[スレッド全体]

[22802] Re3:リトアニア滞在返信 削除
2019/12/5 (木) 00:10:06 徳翁導誉

> > そもそも、リトアニアに観光旅行へ行く日本人の数が、
> > 私には非常に限定的に思えるんですけど、

> それを言わないで・・・(笑)

いやいや、それだけミカエルさんが凄いという話です(笑)。

> しかし2年前のサラエボ訪問や成都訪問の時よりかは多い感じです。
> (時期は8月のお盆時期なので比較にはなるでしょう)

サラエボはまだしも、成都より多い感じというのは意外でした。
確かに中国も、成都くらい内陸部になると大変そうですけど、
それでも、日本の三国志人気を考えれば、リトアニアよりは多そうな気がしたので。

それと、ちなみに、現在のサラエボってどんな感じなんですか?
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、4年に及ぶサラエボ包囲戦により、
1万人以上の死者が出て、街も瓦礫の山となり、
1984年の五輪スタジアムも、巨大な墓地に化してた記憶があるのですが、
あれから20年ほどが経ち、街の雰囲気は今どうなのかなぁ?と気になりまして。

> > ちなみに、現場の跡地となると、慰霊碑か何かが残されているんですかねえ?
> > ソ連軍の戦車とか、そんな解りやすいモノは残されていないでしょうし。

> 戦車はのこされていませんが、議事堂敷地にはバリケードがのこされています。
> https://yo-hey.info/lithania-life/trip/sausio

ドイツにおけるベルリンの壁のように、歴史遺産として残されてる感じですか。

> 全体的にリトアニア国内の展示傾向として、
> 「中世時期は大国だったけど帝政ロシアの支配下に入った近現代以降では小国になってしまい大変でした。
>  そんな中でも国のために尽くした人がこれだけいますよ〜」
> 的な主張は非常に多いです。
> このあたりの意識の湿っぽさは勝者の歴史とは違う重さの雰囲気を感じます。

外国人の視点からすると、中世の「ポーランド=リトアニア共和国」って、
リトアニア以上に、ポーランドってイメージなんですけど、
リトアニア国民にとっては、輝かしい歴史なんですね!!(笑)
例えば、韓国が大日本帝国を誇ったり、ハンガリーがハプスブルク帝国を誇ったりは、
あまり無い気がしますけど、その辺りは経った時間の長さの差もあるのかなあ?
逆に言うと、現在のリトアニア人が、ポーランド人に対して、
親近の情みたいなモノを抱いているか?とかも、少し気になる所ですね。
あと、よく一括して「バルト3国」として扱われますけども、
ソ連から独立して以降、エストニアやラトビアとの関係性は、どうなんですかねえ?

> > > ・ポテトパンケーキ美味しすぎ。
> > 「Eggs'n Things」や「bills」の上陸により、
> > 昨今の日本で起こっているパンケーキ・ブームとは、また別物なんですよねえ?
> > ポテト・パンケーキですし、何となく東欧なイメージ。

> Billsのパンケーキとはちょっと違いますね。
> http://www.gusto.lt/index.php/
> 私が試したのは上のリンクのお店ですがここのパンケーキを食べるために再訪しても良いぐらいです。

当然ですけど、サイトはリトアニア語表記ですね(笑)。
まあ、写真なら見れば解るので、手探りに見てみましたが、
昨今ブームのパンケーキとは別物っぽいですけど、これはこれで美味しそうかも?
とは言え、やはり食べてみないと、実際の所は解らないですよね。
日本国内とかでも、食べられる場所とかあったりするんでしょうかねえ?

> > > ・旧ソ連邦の構成国ですがほぼEU化していて、共産主義時代の雰囲気は新市街に行かない限りわかりません。
> > > ・物価水準は日本とそう変わらない感じです。

> > 物価水準とかも、EU加盟の影響なんですかねえ?
> > ただ、平均収入はEU内でも、かなり下の方だったと思うので、
> > そうなると生活的には、なかなか厳しいのでは・・・・

> 厳しいでしょうね。何年か前にハンガリーのメーメト首相のインタビュー記事で
> ハンガリー国民のオーストリアやドイツへの流出が止まらない。
> 国境を開いた意義はなんだったろうかということがありましたが
> リトアニアでもほぼ同等のことは起こっているでしょう。
> 以前ルクセンブルグ中央駅前にある3つ星級のホテルに泊まったことがありますが
> 深夜帯のフロントはスラブ系の従業員でしたし。

ブレクジット。EU離脱に繋がったイギリスの移民問題も、
中東からの難民流入より、東欧からの労働者移住の方が、
イギリス国民にとっては大きかったと聞いていますし、
日本国内であっても、過疎と過密の問題はあるのに、
それが国境を越えての流入と流出となると、大きな痼りは生じるんでしょうね。
ただしそれでも、双方ともにデメリットよりはメリットの方が大きいはずで、
確かに不満はあっても、そう簡単に離脱とは行かないのは、痛し痒しなんでしょうね。
そして、何だかんだでドイツが最大の勝ち組となり、「第四帝国」と皮肉られていると。

> > ここ最近、香港の情勢が収拾のつかない展開になりつつありますが、
> > ミカエルさんは、香港に関しても、お詳しいでしょうか?
> > (いや、以前の話題でマカオの話が出ていたので)
> > 今後、香港がどうなって行くのか、気になる所ではあるんですよね。

> 香港・・・すいません全くわかりません。
> 香港に行くときは空港近くのアウトレットで買い物をするかパンダクッキーを買うだけになってしまっています。

すみません、調子乗りました(苦笑)。


> > それにしても、そう言われて、改めて考えてみると、
> > 世界における紅茶文化圏とコーヒー文化圏の分布って、どうなってるんでしょ?
> > まあ漠然と、旧大英帝国領だった地域は紅茶文化圏で、
> > 当時イギリスと対立したフランスやアメリカがコーヒー文化圏ってイメージがありますけど、
> > 嗜好飲料の世界文化史というのは、個人的に、今まで無かった観点でした。

> どうなんでしょう?紅茶とコーヒー文化圏の違いだと門外漢なのでちょっと説明がつきません。
> 紅茶のスペルをCから始めるのとTから始めるところの違いぐらいざっくりとした範囲しかわかりません。

紅茶も、コーヒーも、欧州で本格的に広まるのは、
大航海時代から帝国主義時代を経ての話ですし、
丁寧に追っていけば、その普及の過程も解るような気はするんですけどね。
う〜ん、何か適当な本とか無いのかなあ?

> > あとロシアでは、スタバが成功し、ドトールが失敗したというのは、
> > 経営戦略的に何らかの違いがあったのか?
> > それとも、コーヒー云々の話では無く、スタバというのは、
> > あの演出された雰囲気を楽しむ場所として、受け入れられたのか?
> > そういった所も、少し気になってきますね。

> やっぱりスタバの持つ雰囲気ではないでしょうか。
> イタリアやフランスにはほとんどスタバはありませんので
> コーヒーを飲むスタイルが確立しているところはあまり参入できる余地はなさそうです。

なるほど、既にコーヒー文化が確立している土地ほど、
改めてスタバが参入して来るというのも、難しい面があるんでしょうね。
現に日本でも、47都道府県で最後にスタバが出店したのが「鳥取県」なのは、
もちろん、人口の少なさという点もハードルだったのでしょうけど、
1人あたりのコーヒー消費額が全国トップで、
既に独自のカフェ文化が築かれていた事も、大きな障壁だったと聞いてますし。

> リスボンについて
> > それでも、250年以上経っていれば、それなりに古いのでは?
> > 美しい街並みの代表格であるパリやバルセロナにしても、
> > 歴史的に見れば、都市計画で整備されてから150年余りですし。
> > って、言うほど私自身は、リスボンの街並みに関しては知らないんですけどね(笑)。
> > その地震で失われた全盛期の建物とかって、どんなのがあったのでしょう?
> > 日本史で言えば、地震では無いものの、江戸城天守閣が焼失し、
> > そこを境に江戸の街並みも大きく変わった「明暦の大火」みたいな感じでしょうか?

> 建物は欧州の建築史にあるようにゴシックからバロックに変化していくことになるのでしょうけど
> 町並みは耐震化、地震による火災の延焼防止などを考慮して道路幅を広くとっています。

道幅が広くなると言うのは、明暦の大火との共通点かも?
上野広小路とかも、火災後に生まれたモノでしたから。
でも、そう考えるとリスボンの街作りは、歴史があると言っても良いのかも。
パリなんて道幅が拡張されるのは、ナポレオン3世の時代ですからね。

> とりあえず今週はこんな感じで。
ありがとうございました。

> 私事ながら奥歯を一本抜くことになりそうで、老化が進んでいることをひしひしと感じております。
私も、虫歯の治療が難しい親不知は、3本ほど抜いてますけど、
そういう抜歯とは、また違う感じなんですかねえ?

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72