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[24132] 文化・経済が繁栄した世界史上の都市(その1)返信 削除
2023/1/24 (火) 21:14:24 徳翁導誉

▼ 歴史上の豊かな時代や社会
> > それに以前は、全国各地に中規模の遊園地は数多くあり、好景気で無料券も かなり出回ってましたから、
> > 両横綱のディズニーとUSJが大勝ちしている現在とは違い、遊園地は もっと身近な存在だった気がします。
> > 私の記憶では、2000年を過ぎた辺りから、次々と遊園地が閉鎖されていったはずなので、
> > 逆に言えば舞台設定(?)である90年代後半なんて、遊園地の数が最も多かった時代でしょうし、
> > イメージ的に言うと、映画2回分くらいの感覚だったんじゃないですか、あの頃の遊園地って。

> ああ……そんな感じだったんですね。
> 豊かな時代だったんですね。

話的には少し脱線しちゃうかも知れませんが、前回の返信を書いた後、
人類史における「豊かな社会」に考えが及んでしまった為、半ば独り言で書いてみます(笑)。

【各時代区分の文化・経済が繁栄した都市ベスト12】

古代(前500年代〜800年代)
 1位:ローマ(ローマ帝国)
 2位:長安(唐王朝)
 3位:バビロン(新バビロニア王国)
 4位:洛陽(後漢王朝)
 5位:アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
 6位:アテナイ(デロス同盟)
 7位:コンスタンティノポリス(東ローマ帝国)
 8位:カルタゴ(共和政カルタゴ)
 9位:クテシフォン(ササン朝)
 10位:テオティワカン(古代メキシコ)
 11位:パータリプトラ(マウリヤ朝)
 12位:建康(東晋王朝)
※ 前600年以前のウル・殷墟・モヘンジョダロ・メンフィスなどは、比較が難しいので対象外 ※

中世(900年代〜1400年代)
 1位:バグダード(アッバース朝)
 2位:開封(宋王朝)
 3位:コンスタンティノポリス(東ローマ帝国)
 4位:大都(モンゴル帝国)
 5位:臨安(南宋王朝)
 6位:カイロ(マムルーク朝)
 7位:ヴェネチア(ヴェネチア共和国)
 8位:サマルカンド(ティムール帝国)
 9位:フィレンツェ(フィレンツェ共和国)
 10位:グラナダ(ナスル朝)
 11位:タブリーズ(モンゴル帝国)
 12位:京都(室町幕府)

近世(1500年代〜1800年代前半)
 1位:北京(清王朝)
 2位:イスタンブール(オスマン帝国)
 3位:江戸(徳川幕府)
 4位:アムステルダム(ネーデルラント共和国)
 5位:イスファハーン(サファヴィー朝)
 6位:ロンドン(グレートブリテン王国)
 7位:アグラ(ムガール帝国)
 8位:寧波(明王朝)
 9位:大坂(徳川幕府)
 10位:パリ(フランス王国)
 11位:リスボン(ポルトガル王国)
 12位:フィラデルフィア(グレートブリテン植民地)

近代(1800年代後半〜1900年代前半)
 1位:ロンドン(大英帝国)
 2位:パリ(フランス帝国)
 3位:ニューヨーク(アメリカ)
 4位:ベルリン(ドイツ帝国)
 5位:ウィーン(オーストリア帝国)
 6位:シカゴ(アメリカ)
 7位:サンクトペテルブルク(ロシア帝国)
 8位:東京(大日本帝国)
 9位:マンチェスター(大英帝国)
 10位:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
 11位:バルセロナ(スペイン)
 12位:上海(外国共同租界)

現代(1900年代後半〜  )
 1位:ニューヨーク(アメリカ)
 2位:東京(日本)
 3位:ロサンゼルス(アメリカ)
 4位:香港(イギリス特別領)
 5位:ロンドン(イギリス)
 6位:モスクワ(ソヴィエト連邦)
 7位:大阪(日本)
 8位:パリ(フランス)
 9位:シンガポール(シンガポール)
 10位:上海(中国)
 11位:ソウル(韓国)
 12位:ドバイ(UAE)

まあ、このランキングは、ほぼほぼ私のフィーリング評価なので(笑)、
特に下位の選考や順位に関して、いろいろと異論反論が出る所でしょうけど、
(同区分の同じ都市は、最盛期であった頃の国家を優先)
ですが各区分のトップ3は、頭1つ抜けた存在かと思うので、そこまで違いは出ないかと?

また、この中でも「庶民レベルまで繁栄を享受した」という視点であれば、
古代ならローマ、中世なら開封、近世なら江戸、近代ならパリ、現代なら東京が1位に来るかな。
カネがあるほど最高級を満喫できるのがニューヨークで、少ないカネでも楽しめるのが東京という感じ。
開封・江戸・パリなど、他の時代区分も順位が入れ替わってる所は同様かな?
そして、これは決して日本贔屓ではなく、客観的に見ても「1980〜90年代の日本」って、
「最盛期のローマ」と並び、庶民レベルでは人類史上においても、最高の社会だったと思うんですよ。
で、私も一庶民ですから、その時代を過ごすなら、総合順位よりも庶民レベル順位を重視したいと(笑)。

逆に言うと、異なる年代の最高値を一括に評価している為、この順位は現在も不動ではなく、
今後は東京だって、同じアジアの諸都市に追い抜かれても、別におかしくはありません。
少なくとも大阪の方は、あくまでも1970〜80年代の評価なので、もう既に陥落しているでしょうし、
(だからこそ、個人的に大阪維新の政治姿勢は評価しませんが、大阪都構想は応援してるんですよね)
学問の分野でも、20年前までは「世界トップ10の常連」だった日本の最高学府・東京大学が、
今ではアジア各国の一流大学にまで抜かれ、「世界の地方大学」と化しつつありますからねえ(泣)。
そして、経済や文化の分野に関しても、勢いの衰えは言わずもがなであると・・・・
だからこそ、何とか立て直して欲しい思いはある一方で、民意がそれを望まないなら仕方無いとも考えてます。
そうやって人類の歴史は、再興や栄枯盛衰を繰り返してきたのでしょうし。

> > 上記の通り、40年前の2.5倍、30年前の2倍、10年前の1.5倍と、入場料は かなりの値上がり幅ですが、
> > それだけに、ディズニーに行く「特別感」というのは、以前にも増して高まっているかも?

> 卒業旅行でディズニーに行く、みたいな話をクラスメイトがしていたような、していなかったような。
> なので、やはり遊園地の特別感は高くなっているんでしょうね。

まあ、住んでる地域にも拠るのでしょうけど(関東だと日帰り先なので)、
卒業記念にディズニーランドというのは、昔から結構ありますよ。
クリスマスが終わった冬休み明けから、春休みまでの間って、
寒い上に、季節のイベントも乏しいので、もともと閑散期だったりしますから、
ディズニーランド側も、卒業記念の客を呼び込む努力はしてますからね。
とは言え、入場料も高くなってますから、やはり特別感は高くなっているのかも?

あとは、昨今のコロナ下だと、以前のように「卒業旅行は海外」という定番も減っているでしょうし、
そうなると、学生が国内旅行するとなると、結局は行き先的に、
東京観光でディズニーにも寄るか? 関西旅行でUSJにも寄るか? の2択が増えていそう。
若い頃で、しかも団体でとなると、渋い旅行先は なかなか選ばれないでしょうし(笑)。

> > 一昔前だと、「暇はあるけどカネがない」のが大学生で、
> > 「カネはあるけど暇がない」のが社会人という感覚でしたから、
> > それだけ貯金があるなら、時間がある内に いろいろ体験した方が良い気もしますけど、
> > 今はそういう感覚では無いからこそ、学生の時点でそれだけ貯められるのかも?

> それはもう、本気で将来が不安だからですね。

であるなら、時間もカネもある内に、勉強をしておくというのも、
長い目で見た場合、コスパやタイパ的にも良いのかも知れませんけどね。
東大医学部のクイズ王として知られた、河野玄斗の この発言↓がバズった事もありましたし。
「1000時間勉強して将来の年収が100万円上がる場合、勉強の時給は100万円×40年÷1000時間=時給4万円になるよ」

あとはまあ、仮に同じ時間働いても、大学生と社会人とでは稼げる額が異なる為、
学生時代は必要以上に貯めて、時間を消費してしまうよりも、
必要な分だけ稼いで、あとは貴重な時間こそ有効に使うという意識が、以前は高かったかな?
特に、1人ではなく複数人で行動を共にしようとすると、社会に出ると学生時代のように容易じゃないので。
それこそ、野球は最低でも9人、同じくサッカーは11人必要なので、
やはり卒業後は雲泥の差というか、ほぼほぼ「観戦専門」になっちゃいましたからねえ。
個人的には、見るよりもプレーする方が好きですが、ハードルが上がりまくりです(苦笑)。

> 貯金が目的というより、低い生活水準に慣れておきたいというのが大きいですね。
> まあ、そんなことしたところで、本当の貧困時代がやってきたら無意味かもしれませんが。

と言うよりか、失われた30年の間に、日本社会で「カネを使わない」文化が根付いてしまった為、
既に「低い生活水準に慣れて」しまったが故に、使う機会も乏しいまま、結果的に「貯金」になっている印象も?
あと「本当の貧困時代」と言うか、例えば台湾有事や朝鮮半島有事により、日本の食糧不足が深刻となった場合、
戦後とかもそうでしたが、そこで役に立つのは、貯金以上に農地なのかも知れません。

> ちなみに、管理人さんのおすすめの「時間がある内に いろいろ体験した方が良い」ものって何かありますか?
> 人それぞれ好みがあるので、自分が今やりたいことをやるのが一番かもしれませんが。

う〜ん、具体的にどれくらい時間があるかで、話は変わってくるかも?
例えば、何かを学んだり身に付けたりしようとしても、どれくらい時間を取れるかで違いますし、
「失敗できるのは若い内だけ」とは言っても、失敗の許容度も人それぞれでしょうから、
それこそ「やりたいこと」となると、人ごとに千差万別でしょうからねえ・・・・

まあ私の場合でしたら、「もっと旅をすれば良かった」という後悔はありますが、
旧トルコ担当さんはアウトドア派じゃない気もしますし、まだ現在はコロナ下ですので、これは難しいのかな?
「人との付き合いを増やしておけば良かった」とか、「もっと皆で遊ぶ機会を増やせば良かった」というのも、
恐らく今の旧トルコ担当さんには、あまり響かないでしょうし、
あとは、大学の施設とか図書館を使える内に、もっと勉強しておけば・・・って事ですかねえ。
他には、時間とカネに余裕があったなら、留学や世界旅行、五輪やW杯の観戦ツアーとかも。

また、逆に旧トルコ担当さんの好みを想定して、提案するとすれば、
今までは好みのジャンルじゃないと手にしてこなかった、アニメ・漫画・ゲーム・小説の名作を、
とりあえず触れまくってみると言うのは、現実的な選択肢として、どうでしょうか?(笑)
それで新しいモノを見えてくるかも知れませんし、
そこまでやった上で、「やはり合わないな」となれば、それも1つの収穫でしょうから。
少なくとも、食わず嫌いで決め付けて、名作に触れる機会を減じてしまうのは惜しいかと。
可処分時間が減れば、そうした挑戦は尚更困難になるでしょうし、感受性も落ちてくる可能性が高いので。

あとは、ガンプラを作ってみるとか、聖地巡礼の旅に出てみるとか、
自分の好きな分野に付随する方面にも、幅を広げてみるとか?(笑)

そして、インプットを重ねたら、その後はアウトプットという事で、
自分なりの「オタク論」を纏めてみるとか?(笑)
論文じゃないですけど、しっかりしたモノを書こうと思えば、時間も気力も知識も必要になってきますし、
ともかく叩き台であっても作っておけば、社会人になって以降も加筆や修正をしていく事は可能ですから。
で、これは別に論説だけに限らず、作品であれば何だって良いかも知れませんね。
少なくとも私の経験や伝聞上、年齢を重ねるほど、大作を仕上げるのは困難になる傾向は強いので。

> > それこそ、前回も述べましたけど、私の小中学生の頃なんて、全く活字に触れてませんでしたけど(笑)、
> > でも今の小中学生って、ラノベとかが豊富な影響か、本を読む子の割合が増している印象があるんですよ。
> > よくよく考えてみると、ネットってYouTubeみたいな動画コンテンツも多いですけど、
> > SNSを始めとして、様々な記事など、未だに活字コンテンツの多いですから、
> > ネットに触れる機会が多いと、必然的に活字に増える機会も増えて、
> > 一昔前の子供にありがちだった、活字アレルギーみたいなモノを起こし難いのかも?

> ラノベは読書の入り口になるから、全小中学校は図書館にラノベを置くべき、と私は考えていたのですが、
> 案外これは当たっていたということかな?

と言いますか、既に小学校の図書館とか、かなりラノベが並んでますよ(笑)。
マイクラとか、星のカービィとか、人狼とか、
日頃、自分が遊んでいるゲームを題材にしたノベライズ版とかが、結構好まれているかも?

> あと気になるのは、それまで中高生向けに書かれていた小説が、
> 若者のオタク化と活字離れの中で、急速にラノベの中に取り込まれていった、
> という側面もあるのかなあと考えているのですが、管理人さん的にはどう思われます?

そうですね。
全てがラノベに取り込まれ、そしてラノベも多様化した面はあるかな?
でもまあ、結局の所は「呼び方が変わっただけ」とも言えるかも知れませんが(笑)。
それこそ「オタク」という単語にしたって、今ではファンやマニアまで幅広く内包してますし、
一昔前は鉄っちゃんやカメラ小僧と言われてた人たちも、今では一緒くたにオタク呼びですからね。

> > やはり、経済が発展して様々な面で余裕が生まれないと、文化の発展は無いと思いますし、
> > 社会が最低限の生活を満たせば、文化が発展していかない限り、経済が発展する伸び代も生まれないと。
> > そういう意味では、80〜90年代の日本というのは、ゲームやアニメなど多種多様な文化が花を開き、
> > 00年代に普及したネットも、2chやニコ動など新たな文化を生み出しましたけど、
> > 10年代以降というのは、文化的に新たなモノが生まれなくなってしまったと思うんですよ・・・・

> 前にも話したので、もう一度話しても平行線にしかならなそうですが、
> 個人的には経済的豊かさが無いと、文化が発展しないというのは極端だと思います。
> 私の場合、好きな作品の半分くらいはネットの無料のコンテンツですし。

これも結局は、「客観論と主観論」や「二元論と多元論」の違いなんじゃないですかねえ?

> マリみて読んでると、いつもカメラを持ち歩いて写真撮ってる写真部の方がいて、
> ああ女の子の写真好きは今のインスタに始まったことではないんだな、と思ったのですが、

少し話は逸れますけど、個別ではなく、全体的な傾向として、
男性は「モノ」を撮りたがり、女性は「その時」を撮りたがるとか、
男性は「見せたい」思いが強く、女性は「見られたい」思いが強いなど、
一口に「写真好き」と言っても、実は男女でも意外と違っている気がするんですよ。

で、写真部の女子部員となると、果たして好み的に多いのは、どちらなんですかねえ?
もっと言うと、カメラ女子がインスタに上げる写真と、インスタ女子がスマホで撮って上げる写真は、
同じ「女の子の写真」ではあっても、ひょっとしたら意味合いが違うのかも知れませんよ?

> 2chやニコニコを新たな文化と認めつつ、インスタグラムとか、SNSを新たな文化として認めないのって、
> 管理人さん的にはどういった基準なのでしょうか?

これも今までに、ゲームやアニメのジャンルに関する話を用いて、何度か説明してませんか?
詳細に語ると、同じく「文化」と言っても、例えば「日本文化」と「若者文化」とでは規模が異なるように、
ここで言う「文化」が小さな規模を指すのであれば、インスタやSNSだって当然、新しい文化とは言えますよ。
でも一方で、ここでの文脈としては、「ネット文化」という更に一段高い意味で用いてますから、
その場合においては、インスタやSNSは、もちろん影響力はありますが、分野として奇抜な新しさは乏しいかと。

って、こういう話し方だと、なかなか上手く伝わらないと思うので、もう少しイメージしやすく話すと、
例えばアイドル・グループでは、1期であろうと、2期や3期であろうと、1人1人は確かに新たなアイドルです。
もちろん、グループが人気を得てから加わった、2期や3期のメンバーの方が、
確かに、容姿が良かったり、ダンスが上手だったりするかも知れません。
しかし、グループの立ち上げに参加した1期メンバーの方が、高い人気やインパクトを誇るモノであり、
それは何故かとなると、1期は個々人だけでなく、グループ自体も「新しい」からなんです。
そしてこれが、ハロプロであればモー娘だったり、48グループならAKBだったり、坂道であれば乃木坂だったりと、
グループとしてだけでなく、機軸としても「新しい」モノであれば、その傾向は更に強まります。
ですから、誤解を恐れずに、物凄く簡単に言ってしまうと、
ネット文化において、2chやニコ動は1期メンバーであり、LINEやインスタは2期メンバーって事ですね(笑)。

別の言い方をするなら、「イノベーター理論」みたいな感じでしょうか?
客層には主に5つのタイプがあり、何か新たな商品やサービスが登場した場合、
誰より先に切り開く「イノベーター(先駆者)」が全体の2.5%、
食い付く判断の速い「アーリー・アダプター(早い採用者)」が13.5%、
早めの大衆層である「アーリー・マジョリティー(早い追従者)」が34%、
遅めの大衆層である「レイト・マジョリティー(遅い追従者)」が34%、
最後まで追随しない「ラガート(保守層)」が16%という感じに定義されますが、
ネット文化を1つの産業として捉えた場合、
パソ通がイノベーターであったなら、2chやニコ動はアーリー・アダプターで、
LINEやインスタはアーリー・マジョリティー、Clubhouseがレイト・マジョリティーというイメージ。

で、この理論だと、イノベーターとアーリー・アダプターを合わせた「初期市場」16%が、普及への鍵を握っていて、
アーリー・マジョリティー以降の「メイン市場」との間には、大きな溝(キャムズ)が存在するとされており、
まあビジネス的に言えば、如何にして初期市場を掴み、メイン市場へと橋渡しするかが注目されますが、
私自身は単なる消費者の立場なので、活気ある初期市場の方が面白さが多いというだけです。

> 追記:2chは確かに新しい文化だったのでしょうが(それ以前にパソ通とかあったとはいえ、規模が違うと思いますし)、
> ですがニコニコの新しさ度ってそこまで高くないでしょうし、
> ニコニコが新しくて、インスタが新しくないのって、何?

ニコニコ動画の場合、ネット上で動画を楽しむという意味では、
「gifアニメ」→「Flash」→「ビデオCD(mp2)」→「YouTube」と進んできた訳ですが、
ニコ動が画期的であったのは、テレビ番組風に言えば「視聴者参加型」だったからなんです。
これにより、擬似的ではあっても、双方向のやり取りが可能となりましたし、
つまらない番組も、笑い声が入ると面白くなるように、ただの動画にスパイスが加わる感じもありました。
言うなれば、肉に振るスパイスを求めた欧州人の行動が、世界史を一変させた感じ・・・というと過言かな?(笑)
中国動画の「bilibili」であったり、英語動画の「Twitch」チャット弾幕とかの存在を見ると、
ニコ動が世界に及ぼした影響と、元祖である日本での現状が、いろいろと綯い交ぜになって感じる所はあります。
あとは解りやすく言うと、「日本から世界へ」と「世界から日本へ」の違いもあるかな?

また、そういう意味では、昨今のYouTubeやABEMAの人気や影響力というのは、
当時のニコ動に比べても、非常に高いモノがあるのは事実ですし、それも大きな変化としては変化なのですが、
でも中身的には、BSやCSのチャンネル数が爆発的に増えたのと、そこまで違いはありませんし、
視聴者がテレビ的な受け身に戻った事を思うと、大きな意味での「新しさ」はニコ動の方が上かな?と。
もちろん、規模が大きくなればスケール・メリットも活かせるので、それで新たに出来る事もありますし、
別にYouTubeやABEMAなどを、過小評価している訳ではありませんよ。
私だって存分に享受してますからね。
言うなれば、視聴者も異なる立場の参加者であり、共に作り上げる事が出来たのがニコ動で、
それが旧来型の、視聴者がお客様タイプに戻ったのが、昨今のYouTubeであり、
それでも直接的な上客が増える事で、作れるモノの数は増えてるって感じですかねえ?

ちなみにインスタに関しても、その影響力や普及度を軽視するつもりは、全くありません。
ですけど、ネット上に「画像を貼る」という行為は、本当にそこまで「新しい」のでしょうか?
確かに、「あの規模で」というのは同分野には無かったですけど、
でも、2chであれTwitterであれ、ネット上の別分野では既にありましたし、
もっと言うと、ネットがここまで普及し、生存競争も起きた結果、寡占状態になるのはどこも一緒でしょ。
そう考えると、逆にお尋ねしますけど、「インスタならではの新しさ」とは、一体 何なのでしょうか?


▼ 人間関係について
> > > まあ後、管理人さんの結婚の話に賛成できないのは、日々接している年上のオタクの人たちから、
> > > 管理人さんがおっしゃるような悲惨な感じを受けないからなんですよね。
> > > なので、できれば具体的な例とか出してきてほしいんです。
> > > といいますか、おそらくこういうことを書いているという時点で、
> > > 管理人さん自身が老いによる一人の楽しさの減少を感じているはずですし、
> > > 管理人さんの話でも私は全然その方が実感わきそうです。

> > 解りやすい所で言うと、このサイトの現状が全てじゃないですか?
> > また、本を読むだとか、アニメを見るだとか、それだけでも本当に気合いが必要で、
> > そこまでしても、昔のように のめり込む事は全く出来なくなりました。
> > あれだけ情熱を注いだ野球やゲームも、縁遠くなってから10年以上が経ちますし、
> > 日常的に出入りし、時には投稿まで行っていた2chやニコ動も、今では覗く事すら ほぼ無く、
> > 読書は半ば義務感が伴っており、アニメ視聴も配信をいう新たな環境を得るまで7〜8年と止まってました。

> そんな感じなんですか……
> ちなみに、ネットも読書もゲームもアニメもされないのであれば、
> 普段の時間ってどんな感じで過ごされているのでしょうか?

いや〜、特に何かをしている訳でも無いのに、知らぬ間に時間が経ってたりしますよ(苦笑)。
って、これだけでは答えとして不十分でしょうから、何か具体例を挙げるとすれば、
録画した番組を「いつかは見ないと」と、HDD上でリストを巡りながらも、結局は見なかったり、
特に自室のテレビを買い換えて、それで簡単にネット配信が視聴できるようになって以降は、
無駄にYouTubeでショート動画を何本か見ていたら、気付いた時には1時間とか経ってる事はあるかな。
(以前はボーッとする時でも、BGM替わりに放送大学や国際ニュースあたりを垂れ流してたのに・苦笑)
でもまあ今の若い子も、タイパだ何だと言いつつ、TikTokで1〜2時間とか平気で溶かしてません?(笑)

あとは、外の空気が吸いたかったり、体を動かしたかったりするので、
散歩やウォーキングをしたり、たまにはジョギングをしたりとかかな。
また、これは走りながらだと難しいですけど、特に歩いてる程度の負荷の時は、
いろいろと考え事をしたり、ちょっとした景色に目配せしたりもしてますね。
コースとしては、街中であったり、木々の多い公園であったりと様々で、
こうして環境を変えつつ、体と頭と心を整えてるのは、結構重要な時間のようにも思います。

ただ一方で、ネット配信に時間を奪われてる影響で、白紙と鉛筆で何か落書きする機会は減ってますね。
この落書きは、それこそジャンル関係無し混じり合っているので、意外に発想の種となり、
私の場合、ゲーム作りも動画作りも、こうした落書きからスタートする事が多いので、
そうした手を動かす時間が減った事も、サイト更新に支障を来している要因のような気がします・・・・
それと、私はコツコツ・タイプではなく、テンションが高まった時に一気に進める気分屋タイプなので、
気力的なダウンの影響は、もろに受ける傾向が強いかも知れませんし、
逆に言うと、コツコツと続ける人の方が、何事も、緩やかに落ちても長く続けられるかな?

> あと、欲を言えば、これが夫婦だとどんな感じになるのかも知りたいところ
> (子供がいると活力を分けてもらえるのは感覚的にわかるので)。

う〜ん、この辺りは私の哲学的に、非常にシンプルなんですよねえ。
「人は多い方が良いし、活気がある方が良い」ってだけの話で。
だからこそ、1人よりは2人の方が良いでしょうし、子供もいれば尚良いと。
もっと言えば、私の主張の結論としては、「子供が居た方が良いと思うよ」という事であり、
その前提として、「相方が居た方が良いよね」という話であったりもします。

つまり、「AI娘を望むくらいなら、リアル娘が居るの方が、遥かに良いはず!!」って事ですね(笑)。
そして、今からであれば、そんな諦めるような話でもなく、
充分に有り得る未来像であろうと。
逆に言えば、ここから10歳20歳と年齢を重ねると、非常に難しくなりますし、
今はまだ親という家族が居ても、親だって いつまでも居る訳では無いので。

> 私の父はスマホで将棋して、ようつべでゆっくり解説動画見て、母は寝っ転がってTVとスマホ見てますね。
だとすると、お父様と話が合うかも知れませんね(笑)。
私も将棋は見るのも指すのも、嫌いじゃ無いですし、
YouTubeで ゆっくり2chまとめ動画とか、見たりしますので(笑)。

> > いや本当、ここへ来て急激にメンタルをヤラれたり、体を悪くしたりするヤツは多いです・・・・
> > 統計的に、単身男性と同居男性は平均寿命が15歳くらい違うって話を聞いた事がありますが、ちょっと納得します。
> > もっと言えば、元気に活動を続けられる人ほど、あれこれ世話を焼いてくれる人が居る既婚者が多そうなイメージ。

> 何かの統計の本で、男は妻に先立たれるとすぐに死ぬ、みたいな話があったかな。
> でもこの理論で行くと、結局は寂しがりやな男がダメで、女性っぽい交友関係を作る方が断然お得、という結論になりそうですが。

そうですね(笑)。
実際、単身女性と同居女性の平均寿命は、そこまで大きくは違わないそうなので。
そして、サブカル系のコアなオタクになるほど、男性が多く、1人の世界を持ちたがるイメージがあり、
逆に言うと、女性っぽい交友関係を作る人には、コアなオタクはあまり居ないイメージがあると。

> > また、そもそも論で言っちゃうと、「俺ガイルが心に刺さる」という時点で、
> > 私の感想からすると、「それって普通に、彼女とか友人とか本当は欲しい人でしょ?」と映るんですよ。

> 友達(?)が欲しいですけど、人と一緒にいて楽しめないのも事実です。↓が参考になりますかね?
> > > ラノベのストーリーはいくらでも覚えているのに、自分の人生のことはなんにも覚えていないオタクの末路じゃんw
> > 旧トルコ担当さんの高校時代って、わずか数年前の事ですよね!?(笑)

> 何も思い出せないですねえw
> 本当に人生のすべてをオタクに捧げているので
> といいますか、基本的に私の学生時代って辛いことばかりでしたし、覚えていないという受動的な現象ではなく、
> 思い出したくないから、積極的に思い出さないようにしている、という感じなんですよね。
> 高校時代は、そこまで辛くはなかったですけど、小中はやはり地獄でしたし。
> 普通そういう奴らは、オタクだけのサークルとか作って楽しくやるんですけど、
> 中学でも高校でも、結局そっちには行けなかったですし。

となると、前回のこの発言↓って、どうなのでしょう?
> > > かぐや様は告らせたいの石上くんは「小学生のころからやり直したい」と言っていますが、
> > > 私はやり直したとしてもこの人生しかないことを知っているので、

例えば、天国のようであったり、少なくとも地獄ではない小中学校であったなら、
また別の可能性だって、充分に有り得たという事にはならないのでしょうか?
旧トルコ担当さんも転勤族であったのなら、どんな転校ガチャを引くかは運次第でしょうし。

> > > ちなみに、現在管理人さんが言われていることは、年取ると楽しみが減るから、その対策として、ということでいいんですよね?
> > > 体力が落ちて生活上不便になるということであれば、私も素直に婚活でも何でもして、
> > > 同じような不安を抱える女性と契約的な結婚でもしますが。

> > まあ、単純な話では無いので、そこは諸々含んでの話になっちゃいますけどね(笑)。

> 諸々含んで、ということであれば、まあ正直結婚も視野に入れていいかな、と思いますね。
> 子ども持たないのであれば、お金もかかるわけではないですし。

う〜ん、私が言う「諸々」の中には、「子供を持つ」というのも結構含まれているんですけどね。
女性と違って男性の場合、なかなか現実的に「未婚の父」というのは難しいですし、
人間がいくら高度に文明化した所で、群れを作り、子孫を残そうとする動物である事は変わらないので。

> あと、実は周囲にアニメなりゲームなりを勧めてくれる人みたいなのも重要なのかな?とは感じました。
> 私も岡田斗司夫のYouTubeでコンテンツの幅は広がりましたし、
> こういうのがあるよ、とか、こういうのが面白いよと言ってくれる人がいるのは、
> 探す体力が無くなってくると結構重要なのかな?

それこそ、そういう視点から語るのであれば、嫌な言い方かも知れませんけど、
リアルの友人や恋人というのは、情報源や動機付けには「コスパ最強」なんじゃないですか?(笑)
例えば勉強でも、どんなに優れた名著があっても、それだけでは基本的に一方通行であり、
それを教材として用いた、先生とのマンツーマン指導や、仲間同士の自主ゼミには勝てないと!!
そして、ネットだとリアルの情報量はかなり削ぎ落とされ、文字情報オンリーだと尚更なので、
私との会話も、ネットではなくリアルであれば、互いに今の10倍くらいは情報量を得られる気がしますからね。

また、「自分の幅を広げよう」と思える内は、まだまだ元気な証拠であり(笑)、
これが次第に、自分自身の限界も見えてきて、気力も体力も落ちてきた時に、
最も簡単な方法は、まだまだ成長過程の人に、自分の知識を分け与える事だと思うんです。
実際、創作活動の一線から退いた人の中には、布教活動や支援活動に転ずる人も多いでしょうし。

> 追記:おじさんミリタリーオタクの方のHPとか見ると、もう結構いい歳だろうに、いまだに英語の分厚い戦史本とか読んでいますし、
> やはり年取ってオタクを楽しめなくなる、というのはまだ私の中でリアリティに欠けますね。
> 岡田斗司夫も全然ぴんぴんしてますし……(いや、あの人は色々変わった人なので比べてはいけないのでしょうが)

何度も言っていますが、「絶対に居ない」と言っている訳じゃありませんよ!!
「そう出来る人は案外少ない」という話をしているだけなので。

解りやすく言えば、例えば1万人に1人レベルの人材の場合、
リアルであれば、数万規模の市でも数人の存在で、なかなか巡り会う機会は無いかも知れませんが、
これがネットだと、日本国内に1.2万人いる計算なので、巡り会える可能性は結構高いです。
ですが現実的に考えて、「本当に自分も、その1万人に1人レベルの人材なの?」って所ですよね。
また、ネット上で見える1.2万人を注目する事で、そこから零れる大多数を見落としている部分もあるでしょうか?

それこそ「リアリティー」という話で言えば、
中高年でもバリバリにオタク趣味を続けている人よりも、
バリバリのオタクでも結婚をしている人の方が、圧倒的に多いと思うんですよ!!
そういう意味では、「客観的なリアル」と「主観的なリアリティー」の間に、大きなズレがあるのでは?

> > > ふとTwitter見ていて思い出したのですが、私の容姿に関する正義感はオタクバッシングから来ているんですよね。
> > だとすると、デブやブサイクに対する旧トルコ担当さんの嫌悪感は、一体どこから来るのでしょうか?

> いや、私はデブやブサイクに対する嫌悪感は無いですよ。
> 本当に、デブやブサイクだと本当に人権が無いのを中学で見てきたので、あの地獄では自分は生きていけないと思っただけです。

なるほど、これは完全に私の誤解でしたね。
とは言え、こうした状況説明も一切無いまま、
いきなり「自分がデブやブサイクだったら生きていけない」では、
状況を知らない第3者には、その通りの意味でしか伝わりませんよ(笑)。

> > > でも、フェミニスト(の一部)の人が言うような"性的消費"なんて、実は世の中にはほとんどないんですかね?
> > > オタクを攻撃することでしか楽しみを見いだせない人たちに私も巻き込まれて、
> > > ありもしない"性的消費"をあると思い込まされて、罪悪感を植え付けられているんでしょうか?

> > いやいや、細かい言葉の定義はさておき、
> > 「性的消費」というのは、全てでは無いにせよ、オタク文化に如実に含まれてるモノじゃないですか!?
> > オタク村の文化に浸り過ぎて、その辺りの感覚が麻痺しちゃってません?(笑)
> > でもまあ、話を元に戻すと、フェミニスト側の反応が過剰であるにせよ、
> > 騒ぎが起きるような案件って、私から見ても「常識的に自重しろよ」という事がほとんどですし、

> オタク文化が性的消費なことは分かっていますよ。

でしたら、「世の中にはほとんどない」と言うのは、おかしくありません?

> ですが、現在のフェミニストの(一部の)人たちがやっていることは、
> 社会のあらゆる場面からそれらを排除しよう、ということですし。
> 正直、私が内心賛同してしまうのも、そっちの運動ですね。
> 要は、ちびまる子ちゃんも男は外で働き、女は中で、という価値観を推しているからダメ、スカートもハイヒールもダメ。

結局の所、似た者同士と対立というか、同族嫌悪みたいな部分も、実はあるんじゃないですか?
例えば、ビジネス愛国とプロ市民も、掲げる旗印が違っているだけで、
やってる行動だったり、やってる人の気質だったりは、あまり大差無いみたいな感じの。
旧トルコ担当さんが「内心賛同」するというのも、その辺りの似た部分が共鳴するからでは?

要するに、「自分たちの正義」を掲げて押し通そうとする者同士だから、そのまま衝突して、
最終的には声の大きい方・・・というか、関心の薄い第3者を仲間に出来た方の勝ちになると(笑)。
でもまあ、一部の人間がどれだけ極端な強硬論を主張した所で、それが通る事は稀でしょうけどね。
劉備に忠告した簡雍の件じゃないですけど、性的消費がどうこう言った所で、
我々人間は誰しも、現実的に「淫行の道具を所持している」訳ですし(笑)、
前回も少し触れましたけど、「非実在青少年(未成年の架空キャラ)」が、
児童ポルノの処罰対象となるのを実質的に免れたのも、その良い一例かと思われます。

> > > > 羨ましいから悪態をついてるようで、それとも少し異なる感じ・・・・
> > > > って、文章から漂ってくる、この感じの正体は何なんだろう。
> > > > うまく表現できないですけど、女の子の事を「2.5次元」的に捉えているのかな?
> > > > なので、3次元な生身の部分には嫌悪感が生じるし、2次元的な可愛らしさには憧れて、
> > > > もし生まれ変わるなら、女性になりたいと言うよりも、アニメの美少女キャラになりたいみたいな感じ。
> > > > そう考えると、前回のチアの話題も、何となく腑に落ちる所があるかも。

> > > 2次元か3次元か、と言われても、そんな簡単にどっちですとは言えません。
> > > 3次元の生身の女の子をちゃんと理解してますよ、と言い切る自信もないですが、
> > > 2次元の美少女にあこがれているというほど、単純な憧れでもないので。

> > 今更ですけど、ぶっちゃけ この話題って、旧トルコ担当さん的には どうなんですか?
> > 既に結構深い所まで話が進んでますし、これ以上踏み込むと、更に深まりそうな話題ですけど、
> > あまり大っぴらに語りたくないとか、そういうのは無いんですかねえ?
> > 旧トルコ担当さんが構わなければ、私の方にタブー意識は無いので、このまま続けちゃいますけども。

> 今さらでしょう。
> 管理人さんが俺ガイル見てしまった時点で、もう隠したいもの全部ばれてしまった感じですし。

いや〜、俺ガイルを全話視聴するのって、そんな大層な話だったんですか!?(笑)
まあ、それは良いとして、では更に踏み込んだ話をしていくと、
そもそもの話として、旧トルコ担当さんの恋愛対象は、「女性」って事で良いんですよねえ?
まずはここをハッキリさせておかないと、話の方向性がズレていくと思いますので。

> > > 例えば、マリみての影響で最近は母と祖母の電話での会話が羨ましいんですよね。
> > > 今までも母と祖母の電話が聞こえてくることは度々ありましたが、
> > > マリみて読んで女性的な人間関係に対する解像度が上がり、見え方が変わったと。
> > > 私も息子と母親の関係ではなく、娘と母親だったら、もっといろんな話とかできたんだろうなあ、
> > > とは昔から思っていましたが、その気持ちも強くなりました。

> > 女装まで行くと、ハードルが高いかも知れませんが、
> > 女子トークを繰り広げるくらいであれば、今からでも充分可能なんじゃないですかねえ?
> > 別に、女の子に生まれ変わったからと言って、女子トークが苦手な女子は居ますし、
> > 逆に言うと、男子であっても、女子トークが得意な男の子も居ますから。

> 女子トークと言っても色々ありますからね。
> 誰かの悪口で盛り上がるのも、女子トークのうちですし。

ですから、旧トルコ担当さんが羨む箇所だけ、取り入れては?
おいしい所取りをしちゃダメって事でも無いでしょうし。

> リアルに行動するよりも、小説などで摂取していた方が、コスパも質も高いので。
う〜ん、そこはどうなんですかねえ?
それこそ、今の人たちが示す「コスパ意識」「タイパ意識」というのも、
真の意味でのコスト・パフォーマンス(費用対効果)やタイム・パフォーマンス(時間対効果)よりは、
「低コスト」「短時間」が暗黙の前提となった上での、コスパやタイパなんじゃ無いですか?
それって結局、費用対効果や時間対効果を高めるのではなく、「楽して得したい」気持ちが強い気がします。

> > > > それに、「事実上 女性しかいない」点を対象としているのであれば、
> > > > なぜ「生まれ持った容姿で判断される女性」という話になるのでしょうか?

> > > 心苦しく思う男性もいるかもしれ名からやめろ、というのが私とポリコレ過激派の主張ですね。
> > > それが社会の大勢の価値観から逸脱しているのは分かっていますし、私の正義感で社会を正そうとは思いませんが。

> > いや、ですから、ここで私が問うているのは、
> > 社会の価値観から逸脱して云々という話では全く無く、
> > なぜ旧トルコ担当さんが「心苦しく思う」のかを、「心の奥底」を自ら見つめて、
> > 改めて深く考えてみては?という事なんです。
> > そうする事で、自分自身でも気付いていなかった「真意」に、気付ける事もあるので。
> > この話はこれだけで無く、ここで触れてる全てのテーマでも該当するかな?

> 言葉にすると崩れちゃうものってあるじゃないですか。
> 定義づけは便利ですけど、何かを定義した瞬間に、フッとすべての感情が抜け落ちていくんですよね。
> 今回もそれを感じました。
> なので私は自分オリジナルの、自分の中でしか存在しない言葉とか勝手に作っていますけど、
> それでは他人とのコミュニケーションはできないですし。
> 言語化することで広がる世界もありますけど、それで閉じてしまう世界もあり、
> 私は後者を大切にしたいなあ、なんて若造が思ったりしています。

「言葉にすると嘘になる」とか、「言葉では表現できない」とか、
そういうのって、世間でも よく言われる事ではありますし、一面では真実なのでしょうけど、
でも、本当の本当に突き詰めていくと、単純に自分の中での定義が曖昧であったり、
感覚的には掴めていても表現化する能力に欠けているだけというケースが、非常に多い気がするんですよね。
アートの世界しかり、スポーツの世界しかり、サイエンスの世界しかり。

とは言え、別に一般の人は、そこまで求道的に突き詰めなくても良いと思うんです。
しかし一方で、その道を求める人は、やはり突き詰めていくでしょうし、
逆に言うと、その道で成功している人は、形は様々であっても、何らかの形には達しているはずです。
じゃなければ、コンスタントに結果なんて残せませんからねえ・・・・
で、そういう意味では、「好きの道」を追求するオタクというのも、この人種に含まれると私は考えており、
単に「好きだから!」だけでなく、「なぜ好きなのか?」も、自問自答している人が多いのでは無いでしょうか?

そういう意味では、他者に伝えられる言語化能力があれば理想的ですけど、
それはそれとして、仮に言語化は出来なくても、確固たるイメージ像のように、
自分の中では把握出来ている何かがあれば良いと思いますし、
それがあるのなら、別に言語化が上手く行かなくても、それ自体が揺らぐ事は無いはずなんです。
ですから、逆説的に考えると、「この感覚を大事にしたい」みたいな発言がある場合って、
実の所、その人自身があまり見つめたくない、心の奥底の「真意」が隠れてる気がすると。
まあ結局は、そんな感じの話をしているんですね。
もちろん別に、「見たくないモノは見ないんだ!」でも良いんですけど、
そうすると、その人の幅の限界域も、自ずと決まってきてしまう感じはします。

> で、久しぶりに同級生と話してきて感じたのですが、私が友達を作らない理由って、
> 友達に求めるハードル、具体的には好き度が高すぎるからだと思います。
> 自分が好きと断言できるくらい好きな相手じゃないと、私の方から勝手に一線を引いて、
> 結局大して楽しめないので、友達のコスパが悪化すると。
> おそらく、普通の人はもっと気楽に友達になっているはずですし、
> いつものメンバーだって、そこまで好き好きでベタベタな相手じゃないはずです(少なくとも男は)。

結局、これって以前の この指摘↓に戻っている気がするのですが?
> > > > 「本当の友達や恋人」というのも、何だか引っ掛かる表現かな?
> > > > 旧トルコ担当さんの捉えている「本当の」というのは、
> > > > 私からすると「理想的な」と同義のように映るんですよね。

その「求めるハードルが高すぎる」というのを、私としては、
「本当の」ではなく、「理想的な」になっているのでは?と問うた訳ですし。

> もちろん、人間関係はしがらみでもあるので、常に気の合う人とばかりいるわけではないのは承知ですが、
> 一方で私が人生で一番大事にしたいものが、この好きという感情ですし、
> 好きでもないアニメは見ないですし、やはり好きでもない人に長い時間支払うつもりはないです。
> で、管理人さんから見ると、私ってどういう風にしたら良いと思いますか?

う〜ん、何と表現すれば良いのかなぁ・・・・
旧トルコ担当さんに限らず、こうした傾向が近年強まっているのは、解っているつもりなんですよ。
でもこれは、減点を受け付けない「好き」というか、傷付く事を拒んだ上での「好き」であり、
プラスとマイナスを合算した、合計点としての「好き」を求めた場合に比べると、
どうしたって、その上限値はかなり低く抑えられる感覚があるんですよねえ・・・・

言うなれば、今の世代はマイナス点を単純に加算せず、100倍にしてから加算するような印象で、
だからこそ、当事者的には過度にマイナスを避け、傍から見ると「何故そこまで恐れるの…」と映ると。
温室育つの花であるが故に、ちょっとした傷でさえ、商品価値を失うと過敏になってる感じでしょうか?
また、数値的に例えるなら、「プラス99点&マイナス1点」と「プラス10点&マイナス0点」があった場合、
プラスとマイナスの合計点で考えれば前者が良く、プラスとマイナスの比率で考えれば後者が良くなります。
なので、物質的な絶対評価で捉えるなら前者ですし、精神的な想定評価で捉えるなら後者ですから、
そのどちらを重視するか?という事なので、必ずしも、どちらかが良くて、どちらかが悪いとは断言できませんね。
個人的には前者の方が良くても、後者の方が良いと感じる人だって、当然いるのは当たり前だと思うので。

人間って、純度100%の甘さを求めるよりも、塩を一振りした方が却って甘さが引き立つように、
仮に嫌いなままでも、嫌いの理由が掴めると、以前にも増して好きを正確に把握出来るようになりますし、
嫌いが好きへと転じたなら、その好きは以前の広さや深さとは、比べ物にならなくなるはずです。
ですから、物凄く挑発的な言い方をするのであれば(笑)、
例えば旧トルコ担当さん自身が、いくらアニオタと称しても、見るアニメは自分が好きな作品に偏る以上、
雑食的にアニメ作品に触れている、アニオタと自認してない私の方が、少なくとも幅は広くなるでしょう。
これが他人と比較しないのであれば、「自分の中の好き」だけで全てが完結するので、全く問題ありませんが、
しかし他人と比較してしまうようだと、これって何だか、1人で勝手に劣等感を抱いちゃったりしません?

で、あとはそれを許容できるか否かの話ですよね・・・・
一番悪い展開は、許容できないのに、行動にも移さず、出来てる人を見ると妬みや嫉みを孕む事でしょうか。
それこそ、そんな精神状態に陥っては、避けてきたはずのマイナス面に覆い尽くされちゃいますので。

> って、本論からずれますが、この「せっかくの人生」みたいな感覚って、今の自分好き世代特有の感覚なんですかね?
この「せっかくの人生」の後に来る言葉って、「楽しまなきゃ損だ」とかで合ってますよねえ?
だとすると、高望みをせず、安定志向の今の世代の方が、
それ以前の世代の人たちよりも、「せっかくの人生」意識は格段に低いですよ。
恐らく、この意識が最も高いのは団塊世代で、次点がバブル世代じゃないないですかねえ?
それこそ育った時代背景が、行け行けドンドンな日本社会だった訳ですし、
ノストラダムスの終末予言とかも影響を与えてますが、それが過ぎ去った現在だと、当時の実感は難しそう。

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