は同じだったりするんですよね。
もちろん、中には、ピンチになるほどテンションが上がって、事態に挑むような、
挑戦タイプの解決型な人も居るでしょうけど、それは本当に少数派だと思いますし、
そうした行動原理は、成長を求めると言うよりも、ギャンブル的な刺激を求める人かも?

また、そもそも「知恵」というのは、「臆病」の裏返しな存在だったりもします。
臆病だからこそ、先の事で心配したり、解らない事で不安に陥ったりし、
そうした心の負担を少しでも軽減したいから、
いろいろ調べたり、前もって対策を講じたり、念の為に準備したりする訳です。
そして、特に臆病な人になると、その根本原因を除こうとして、
逆に勇気を振り絞り、行動に移すという事はありますね。
ですから、知恵と勇気を持って行動できる人というのは、
実は意外なほど、誰よりも臆病だったりする事は、決して珍しくありません。

あと、ちなみに私の場合、理系モードの時は完全に解決型ですけど、それ一辺倒ではなく、
アート好きでもある為、芸術モードの時は逆に共感型になりますし、
それ以外の時は、そのどちらでもあるという感じでしょうか?
恐らく、一般的には、かなり珍しいタイプに分類されると思います(苦笑)。

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