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[23568] では、のたねこさんの「保護国」の定義とは?返信 削除
2021/5/4 (火) 21:03:11 徳翁導誉

> 保護国と植民地的な保護領が
> ごちゃごちゃになっている気がしますが、

いやいや、ゴッチャにしているつもりは、まるで無いですよ。
それに、単なる意見の相違とかでしたら、私も別に気にならないのですが、
言葉の定義に関して「違う」と言われると、私の性格的に非常に気になります(笑)。

では、のたねこさんのおっしゃられる「保護国」とは、
一体どのような定義で、この用語を用いられているのでしょうか?

また、日韓併合前の統監府時代が「保護国では無い」と言う事であれば、
あの当時の「大韓帝国」に対して、一体どのような用語が適当だと思われるのでしょうか?

> 保護国=植民地という事を表現したかったという事で
> 受け取ります。

う〜ん、どのように受け取られるかは、個々人の自由ですけども、
少なくとも私自身は「保護国=植民地」とは思っていませんし、そう書いてもいません。
そもそも保護国と植民地は異なる概念の言葉なので、イコールで結ばれるモノでは無いかと?
もちろん、植民地の一形態として、保護国という形もありますが、
保護国が必ずしも、植民地な訳では無いですし、
植民地が必ずしも、保護国な訳では無いですからね。

でもまあ、そういう細かい言葉の定義は別として、
少なくとも、今回の朝鮮半島についての話題に関しては、
併合前の統監府時代であれ、併合後の総督府時代であれ、統治方法に違いはあれど、
両時期とも「朝鮮半島が日本の植民地であった」という認識を、私自身は持っているので、
日本の保護国であった統監府時代も、植民地であったと見なしているのは確かですね。


> 「多民族国家としての日本」というテーマですと、
> 日本人は創始改名を行い、
> 現地の人を二等市民扱いしてしまったわけで、
> 当時これでどうやって多民族国家を築けるのかという…。

そもそも多民族国家とは、「多くの民族により構成される国家」の事を意味する為、
どの民族が、どのような扱いを受けているかとは、全く別次元の話ですよ。

また、そもそも完全な単一民族国家など存在しないのは事実として、
どこからを多民族国家と呼ぶかの基準も、特に無いかとは思いますが、
とりあえず、この前の「大日本帝国の人口データ」を見てもらうと、
当時、1億人強いた大日本帝国の人口のうち、
日本系が7割、朝鮮系が2割、台湾系を含む その他が1割ですから、
少なくとも現状に比べれば、充分に多民族国家と呼べたかと?
あのまま帝国が存続していれば、民族的にも居住地的にも更に混ざったでしょうしね。

ちなみに、以前より掲示板で語っている
「多民族国家としての日本」というテーマについて言うと、
第1に、現在よりも多民族であった、戦前の日本社会に関する考察。
第2に、もしも帝国が崩壊せず、多民族社会が更に深化したであろうif展開の考察。
第3に、それら程では無いにせよ、日本在住の外国人が増え続けている現実社会の考察。
これら3つを含めて、「多民族国家としての日本」という1つのテーマにしています。

あと、そもそも論で言ってしまうと、
皇民化政策は実質、大東亜戦争(日中&太平洋戦争)が起きた事で進められた反面、
「大日本帝国の存続」という条件設定を考えると、戦争回避は重要なポイントですから、
そちらのif展開を選んだ場合には、史実である皇民化政策の方も変わってくるでしょうね。
日本の戸籍制度や夫婦同姓制度が、徴兵制にリンクして明治期に作られたように、
朝鮮の創氏改名や、台湾の改姓名も、将来的な徴兵制導入を見越してのモノだったはずで、
あのような苦しい戦局を経なければ、もっと異なる展開になっていた可能性は充分にあります。

また一方で、史実だと、そうした苦しい戦局にあったからこそ、
終戦の直前に選挙法が改正され、外地にも衆議院の選挙区が作るれまでになると。
(ちなみに内訳は、内地466議席・朝鮮23議席・台湾5議席・樺太3議席)
まあ結局は、実際に衆院選が行われる前に、日本は敗れて選挙は行われないのですが、
もしも戦争が無ければ、外地での選挙区設置は、史実以上に遅れてたでしょうね。
とは言え、大正デモクラシーが長続きするようなif展開であれば、
樺太にも内地と同じ法律を適用したり、民族に関わらず男子に選挙権を与えた時代なので、
外地で議席数を稼げそうな政党が政権を握れば、想像する以上に早く実現した可能性も?
ただ、大正デモクラシーの衰退は、世界大恐慌の影響も大きかった為、
この世界的な出来事を回避するのは、戦争回避のシナリオよりも実現が厳しいかな・・・・

それと、朝鮮人や台湾人が「二等市民」として扱われたのは、間違いとは言えないものの、
より厳密に言えば、差別されたのは民族自体よりも「外地在住者」でした。
簡単に言うと、主に徴兵制以外は、朝鮮人でも内地に住んでいれば日本人扱いであり、
日本人でも外地に住んでいれば、基本的に現地人扱いでしたので、
それこそ選挙権で言うと、外地には終戦直前まで選挙区が設置されていなかった為、
選挙権はあっても、投票が出来ないなんて仕組みになっていた訳です。
逆に言えば、朝鮮人や台湾人であっても、内地在住であれば投票が行えましたし、
中には、東京3区から出馬して当選した「朴春琴」のような人物も居ました。

って、だからと言って、民族差別は無かったなどと言うつもりは、毛頭ありませんよ!!
大部分の日本人は日本本土に住んでおり、大部分の朝鮮人は朝鮮半島に住んでいたのですから、
外地差別というのは、民族差別と、ほぼ同義であったと見て当然かと思われます。
しかも、日本人以外が内地に移住するには、あれこれと条件が課せられてましたし、
制度的な差別以上に、経済的・教育的・感情的な差別がありましたからね。
そして、そのような外地差別があった事こそ、朝鮮や台湾が植民地であった証と考えています。
本国と同等の権利を有するか、それ相応の自主権を有するか、
そのどちらかを満たさない限りは、どう言い繕っても、それは植民地だと私は思うので。


> 最近は「多民族国家としての中国」というテーマの方が
> 現実味を増してきてるような気がするのだが…。

現実味も何も、中国は今も昔も、ずっと多民族国家だと思いますけど、
のたねこさん的には、一体どのような意味合いで
「多民族国家」という単語を用いているのでしょうか?
また現在、中国共産党は、漢族と その他55の民族を全て一纏めにして、
新たに「中華民族」という概念を作ろうとしていますので、
現在進行形の話としては、「単一民族化させようとする中国」の方が適当かと。

・・・って、ひょっとしたら、これって逆説的な意味で、
同化政策が進み、「多民族」では無くなりつつあるという問題提起なのでしょうか?
だとすれば、帝国期の日本に関する話も、筋が通るような気はします。
皇民化政策により、大和系も、朝鮮系も、台湾系も、その他の民族が全て、
「日本民族」として同化してしまえば、確かに「多民族」では無くなりますよね。
それこそ昔の琉球民族も、今では単に沖縄県民となってますから(特に若い世代は)。

でもまあ、例えばアメリカのような移民国家だと、民族的な集団社会では無い為、
多人種・多文化な国家ではあっても、多民族な国家とまでは言い辛いですし、
ソ連だって崩壊するまでは、民族意識の上に、ソ連人としての国民意識がありましたからねえ。
なので大日本帝国も、あのまま存続し、仮に同化政策が上手く進んでいたら、
「帝国臣民」や「日本人」という意識を持ちつつも、ルーツとしての民族性は持ち得たかも?
それこそ沖縄県民が、「日本人であり、ウチナーンチュ(沖縄人)である」と感じているみたいに。
(本来は、ウチナーンチュが本島人で、シマンチュが諸島人でしたが、現在では共に沖縄人の意味)

また、在日コリアンにしても、南北の代理戦争の場と化した実状を踏まえると、
現在の3世4世などは、かなり日本社会に同化していると言えますし、
これでもし、韓国も、北朝鮮も、朝鮮戦争も、敗戦も無ければ、
在日コリアンの日本人化は、現状以上に、もっと進んでいたはずです。

> アルジェリアの山間部に高速道路を中国人が建設した
> というニュースを見てさすがにこれはクレイジーだなと…。
> http://japanese.china.org.cn/business/txt/2017-04/26/content_40698496_4.htm
> どうしてこういう事をするんでしょうね…。

え〜と、これが多民族国家という話題と、どのように関連するかは不明ですが、
それは一旦置くとして、どこが疑問で、何をクレイジーと感じられたのでしょうか?

まず初めに、片側3車線というのは、高速道路の一般的な規格ですね。
高速道路というのは、都市と都市とを結ぶ大動脈なので、
その途中が僻地だからと言って、車線まで狭めては効果が減じてしまいます。
続いて、山間部に高速道路を建設するのは、地図とか見てもらうと解るのですが、
アルジェリアって地中海のすぐ傍までアトラス山脈が迫り出している為、
沿岸部から少しでも内陸部に道路を敷こうとすると、どうしても山越えになるんです。
また、アトラス山脈を越えると、広大なサハラ砂漠が広がっているのですが、
ここはイブン=バットゥータやカンカン=ムーサ王の時代から、
ニジェール川流域の内陸都市と、地中海とを結ぶ、古くからの交易ルートであり、
行商人がラクダで運んだ道が、高速道路として生まれ変われば、有益性はあろうかと?

それに、こうしたインフラ建設というのは、何も中国が勝手に行っている訳ではなく、
アルジェリア政府が公共工事と依頼しているから、中国企業も作る訳です。
そして、そういう仕事をしているのは、別に中国だけに限らず、日本企業もそうです。
と言いますか、ここ10年余りで逆転されただけで、
それまではずっと、こうした事業を最も積極的に行ってきたのが日本でしたし、
(アフリカ各国の首脳を東京に呼ぶ「アフリカ開発会議」は、朝貢外交な雰囲気も・笑)
以前に比べれば存在感は薄くなりましたが、今でも日本だって行っていますよ。
それこそ、アルジェリア北岸を横断する「東西高速道路」の方に関しては、
西側が中国企業の担当で、東側が日本企業の担当でしたので(笑)。
ただ、日本企業は工事費未払いで途中撤退し、中国企業が全線開通させましたがね。

では、何故「こういう事をする」のかと問われれば、普通に「ビジネスだから」です。
もう少し解りやすく説明すると、国内でインフラ整備の需要が少なくなると、
会社を維持する為には、海外でのインフラ事業を受注する必要が出てきます。
この時、自国政府が途上国を支援する際に、条件として自国企業に受注させれば、
支援金は結局自国へ戻ってくる上に、途上国への貸し付けであれば そちらも後で戻ります。
簡単に言ってしまえば、国内で行っていた公共工事を、海外に舞台を移すだけの話です。
まあ途上国の側も、インフラが整うならWin-Winの関係ではありますし、
インフラが整えば、今度は工場の進出であったり、市場の新規開拓が出来る上、
その国の上層部とコネが築ければ、いろいろ互いに美味しい思いが出来ると(笑)。

ですが中国の場合、日本と違って、相手国が貸付金が返せなかった場合、
借金の棒引きとかはせず、港湾とか鉱山とか差し押さえちゃんですよね・・・・
また、現場の建設労働者も、現地の人間を使わず、中国本国から連れてきたりするので、
単にインフラが整うだけで、相手国の地元経済は別に潤わないと。
まあ、こうすれば、支援金のリターン率が高いのは事実なのですが、
現地民の感情は、あまり買えませんよね。
とは言え中国企業も、好印象よりも安さで商売しているので、大して痛手はありません。
そういう意味では、日本の支援は善意的・・・と言いますか、
中国よりも先進国である為、そうやらないと商売に為り難い事情とかがあったりします。

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