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[23555] もう、雑談に専念しちゃいます?(笑) (その1)返信 削除
2021/4/20 (火) 21:06:27 徳翁導誉

▼ 昔の日本を体験学習
> > 少なくとも、高度経済成長期であれば、懐かしさ目当ての客狙いも含めて、
> > 昭和ノスタルジー的なコンセプトの施設は、意外とある気がしますし、
> > 探してみれば、当時の雰囲気を残すモノも・・・って、
> > それはここ10年くらいで、急激に消えちゃったかな?

> 実は、昭和ノスタルジーといえば、実家がまさにそれなんですよね。
> 戦後ほどなくして建てられた、いわゆる文化住宅
> (サツキとメイの家みたいな和洋折衷住宅という意味の方の文化住宅です)でした。

高度経済成長期の話をしていたので、このカッコ書きが無かったら、
普通に、戦後アパートの方の「文化住宅」をイメージしてましたね(笑)。
って、サツキとメイの家で思い出しましたけど、
愛知万博の跡地に、ジブリのテーマパークがオープンするのって来年でしたっけ?
それこそ、サツキとメイの家に宿泊できたりしたら、面白そうな気はします。

> 昔っぽさを感じていた点というとコンセントの数ですね。
> とにかく1部屋に1つしかコンセントがなかったりします。
> 昭和中ごろの人は、まさかこれほど電化製品に囲まれる時代が来るとは
> 想像していなかったのかなと思います。

今時、コンセント1つでは、エアコンも設置できませんからね(笑)。
と言いますか、現状だとエアコン設置は、専用コンセント必須になってきてますし。
でもまあ、戦前当時の事を考えると、一般家庭にはコンセントなど無く、
電灯用のソケットが1つあるだけだったので、それを考えると充分に「文化的」ですけど。
(ちなみに松下電器は、家電も同時使用できる二股ソケットが大売れして、成長企業となったと)

> > と、これは前々から思っていた事なのですが、
> > 昔の暮らしを体験できる施設とか、もっとあって良いと思うんです!!
> > 例えば博物館とかに、昔の家の様子とか再現されてたりしますけど、
> > その中に入って、実際に道具を使ってみたりとかは、なかなか無いですし、
> > それこそ、歴史学習用の体験型テーマパークとして、
> > 縄文時代の竪穴式住居や、平安時代の貴族風な寝殿造、室町時代の武家風な書院造に、
> > 昔ながらの田舎の古民家や、戦前や戦後の都市住宅などを再建して、
> > 当時の服を着て、当時の食事をして、当時の道具を使い、当時の家に泊まってみると。

> これは、僕が小学生ぐらいの時から思っていたことですね。

一昔前までは、普段は都会暮らしであっても、
盆や正月に祖父母の家へ行き、そこで田舎体験する子供も多かったですけど、
現在では、そういうケースも減ってきている気はするんですよね。

> 海外では、体験ツアーが流行っているみたいで、
> 刑務所や軍隊の体験、ソ連時代の尋問体験なんかもあるみたいですね。

これはどちらかと言うと、更正プログラム目的での方かな?
「スケアード・ストレート(Scared Straight)」とか言うんでしたっけ。
例えば非行少年とかに刑務所ツアーを行い、恐怖体験をさせる事で、
犯罪の防止に繋げ、更正を促すような感じで。

まあ一見すると効果はありそうですし、テレビ番組とかでも取り上げられるのですが、
その後を追った本だか、ドキュメンタリーだかを見てみると、
ほとんど効果は無いみたいですけどね・・・・
実際の所、その程度で更正するくらいなら、そもそもグレてないでしょうし、
それこそ私たちでも、免許更新の際に、似たようなビデオ研修を受けるものの、
それを見て改めて、「安全運転を心掛けよう!」とは、なかなか為らないものです。
もともと危険な運転をするようなドライバーなどは、特に!!

> 当時の生活を体験というと、僕は1泊2日くらいなら奈良時代農民体験をしてみたいですね。
農民の暮らしという事で言うと、奈良時代でも、古墳時代でも、平安時代でも、
そこまで大きくは違わなかった気がするのですけど、
なにゆえ、そこは「奈良時代」だったのでしょう?

って、逆に考えると、例えば竪穴式住居などは、
学校の教科書だけだと、縄文時代に使われてたイメージが強いですけど、
庶民に関して言うと、実は平安の頃まで、東北だと室町あたりまで使われてた事は、
あまり知られていないと思うので、それを体験してみるのも良いかも知れませんね。
また、1日目は農民の竪穴式住居で、2日目は貴族の寝殿造りとかなら、
同じ時代であっても、身分の違いによって、どれだけ差があったか体感できますし。

> > それと、三丁目の夕日みたいな感じに、全てを美化した世界観にして、
> > 当時の負の面に蓋にするのは・・・とも思いましたけど、
> > 別にゲームだったら、それでも良いのか(笑)。
> > 例えばディズニーシーとか、実際のヴェネチアよりも奇麗だったりしますし、
> > 学習目的ではなく、娯楽目的で非日常性を楽しむのであれば、
> > 余計なリアルよりも、理想化されたバーチャルの方が、多くの人は喜ぶはずなので。

> それはそうですし、やはり遊ぶのは現代人なので、
> 倫理観は現代に合わせないといけないという制約もありますしね。
> アサシンクリードのロンドンも別にホワイトチャペルに娼婦がたくさんいる
> ……とかではないですし。

まあ大河ドラマとかでも、既婚女性が「眉剃り&お歯黒」とかしてませんからね。
あくまでもエンタメ目的であれば、理想化された世界観の方が良いかも。

> > あと、近い時代であっても、それを体験してない若い人たちや、懐古目的の大人には、
> > 再現された世界観は需要があるという事でしたら、
> > 十数年前の秋葉原の姿とかも、なにげに需要はあるかも知れませんね(笑)。
> > 駅前のバスケコートに、ビルの壁面に描かれた萌えキャラたち。
> > 路上の痛車や、過激なコスプレヤーに、店頭のエロゲ映像。
> > 裏道には、自作用のPCパーツや、電子部品に、洋ゲー。
> > そして、まともな食事処が無い事もあっての おでん缶自販機。
> > 考えてみたら、街自体が同時からリアル・テーマパークだったのかも?

> それはあると思います。
> 10数年前の秋葉原でも、電気街だったころの秋葉原を懐かしむ人間は相当いましたし。

駅前にあった青果市場が移転したのが1989年で、その跡地にクロスフィールドが出来たのが2006年。
つまり、同地にバスケコートがあったのは、その間の わずか15年ほどの事であり、
90年代の前期にPCが、中期にゲームが、後期にアニメが、秋葉原へと流入してきて、
2005年に電車男ブーム&つくばエクスプレス開業、2008年に通り魔事件があるのですから、
純粋な意味で、秋葉原が「オタクの聖地」だった期間って意外と短く、
それがちょうど、バスケコートがあった時期と重なるんですよね・・・・

ところで、秋葉原が「電気街」だったのって、実際いつ頃までなんでしょ?
もちろん現在でも、秋葉原に電気店は残ってますけど、そこまで中心じゃなくなってますし、
PCやゲームまでは まだ電気的な要素があったので、アニメ市場の台頭からかな?
って、私が知ってる秋葉原というのも、この90年代からの話なので、
それこそ青果市場があった、昭和の頃の秋葉原は、テレビを通してしか知らないんですよね。
「秋葉原は飲食店が少ない」というイメージも、
青果市場の移転に伴い、多くの飲食店が姿を消した後の事らしいので。
と言うか、これは逆に考えると、80年代までは電気と市場の街だったって事でしょうか。
もっと言うと、80年代の秋葉原にはオーディオ・ブームがあったと聞いてますし、
更には、2006年までは交通博物館があった関係で、鉄道模型ショップもありましたから、
PCだ、ゲームだ、アニメだ、オタ文化だという以前から、秋葉原は多層的な街だったのかも?

そもそも一言に「電気」と言っても、初めは電子部品だったのが、次第に家電製品の比重が高くなり、
そこに、90年代の家電量販店の登場や、00年代の郊外大型化や駅前大型化が起こって、
閉店スペースを、新たな異業種が埋めた事で、結果的に多層化したとも言えるんですよね。
そういう意味では、方向性は異なるものの、原宿や渋谷などと同じように、
小分けされた店舗スペースの街だからこそ、時代の変化に合わせた、移り変わりの速い街なのかと。

> これを書いていて思い出したんですけど、小学生の頃に読んだ(多分イギリスの)絵本で、
> 旧石器〜現代にかけて、同じ地点からみた同じ場所の景色を見開き1ページで掲載する
> というものがあったんですよね。
> こういった、感じのものだったら見ているだけで楽しいかも……。

私の上野公園での楽しみ方に、通ずる所があるのかな(笑)。
もちろん、博物館や美術館や動物園に、アメ横の雑踏とかも魅力なのですが、
(ただし、こども遊園地が突如閉鎖されたのは、未だに納得してません・怒)
園内の地形を見て回るだけでも、歴史を回想させる宝庫なんですよね!!

「この崖は縄文時代に、海の波が削って出来たんだよなぁ」とか、
「この小さな丘も、実は前方後円墳の名残りなんだよなぁ」とか、
「平安時代に海が後退して、残されたのが不忍池なんだよなぁ」とか、
「天海はここを琵琶湖と比叡山に見立てて、寛永寺を建てたんだなぁ」とか、
「戊辰戦争では、池向こうの東大からアームストロング砲を打ち込んだぁ」とか、
「この草野球場で、正岡子規たち明治の東大生が野球を楽しんだんだなぁ」とか、
「池の外周で競馬したり、ウォーター・スライダーを設置したんだよなぁ」とか、
「この不忍池で、ロビンマスクとアトランティスの一戦が行われたのかぁ」とか。
(オッサン世代は恐らく、一番最後のが最も心情にグッと来そう・笑)

> > 「アサシンズ・クリード」シリーズの舞台は、
> > 第1弾が十字軍時代のエルサレムで、第2弾がルネサンス期のイタリア、
> > そして第3弾は日本の戦国という噂もあったものの、否定され・・・という所で、
> > 私のゲーム認識的には止まってるんですよね、実を言うと(笑)。
> > その後は、独立戦争時のアメリカ、カリブの海賊、フランス革命期のパリ、産業革命期のロンドン、
> > 古代エジプト、古代ギリシャ、北欧ヴァイキングって、続編が続く流れでしたっけ?
> > あとは派生作品として、明代の中国、植民地期のインド、十月革命直後のロシアと出ているの?

> フランス革命期パリは、オスマンの改革前なので、
> デュマの描くような入り組んだパリが表現されてていいなあとは思います。
> 多くの人が望むのは、きれいに整備されたパリなんでしょうけど

私たちが一般的に思い浮かべる「パリの風景」や「フランスの文化」って、
実は150年ほど前に、ナポレオン3世の好みで作られたモノだったりしますからね。
これは日本だけじゃ無いですけど、「伝統的」と思われているモノの多くは、
ここ100年とか、200年くらいの歴史しか無いモノが、ほとんどのような気もします。
逆に言うと、社会の文化って、それだけ時代による変化が大きいんですよね。


▼ 欧米人から見た日本人やアジア人の名前
> > で、次回作では遂に日本が舞台・・・という噂があるのが、現状って感じなのかな?
> > ただ、映画にせよ、ゲームにせよ、欧米人が描く日本やアジアの世界観って、
> > 自分たちの方が詳しいからこそ、違和感バリバリの世界になるので、
> > 映像的には凄くても、痛し痒しな面が正直あるんですよね(笑)。

> そうなんですよねえ。ゴーストオブツシマもゲームとしてすごく楽しかったのですが、
> 鎌倉時代が舞台というより、江戸時代が舞台って感じなんですよね。
> スタッフが黒澤映画のファンみたいなので、用心棒的な感じがすごく出てしまっていました。

確かに言われてみると、「Ghost of Tsushima」は黒澤映画っぽい(笑)。

> これはしょうがないんですけど、欧米作品の日本で日本人的に気になるのは、
> 登場人物の名前だったりします。
> 古くは、バックトゥザフューチャーのフジツウ・イトウや、が代表的ですかね。
> ゴーストオブツシマも主人公が境井仁でなんか現代っぽい感じを受けてしまうんですよね。

まあ、そこは「お互い様」な面もありますからねえ(笑)。
日本の作品に登場する外国人の名前にしても、
「そんな名前無ぇよ」とか、「それは女性の名前」とか、普通にありましたし。

でも、一昔前に比べれば、今はネットがあって、その気になれば調べられる時代なので、
今風の名前になってしまうのは、その辺のリサーチ不足なのか?
それとも、メイン顧客は外国人なので、彼らが思い浮かべる日本人風の名前にしたのか?
そもそも武士の名前って、長ったらしいので、
当時の欧米人だけでなく、中国人や朝鮮人からも「覚えられねぇよ!」と言われており、
ゲーム性を考えれば、覚えやすいよう、敢えての可能性も実はありそうですよね。
例えば「惟任日向守 明智十兵衛光秀」なんて、もはや知らない人には呪文でしょうし、
私も実際、未見だった頃に銀英伝のCMを見て、似たような感想を抱いた事があります(笑)。

> まあ、鬼滅の刃でも伊黒小芭内なんて名前もありますし、許容範囲内なんですかね
逆に、国内作品の場合は、有り得ないような珍しい名前にする事が多いですからね。
普通にありそうな名前だと、キャラのイメージが立ち難かったり、
下手に実在する名前だと、本人がイジメの対象になるだとか、いろいろ理由はあるみたいです。
例えば、「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読む苗字の人など、
実在する人数よりも、架空キャラの人数の方が多いくらいですし(笑)。

> (あと海外では、ヒロやタツみたいな二文字の名前が日本人っぽいと思われているような気もします。
> これは、何が原因なんですかね……)。

日本語って、子音の後に必ず母音が来て、子音が続く単語って無いじゃないですか。
これって世界中の言語でも、どうやら かなり珍しい事のようでして、
外国人からすると、単語内の母音の出現頻度が高すぎて、発音しにくいみたいなんです。
また、日本は歴史的に、欧米列強の植民地にならなかった為、
欧米人が覚えやすいように、宗主国風のセカンド・ネームを持つ習慣が生まれませんでした。
ですから、欧米人が呼びやすいように、2文字の愛称を提案する事が多かったんだと思います。

・・・って、改めて考えてみると、これって実は意外と珍しいケースですよね。
例えば、香港人やシンガポール人が、本名とは別に英語名を持つのはまだしも、
韓国人や台湾人、中国人なども、海外だと普通に英語名を名乗ったりする。
しかもその英語名は、最初の英語の授業で、外国人の先生が一方的に名付ける事が多いと。
良い悪いは別として、これは創氏改名をさせた側と、させられた側との感覚の違いなのかなぁ?
たぶん日本の学校で それをやったら、不快感を抱く生徒も一定数いるのでは無いでしょうか。
(初対面の外国人から、いきなり「今日から君はボブね」と言われたら、私はカチンと来ます・笑)

そして逆の見方をすると、相手の本名が呼び難かった場合、
欧米人は大した抵抗感もなく、自分たち風の名前を相手に付けてしまいがちだと。
この辺りは、未だに拭えぬ、彼らの無自覚な優越意識があるんだと思いますし、
それをスンナリとは受け入れられない日本人の意識も、近現代史に起因するのだと思いますよ。

> > そういう意味では、日本をはじめとしたアジアのメーカーに頑張って貰いたい所ですけど、
> > 残念ながら、その可能性があるのは国産メーカーではなく、中国メーカーになるのかな・・・・
> > VR技術がもっと進化すれば、この方面は更にチャンスの広がる分野だと思うんですけどね。

> そうですね。日本のメーカーから出てくれると嬉しいですけど、現状龍が如くくらいですかね……。
> 中国メーカーであれば、清末の上海とかは面白そうな気もします。

「魔都」と呼ばれた頃の上海には、やはり怪しい魅力がありますからねえ!!
まあ、さすがに私も、租界時代の上海はイメージでしか語れませんけど、
香港にあった「九龍城砦」のカオスっぷりは覚えてる世代なので、
あれが都市レベルにまで拡大されたイメージを持ってますね(笑)。
逆に言うと、中国返還後の香港しか知らない世代からすると、
そもそも一昔前までの香港すら実感し難い訳で、それこそ再現されると面白いかも?

とは言え、川崎にあった九龍城をモチーフにしたゲームセンターも、
1年半前に閉店しちゃいましたし、実際は、そこまで需要は無いのかな?
https://denji-ch.hatenablog.com/entry/2019/12/05/200736
https://denji-ch.hatenablog.com/entry/2019/12/15/010500


▼ 岐阜や五輪・万博の話
> > この掲示板の雑談でも、何度か書いてると思いますけど、
> > 私も子供時代の一時期を、金華山の麓で過ごしてたのは、御存知でしたでしょうか?(笑)

> いや、まったく知らなかったです。
> 金華山のふもとというと、個人的にバーミヤン金華山店と岐阜大仏のイメージですね。

厳密に言うと、長良川の方の対岸ですね、私が幼少期を過ごしたのは。
それこそ夏休みになると、長良橋の辺りで、よく泳いでましたよ。
もう最近だと、さすがにそうした光景は見られないのかな?
子供たちだけで川を泳いで横断とか、いま考えると、ちょっと危険な行為でしたし。

> > ちなみに私が住んでた頃は、まだ路面電車が走っていて、柳ヶ瀬も凄く活気があったんですけど、
> > 今では、かなり寂れてしまったと伝え聞いてますね・・・・

> 最近の柳瀬は本当にすたれていますよ。
> 7時になると人もほとんどいませんし。

全国47都道府県の県庁所在地の中で、この平成の30年間の内に、
最も寂れたのが、まさしく岐阜市との事ですからねえ・・・・
活気があった分だけ落差も激しく、地場産業の衰退と、名古屋の近さは痛手だったかと。

> 今は、若い人も飲むときは、金神社周辺の玉宮という地区にいくようになってしまいましたし、
> 閑散としています。

あの辺りって、飲屋街だったんですか?
金神社の隣にある文化センターは、いろいろ思い出のある場所ですし、
何となく土地勘はあるものの、そこはやはり子供だったからなぁ・・・・
って、あの神社の鳥居はいつの間に、あんな金ピカになったんでしょう!?
岐阜駅前に金の信長像が出来た頃なんですかねえ?
う〜ん、正直言っちゃうと、私の趣味には合わない(苦笑)。
金ピカの串カツ屋まで出来たと聞きますし、何かブームのキッカケでもあったのでしょうか?

> > この辺りには小振りな古墳が数多くあり、中には「上円下方墳」という珍しい形のもあります。
> 府中の熊野神社にあるやつですよね。
> 府中市も積極的にアピールしていましたし、いまは資料館なんかもあります。

そうなんですか、それは知りませんでした。
埼玉に住んでいると、多摩地区って、どうしても縁遠かったのですが、
弟夫婦がそちらに新居を購入したので、そのうち泊まりにでも行こうかと検討中(笑)。
府中や国分寺の古代史的なスポットって、いろいろ有りそうな感じはしますけど、
「ここがオススメだよ」とかいうのは、何かあったりしますでしょうか?

> > ただ一方で、近年は全国展開のチェーン店が席巻しているので、違いが薄まった印象も?
> > 一昔前までは、関西だと納豆ってあまり売ってませんでしたけど、今では普通に売ってますし、
> > 逆に、節分で食べる関西の恵方巻きとか、コンビニを介して全国的に普及しましたし。

> コンビニも微妙にラインナップが違うようで、
> 東京のコンビニには、岐阜タンメンのカップラーメンがおいてないのと、
> セブンが出している、台湾飯の弁当がないのはつらかった。

そもそも、「赤いきつね」と「緑のたぬき」とかも、
同じ商品でありながら、関東と関西で、味が違ったりしてますからねえ。
そもそも関東と関西では、一般的な醤油も出汁も異なりますので。

> > まあ結局は、自分の任期中に開催したいという、前首相のエゴが混乱を増やした格好でしょうか?
> その首相も辞任してしまいましたよね。
> もはや懐かしい感じさえある石原都政時代の計画ですから
> 長年の結実として何としても開催したいという感情が出たのですかね。

まあ確かに、五輪の招致運動を始めたのは石原都政時代ですけど、あの時は2016年大会の招致であり、
2020年大会の招致に成功できたのは、猪瀬都知事に代わったからという側面もあるので、
あのまま石原と知事が続けていたら、そもそも2020年の東京五輪も無かったかも?

あと、安倍前総理の視点から見れば、2020招致活動の大部分は野党時代であり、
五輪招致に関わったのは、政権再奪取後の最後の数ヶ月間だけなので、
「長年の結実」と表現するのは、正直微妙な感じはしちゃいます。
ひょっとしたら、第1次安倍内閣の事を想定されてるのかも知れませんが、
2016招致は、メイン・スタジアムさえ東京都が自前で建てるプランで、今回よりも国の関与は低く、
それに何より、国側が招致案を承認したのは、その次の福田内閣でしたからねえ。
安倍内閣の時に行われたのは、東京と福岡が争った国内選考くらいです。

でもまあ、2020年の東京五輪招致が成功した後は、
猪瀬都知事が森会長の就任を強く反対し、トヨタの会長を委員会トップに据えようとしたら、
いきなり徳洲会の事件が飛び火して、都知事辞任&森会長就任という展開になるなど、
国と都の主導権争いが始まり、いろいろと頑張ったのかも知れませんけど(苦笑)。
まあ、その後は猪瀬から舛添へ、そして舛添から小池へと都知事が替わり、
本来の開催当事者である東京都の方は握れませんでしたけども、
小池都知事のパフォーマンスが過ぎて、IOCとの関係が壊れ出したのを機に、
建前上は国家ではなく都市がパートナーなのに、IOC側も日本政府側ベッタリになっちゃうと。

って、これだけの巨大イベントですから、政治的や利権的にいろいろあるのは割り切ってますし、
良い大会が行えて、その後も日本の社会やスポーツ環境に良いモノが残せるのであれば、
それで充分だという考えはあったのですが、どうもそちらの方には、
安部総理も、小池都知事も、ほとんど関心が無かったようで・・・・
それこそ、私の五輪招致妄想案は「20年」という年季の入ったモノなので(笑)、
別に自分の理想通りで無くとも、それなりにメリットが得られるモノであって欲しかったんですよね。
正直な気持ちを言ってしまえば。

> このまま開催はよくない わかっちゃいるけど
> やめられないというところなんでしょうか。

それこそ、皆が自分の目先の利益しか考えないから、動くに動けなくなるんです。
どんなに複雑な難題であっても、実は解決方法というのは常にシンプルであり、
各当事者が譲れない最低限の利益を担保した上で、
全体の利益をどれだけ最大化するか(そして提案者の利益を最大化するか)が、
複雑に絡み合った糸をほぐす為の手段だと思うんですよね。

IOCとしては、五輪を行わなければ収益構造が壊れる為、無観客開催であっても放映権料を確保したい。
スポンサーやテレビ局の側も、それと同じ思いであり、とにかくコンテンツとしての実態が欲しい。
ですから、サッカーの欧州CLや欧州選手権などは、無観客でも強硬開催されると。
そして選手たちは、人生を賭けているので出たい人も居れば、感染が怖いので出たくない人も居て、
各競技連盟としては、可能な限りの感染対策を望むものの、自分たちで自腹は切りたくない。
また、日本政府や東京都からすると、収支的にも政治的にも開催はしたいものの、
国民の反発は招きたくないし、それ以上に莫大な赤字を背負わされるハメになるのは避けたい。
で、インバウンド特需を狙った観光業界は、それ所では無い現状に陥ってますし、
一方で建築業界の方は、もう工事は済んでしまったので、開催だろうが中止だろうが関係無い。
あとは国民的には、五輪で盛り上がりたい気持ちはあるものの、世間的には当然自重の方向でしょうし、
場所だけ日本でも、無観客となるのなら、わざわざ自国開催した意味が無いと・・・・

これらの要望を集約して、各方面の利益を最大化しようと思えば、こんな感じだと思うですよ。
 1.無観客で感染対策アピールをして、放映権ゲットの為にとにかく開催。
 2.選手村は基本2人部屋なので、大会期間の2倍に延ばす事で1人部屋に。
 3.辞退する選手や、予選が終わってない競技は諦め、出場選手数も可能であれば絞る。
 4.完全に無観客では寂しいので、競技関係者は距離を空けて客席に座らせる。
 5.日本は開催場所を貸す立場に徹し、無観客化などで一切の接触を行わせない。
 6.これらの日本側の負担の穴埋めとして、2032年の五輪も東京開催とする。

ここまで行えば、開催自体に反対する国民の声も小さくなりそうですし、
とにかく開催できれば、IOCも、テレビ局も、選手も、国や都も助かります。
また、2週間という短期間に、ギュウギュウ詰めにされた日程問題の解消にも繋がるでしょうし、
とりあえず開催した形だけでは、観客となる国民的にも、観光業界的にも、キツいはずなので、
今回は「五輪もどき」みたいな大会にしても、具体的な目標として正式な五輪が欲しい所。
正直、「もう五輪開催なんて要らないよ」という意見もある所でしょうけど、
このままで負担を強いられるだけで終わっちゃいますし、
コロナ禍だけでなく、これから衰退が始まる日本経済の事を考えると、
11年後の五輪開催という保険が掛けられるのは、非常に重要な事だと思うんですよね。
状況が状況ですから、上手く交渉すれば、2032年の開催権獲得も不可能とは思えませんし、
IOC側としても、経済的な保証は出来なくても、この辺りで開催国に保証しなければ、
ただでさえ減少している開催立候補国が、更に減ってしまう事になると思うんですよね。

いや本当、もっと根本的な事を言うなら、
最初から無難に、2年後の「2022年 夏」に延期しておき、
それでも開催が困難なようなら、パリやロサンゼルスの後の2032年で良かったと思います。
それこそ幸運にも、今回のサッカーW杯は冬開催で、2022年の夏はスッポリ空いてますし、
時間的余裕を考えれば、1年でどうこう出来るとは、昨年の時点でも思えませんでしたし、
3年も延ばしてしまうと、2年連続しての五輪開催となり、これは現実的ではなく、
かと言って、そのまま4年ずつスライドするのも、フランスやアメリカの都合がある上に、
こんな状況下ですから、充分に時間を空けた方が、より確実に開催へと辿り着けそうでしょうから。
ぶっちゃけた話、3年後だって不確定な状況なので、このままスライドは避けたいのが本音(苦笑)。

そういう意味では、その翌年の大阪万博は、3年後を避ける良い口実になるでしょうし、
それこそ、今から考えておくべきなのは、それこそ2025年の大阪万博の事かも知れません。
4年後までに新型コロナが収まっていたとしても、盛り上がるのは大変そうですし、
2020年のドバイ万博が未だ開かれておらず、2030年の万博開催地も未決定のままなので、
そのまま1回分(5年)、開催をズラす事を提案しても良いと思うんですよね。
まあドバイ的には、既に施設もそれなりに完成してたでしょうから、
当事国の都合で開催を前倒ししても良いですけど、
日本側からすると、4年後よりは9年後にした方が、何かと利益が大きいと思うんですよね。
時間的な余裕があった方が、大阪の湾岸エリアの再開発に掛ける時間も増えますし。

とりあえず、現場の人間は、自分たちに与えられた権限の範囲内でしか、物事を進められない為、
大きな筋道の転換を要する場合には、トップの人間が実際動くしかないですし、
そうする事で、意外とスンナリ物事が動くケースというのは多いのですから、
政局的や金銭的な損得視点だけでなく、名誉欲でも別に構わないので、
考えて動けるリーダーは本当に欲しい所ではありますよね。
世界的にも混迷化する状況下で、自ら旗を振れる人間が現れれば、主導権が握れますし。

> 当の青島幸男は世界都市博を中止しましたけど(笑)
まあ、あの当時は、バブル崩壊の余波もあり、致し方なかった所もあるとは思いますけど、
その後のお台場の発展ぶりと、交通面も含むインフラの貧弱ぶりを見てしまうと、
今更ながらに、「あの時、都市博が行えていたら・・・」と、たまに思う事も。
私自身、80年代後半の「地方博ブーム」と、その成功ぶりは覚えていますし、
岐阜の未来博や、名古屋のデザイン博は、今でも記憶に残っています。
考えてみると、私の祭り好きな気質は、この頃の原体験が根幹にあるのかも知れません。

また、上述したように、長年抱いていた五輪の招致妄想案で言うと、
万博の承知妄想案の方が、それ以上に歴史が古かったりします(笑)。
正直言うと、再び東京で見たかったのは、五輪よりも万博の方でしたからね。
戦争で中止となった戦前の東京万博は、未だに挽回のチャンスを得られないままですし、
2度目の東京五輪や、2度目の大阪万博よりも、異なる組み合わせが良かった!!
って、これまたバブル期育ちの悪癖なのかも知れませんけど、
私の妄想する日本の地域再生案って、こうした大きなイベント開催を大義名分として、
再開発や構造変革を行うパターンのアイデアが多いんですよね(苦笑)。

五輪とか、万博とか、W杯とか大好きですし、どうせそれらを開催するなら、
それを契機に、なかなか進まない社会の改良を行いたいなと。
逆に言うと、だからこそ、だた開催するだけで終わりそうな東京五輪が、
残念で残念で仕方が無いという思いが、個人的に強いのかも知れません。
その他にも、東北復興の方法論として、復興庁を用いての試験的な道州制の導入や、
震災遺構や福島原発を世界遺産化、復興区画のIT都市化、緩衝地帯の農業公園化なども、
出口目標戦略としての中規模万博の招致と、それに伴うインフラ整備に絡めてましたからね。
(ちなみに万博は5年1サイクルで、半年間の大規模博を1回、3ヶ月間の中規模博を3回開催)


▼ 歴史やゲームとサイト運営の話
> > ただ個人的には、それを避けたがる潔癖的な、一昔前の趣味や学問やアートの世界の価値観が、
> > 地味に こびり付いちゃってる面があるので、今更それを一新させるのは難しいんだろうなぁ。
> > いや 頭で理解して行えたとしても、どうしても 心の内の痼りは残るので。
> > 清濁併せ呑みたいのに、それを受け止めきれないのが、私の欠点なんでしょうね。
> > で、能力的にも、年齢的にも、自身の限界を感じているからこそ、
> > まだ可能性のある若者に対して「何か貢献できる事は無いか?」と本気で考えているとか、
> > そ〜んな、別に誰からも求められてない話を、1人で勝手にダラダラと自己問答(苦笑)。

> そこに関しては、こういうサイトがどんどん消えていく中で貴重な存在だと僕も思っていますし
> 10年以上のファンも複数いるわけですから、
> あえて大きき方向転換をする必要もないんじゃないかなと思います。

とは言え、このままではサイトが消滅するだけだな、とも感じるんですよ。
最初の10年は、それなりにサイト運営してましたけど、
続く10年は、本当に大した事は何もしないまま、ただただ残しただけでしたし、
21年目に突入し、もうその先となると、もう消えちゃうだけだと思うんです。

ですから、ここから更に10年とかサイトを続けるのであれば、
新しい事を大きく始める必要性は感じていますし、
アイデア自体は、実現できてないだけで、昔から山のように抱え込んでますし(笑)、
あとは実現させる根気と、アイデアを実際に形とする最後の一押しなのでしょうけど、
その2つが全く気乗りしないまま、ただただ残しただけの10年間になってしまったので、
そろそろ無理も利かなくなる年齢になりそうですから、
そうなる前に、何か行動に移したいという思いだけは強いですよね。

って、そう思うだけで、実際に行動できてない所が、既に加齢の所為かも知れませんし、
そもそも年齢に関係無く、最初の10年から加速して、続く10年を過ごしていたら、
サイトの在り方だって、現在とはまるで異なっていたかも知れませんし、
これは言っても仕方ない事ですけど、当時の熱量で今のネット社会を迎えられていたら、
今とはまた別のネット活動をしていたかも知れません・・・・
でもまあ、そんな事をグダグダと語った所で、得られるモノなど無いのですから、
本気で事に当たろうとするのであれば、とにかく考えて、とにかく動く事なのかと。
これはサイト運営に限らず、何事においても、そうなのでしょうけども。

あと、私はスパッとモノを捨てられるタイプでは無い為、
何か新しい事を始めたとしても、古いモノは無くさずに残すでしょうし、
それ所か、古いモノと新しいモノの組み合わせとか、相乗効果とかを考えると思います。
私は別に優れた発想力のある人間では無いので、そういう方法しか知らないのもありますし、
もっと解りやすく言うと、新しいモノを作って人を集め、
今ある古いモノにも人を増やしたいな、という感じでしょうか?
そして、今までは私の単なる趣味でしかなかった「科学・歴史・アート」の融合も、
不透明なこれからの時代では有効そうなので、それを何かの形で活かせないかな?と。

> > ・・・って、そもそもの本題なのに、何だか方向性が定まらず、
> > 話の中身が取っ散らかったってますね、申し訳ない(苦笑)。
> > 専用性と汎用性、具体性と抽象性を織り交ぜて考えちゃうから、変な方向に進むのかな?
> > 「雑談メイン」という事であれば、このまま脱線しまくりでもOKなんでしょうけど、
> > 「何かを作る」という目的の上での雑談だとすれば、話題を「冷戦」に原点回帰した方が良いかも。

> そうですね。雑談も楽しいので、どちらも維持したいところではありますが、
> 雑談として盛り上がっている方は、いったん別にスレッドを建てます。

いや別に、私の方としては、このままでも構わないんですけどね(笑)。
ただ、今の調子のままで、
「一向に企画案がまとまらないじゃないか」とか、
「いつになったら形として実現するの?」とか思われてしまうと、
現状では、それに応えられないというだけの話なので。

> > ただ、改めて考えてみると、私の年代の場合、
> > 昭和天皇は歴史上の人物ではなく、記憶の中にある人物なので、
> > あれこれ創作的に弄るのは、ちょっと気が引ける所も・・・・
> > それに戦後の天皇は、あくまでも「象徴」ですから、
> > オリンピック云々となると、そこは対象が違うかな?という気もします。

> そうですね。それに昭和天皇は歴代天皇のなかでも特に、扱いがセンシティブな印象もありますし
> 避けた方が無難なんですよね。

その一方で、だからこそ個人でやる意味もあると(笑)。
企業が作ろうとすると、どうしてもブレーキが掛かりますからね。
実際、「Hearts of Iron」なども、天皇絡みで日本語版の発売が見送られたり、
世界的にも、当時のドイツ国旗である鍵十字が使えなかったりしますし。

もっと言うと、例えば大航海時代のゲームで、奴隷交易が排除されてしまうのは、
ビジネス的に致し方ない面は理解できるものの、それでは歴史の理解には繋がりませんからね。
戦争している地域に武器を売り、それで生じた捕虜を買い取って、
余所の地域に運び、奴隷労働に使役させるという構図は、
実際にプレーしてみて実感できる部分もあると思うんですよね。
そして、奴隷として売り買いされていたのは、何もアフリカの黒人だけでなく、
日本人もその対象であったという事実は、もっと知られてて良い気がするんです。

> > 例えば、いま「天皇」と言われると、私はまだ頭が切り替わってない為、
> > パッと思い浮かべるのは、今上天皇よりも、上皇の方になっちゃうのですが、

> そうですね。僕もそうです。

そして更に言うと、個人的には2000年(平成一桁)くらいまでは、
今の上皇は皇太子のイメージで、天皇と言われると「昭和天皇」を思い浮かべてました(笑)。

> > それこそ子供時代から、何度も人生をやり直せる展開にすれば、
> > 軍人や官僚、政治家に経営者、文化人に一般人など、いろんなルートを辿れますし、
> > 人生の分岐点(セーブ・ポイント)から、やり直しても良いかも知れません。
> > また、ゲームである事を割り切れば、「親→子→孫」と世代を越えるのも面白いかな?
> > 要するに、主人公を個人単位ではなく、一族単位にするって事ですね。

> Age of Empores3のメインシナリオ(キャンペーン)がそういう話でしたね。
> 4部に分かれていて基本的に全編にわたりアメリカ新大陸開拓を舞台に
> ブラック家とオッサス団秘密結社との戦いを描いていました。

AoEシリーズは、2までしか知りませんでしたが、3ってそんな感じなんですね。

> たしか、1部がマルタ騎士団のモーガン・ブラックがアメリカに渡り不老不死の泉をめぐって戦う話、
> 2部がモーガンの孫、ジョンと7年戦争、3部が19世紀でジョンの孫のアメリアが主人公だったかな。
> 追加シナリオでアメリカ独立戦争と、リトルビッグホーンの戦いが追加だった気が……。

何だかジョジョっぽい(笑)。
って、こちらはマンガですけど、まさしくジョジョはそんな作品ですよね。
で、そこにゲーム性を加えていくのであれば、「ダービースタリオン」と言いますか、
人間が題材であれば「俺の屍を越えてゆけ」の方かも知れませんけど、
歴史的なイベントを辿りながら、家系図を繋げていくタイプも面白いかも知れません。
引き継がれる子孫キャラの能力が異なる事で、同じ時代でも異なる展開になるでしょうし。

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