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[22844] Re3:私の歴史小説の読書履歴返信 削除
2019/12/31 (火) 00:16:24

▼ 徳翁導誉さん

> 学問としては厳密性を欠いてしまうかも知れませんが、
> 草食動物と肉食動物の相関関係を、数理モデルで表す要領で、
> 農耕民族と遊牧民族の相関関係を、数理モデルで表せる気はするんですよね。
> そこに、地形や気候の条件も組み合わせれば、シミュレートも出来そうです。
>
> また、史実の世界史を見ていく上でも、ユーラシアというチェス盤において、
> 沿岸部の農耕民と、内陸部の遊牧民による相克が、人類の歴史を紡いできた訳で、
> 数理要素は別として、単に歴史学としてだけでも、新しい見方が出来ると思うんです。
> 現状の歴史観は、文字を残す農耕民視点で描かれたモノが多かったですから。


面白そうですね。
その両者の相関関係に着目するなら、相克による文明の共進化とか考察するのも面白そうですね

ただ生物と違って片害関係が入れ替わったり、相利関係になったりと
より複雑そうな面もありますね。

> 雑学の知識が、学問レベルにまで昇華されないのは、
> その知識が体系化されてない(要するにバラバラ)からであり、
> 「都合の良い内容は、いったん疑ってみる」
> 「都合の悪い内容は、いったん信じてみる」
> という批判的思考も、知識への態度として重要だろうかと思います。
>
> 解りやすく言えば、本に書かれた内容を、読んでそのまま信じるのではなく、
> 本に書かれた内容と対話しながら、自分なりの疑問(批判)を生じさせて、
> その疑問を解決すべく、更に掘り下げていくといった具合ですね。


それは非常に大事なことでしょうね
歴史学で言えば史料批判を知らないか、意図的に無視した言説は
どんなに情報に溢れていようと信用を得られませんから。

正直疑うのって苦手なのではありますが

> 仮に、平成サブカル史という題材であれば、
> それはもう、思い出を引き出す為の道具であって、
> ゲームそのものよりも、それをネタにダベる事がメインでしょうからねえ(笑)。
> 「ワンピースって、ナルトよりも2年早く始まったんだ」とか、
> 「あのアイドルと、このゲームが流行ったのは、同じ年か」みたいに、
> みんなでワイワイやるには、クイズ形式よりも、カード形式の方が適当かな?と。
>
> また、もっと幅広い年代で楽しむのであれば、時代を平成史から戦後史に広げ、
> 70年代・80年代・90年代・00年代・10年代で、前期・中期・後期に分けるとか、
> 2度の東京五輪(1964年と2020年)の間を、4年ごとに分けるとか?
> 4年ごとだと、五輪やW杯のカードは、きれいに収まりますし、
> 固い分野から柔らかい分野まで、多様なテーマを扱うのも良さそう。
> 例えば首相の項目とかも、あって良いかも?(日本はコロコロ変わるので・苦笑)
> 日本史や世界史を題材に扱うより、こっちの方がウケは良さそうな気はします。
>
> うん、そういう意味でも、2度の五輪に挟まれた60年間というのは、
> (五輪翌年から五輪開催年までの4年間を1つの「時代」枠として、計15枠)
> 来年の東京五輪用の企画ゲームとしても、意外と良い案かも知れませんね。
> ちょっと、真剣に考えてみようかな?
> とりあえず、ゲームの主旨的に、テーマ項目の1つとして「五輪」は確定として、
> 後は、どんなテーマを用意すれば、良いバランスで、硬軟織り交ぜた感じになるでしょう?
> 細かく分ければ、例えば野球・サッカー・相撲など、それぞれ歴史がありますが、
> ザックリと大枠で「スポーツ」としてしまい、
> 同じ分野で並べると、ボーナス加点があるくらいの方が無難でしょうか?
> そんな感じだと、「五輪」と「首相」は独立枠として、
> 「社会」「国際」「芸能」「サブカル」「スポーツ」の7枠くらいかな?
> 15x7の計105枠ですから、まあ妥当な所でしょうし。


知識に偏りがあるので、芸能関係の手札を多く抱えて固まってしまう自分が見えます。
後は、歴史よりも記憶で知っている年長者の方が有利になりそうですね。

> このルールだと、例えば、縦列と横行が共に「時代」で固定された場合、
> その交点は、異なる時代同士が交わるので、必然的に置けなくなるのでは?
> また、ある縦列との交点は、全ての横行で生じますから、
> そうした事態を避けるとなると、事前に「縦列は時代」と設定した方が無難かも?


それは確かにそうですね


> 相手の手持ちカードは、公開情報? それとも、非公開情報?
> 七並べの場合、最終的には全てのカードが場に置かれますし、
> また、並べる順番も事前に決まってますから、
> そこから相手の持ち札を読み、ゲームに戦略性を持たせる事が出来ますが、
> このルールの場合、恐らくは、その両方とも条件を満たさないと思うので、
> 戦略性を求めるのであれば、敢えて公開情報にするのも、アリかも知れません。
> もちろん、普通に非公開でも良いでしょうけど(笑)。


最初に手札を全公開し、同選抜したかを非公開……ですかね

他プレイヤーと競合しない偏りが自分にあるなら
存分に偏らせて、自分だけの領域を作り出してもいいですし

> あと、全体のカード枚数と、手札の枚数を、どれだけ用意するか次第で、
> ゲーム・バランスも、大きく変化はしそうですね。
> 枚数が少ないと、隣接枠に繋げられるカード自体が少なくなる為、
> 相手を追い込む以前に、自分が置くのにも汲々しちゃいそうですし、
> 逆に枚数が多いと、簡単に繋げてしまいますから。
> ・・・って、教育要素を含む事も考えれば、
> そこまで戦略性は求めなくても良いのかな?(笑)
> 「繋げさせない」よりも、「埋める」方が、カードの情報を覚えられそうですし、
> 単純に戦略性を求めるなら、それこそオセロとかと組み合わせれば良いかも。
> (5Aに置ければ大逆転できるのに、5Aに置ける手持ち札が無いみたいな感じで)


オセロ……なら、クイズ形式にして
表に人物、裏に詳細な説明で関係用語を言えればマス獲得とかにすれば
より教育要素ばっちりですね。
アタック25的なルールにすれば必ずしも、1対1である必要性も無し

……アタック25が長寿番組たる所以に気付かされました。

> それと、話題的に少し脱線してしまうかも知れませんが、
> こんな感じで、漢字や化学のカードゲームがあっても、面白いかも知れませんね。
> 例えば、「時代」の替わりに、「部首」や「元素」を置き、
> 条件に合う漢字や熟語、分子や化学式を作っていく感じで、
> 工夫次第では、「英単語」や「素数」「関数」など、英語や数学へも応用が利きそう。
> 暗記物は、その構造を理解しつつ、楽しく覚えた方が、絶対に定着率は高いでしょうし。


ジャンルを問わないルールを作れたらそれは嬉しいことですね。

> と、私としては良かれと思い、いろいろ申しましたけど、
> 以前↓と、おっしゃってましたし、あまり余計な事は言わない方が良いですかねえ?
> > > > 今現在の理解度で話しては、自分にとっては「なんか違うもの」になりそうに思えてならないのです。
> 個人的には、こういうゲーム案の話は大好物ですし、
> 案を練っていく上で、他の人と話し合いながら進める方が良いタイプなのですが、
> 皆が皆、必ずしも、私と同じタイプでは無いでしょうからねえ。


この件に関しては、最初に話した制作中のもの限定のこだわりみたいなものなので
それ以外のことに関しては、話し合って視野を広げたい気持ちの方が強いです。

> いや別に、知識マウントの取り合いとかは、私の求めるモノでは無いですし、
> その辺りの事は、まるで気にする必要は無いと思うんですけどね(笑)。
> 例えば以前であれば、年末になると、来年の大河ドラマの話とか、
> 雑談の話題として、自然と上がって来てたモノなのですが、
> 最近ではもう、そうした事も久しく無いなぁ・・・というような事です。
> (来年の大河は、私が好きな脚本家の作品なので、結構期待してます・笑)
>
> もちろん、学術的に深い話とかは大歓迎ですけど、
> 歴史のif話とかでも、それはそれで、また別の楽しさがある訳ですし、
> 知識云々だけでなく、人それぞれに異なる視点というのも、刺激的なのは確かです。
> 私は大の子供好きなのですが、その理由の1つは、
> 思わぬ視点に気付かされてくれるというのが、実はあったりするので。
>
> それに、こうして雑談を重ねる事で、例えば前回のように、
> 今までの歴史小説の読書履歴を、急に思い出して、振り返ってみたり、
> 教育系ゲームの案に関しても、いろいろとアイデアが湧いてきたりして、
> (世界中を時間旅行するゲーム案が、固まりつつあります・笑)
> 私の中でも、良い刺激となっているのは確かですからね。
> こうした掲示板方式を用いているのも、誰でも気軽に話に参加できる為ですし、
> ブログ開設を考えているのも、今の時代、掲示板方式が不人気だからでもあります。
> やはり1人で、頭の中だけで考えていても、発展性は乏しいですし、
> 逆に言うと、新コンテンツ案だ、何だという話も、
> 実の所、私自身が新しい刺激を求めている・・・という事だったりも(笑)。
> 特に教育系は、相手へのメリットだけでなく、私自身へのリターンも大きそうなので。
>
> もっと言えば、最近、新作のゲームや動画を作らなくなっているのは、
> そうした刺激が無くなり、モチベーションが上がらないから、
> というのも理由だったりするんです。
> まあ最終段階になれば、私の頭の中で作品を仕上げるのですが、
> 作り始めるキッカケとしては、外部からの刺激を欲するタイプですからねえ。


分かりました。
では話せたら話してみたいとは思いますが、正直自己主張イップスみたいな状態なので
出来るかどうかは分かりません。

> そういう意味では、「歴史カードゲーム」作りは、結構良い所まで来ているので、
> もう少し、お付き合いして貰えれば、実現に近付くかも知れません(笑)。


驚きと嬉しさとプレッシャーが同時に襲ってきました……

> いやいや、後段にも書いたように、
> 要は「頭の使い方」のコツの問題かと?
> ぶっちゃけ、自分が大した人間で無い事は、自身が重々承知してます。
>
> 例えば、同じ文字数の平仮名を覚えるにしても、
> 「むかし むかし あるところに おじいさんと おばあさんがいました」と、
> 脈絡ある並びなら、覚えるのは簡単ですけど、
> 「ぱちお ろめわ いこれとふま るみべすせぬ るがおめぢくでぽきて」と、
> 脈絡のない並びだと、覚える事は困難です。
> 囲碁や将棋の棋士が、長い手順を覚えていられるのも、
> そこに意図の流れがあるからであり、
> 意図なくランダムに並べられた手順は、覚える事が出来ません。
>
> なので、今回の件で言えば、「歴史小説」という括りがあったからこそ、
> 思い出す事が可能だったとも言えますね。
> メジャーどころの歴史小説作家は、数が限られてくる上、
> 特に私の場合、司馬遼太郎・陳舜臣・宮城谷昌光の3人がメインです。
> なので、その3人の著作一覧を調べて、そこから読んだ記憶のある本を抜き出し、
> 記憶の紐付けを頼りに、読んだ順番を思い出していけば、あのように並べられると。
> これが、「今まで読んできた本」だったら、とてもじゃないけど無理ですよ(笑)。
>
> だからこそ、今にして思えば、キチンと読書履歴を記録していた方が良かったと思いますし、
> アナログ世代の私と違って、今のデジタル・ネイティブ世代であれば、
> ネットによる検索と、記憶媒体の活用で、もっと上の頭の使い方が出来るはずなんですよね。
> しかし一方で、自己知識の索引作りとして、記録するのではなく、
> その行為自体が目的化してしまうと、あまり良い傾向とは言えないでしょうし、
> 安易な記録は忘却に繋がりやすく、安易な検索は熟考に悪影響な事を思うと、
> 便利な道具が出来たからと言って、使い方を誤ると、却って有害なのかも知れません。


自分がいかに日々をボーっと生きているかを突きつけられるようです。
自分が1考える間に、10考えられているようにしか思えませんし
大した人間とは一体……と考えると恐ろしいです。

> それに、忘れても残っているモノこそ、知識から知恵へと昇華された情報とも言えますので。

……この考え方に縋るしかないですね
例えわずかな寄せ集めだろうと、自分の中に残っているモノの組み合わせは
自分独自の組み合わせで、きっと小さくても役に立てるものなのだろう……と


今年も色々と楽しませていただきありがとうございました。
よいお年を

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