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[22292] 唐突ですが…返信 削除
2019/4/18 (木) 18:22:20 玉川大納言

新元号になることですし、また、最近この掲示板でも雑談があったので、
唐突ですが、私も自分語りをしてみようと思います。

私は大宮に生まれ、熊本で育ち、中学校の時にまた埼玉県に戻ってきました。
4歳まで日本語を殆ど話さず、それまで2年程は英語しか話さなかったそうです。
母が家で進学塾兼ピアノ教室をやっていたため、その間はテレビを見てましたが、
専ら見ることができたのは、教育テレビかニュース番組だけでした。
そのおかげか、幼少時から政治や皇室のニュースが身近になりました。
また4歳頃から、母親が私に勉強を教え始め(所謂英才教育?)、
結果的に小学校に入る頃には、数学だけは中2の内容まで終わっていました
(国語もそれなりにできるようになっていました(特に漢字))。
更には、英会話も4歳から始めて、小3の時に英検2級を取りました。
(一度潰れた、あの英会話スクールです(笑) 今でも時折行っています)
また、小学校に入ったころに親から歴史の本を貰ったことで、
そこから歴史に興味を持ち、更にそこから政治に一層興味を持つことになりました。

但し、その影響からか、小学校に入って直ぐに先生によるいじめが起こりました。
私が言うのもなんですが、どうやら先生にとって私が気味の悪い存在に見えたようです。
結局、その年の7月にはインターナショナルスクールに転校しましたが、
そこでも先生によるいじめを受けました(私をいじめていた子の肩を持ったりもしていました)。
そんな時に、親の事情で熊本に引っ越すことになり、再度公立学校に転校しました。
しかし、またしても先生によるいじめが発生しました。これまでも、全く自分は
他の子をいじめるようなことをしてきませんでしたが、いつも自分がターゲットにされました。
先生の他にも、クラスメートからもいじめられました。勿論親も抗議しましたが、
最終的には、半ば学校から追い出される形で、ホームスクーリングをするようになりました。

その頃に、縁があって某米国大学の科目履修生となり(中1まで)、
主にそこでは、数学と英語を学んでいました。教科書がすべて英語の上、
一部大学数学の内容も入っていたので、かなり大変でしたが嫌にはなりませんでした。
また、熊本にいる間、度々地元の名士のパーティーに呼ばれて、
(母方の祖母がそういう方達と交流がありました)ある時は細川元首相の邸宅での花見に呼ばれたり、
ある時は各界の社長たちが集まる食事会に参加し、共に社会情勢について議論することもありました。
また、私が熊本にいる間、曾祖母を祖母の家から引き取り、一緒に暮らしていました。

しかしそんなとき、父親と祖母(とその再婚相手)が、歯科の治療方針をめぐって対立し、
父親だけ家から出て行ってしまいました。元々その祖父母は、前から私に歯科医院を継がせたかったようで、
父親はその中継ぎとしか見ていなかったようです。その為、その直後に祖父母が私を養子にしようと
画策しましたが、その時は母親が阻止しました。とはいえ、今では私と祖父母との関係は悪くありません。

そんなこんなで、結局小学校卒業するときに、埼玉に戻りました。
そして公立中学校に入りましたが、またもや先程のような先生からのいじめがあり
(例:林間学校で仲間外れにしようとする。不適当な通知表をつける)、ホームスクーリングに戻りました。
その後、これも縁があって、大学受験用の予備校に2年間お世話になりました。
(ただ、そこにいるときに、理科全般が苦手ということが確実に判明しましたorz)

そして中2の頃、自分の人生を変えるものと出会いました。私のスレでも何回も登場しているAKB48です。
最初は苦手でしたが、例の松井珠理奈が過労で倒れたというニュースを聞いたとき、衝撃を受けました。
それ以降、アイドルヲタクになった上、政治的には、これまで根っからの自民党支持者、
尚且つサッチャーや安倍氏のような新保守主義者だった私は、次第に経済的に左傾化しはじめました。
(ご存知かと思いますが、今や私は完全に保守左派です)
その後、高校受験をして、都内の某私立進学校に入り、本格的にアイドル・政治研究を始めることになります
(その後の『研究』の話は、以前違うスレで話したかと思いますので、割愛します)。

高校では、先生からのいじめは一切無かったので、3年間通うことができました。
1年生の時に、(何故かじゃんけんで)学級委員になりました。しかしそのクラスは、ある意味ハズレくじでした。
そのクラスには、学年成績一位の金持ちの子がいたのですが、実はその人、10人程度の『従者』をいつも引き連れ、
その人たちに命じて、何人もの生徒をいじめさせているような人でした。実際それまでに6人不登校を出したそうで、
不登校を出した度に、その子の母親が出てきて、学校側に献金をしていたようです。
更にはその『従者』たちと共に、常時授業妨害をしていました。嘘のようですが、本当の話です。
私はそれが許せず、先生に報告したり、授業妨害を止めさせたりしましたが、
やはりそれが原因で彼らに目を付けられるようになりました。そして一時はクラスを巻き込んで、
私をいじめるようになりましたが、何とか先生達の介入で一応収まりました(ただ、そのせいで体重が5kg減りました)。
因みに、そのいじめの時に私の側にいた人たちや、そのいじめっ子にいじめられていた人たちの集まりが、
以前話したアイドル・政治研究会の大元だったりします。現在、そのいじめっ子は東大大学院にいるようですが、
AIの研究をしているそうで、当時の研究会員も、『(彼が)マッドサイエンティストにならなければ良いが…』と話しています。

話を戻して、2・3年生の時、投票では学級委員(本来定員3名)になれなかったものの、その騒動で介入していただいた新担任が、
投票では殆ど票が入っていなかった私を特例で学級委員に追加してくれました。新担任は、当時諸々の事情で多忙で、
時には、私に『帰りの会』を頼んでくれたりもしました。また私も、クラスメートの支持を得るべく、
それまで学級委員として、ルールに厳格だった私は、それをある程度緩和したり、学級文庫なるものを創設したりしました。
こうして、高校三年間を、何とか無事に過ごすことができました。
その後、浪人・予備校生活に入りましたが、それはまだ次の機会で。

長文・駄文、失礼いたしました。

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