[スレッド全体]

[24115] 年を越しての長文返信(その3)返信 削除
2023/1/10 (火) 19:27:49 徳翁導誉

> > > 例えばソ連の成立や戦後の植民地の独立にしても、そういった出来事が起きれば、
> > > なぜそれが起きたのかを考えるのが歴史学だと私は認識しています。

> > まあ、学問的には「なぜ起きたか?」以上に、
> > 「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメインかも知れません。
> > 「なぜ?」を問うのは、文系よりも理系的な態度ですし、
> > 歴史には再現性が無いので、科学的に突き詰めていくのも難しいですからねえ。

> 経済学史の講義をとって、偶然マッハ主義というのを勉強し、
> > 「なぜ起きたか?」以上に、「何が起きたか?」「どう起きたか?」の方がメイン
> というのは、なるほど、と思わされました。ああいうのが科学なんですね。
> と言いつつ、私は物理学は高校レベルなのでマッハ主義は全然理解できていませんし、経済学に対する理解も全然ですが。

いや、マッハ主義だとか、そこまで言ってるつもりは無いんですけどね、私個人としては(笑)。
う〜ん、何と言えば良いのか、そもそも「科学」という単語が難しいのですが、
「自然科学」と「人文科学」と「社会科学」との、特徴の違いみたいな話をしてました。

あと、私たち自身は日本の文化で育っている為、ついつい見落としがちですけど、
欧米人の哲学や思想というのは、どうしてもキリスト教の影響を強く受けており、
彼らの主張を解釈する時、その大前提を欠いてしまうと、真意を見誤る恐れもありますね。
高名な物理学者とかであっても、欧米人だと なかなか、「神」の束縛から離れて物事を考えられないので。

> > あと、旧トルコ担当さんが商学部の学生であるならば、
> > 横軸で「人間関係」を取るだけでなく、縦軸で「経済状況」を取り、
> > そこから「幸福」の分布図を示してみると、
> > 人間社会というモノが、更に深く見えてくるかも知れませんよ(笑)。

> 嫌ですw
> そういう俗世の嫌な面を見ないためにオタクやって引きこもっているのでw
> そういったデータ(?)をどう捉えるかは人それぞれですが、私はそういうの見て辛くなりやすいタイプなので。

まあ、経済を上げたのは一例であって、別に何だった良いんですけどね。
要は、一元的な見方をするのではなく、多元的な見方をする方が、その事象をより正確に把握出来ますし、
もっと言うと、主観的に「思ってる」のと、客観的に「解ってる」のとでは、大きく違うという事なんです。
で、一般的な感覚だと、取り扱いやすいのは2次元の「平面」、出きる人でも3次元の「立体」であり、
「縦軸と横軸を取り、分布図で掴む」というのが、人間には最も理解しやすい方法であると。
(コンピューターで処理したり、数学的に偏微分を用いれば、変数が4つ以上でも対応可能ですがハードルは高い)

ちなみに、ここで一例として経済を持ち出したのは、それが重要というのも然る事ながら、
新自由主義な今の時代が、非常に経済至上的な社会になっており、
そんな時代に育った今の若い世代の価値観も、無自覚に、それが浸透しているからですね。
それこそ、「オタク文化と市場経済」の関係性などというのは、
20世紀育ちの古い世代の感覚からすると、とても疎遠であり、時には反発すらするモノでしたが、
21世紀育ちの今の世代の感覚からすれば、それはもう 凄く密接というか、一体化した感すらあり、
その新感覚は、古い世代から見れば下品とも映る一方で、古い世代には無い強味であると言えます。
例えば一昔前までは、同人活動で金儲け行為は嫌悪の対象であり、同時に苦手な人が多かったですけど、
金を稼ぐ事で、同人活動も上手く回していければ、そこにマネタイズの好循環が生まれるみたいな感じで。

言うなれば、今のオタク文化そのものが既に、
古い世代からすると、充分に「俗世」的ですし、「嫌な面」も多いのですが、
今の世代からすると、もうそれが当たり前なので、そこに違和感は無いんでしょうね。
でも一方で、「俗世の嫌な面を見ないためにオタク」という、旧来の「構図」は引き継いでいる所が、
何と言いますか、今の時代の特徴なのかな?という所もあります。

> そういう風にしてると知的な人にはなれないのでしょうが、そこまでしてなりたいとは思わないので。
知的・・・と言いますか、上記からも繋がる話となりますけど、
一昔前まではオタクの世界だって、と言いますかオタクであればこそ、
特定分野に対する深い知識や、周辺分野における広い知識が求められましたし、
そうした知の土台があるから、各自が独自の分析とかも行ってましたからね。
それこそ、以前にも書いた「ガンダム チョット ワカル」みたいな雰囲気で(笑)。

> > 言うなればショッピングモールとは、ショッピングをテーマにしたテーマパークですからね(笑)。
> > どんなに素晴らしい「夢の国」を作っても、その世界観から浮いてしまう客層も一定数は居ますよ。
> > まあ私の場合、人々の動線や見え方などの建築面であったり、専門店の各配置であったり、
> > そもそも客である以前に、観察者みたいな視点からモールを見ちゃうので、
> > 居心地が良いとか、悪いとか、そうした層からも更に離れた所にいる感じかも(苦笑)。
> > ある意味、居心地の悪さを感じられるレベルにさえ、到達できてないような人種ですので。

> ショッピングモールの建築は私も好きですよ(専門店の配置とかには興味ないですが、吹き抜けとかカッコよくて好きですね)。
> 常々ショッピングモールのプラモデルないかなあ、と探しているんですが、ないんですよね。
> 仕方ないのでパシャパシャ写真にとってます。

何だか話が逸れてしまいましたけど、ショッピングモールであれ、何処であれ、
そこに「居心地の悪さ」を感じるというのは、「居心地の良さ」を求めている裏返しでもあって、
何故そうした感情を抱くのか?となると、それは居心地を「意識」しているからなんです。
ハッキリ言って、最初から対象外を自覚している当人なら、そもそも意識すらしませんからね。
そういう意味では、その居心地の悪さの「正体」として、
その人自身の「羨望」や「憧れ」みたいな感情が、実は心の奥底に潜んでいるのかも?
(「嫌悪感」をオブラートに包んだ表現の可能性もありますけど・笑)

> > あと、私が陰謀論にハマらないのは、実に単純な話で、
> > 「それにハマっても、別に私は楽しさを感じないから」というだけの事ですね。
> > ムー大陸だとか、宇宙人だとか、知的プロレスである一昔前の陰謀論は楽しかったですけど、
> > ネットを媒介とする、現在の政治的な陰謀論というのは、まるで別物ですし。
> > それでも、陰謀論にハマって自慰的に気持ち良くなるのも、そういう人たちを利用して金儲けをするのも、
> > 私と関係無い、どこかの内輪だけで収まる話であるのなら、それは別に構わないんですよ。
> > ただ、そうした動きが社会に悪影響を及ぼし、日本を停滞・衰退させる要因となるのであれば、
> > 「次々と面白いモノ生み出す、活力ある日本」が好きな私としては、見過ごせない所があるのも事実かな。
> > 転勤族として育ち、明確な故郷を持たない私は、何だかんだで、世間の人よりも愛国心が強いですし(笑)。

> あるじゃないですか!!冷静でいられない事

んん!?
ここの「冷静でいられない」とは、私の事? それとも旧トルコ担当さんの事?
とりあえず、前者だと想定して答えますけど、
この文章の中に、私の熱が籠もっているというか、冷静で無くなってる部分って、何処かあります?
どちらかと言えば、旧トルコ担当さんの反応の方が、冷静さを欠いているような?(笑)

もっと言うと、「反論したい」心情が先行してしまい、「管理人も私と一緒」と思いたがり、
率先して文章の内容を誤解釈してしまっている印象を受けますね。
厳しい言い方をすると、それこそ、テニスの壁打ちにおける「壁」扱いされ、
旧トルコ担当さんから、私自身の存在が無視された感じとでも言いますか・・・・

> 私なんかは政治とか経済とかを意識し始めたころにGDP世界2位が中国になったので
> 「中国には追い付けなくて当然、日本は世界80億の中の1億に過ぎない」
> という意識が強いですが、やはり80年代90年代を生きていれば、日本の衰退を素直に受け入れられない心は多少あるんでしょうね。

う〜ん、それは何とも難しい所ですね。
確かに、「Japan as No.1」と言われた当時の日本を覚えている世代であるほど、
右肩下がりの時代となった現在の日本の状況を、寂しく感じる所は大いにあると思うんですよ。
とは言え、当時の日本は、「敗戦」を基本土台として築かれた社会だったので、
「日本は小さな国です」というのが、お決まりの自己紹介フレーズだったんですよね。

それこそ、「恒産なくして恒心なし」じゃないですけど、
バブル期の日本人に、驕りが無かったと言えば嘘になりますが、
でもまあ基本的には、人というのは上手く行っている時ほど心に余裕がある一方、
状況が苦しくなると、心まで荒んでくるのが世の常ですからねえ・・・・

そういう意味では、過去の栄光という「記憶」があるから、現状を受け入れられないと言うよりは、
「衰退」という状況自体が、人の心を追い込むので、素直に受け入れられなくなるんだと思いますよ。
実際、戦後昭和を知らない平成・令和の若い世代だって、
日本スゴイ論であったり、嫌韓反中な愛国論であったりに、ハマる人は大勢居ますし、
もっと言うと、今の日本社会がそうした風潮だからこそ、
その風潮の中で育った若者世代の方が、無意識にそれを擦り込まれてる部分もありそう・・・・

で、戦後昭和の世代が「素直に受け入れられない」所があるとすれば、
日本経済の衰退以上に、そうした日本人の民度の低下の方なのかも知れませんね?
例え経済が下り坂となっても、精神の方まで「貧すれば鈍する」とはならず、
「武士は食わねど高楊枝」といく事は可能でしょうし。

とは言え、反対に考えてみると、
この苦しい状況下でも、何とか日本が輝きを取り戻す道は無いか?と試行錯誤する行為は、
見方を変えると、「日本の衰退を素直に受け入れられない」行為になるのかなぁ?
それこそ「貧すれば鈍する」で、大きな変革は望まず、嫌韓反中な愛国論や、消極的な利己主義に走る方が、
ある意味では、「日本の衰退を素直に受け入れている」行為だとも言えるのかも知れませんし、
今更、右肩上がりの心意気を唱えるのは、「売り家と唐様で書く」ようなモノかも知れません・・・・
奇しくも戦後の日本も、昭和・平成・令和と来て、まさに今は3代目ですからね(苦笑)。

> 色々暗いこと書いていますが、管理人さんがこの掲示板に
> これらのことが相応しくないと考えられたなら、削除していただいて構いません。
> 削除されれば、それ以上同じことを書くこともありませんし、
> 部分的に削除されれば、ああその話題はまずかったんだなということで以後そうした話題には触れないようしますので。

いや、「暗い」とかは全く感じていなかったので、正直ちょっと驚いていたり(笑)。
でもまあ、今の時代だと、「真面目な話=暗い話」みたいな感じはあるんですかねえ?

また、ここの掲示板は「何を書いてもOK」というのが、20年以上続く基本方針ですし、
そもそも論として、個人的に読んでいて、眉を顰めるような内容も稀ですから、
削除するとか どうとかも、全く考えた事もありませんよ。
少なくとも、旧トルコ担当さんとの やり取りにおいては。
ただ一方で、旧トルコ担当さんの文章が長くなると、
長文癖である私の返信は、更に長くなってしまいますので、
適度にカットする必要があるとすれば、そちらの理由からかも知れません(笑)。

それこそ、これだけ長文化してくると、読む方も大変でしょうが、書く方も大変・・・と言いますか、
W杯や年末年始で長文返信を遅らせた事で、楽する味を覚えてしまった上に(笑)、
数日前から急に かすみ目の症状が現れてしまい、もし これが続くようだと、物理的にキツいかな?と。
なので長文の場合は、引き続き今後も、1週か2週くらい間を空けての返信になるか、
もしくは、同週に即座の返信を希望であれば、分割投稿にならない程度に、返信箇所をカットするかも。
(目安的には、投稿文が600行を超えると、容量的に分割が必要になるイメージ)
ちなみに旧トルコ担当さん的には、どちらの方が お望みでしょうか?

> 今ちょうど「マリア様がみてる」を読んでいるので、反動で若干鬱気味です。
> それを管理人さんの返信に対してぶつけるのも理不尽ですが、
> 管理人さんに言われたことに対してリアクションしようとすると、どうしてもこういう思考になってしまうので仕方ない(言い訳)。

まあ、それはそれで別に私としては構わないんですけど、
とりあえず、コチラとしても、こういう書き方をしたら個人的に損かな?という事も、
旧トルコ担当さんの今後に、何か役立つ事があればと、敢えて書いている部分もありますので、
反射的や感情的にでは無く、出来れば もう少し、文章の内容を咀嚼して欲しい所もあるかな?

いや、若い内は結構それが難しいのは、私自身も理解していますし、
我ながら説教じみた話をしている自覚も、充分に持っていたりはするんですけどね(笑)。


> > 先週末、たまたま本屋の新書コーナーで、
> > 「これは旧トルコ担当さん向きかな?」という1冊を発見(笑)。
> > ちょうど、ここでも話題にしていた、近年の「知識(教養)」観の変化を扱った本で、
> > 実例ではホリエモンも頻繁に取り上げられてましたから、一応オススメしておきますね。
> > 「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」
> > https://www.amazon.co.jp/dp/4087212335

> 『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』感想
> 本の主張自体には新規性があまりなく、面白くなかったです。ファスト教養が薄っぺらいのなんて、今さらでしょう。
> ただ、その補足として出てくる引用や、ファスト教養本が出てくるまでの詳細な時代の流れの解説は非常に面白かったです。一気読みしました。
> 小泉改革時代の雰囲気とか知れて勉強になりましたね。

「10分で答えが欲しい人たち」という副題に、イメージを引っ張られてますかねえ?
ああいうのはYahooトピックとかと同じで、著者ではなく編集側で、売れそうなタイトルを付けるので、
基本的には前述の通り、「近年の知識(教養)観の変化」が、この本のテーマだと思いますし、
だからこそ、旧トルコ担当さんがリアルタイムで知らない部分の記述こそ、
オススメとして読んでもらいたかった箇所でもありました。
逆に言っちゃうと、この本の著者とは同世代なので、私はリアルタイムで知ってる事ばかりで、
それこそ、特に新規性は無かったですからね(笑)。
(リアルタイムでのホリエモン評は、随分と甘いなという感じでしたが)

あと、リアルタイムで知ってる部分に関しても、
個々の事象に関しては、解っているつもりになっていても、
過去からの流れで、全体像として通してみないと、正確に認識できなかったりしますからねえ。
そういう意味では、「あ〜、知ってる、知ってる」と流すだけでなく、
せっかくの機会なので、改めて立ち止まり、考えてみるのも良いかも知れません。
何事でも そうですが、「解っているつもりで、実は解ってない」のが、最大の躓きポイントとなるので。

> ・自己責任という言葉が、小泉改革以前はマイナーな言葉だったというのは本当なんですかね?
>  私からすれば当たり前に使う言葉ですので、昔からあるものだと思っていましたが。
>  確かに、その語感からすれば、造語っぽくて、「自己責任」という言葉が突然出てきても、辞書引かずとも意味がスッと分かりそうな感じはします。
>  とはいえ、自己責任という言葉が本当にマイナーであったとするならば、00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中ということになりそうですが。

「自己責任論」に関しては、以前にも話したように↓本当ですよ。
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c24027
もともとある言葉でしたが、ここまで普及して、しかも社会的な価値観として根付いたのは、ここ十数年の話です。
そういう意味では、「00年代前半までの日本社会って今と全然違う世の中」というのは、まさに その通りでしょうね。
いや、私自身は変化を実体験してきた世代なので、実際には そこまでですけど、
今の価値観しか知らない世代だと、それこそ別世界のように映るかも知れませんね、00年代前半までの日本社会は。
戦前と戦後を分けるくらいターニング・ポイントが、2000年あたりにも存在した感覚ですし。
(もちろん、戦争のような強烈で明確なポイントでは無い為、それに無自覚な同世代人も非常に多いですけど)

と言いますか、この辺りの過去話は、私の話だけだと説得力に欠けるかな?という思いもあり、
この本を薦めてみたという事情も、実はあったりします(笑)。
ここ十数年の流れを振り返る上でも、簡潔に纏まっているように感じましたし。

> ・今大学生の私からは、ホリエモンみたいな自己啓発本って、昔からあるものだと勝手に思っていたのですが、
>  せいぜいここ15年程度の流れのものなんですね。
>  これは最大の発見でした。

いや、自己啓発本そのものは、昭和の頃からありましたし、平成前期でも人気でした。
ただ違うのは、その内容の方でしょうねえ。
もっと言うと、当時と近年とでは、背景となる日本の社会状況が大きく異なると。

以前の啓発本は、その人の気持ちを高ぶらせるモノであり、
言ってしまえば、司馬遼太郎などの歴史小説がよく読まれたのも、
啓発本的な側面があったからだと思います。
まあ、当時は社会全体が、行け行けドンドンな時代でしたから。
そういう意味では、今とは別種の自己啓発本は存在したものの、
「ホリエモンみたいな自己啓発本」という事であれば、確かに無かったかも知れません。
同じ人の同じ内容の本を買う行為も、ちょっとした「お布施」に似ていますし。

あと、時代の変化で言うと、1年1年の変化はジワジワしたものですけど、
15年30年と纏まれば、かなり変わってきますからねえ。
それこそ、平成の30年間でも、最初と最後じゃかなり違いますし、
今年で戦後78年(戦後昭和・平成・令和)となりますけど、
これは帝国期77年(明治・大正・戦前昭和)よりも長いんです。
逆に言えば、ここから15年後30年後の社会というのも、今とは相当違っているはずで、
例えば日本の人口は、15年後には1000万人、30年後には2000万人も減ってる予測ですから、
新しいモノは生まれないのに、あれが無くなり、これが無くなりという社会になるでしょう。

> ・AKBが新自由主義的という分析は非常に面白かったですね。
>  スマホゲームの課金なんかも、そういった時代の中で出てきたのだなと。

だからこそ、旧世代のオタク層は、秋葉原を荒らしたAKBが嫌いなのかも?(笑)
そもそも一昔前までは、オタクでも、職人でも、学者でも、表現者でも、
とにかく「道」に通ずるような人たちは、金儲けに繋がる事を蛇蝎のように嫌っており、
それこそ、新自由主義的な価値観とは、かなり相性が悪かったですからねえ・・・・

って、今の価値観の人たちから見れば、古い求道的な価値観など甘く見えるのでしょうし、
実際、当時の日本は世界でも一二を争う経済力があったからこそ、
そういった人々も、カネの事など意識せず、我が道を追求できてたのかも知れません。
逆に言うと、今は経済的に余裕が無くなり、世知辛い世の中になった事で、
アメリカのように(と言って良いのか?)、資金調達と探究創造が上手く噛み合えば理想ですけど、
でも現実は、全く上手く噛み合わず、国内での先細り&海外への流出って感じになっているのかな?

> ・ファスト教養を含めた自己啓発本を読む動機って、1つには中産階級から脱落することへの恐怖というのもあるのでしょうが、
>  もう1つにはキラキラ欲求というとがあると思うんですよね。

ちょっと前の言葉で言うなら、「意識高い系」ですかね(笑)。
と言いますか、「もう1つ」ではなく、意外とタイプ的に被ってません?
ただ単に、背景となる社会の方が、停滞の時代から、衰退の時代へと移行して、
その現れ方も、時代に合わせて変化&増加したというだけで・・・・

>  岡田斗司夫は評価経済社会が到来した、と今年くらいの動画で言っており、
>  私はこれを聞いた時「?」という感じだったのですが、
>  確かに、ホリエモンもおらず、オンラインサロンもなく、インスタ映えもなかった、
>  1995年(岡田斗司夫が評価経済社会の到来を予言した年)と比べて、
>  今の世の中は評価経済的というか、経済とは違うキラキラで人々が動く時代なんですね。
>  かくいう私も、そういう他人と比較し競争し続ける地獄から逃れるためにラノベの世界に入ってきたはずなのに、
>  結局ラノベの可愛い女の子と自分を比較して勝手に辛くなっているんですから、
>  時代精神からはつくづく逃げられないんだなぁと思います。

それは多分、新自由主義的な価値観で育った世代の宿命なのかも?
スキルアップ思考で経済的に成功しても、キラキラ欲求で承認欲求を満たしても、
結局はどちらも、不安感や不足感をスタート地点に、新自由主義的な価値観で動かされていては、
対象が経済か否かに関係無く、根本的な行動原理が一緒で、どこまで行っても逃げられないのでは?
意識的にでも逆らわなければ、どうしたって自然と、その時代の価値観に染められるモノですし。

それでも、時代の価値観と、自分の価値観が合致している間は、実はまだマシな方なんですよ。
更なる地獄というのは、時代の価値観の方は、10年や20年経てば変わるモノなのに対して、
人の価値観というのは、いったん形成されてしまうと、なかなか変える事が難しい所にあります。
逆に言うと、今の時代が今後もずっと続くと勘違いしていると、かなり大変な目に遭うと思いますよ。
例えば仮に、次の時代が反・新自由主義的な価値観の社会になったとしても、
新自由主義的な価値観が染み付いた世代は、時代とのギャップに襲われる上に、
自らを苦しめる価値観からも逃れる事が出来ないと・・・・

でもまあ、可能性的に言うと、次の時代はもっとキツイ時代になる確率が高そうですけどね(苦笑)。
とは言え、そこまで厳しくなると、次の世代は割り切って、辛さから逃れる術を身に付けてる世代かも?
今の世代は、時代的に変化の途上、しかも衰退期の始まりであったが故に、
いろいろとネガティブな方向へと、振り回されてしまった側面もあるのでしょうし、
そういう意味では、スキルアップ思考でも無い、キラキラ欲求でも無い、
それでいて不安から述べられる方法を切り開けるなら、大きな開拓のチャンスが眠っていそうですね。
私は、それが「楽しいの お裾分け」だと思ってますけど、果たして未来は どうなるのかな?

少し前までであれば、自分でカネを払い、自らが楽しむのが一般的でしたけど、
最近は、誰かが楽しむ姿にカネを払い、その楽しさを共有する人も増えてきましたし、
逆に言うと、上手く人々を巻き込めれば、今までよりも大きな楽しみの機会を得る事も容易になりました。
そしてこれは、必ずしもカネだけを媒介とするのではなく、労力も提供してもらう事で、
ネットも利用して多くの人を参加させられれば、かなり大きな事まで行える時代になりつつある気がします。
で、そうやって あげたり貰ったりするのが、モノやカネではなく、「楽しさ」という感情になるかな?と。

>  まあ、そんなことに夢中になれること自体が日本が平和である証拠なのかな?(ウクライナ戦争脳)
年末放送の「徹子の部屋」で、ゲスト出演したタモリが、
番組の最後に、2023年がどんな年になるかを問われて、
「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えた発言が、かなり話題になってましたけどね。

ウクライナ戦争を機に、台湾海峡へ向ける意識も俄然高まりましたし、
岸田総理の口からは、防衛費増税の声も出てきましたから、
日本人の「平和意識」という点では、昨年は大きな転換点でしたよ。
もっと言うと、そうした何となくの危機感は、より明確な危機を招く危険性を孕んだモノであり、
だからこそ、その起爆剤となる「陰謀論」が、本当に危険な時代へとなってきたんですよね。
戦争というのは、「片方が大バカをするか」or「双方がバカをするか」により発生する為、
良くも悪くも、それを後押しする民意というのは、本当に重要だったりします。

ちなみに、ウクライナ戦争に関しては、
一般的な報道に触れるだけだと、プーチンが大バカだったと見られそうですが、
今でこそ英雄視されるゼレンスキーも、開戦前の行動は かなりバカでした。
もっと言うと、それ以前にウクライナ国民やアメリカも、かなり やらかしてます・・・・
もちろん、そうは言っても、実際に開戦へと踏み切ったプーチンが、
ダントツで悪く、バカであった事も間違いありませんが。

> ・この本読む限りでは、ホリエモンの影響ってかなり大きかったんですかね?
>  日本経済の停滞に伴う下流転落への恐怖などの背景はありつつも、
>  彼がスタートラインになって現在の自己啓発系の流れができたのだとすれば、
>  日本全体にかなり大きな影響を与えたということですよね。
>  (まあ、それがホリエモンが意図したことではないのかもしれませんが)

正直、かなり持ち上げ過ぎな感じはしますよ、その点に関しては(笑)。
とは言え、あの頃のホリエモンが「時代の寵児」であった事は、紛れもない事実ですし、
良くも悪くも、当時の社会風潮を映す、時代の象徴であったかも知れませんね。
(今ではイメージし難いかも知れませんが、郵政選挙で当選した「杉村太蔵」も同じく寵児でした)

あとは、解りやすいでしょうから、敢えて下品な表現を続けてしまうと、
ある時からホリエモンは、「情弱を誑かして、カネを稼ぐ」という方法にハマり出して、
騙されるカモを増やす為、露出の機会を増やして とにかく目立ち、利益をエサに釣られる人を増やし、
で、それをやり過ぎた結果、証取法違反で捕まり実刑判決を喰らうに至り、
今では少人数の信者を相手に、以前と似た手法を繰り返していると言うか、もう戻れなくなっていると。
もっと言っちゃうと、そんなホリエモン自身も、実は上手く踊らされたカモの一部であり、
ホリエモンを利用する事で、捕まる事なく稼いだ人たちも、裏側に結構いた感じはしますね。

と、ここまでボロクソに言ってますけど(笑)、
出てきた当初のホリエモンの事は、私も決して嫌いじゃなかったですし、
出所後のホリエモンは、ちょっと人が変わってしまった感じもあるのですが、
ふと、ネットの昔話とかする時とかは、良い具合に毒気が抜けて、昔の感じが戻ったりもあるかな?
逆に言うと、それだけに、良いように踊らされ利用されるホリエモンの姿は、あまり見たくないですが、
でもまあ、そんなホリエモンだからこそ、時代の寵児に祭り上げられたのでしょうけどね。
もう少し賢く立ち回れれば、もっと成功できたでしょうけど、今ほど名は売れなかったでしょうし、
そして何より欠けていたのは、対象となるモノへの関心というか、愛情というか、熱量だったのかも。
だからこそ、対象が好きな層からは嫌われ、カネの匂いに釣られた輩ばかり周囲に集まった感じがします。

> 今、『マリア様がみてる』を読んでいるのですが、当たり前ですけどこの時代は土曜も平日なんですね。
> 学校での週5日制は90年代に始まったというのは知識としては知っていましたが、
> やはり小説の中でさらっと出てくるとちょっと戸惑います。

学校が完全週休2日制になったのは、2002年の事ですからねえ。
そして、私の世代はちょうど端境期なので、
昭和世代な私は土曜登校も普通でしたが、平成世代の弟は土日休みが普通でした。
(月1休み→月2休み→毎週休みと、いきなりではなく、順々に変化)
と言っても、土曜は半日なので(通称「半ドン」)、平日と呼ぶのも少し違うかな?
土曜日に限り、学校は正午まで、会社は午後3時までだったので、
日曜日よりも却って、友人と遊んだり、同僚と飲みに行ったりが多いのが、土曜日でしたね。

でも、逆に近年では、「土曜授業を復活」させる流れがあり、
進学校の高校では、完全週休2日制のままの学校の方が少なくなってますし、
授業時間の不足を補う為、今では公立の小中学校でも、土曜授業の実施校が3割近くになっており、
昨今のコロナ禍もあって、この傾向は更に強まる事が予測されてます。
ですから、今度は令和世代になると、
「平成の頃は、土曜日も休みだったんだ!」という反応になるかも(笑)。

実際、近年は夏休みが6週間から「5週間」に短縮されつつあり、
少し前までは、2学期の始まりというと9月1日でしたけど、
今では、8月から2学期が始まる学校が、一般的になってきましたからねえ。

> (マリみてのシリーズ第1巻は99年ですが、携帯電話が一切出てこないなどの背景から、
> マリみては基本的に80年代っぽい雰囲気なので)

いやいや、それは誤解だと思いますよ。
確かに、今では高校生がスマホを持つ事など当たり前ですけども、
携帯電話の普及率が5割を超えたのが2000年頃なので、当時の高校生はまだまだでした。
いや勿論、90年代も後半となれば、持ってる高校生は持ってましたが(特に格安のPHSを)、
進学校や名門校であるほど、学校への携帯持ち込み自体が、校則で厳しく禁止されてましたから、
90年代のお嬢様学校が舞台であるなら、携帯が一切出てこなくても、決して不思議ではありません。

そもそもスマホとは違い、単なる携帯電話じゃ、当初はネットも使えませんでしたし、
基地局も今ほど豊富じゃなく、電波だって弱いので、まともに使えないエリアも多かったです。
また、自分の部屋から電話をかけるだけであれば、90年代には固定電話の子機が急速に普及したので、
わざわざ携帯である必要はありませんでしたからねえ。
今みたいに定額料金じゃないので、使えば使うほど、結構な金額が掛かりましたし、
携帯は1日中いじっているような代物ではありませんでしたから、今のスマホ文化とはかなり違いますよ。

そして、2011年の東日本大震災を契機に、連絡ツールとしての必要性が認識されて、
子供のスマホ保有率・利用時間が劇的に急増し、学校への持ち込みや使用も急速に認められましたから、
(高校生のスマホ保有率は、東日本大震災後の1年間で、1割未満から5割超へと激変)
逆に言うと、90年代どころか00年代においても、校内でのスマホ文化は今ほどではありませんでした。
って、当時の状況をあれこれ語ってはみたものの、著者の年齢を考えると、
単に、学校生活での携帯利用が実体験として無く、イメージも湧かなかっただけの事かも知れませんが(笑)。

ちなみに90年代は、80年代からの右肩上がりな延長線上にあるので、
飲食や娯楽など、あらゆる分野で「店舗数が増えた」という違いはありますが、
それは単に、便利になったり、機会が増えたり、質が上がったりくらいの違いでしたから、
そこまで劇的な変化というモノは、両年代の間には乏しいかな?
強いて言えば、CDがバカ売れしていて、毎年10曲以上のミリオン・ヒット曲が生まれ、
若者世代でも、カラオケ・ボックスが盛況になった所でしょうか?

あとは、次世代ゲーム機戦争の結果として、若者年代のライトなゲーマー層も作られましたね。
それまではTVゲームって、多くは子供年代がメイン対象であり、若者年代は一部のマニアでしたので。
ちなみにアニメの方は、それから10〜15年くらい遅れて普及して、その範囲もゲームよりは狭い感じかな。
それと地味に大きいのが、平成の30年間で、物価は上昇したのに、小遣いの金額が半減した事でしょうか?
今では、少ない費用で やりくりする習慣が染み付き過ぎていて、
仮に、いきなり小遣いが倍額されても、すぐには使い道が思い浮かばないかも知れませんが、
自由に使える金額が2倍になれば、やれる事の幅は確実に広がりますからねえ。
そういった所から、一昔前との日本社会の違いを連想してみるのは、イメージを掴みやすい手法かも?


> 『ファスト教養』が大変面白かったので、そのまま『ゆるい職場』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BP7H4LNM/という本も読んだのですが、
> 『ファスト教養』と通じる部分が結構あり、大変面白かったです。
> 『ゆるい職場』の内容としては、
> ・(大企業では)この5年くらいでで職場がゆるくなっている
>  10年前であれば灰皿を投げつけられて、深夜残業も当たり前だった新入社員が、今では「親戚の子供」のように扱われていると感じている
> ・これは新入社員側の要因によるものではなく、法改正などの影響によるものである

あ〜、それは確かにあるでしょうねえ(笑)。
コンプライアンスの名の下に、何事も面倒事には関わりたがらない風潮が高まってますし。
とは言え、親戚の子供というか、腫れ物の触るような扱いでは、当人の為にならない事も?
それでも「敢えて指導」とはならないのも、余裕無き利己主義な時代だからかも知れません。
一昔前の社会であれば、親戚の子供だって、結構乱暴に扱ってましたし(笑)。

> ・こうした新入社員の扱われ方の変化から、会社が好きにも関わらず、スキルが伸びないことに将来に不安を覚え、転職する若手社員が増えている
それとは少し違うかも知れませんけど、安定的な終身雇用の時代であっても、
優秀な人材であるほど、スキルアップして、官庁や大企業から飛び出る事はあったんですよね。
右肩上がりの時代の頃は、給料を貰いながら、海外手当まで付けて貰い、
国や会社のカネで、海外の名門大学に留学するキャリア官僚やエリート社員は多く居ましたし、
そういう人材に限って、帰国すると、さっさと会社を辞めて独立してしまうと(笑)。
でもまあ、社会全体に余裕がある時代でしたから、「仕方無いヤツだ」と笑い話で済んでおり、
場合によって、人材を育てる為のボランティア的な感覚もあった気がします。

とは言え、バブル崩壊後の失われた10年で、そうした行為への風当たりも強まり、
しかも、まだまだ安定は期待されていた時代でしたから、
そういう「飛び出し」は、減っていったイメージがありますね。
そして、失われた10年が20年30年と伸びていき、今までは保証されていた安定も期待できなくなると、
以前のような向上心からではなく、不安感に駆られる形での「飛び出し」が増えてきた感じかも?

でもまあ、優秀な人材だから成功確率が高かった方式でしたけど、
不安と期待を煽られ、猫も杓子もとなると、良いようにカモられるケースは激増しそう・・・・
もっと言っちゃえば、そうした人々をターゲットにしているのが、
「ファスト教養」でも指摘されている、一連のビジネス・モデルなのでしょうね。
それこそ、昔からある「儲かる方法を教えます」みたいな話で、
実際に振り込んでみると、「あなたも私と同じ事をすれば良い」という返信が来るみたいな感じで。

> ・また、新入社員側も入社前から長期インターンシップや法人とコラボしたイベントの開催などの経験を持つ新入社員が増えており、
>  こうした優秀な人材ほどゆるい職場に不安を覚えて転職してしまう
>  曰く「最近の新入社員は下手な社員よりも、社会人らしいかもしれない」

まあ、それも良い面と悪い面がありますけどね・・・・
それこそ、「ファスト教養」の中でも引用されてた名言ですけど、
「すぐ役立つ知識は、すぐに役に立たなくなる」というのは真意でして、
そうやって、すぐに使える人材は、すぐに使い捨てされたりもすると。
アニメ好きであれば、声優業界が抱える闇から、ブラックな人材起用のイメージをしやすいのでは?

> ・全ての社員がそうした入社前のビジネス経験などを持つわけではないため、新入社員自体も多様化しており、
>  法改正の影響も含め、まっさらな白紙状態の新入社員に画一的な教育を行うこと自体が難しくなっている
> ・これからは新入社員同士の横の教えあいや、社外での経験、そして新入社員によって新入社員を教育していくしかないのではないか
> といった感じです

このまま、アメリカ型の働き方が定着していくのであれば、
従来の「新入社員」という概念が、そもそも無くなっちゃいますけどね。
アメリカだと、既に「できる人間」を採るので、できない人間を「教育」なんてしません。
「自身の努力」で身に付けるのは事実ですが、その努力の差が現状とは段違いで求められますね。
正社員待遇の中で、実地体験を積んでいくとか、アメリカ型は そんな生易しい仕組みでは無いので・・・・

> 確かに、私の知り合いにも同じ大学生でファッションブランドを経営している人が
> (特別という感じではなく)普通にいましたし(大成功しているとかいうわけではないですが)、
> 私ですらも商学部の中で、何回かビジネスプラン・コンテストに出たり、ビジネスプランを作る講座を受けたり、
> あるいは起業家の方の講演を聞いたりしましたから(150分×13回)、
> 割とこういうのって、最近の主流な傾向なんだなあと

ネットの普及は、そうした行動を凄く容易にしましたからねえ。
YouTubeやnoteなどで小遣い稼ぎをするのも、本当に簡単で身近になって来てますし。
そう言えば、何の本だったかは忘れましたけど、
「これからは、1人1人が個人営業のサービス業になる」みたいな事を言ってる人が居ましたね。
確か、「次のテクノロジーで世界はどう変わるのか」だったかな?

逆に言うと、ネットの普及以前では、バブル崩壊&失われた10年により、
ベンチャーや学生起業を焚き付ける言説に溢れていても、
実行に移すまでのハードルが高すぎて、しかも環境も未整備で、リスクも今より高かったですから、
ほとんど、掛け声だけで終わっていた所はありましたね。
とは言え、そこで訪れたITバブルに乗り、頭角を現したのが、
ソフトバンクの孫正義であり、楽天の三木谷であり、ライブドアのホリエモンでした。

今では、前者2名は大成し、ホリエモンが失墜しているのは、
経済界の事は詳しくないので、よくは解りませんけど、
「ファスト教養」の中でも指摘されていたように、ホリエモンの「露悪さ」が原因だったかも?
あの悪目立ちぶりは、ファンも多かった反面、無駄に敵を増やしてましたし、
当時から既に前者2名との差はありましたけど、もう少し上手く振る舞えていれば、
今みたいに落ちぶれず、もっと成功していた可能性はあったでしょうからねえ。

> これって『ファスト教養』の中で出てきたAKB48の話と一緒ですよね
> 新自由主義的な価値観が日本に浸透していく中で、終身雇用とセットで新入社員教育も崩壊していき、
> 優秀な人は学生のうちからドンドンビジネス経験を積んでいっていると

でもまあ、本当に優秀な人材なら、学生時代で日本から出てっちゃうでしょ?(笑)
世界の市場は日本の数十倍あり、ネットの発達で、海外進出のハードルが激下がりしている一方、
30年後には人口が2000万人減り、高齢者が5割近く占める日本市場は、ジリ貧なのが目に見えていますから。
もちろん、それでも1億人市場は それなりの規模なので、上手く立ち回れば、確かに方法は沢山あるものの、
同じ労力を払うのであれば、世界を相手にしてしまった方が、成功の確率はグッと上がるでしょうし。

> NHK:運動部に異変!?下がる入部率、あなたの都道府県は? https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221226/k10013920681000.html
> の記事によれば、運動部に入る生徒が減少しており、代わりにスポーツクラブに参加する生徒が増えているらしいですが、
> 今までの画一的な人生のあり方が崩壊する流れというのは、部活にも及んでいるようです
> 新入社員教育も、部活もコロナで大きく影響を受けていますし、
> 「アフターコロナは全然違う社会になる」というのは、私にもちょっと理解できたかもしれません(今さらですが)

う〜ん、その認識はちょっと違うかな?
と言いますか、旧トルコ担当さん自身が、都合良く解釈している部分もありそう・・・・

まずは部活動ですが、一昔前のような「強制入部」の仕組みが無くなれば、
当然ながら、部活に入る人の割合は減るでしょうし、
そもそも少子化の時代ですから、部活に入る子供の絶対数は減ります。
ですけど、野球なら最低でも9人、サッカーなら最低でも11人が必要なのは変わらず、
子供の絶対数の減少が、団体スポーツに与える影響は大きいですね。
逆に言うと、例えば卓球など、今までは人気薄だった個人スポーツの部員は、意外と増えていたりします。

また、スポーツクラブに参加する事も増えているのは確かでしょうけど、
そもそも論として、部活制度で上手く回っていた日本では、元々のスポーツクラブ数が少なく、
スポーツクラブが増え、部活が減ったと言っても、実数で比べたならば、如実に差があるはずです。
そして、今では少子化の影響や、顧問を任せられる教員の負担軽減で、選べる部活の数自体も減っており、
「クラブに入らなければ、好きなスポーツもできない」状況へと、変化している意味合いもあるです。
しかも、クラブは部活と違って営利事業であり、部活よりも優れた環境を提供される反面、
それ相応に費用も要しますから、結局の所、経済的に余裕のある家庭の子供しか利用しにくかったします。

例えば、野球のキャッチボールなんて、
一昔前までは、兄弟やクラスメイト、近所の子供たちと、遊びの中で自然と身に付けましたけど、
今では、公園はどこも球技禁止で、騒ぐな何だと外遊びできる場所が消える一方、
子供たちの絶対数も減っている上、放課後に外で一緒に遊ぶ機会も減っている状況ですから、
クラブに入り、そこでキャッチボールを覚えるというケースが、非常に増えているらしいです。
それこそ海外だと、ハングリーな環境から、スポーツで成り上がるようなイメージの人も多いですが、
しかし現実は、恵まれた家庭の子供が、優れた環境でスポーツを覚え、
恵まれない家庭の子供は、そもそもスポーツする機会が乏しい・・・という時代になりつつあるんです。
部活はクラブより質が低い問題点はありますけど、機会の豊富さは非常に大きなメリットだと言えますし、
「格差が広がった」事を見て、安易に「画一的な人生のあり方が崩壊」と評価して良いものか?

> ちなみに、本書の帯は「働きやすい会社をなぜ若者はやめてしまうのか」となっていますが、
> 私も以前やっていたスーパーのアルバイトは、店長はじめずっと「親戚の子供」みたいな感じで優しく接されていましたが、
> 「このバイトしてもあまり自分のスキルにならないな」と思い、コールセンターでのバイトに切り替えたんですよね。
> これってアルバイトではありますが、働きやすい会社に不安を覚えて転職するという行為そのものですね。

英語のことわざ「A rolling stone gathers no moss.(転がる石には苔が生えぬ)」が、
イギリスだと、「転職や転居を繰り返す人は、地位も得られず金も貯まらない」という意味なのに、
アメリカだと、「活発に動き続けていると、常に生き生きとしていられる」という意味になるのに近いかな?
日本の社会も、良いか悪いかはともかく、イギリス型からアメリカ型に変わりつつあるのかも知れませんね。

ちなみに、イギリス出身の人気ロックバンド「ローリング・ストーンズ」は、
恐らく、この ことわざからバンド名を取っているのでしょうけど、
イギリス本国だと、反骨心を現す意味での ことわざ引用のバンド名が、
アメリカに行ってしまうと、健全で上昇志向なバンド名に一変してしまうと(笑)。

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.72