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[24113] 年を越しての長文返信(その1)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:26:30 徳翁導誉

> > すみません。
> > 最初は「今年の内に返信できるかな?」と考えていたのですが、
> > あれこれと急な用事を頼まれてしまい、時間が無くなってしまいました(笑)。
> > W杯期間に引き続き、再び遅れて申し訳ありませんが、
> > 返信は、年明け(成人の日後?)となりそうです。

> いえいえ、おかまいなく。

という事で、年を跨いでの返信(笑)。


> > > 私の周囲には管理人さんのような知識人系の人が多いのですが、それに流されて本当に自分が好きなものを見失うのって、
> > > オタクを自称する私が一番上から目線に見下してる、流行に流されて自分が好きなものを追わない一般人と同じですからね。

> > 私は知識人系の人間・・・なのかなぁ?(笑)

> わたしも無学人間なので、だからこそ"系"という言葉をつけて保留にしています。
> 私から見れば管理人さんは知識人に見えますが、私から見ればですので。

まあ正直な所、見方など人それぞれなので、そこは良いのですが、
「管理人は知識人→知識人は こんなタイプ→だから管理人も こんな感じ」
という三段論法の元で見られてしまうと、型にハマった先入観から、
私の真意が伝わらなくなる(無視される)のが怖いんですよね。

> > 一昔前までの感覚だと、「自己肯定感が低い=自分が嫌い」はデフォだったんですよ。
> これは、感覚として分からないですね。

う〜ん、分かりませんかぁ・・・・
でも、そうなると尚更、「自己否定が非常に強い世代」だと、よく自認できるなぁ・・・とも(笑)。
いや勿論、当人たち的には そうなのでしょうけど、
「自分が好き」でいられる時点で、「自己否定」など相当低いように、客観的には映りますし、
単に「自信がない」という事を、自己否定だと捉えているだけな感じがするんですよね。

あと、これが感覚的に解らないとなると、
それこそエヴァとかを見ても、あまりよく解らないのでは?

> 昭和後期の家族団らんは想像できても、
> それよりさらに前の家父長制の強かった時代は想像できないみたいな感じです。

家父長制が想像できないのであれば、昭和後期の家族団欒も想像できないのでは?
一口に家父長制と言っても、大家族であった戦前と、核家族化した戦後とでは、結構違いもあるのですが、
共働きであった戦前の農村社会よりも、サラリーマン&専業主婦が増えた70〜80年代の方が、
「父親の強権性」という点では、ある意味で増していった側面もありますからねえ。
そこにあるのは、今のような友達親子や恋人夫婦とは、かなり異なる「家族」を前提とした「団欒」です。

解りやすい所ですと、テレビの存在とかが そうかな?
今でこそ、若者のテレビ離れが急速に進む一方で、映像を見られるスマホは1人1台な時代ですが、
平成の初め頃まで、娯楽の王様はそれこそテレビであり、しかも1家に1台な時代でしたからねえ。
子供たちはアニメやバラエティー、女性陣はドラマや歌番組、お父さんは巨人戦やニュースが見たくても、
テレビは1家に1台ですから、どれか1つの番組を、家族みんなで見るしかなく、
それを決める「チャンネル権」は、だいたいの場合、お父さんに独占されていました。
で、多くの家庭では問答無用で、お父さんは自分の見たい番組を見るんですよね(笑)。
それでも、テレビに勝る娯楽はありませんから、仕方無くみんなで見るんですよ・・・・
逆に言うと、だからこそ、音楽であれドラマであれ、国民的なヒット作が生まれた訳ですし、
お父さんが不在の時間帯に、主婦向けの昼ドラや、子供向けの夕方アニメが、盛況だったとも言えます。

ちなみに、90年代の後半あたりから、子供向けではなく若者向けのゲームやアニメが増えたのは、
テレビが1家に1台の時代から、子供部屋にも1台になってきた事と、無縁では無いかも知れませんね。
当たり前の話ですけど、未だPCも普及していない時代、テレビはモニターも兼務しており、
家族がテレビを見ている時間は、ゲームも出来なければ、ビデオも見られませんでしたから、
自分で自由に使えるテレビ(モニター)を得たのは、非常に大きな時代の変化だったかと?
って、今のスマホ世代からすれば、それすらも「過去の時代」の話なのでしょうけど(笑)。

> > 「上下関係があっても、横並び意識が強い」という世代的傾向が、どこまで自覚されてるかは不明ですけど、
> > 積み上げた過去があるから、現状では上の位置にいる相手に対して、「ズルい」という感情を抱き、
> > そこから引きずり降ろそうとか、そこへ這い上がろうという積極性までは無いものの、
> > 「自分たちの所まで下りてくるべきだ」と考え、そうならない事に苛立ちを覚えたり、
> > 「自分たちも そこまで上げてください」と、インスタントな方法論を要求しがちですよね。
> > 「教師が知識マウントを取ってくる!」と不満を漏らす学生の話は、最近ちょくちょく目にしますし、
> > そう言えば確か、岡田斗司夫の配信動画の中にも、
> > 「授業で知らない話ばかりされて腹が立つ」という話が紹介されてませんでしたっけ?

> 「教師が知識マウントを取ってくる!」という話は岡田ゼミで聞いたときは
> 「えー、そんな人がいるの?」という感じでしたが、やはり実際にいるんですね。
> (まあ実際、余計にマウントをとってくる大学教授がいないわけではないですがw)

もちろん、そういうタイプの教授や講師も確かに居るでしょうけど(笑)、
でも基本的には、教わる方より、教える方の知識量が多いのは当然の事であり、
そもそも論として、だからこそ、教わりに行っている訳ですからねえ。

あと、この感じだと、恐らく自覚は無いのでしょうけど、
旧トルコ担当さんの返信からも、そこまで酷くは無いものの、
時折、そんな感じが読み取れる文章を書かれてる事もありますよ(笑)。
でもまあ、「今時の若者だな」って感じるくらいで、それで不快に感じたりは無いのですが、
とりあえず、他の方に対する時は、ちょっと意識しておく方が無難かも知れませんね。

> ちなみに、これも偶然なのですが、最近ゼミでレポートを提出する機会があり、
> ゼミ生だけのLINEでレポートのページ数を全員で合わせようという話になりましたね。

まさしく、今時っぽいエピソードですね!?(笑)
みんなでページ数を合わせようなんて発想、私たちの世代では出てきませんよ!!
そういうのって大体、最低限の枚数や、目安となる枚数が定められてますから、
その枚数にギリギリ達するよう、何とか嵩増しするのが、基本路線だったように思います。
正直、他の人が何枚書いてるかなんて、全く気にもなりませんし。


> > > まあ実際にはオタクでも結婚できる人はできますし、出来ない人でもやろうと本気で思えばやります(笑)。
> > > むしろ普通の恋愛結婚で結婚をしてる人なんて少数派でしょう(少数派ですよね?)。

> > いや〜、それは私にも解らないですけども(笑)、
> > オタクが一般化したのであれば、普通に恋愛結婚している人も多いのでは?
> > とりあえず調べてみたら、こんなページが出てきました↓
> > 「男女オタク300人 恋愛&結婚アンケート」
> > https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000015190.html
> > で、男性のデータを適当に抜粋すると、こんな感じみたいです。
> > まあ一応、参考までに。

> いや、このデータは私には役に立たないですし、世間一般の定義はともかく私の考えるオタクとは違うかなあ。
> だって男性の9%がスポーツオタクと答えているんですよ。
> 18%のゲームオタクも、14%のアニメオタクも、ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけじゃないんですかねw

う〜ん、やはり こういう反応が返ってきましたかぁ・・・・
確かに、これがドンピシャなデータであるとは、私も思ってませんでしたけど、
でも、仮に、当てはまる部分が半分、当てはまらない部分が半分あったとして、
そのどちらに焦点を当て、それを役立てるか? はたまた役に立たないと切り捨てるか?で、
今回だけでなく、様々な事象や機会においても、
自らの可能性を広げるか?摘み取るか?の分岐点になると思うんですよね。
そして今回、わざわざ手渡された機会を、旧トルコ担当さんは自ら放り投げたと・・・・
個々の事例を参考に出来るか否かよりも、そうした対応こそが、恐らく最も響くと思いますよ。

それこそ、前回指摘した「変な逃げ口上で自分を納得させ」というのも、まさにこの事なんです!!
例えば、スポーツ・オタクな人の事を、どれだけ旧トルコ担当さんは把握しているのでしょう?
プロ野球だと、足繁く球場へ足を運び、毎日3〜4時間ある試合を見て、時には地方まで遠征しと、
変な話、コアなファン層はアニメやゲーム以上に、世捨て人なタイプも多い分野ですよ(笑)。
格闘技やプロレスも、アニメやゲームに負けず劣らず、コミュ障の割合が高い印象もありますし。

また、回答者層は「ちょっとアニメ見たり友達とゲームやってるだけ」というのも、
特に根拠は無くと言いますか、そう思いたいから、そう見なしてる部分がありませんか?
逆に言えば、だからこそ前回、一番最初に「回答者のオタク自認度」を貼ったんですよ。
この分布度合いであれば、私が感じる旧トルコ担当さんのオタク度とも、そこまでズレないと感じたので。
具体的に言うと、ライト層がオタクだと強がってる割合が高ければ、もっと5点が多いでしょうし、
反対に、コアなオタクが多ければ、その時は3点がもっと多いはずなので、
4点が半数を占める これは恐らく、自分はそこそこのオタクだと自認している層が厚いかな?と。
実際、旧トルコ担当さんが自身のオタク度を問われたら、何点って答えてますか?

> 少なくとも、オタク男性の4分の3が、2人以上の女性と付き合ったことがあって、
> 女性オタクのうち恋愛未経験者が7.3%しかいないのならば、私は死にますw
> 管理人さんとしては、この辺に違和感覚えなかったんでしょうか?

まあ、マッチング・アプリの会社が調査してますので、実際よりも高い数値が出ているとは思いますよ。
とは言え、一応 2020年に国が調べた生涯未婚率は、男性26%、女性16%ですからねえ。
逆に言えば、男性の74%、女性の84%には結婚歴があり、恋愛経験なら その数値は更に高くなるはずですし、
もっと言うと、オタクか否かに関係無く、結婚できない人や、恋愛できない人は相当の割合で居ると(笑)。

データとかは無いですけど、恐らく感覚的には、オタクの方が未婚率は高そうな気がしますけど、
でもそれも、オタクだから結婚や恋愛が出来ないと言うよりは、
コミュ障だから結婚や恋愛が縁遠いのが実際で、
コミュ障とオタク趣味は親和性が高いから、結果としてオタクの未婚率も上がってるのでは?
そして、オタクの未婚率が一般より何割か高いとしても、数字的に結婚する人の方が多数派となりますし、
一般から懸け離れた数値が出るほど、オタクが特殊すぎる人種だとも思えません。

という事で、全体的には多少の有意な違いは出るでしょうけど、個人レベルなら誤差の範疇です。
オタクだって、普通の人よりも少し低い程度の割合で、普通に恋愛も結婚もしてるのが、現実でしょうね。
異世界転生モノが、人気を席巻する昨今ではありますが、
長渕剛も歌っているように、「生まれ変わるなら、生きてるうちに」ではあるんですよ!!

> > 言っちゃ何ですけど、その程度の現実感で考えている「孤独さ」は、
> > 一体どれだけリアリティーを持って考えられているのかが、正直疑問なんですよね。
> > 賢狼ホロも、「孤独は死に至る病じゃ」と言ってるじゃないですか・・・という冗談はさておき(笑)、
> > 若い頃はまだしも、年老いてからの孤独は、下手をしたら死よりも怖いかも知れず、
> > 死が怖いのであれば、同じくらい、将来の孤独を恐れてみても良いかも知れませんよ。

> そうですね、5年前の私なら年を取ることや身体・環境の変化による、自分自身の感情などへの変化って理解できませんでしたが、
> 最近は小学生時代のことを思い出したりもして、年を取ると変わっていないつもりの自分自身がビックリするくらい変化する、
> というのもあり得るんだなあ、というのは分かります。
> 将来の孤独も何も、既に孤独なのでこれ以上に孤独になることってあるんですかね?
> 現在話す相手ゼロなので、マイナスにはなりえないでしょう。

いや〜、それがなるんですよ、マイナスに!?(笑)

もちろん、話し相手がゼロからマイナスになるなんて事は無いのですが、
1人でも得られる満足度が、70点から50点、そして30点と、年々下がっていくんです。
小学生から大学生への変化は「成長」ですけど、
青少年から中高年への変化は「老化」ですからね。
アリとキリギリスじゃないですけど、心と体の衰えを想定できてない人ほど、
いざ自分がそうなった場合、本当にガクッと来ますよ(「襲われる」という表現の方が適当かな?)。

> 後は実は、ウクライナ戦争の影響というのもあるんですよね。
ちなみに、旧トルコ担当さんの年齢的には、
12年前の「東日本大震災の影響」って、どの程度なのでしょう?
あれは遠く離れたウクライナの事ではなく、まさしく我々が当事者である日本の事でしたし、
天災と人災の違いがあるとは言え、2万人もの死者と数十万人の避難者を生み、町の多くも破壊されましたからねえ。
まあ逆に言うと、今の小中学生とかは、東日本大震災すら「歴史」な世代なので、
いろいろと見え方や感じ方が違ってくるのは、容易に想像できますけど。

> やはり人口1億の国と人口4000万の国の全面戦争が始まったというのは、これまでの紛争や内戦より1レベル大きい戦争ですし。
と言いますか、白人(欧米人)同士の戦争であるから、これだけ注目度が高いのでは?
(ロシアが核保有国である事も大きいですが、NATO参戦がない限り、核使用の可能性は低いので)
それこそ、ウクライナからそこまで離れている訳ではないアラビア半島でも、
人口3300万のイエメンで内戦が起こり、そこに人口3600万の隣国サウジアラビアが荷担していて・・・と言うか、
アラブの春で起きたイエメンのクーデターに対して、サウジが軍事介入して潰しに掛かった事で、内戦が激化し、
ウクライナの数十倍という民間人の死者を生む戦争が、現在進行形で起きているんですけどね・・・・

もっと言えば、この惨劇がウクライナ戦争ほど報じられないのは、
欧米人から見た場合、所詮はアジア人の事だからであり(一応、日本は同じアジアのはずですが)、
しかもイエメン内戦の場合、ロシア軍の立場にあるのが、アメリカ陣営のサウジ軍ですからねえ。
この戦場では立場が逆転し、しかももっと酷いのですから、そりゃ まともに報じませんよ。
とは言え、そこはトランプ政権からバイデン政権に代わった影響で、
アメリカ側もサウジに対する軍事支援を控え始めましたが、今度はサウジが中国やロシアに接近し出したと。

> 歴史を多少かじった者としては、
> 東西冷戦期とか両軍が核兵器を搭載した航空機を24時間365日飛ばしながら代理戦争してたわけで、

まあ、私も年齢的に、さすがに朝鮮戦争やベトナム戦争は知りませんけど、
ソ連軍のアフガン侵攻や、アメリカ軍のパナマ侵攻は、子供ながらリアルタイムで見てますからねえ。
とにかく冷戦中は、「朝 起きたら世界が滅んでる」可能性があった時代でしたし、
少なくとも私の中では「歴史」ではない為、いろいろ世代的に感じ方は違う所はあろうかと。
いくら北朝鮮の脅威とか煽られても、ソ連の脅威を実際に覚えてる世代なので(苦笑)。

> 正直今の日本社会としてはウクライナ戦争を大げさに捉えすぎているとは思うのですが、
> ただ私も感情ある人間なので、本物の戦争が始まってしまったというショックはありますし、
> 開戦数週間は夜中には不安を覚えたりというのもあったんですよね。

まあ、その感情は私も分かりますよ。
と言いますか、2014年のマイダン革命で、ウクライナもアメリカも滅茶苦茶だったのは見てましたし、
開戦前の大規模演習で、ここまで準備を整えたら、プーチンも後には引けないのは予測できていたので、
戦争の勃発自体に驚きはなかったものの、やはり、それとは別にショックはありましたからねえ。
戦争が起これば、それだけ一般市民にも犠牲者が出る訳ですから・・・・

ちなみに、ロシア軍は半年前に30万人の大動員(開戦時の2倍)を行っている為、
この冬にも大規模な再攻勢が想定されていましたが、
今年は記録的な暖冬で、地面も凍らず ぬかるんでいるそうで、
春頃に大きな動きがありそうですけど、今更ウクライナ軍も油断しないはずで、一体どうなりますかねえ?
ロシアでは厭戦気分が高まる反面、強硬意見も台頭してきてますし、
仮にプーチン政権が倒れても、それで一件落着どころか、却って悪化するシナリオも有り得ます。

とは言え、何か劇的な変化があるにしても、それは今年ではなく来年かな?
来年は、3月にロシアの、4月頃にウクライナの、11月にアメリカの大統領選挙が、それぞれ予定されており、
選挙結果だけでなく、選挙運動の過程においても、何かと動きがあるかも知れません。
政権交代が起こるか否か?誰が大統領に就任するか?で、アメリカの対応が変わるのは勿論、
盤石に映るロシアも、選挙運動で生じる大規模なデモを武力で弾圧すれば、どう転がるかは解らず、
傍からだと挙国一致のように見えるウクライナでも、来年の大統領選挙を見据えてなのか、
現職大統領のゼレンスキーが、対抗馬と目されるキエフ市長のクリチコを、激しく罵ったりしてます・・・・
(って、片やコメディー俳優であり、片やボクシング世界王者ですからねえ・苦笑)

> 今でも、お昼の時間帯になると「今日もおいしいご飯が食べれて(こんなに平和で)幸せ」と思うようになりましたし、
> おかげでちょっと太りそうな勢いでご飯がおいしいんですよ。
> 私が太ったらプーチンは責任取ってくれるんですかねw
> 水木しげるのマンガでは「終戦後3年くらいは、今日も明日も明後日も生きられるというだけで幸せだった」とありますが、
> まさか自分がそんな体験をするとは思いませんでした。
> いやまあ、遠いヨーロッパで戦争が起きたくらいで大げさなんですけど。

ご飯も喉を通らないではなく、それで食が進むというのでしたら、
ショックというのは同じでも、その方向性は まるで異なるのでしょうね・・・・
理屈としては解るものの、そういう感じで繋がるのは、ちょっと驚きというか 違和感が残ります。

いや別に、それが良い悪いという話では無いですけど、
そこが自己中心的というか、新自由主義的な価値観なのでしょうか?
昨今の横並び志向も、共感や同調から来るというより、消極的な利己主義に基づいてそうですし、
自己肯定感が低いのに、自分の事を好きでいられるのも、そうした下地があるからかも知れません。


> > > もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
> > > 本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。
> > > とはいえやはりひと昔前と比較して、
> > > 人間関係の自由化=人間関係のコンテンツ化=人前ではさらにホワイトに振る舞わなくてはならない、
> > > というのはより進んでいるのでしょうね。

> > 「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
> > 旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
> > 私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。

> いや、なので「もちろん昔だって友達の前では気を遣って明るく振る舞うことは当たり前だったでしょうし、
>  本当の友達や恋人みたいな姿が小説に描かれるのも、そういったことが日常ではないからなのでしょう。」
> と書いているんですけどね。
> 理想と現実は別ですが、その時代の理想の人間関係の描かれ方というのは、
> その時代の人間関係に対する価値観を表しているのも事実ですし。

今も昔も「理想と現実は別」なのは確かなのですけど、
その一方で、「今の理想と昔の理想は別」でもあるし、「今の現実と昔の現実も別」という話なんですよね。
そもそも、今と昔とでは、土台となる「人間関係」自体が、大きく変わってしまっていますし。

> > > 私は友達、というか大学で定期的に話す同級生はいないのですが、Twitterでは普通にフォロワーと話してるんですよね。
> > > ただTwitterは、話題ごとにアニメ用と歴史用でアカウント別にしていますし、
> > > フォロワーが見たくないようなことはツイートしないようしているんですよね。
> > > 人によっては鬱ツイートとか日常生活の嫌なことをツイートするひともいますが、
> > > あまりそれは求められていないので、そういうのはしない方がいいと思っています。

> > 何というか、テニスの壁打ちに近いのかな?という印象を受けますね。
> > どんなボールで攻めてくるかと、相手とのラリーの応酬を楽しみたいというよりは、
> > 自分が打ちたいが為に、単にボールを返してくれる「壁」役の存在を欲していると。
> > 極端な話、それで自分が満足できるのであれば、
> > ネットの向こう側に居る相手は、人でもbotでも構わない感じなのかな?
> > もちろん、始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそうですし、
> > それを望まない人は未だに多いでしょうけど、気が付かなければ意外とそれでもOKみたいな。
> > > 相手が困っている時に助けたり、支えたりして、それに対価を求めないのが本当の友達や恋人だろ、という価値観も。
> > > しかし、これって私のTwitterの使い方とは真逆ですし、
> > > 岡田斗司夫のいうホワイト社会といい人戦略の「暗いことを言わない(例えば、Twitterで鬱ツイートをしない)」という、
> > > やはりこれも本当の友達や恋人とは真逆のものなんですのね。

> > う〜ん、結局の所、上記と同じ話になっちゃいますけど、
> > botが相手では虚しいものの、かと言ってリアルな人間が相手だと煩わしく、
> > その結果、素性も知らない「bot的な人」を相手に求めるようになり、
> > それに応じて、自分さえも「bot化」してしまうというのが、そのあたりの正体なのでは?

> bot化というのは、私が名のでしょうか?それとも今の世代がなのでしょうか?

固有名詞を付けてないので、基本的には「世代論」として述べていますね。
とは言え、その辺りの傾向は、同世代である旧トルコ担当さんにおいても、
多いにせよ少ないにせよ、幾らか該当する所があるのでは?というのも含まれているので、
世代論として語っているのが8割くらいって感じですかねえ、何となく(笑)。

> 私はTwitterも最近はbotに半分くらい任せています
> 過去のツイートなどをまとめて1日1ツイートにしておけば勝手にいいねやRTが得られるので、
> これでいいじゃんってなってますね。
> これは岡田斗司夫のUG動画と同じことをしただけなのですが、
> こんなに便利なら、なぜ誰一人としてTwitterでこれをやっている人がいないのだろう、と思っていました。
> が、やはりこれで満足できるって変わってるんですかね?

いや〜、そんな事をされてるんですね!?
今っぽいと言えば、今っぽいので、変わってる・・・とまで言いませんけど、
少なくとも私なら、絶対にやらない行為でしょうね。
もちろん、これが仕事や作業であるならば、そうした事も有り得るでしょうけど、
このTwitterに関しては、個人の趣味で行っているんですよねえ?
これってもう、本来の つぶやく事自体が目的なのではなく、「いいね」を貰う事が目的なんですか?

で、そうなると、前回の話に戻るというか、話の前提を変えなきゃいけないかも知れないのが、
仮に、「いいね」を貰う事が主目的化しているのは解るとして、
この「いいね」も、botが機械的に付ける事は可能ですよねえ(現状だとルール違反のようですが)。
で、例えば、人は誰も見ていなくて、プログラムが自動的に処理する事で、いいねの数が増えたとして、
それでも嬉しかったり、満足できたりするモノなのでしょうか?
もっと言うと、向こう側はブラック・ボックスなので、機械を人間と思えてれば良いのではなく、
そもそも最初から、全てが人間不在で機械相手である事が解っていても、それでも良いんですかね?

もしも、そうであるならば、
「始めから相手がbotだと解っていれば、虚しい気持ちに襲われそう」
という、私の認識の方を改めなければならないでしょうね。
何と言いますか、これがゲームの対戦とかであれば、
もちろん人対人の方が盛り上がるものの、人対COMの1人プレーでそれなりに楽しめますし、
SNS利用というのも、人同士の繋がりを楽しむのではなく、そういう段階に来つつあるのかなぁ・・・と。
まあ正直な所、私自身は ほぼSNSを利用していないので、そもそも実感が欠けてる部分がありますからね。

> テニスの壁打ちというのは本当にもっともで、私は何十時間かかけてゲーム作る割に、あまりRT数もいいねの数も気にしませんし、
> たぶん私の作ったゲームで一番遊んでいるのは私だと思います。
> なんなら最近はそれに飽き足らず、ほとんど独り言のホームページも運営していますし。

この辺りは、私と全く正反対なのかな?(笑)
私は自分で作ったゲームを遊ぼうとは全く思いませんし(最低限のテストプレーくらい)、
長文癖ではあるものの、返信する機会でも無ければ、1人で語ろうとも思いませんので。

> (Googleなどの検索サイトに見つけてもらう方法が面倒で放置しているので、HPなのに検索に引っかからないんですよね
> 一応Twitterにはリンク張っているので、ちょっと(数人?)は訪問者がいるらしいですがw)

私自身が何も対策を取っていないので、正直無頓着なのですが、
いまの時代は個人サイトでも、そうした検索対策をするのが、やはり一般的なんですかねえ?
私の方も もう少し真剣に、サイト運営を考えるべきなのかなぁ・・・・
正直、老化や死、運と努力、社会に経済とかよりも、こうした創作系の話題の方が個人的には合いそう(笑)。
特に小説に関しては、昔から少し興味はあるものの、全く手を付けていない分野ですし、
実際に書く行動に移すかはともかく、世界観の設定を考えるのとかは、凄く興味があります!!

ちなみに、そのサイトや小説・絵・ゲームなどは、ここで晒したりはしないんですか?(笑)
先日も十数年ぶりに、豆乳さんのサイトと相互リンクしましたし、
もしも旧トルコ担当さんがお望みであれば、そうした事も可能ですよ。

> といいますか、普通に小学生の頃は自分だけが読むための小説とか、誰に見せるわけではない絵とか描いていましたし。
> それと本質的には変わらないかなあ。
> その私の自己満足で作ったゲームや書いた文章に多少の需要があるから、
> もったいないのでTwitterで公開してるだけで、見せるためではないという点は今も変わってないと。

誰にも見せないけど、文章を書くとか、絵を描くとかは解ります。
まあ、それ自体は昔から よくある事ですからね。

ただ一方で、SNSはコミュニケーション・ツールだという認識があるので、
井戸端会議の延長線上と言いますか、時には街宣活動のネット化なのかもしれませんけど、
ともかく、相手が実際に自分の話を聞いているか否かはともかく、
いいねやRTも含めて、向こう側にいる「人間」の存在は、基本的に求められているのかと思ってました。
これって、1人で小説を書き貯める行為とは、別だと考えてますし、
独り言を言ったり、1人で鼻歌を歌う事はあっても、それはコミュニケーションとは別という認識なので。

とは言え、だからこそ、SNSでは炎上事件が頻発するんですかねえ?
簡単に言うと、今の時代のコミュニケーション観が変化したのではなく、
独り言をする場と、会話をする場との違いを、単に認識できてないだけみたいな話で。
(別にコミュニケーション・ツールじゃなくても良いのですが、ネットは世界と繋がってる認識は必要)
それこそネットの集団リンチなども、対象となる相手が「実在の人間」である意識の希薄さを感じますし、
面と向かっては言えなくても、ネット上だと容易に言えてしまう感じだとか、
ネットとリアルの境が曖昧化した事で、画面の向こうに居るのが人かAIかの意識も曖昧化しているのかも・・・・

> > まあ、私みたいな世代だと、アナログしか存在しなかった所に、後からデジタルが現れたので、
> > 「リアルとネットは別物」という感覚が、未だに割と残っているのですが、
> > デジタル・ネイティブな若い世代だと、「ネットはリアルの一部」という感覚でしょうし、
> > 逆に言えば、だからこそ、「リアルとネットの区別」を行ってる自分に無自覚なのかも知れません。

> 私が下の世代に一番差異を感じるのも、リアルとネットの使い分けですからね。
> 割と小学生のころからLINEがあった世代のネット観ってどうなってるんでしょうか。

だいたい世代の感覚は、10年くらいで様変わりしますので、
現在 大学生である旧トルコ担当さんと、今の小中学生とでは、結構感覚が違いそう。

2019年から始まったGIGAスクール構想に、2020年以降のコロナ禍も相俟って、
特に ここ2〜3年は、子供たちのネット利用が加速度的に進んでおり、
まだ、平仮名の書き取りや、数字の練習などをしている小学1年生が、
学校の宿題をダウンロードし、ノートPCで宿題を解き、ネット送信で提出する様子には、
アナログ世代の私など、かなりの隔世の感を抱かされます(笑)。

> > 言い換えるなら、ネットの存在が当たり前すぎて、リアルとの関係性を意識できない為に、
> > その辺りで混乱が生じているというか、振り回されてるみたいな印象があるかな。

> これは私のことを言っている、ということであっていますよね?

いや、主語が抜けている場合は、一般論や世代論を語っています。
もちろん一般論や世代論なので、それに旧トルコ担当さんが当てはまる場合もあるでしょうけど、
相手に向けて語る際には、「旧トルコ担当さん」のように、固有名詞を付けて書いてますね。


> 岡田斗司夫は「今後恋愛も流動化が進み、1人の人と生涯に1度恋愛して結婚する昭和の単婚社会から、
> 常に複数の人と恋愛みたいな状態を持ち続ける多婚社会になる」と15年くらい前から言っており、

根本的に、恋愛と結婚は別物なのでは?
社会の風潮が、見合い結婚から恋愛結婚へと変われば、恋愛の回数も当然変化するとして、
恋愛と違い、結婚の先には出産や子育てがあるとして、それでどう多婚社会になるのでしょう?
結婚後も恋愛をアウトソーシングすれば、それはホワイト社会が目の仇にする「不倫」でしょうし(笑)。

> 「具体的には、例えば今の女性はその時その時では1人の彼氏としか付き合っていないけど、
> 5年6年のスパンで見ると3人の彼氏と付き合っていたりする。
> これは実のところ同時に3人の彼氏と付き合っているのと、ある意味では変わりない。」とも言っています。

「ある意味では変わりない」とは、どのように変わらないでしょう?
正直、全く意味不明の論説です。
できれば解説をお願いします。

> まあ、具体的にどういった形で単婚社会の解体が進むのか、あるいは本当に多婚社会になるのかは置いておくとしても、
> 全体的な傾向としては、そういった恋愛・結婚の流動化が進んでいるのは私も賛成しますし、
> 私が年を取ってより寂しさを実感するときには、もっと恋愛・結婚の形も変わっていると思うんですよね。

でもその時は、もう何も行動が取れなくなってると思いますよ。
甘い理想を立てるのは自由ですが、世の中って そんなモノなので。
「将来を見据えて、今のうちに動いておけ」という、教訓じみた話をしている訳では無く、
「いま動けない人は、将来は尚更動けない」という、実に即物的な話をしているんです。

> それこそ離婚率も今後さらに上がっていきそうですし、
> 何かこの「将来寂しくなるのが不安なら、今のうちに恋愛しとかなきゃ」というのは、
> 「将来日本はもっとひどくなるから、絶対正社員・公務員にならなきゃ」みたいな感じがして、
> もちろんフリーターよりは正社員・公務員の方が安定なのは間違いないですけど、
> じゃあそれって私がじいさんになった50年後とかも会社が面倒見てくれるんですかと言いたくなるんですよ。
> なれるならフリーターより正社員になった方が絶対いいでしょうし、
> 多少なら無理してでも公務員になった方がいいのかもしれませんけど、
> 一方でそういう不安をあおるような感じのものは(悪意があるわけではないのは分かりますが)胡散臭く見えるんですよね。

う〜ん、私が言いたい事とは、どんどん離れていく(間違って解釈されてる)感じがしますけど、
こうやって安易に、白か?黒か?の二元論で考えたがるのは、昨今の流行であるとは言え、
解り易さを優先するあまり、中身はスカスカになっちゃうんですよね・・・・
単純化しすぎて本質を欠くのは、複雑さで煙に巻かれる胡散臭さ以上に、時に危険な存在でありますし、
フリーターと公務員がどうこうという話では無く、もっと幅広い視野や立ち位置を作りましょうという話です。
この例え話で述べるのなら、「丈夫な草鞋が一番」ではなく、「何足も草鞋を履こう」という感じかな?

皮肉な話ですけど、社会が多様化の必要性を唱えるようになって以降、
人々の基本となる思考や価値観は、却って多様性を失っているような実感があります。
そう考えると、単純化して煙に巻くのは、もっと胡散臭いのかも知れませんね。
何と言いますか、本当に都合の良いように、新自由主義に踊らされ操られてる時代な感じもしますし。
・・・って、これこそが「情報化社会の負の側面」だったりするのかなぁ?
それこそネットが普及し始めた頃は、正の側面に魅せられ、もっと理想な社会が到来する印象があったのに(泣)。

> そしてリアルに自分が女性と付き合うということを想像すると、やはりメチャクチャ気持ち悪いですね。
> 女性に媚びて、おしゃれとは言わないものの清潔感のある服装ですか、そういうのをしている自分も気持ち悪いですし、

じゃあ、そうしなければ良いのでは?
何で自分で枠組みを立てて、それを自分で噛みついているんですか?
自作自演というか、独り相撲の極みになってません?
それだけ悪感情を顕わにしている時点で、それほどまでに気にしてるんだな・・・と感じますし。

> 女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。
> そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。

え〜と、この発言↑って正直、この発言↓と整合性は取れてます?
> 感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
> それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。
> セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、
> 何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
> 女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、
> まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。

あと、2年前の このやり取り↓に関しても、
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=r23513
> > > > > 多分この辺が現在のオタクの最も気持ち悪い部分だと思うのですが、
> > > > > 10年代以降の百合というのは男オタクの女の子になりたい願望が強く影響しているんですよね。
> > > > > やたらと女装したがるのもそうですし、もっと言えば女の子になって女の子と恋愛したい、というのが
> > > > > 現在の百合の根底にあると思います。

> > > > ちなみに、それを示す資料か何かはあったりするのでしょうか?
> > > > 難しければ、そんな願望を叶える作品の存在とか。
> > > > いや別に、男オタクの少女趣味とか少女化願望というのは、昔からあったりしますし、
> > > > それこそ昨今、キャッキャウフフを眺めていたいという願望だけでなく、
> > > > キャッキャウフフに混ざりたいという願望があるとは聞きますけど、
> > > > それがイコールで、「百合」というモノに繋がるとは必ずしも限らないと思いますし、
> > > > 「女の子になって女の子と恋愛したい」というのが、果たして百合なのか?というのあります。

> > > 百合かといわれると微妙ですね。隣接文化でしょうか。ガンダムシリーズとガンプラみたいな。
> > > 一応別の文化だけど、深く関係している感じです。
> > > では、百合と女装コスプレが「隣接文化」である事を示す根拠はあるのでしょうか?

> > ガンダムとガンプラなら、それを示すのも容易でしょうけど、
> > 百合と女装コスプレは、それすらちょっと難しくありませんか?
> > 現状では、旧トルコ担当さんが、そのように感じたというだけの話な気がして、
> > 厳しく言うと、少なくとも現時点では、私はまるで腑に落ちていません。

やはり、旧トルコ担当さんの そうした思いがあるから、そのように見えるのでは?
という思いを、改めて抱きました。

> これ書いていて思い出しましたけど、高校生の時は同学年の女の子見て、ちょっと辛くなりましたね
> (人間、絶対できないことに対しては羨ましいとは思わないらしいです)。
> 私の高校は制服が全く可愛くなかったのが幸いでしたが。

羨ましいから悪態をついてるようで、それとも少し異なる感じ・・・・
って、文章から漂ってくる、この感じの正体は何なんだろう。
うまく表現できないですけど、女の子の事を「2.5次元」的に捉えているのかな?
なので、3次元な生身の部分には嫌悪感が生じるし、2次元的な可愛らしさには憧れて、
もし生まれ変わるなら、女性になりたいと言うよりも、アニメの美少女キャラになりたいみたいな感じ。

そう考えると、前回のチアの話題も、何となく腑に落ちる所があるかも。
よくあるような、女子アスリートを「性の対象」と見なす感じとは違って、
2次元と3次元のギャップに関して、あれこれ感情を抱いているというか・・・・
でもこれって、そもそも3次元の存在である女性を、3次元で見ていない事にも繋がるので、
変の話、性の対象として生々しく3次元で見てる以上に、女性の尊厳を踏みにじるような見方なのかも?
当たり前の話ですけど、リアルの女性は2次元の美少女キャラでも無ければ、その代替でも無いので。

あと、「3次元には興味がない」という言い方は、よくあったりしますけど、
最初から3次元に興味のない人など、ほぼほぼ居ないのが実状ですからねえ・・・・
3次元に関心がなければ、何故わざわざ2次元でも、美少女キャラにこだわるのか?という話です。
そこには結局、リアルから逃れられない人間のサガがありますし、
結局の所、当人が自覚しているか否かはさておき、3次元からの逃亡先として2次元があっただけであり、
本当にリアルから離れた価値観で生きているなら、そもそも人型になんて拘りませんよ!!
アート系の世界だと、ガチでそこまで ぶっ飛んでいる人が居ますし、だからこそ面白いです(笑)。

> 私の場合、好き嫌いは非常に多いので、少年マンガとかは絵柄が苦手なので一切読めませんし、
> 異性愛だけが特別苦手というわけではないです。

話を聞いていると、好みが本当に「腐女子」に近い感じなのかな?
もっと言うと、腐女子になりたい願望が強いというか、
更に言うと、なれないのが解っているからこそ、なりたい願望を抱いてしまった印象。
逆に言えば、もし本当に なれるとなれば、ならないどころか、願望も捨ててしまいそう。

> (萌え系とその源流になった手塚系・少女マンガ系の絵は大丈夫なのですが、
> 少年マンガの絵は名探偵コナンくらいが限界で、ワンピースもドラゴンボールも鬼滅の刃も絵柄がダメで一切読んでません)

鬼滅を描いた吾峠呼世晴は女性マンガ家らしいですけど、そういう基準でも無いのかな?
まあ別に、女性マンガ家が、少年マンガを描いてはいけないとは思ってませんけど、
やはり、独特な絵の特徴が出る事は多いので、個人的には気になる事もあるのですが。

> 真面目に私は将来AI娘が寂しさを紛らわしてくれるのを期待していますし、
> まあ、あとは高齢元オタク同士のメタバース同性愛というのもありかな、とは思っています。
> 実際にはどっちも技術的理由、個人的感情から無理かもしれませんが、

いや、技術的には出来ると思いますし、そのうち出てくると思いますよ。
ですが、それで空白感が埋められる事は、まず無いと思いますけどね。
実際、以前にも言いましたけど、似たようなモノは これまでに何度となく現れてますけど、
今こうして「将来的に出てくれば」なんて話をしている時点で、全く定着してないんですよ。

それは決して、技術的に未熟だからとか、そういう話ではありません。
どれだけ技術が進んでも、リアルという存在がある以上、バーチャルはどこまで行ってもバーチャルなんです。
バーチャルだと割り切って楽しんだり、リアルにバーチャルを混ぜたり、そうした事は可能でも、
バーチャルをリアル同等に持って行くには、リアル自体を断ち切る必要があると思うんですよ。
ですが我々は、リアルな生身の身体を持っている以上、そこまで行くのは不可能です。
それが可能な時代が到来するとすれば、そうれはもうSF的な世界でしょうね。

> 私はずっとオタクコンテンツに浸かってきたので同性愛には全然抵抗ないというか、
> 高校時代にはちょっと気になる男子とか普通にいたので(何もしませんでしたが)。
> といいますか、今もちょっとTwitterで4つ年下のメンヘラ男の子がちょっと気になっているんですが、
> こういう可愛い感じの子は既に私と似たようなオタクたちが囲っているんですよね。

それは別に、オタクどうこうとか関係無く、
昔から よくある、「思春期特有の性感情」に近い印象も受けますけどねえ。
男子にせよ、女子にせよ、未だ成長途中な時には、同性が気になる事も決して珍しくありません。
逆に言うとオタク・コンテンツの方が、思春期の特性に寄せている側面もあり、
それにドップリ浸ってしまうと、本来なら一過性で通り過ぎる所が、定着してしまう事もあるかな?
先天的な同性愛とかはまだしも、後天的な性志向は、そうした築かれる印象が強いですし。

更に言うと、これは衆道文からの流れなのか、
日本って伝統的にも、可愛い男の子を愛でる文化が、何気に息衝いていおり、
例えば、私が応援する浦和レッズの小泉選手とか、そうした面での人気もありますし、
そもそも芸能界に目を転ずれば、美輪明宏や池畑慎之介など、古くから人気がありますからねえ。
男性でも「ちょっと気になる男子」という感覚は、日本だと意外に解る人が多そうです。
逆に言うと、キリスト教やイスラム教の社会が、教義的に禁忌と見ているだけで、
動物界でも対して珍しくない事を思えば、結構普通に受け入れられてる社会は多いかも?

あと、化粧やセーラー服への憧れ(?)みたいな話の時にも思いましたが、
旧トルコ担当さんが「宇宙海賊ミトの大冒険1・2」とか見たら、どんな感想なんだろう?と思いました。
いや、「らんま1/2」とかの方が、性転換アニメの例としては一般的なのでしょうけど(笑)、
何だかミトって、個人的に結構印象に残る作品だったんですよねえ・・・・。

> 正直今したくもないことをして将来の不安に備える気はないですね。
> そうやって適当なこと言って努力せず備えないでいると、コツコツ準備してきた人と後で大きな差ができるよ、
> というのも分かりますが、一方で転勤族の私の父が単身赴任で寂しい思いをしているのも事実ですし。

単身赴任で寂しいのなら、独り身なら尚更じゃありません?
まあ、それはそれとして、心底から そう考えてる人に対しては、私だって特に言いませんよ。
でも、その他の文章まで込みで読むと、どうしたって、心底から そう考えてるようには映らないんです。

「今から勉強しようと思ったのに、言われたからやる気がなくなった」という子供は、
言われなければ本当に勉強するかとなると、まず やりません(笑)。
それは、表面上はどう思っていようと、心の奥底では そう考えていないから。
これがまだ、解った上で言い訳してるなら、まだ大丈夫なんですけど、
自分自身の嘘には、自分まで騙されているようだと、本当に後々が大変なんですよね。

> そして(矛盾していますが)、正直特定の誰かと強い関係性を持ちたくないというのはあるんですよね。
> 私にとっての理想の人間関係は、誰からでも交換可能なパーツであることですので。

何度も書いてますけど、「繋がり」と「しがらみ」は表裏一体ですからね。
まあ、戦後以降の世の中は、ドンドンと個人主義の方向へ進んでいきましたし、
そういう感情に至るのは、別に珍しい事でも無いのですが、
デメリットだからと切り捨てた時、メリットも同時に捨て去ってしまうので、
気付いた時には、手元に何も残っていなかったりすると・・・・

> そのうえで、自分が勝手に満足したら、誰にも気づかれないように社会から消え去りたい、というか、
> 少なくともいつでもそうできる選択肢自体は持っておきたいんですよね。
> まあ現実問題、いざそういう段階に達すれば、本能的な恐怖に直面するものであり、そんな選択しとれないのも事実ですが。

「満足したら」と言いますけど、本当に「満足できる時」なんて来るんですかねえ?
この先で起こるのは、それとは正反対の可能性が非常に高いと思いますよ。
「努力せず備えないで」とか、「コツコツ準備」とかいう事よりも、
そうした甘い見立てというか、心積もりが、後々になって響きそうだな・・・という感じです。
いや、でもまあ、若者にありがちな考えと言えば、確かにそうなのですけど(笑)。

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