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[23561] 帝国主義時代の保護国と朝鮮統治に関して返信 削除
2021/4/27 (火) 19:34:09 徳翁導誉

> > と、そんな昭和話はさておき、伊藤が延命した世界線を考えた場合、
> > そもそも伊藤は韓国併合に反対の立場であり、保護国のままで充分と考えてましたし、
> > 併合の流れには逆らえなかったとしても、史実よりも文治的に治めた可能性はありますよね。

> 横から失礼します。どうしても気になったので一点だけ。

いえいえ、横レス大歓迎ですよ!!
だからこそ、掲示板スタイルに拘ってる面がありますし。

> 保護国のままで充分についてですが、
> 日韓協約について少し条文の事実確認が必要ではないでしょうか。
> 保護国のままで充分という事でしたら、
> 司法権と警察権の剥奪は絶対に行われなかった事だと思います。
> これは伊藤博文が統監で行ったことです。

う〜ん、これは「保護国」という単語に対する捉え方の違いなんじゃないですかねえ?
保護国というのは、「外交権や国防権が制限される国」を意味しますが、
しかし、だからと言って「それ以外の主権が保証されている」とは限りません。
確かに現代であれば、バチカンやアンドラに、オセアニアで自由連合を結ぶ国々など、
内政権を保証されるのが常ですけど、100年前の世界だと、決してそうではありませんでした。
内政権の制限度合いに関わらず、外交権や国防権が制限されていれば、それは保護国となります。
なので、「絶対に行わない」という見解は、現在の価値観で歴史を見ている印象を受けますね。

逆に尋ねますと、当時の欧米列強の保護国は、どれほど内政権を持ち得ていたのでしょう?
私も詳しくは知りませんが、イギリスやフランスの保護国とされた各国には、
日本と違って、司法権や警察権などが充分に付与されていたのですか?
宗主国に司法権や警察権を握られた国の方が、恐らく多数派だったとますし、
後追いの帝国主義国であった日本は、良くも悪くも、英仏のやり方を真似てたかと。
まあ、あの時代においては、「保護国≠植民地」ではなく、「保護国≒植民地」でしたから、
治安や特権の維持を考えると、警察や裁判所は押さえておくのが、一般的な気がしますね。
言い換えるなら、外交権や国防権は勿論の事、仮に内政権の多くを奪われていたとしても、
宗主国に併合されず、国家の体裁を整え、形式的にでも政府があるのであれば、
カッコ付きでも独立国として名義的に存在する以上、それは保護国と呼べると思うんです。
そして「保護国のまま」とは、「本国に併合しない」と同義の意味で用いています。

また歴史用語としても、日露戦争後から韓国併合までの大韓帝国の事を、
「保護国」と呼ぶのは、一般的な用法だと私は感じるのですが、
のたねこさん的には違和感があり、別の用語を用いたい所なのでしょうか?
「自治国」だと、既に国家に内包されている国家ですし、
「従属国」だと、封建的な上下関係のイメージがありますし、
「付庸国」だと、自治国と従属国の間にある曖昧な感じがするので、
そうなると、やはり保護国あたりが無難な表現かなと、個人的には思いますけど。

と言う事で、何も私が「保護国」という用語を用いたからと言って、
伊藤博文や統監府が、大韓帝国の内政権を侵していないとは、全く考えていませんし、
その前後で「韓国併合に反対の立場」や「併合の流れには逆らえない」と語っている以上、
そもそも論として、韓国側の主権尊重を念頭に置いた話の流れでは無いと思うんですよ。
実際の伊藤にしたって、あくまで日本側の都合で物事を考えており、
別に韓国側の都合などは、大して主眼を置いていなかったはずで、
要するに、日本の利益を最大化する為に、朝鮮人を懐柔する目的での文治主義ですね。
これは、現在の価値観から語る善悪の話ではなく、歴史や社会学としての話です。

あと、ついでに言うと、伊藤博文が暗殺されたのは1909年10月の事であり、
統監府司法庁の設置が同年11月、統監府への警察委託が1910年6月、韓国併合が同年10月ですから、
1907年の第3次協約により、日本の影響力が司法権や警察権にまで及んだのは確かですけど、
「剥奪」とまでの強い表現が適当となるのは、伊藤の死後なのでは無いでしょうか?
もちろん、そうした流れは伊藤の存命中から既に出来てましたし、
併合に反対という意見は、何も併合絶対阻止という対応と同義では無いので、
「伊藤が生きていれば韓国併合は無かった」とか、言っている訳ではありません。
と言いますか、独立抗争や同化の話題である以上、併合自体は大前提の話でしたからね。


・・・と、ここまでは主に保護国について語ってきましたけど、
確かに言われてみると、朝鮮における司法や警察の実態って、どんな感じだったんでしょ?
私自身、満洲や台湾に比べると、朝鮮統治の知識は正直不足してるんですよね。
という事で、簡単にですが、資料を調べてみました。

【朝鮮総督府の司法人員】
      判事           検事
 1910年  全254 朝71 (28%)   全 60 朝 6 (10%)
 1918年  全195 朝35 (18%)   全 69 朝10 (14%)
 1921年  全193 朝37 (19%)   全 76 朝10 (13%)
 1924年  全183 朝33 (18%)   全 75 朝 9 (12%)
 1927年  全186 朝31 (17%)   全 82 朝 9 (11%)
 1936年  全204 朝39 (19%)   全 93 朝 7 ( 8%)
 1937年  全224 朝45 (20%)   全107 朝11 (10%)

【朝鮮総督府の警察人員】
      全警官             警視      警部
 1930年  日10687 朝6976 (39%)   全62      全423
 1938年  日11737 朝8077 (40%)   日62 朝9   日388 朝89
 1943年  日14747 朝7968 (35%)   日77 朝8   日482 朝75

【朝鮮総督府の職員数】
      高等官           全職員
 1910年  全1100            全14529
 1915年  日 726 朝353 (33%)    日15145 朝10790 (42%)
 1920年  日 784 朝356 (31%)    日22293 朝14157 (39%)
 1925年  日 865 朝366 (30%)    日26687 朝14711 (36%)
 1930年  日1143 朝360 (24%)   日31761 朝17047 (35%)
 1935年  日1292 朝363 (22%)   日35642 朝20323 (36%)
 1940年  日1737 朝416 (19%)   日49907 朝36002 (42%)
 1942年  日2012 朝442 (18%)   日57302 朝45919 (44%)
※ 1937年の朝鮮移住者の41.4%が総督府官吏 ※

【朝鮮総督府 普通文官試験の合格者数】
 1919年  日59 朝 9 (13%)
 1925年  日21 朝 7 (25%)
 1930年  日27 朝17 (39%)
 1935年  日22 朝34 (61%)
 1939年  日41 朝95 (70%)

【朝鮮 京城帝国大学の学生数】
      学生数          法学部       医学部       理工学部
 1926年  全150 朝 47 (31%)   日 51  朝 33   日 52 朝 14
 1930年  全573 朝190 (33%)   日164 朝 90   日219 朝100
 1935年  全677 朝212 (31%)   日156 朝115   日309 朝 97
 1941年  全714 朝308 (43%)   日156 朝127   日227 朝165   日23 朝16

【台湾 台北帝国大学の学生数】
      学生数          文政学部    理農学部    医学部
 1928年  全 55  台 6 (11%)   全19 日16   全36 日33
 1930年  全180 台20 (11%)   全92 日80   全88 日80
 1936年  全 96  台25 (26%)   全53 日39   全43 日32   全40 日24
 1941年  全258 台63 (24%)   全71 日68   全99 日95   全88 日32

ついでに、満洲・建国大学1期生の民族比率を見てみると、
全141名中、日本70名・中国&満洲46名・朝鮮10名・台湾3名・蒙古7名・ロシア5名。
続いて、満州国の官僚(1935年)の民族比率を見てみると、
中央機関は全4939名中、日本&朝鮮2386名・中国&満洲2474名・蒙古41名・ロシア38名で、
地方機関は全7100名中、日本&朝鮮3249名・中国&満洲3517名・蒙古282名・ロシア52名。
1932年の建国当時は、中央における日系官吏の上限を2割としたものの、
わずか3年で、5割近くに達しています。

う〜ん、朝鮮統治は満洲統治のモデル・ケースとなった為、
イメージしていた数値と、そこまでの開きは無かったのですが、
合併後の総督府時代に比べると、合併前の統監府時代のデータは、
想定の範囲内ではあるものの、そう簡単には見つかりませんでしたね・・・・
のたねこさんは、統監府時代のデータとか、何か御存知でしょうか?
教えていただければ、幸いです。

第3次日韓協約の内容だけだと、組織のトップに日本人を据える程度ですが、
日本は第二次大戦中、軍事占領した欧米列強のアジア植民地に対して、
日本人顧問を派遣しての「内面指導」を行っていましたから、
それと似たような事は、恐らく併合前の朝鮮半島でも行っていたと思いますし、
一方で、やはり併合後と比べれば、そこまで あからさまでは無いと思うんですよね。

> この辺の認識がしっかりしないと近頃の韓国人との
> 話し合いはいつまでたっても認識が合わず決着が着きません。

いや〜、事実は1つであっても、視点が異なれば見え方も違うので、
基本的には何事も、立場が変われば、認識はズレるものだと思ってます(笑)。
そういう意味では、認識を合わすとか、決着が付くとかが、そもそも難しいと思いますよ。
出来る事と言えば、相手の立場にも立って考え、相手の認識を推し量るくらいでしょうか?
それが行えれば、双方の妥協点も見出し易くなりますからねえ。
逆に言うと、自分の立場でだけ語っていては、折り合いなど付かないですし、
一方が他方に擦り寄るだけでは、完全な解決には至らないはずです。

・・・と、抽象的な話はさておき、
「もしも大日本帝国が存続していたら、朝鮮半島はどうなったか?」
などという話題は、客観的な歴史事実を踏まえる必要がある為、
余程の相手でも無い限り、韓国人と冷静に思考実験するのは困難でしょうし、
朝鮮は植民地じゃなかったとか、日本統治は素晴らしかったなどと主張する日本人とも、
まともに話し合うのは無理な議題だろうとは思います。
やはり一般的には、日本人だ韓国人だという立場を離れて物事を考えにくいでしょうし、
どうしたって、感情面が複雑に絡んでしまう人が多いでしょうからね。
しかも近頃は、そうした乖離を各国政府が後押し、利用する状況にありますので・・・・

あと、念のために、ついでに言っておくと、
私は学生時代、第2外国語は中国語でしたし、趣味で韓国語も囓っていたので、
こんな話題をしてますけど、別に嫌韓とか 反中とか 右翼とかではありませんよ(笑)。
恐らく根幹にあるのは、「多民族国家としての日本」というテーマと、
「民族認識と帰属意識」というテーマに関する興味だろうと思います、個人的には。
そういう意味では、台湾における本省人と外省人であったり、
ドイツ人とオーストリア人や、ロシア人とウクライナ人の関係なども興味の対象ですし、
日韓間で言うと、未だ日本や韓国などの国は無く、対馬海峡上に国境線など無かった古代、
人々はどのように交流し、そして時の流れと共にどう線引きされるに至るのかも、
興味の対象ではあります(当時の古墳や遺跡とか、共同で世界遺産を目指して貰いたい所)。

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