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[22489] Re2:ロボットとAIが普及した近未来返信 削除
2019/7/4 (木) 19:52:17 徳翁導誉

> 本当はすぐ返信するつもりだったのですが、後で後で、ってやってたら一か月も経っていましたw
> 今更感がすごいですが、読んでやってください。

そんなに経ってましたか(笑)。
もう私もオッサンなので、1週間を過ぎると、
数週間も、数ヶ月も、数年も、あまり大差ない感覚に・・・・
なので、あまり気にされなくても結構ですよ。


> > > ここからは私の予測ですが、将来はこういうロボットは
> > > どんどん人間の労働を奪っていくのではないかと思っています。
> > > 例えば清掃という仕事がありますが、将来はペッパー君の後継の清掃ロボットが時給50円で
> > > あちこちのビルの清掃を担当するようになるのではないかと。

> > そもそも、こういうのは技術力ではなく、「費用対効果(コスパ)」で決まる話です。
> > もちろん、巨額の費用を投じれば、そのレベルに達するロボットを作る事も可能でしょう。
> > でも、そこまでやるなら、時給900円くらいで人を雇った方が、ずっとお得な訳です。
> > 人間の持つ汎用性というのは、驚くほどに高度ですし、
> > 一方でペッパー君は、そんなに高性能では無いですからねえ・・・・
> > とは言え、技術は進んでいき、価格も安くなっていくモノですから、
> > 十年後は無くても、数十年後には有り得る話かも知れません。

> 特に介護関係は早くロボット化して欲しいですね。

介護の分野は、それこそ汎用性が求まれれるので、ロボット化は遅い分野でしょうね。
ロボットには難しい反面、人間は得意で、しかも時給は安いですから、コスパ的にも不向きです。
それに、介護される側の視点から見ても、ロボットに全自動で介護されるのは、
ベルトコンベアーで機械的に生かされるのも同等な訳で、かなりの不快感があるでしょうし、
被介護者が求めるのは、何も介護サービスだけでなく、人との触れ合いもありますからねえ。

それでも、需要は高いのに、給料は安いですから、求人も限られますし、
だからこそ政府は、介護と医療の分野を率先して、外国人労働者に開放し出しました。
しかし、日本と世界の経済格差が急速に縮まる一方で、
日本における外国人労働者への環境や待遇の悪さから、
現時点においても、人集めに苦労しているのが現実問題としてあります・・・・

そうなると結局、ロボット自体が介護を行うのではなく、
装着型の「ロボットスーツHAL」のように、介護士の労働を支援するロボットによって、
1人でより多くの被介護者を見る方向へと進んでいくような気がしますし、
被介護者自身が補助スーツを装着して、介護を必要としない方向にも進む気がします。
例えば、筋力が衰えて、車椅子や寝たきりの生活になってる人が、
補助スーツを着ける事で、歩けるようになれば、受ける介護の程度も減らせますしね。

> (日本に限らず、世界規模の話で)年金制度というシステム自体がいつまで持つかも不透明ですし、
> 寿命が延びる分、ここを何とかしてもらわないと。

年金制度の「システム」自体は、大丈夫ですよ。
どれだけ高齢者数が増え、分配するお金が減っても、
受給開始年齢を上げて、配給する金額を下げれば、
高齢者の生活は破綻しても、年金のシステムは決して破綻しませんので(苦笑)。
この事は、15年前に「年金100年安心プラン」が出された時から、言われていた事ですし、
だからこその、25年前に出された「国民福祉税」構想だったんですけどね・・・・
でも、もうここまで来たら、余程大胆な改革を断行しない限り、
「高齢者も働け」というしか、方法は無くなっているのが実状かと?


> > 結局の所、新たなフロンティア(途上国の市場)を開拓する事で、
> > 全体のパイ(富)を増やすという経済モデルが限界に達している以上、
> > これからの時代は、如何に富の流れを回し続けるか?が重要な気がします。
> > 別に全体の量が増えなくても、十分な量が回り続ければ良い訳ですからねえ。
> > で、それはBIにより、お金を配る事で実現するようなモノではなく、
> > 何と言いますか、「モノに頼らない消費社会」の実現が必要な気がするんですよ。
> > まあ私は理系の人間で、経済とか からっきしですから、漠然としたイメージですけど、
> > 生活必需品なんて数が限られる上、技術力の向上で生産性は更に上がるでしょうから、
> > そこに加えて、無駄なモノを大量に消費(享受)する社会とでも言うのでしょうか?
> > 高度経済成長期のように、物質的な製品を大量生産・大量消費するのではなく、
> > 文化的な価値を大量に消費し、そこに生産(創作)が伴うイメージですね。
> > (「モノに頼らない」は物質的なモノ、「無駄なモノ」は文化的なモノを指します)
> > そして、もしもBIでお金を配るなら、消費の部分ではなく生産の部分だと思うんです。
> > こう配った方が、お金の巡り自体は、より良く流れると思うので。

> 「モノに頼らない消費社会」という考えには大変同意します。

具体的に、それがどんな社会で、どうすれば実現可能かを考えるのも、
面白いと言いますか、真摯な議論かも知れませんね。

> これからAIがどんどん発達していけば、AIの発達で失業したホワイトカラーの人たちは、
> ブルーカラーになるのではなくて、そのまんま失業者になると思うんですよね。

でも、ブルーカラーの仕事は、ホワイトカラーの仕事ほど、AIや国際化に脅かされませんし、
高齢化や人口減少といった要素に、社会保障システムの形骸化が加われば、
残った仕事を奪い合うか、もしくは分け合うしか無いと思うんですよね。
そういった意味では、単純にホワイトカラーが失業者に移行するとも言い切れないかと?

> 何というか、資本主義というもの自体が限界にきているといいますか、
> これからも資本主義システムは残るでしょうけど、
> それは近代の宗教みたいな、絶対的な力にはなりえないと思うんですよね。

と言いますか、若い人達と違って、私などはギリギリ冷戦期を覚えてますので、
別に「資本主義システムが絶対」という感覚も、特に無いんですよね。
そもそも、日本でそうした風潮になったのって、
2000年代の前半以降、つまりはここ十数年の話でしか無いので。
(もちろん、若い人達にとっては、その十数年が全てな感覚でしょうけども)

> これは今の時代に生きている人間だからそう思うのかもしれませんが、
> これからAIが発達して、そのAIが消した分と同じだけの新たな需要、
> 今ある需要とは全く異なる新たな需要が創出されるとは思えないんですよね。

戦時中の日本陸軍じゃないですけど(苦笑)、
物質面に限界はあっても、精神面に限界は無いですからねえ。
実際に新しい需要が生まれるかは別として(現状の日本では恐らく厳しい)、
その余地自体は、十分にあるようには思いますけどね。
それこそ文化というのは、価値の無い所に、新たな価値を生み出す行為ですし、
生産者を育てる面でも、消費者を増やす面でも、そこで重要なのが教育だったりします。
ですが一方で、現在の日本で率先して削られてるのが、教育費だったりすると・・・・

日本の東名阪を始め、都市圏人口が1000万人を越える「メガ・シティー」は、
世界にも数多くありますけど、日本の大都市に多様な商業的ニーズがあるのに、
そこに暮らす単純な人数だけでない、個人個人の文化的高さがあるからですしね。
どんなに大人口を抱えていても、メシ食って、酒飲んで、TV見て終わり人達ばかりじゃ、
そうした多様なニーズというのは、なかなか生まれませんので。

> 例えば私なんか、いわゆるさとり世代なので、
私の弟なんかは、ゆとり世代ですけど、
私自身は、ゆとり世代と団塊ジュニア世代の間くらいで、
昭和も、バブルも、冷戦も、ギリギリ記憶にある世代ですね。
で、弟の世代だと、それらは全て教科書に載ってる歴史な訳で、
その数年程度の時間差が、大きな認識の違いをもたらしているのを実感してますから、
さとり世代(ゆとり以降と定義すれば)との差は、更に広いのかも?
でも一方で、ゆとり世代も、さとり世代も、
「失われた時代」とされる平成の日本しか知らないと言う意味では、
両世代の差は、そこまで大きく無いような気もしますし、実際の所どうなんでしょ?

ただ、本当に日本が凄かった時代を、一応は覚えているだけに、
上を見て、日本に足りない所とか、不十分な所に目が行く感覚は残っているので、
下を見て、「日本凄い」とやる風潮には、違和感を覚える所はあるんですよね。
そういう意味では、停滞期から、下降期には入り始めた、現状の日本においても、
空想の中で自己満足に浸るのではなく、現実的に立て直す方法は無いモノか?と、
やはり考えてしまう面はあるんですよね。
その一方で、私よりも上の世代だと、年齢が上がるほどに、
却って過去の栄光に引きずられ、同じく「日本凄い」に乗ってしまっている印象もあるので、
難しい所ではあるのですが(実社会だと、彼らの世代が多数派で裕福ですしね)。

> 大して欲しいものはないわけですよ。
次から次に欲しいモノが現れた「三丁目の夕日」の世界は、もう半世紀以上も昔の時代ですし、
私の子供時代には無くて、今の時代にあるモノと言えば、それこそPCやケータイくらいですから、
そういう感じので「欲しいモノ」とうのは、同じくあまり無いのかも知れません。
また個人的にも、ブームでみんなが集めるモノとかには、乗らない子供でしたしね。
(これが、もう1つ上の団塊ジュニア世代になると、物欲の塊な子供時代のイメージ・笑)
でも世代的には、ゲーム買って、マンガ買って、カード集めてって時代でしたけど、
逆に言うと、今の子供たちって、どんな感じで遊んでるのか、ちょっと想像が付かない・・・・
私なんて、野球とサッカーを除いたら、何が残るんだ?って感じの子供でしたが、
今の時代、公園とかで遊んでる子供の姿を見る事すら、稀な気がするんですよね。

って、何だか話が少し脱線してしまった気もしますが、
人間の趣向なんて、そんな大きく変わるモノでも無いですし、
物欲という面では、無くても大丈夫と言うだけの話で、
金銭的や精神的な余裕があれば、普通に湧いてくるモノなのかも知れませんけどね(笑)。
もっと言うと、そうした欲求が、社会に活気を生み出す訳で、
物質的なモノだけでなく、精神的なモノでも良いですけど、
そうした社会を望むのであれば、やはり欲求というのは、重要なファクターになろうかと?
みんながみんな、常にまったりしていたら、新しいモノだって生み出されませんし、
「好奇心は猫をも殺す」一方で、「暇ほど毒なものはない」とも良いますからねえ。

> あえて言うなら家事がめんどくさいので、
> それを安い値段で代行してくれるサービスが出ればお世話になるくらいですかねぇ。

香港やシンガポールなど、イギリスの植民地であった所だと、
少し余裕のある一般家庭なら、アジア人の出稼ぎメイドを雇いますが、
文化的な背景があるのか、日本ではなかなか無いですよね?
富裕層であっても、料理や家事を行う母親は多いですし。

とは言え、「男子、厨房に入るべからず」みたいな感じで、
家事が女性中心の仕事になったのは、恐らく明治以降の話でしょうし、
戦後は都市化や核家族化などで、女中などの仕事も無くなり、
また国策として、男女分業の「専業主婦」が推進されたのが、確か1970年代でしたから、
文化的な背景と言っても、夫婦同姓と同じく、それほど歴史のあるモノでは無いでしょうけど。

・・・って、ロボットに家事をさせるという話から脱線しますけど(笑)、
AIの発達などによって、今後、仕事の数が減っていくとしても、
家事代行サービスは、これから更に増えていく職種かも知れませんよ。
汎用的な能力を必要とされるので、ロボットではなかなか採算が取れない上に、
家事の能力を持っている人は、主婦層を中心に大勢居ますし、
独身世帯や共働き世帯が増えてますから、需要は恐らく高まるはずです。
とは言え、介護職などと同じく、需要は高くても、給料は低いでしょうけどね。

> 一応アルビン・トフラーは、商品がどんどん個々人専用にカスタマイズされるようになる
> と言っているのですが、そうかぁ?と。

個々人専用にカスタマイズされるのは、現実的に起こると思います。
ですが、それが商品的な付加価値を生み出すかは、別の話でしょうけどね。
例えばスマホとかも、それぞれ、カバーを着けたり、デコレーションとかしますし、
中身のアプリも、何を入れるとか、どんな並びかとかは、人によって異なります。
これなんて、まさに個々人の専用カスタマイズですからねえ。
しかし、その大部分は基本的に、ユーザー本人が自力で行ってしまうので、
そこに大きなビジネス・チャンスが派生したりとかは、あまり無いと。
それでも、ハード面に言えば、個々人でカスタマイズ可能なモノが基本になるでしょうね。

> ある意味スマホゲームにお金をつぎ込む人たちなんかは、
> もうあまりお金の使い道がない(そこまで欲しいものがない)からこそ
> あんな無意味に見えるお金の使い方をしているように思います。

20代の課金ゲーマーとかは、そうなのかも知れませんが、
課金ゲーマーって、30代や40代も多いですからねえ。
40代はファミコン登場を体験し、バブル期に子供時代を過ごした世代ですし、
30代はPlayStaionなどの次世代ゲーム機戦争を体験した世代なので、
一概には、それだけの理由とは言えない気もします。

もっと言うと、パチンコ行ったり、キャバクラ行ったりするよりは、
課金ゲームの方が安上がりですしね(苦笑)。
特にパチンコに関しては、ゲームやアニメとの一体化が進み、
ギャンブルと言うよりも、その要素を楽しむ面が近年は高かったですから、
パチンコ業界の低迷と、課金ゲームの普及は、相関関係があるのかも?
でもまあ、結局は「これと言った趣味がない」って事なのかも知れませんね。


> それこそ今までの日本は、
> 時間よりもモノ(を買うためのお金)のほうがより価値があると考えられてきて、
> だからお父さんたちは家族との時間を捨てて一生懸命残業してきたわけです。
> ところがここ最近に来て、徐々に"お金>時間"の価値観から、
> "時間>お金"の価値観の方がより多くの人に支持されるようになってきたわけで、
> 最近の働き方改革なんかにも、背後にはそんな価値観の転換があると見ています。

う〜ん、昭和を知ってる世代からすると、
その昔のイメージ像には、何か上手く言えないけど違和感が・・・・
確かに昔は、今みたいに週休2日ではなく、土曜も半日ありましたし、
家庭よりも会社、家族よりも居酒屋・麻雀・ゴルフな時代でしたけど、
そんなに時間やお金に追われて、せかせか働いていた訳でもありませんでした。

例えばテレビでは、夜7〜9時をゴールデン・タイムと言いますが、
それは一昔前までは、夜の7時くらいに帰宅できていたからで、
今は帰宅時間が遅いので、夜11時以降のプライム・タイムが重視されています。
それに、経済が右肩上がりでしたから、
別にみんな、「お金、お金」と働いていた訳でもなく、
そこそこ適当に働けば、お金なんて勝手に付いてくる時代でした。
会社だって学校の延長線で、運動会に文化祭や部活動、修学旅行ならぬ慰安旅行など、
今の社会人生活などより、ずっとゆったりしていた感じですね。
解りやすく言っちゃえば、時代的に余裕があったので、社会的にも余裕があったんです。

ぶっちゃけ、バブル崩壊の後、ドンドン余裕を失った
ここ十数年の日本社会の方が、時間的にも、金銭的にも、労働条件は厳しくなっています。
しかも、長引く景気の低迷などにより、仕事全体のパイも減ってきてますし、
「働き方改革」というのも、そんな素晴らしいお話ではなく、
苦しくなった労働環境に合う新システムを作ろうというだけの話です。
もちろん、一握りの上の人達には、新たな余裕が作られるかも知れませんが、
社会全体に余裕が生まれている訳では無いので、そのシワ寄せは下に下に拡散されるだけです。
また、オルレアンさんが求められてるような事は、
恐らく、働き方改革ではなく、「生き方、暮らし方改革」でしょうしね。

> 人はみんなその中でいろいろ妥協して生きてきてるわけです。
> 例えばある大学生がどれだけバイトを入れるか?という時も、
> 自身の自由時間を全てバイトにつぎ込む大学生なんていうのはいないわけで、
> 彼なりに時間とお金を天平にかけて、そして今の生活水準に妥協しています。

いや〜、必ずしも、そうとは言い切れないかと・・・・
今の時代は、6割弱が大学に行きますけど、その内の半分が借金をしての進学で、
要するに、現在の若者の10人に3人は、借金を背負って世の中に出ます。
しかもここ25年間で、学費は1.5倍に上昇した一方、仕送り額は3割減少してますので、
学費を稼ぐためにバイト漬けになり、大学に通う暇が無い学生も今や珍しくありません。
更に近年は、学生の立場を尊重しないブラック・バイトも横行してますからねえ・・・・
こうなると、お小遣い稼ぎの為の学生バイトとは、また異なる状況が生まれています。

非正規雇用も増え、収入格差が広がる一方な昨今、
大学を出なければ、それなりの職を得るのも、なかなか大変になってきています。
それでも、これがまだ、借金をしてでも、大企業の正社員などになれれば良いのですが、
そうなれなかった場合、ずっと借金の支払いに追われて結婚などが出来なかったり、
支払いが出来なくて自己破産したり、女性だと体を売ったりなどが、社会問題化しています。
奨学金(借金)の取り立ても、近年はサラ金並に厳しくなってますし・・・・

> 戦後日本人は、敗戦後の物不足を経験したからこそ、
> 物質的に豊かになることが絶対の正義だと考えてきて、
> だからこそ日本は急激な経済成長を実現できたわけです。
> 発展途上国が経済的に豊かになれないのは、
> 物質的豊かさ自体を彼らがそこまで希求していない、というのもあります。
> 彼らはモノ不足でも幸福に暮らせる生き方を(少なくとも日本人よりは)知っているわけですね。

う〜ん、それは途上国の姿を、頭の中で理想化し過ぎている気も・・・・
「貧しい」というのは、そんな美しいモノじゃないですよ、実際。
例えば、「幸せの国ブータン」なんていうキャッチ・フレーズも、
本気で信じてしまったりしてませんか?
まあ、日本人から見れば、北朝鮮の生活とか悲惨ですけど、
北朝鮮の国民からすれば、日本人以上に幸福を感じる人が多いと思われます。
見えたり、知れたりするからこそ、不幸だと感じる一方で、
見えなかったり、知らなかったりするから、不幸と感じない事もあります。
でもそれって、本当に幸福な生活なんですかねえ?


> そう考えると、これら来るであろう"階級社会"も、物質的には貧しくても、
> その分だけ家族や友人と一緒にいる時間が増えるのだと考えると案外悪くないのかも?

う〜ん、その考え方は、ちょっと甘いかも?
アメリカなどの下層労働者を見ると、まさに「貧乏暇なし」状態ですし、
現在の日本は多少マシでも、貧しければ家庭を持つのは難しいですからねえ。
それに今後、物価は上昇するのに、低時給のまま据え置かれれば、
まずは自分が生きていく為に、長時間労働を強いられる訳で、
時間的にも、精神的にも、肉体的にも、果たしてそれだけの余裕が与えられるかどうか?
AIに仕事を奪われ、外国人と低賃金労働を争うなら、それは十分に有り得る未来像ですし。

> さすがにこれだけ人権やらなんやらの概念が発達していれば、
> 仕事がなくても最低限の生活くらいはさせてくれるでしょうし。

これは前回のベーシック・インカムの話にも通ずる部分ですけど、
この先、貧困層が一定の数に達し、政治的な発言力を持つようになれば別ですけど、
少なくとも現状では、そんな生易しい社会では無くなる方向に進んでる気はします。
自分に余裕が無い時に、他人を助けようという余裕は、なかなか生まれ難いですし、
そういう場合は逆に、叩いたり批判したりするターゲットになるのが関の山では?
失業保険や生活保護なども、年々、その配給は厳しくなっていますし、
財政的にも、社会的にも、今後は更なる悪化が予想されますから、
年金の問題以上に、「最低限の生活」なんてものは、まるで保証してくれないと思いますよ。

> 例えば、中古のスマホでアマチュアの作曲家が作った曲をYouTubeで聴いたり、
> 気が向いたら自分でもゲームを作ったり、そういう時間が取れるほうがむしろ豊かなのかな?

今の時代、あまりお金を使わない方向に進んでいるのは、確かでしょうね。
映画にせよ、ドラマやアニメにせよ、音楽にせよ、
一昔前までなら、自分の見たいと思う作品を選び、お金を払って見てましたけど、
今では、無料や定額料金で見られる作品の中から、選んで見るスタイルになりましたからねえ。
これだと作り手側には、あまり大きなお金が入りませんし、
そうなると、制作面においては、ドンドン先細っていく心配もあります・・・・
で、最終的には、作品数は多くても、質の高いモノは更に減り、
それだと面白くないので見なくなり、更に制作が先細るという、負のスパイラルに陥る恐れも?

> > 最低所得を分け与える「ベーシック・インカム(BI)」も無くは無いでしょうけど、
> > 中の下や、下の上で堪えてる層が多数派な内は、まあ実現困難な話でしょうね・・・・

> 特に日本はいまだに中流の意識が強いですから、実際は結構格差が広がっていて、
> 下層階級に落ちている人が、未だに中流だと思ってたりしますしね。

傍目でも解りやすい、絶対的貧困に対して、
相対的貧困というのは、一見すると解り難いですからね。
また、戦後の時代にも、貧困や格差はありましたけど、
人口も増え、経済も右肩上がりだった、上り坂の当時と、
人口が減り、経済も低迷を続ける、今の時代とでは、
日本国と日本人の置かれている状況が、まるで異なりますからねえ・・・・

しかも、高等教育を受けるにしても、国立大学の授業料が高騰して、
物価上昇分を加味しても、50年前の10倍以上になってますし、
東大の合格者を見ると、富裕層や東京圏住人の割合が上昇していますから、
勉強で頑張って逆転というのも困難になってきていて、
経済や地域による格差が固定化しつつあると。
同じ格差社会であった戦前と比べても、これは見られなかった傾向です。
人口減少に、少子高齢化、国際経済力の低下に、増える一方の国の借金と、
ただでも閉塞感に溢れる今の日本が、社会の流動性を失うのは本当に厳しい状況です。


> > 要するに、そう遠くない未来の社会において、
> > 人間が、ロボットやAIと対立する時代ではなく、
> > 人間が、ロボットやAIと共存する時代すら越えて、
> > 人間が、ロボットやAIと一体化する時代が来るような気がするんです。
> > 技術革新が進んでいるのは、何もコンピューターの分野だけではなく、
> > 生物の遺伝子を弄ったり、生物とロボットを組み合わせる分野でも、
> > 同じく驚異的な進歩を見せつつありますからねえ。

> うーん、ここは私の知識が圧倒的に不足しているので何とも言えないのですが、
> 聞きかじった話では人間の道具の進歩は人間の体の拡張らしいので、
> そういう意味では人は常にスマホを持ち歩くことで既にAIと一体化しているのかも?

一昔前に唱えられていた「ウェアラブル・コンピューター(装着するPC)」も、
今では、スマホがそれを実現しているとは言えますね。
現在のスマホは、当時のハイエンドPCよりも高性能ですし。

ただ一方で、道具として身体の延長線上に用いるのと、
身体そのものに組み込んで、直接的に用いるのとでは、やはり異なるかと?
例えば自動車の運転も、上手くなれば自らの手足のように動かせるのは事実ですが、
人間自体が自動車と同レベルに走れるようになるのとは、また違う話ですからねえ。
「ロボットやAIと一体化する時代」というのは、まさに後者のような時代の事です。

> > ちなみに今年の3月、東大とカリフォルニア工科大の共同研究チームが、
> > 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に続く、人間6つの目の感覚として、
> > 既にかなり退化しているものの、磁気を感じる能力の存在を発見しました。
> > まあ、渡り鳥とかは、この磁気覚によって方角を把握する事は知られており、
> > その痕跡が人間にもある事自体は、そこまで意外では無いのですが、
> > この感覚回路を、ネットや機械と繋ぐ上で活用できないか?と、少し思ったんです。

> VRなんかもかなり実現の見通しが立ってるみたいですね。
> 今までは現実世界と同じくらい精密な世界をVRが提供しなきゃいけないと思われていたのが、
> 実は人間の目は現実世界でも全ての情報を処理しているのではなく、
> 一部の情報だけを選んで処理しているらしく、
> VR空間も現実よりずっと低い解像度でも案外違和感を感じないそうです。

これに関しては、聴覚方面のデジタル通話とかは、既にそんな感じですね。
固定電話のアナログ通話は、糸電話と同じ原理で、音声をそのまま伝えてましたけど、
携帯電話のデジタル通話は、あらかじめ数十億個の音データが用意されていて、
音声を細切れにし、それに近い音データを並べて、音声に近い音を伝えてますから。

> これからまた近いうちにインターネット級の大革命がおこるかも?
VRにせよ、デジタル通話にせよ、既存の視覚や聴覚をそのまま用いたモノで、
これから新たに登場する技術は、もう一歩先に進んだモノだと思います。

具体的に言うと、既に障害者の間で使われ始めている技術なのですが、
腕を失った人が、電動義手を胸の神経などに結び付けて、義手を自在に動かしたり、
全身不随の人が、眼球の動きや脳波で、PCを操作したり出来るようになっています。
で、この技術が一般社会にまで拡張すれば、
例えばブルドーザーとかを、操縦機を持たずに遠隔操作できたりするようになります。
要するに、機械的に拡張された身体に対して、既存の神経を代替的に用いる訳ですね。
逆に言うと、それだけ人体というのは、想像以上に自由度が高いモノだとも言えます。
そして、使われずに眠っている6番目の磁気覚を利用できれば、
人類拡張の可能性は、もっともっと広がると言えるかも知れません。

また、視覚や聴覚などに関しても、通常は網膜や鼓膜を通して、
光や音の振動を電気信号に置き換え、それを脳内で処理している訳ですが、
視覚障害者や聴覚障害者の場合、カメラやマイクで映像や音声を取得し、
それを電気信号に置き換えて、脳や器管に直接流し込む治療法があります。
さすがに視覚は発展途上ですけど、聴覚は健常者と大差ないレベルまで来てますね。
先述のVRやデジタル通話は、もちろん網膜や鼓膜を通した刺激ですけど、
この技術が健常者も使用するレベルになれば、
映像や音声のデータを、脳内に直接送り込むようになる日も近いかも?
(文章だけ見ると怖そうな印象ですが、夢を見る仕組みと似たようなモノです)

ただ、VRとか、AR(Augmented Reality:拡張現実)やMR(Mixed Reality:複合現実)も、
これから、まだまだ出来る事はいっぱいあると思うんですよね!!
例えば、ドローンの操作を思い通りに行えれば、
搭載カメラからの映像は、VRゴーグルを通すと、まさに当人の視覚情報になるでしょうし、
視覚や聴覚だけでなく、触覚の疑似体験の精度が上がれば、没入感は相当上がると思います。
あと、解像度に関して言うと、PlayStation4などの映像とは比べ物にならないものの、
ファミコンくらいの映像でも、プレイヤーは十分に熱中できるのは確かなのですが、
スマホを用いたVRとかを体験すると、やはり解像度は高いに越した事は無い気がします(笑)。
そういう意味では、4Kや8Kなどの技術も、大画面テレビで用いるのも良いのですが、
VRゴーグルの小画面に用いるというのも、1つの活用法だとは思いますね。

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