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[24107] Re:旧トルコ担当さんへの返信返信 削除
2022/12/26 (月) 01:55:18 旧トルコ担当


> > 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> > オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

> 私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)


わたしも無学人間なので、だからこそ"系"という言葉をつけて保留にしています。
私から見れば管理人さんは知識人に見えますが、私から見ればですので。

> > 何となく聞いたことはありましたが、やはり地球温暖化は怪しいんですね。
> 「怪しい」ではなく、「解らない」ですね(笑)。


本当かどうか分からない、ということでの怪しいという表現ですね。
もしかしたら案外あっているかもしれないと。

> 一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。

これは、感覚として分からないですね。
昭和後期の家族団らんは想像できても、それよりさらに前の家父長制の強かった時代は想像できないみたいな感じです。

> で、もう少し踏み込むと、自己肯定感は低いけれど、自分好きという所に由来するのでしょうけど、
> 今の若者世代って、「消極的な利己主義」とか「受け身な利己主義」とでも言えば良いのか、
> ともかく、自分が良くありたい思いが強い印象を受けるんですよね。
> ただ、この利己心は消極的で受動的なので、どこまで自覚があるのか、私には正直不明。
> 例えば利己心と言うと、「人より上に行きたい」みたいに、積極的なモノをイメージしがちですが、
> これが消極的なモノとなると、「人より下になりたくない」という思いが強くなる感じでしょうか?
> 言い換えるなら、「マウント取られたくない症候群」とでも称すれば良いですかねえ(笑)。
> その結果が「横並び意識の強さ」であり、それは仲間内だけでなく、上下関係があっても発動されると。
>
> 「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
> 積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
> そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
> 「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
> 「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
> 「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
> そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
> 「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?


「教師が知識マウントを取ってくる!」という話は岡田ゼミで聞いたときは「えー、そんな人がいるの?」という感じでしたが、やはり実際にいるんですね。
(まあ実際、余計にマウントをとってくる大学教授がいないわけではないですがw)

受け身な利己主義に関しては私も同感ですが、実利以上の横並び意識は私はその気持ちも、そういった人の例もちょっと分からないですね。
(逆に言えば、受け身な利己主義に関しては私もありますw、日本が高齢化でめちゃくちゃになろうと、自分だけは公務員や正社員になって安定したい、他の奴らのことは知らんみたいなw)

ちなみに、これも偶然なのですが、最近ゼミでレポートを提出する機会があり、ゼミ生だけのLINEでレポートのページ数を全員で合わせようという話になりましたね。

> > まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> > むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

> いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
> オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
> とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
> 「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
> https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
> で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
> まあ一応、参考までに。


いや、このデータは私には役に立たないですし、世間一般の定義はともかく私の考えるオタクとは違うかなあ。
だって男性の9%がスポーツオタクと答えているんですよ。18%のゲームオタクも、14%のアニメオタクも、ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけじゃないんですかねw
少なくとも、オタク男性の4分の3が、2人以上の女性と付き合ったことがあって、女性オタクのうち恋愛未経験者が7.3%しかいないのならば、私は死にますw
管理人さんとしては、この辺に違和感覚えなかったんでしょうか?

> それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。
> そうなった時、変な逃げ口上で自分を納得させ、貴重な若い時を無駄に潰した事を、
> 後から気付いて、猛烈な後悔に襲われてる姿が、容易に想像できるんですよ・・・・
> やるだけやってダメだったのと、何もやらずにダメだったのとでは、後悔の度合いも違いますし、
> 今の時点で不安感を抱いているのでしたら、尚更の事ですよね。
>
> あと、「生涯独身で最後は孤独老人として死ぬ」と言っていますが、
> 別の所では、「死の現実感の希薄さ」も語っている訳で、


これは↓のことを指していると思うのですが、そもそもの意図から離れていますね。
> そうですね、私ももう大学生でありながら未だ葬式には1度しか出たことがありませんし、親戚家族関係の希薄化にともなって世代間交流がなくなっているんでしょうね。
> 私が知っている人が亡くなったのって、親戚と学校の先生とあとはTwitterのフォロワーくらいですね。親戚がなくなったときはまだ幼かったですし、知っている人が亡くなって一番ショックだったのがTwitterのフォロワーというのが"現代"なんでしょうね。

大体そもそも、死ぬことと死を想像することは全然違います。
死ぬときは自分の死を意識できないので、怖いとも思えないはずですし。
また、ある日突然あっさり死ぬのと、何年もの闘病生活の末に死ぬのでは全然違うはずであり、そこを無視して論じてもあまり意味はないと思うんですよね。
葬式というのは残された人たちが行う儀式であって、本人とはある意味無関係ですし、家族が闘病生活の末無くなったというのであれば、死ぬ過程に対する理解度は上がるのかな。

> 言っちゃ何ですけど、その程度の現実感で考えている「孤独さ」は、
> 一体どれだけリアリティーを持って考えられているのかが、正直疑問なんですよね。
> 賢狼ホロも、「孤独は死に至る病じゃ」と言ってるじゃないですか・・・という冗談はさておき(笑)、
> 若い頃はまだしも、年老いてからの孤独は、下手をしたら死よりも怖いかも知れず、
> 死が怖いのであれば、同じくらい、将来の孤独を恐れてみても良いかも知れませんよ。


そうですね、5年前の私なら年を取ることや身体・環境の変化による、自分自身の感情などへの変化って理解できませんでしたが、
最近は小学生時代のことを思い出したりもして、年を取ると変わっていないつもりの自分自身がビックリするくらい変化する、というのもあり得るんだなあ、というのは分かります。

将来の孤独も何も、既に孤独なのでこれ以上に孤独になることってあるんですかね?現在話す相手ゼロなので、マイナスにはなりえないでしょう。
年取って仕事しなくなれば、今以上に孤独になるかもしれませんが、幸いというか、そんな早々に楽隠居させてくれるような時代じゃなさそうですしw
リアリティーと言えば、中年の孤独の寂しさなんかよりも、就職先での人間関係の方が、よっぽど恐怖の対象ですね。

後は実は、ウクライナ戦争の影響というのもあるんですよね。
やはり人口1億の国と人口4000万の国の全面戦争が始まったというのは、これまでの紛争や内戦より1レベル大きい戦争ですし。
歴史を多少かじった者としては、東西冷戦期とか両軍が核兵器を搭載した航空機を24時間365日飛ばしながら代理戦争してたわけで、
正直今の日本社会としてはウクライナ戦争を大げさに捉えすぎているとは思うのですが、
ただ私も感情ある人間なので、本物の戦争が始まってしまったというショックはありますし、開戦数週間は夜中には不安を覚えたりというのもあったんですよね。

今でも、お昼の時間帯になると「今日もおいしいご飯が食べれて(こんなに平和で)幸せ」と思うようになりましたし、おかげでちょっと太りそうな勢いでご飯がおいしいんですよ。
私が太ったらプーチンは責任取ってくれるんですかねw
水木しげるのマンガでは「終戦後3年くらいは、今日も明日も明後日も生きられるというだけで幸せだった」とありますが、まさか自分がそんな体験をするとは思いませんでした。
いやまあ、遠いヨーロッパで戦争が起きたくらいで大げさなんですけど。

この話の前に、人間関係についての話を返信します。

> > もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
> > 本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。
> > とはいえやはりひと昔前と比較して、
> > 人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、
> > というのはより進んでいるのでしょうね。

> 「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
> 旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
> 私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。


いや、なので「もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。」
と書いているんですけどね。
理想と現実は別ですが、その時代の理想の人間関係の描かれ方というのは、その時代の人間関係に対する価値観を表しているのも事実ですし。

> > 私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
> > ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、
> > フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
> > 人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、
> > あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

> 何というか、テニスの壁打ちに近いのかな?という印象を受けますね。
> どんなボールで攻めてくるかと、相手とのラリーの応酬を楽しみたいというよりは、
> 自分が打ちたいが為に、単にボールを返してくれる「壁」役の存在を欲していると。
>
> 極端な話、それで自分が満足できるのであれば、
> ネットの向こう側に居る相手は、人でもbotでも構わない感じなのかな?
> もちろん、始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそうですし、
> それを望まない人は未だに多いでしょうけど、気が付かなければ意外とそれでもOKみたいな。
> まあ現状だと、まだまだ自然な会話は、技術的にも難しいでしょうけど、
> これが将棋や囲碁などのネット対戦であれば、既に充分に有り得る話ですからねえ。
>
> > ですが、最近読んだラノベだと
> > 「世界で一番けんかする人が恋人」カノジョの妹とキスをした
> > 「友達はそんな役回りを引き受けるためにいる」マリア様がみてる 赤薔薇さま
> > こういうのも分かりはするんですよ。
> > 相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。
> > しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、
> > 岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、
> > やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。

> う〜ん、結局の所、上記と同じ話になっちゃいますけど、
> botが相手では虚しいものの、かと言ってリアルな人間が相手だと煩わしく、
> その結果、素性も知らない「bot的な人」を相手に求めるようになり、
> それに応じて、自分さえも「bot化」してしまうというのが、そのあたりの正体なのでは?


bot化というのは、私が名のでしょうか?それとも今の世代がなのでしょうか?

私はTwitterも最近はbotに半分くらい任せています
過去のツイートなどをまとめて1日1ツイートにしておけば勝手にいいねやRTが得られるので、
これでいいじゃんってなってますね。
これは岡田斗司夫のUG動画と同じことをしただけなのですが、
こんなに便利なら、なぜ誰一人としてTwitterでこれをやっている人がいないのだろう、と思っていました。
が、やはりこれで満足できるって変わってるんですかね?

テニスの壁打ちというのは本当にもっともで、私は何十時間かかけてゲーム作る割に、あまりRT数もいいねの数も気にしませんし、
たぶん私の作ったゲームで一番遊んでいるのは私だと思います。
なんなら最近はそれに飽き足らず、ほとんど独り言のホームページも運営していますし。
(Googleなどの検索サイトに見つけてもらう方法が面倒で放置しているので、HPなのに検索に引っかからないんですよね
一応Twitterにはリンク張っているので、ちょっと(数人?)は訪問者がいるらしいですがw)

といいますか、普通に小学生の頃は自分だけが読むための小説とか、誰に見せるわけではない絵とか描いていましたし。
それと本質的には変わらないかなあ。
その私の自己満足で作ったゲームや書いた文章に多少の需要があるから、もったいないのでTwitterで公開してるだけで、見せるためではないという点は今も変わってないと。

> そして、その反動というか、衝動みたいなモノが、
> 相手の顔が見えないネット上であったり、顔が見えても素性の解らない匿名の場などで、
> 新自由主義などとも相俟って、人間関係の「コンテンツ化」という形で現れているのかも?
> まあ、私みたいな世代だと、アナログしか存在しなかった所に、後からデジタルが現れたので、
> 「リアルとネットは別物」という感覚が、未だに割と残っているのですが、
> デジタル・ネイティブな若い世代だと、「ネットはリアルの一部」という感覚でしょうし、
> 逆に言えば、だからこそ、「リアルとネットの区別」を行ってる自分に無自覚なのかも知れません。
> 確かに現在は、ネットがリアルにも深くリンクする時代や社会となっていますが、
> それでも、ネットとリアルが完全にイコールとはなっていない以上、
> 世代ごとに濃淡の差こそあれ、そこには何らかの「使い分け」が生じているはずですからねえ。


私が下の世代に一番差異を感じるのも、リアルとネットの使い分けですからね。
割と小学生のころからLINEがあった世代のネット観ってどうなってるんでしょうか。

> 言い換えるなら、ネットの存在が当たり前すぎて、リアルとの関係性を意識できない為に、
> その辺りで混乱が生じているというか、振り回されてるみたいな印象があるかな。


これは私のことを言っている、ということであっていますよね?
まあ私はリアルで友達どころか話し相手もいないので、変なことを言っているのは、まあそうなんでしょうね。
歴史やネット社会に対する認識のずれというか、そもそもの人間関係の認識がくるっているのだと思います。

> 「人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに」という図式も、
> 私から見ると、それは「→」で繋がっているかも知れませんが、
> 少なくとも「=」で繋がっているイメージは無いんですよね。
> 「→」であれば、幾つか在るルートの1つですけど、
> 「=」ですと、それは1本道なので。


いやあ、→だというのは分かっていますけどね。

で、私の恋愛(結婚?)の話に戻ります。
岡田斗司夫は「今後恋愛も流動化が進み、1人の人と生涯に1度恋愛して結婚する昭和の単婚社会から、常に複数の人と恋愛みたいな状態を持ち続ける多婚社会になる」と15年くらい前から言っており、
「具体的には、例えば今の女性はその時その時では1人の彼氏としか付き合っていないけど、5年6年のスパンで見ると3人の彼氏と付き合っていたりする。
これは実のところ同時に3人の彼氏と付き合っているのと、ある意味では変わりない。」とも言っています。
まあ、具体的にどういった形で単婚社会の解体が進むのか、あるいは本当に多婚社会になるのかは置いておくとしても、
全体的な傾向としては、そういった恋愛・結婚の流動化が進んでいるのは私も賛成しますし、私が年を取ってより寂しさを実感するときには、もっと恋愛・結婚の形も変わっていると思うんですよね。
それこそ離婚率も今後さらに上がっていきそうですし、
何かこの「将来寂しくなるのが不安なら、今のうちに恋愛しとかなきゃ」というのは、「将来日本はもっとひどくなるから、絶対正社員・公務員にならなきゃ」みたいな感じがして、
もちろんフリーターよりは正社員・公務員の方が安定なのは間違いないですけど、じゃあそれって私がじいさんになった50年後とかも会社が面倒見てくれるんですかと言いたくなるんですよ。
なれるならフリーターより正社員になった方が絶対いいでしょうし、多少なら無理してでも公務員になった方がいいのかもしれませんけど、
一方でそういう不安をあおるような感じのものは(悪意があるわけではないのは分かりますが)胡散臭く見えるんですよね。

そしてリアルに自分が女性と付き合うということを想像すると、やはりメチャクチャ気持ち悪いですね。
女性に媚びて、おしゃれとは言わないものの清潔感のある服装ですか、そういうのをしている自分も気持ち悪いですし、
女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。
ヲタ恋の桃瀬成海は少女の気持ちの時とBLの気持ちの時があるらしいですが、https://comic.pixiv.net/viewer/stories/40110
私の場合、普段は源氏物語とかラノベとか普通に好きなのですが、1週間に1日くらい異性愛が本当に気持ち悪くなる日があるんですよね。
ちなみに、新海誠の「秒速5センチメートル」はだんだん気持ち悪くなって見れませんでした(前にも書いた通り新海誠の「言の葉の庭」は好きなのですが、秒速はある程度新海作品が私にマッチする分、余計に気持ち悪かったですね)。
まあ、その気持ち悪さが生きているってことなんでしょうが。

私の場合、好き嫌いは非常に多いので、少年マンガとかは絵柄が苦手なので一切読めませんし、異性愛だけが特別苦手というわけではないです。
(萌え系とその源流になった手塚系・少女マンガ系の絵は大丈夫なのですが、少年マンガの絵は名探偵コナンくらいが限界で、ワンピースもドラゴンボールも鬼滅の刃も絵柄がダメで一切読んでません)

真面目に私は将来AI娘が寂しさを紛らわしてくれるのを期待していますし、
まあ、あとは高齢元オタク同士のメタバース同性愛というのもありかな、とは思っています。私はずっとオタクコンテンツに浸かってきたので同性愛には全然抵抗ないというか、高校時代にはちょっと気になる男子とか普通にいたので(何もしませんでしたが)。
といいますか、今もちょっとTwitterで4つ年下のメンヘラ男の子がちょっと気になっているんですが、こういう可愛い感じの子は既に私と似たようなオタクたちが囲っているんですよね。
実際にはどっちも技術的理由、個人的感情から無理かもしれませんが、正直今したくもないことをして将来の不安に備える気はないですね。
そうやって適当なこと言って努力せず備えないでいると、コツコツ準備してきた人と後で大きな差ができるよ、というのも分かりますが、一方で転勤族の私の父が単身赴任で寂しい思いをしているのも事実ですし。

そして(矛盾していますが)、正直特定の誰かと強い関係性を持ちたくないというのはあるんですよね。
私にとっての理想の人間関係は、誰からでも交換可能なパーツであることですので。Twitterもそれを理想として運用していますし。生きた証を残したい、みたいなのとは真逆です。
そのうえで、自分が勝手に満足したら、誰にも気づかれないように社会から消え去りたい、というか、少なくともいつでもそうできる選択肢自体は持っておきたいんですよね。
まあ現実問題、いざそういう段階に達すれば、本能的な恐怖に直面するものであり、そんな選択しとれないのも事実ですが。

そして、私にとって独り身が寂しいというのはそこまで大きな感情ではなく、感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。
これ書いていて思い出しましたけど、高校生の時は同学年の女の子見て、ちょっと辛くなりましたね(人間、絶対できないことに対しては羨ましいとは思わないらしいです)。
私の高校は制服が全く可愛くなかったのが幸いでしたが。

> もっと言うと、あの岡田斗司夫の女癖の悪さを思えば、恋愛とオタク道の両立可能なはず(笑)。

岡田斗司夫は例外ですよw
だってあの人はオタクでも萌え以前の世代のオタクで、萌えキャラのこと割とバカにしますし。
モテない男に向かって「お前が結婚しないから、世の中の1人の女が結婚できないんだぞ」なんて言ってしまう昭和人な面も、普段出てこないだけで普通にありますし、
というか、そもそもあの人は今も孤独でしょ。
嫁さんとは離婚して、友達もいない自称サイコパスじゃないですか(本人がそれでいいのだから、とやかく言うわけではないですが)。

> それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。


別にオタクやってれば、中高年にならずとも、これの繰り返しじゃないですかね?
面白い作品ある時は毎日のように生きてて良かった〜と思いますし、そういった作品が見つからないときは人生が虚無になりますし。
ヲタ恋の桃瀬成海も「最近何にも熱くなれない周期なんだよね。私このまま死んじゃうのかな……」って言っています(いや本当に熱くなれない時期はこんな感じで絶望していますw)。
私にとって歴史というのは、この面白い作品が見つからない時に逃避的に楽しむコンテンツでもあるんですよね。
ちなみに、今私ははマリア様がみてる(全37巻)読んでいる最中なので、おそらく楽しい期が今後最低でも2,3か月は続くと思います。

おそらく、若い時の情熱を失ってしまったオタクが現在行きつく先がTwitterだと思います。
他のオタクたちがつぶやいてるアニメの感想であったり、ゲームの録画であったり、萌え話であったり、そういうものが自分の努力(?)なしに一方的に流れてくるので、
私もTwitterでタイパ意識の焼き畑農業的、効率重視のオタク成分接種をやっていた時期はありますし、
中高年オタクが情熱なくしたり、興味や時間が無くなって、オタク戦線から離れていく姿というのは、それこそTwitterで毎日見ているので。
昔ゲーム作ってた人が、最近ではTwitterにログインしなくなり、結婚報告ツイートしてるみたい感じですかね。

歳を重ねた人に突き刺さる、オタクだったのにだんだんアニメが見れなくなる現象 https://togetter.com/li/1278232
そういった現象って昔は高齢オタクのものでしたが、今はタイパ意識とかのあれで、若いオタクにも結構身近なんじゃないでしょうか。
私もそういったアニメを見れなくなる現象を何度か経験した上での結論としては、本当に面白い作品に出合えていないかタイパ意識が浸透してアニメを見れなくなる、ということだと思います。
面白くないラノベ読むのは苦痛ですが、ラノベなんて面白ければ大学の課題提出ギリギリまで読んでいるので。本当面白い作品の前ではタイパ意識何か消え去るはずです。

ややこしくなっているので整理しますが、
面白い作品が見つからず虚無という現象:おそらくいつの時代のオタクにもあった
年を取り時間や気力がなくなっていくとオタクから離れていくという現象:同上
オタク成分の効率的接種のためTwitterをやる:最近の傾向
若くしてアニメを見れなくなる現象:最近の傾向
ではないでしょうか?

あとは面白い作品を探すだけではいずれ鉱脈が尽きるといいますか、自分に作品を楽しむ力がないと刺激ばかり求めて、刺激ジャンキーになっていずれ飽きが来るので、
既に好きな作品をどれだけ楽しめるか、あるいは各作品を並列で見たりして楽しむ力をつけるというのも重要ですね。
私の場合、好きな作品は因果関係表作っていますし(サボり気味ですが……)、そういった手間をかけると、新しいものが見えてくるので、より作品を楽しめるんですよね。

もしオタクの中高年や、あるいはオタクの老後というのがあるのであれば、
オタク成分の低い毎日を送って、Twitterでオタクエアプ勢をやっている自分を許せるようになった時ではないでしょうか?
かくいう私も、響け!ユーフォニアムを見てからは、正直もう死んでもいいくらいの気持ちはあるので、昔に比べるとTwitterでだらだらエア・オタクやることへの抵抗は下がってるんですよね。

と言いつつ、オタク辞めようかな、というのは中学生のころから思っていることではあるんですよね。
小学生の時までは、時間がたつにつれてドンドン次のステージ次のステージと色々進んでいったはずなのですが、
中学でオタクになってからは、もうそれが10年くらい停滞しているので。
なので、オタクコンテンツにもしハマれなくなったら、それはそれで次のものを探す良い機会なんだと思います。

> > 「ネットde真実」というのは、
> > そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

> まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
> ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
> いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
> そんな便利な単語が既に存在するのに、悪い意味合いを気にして、
> その度に長々と回りくどく説明したり、うまく伝わらない別の単語に言い換えたりするほど、
> 私は別にポリコレ重視じゃありませんし、他に便利な単語が無ければ、今後も用いていくと思います。
>
> 例えば「印象派」なんて単語も、最初は侮蔑的な意味合いが含まれてましたし、
> そもそも論として、愛称や記号の多くは、そうした他称が広く認知される事で、
> 次第に認知され、定着していったモノも多いのですから、私は使用をそれほど気にしていません。
>
> 逆に言うと、ネット上でよく見られるウヨサヨ論争みたいな感じで、
> 相手を馬鹿にしたいから、その単語を用いてる訳でもありませんけどね。
> う〜ん、そうした事情は、文章の内容を読んでいただければ、解るモノだと思ってましたけども、
> 今回の反応を見ると、どうやら、そうでは無かったみたいです・・・・
> となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
> 今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)
> それが私もピンと来る単語であるなら、きっと置き換えるでしょうし。


いや、管理人さんが積極的に馬鹿にする意図を持っていないのは分かっていますよ。
そのうえで、やはり「ネットde真実」という言葉を使っているのが、無意識に相手の能力の低さを見下している根底を批判しているので。
普通に陰謀論とかでいいんじゃないですかね。それでも十分伝わるでしょう。
ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?

> あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
> この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> > 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> > もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

> これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
> 私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
> 人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
> プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
> 「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
> って言っているようなモノですからね、この発言は。


この件については、大変勉強になりました。
私って、例えるなら典型的な嫌な左翼みたいな人なんでしょうねw
自分はエリートだと思い込み、世の中の恵まれていない人を救うという割に、周囲からは何かそこに見下しを感じて、嫌な奴と思われる、みたいなw
弱者救済といって人を助けようとしたら、そこにあやかろうとする人のプライドを傷つけることに気づいていない、みたいな。

> > もちろん、確かにそういう人たちが愚かなことを言っているのは事実ですが、
> > 少なくとも私の場合は、そういったネットの陰謀論に騙されずに済んでいるのは、
> > 周囲に知的に恵まれた環境(といっても父親が少し本を読む程度の一般家庭のもの範疇ですが)があったからですし、
> > 対する陰謀論者の人たちは、そういった環境に恵まれなかっただけだと思うんですよね。

> 「お前の目の前の箱は、何の為にあるんだよ!?」というのは、
> 一昔前までのネットだと、よく目にしたフレーズなんですけどね(笑)。
>
> ちなみに、ここで言う「目の前の箱」とは、ネットをする為の「PC」の事で、
> まあ現在だと、ネット端末の主流はPCからスマホとなり、同じPCでもノートPCばかりで、
> 今や箱形のデスクトップ&ブラウン管モニターなど、絶滅危惧種でしょうけど、
> それはともかく、ネット環境というのは、一昔前に比べると格段に普及&進歩しています。
> なので、知りたい願望があるのなら、調べられる環境は用意されているんですよ。
> あとは、「どこまで調べるか?」という、個々のスタンスの違いだけかと。
>
> もっと言うと、これって別に、若い世代だけの話では無いんですよね。
> 会社を定年退職した団塊世代の男性が、世間との繋がりを失う一方、スマホを手に入れた事で、
> 「高齢者がネトウヨ化」する現象というのが、地味に問題となっていたりもします・・・・
> では、そういう人たちが、「知的環境に恵まれなかったのか?」となると、決してそうでは無く、
> サラリーマン時代は至って常識人であり、名門大学やエリート企業に属した人も珍しくないのに、
> 荒唐無稽な陰謀論にハマったりする事も多いんですよ。


私の大学にキャリア指導に来ている外部講師の方がいるのですが、
元バリバリサラリーマンな感じの、すごく昭和人っぽい感じの人で、「最近の若者はブラック企業、ブラック企業と言うが、会社は新入社員を赤字で教育しているんだから、感謝の気持ちを持ちなさい」
みたいな話をされる方なんですよね。
本人曰く、本は大量に読んだとのことですし、普通に知的なことを考えられる方なのですが、このコロナの2年くらいですっかり陰謀論にハマって、
「コロナウイルスはイギリス政府が発生させたものだ」とか言い始めてしまったんですよね。ちょうどこの動画です→https://www.nicovideo.jp/watch/sm37175931
講義受けただけなので、それだけで本人を知ったような気になるのも失礼かもしれませんが、コロナ起き始めの時に講義受けた際はそんなこと言っていなかったので、
やはりコロナによる外出自粛というのは高齢の方の色々なバランスを崩してしまっているのかなあ、とは思います。

> ハッキリ言って、環境的に恵まれなかったのだとすれば、
> それは子供時代の「知的環境」では無く、退職後の「人的交流環境」の方なのでしょうね。
> ネトウヨ活動であれ、プロ市民活動であれ、そういう所に行けば、すぐに仲間が作れるので。


ネトウヨになって、色々な年齢帯の人と(ネットで)関わるようになりました、とは私のフォロワーのネトウヨの人も言っていたので、あの辺はちょっと楽しそうだな、とは思いますね。
ただ、外部講師の方の場合は、おそらく普通に色々な人脈もある方だと思いますし(でないとサラリーマンが定年後大学で講義を持つなんてできないはず)、
何かそれだけでない理由があるのかな、とも思うんですよね。
いや本当に、「日本の国土の形が違えば、今の日本人の文化はどうなっていたのだろうか」みた知的なことを考えられる方なので。
その方が講義で言っていた、早ければ数年以内、遅くとも2030年までには、GAFAやそれに準ずるところが世界中の共通通貨を作り、既存の円やドルを無価値な古い通貨にする、という仄かに知的な香りのする陰謀論はちょっと好きです。
私は陰謀論自体はSFっぽくてちょっと好きで、Twitterで多少集めてたりするので(フィンランドは存在しない、とか好きですね)。

> > 管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
> > それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、
> > そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
> > そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、
> > それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

> え〜と、いきなり どうかしましたか!?(笑)
> マイケル・サンデルの番組を見るなり、近著でも読んだりしました?
> このスレッド内でも、以前に何度か「メリトクラシー」の件について触れた際には、
> 旧トルコ担当さんの方からは特に、目立った反応は返って来なかったと記憶してますけど・・・・
>
> 能力主義や実績主義を重視すると、その人が育った環境格差が大きくモノを言うようになり、
> 努力して出世したエリートは、自らの努力に関して過大評価する一方で、
> 自らの恵まれた環境に関しては軽視しがちである問題点は、確かに私もあるとは思ってますし、
> アメリカだけでなく、近年は特に日本でも、その傾向が高まっているようには感じるんです。
> ですけど、そうした問題が確かにあったとして、それは概論としては語れても、
> 個々の人物を見ないまま、勝手に型に填め込んで、
> それを根拠に個人否定するのは、どう考えたって間違いでしょ!?
>
> 少なくとも私の場合、良く言えば放任、悪く言えば放置な両親の元で育ちましたし、
> 父親の転勤で3〜4年くらいで各地を転々とした為、周囲との人間関係もかなり希薄であり、
> 人見知りな性格の上、当時はまだネットもありませんでしたから、本当に ほぼ独力ですね。


私としては、家庭環境などはそういった運の要素の一部でしかなく、
例えば偶然子供のころに面白く歴史を紹介する本に出合えたとか、そういったものすべてを恵まれた環境だと思っていますので、
管理人さんの家庭環境はあまり関係ないと思いますよ。
事実としてこうして普通の人よりも色々知っているのですから、それはどこかで運に恵まれたということだと思っています。
歴史や理系、あるいは芸術やスポーツに対して、おそらく管理人さんは知的になるための努力ではなく、面白くて勉強したはずでしょうし、
ですが管理人さんの趣別のことであれば、今頃陰謀論にハマっているという可能性もあると思うんですよね(それは私も同様だと思っています)。

そういう意味では、「メリトクラシー」のようなあまり論争に興味が無いのも、
メリトクラシー論争が、現実的にある程度計測可能な家庭環境のようなものによるスタートラインの違いが、同じく計測可能な収入等に影響している、という論争自体に
「いやいや、そんな計測可能な範囲だけを見ても、その外に膨大な計測不可能なものによる差があるんだから意味ないじゃん」と思っているからだと思いますし。
根本的に人生は理不尽ですけど、社会は公正なフリをしていないといけないので(もし多くの人が今の世の中を不公正だと思えば、努力しなくなったり、逆に革命がおきたりします)、
世の中の多くの人が家庭環境による差をなくさなければ、と思うのであれば、社会はそう努力するべきだとは思います。
私としては、人生の理不尽の100を99にする努力よりも、社会全体の富自体を増やす方が(基本的には)手っ取り早いと思うので、あまりそこに熱心にはなれないですね。

> まあ、上を見ればキリが無いですし、下を見てもキリが無いので、
> 「もっと恵まれた環境なら」と屈折する事はありませんけども、
> 大人になってみて「当時の自分は、こういうのを望んでいたんだな」と感じだモノを、
> 今の子供たちに対して、私なりに微力でも何か伝えられないか?という事は、
> 結構考えたりしますし、時々ここでも構想を語ったりもしてますからねえ・・・・
>
> それに、上の方でも同じ事を書きましたが、私が自分自身で自己分析する限りでは、
> 私は別に知識人タイプでも無ければ、マウントを取って他人を見下したいタイプでも無いので、
> どちらかと言うと、その見立ては、旧トルコ担当さん自身の思いの投影な気がしますよ。


そうですね、私が他人を見下しがちだからこそ、自分でも反省しますし、
さらに自分より知識のある人に対してはより一層、その点に敏感になる、というはあると思いますね。
ホワイト社会が、自分がまずホワイトであるための努力を行い、さらに自分よりも有名な人たちに対してよりホワイトであることを要求する(=無名な人にはホワイトであることをあまり要求しない)社会なのであれば、
私は、自分に対して倫理的であることを要求する分、自分よりもより優れている人に対してより倫理的であることを要求するのだと思います。
どっちも理不尽なことには変わりないですが。

> 自分で言うのも何ですけど、私は変わり者というか、ちょっと掴み難いタイプだと思いますし、
> これは旧トルコ担当さんに限らず、そこはもう、様々に映る私の角度の中から、
> その人が見たい像を、それぞれに見つけ出す作業をされている感覚はありますね。
> なので、一面では理解される事はあっても、全体像として理解された経験は思い浮かばないかな?


全体像として理解された経験がある人なんてごく少数なのでは?
あるいは、そんなこと気にしたこともない人が多いのでしょうか?
少なくとも、自分が全体像として理解された経験があるかを気にしている人の99%はそんなことないと答えそうw

> > あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、
> > 生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、
> > 『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

> いや〜、これに関しては、私の方が少数派なのかも知れませんけど、
> チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> 個人的には「スポーツ競技者」という見方になってしまうので、
> 演技内容はまだしも、顔の可愛さだとか、身体のラインだとかは、ほぼ意識の外なんですよね。
> そもそも、生まれ持った容姿で勝負しているような世界じゃありませんし。
>
> でもまあ、そういう見方をする人が多いというのは、私も理解はしていますし、
> それが問題のある見方なのかと問われれば、別にそうでも無い気はするんです。
> ただ、自分自身はそういう見方をしていながら、
> 尚かつ、勝手に容姿基準だと想像して、勝手に辛くなるのは、どうなんですかねえ・・・・
> 言うなれば、黒人の子供とかに対して、
> 「自分は差別意識は無いけど、黒い肌に生まれて可哀想だし、同情するよ」
> と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。


いや、私が問題にしているのはチアリーダーが事実上女性しかいないことなので。
> チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
と書かれている時点で、おそらく管理人さんの想像していることとは別のことになると思います。

> と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。
そうですね、普通の感覚では理解されないと思いますし、なのでそれを大っぴらに主張したことはないですね。
私の言っていることは、究極的にはAKB48は容姿差別だ、と言っているようなものなので。
それを言えばオタクコンテンツなんて究極の差別コンテンツですし、私がチアガールだけを非難するのは明らかに矛盾であると。
ですが、チアガールを見ると私が辛くなるのも事実ですし、可愛い女の子しか出てこないオタクコンテンツを楽しむことに、罪悪感があるのも事実なんですよね。
まあ、だからこそ女性と付き合うなんて絶対したくないとw
容姿で女性を選り好みするのはやりたくないですけど、容姿で選り好みしないほど人間ができているわけでもないので。

> > > > 歴史学に対しても、結局のところ史実の歴史をより必然っぽく語った人が優勝するゲームなんじゃないの、と思うことがありますし。
> > > > (歴史学のやり方自体が、実際の歴史以上に史実を必然的と捉えすぎるのではないかということ)

> > > いやいや、歴史に「必然性」を求める学者なんて、本当にそんなに居ますか?
> > > 「歴史にifは無い」と言いますが、その反面で、
> > > 「歴史とは様々あった可能性の1つに過ぎない」事は、学べば学ぶほど解る事でしょうし、
> > > テレビに出ている、歴史学者ならぬ歴史家であったり、学者肩書きのコメンテイターでも無い限り、
> > > そんな事は、普通に言わないと思いますけどねえ・・・・

> > 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> > なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

> まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
> 「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
> 「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
> 歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。


経済学史の講義をとって、偶然マッハ主義というのを勉強し、
> 「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン
というのは、なるほど、と思わされました。ああいうのが科学なんですね。
と言いつつ、私は物理学は高校レベルなのでマッハ主義は全然理解できていませんし、経済学に対する理解も全然ですが。

> あと、旧トルコ担当さんが商学部の学生であるならば、
> 横軸で「人間関係」を取るだけでなく、縦軸で「経済状況」を取り、
> そこから「幸福」の分布図を示してみると、
> 人間社会というモノが、更に深く見えてくるかも知れませんよ(笑)。


嫌ですw
そういう俗世の嫌な面を見ないためにオタクやって引きこもっているのでw
そういったデータ(?)をどう捉えるかは人それぞれですが、私はそういうの見て辛くなりやすいタイプなので。
そういう風にしてると知的な人にはなれないのでしょうが、そこまでしてなりたいとは思わないので。

> 言うなればショッピングモールとは、ショッピングをテーマにしたテーマパークですからね(笑)。
> どんなに素晴らしい「夢の国」を作っても、その世界観から浮いてしまう客層も一定数は居ますよ。
> まあ私の場合、人々の動線や見え方などの建築面であったり、専門店の各配置であったり、
> そもそも客である以前に、観察者みたいな視点からモールを見ちゃうので、
> 居心地が良いとか、悪いとか、そうした層からも更に離れた所にいる感じかも(苦笑)。
> ある意味、居心地の悪さを感じられるレベルにさえ、到達できてないような人種ですので。


ショッピングモールの建築は私も好きですよ(専門店の配置とかには興味ないですが、吹き抜けとかカッコよくて好きですね)。
常々ショッピングモールのプラモデルないかなあ、と探しているんですが、ないんですよね。
仕方ないのでパシャパシャ写真にとってます。

> あと、私が陰謀論にハマらないのは、実に単純な話で、
> 「それにハマっても、別に私は楽しさを感じないから」というだけの事ですね。
> ムー大陸だとか、宇宙人だとか、知的プロレスである一昔前の陰謀論は楽しかったですけど、
> ネットを媒介とする、現在の政治的な陰謀論というのは、まるで別物ですし。
> それでも、陰謀論にハマって自慰的に気持ち良くなるのも、そういう人たちを利用して金儲けをするのも、
> 私と関係無い、どこかの内輪だけで収まる話であるのなら、それは別に構わないんですよ。
> ただ、そうした動きが社会に悪影響を及ぼし、日本を停滞・衰退させる要因となるのであれば、
> 「次々と面白いモノ生み出す、活力ある日本」が好きな私としては、見過ごせない所があるのも事実かな。
> 転勤族として育ち、明確な故郷を持たない私は、何だかんだで、世間の人よりも愛国心が強いですし(笑)。


あるじゃないですか!!冷静でいられない事

> > 時代変化で作品の評価や受け取られ方が変わるのは当たり前ですけど、
> > やはりいざ自分の好きな作品やジャンルが衰退するかもしれないという恐怖を感じると、冷静ではいられないですね。

> う〜ん、この辺りの感覚の違いは、私と旧トルコ担当さんの年齢の違いも影響してるかも?
> 未だ青春時代の途上にある旧トルコ担当さんの感覚だと、
> もちろん、いろいろあるでしょうけど、基本的には全ての感覚が登り調子でしょうし、
> それが衰退する事に対して、恐怖や冷静でいられない感覚に陥るのも、充分に理解できるんです。


私はオタクであまり人と関わらないから、自分の好きな作品が消えていくのに対して気持ちが動きますし、
管理人さんの場合はそれが愛国心であるというだけで、構造としては一緒じゃあないですかね?
私なんかは政治とか経済とかを意識し始めたころにGDP世界2位が中国になったので「中国には追い付けなくて当然、日本は世界80億の中の1億に過ぎない」
という意識が強いですが、やはり80年代90年代を生きていれば、日本の衰退を素直に受け入れられない心は多少あるんでしょうね。


色々暗いこと書いていますが、管理人さんがこの掲示板にこれらのことが相応しくないと考えられたなら、削除していただいて構いません。
削除されれば、それ以上同じことを書くこともありませんし、部分的に削除されれば、ああその話題はまずかったんだなということで以後そうした話題には触れないようしますので。
今ちょうど「マリア様がみてる」を読んでいるので、反動で若干鬱気味です。それを管理人さんの返信に対してぶつけるのも理不尽ですが、管理人さんに言われたことに対してリアクションしようとすると、どうしてもこういう思考になってしまうので仕方ない(言い訳)。


追記

実際、私にとって年取るにあたって一番怖いのは、感情が動かなくなることなんですよね
何事に対しても何も思えなくなるといいますか、ずっと味のしないガムを噛んでいる感じと言いますか、
そういう感覚に頻繁になるので、この何も思えなくなる期が年を取るにつれて増えていくのであれば、私にとってそれが一番怖いですね
この感覚が管理人さんに伝わっているかどうかは分かりませんが、管理人さんは若いころと比べて感情って動かなくなりましたか?
私としては感情が動かなくなるくらいであれば、孤独に絶望している方が100倍マシですし、むしろ絶望という(よくなる余地があるという点においての)希望がある分だけ良い中年だとすら思えます
どうでしょう?何事にも感情が動かなくなってしまい、土日は寝て過ごしているみたいな、年取ったらそういったことってあるのでしょうか?
寝て過ごしているは大げさにしても、つまらないYouTubeみて一日が終わるみたいな人は少なくなさそう
本当かどうか知りませんが、性犯罪も性欲のピークである20代よりも、性欲が衰えてくる30代に多いらしく、もう普通のことでは興奮できないから性犯罪に走ってしまう30代というのは、(いや性犯罪者になるわけではないですけど)自分の未来の姿のような気がして怖いんですよね

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