[スレッド全体]

[24114] 年を越しての長文返信(その2)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:27:13 徳翁導誉

> > それに、若い頃の熱狂的な気持ちが、中高年になっても持続する人など一握りであり、
> > あれだけ興味のあったゲームやアニメやラノベも、30歳を過ぎたあたりで、
> > 嘘のように興味を失ったり、興味はあっても気力や時間が足りなかったりして、
> > 一気に離れてしまう事も決して珍しくない・・・と言うか、そちらの方が多数派です。

> 別にオタクやってれば、中高年にならずとも、これの繰り返しじゃないですかね?
> 面白い作品ある時は毎日のように生きてて良かった〜と思いますし、
> そういった作品が見つからないときは人生が虚無になりますし。

そうじゃないんですよ・・・・
「面白い作品ある/ない」というのは、外的な要因ですけど、
「作品を楽しめる/楽しめない」という、内的な要因が働き始めるんです。

旧トルコ担当さんは若いので、まだ今は想像しにくいかも知れませんけど、
例えば、体調を崩した時だとか、気が滅入っている時とかでも、
いつもと変わらず、作品を楽しむ事は可能ですか?
もしも それが可能であるのなら、この話は取り越し苦労なので忘れて下さい。
でも現実問題として、そういうタイプの人って、本当に極一部であり、
大抵の人は、体調が悪かったり、精神的に辛いと、いつもみたいには楽しめないはずです。
そういう大多数の人たちには、ほぼほぼ当てはまるような話ですよ、この件は。

で、老化というのは、そうした体調や精神の不調が常態化し、しかも年々重くなるようなモノであり、
RPGで言えばHPやMPの最大値が、ガシガシと削られ続けていくような感じなんですよね。
宿屋で休息して全回復しても、20代と30代と40代とではMAXが違います(苦笑)。
そして、そのうち1人パーティーでは辛くなったとしても、そこからやり直すのは困難なんです。
だからこそ、それが容易な今の内に、口うるさく忠告している訳ですし、
今はまだ解らなくても、10年後20年後ではなく、3年後5年後で気付けたなら、
時間が早いほど、まだまだ挽回のチャンスも残されているので、
そうなれば良いかな?くらいの感じで、あれこれ講釈を垂れてる所はありますね(笑)。

恐らく、そうした苦境をスムーズに乗り越えられるのは、
ずっと前から整え続けてきた人間か、もしくは最初から突き抜けてる人間かと?
サッカー選手で言うなら、前者が長谷部で、後者が三浦カズでしょうね。
特にカズなんて、来月には56歳になるのに、今年から新たにポルトガル2部でプレーですから、
スポンサー枠だの何だのがあるにしても、もう充分に常識外の化け物ですよ(笑)。

> 歳を重ねた人に突き刺さる、オタクだったのにだんだんアニメが見れなくなる現象 https://togetter.com/li/1278232
> そういった現象って昔は高齢オタクのものでしたが、
> 今はタイパ意識とかのあれで、若いオタクにも結構身近なんじゃないでしょうか。

少し話はズレますけど、今の子供たちって身体の成長が早いのも さる事ながら、
ネットがある事で情報に溢れ、しかも周囲の大人たちも ぞんざいな扱いをしない社会となっており、
結果的に、当人の気分的には「早く成熟してしまう」感覚が強くありません?
(いや、精神面の強さみたいな所は、却って未熟なままな時代でもありますけど・笑)
だからこそ、早く満足してしまい、早く枯れ出すような傾向が、ありそうな気はしますね。

また、コンテンツの方も、昔に比べれば遥かに数は多く、平均点や それを満たす割合も高まってますけど、
逆に、飛び抜けた出来の作品とかは現れ難くなくなり、すぐに最高点に達してしまうという、
社会背景(経済状況)による影響も、ひょっとしたら あるのかも知れません。

> 私もそういったアニメを見れなくなる現象を何度か経験した上での結論としては、
> 本当に面白い作品に出合えていないかタイパ意識が浸透してアニメを見れなくなる、ということだと思います。
> 面白くないラノベ読むのは苦痛ですが、ラノベなんて面白ければ大学の課題提出ギリギリまで読んでいるので。
> 本当面白い作品の前ではタイパ意識何か消え去るはずです。

まさしく、それは若い故の部分もあるんですよ!
コスパやタイパの意識に囚われるとか、時間が無くなるとかいう以前に、
「本当に面白い作品に出合えば」・・・で済まなくなるのが、加齢なんです(笑)。

解りやすく言えば、20代だと自分自身の最大キャパが100あるので、
面白さ100の作品に出会った場合、そのまま100を楽しめるのですが、
30代40代と年齢を重ねると、自分自身の最大キャパが80、60と落ちていくんです。
そうなると、いくら作品自体に面白さ100あっても、その人の中では80や60までしか楽しめず、
場合によってはキャパ・オーバーを起こし、面白すぎると却って手が遠退くようになったりもします。
もう少しイメージしやすいような例え話をするなら、若い頃は肉の脂身が大好物だったのに、
中高年になると身体の方が受け付けなくなり、食べても胃もたれを起こすような感じかな?(笑)

って、わざわざ こんな話を繰り返すのも、
旧トルコ担当さんから、全くイメージできてない印象を受けるからですね。
でもまあ、若い内は大概そんなモノなので、別に良いと言えば良いのですが、
そういうタイプの人に限って、いざ自分が年齢を重ねると、本当にガクッと落ちがちな傾向が強く、
逆に、ある程度の年齢から意識できていると、減少を緩やかにする事が可能だったりします。
まあ、内面的な精神や身体の変化って、ちょっと想像が難しいかも知れませんが、
例えば運動面とかの話であれば、結構イメージしやすいんじゃないですかねえ?
若いうちは誰もが、別に運動などしなくても、快調に体が動くものですが、
中高年になってくると、体を動かしてきたか否かの差が、如実に現れてくるみたいな感じで。
しかも心は体以上に、落ちやすくて、上がりにくいので、若いうちから意識した方がベターですよと(笑)。
それこそ人生という長い視点で見るなら、コスパやタイパ的にも、それが最も効率良さそうですし。

あと、こんな事を最後に言うと、ちゃぶ台をひっくり返すような話かも知れませんが(笑)、
こういう言い方をした方が、今は伝わりやすいかと思い、コスパだのタイパだのと言っているだけで、
別に そうした価値観で育った世代では無いので、正直 そこまで深くは気にして無いというか、
少なくとも、考え方の中心軸みたいな感じでは無いですよね。
新自由主義やサブスク的な価値観も含め、今の時代がそうだから、それに合わせているだけであり、
ぶっちゃけ、元々そこまで「タイパ意識何か消え去るはず」という所まで根付いていない感じ。
逆に言うと、仮に今後、社会の価値観がコスパやタイパを重視しない方向性に転換したとしても、
社会の価値観は10年20年おきに変わっても、個々の価値観は なかなか変わらないモノなので、
そうした価値観で育った世代であるが故に、ずっと それに振り回される可能性はありますね・・・・
いや勿論、その時々で、世の風潮に流される人だって多いですけど、
恐らく旧トルコ担当さんは、そうした事を良しとされないタイプでしょうし。

> ややこしくなっているので整理しますが、
> 面白い作品が見つからず虚無という現象:おそらくいつの時代のオタクにもあった
> 年を取り時間や気力がなくなっていくとオタクから離れていくという現象:同上
> オタク成分の効率的接種のためTwitterをやる:最近の傾向
> 若くしてアニメを見れなくなる現象:最近の傾向
> ではないでしょうか?

だったら、話は簡単じゃありません?
「面白い作品が見つからない」のも、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のも、昔から よくある現象であるなら、
「自分は○○だから」と、テイの良い言い訳で自分を納得させて逃げるのも、昔から よくある現象ですし、
それで後になって激しく後悔し、そして取り返しが付かない事に絶望するのも、昔から よくある現象でしょ。
しかも平成の30年間で、未婚率は7〜8倍も激増してますから、該当者も急増中です。
いわゆる「無敵の人」なんて言葉が象徴するように、まあ実際に犯罪まで至る人は極少数でも、
その予備軍と言いますか、何も無くて苦しむ人は確実に増えてますし、それはネット上でも実感できるのでは?
それでも「自分だけは大丈夫」という正常性バイアスに陥ると、却って「よくある現象」よ!!
旧トルコ担当さんの場合、まだ何とでも出来る年齢であれこそ、お節介ながらも忠告しているんです。

あと、これは他の所でも述べているので、何度も繰り返しはしませんが、
「面白い作品が見つからない」のと、「年齢を重ねて楽しめなくなる」のとでは、全くの別物です。

それと、「若くしてアニメを見れなくなる現象」というのが、「最近の傾向」と言うのも、
深夜アニメが現れたのが90年代後半で、激増したのが00年代後半ですから、
その頃の若者層が、大人になってもアニメを見続けたとして、
そうした人たちが現れた事自体、ここ10年やそこらの話でしかありませんからねえ。
つまりは、そもそも「若くしてアニメを見る」現象こそ、最近の傾向であるとも言えます(笑)。
また、高校生や大学生で離れたとしても、それは元々ある一般的なアニメ視聴の姿勢だとも言えると。

> あとは面白い作品を探すだけではいずれ鉱脈が尽きるといいますか、
> 自分に作品を楽しむ力がないと刺激ばかり求めて、刺激ジャンキーになっていずれ飽きが来るので、
> 既に好きな作品をどれだけ楽しめるか、あるいは各作品を並列で見たりして楽しむ力をつけるというのも重要ですね。

更に言うと、旧トルコ担当さんも、今はまだ若い世代なので、
若者向けに提供される作品と、自分の好みの作品との間に、差異は無いかも知れませんが、
5年10年と経った際、その時に提供される若者向け作品は、その時代の若者の好みに合わせたモノなので、
ここでドンドンと差異が生じてきますし、自らの趣向を変えない限り、提供される作品数は絶対的に減少します。
そうなると、気力・体力・時間・財力が大丈夫でも、どこかで供給源が途絶える恐れは確実にあるんですよね。

でもまあ、旧トルコ担当さん自身に関して言うと、
今回の「マリみて」のように、古典作品も楽しめているようですし、
また、消費や消化だけに留まらず、独自の楽しみ方を見つけられているようなので、
その点に関しては、まあ大丈夫ではあるのかな?(笑)

とは言え、これって結構切実な問題であったりもするんですよね。
いや本当、自分が好きなジャンルであったり、そもそも根本の分野自体が、
時代の変化と共に、消え失せてしまう事だって、よくあるのが現実の世界ですから・・・・
これに関しては、サブカル作品に限らず、食事や衣服など、全ての分野に言える事ですね。
「お気に入りの惣菜パンがコンビニから姿を消したり、そういう小さな絶望の積み重ねが人を大人にするのです」
というのは、呪術廻戦の中で、私が最も好きな台詞(笑)。

> もしオタクの中高年や、あるいはオタクの老後というのがあるのであれば、
> オタク成分の低い毎日を送って、Twitterでオタクエアプ勢をやっている自分を許せるようになった時ではないでしょうか?
> かくいう私も、響け!ユーフォニアムを見てからは、正直もう死んでもいいくらいの気持ちはあるので、
> 昔に比べるとTwitterでだらだらエア・オタクやることへの抵抗は下がってるんですよね。

まあ、それで心が満たされるのであれば、それはそれで良いとは思いますけどね。
10年後にTwitter自体が生き残っているかは知りませんけど、
他にまた、別の何かが現れてるはず・・・とは思うものの、現れない可能性もあるのかな?
それが「右肩下がりの時代」に、ありがちな現象でもありますし。

> と言いつつ、オタク辞めようかな、というのは中学生のころから思っていることではあるんですよね。
> 小学生の時までは、時間がたつにつれてドンドン次のステージ次のステージと色々進んでいったはずなのですが、
> 中学でオタクになってからは、もうそれが10年くらい停滞しているので。
> なので、オタクコンテンツにもしハマれなくなったら、それはそれで次のものを探す良い機会なんだと思います。

でも、次のモノを探す「時間」の方が、もう残り少ないかも知れませんよ!?
決して脅す訳ではありませんが、一般的な話として。
「四十の手習い」なんて言葉がある通り、何歳になっても新しい事は始められるのですが、
逆に言えば、そんな言葉が生まれるくらい、年齢を重ねてからのスタートは現実的に難しく、
もし何かを始めるのであれば、恐らくは20代(可能なら前半)のうちがリミットですかねえ?

あとは、別に今あるモノを捨てずとも、それはそれで取って置き、
新しく幅を広げていっても良いんでしょうけどね。
それこそ、一昔前のオタクが幅広いのは、そんな感じだったからで、
1つの所から枝分かれに、外へ外へと波及させてたり、
異なる所から広げたモノが、やがて交わり巨大化したんだと思いますよ。


> > > 「ネットde真実」というのは、
> > > そういう陰謀論にハマっていく人たちを馬鹿にしすぎた表現では?と正直思います。

> > まあ確かに、元々は侮蔑の意味を含んだ言葉なのは確かなのでしょう。
> > ただ、「ネトウヨ」などという単語もそうなのですが、
> > いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉であるのも事実なんですよね。
> > となると、「ネットde真実」や「ネトウヨ」に変わる便利な単語を、
> > 今度は旧トルコ担当さんの方から呈示していただければ、ありがたいかな?(笑)

> いや、管理人さんが積極的に馬鹿にする意図を持っていないのは分かっていますよ。
> そのうえで、やはり「ネットde真実」という言葉を使っているのが、
> 無意識に相手の能力の低さを見下している根底を批判しているので。
> 普通に陰謀論とかでいいんじゃないですかね。それでも十分伝わるでしょう。
> ネットde真実がピンとくる単語という時点で、侮蔑も含めてピンと来ているのでは?

えっ!?
「ネットde真実」と「陰謀論」は、それぞれ全く異なる概念の単語でしょ!
それらをイコールで結んじゃってるんですか?

「ネットde真実」とは、ネットの情報を鵜呑みにして信じてしまう行為であり、
そこには、「学校では教えない○○」「マスコミが報じない××」という感じで、
既存の権威にマウントを取りたいが故に、却って踊らされてる人を、揶揄する意味合いも含まれ、
そして当時は、「○○de××」という表現が、オシャレ系や意識高い系に流行っていたので、
その辺りの人々の事も、同時に小馬鹿にする雰囲気も持つ言葉でした(笑)。
要するに、その人にとって信じたい情報こそが、ここでいう「真実」なのであり、
それが「陰謀論」的な内容の場合もあるでしょうけど、それが全てでは無いって事ですね。
また、ネットと陰謀論の親和性が高いのは確かですが、
陰謀論にハマる人が、必ずしもネット利用者とは限りませんし・・・・

結局、今回のやり取りで解ったのは、
「いちいち説明せずとも意味が伝わる、便利な言葉」として、私は用いたものの、
旧トルコ担当さんの方は、それを「侮蔑的な言葉」という意味で認識をしていた為に、
互いにズレが生じたって事なのでしょうね。
う〜ん、旧トルコ担当さんは、ニコニコ・ユーザーという事なので、
「これくらいのネット・スラングは説明不要だろう」と思い込んでいた、私のミスかも?
とりあえず、今後は旧トルコ担当さんとの会話では、出来るだけ使用を避けるようにしますけど、
何だか、「片手落ち」が差別用語だと誤解され、放送禁止用語となった一件を思い出しました(笑)。
(ちなみに片手落ちは、腕が1本しかない「片手・落ち」ではなく、片方に配慮が欠ける「片・手落ち」の意味)

> > あと、そこまで言葉を気にされるのであれば、
> > この前回の発言↓って、それこそ「ネットde真実」の比じゃ無いのでは!?(笑)
> > > 私自身ふと自分の人生を振り返ると、体が太っていたり、ブサイクじゃなくて良かったなと、心の底から思うんですよね。
> > > もし太っていたり、ブサイクだったら、心のバランスを崩して大変なことになっていただろうなあと。

> > これはこれで、旧トルコ担当さんの偽らざる本音を吐露した内容なのでしょうから、
> > 私としては特に気にならないものの、聞く人が聞けば、かなりの問題発言じゃありません?
> > 人気の女性プロゲーマーが、ライブ配信中に「170cmない男は人権ない」と発言して大炎上し、
> > プロ契約を解除されたなんて騒動が、何ヶ月か前にありましたけど、
> > 「デブやブサイクな奴って、よく生きてられるね? 俺なら絶対無理だわ!」
> > って言っているようなモノですからね、この発言は。

> この件については、大変勉強になりました。
> 私って、例えるなら典型的な嫌な左翼みたいな人なんでしょうねw
> 自分はエリートだと思い込み、世の中の恵まれていない人を救うという割に、
> 周囲からは何かそこに見下しを感じて、嫌な奴と思われる、みたいなw
> 弱者救済といって人を助けようとしたら、そこにあやかろうとする人のプライドを傷つけることに気づいていない、みたいな。

う〜ん、それは「典型的な嫌な左翼」の前に、「右翼から見た」という一文が加わりそう(笑)。
恐らく、旧トルコ担当さん自身は無自覚かも知れませんが、
少なくとも私から見ると、旧トルコ担当さんも少し右寄りの認識というか、
より厳密に言うと、周囲の人たちが右寄りな環境にあるんじゃないですかねえ?

まあ、90年代までは確実に左寄りだった日本社会は、00年代から急速に右旋回しており、
その時代しか知らない今の若者層からすると、右旋回している日本がデフォなので、
同年代の仲間内だけに居ると、なかなか実感は出来ないかと思われますが・・・・

> > 会社を定年退職した団塊世代の男性が、世間との繋がりを失う一方、スマホを手に入れた事で、
> > 「高齢者がネトウヨ化」する現象というのが、地味に問題となっていたりもします・・・・
> > では、そういう人たちが、「知的環境に恵まれなかったのか?」となると、決してそうでは無く、
> > サラリーマン時代は至って常識人であり、名門大学やエリート企業に属した人も珍しくないのに、
> > 荒唐無稽な陰謀論にハマったりする事も多いんですよ。

> やはりコロナによる外出自粛というのは高齢の方の色々なバランスを崩してしまっているのかなあ、とは思います。

バランスを崩したのは、高齢者の方なのか? はたまた、社会の方なのか?
還暦の赤いちゃんちゃんこは、60歳で赤ちゃんに還る事を意味すると言われますが、
脳の老化により、子供みたいに感情に素直になると言いますか、自制心が働きにくくなり、
怒りっぽく、頑固で、我が儘になる傾向があるのは、何も最近になって始まった話ではありません。

ただし一方で、日本社会は戦後昭和の絶頂期から、平成の停滞期、そして令和の衰退期へと突入し、
しかもそこへコロナ禍が襲った訳ですから、高齢者が不満を爆発させる機会も増加しており、
そこに、不満を解消させてくれる言説が、ネットを経由して もたらされた・・・って感じなのでは?

> > ハッキリ言って、環境的に恵まれなかったのだとすれば、
> > それは子供時代の「知的環境」では無く、退職後の「人的交流環境」の方なのでしょうね。
> > ネトウヨ活動であれ、プロ市民活動であれ、そういう所に行けば、すぐに仲間が作れるので。

> ネトウヨになって、色々な年齢帯の人と(ネットで)関わるようになりました、とは
> 私のフォロワーのネトウヨの人も言っていたので、あの辺はちょっと楽しそうだな、とは思いますね。
> ただ、外部講師の方の場合は、おそらく普通に色々な人脈もある方だと思いますし
> 何かそれだけでない理由があるのかな、とも思うんですよね。

もう少し詳しく言うと、ここでいう「人的交流」とは、あくまでも手段であり、
その目的は「心的な満足感」を得る事にあるかと思います。
だからこそ、社会的や経済的に成功している人であっても、そこで満たされない気持ちがあれば、
ネトウヨ活動やプロ市民活動などで、心の充足を得ようと言うのは、必ずしも珍しい事ではありません。
もしくは、あれもこれもと何でも欲しがる「物凄く強欲(欲求に素直)」なタイプの人ですね(笑)。

また、どれほど高名な人物であっても、ひとたび自らの専門分野から離れれば、
専門外の認識など一般人レベルであったり、却って一般人以下なんて事もザラにあるので、
その辺りは、肩書きだけで判断せず、キチンと言葉の内容を精査すべき所ではありますよね。

> その方が講義で言っていた、早ければ数年以内、遅くとも2030年までには、GAFAやそれに準ずるところが世界中の共通通貨を作り、
> 既存の円やドルを無価値な古い通貨にする、という仄かに知的な香りのする陰謀論はちょっと好きです。

これって、ただ単に「仮想通貨」や「電子マネー」の話なのでは?
これの、どの辺りが「陰謀」なのでしょう?

> 私は陰謀論自体はSFっぽくてちょっと好きで、Twitterで多少集めてたりするので(フィンランドは存在しない、とか好きですね)。
「フィンランドは存在しない」は、初めて知りました。
と言いますか、これは陰謀論というよりは、ネタですよねえ?(笑)
でもまあ、最初は皆がネタだと認識していても、それが拡散されていくと、
本気で信じる人が出てきて、いろいろと面倒な事になるのも確か・・・・

実際、パロディー的な偽ニュースを発し、ネット草創期に人気を博した「朝目新聞」も、
ネタをネタと理解できないネット・ユーザーが増えるに従い、
デマ拡散サイトとして叩かれるようになりましたし、
お笑いコンビ「8.6秒バズーカー」の原爆揶揄説バッシングなんていうのも、
元々は、誰もが嘘だと解る、こじつけ的なジョークだったはずが、
それを本気にした人が大量に出た所為で、アッと言う間に消されちゃいましたから。


> > > 管理人さんがどういった環境で育ち、どうして陰謀論に騙されない程度のかしこさを得たのかは分かりませんが、
> > > それは自分の努力だけで得られたものではおそらくないでしょうし、
> > > そうやって偶然得た能力で能力の低い人を見下すのはみっともないと思います。
> > > そうやって知識人(っぽい人たち)が過剰に陰謀論を見下すからこそ、
> > > それを支持する人たちのプライドを余計に傷つけ、より戦闘的にしているというのもありそうですし。

> > 少なくとも私の場合、良く言えば放任、悪く言えば放置な両親の元で育ちましたし、
> > 父親の転勤で3〜4年くらいで各地を転々とした為、周囲との人間関係もかなり希薄であり、
> > 人見知りな性格の上、当時はまだネットもありませんでしたから、本当に ほぼ独力ですね。

> 私としては、家庭環境などはそういった運の要素の一部でしかなく、
> 例えば偶然子供のころに面白く歴史を紹介する本に出合えたとか、そういったものすべてを恵まれた環境だと思っていますので、
> 管理人さんの家庭環境はあまり関係ないと思いますよ。

いや〜、確かに人生において、運は大事な要素ですけど、
何でもかんでも運で片づけていたら、それはもう「運命論」ですよ。
自分が誰と結ばれるのか?はたまた結ばれないか?は、全て運命の赤い糸次第ですか?
試験期間の時、誘惑に負けてゲームを遊び、テストの点が悪くても、それは運が悪かっただけで、
ゲームを我慢して勉強をし、テストの点が良かった人は、努力ではなく運が良かっただけですか?
正直、いま旧トルコ担当さんがしているのは、そういった類の話だと思いますよ。

> 事実としてこうして普通の人よりも色々知っているのですから、それはどこかで運に恵まれたということだと思っています。
> 歴史や理系、あるいは芸術やスポーツに対して、おそらく管理人さんは知的になるための努力ではなく、面白くて勉強したはずでしょうし、
> ですが管理人さんの趣別のことであれば、今頃陰謀論にハマっているという可能性もあると思うんですよね(それは私も同様だと思っています)。

ハッキリ言って、私の場合は、そんな特別なモノは無いですよ。
下地は全て学校ですし、それも別に名門私立とかではなく、転勤族なので それこそ各地の普通の公立です。

スポーツが好きになったのは、放課後や休み時間に外遊びをしていた延長ですし、
当時はプロ野球中継の視聴率が25%くらいあり、テレビ観戦も至って普通の事で、
(ウチの父親は野球中継を見なかったので、帰ってくるまでの間か、ラジオ中継でしたが)
私自身が弟たちに与えた影響はあっても、家庭内で与えられた影響は ほぼ皆無ですね。
強いて言うなら、父親はマンガ読みだったので、「ドカベン」の単行本があったくらいかな?
サッカー観戦に関しては、ガッツリ見始めたのは、1人暮らしを始めてからですし、
そのキッカケも、日本代表のW杯初出場や、自国開催である日韓W杯の影響が大きかったです。
こうして振り返ってみても、そこまで大きな「運」に恵まれた感じはしませんね。
確かに、野球やサッカーの人気が高い時代だったのは「運」ですけど、それは同世代は全て同じですし。

また、それ以外の3つは、それこそ全て学校ですね。
歴史は社会、科学は理科、アートは図工、あとは遠足や修学旅行などですか。
と言いますか、それ以外に無かったですよね、ネットの無い当時では。
まあ、読書が身近な存在であれば、また違ったのでしょうけど、
私が小学時代に読んだ本は、プロ野球選手の列伝と、新美南吉の動物童話の2冊のみですし、
中学時代に至っては、本当に1冊も本を読んでいませんね。
本を読み始めたのは、高校の夏休みにプレーした、ゲームの「信長の野望」や「三國志」にハマり、
その時代背景を知りたくて、司馬遼太郎や陳舜臣などの歴史小説を手を出したので、
それを「運」と言えなくは無いでしょうけど、
当時の人気ゲームを遊んだ事や、当時売れ筋だった歴史小説を読んだ事が、どれだけ特別かと言うと・・・・

ちなみに、家庭での影響となると、歴史に関しては「大河ドラマ」がありますが、
まあ、コチラも当時は視聴率が40%あった時代ですし、基本的には夕飯時に ながら見でしたから、
そこから歴史好きになった訳でもなく、歴史好きとなる下地を作ったくらいの影響かと。
って、それを言い出すと、社会も理科も図工も、
それで好きになったというよりは、嫌いにならなかった程度の話かな?
繰り返すようですが、普通の公立校に通ったので、特に素晴らしい先生の授業を受けた訳でも無いので。
ですから、科学に関しては、大学の進路が理系だったというのが大きいですし、
アートに関しては、昔から多少興味はあったものの、本格的に囓り始めたのは大人になってからですね。
余談ながら、私が本格的にアニメ視聴を始めたのも、1人暮らしになってからあり、
クラシックやジャズなど、音楽を聴くようになったのも、エヴァ・銀英伝・CowboyBebopなどの影響です(笑)。

また、波及する「影響」という面から振り返るなら、
私のサッカー好きは、アニメ「キャプテン翼」からの影響を無視できませんし、
私の身体能力は並以下なので、小学生の頃から、頭や技術を使ってのプレーを強いられており、
物理学に関心を持ったのも、球速で劣る分、変化球やコントロールを磨く為でした。
アートへの興味も、1つは「歴史」から、もう1つは「お笑い」(表現繋がり)からの波及でしたし、
特に「ゲーム」と「アニメ」は、異なる様々な分野を結び付ける、強力なツールとなりました。
ですから、実はゲームやアニメのオタクは、非常に潜在機会が広い世界に居るんですよ!!
あとは幼少期の「折り紙」遊びが、手先の器用さ・色彩感覚・幾何学の強さ・手順や構造の慣れなど、
様々な下地になりつつ、相互にリンクしてますけど、折り紙なんて特に珍しい経験じゃ無いですし、
私はやりませんでしたが、ガンプラやレゴ、今の時代ならマイクラなどで、似たような機会は得られるはず。

ぶっちゃけ、私は全般的にスタートが遅かったですし、
その為に、手が届かなかった世界も、いろいろありましたから(もちろん努力も足らずの事ですが)、
ネットがある今の若者たちの環境は、それこそ「めちゃくちゃ幸運に恵まれている」と言っても良いですよ。
ネットがあれば、地域格差も、経済格差も、情報格差も、時代格差も、
様々なギャップを、当人の気持ちと努力次第で、かなり覆す事が可能ですからねえ。
正直な所、私程度の知識量であれば、今なら中高生でも普通に身に付けられる時代でもあります。
情報は溢れている上、それを整理できれば、あとは「集中力」と「好奇心」が段違いな年齢なので!!
逆に言うと、だから私は、その「情報整理」の部分で、若い世代の役に立てたらな、という思いがあると。
(このサイト内に、ゲーム・動画・企画などのコンテンツがあるのも、そうした意図を含んでいます)

いや本当、ネットの有る無しだけで、環境はかなり変わりますよ!!
まあ、デジタル・ネイティブ世代からすると、ネットがあるのが当然で、
どれほど自分たちが恵まれているのか、なかなか意識はしないでしょうけど、
試しに1週間でも1ヶ月でもネット絶ちする事で、その不便さは十二分に味わえるはずです。
言い換えるなら、それだけ恵まれた環境にありながら、安易に陰謀論にハマる事が「不運」なんですか?

私は小学生の頃から、日本に生まれた事に関して、「凄く幸運な事だ」という認識はありましたし、
逆に言うと、当時の先進国と後進国(今風に言えば途上国)との差は、今以上に激しいモノでした。
でも、この論だと、ハングリーな環境から のし上がった成功を、努力ではなく運だと見なし、
恵まれた環境にありながら成功できなかった事を、「運が悪かった」と言うようなモノでしょ!?
ハングリーな環境だから努力できた。
ハングリーな環境じゃないから努力できなかった。
それは確かに一面では、そういう見方をする事も可能でしょうけど、
他者の苦しい環境や、自分の恵まれた環境やを過小評価し、
あまつさえ、それを幸運・不運で納得させるなど、あまりに傲慢で身勝手な見方ですよ!!

もちろん、例えば昨今話題の宗教2世問題のように、
育った環境などにより、そうした洗脳教育のようなモノが施されて育ったなら解りますが、
陰謀論にハマる大多数の人たちは、そんな劣悪な環境で育った訳でも無いはずです。
また、今の時代は却って、処理しきれないほどの大量の情報に溢れており、
まともな判断力が育つ前から、それらに溺れてしまう危険性があるのも確かですが、
では、同世代の若者が皆同じかと言えば、そうでは無いですし、
しかも多くの場合は、判断力が付いてから、聞こえの良い情報に漬かりに行くケースが多いですからねえ。
これって、試験期間中にゲームの誘惑に負けちゃう様なモノなんじゃないですか?
恵まれた人間には、恵まれた人間なりの苦しみがあるのは事実ですが、
だからと言って、薬物使用で捕まった2世タレントの言い訳じゃないですけど、
恵まれた状況下で、恵まれた事を「不運」だと嘆いた所で、第3者から共感は得られかどうか?

ちなみに、私が陰謀論にハマらないのは、そこまで利己的な人間になれないからですね。
タチの悪い陰謀論と言うのは、その一時は自分が気持ち良くなれても、
巡り巡って、周囲の人間に多大な迷惑を及ぼす事を、理解してもいますし。
(奇しくも、アメリカに引き続きブラジルでも、大統領落選に伴う議事堂襲撃が起こりましたね)
って、これに関しても、利己主義的な今の時代に育った「不運」という事なのでしょうか?
まあ個人的な見解では、右肩下がりな日本社会しか知らず、
そうなってしまうのは確かに不運な面もあるかも知れませんけど、
それが、陰謀論にハマる事を正当化できるほどの不運かと問われれば、
現状だと、決してそうとは思えないんですよね。

しかし、その一方で、そうした行為を良いの悪いのと断じる事もありません。
善悪の価値基準なんて、それこそ個々人だけでなく、地域や時代によっても異なりますから。
ただ、強いて言うなら、誰かに迷惑を及ぼす行為の場合は、
やる以上は、解った上で「敢えて行え!」というのが、私の基本姿勢かな?
逆に言えば、責任逃れで目を瞑る身勝手さに対しては、その態度自体を非難すると。
ルルーシュの「撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」に近い感じでしょうか(笑)。
別に私自身は、殺人やドラッグ使用さえ完全否定しないタイプなので、陰謀論くらいは別にそこまで。

ちなみに、成し遂げる「成功」が大きくなるほど、「運」の巡り合わせが重要になるのは確かです。
でもそれは、成功という「結果」が運である以上、成功に繋がる「機会」が運なんですよ!!
だからこそ、これは釣りに似ていて、機会が来るまでジックリと同じ場所で待ち続けるか?
はたまた、機会を求めてコロコロと場所を変えるか? 方法は様々です。
(時代的に、戦後昭和だと前者、令和だと後者の方が、成功の確率は高そう)
そして最も大事なのは、「幸運の女神には前髪しかない」という ことわざが示すように、
いざ目の前に機会(運)が巡ってきた際に、それをキッチリ掴み取る事であり、
機会の到来をに気付き、決断し、手に入れる「能力」とは、運と言うよりも「実力」であって、
いつ何が必要となるかは解らない以上、日々の努力や勉強が大事であったりする訳ですね。
これは、コスパやタイパを意識して、目先の利益に走っていては、まず身に付かないモノです。

で、多くの人は、結果の運と、機会の運をゴッチャにしている印象ですね。
もちろん、結果の方にも運はあるんですよ。
でも、万馬券に賭けてたまたま勝つのと、勝つ確率を地道に積み上げて勝つのとでは、
一言に同じく「勝ち運に恵まれた」と言っても、その中身はまるで違います。
それこそ、この前のカタールW杯における日本代表の成果がそうですけど、
ドイツ&スペインという優勝経験国を立て続けに撃破したのは、確かに確率の低い幸運ですが、
しかしそれは、2度続けてギャンブルに勝った以上に、4年間かけた準備の賜物です。
ただ、そこは勝負の世界ですから、本当にギャンブルで連勝する事もあれば、
どれほど周到に準備を進めても結果が現れない事もあります。
とは言え、その違いが解らないと、ギャンブルと下準備の勝率の違いが認識できません。

近年は「ワンチャンある!」という思考が、以前にも増して席巻している印象を受けますが、
そのワンチャンがギャンブルであるのなら、そんなのはまず成功しないんですよ!!
で、他者が下準備で成功しても、海面下の氷山のように、それを認識できず、
認識できないから事前は「無能」と評価し、結果を残しても「幸運」で片付けてしまうと・・・・
でもまあ、それだけで終わるのであれば、そういう人たちが成功できないだけの話なのですが、
そういう人たちが多数集まり、影響力を持ってしまうと、全体も一緒に巻き込まれてしまうんですよね。
どちらかと言うと、そうした問題点の方が、社会的には より深刻なのだと思います。
それこそ今のネット社会は、集まり、影響力を持ち、巻き込む力を、良くも悪くも持っているので。

とまあ、あれこれと長々語ってしまいましたけど、
簡潔に本質を言ってしまえば、「面白く感じる努力」はしてますよ。
努力というと言い過ぎですけど、少なくとも「意識付け」くらいはしてます。
でもそれは、新たに「身に付けよう」としている訳では無く、「失わない」よう心掛けてる感じに近いです。
先入観にとらわれず、何事にも関心を示す「子供の純真さ」は、大人の誰もが以前は持っていたはずのモノなので。
そういう意味では、オタクという種族って、それが最も行えそうな位置に居ると思いますけど、
でも実際は、子供の悪い部分の方を残しつつ、都合の良い所だけ大人になってしまう層も、決して少なく無いかな?
正直、そのやり方が気持ち良くなる上で、短期的に最もコスパが良い方法ではありますからね。
ある意味、「大人になる」とは「楽を覚える」事だと思いますし、
楽を覚える過程で、様々なモノを削ぎ落としていくのが、一般的な方法だと思うので。

> 根本的に人生は理不尽ですけど、社会は公正なフリをしていないといけないので
> (もし多くの人が今の世の中を不公正だと思えば、努力しなくなったり、逆に革命がおきたりします)、
> 世の中の多くの人が家庭環境による差をなくさなければ、と思うのであれば、社会はそう努力するべきだとは思います。
> 私としては、人生の理不尽の100を99にする努力よりも、
> 社会全体の富自体を増やす方が(基本的には)手っ取り早いと思うので、あまりそこに熱心にはなれないですね。

で、その「社会全体の富」は、そんな手っ取り早く容易に、増えて行くんですか?
現実的には、それとは正反対に、富の拡大が低下し続けているからこそ、
持てる者の「富の囲い込み」が起こり始めて、持たざる者への理不尽さが増している状況では?

そして、これは以前にも言いましたけど、ならば社会を良くしようという方向には、当分進まないはずです。
それこそ、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」のように、
他者を蹴落としてでも自分は助かろうと、数少ない道へ我先にと人々が集まり、
その事で状況は更に悪化し、時には大量の死者を出して、多くの人が底へと落ちた後で、
その時ようやく革命なり何なりが起き、持てる者が引きずり降ろされ、貧しい平等から再スタートを切ると。
もちろん可能性的には、そこまで悪い状況へ陥る前に、何とか立て直す道もあるでしょうけど、
10年前の東日本大震災があっても、今回のコロナ禍があっても、
変わらない・・・どころか、下手したら悪化しているので、恐らく無理です。

・・・って、旧トルコ担当さんは、こんな世界で今後の人生を送りたいですか?
ちなみに、もしも日本が、今のウクライナのような状況に陥った場合、
旧トルコ担当さんは今までみたいに、ラノベやアニメを楽しめてますかねえ?

> > まあ、上を見ればキリが無いですし、下を見てもキリが無いので、
> > 「もっと恵まれた環境なら」と屈折する事はありませんけども、
> > 大人になってみて「当時の自分は、こういうのを望んでいたんだな」と感じだモノを、
> > 今の子供たちに対して、私なりに微力でも何か伝えられないか?という事は、
> > 結構考えたりしますし、時々ここでも構想を語ったりもしてますからねえ・・・・
> > それに、上の方でも同じ事を書きましたが、私が自分自身で自己分析する限りでは、
> > 私は別に知識人タイプでも無ければ、マウントを取って他人を見下したいタイプでも無いので、
> > どちらかと言うと、その見立ては、旧トルコ担当さん自身の思いの投影な気がしますよ。

> そうですね、私が他人を見下しがちだからこそ、自分でも反省しますし、
> さらに自分より知識のある人に対してはより一層、その点に敏感になる、というはあると思いますね。

まあこれは、右肩上がりの時代だと、目線も自然と上を向く一方で、
右肩下がりの時代になると、どうしても目線は下を向くという、社会的な傾向がありますからね。
で、その意識が内側に向くと日本スゴイ論となり、外側に向くと嫌韓反中バッシングになる感じでしょうか?
逆に90年代までは、アメリカに追いつけ追い越せ!という上昇志向でしたし、
バブル経済が崩壊した後も、文化的には新しいモノが次々と生まれていましたから、
これは奇麗事とかでは無く、「見下して優越感に浸る」感覚が乏しいんですよ、本当に。
どちらかと言えば、「見上げて羨望や憧れを抱く」感覚の方が強いので、そちら方向に進まない感じかと。

・・・って、よくよく思い出してみると、当時の日本は日本で、
現在の嫌韓反中バッシングみたいなモノでは無いものの、
「名誉白人」意識というか、ナチュラルにアジア人を見下す風潮があり(戦前から継続しており)、
それを子供ながら、嫌な気分で見つめていたので、結局は個々人の見方次第なのかな?
ちなみに、アジア人に向ける日本人の視線は、90年代から00年代に掛けて、
日本の経済成長が停滞した一方で、アジアの経済は急成長し、
そこへちょうどサッカーブームが到来し、アジア予選を重ねる事で親近感も増した影響で、
当時よりは かなり改善しましたね(今では訪日する観光客も多いですし)。
と言うか、当時のナチュラルな蔑視観は、今の人の感覚だと普通に引きそう(笑)。
まあ、あの頃の日本は、普通に人前でタバコを吸い、平気でゴミをポイ捨てしてましたので。

ちなみに、これは私個人の感覚なのですが、一元的ではなく多元的に評価するので、
ほとんどがダメでも、何か1つでも秀でていれば、そうれはもう「上」という認識ですし、
この世には、完全に同じ人など居ない以上、誰でも絶対どこかに、
「これは凄い」「その発想は無かった」という所があると考えてますからねえ。
それこそ、相手が小学生や幼稚園児であっても、教えてもらう事は多々ありますから、
せっかくの機会を見落としては勿体ないと、いちいち見下してる暇が無い感じです(笑)。

> ホワイト社会が、自分がまずホワイトであるための努力を行い、
> さらに自分よりも有名な人たちに対してよりホワイトであることを要求する
> (=無名な人にはホワイトであることをあまり要求しない)社会なのであれば、
> 私は、自分に対して倫理的であることを要求する分、
> 自分よりもより優れている人に対してより倫理的であることを要求するのだと思います。
> どっちも理不尽なことには変わりないですが。

何となく思ったんですけど、それって本当に「ホワイト」なんですかねえ?
「光が強くなればなるほど、影もまた濃くなる」じゃないですけど、
その感覚って、ホワイトどころか、非常に「ブラック」な感じがしてきました(笑)。
言うなれば、「その倫理観の基準って何? そもそも、誰が決めてるの?」って感じですか。
もっと言うと、誰かを集団で叩く目的で、自分たちの都合良く倫理基準を作り上げてませんかねえ?
本来は夫婦間の問題なのに、第3者が不倫バッシングで、標的を社会的に抹殺しようとする行為も、
ホワイト化という名の「ブラック化」の象徴のように思えてきました・・・・


> > > あとはまあ、私はチアガールなんかを見ても、
> > > 生まれ持った容姿で判断される女性の生きづらさを勝手に想像して、勝手に辛くなる人間なので、
> > > 『皆の前でほめないで』同様に過剰に傷つきやすい世代のさらにナイーブな少数派の意見だというのは承知していますが。

> > いや〜、これに関しては、私の方が少数派なのかも知れませんけど、
> > チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> > 個人的には「スポーツ競技者」という見方になってしまうので、
> > 演技内容はまだしも、顔の可愛さだとか、身体のラインだとかは、ほぼ意識の外なんですよね。
> > そもそも、生まれ持った容姿で勝負しているような世界じゃありませんし。

> いや、私が問題にしているのはチアリーダーが事実上女性しかいないことなので。
> > チアリーダーもそうですし、フィギュア・スケートとか、新体操とかにしても、
> と書かれている時点で、おそらく管理人さんの想像していることとは別のことになると思います。

「事実上 女性しかいない」という事でしたら、新体操もそうですし、
アーティスティック・スイミング(旧シンクロ)とかも、そうですよね。
フィギュアは確かに男子選手も居ますが、それでも女子選手の方が6〜7倍多いですし。

それに、「事実上 女性しかいない」点を対象としているのであれば、
なぜ「生まれ持った容姿で判断される女性」という話になるのでしょうか?
例えばソフトボールなども、大部分が女性のスポーツですけど、そこで容姿の話とか出てきます?
逆に言うと、「男子は野球&女子はソフト」「男子は応援団&女子はチア」みたいに棲み分けられてると、
「事実上 男性しかいない」競技も存在する訳ですが、男子選手に対する心苦しさも生じているのでしょうか?

> > と言っているようなモノで、何だか物凄く違和感が残るというのが、正直な感想です。
> そうですね、普通の感覚では理解されないと思いますし、なのでそれを大っぴらに主張したことはないですね。
> 私の言っていることは、究極的にはAKB48は容姿差別だ、と言っているようなものなので。

アイドルであれば、当然容姿も重要でしょう!?(笑)
もちろん、容姿さえ良ければ人気を獲得できるほど、甘い世界ではありませんが。
でも、スポーツ選手の場合、求められるのは競技者としての能力であり、容姿じゃないですよねえ?

例えば声優なども、本来であれば、容姿など関係無く、声や演技さえ良ければ良いはずです。
でも一方で、2008年に「美人すぎる市議」が流行語になって以降、ネットの普及や収益の多様化とも相俟って、
今の時代は、あらゆる分野において、特に女性の「アイドル売り」が進んでいるのは事実ですし、
そうやって注目度を上げ、人気の幅を広めている人が居るのも確かです。
そういう意味では、野球やサッカーの世界にも、女性人気の高いイケメン選手は居て、
それが一概に悪い事だとも、私は決して思っていません。
ですが、ファンの皆が皆、イケメン基準で選手を応援している訳じゃありませんし、
アイドル的な人気は、あくまで本業におけるサブの要素であり、
コアな人気を得るには、やはり本業での活躍は必須です。

あと、「普通の感覚では理解されない」との事ですが、
いや普通に理解できてると思いますよ。
だって、それって、滅茶苦茶ライトな「普通の感覚」そのものなので(笑)。
それこそ、五輪やW杯が、何故ここまで盛り上がるのか?というと、
4年に1度の特別感が、日頃は興味の無い一般のライト層まで巻き込むからであり、
その一方で、ライト層であるからこそ、プレーの中身とかは なかなか解りませんから、
「あの選手はイケメンだ!」とか、そういう所に食い付くのは、至って よくある話です。

もっと言うと、「何だか物凄く違和感が残る」と言っているのは、
そういう時だけ盛り上がる、ニワカの態度に対してのバッシングではなく、
マウントを取られる事を恐れて、「いや俺はニワカじゃねーし!」と強がっての発言が、
却って、対象者を傷付ける言動になっている事を、「好ましくない」と捉えている感じですね。

> それを言えばオタクコンテンツなんて究極の差別コンテンツですし、私がチアガールだけを非難するのは明らかに矛盾であると。
> ですが、チアガールを見ると私が辛くなるのも事実ですし、
> 可愛い女の子しか出てこないオタクコンテンツを楽しむことに、罪悪感があるのも事実なんですよね。

ルッキズムを否定しながら、自分自身もルッキズムに陥ってる・・・みたいな感じですか?
旧トルコ担当さんの中で、 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論が響き過ぎている印象を受けるのも、
旧トルコ担当さんから見た社会の世界観が、まさにホワイト革命の言説に合致するというよりは、
旧トルコ担当さん自身の価値観が、ホワイト革命の言説に合致するが故に、
社会の世界観の方も、ホワイト革命に合致するような見方をしている部分があるのかも知れませんね。

ただ、ここで1つ付け加えるとすると、
アニメとチアとで大きく異なるのは、アニメは架空ですけど、チアは実在するって事でしょうか?
例えば誹謗中傷をしても、アニメのキャラは心を痛めませんけど、チアは現実の人なので心を痛めます。
これはデジタル社会の弊害でもあるのですが、昔に比べると、人々の虚構とリアルの認識が曖昧となり、
また、何でも「コンテンツ」視して、「消費(消化)」する文化となった事で、
ネットの集団リンチに代表されるように、大勢が無自覚のまま、誰かを傷付ける事が非常に増えた気がします。

> まあ、だからこそ女性と付き合うなんて絶対したくないとw
> 容姿で女性を選り好みするのはやりたくないですけど、容姿で選り好みしないほど人間ができているわけでもないので。

いや〜、それは人間としての「出来/不出来」ではなく、
単なる経験不足から、理想像を膨らませ過ぎているだけなのでは?
それこそ、喪女ほど「白馬の王子様」症候群を拗らせるモノですしね(笑)。

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72