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[24140] Re:コスパ意識と幅の問題(追記あり)返信 削除
2023/1/31 (火) 20:57:19 徳翁導誉

> > と言いますか、既に小学校の図書館とか、かなりラノベが並んでますよ(笑)。
> > マイクラとか、星のカービィとか、人狼とか、
> > 日頃、自分が遊んでいるゲームを題材にしたノベライズ版とかが、結構好まれているかも?

> 中学はラノベ置かれているの知っているといいますか、私も利用していた口でしたが、
> 小学校も色々ラノベっぽいものが置かれているんですね。
> そういえば、私が小学生時代に図書館にドラえもんなどのマンガが置かれるようになりましたが、この辺が転換期だったのかな?

それは、ドラえもんが歴史や科学などを教える「解説マンガ」ではなく、
普通のドラえもんの単行本とかって事ですかねえ?
でもまあ、今や一般の公立図書館にも「ワンピース」や「スラムダンク」など、
国民的な人気マンガは置かれていたりするので、そうした時代の流れもあるのかと。

> > > 2chやニコニコを新たな文化と認めつつ、インスタグラムとか、SNSを新たな文化として認めないのって、
> > > 管理人さん的にはどういった基準なのでしょうか?

> > 例えばアイドル・グループでは、1期であろうと、2期や3期であろうと、1人1人は確かに新たなアイドルです。
> > もちろん、グループが人気を得てから加わった、2期や3期のメンバーの方が、
> > 確かに、容姿が良かったり、ダンスが上手だったりするかも知れません。
> > しかし、グループの立ち上げに参加した1期メンバーの方が、高い人気やインパクトを誇るモノであり、
> > それは何故かとなると、1期は個々人だけでなく、グループ自体も「新しい」からなんです。
> > ネット文化において、2chやニコ動は1期メンバーであり、LINEやインスタは2期メンバーって事ですね(笑)。
> > > 追記:2chは確かに新しい文化だったのでしょうが(それ以前にパソ通とかあったとはいえ、規模が違うと思いますし)、
> > > ですがニコニコの新しさ度ってそこまで高くないでしょうし、
> > > ニコニコが新しくて、インスタが新しくないのって、何?

> > ニコニコ動画の場合、ネット上で動画を楽しむという意味では、
> > 「gifアニメ」→「Flash」→「ビデオCD(mp2)」→「YouTube」と進んできた訳ですが、
> > ニコ動が画期的であったのは、テレビ番組風に言えば「視聴者参加型」だったからなんです。
> > ニコ動が世界に及ぼした影響と、元祖である日本での現状が、いろいろと綯い交ぜになって感じる所はあります。
> > あとは解りやすく言うと、「日本から世界へ」と「世界から日本へ」の違いもあるかな?

> ああ、ネット黎明期という扱いでニコ動も含まれていたんですね。

00年代当時を知る私からすると、ニコニコ動画というのは「動画版2ch」として始まってますからね。
また、画像版2chとして「ふたばch」があり、その英語版として「4chan」が出来るという流れなので、
これらは全て、大きな意味での「2ch文化」として一纏めに捉えています。
まあ世代には、「あめぞう」や「ぁゃιぃわーるど」も一応は知っているのですが、
例え後発の同類であっても、その後の規模や波及の大きさを考えると、やはり2chなんですよね。

> 確かに、2chなどの黎明期インターネットの新しさ・衝撃を100だとしたら、
> 今のSNSだとかは10くらいだよな、というのは分かります。

それだけでなく、普及前のマニア層による世界と、普及後のライト層による世界とだと、
一言に「新しい」とか「作る」と言っても、その中身の濃さが違ってくるんですよねえ。
例えば、新しい枠組みを作るのがマニア層の楽しみ方であれば、
そうして出来上がった枠組みに乗り、作っていくのがライト層の楽しみ方って感じで、
後者の方が生み出す量は圧倒的に多いのですが、刺激の強さで言うと前者には敵わないと。

って、他の話題に関して、こうした事は何度も述べていると思いますけど、
どうも旧トルコ担当さんには、ピンと来ていないようなのは、
自身が実体験していない事柄を、想定の上で推測する行為が、苦手という面があるんですかねえ?

> まあでも、インターネットって人類史上でも相当な技術革新ですし、あれ基準で物事を見たら、
> なかなかあれに匹敵する新しいものは出てこないだろうなあ、とは思います。

逆に言うと、だからこそ文化的には、00年代も持ち堪えられたと見ていますね。
日本経済のバブル崩壊が1991年で、文化は経済の10年くらい後を追いますから、
もしもネット革命が無かったら、恐らく2000年あたりから、文化的な停滞も始まってただろうと思いますし。

> AIは少し可能性あるのかな?
少し所か、恐らくAIはネット以上に、人類社会への変化をもたらすはずです!!
ネットがもたらした変革は、圧倒的な情報量と利便性であり、
それは要するに、今まで人類が持っていた「言葉」の飛躍的進歩なのですが、
しかしAIの場合、言葉よりも上位の「知能」が対象ですからねえ。

とは言え、それは今 起こっている「第3次AIブーム」ではなく、
その後に起きるであろう「第4次AIブーム」以降を想定しています。
現段階では、技術的制約により、出来る事が限られていますので、
少なくとも、もう1段階か2段階、ステップアップが必要だろうな、と。

ですが一方で、第1次や第2次ブームの頃に比べると、出来る事は格段に増えており、
現段階のAIであっても、使い様によっては、充分に強力な「道具」とはなるでしょうし、
この段階での勝利が、最終的な覇権をもたらす可能性は低そうでも、
単に「利益をもたらす機会」と捉えた場合は、却ってチャンスは多そうかな?

最近で言うと、AIとチャットで会話する「ChatGPT」が話題を呼んでいますよね!!
高いレベルの返答を求めるのであれば、正直まだまだなのですが、
そこそこレベルで良いのなら、それなりに実用化できそうな所まで来つつある印象ですし、
20年以上前から「人工無能」とかを、弄って遊んでた世代からすると、
ソフト面の進歩はともかく、ハード面の進化はトンデモない感覚があります!!

そして、英語AI VTuberの「Neuro-sama」のように、こうしたAI面が今後も強化されていくと、
従来のアイドル文化に、ネット普及と2.5次元趣味が加わった事で生まれた「VTuber」も、
次第に、「中の人」など要さなくなるかも知れませんね。
例えば私も、プロ野球の球団マスコットである、ドアラとか つば九郎に関しては、
中の人の存在など、全く意識もせず楽しんでますし、
Neuro-samaに関しても、別に中の人の不在の意識せず、
そのポンコツぶりと毒舌さを楽しむ感覚は、まさしくアイドルを愛でる感覚に近い気がするんです。

で、AIアイドルの場合は、握手会に参加したりだとか、ライブ配信でスパチャなど送らなくても、
それこそ24時間365日、その人と面と向かって対応してくれるんですよね。
もうこうなると、アイドルが持っていた疑似恋愛性は、一部で それ以上に表現できちゃいますし、
更に言えば、「外国語習得で最も近道な勉強法は、外国人の恋人を作る事」なんて話があるように、
学びたい言語のAIアイドルとの会話を楽しむ事で、自然と言語能力が上がっていくかと。

例えば現状においても、Neuro-samaは英文のチャットに反応し、英語で応え、それは英字幕で表示されますから、
あれを個人対応してくれるだけで、ユーザーの英語能力は上がっていくと思うんですよね(笑)。
しかもNeuro-samaって、その名前からも解るように、日本発のオタク文化が多大に影響されてますので、
英語ではあっても、日本人(特にオタク層)には、何だか近さは感じると思うんです。
個人的には、ちょうど20年前にオタク界隈(特に学生層)でブームとなった、
萌えキャラと英単語学習を掛け合わせた英単語帳「もえたん」の超進化版といったイメージ(笑)。
(ちなみに、もえたんの英例文は、マンガやアニメの名言に基づくモノが多かったかな?)

ちなみに旧トルコ担当さんのサイトで、「2016年」というキーワードが出てましたが、
2016年という年が、そこまで大きな歴史の分岐点かは さておき、
AIの進歩で言うと、2016年の3月というのは、
アルファ碁がイ・セドルに圧勝するという、一大転換点が起こった年ではありますね。
正直な所、私の歴史観だと、大統領選におけるトランプ勝利以上に、大きな出来事だったかと?

確かに5年10年の視点なら、トランプ大統領の誕生って、非常にインパクトが強いのですが、
でもまあ、ブッシュJr.からティーパーティーに至る流れを追っていると、早いか遅いかの出来事でもありましたし、
結局は4年後の大統領選で敗れた事で、揺り戻しが起こってますからねえ。
それに比べると、囲碁AIがトップ棋士を破るのは、まだまだ先の話と思われていただけに、
時計の針が一気に進んだ感覚が強く、しかもこの技術が他分野へと次々に応用されてきてますから、
世間的には見え難い所で、かなり大きな変化が生じたと言って良いかと思われます。
最近のイラストや文章を自動生成するAIなんかも、ここからの波及技術なのでしょうし。

> あとこれは検証全然していませんが、インスタの新しさというのは、世界のプリクラ化にあるのかな、とは思いますね。
> 写真とかもAI(?)の補正で、素人が撮っても簡単に美しい写真が撮れるようになりましたし。
> 現実のその場所以上に写真の方が美しいのが当たり前、みたいなのは割と新しい文化ともいえそうですが。
> 勝手な印象ですが、マリトッツォとか流行っていたの見ていると、スイーツでも味以上に視覚が優先されているように見えますし。

それこそ、「インスタ映え」という価値観ですよね。
ネットでは、視覚や聴覚の情報は伝わっても、味覚や嗅覚の情報は伝わりませんので。
ですが、だからと言って、デジタル的な「映え」だけが優先されている訳でもなく、
当然ながら食とはアナログなので、あんバターサンドのように、見た目は地味な人気スイーツもあります。
まあ、あんバターサンドの方は、「カロリー何キロだよ?」という背徳感は、デジタルでも伝わりますけど(笑)。

あと、「プリクラ化」というキーワードで語るのであれば、
インスタ以上にTikTokの方が、「プリクラの動画化」といった側面もあるでしょうから、
「新しさ」という面では、そちらの方が上かも知れません。

> > そして、インプットを重ねたら、その後はアウトプットという事で、
> > 自分なりの「オタク論」を纏めてみるとか?(笑)
> > 論文じゃないですけど、しっかりしたモノを書こうと思えば、時間も気力も知識も必要になってきますし、
> > ともかく叩き台であっても作っておけば、社会人になって以降も加筆や修正をしていく事は可能ですから。

> 200冊読んで勉強したオタクの歴史は、オタク論には割と近いと思うんですけどね。
> まとめノートも、紙でファイル2冊分、PCのメモ帳では結構なデータ量になっていると思いますし。
> 幅を広げるという意味では、やはり今しかできない興味のないことに触れてみるべきなのかな、とは思いました。

青少年期は、とにかく幅を広げて「量」を増やし、
中高年期は、それを削ぎ落として「質」を高めるというのは、
オタク趣味とかに限らず、様々な事柄における一般論ですね。
人間関係とかも それに該当するので、後から願っても手遅れな事が多いと。


> > > ちなみに、ネットも読書もゲームもアニメもされないのであれば、
> > > 普段の時間ってどんな感じで過ごされているのでしょうか?

> > いや〜、特に何かをしている訳でも無いのに、知らぬ間に時間が経ってたりしますよ(苦笑)。
> > って、これだけでは答えとして不十分でしょうから、何か具体例を挙げるとすれば、
> > 録画した番組を「いつかは見ないと」と、HDD上でリストを巡りながらも、結局は見なかったり、
> > 特に自室のテレビを買い換えて、それで簡単にネット配信が視聴できるようになって以降は、
> > 無駄にYouTubeでショート動画を何本か見ていたら、気付いた時には1時間とか経ってる事はあるかな。

> えっその程度なんですか?
> そういう「気付いた時には1時間とか経ってる」でしたら、私も十分経験済みですね。

え〜と、ここまでの話の流れを覚えてます?
「ネットも読書もゲームもアニメもしない」という縛りを付けた上での問いに対して、
「知らぬ間に時間が経って」という答えをして、その中の具体例として1つ2つ挙げただけの話ですよ!?
何だか旧トルコ担当さんって、そこに至る話の繋がりを踏まえず、直前の文章だけに反応する傾向がありません?

> 私の場合はこの対策として、自由時間何していたか15分単位で全部記録する、ということしてます。
> もうこれ始めて3年くらいですが、YouTubeダラダラ見たり、
> そういう大して好きじゃないのにやってしまうことを、やらなくなるので、非常におススメですよ。

東大法学部を主席卒業し、財務官僚から日米での弁護士を経て、今はTVタレントになってる山口真由も、
1日を90分サイクル(最後の10〜15分は休憩)でスケジュールして、行動していると言ってましたね。
90分単位で このレベルだと、15分単位の旧トルコ担当さんは更に凄いのかな!?(笑)
受験や資格の勉強には、最も一般的で有効な手法の1つですし。

ただ まあ、そういう時間を区切った方法って、別に私も行わない訳じゃないですけど、
でも これって、作業効率は上がる やり方なのですが、
逆に言うと、「作業」にしか向かないという感覚もあるんですよね。
そして、この手法を勉強ではなく娯楽で用いた場合、「コンテンツ消費」の感覚が強まりそう。

また私の場合、同じ「区切る」にしても、時間基準ではなく、
「ここまでやったら」という分量基準の方が、合っている感覚がありますから、
時間の方も、「1週間で この分量」「1ヶ月で この分量」と、大枠で定める事が多いかな?

> 年取った影響がこれなら、上記の方法で管理人さんもやり方次第でもっと色々楽しめそうですけどね。
例えば小学生なんて、たった20分の昼休みでも、めちゃくちゃ満喫するじゃないですか!?(笑)
ですが大人になるほど、同じ20分であっても、子供みたいに濃厚な時間を過ごせなくなります。
まあこれは、集中力の差であるとか、体感時間の差など、いろいろと理由は考えられるものの、
それはともかく、年を取る事で生じる影響としては、気力や体力の減少により、
分数刻みで行動する事が非常に厳しくなるだとか、それでは満足度を得にくくなる点なんですよね。
で、それでも続くとなると、楽しくて続けると言うよりは、習慣として続く感じが ほとんどかと。

> > > あと、欲を言えば、これが夫婦だとどんな感じになるのかも知りたいところ
> > > (子供がいると活力を分けてもらえるのは感覚的にわかるので)。

> > う〜ん、この辺りは私の哲学的に、非常にシンプルなんですよねえ。
> > 「人は多い方が良いし、活気がある方が良い」ってだけの話で。
> > だからこそ、1人よりは2人の方が良いでしょうし、子供もいれば尚良いと。
> > もっと言えば、私の主張の結論としては、「子供が居た方が良いと思うよ」という事であり、
> > その前提として、「相方が居た方が良いよね」という話であったりもします。

> ああなるほど、そういうことですね。
> 説明してもらった管理人さんには悪いですけど、だったら私はそういうのはやっぱり嫌かなあ。
> 私は騒がしいの嫌いですし。気の合う人とだけ、静かにいたいですし。

いやいや、全然「なるほど」じゃない感じがしますけどねえ・・・・
何だか、自分にとって都合の良い箇所だけ切り出して、それで自分を納得や満足させてません?
「AI娘が欲しい」という話は、一体どこに消えてしまったのでしょうか?

また、男女の間柄なんて、それこそ千差万別な訳で、
ぶっちゃけ、私自身がどういう哲学であるとか、直接的には関係無くて、
「尊い」とか見てるくらいなら、旧トルコ担当さん自身の答えを自ら求めれば良いのでは?
「活気がある=騒がしい」かは さておき、「静かにいたい」であれば それで良いですし、
その上で、「気の合う人と」と言うのであれば、まさしく それが答えなんじゃないですか?
おだやかで気の合う者同士のカップルなんて、それこそ沢山居るでしょ。
それに前回も言いましたけど、リアルとネットとでは、得られる体験量も段違いな訳で、
陳腐な表現ですけど、関わる時間が長いほど関係性も深くなり、嬉しさは倍に、苦しさは半分に出来ますからね。

でもまあ、これも答えが出るのは15年後30年後の話ですし、
現段階で私が「のちのち後悔する可能性が高そう」に見えても、結局は確率的な話な上、
今の時点では、旧トルコ担当さんの方も心に響かない状態であるのなら、
この話題に関しては、そろそろ潮時という感じかも知れませんね。
それにぶっちゃけ、日本の社会状況の悪化が、このまま続くようだと、
30年後には男性の3割くらいがそうなってそうで、これだけ周囲と比べる世代であれば尚更、
皆が孤独だったり、皆が貧乏だったりすると、「それが普通」と受け入れてそうな気もしますし(苦笑)。


> > > 本当に人生のすべてをオタクに捧げているので
> > > といいますか、基本的に私の学生時代って辛いことばかりでしたし、覚えていないという受動的な現象ではなく、
> > > 思い出したくないから、積極的に思い出さないようにしている、という感じなんですよね。
> > > 高校時代は、そこまで辛くはなかったですけど、小中はやはり地獄でしたし。
> > > 普通そういう奴らは、オタクだけのサークルとか作って楽しくやるんですけど、
> > > 中学でも高校でも、結局そっちには行けなかったですし。

> > 例えば、天国のようであったり、少なくとも地獄ではない小中学校であったなら、
> > また別の可能性だって、充分に有り得たという事にはならないのでしょうか?

> 私の場合は、幼稚園生のころから一人遊びしてた子なので、どこに転校しようと似たような感じになりそうなイメージですけど。
> といいますか、塾とか習い事とか、あるいは(私立小なので)地元の幼馴染など、
> 学校外の人間関係もありましたが、結局どこでも似たような立ち位置でしたし。
> まあ、それだって絶対の可能性ではないのでしょうが、何もかも違う自分は、もう自分ではないですよ。

正直な所、「地獄」の具体的な話が無いので、全てが憶測での想定になっちゃうのですが、
環境が変わっても変わらないのであれば、その地獄とは、旧トルコ担当さん自身が作り上げていたんですか?

> > > もちろん、人間関係はしがらみでもあるので、常に気の合う人とばかりいるわけではないのは承知ですが、
> > > 一方で私が人生で一番大事にしたいものが、この好きという感情ですし、
> > > 好きでもないアニメは見ないですし、やはり好きでもない人に長い時間支払うつもりはないです。
> > > で、管理人さんから見ると、私ってどういう風にしたら良いと思いますか?

> > う〜ん、何と表現すれば良いのかなぁ・・・・
> > 旧トルコ担当さんに限らず、こうした傾向が近年強まっているのは、解っているつもりなんですよ。
> > でもこれは、減点を受け付けない「好き」というか、傷付く事を拒んだ上での「好き」であり、
> > プラスとマイナスを合算した、合計点としての「好き」を求めた場合に比べると、
> > どうしたって、その上限値はかなり低く抑えられる感覚があるんですよねえ・・・・
> > また、数値的に例えるなら、「プラス99点&マイナス1点」と「プラス10点&マイナス0点」があった場合、
> > プラスとマイナスの合計点で考えれば前者が良く、プラスとマイナスの比率で考えれば後者が良くなります。
> > なので、物質的な絶対評価で捉えるなら前者ですし、精神的な相対評価で捉えるなら後者ですから、
> > そのどちらを重視するか?という事なので、必ずしも、どちらかが良くて、どちらかが悪いとは断言できませんね。
> > 個人的には前者の方が良くても、後者の方が良いと感じる人だって、当然いるのは当たり前だと思うので。

> 岡田斗司夫も現代の若者の傷つきやすさは、それこそ丁度私の好きなラノベで説明していましたね。
> 「プラス99点&マイナス1点」と「プラス10点&マイナス0点」で、後者を選ぶのは、答えになってないですけど、
> 「マイナス1点が100倍されるから、合理的に後者を選んでいる」ですかねえ。
> 傍から見ると「何故そこまで恐れるの…」と映る、のも分かりますが、
> こちら側から見れば「この-100点が-1点にしか感じないんですか」ということですし。

そこはもう「今時の若者は…」と嘆く以前に、若者の価値観はその時代を映す鏡なので、
小さなミスさえ命取りとなるような、余裕の無くなった今の社会状況を問題視すべきでしょうね。
少なくとも、00年代までの日本は、そういう社会では無かったですし、
停滞期から衰退期に突入して尚、現状維持路線と消極的利己主義に終始していては、
負のスパイラルから抜け出せない所か、その勢いを加速させかねませんから・・・・

でも逆に考えると、マイナスを100倍にして捉えているのは、個々の感情面だけなので、
周囲の人々がそれに囚われているなら、そこから いち早く抜け出せた人が大きく得するかも知れませんし、
悪い言い方をすると、そうした人々に救済の幻想を見せてやる事で、莫大な利益を得られるかも?
と言いますか、それで10年代を席巻したのが「信者ビジネス」なのでしょうけど。

> まあでも、意外とこれが管理人さんの望む、新しい文化なのかも?
ぶっちゃけ、私が言う「新しい」の概念を、キチンと把握できてないと思います。
私が言っているのは、要するに「フロンティア(新天地)」の事なので。

って、やはり実体験が無いと、なかなか想像は難しいんですかねえ・・・・
もっと言っちゃうと、肌で感じた経験が無い世代だと、そこの価値が低いかも知れず、
実際、旧トルコ担当さん自身も、「これって何か新しく面白い事が出来るかも?」ってネタ振りに、
あまり食い付いて来る事がありませんし(創作系の人種は食い付くタイプが多いと思い込んでました)。
でもまあ、これを食事に例えるとすると、お気に入りの定番メニューさえあれば、
新メニューとか新しい店など特に無くても満足という感じなら、解らないでも無いのかな?(笑)

> まあ、あとはコスパの問題ですね。
> 結局、大して好きでもない人のために時間を使いたくないという。
> 家に帰れば好きなラノベやアニメがあるのに、好きじゃない人と時間を使うのは非合理的でしょう。
> ゲームに例えれば、大作ゲームを3本やるよりも、
> 大作ゲームは1つにしておいて、あとはゲーム動画で色々なゲームの面白いところを効率よく摂取する方が、
> 全体としての総量は大きというような感じでしょうか。
> 良い大作ゲームから得られるものは大きいですけど、
> それに比してプレイ時間も長いので、タイパ的に効率的かどうかは分かりませんし。
> 「プラス99点&マイナス1点」というより、「プラス50点&マイナス10点&そこそこ40点」みたいなイメージ。

私から言わせてもらうと、そのやり方では結局、大作には辿り着かない気がするんです。
極端な言い方をすれば、コスパだ、タイパだと言っているうちに、「そこそこ100%」になってしまい、
「そこそこ」の中で比較的良い作品を、「大作だ!」と評価してしまっている印象。

> > 人間って、純度100%の甘さを求めるよりも、塩を一振りした方が却って甘さが引き立つように、
> > 仮に嫌いなままでも、嫌いの理由が掴めると、以前にも増して好きを正確に把握出来るようになりますし、
> > 嫌いが好きへと転じたなら、その好きは以前の広さや深さとは、比べ物にならなくなるはずです。
> > ですから、物凄く挑発的な言い方をするのであれば(笑)、
> > 例えば旧トルコ担当さん自身が、いくらアニオタと称しても、見るアニメは自分が好きな作品に偏る以上、
> > 雑食的にアニメ作品に触れている、アニオタと自認してない私の方が、少なくとも幅は広くなるでしょう。

> アニメだけで見れば、好き嫌い関係なく幅広く見てた方がより深まるでしょうが、
> それって結局アニメだけに範囲を限定しているからだと思いますよ。
> 私は、高校時代まで別々だと思っていた、「歴史が好き」「オタクコンテンツが好き」「ゲームが好き(作りもする)」が、
> 大学生になってから、これって実はすべて同じものが好きだったんだ、という発見がありました。

でも、今のオタクより、昔のオタクの方が、
アニメに限らず周辺分野や他分野まで、カバーする傾向が強くありません?
それに、旧トルコ担当さんと私の比較話にしても、まあ重ねた年月の違いという大前提はありませんが、
アニメという分野に限らず、好きに拘らず雑食的に他分野も摂取した私の方が、結局は広くなってませんか?
・・・って、これは何もマウントを取りたいから言っている訳では決して無く、
始めから「好き」で制限してしまうよりも、「好き」と「チャレンジ」を交互に繰り返すくらいの方が、
結果的に、自身の「好き」自体も広がりますよ、という体験談の伝達ですね。
その一方で、「好き」というのは非常に大きな原動力になるので、それ自体は大事にしなければならないと。

で、あまり関係無い話かも知れませんが、ちょっと思い出したので書いておくと、
私も大学生だった時、自らの幅を広げようと思い立ち、黒澤映画を一気見した事がありましたね。
確か公開順に代表作を15作品くらいを、2日に1本くらいのペースで、1ヶ月かけて見たのかな?
それこそ黒澤明というのは、世界の映画界にも多大な影響を与えた、日本文化を代表する表現者ですし、
娯楽色が強かった白黒時代の作品から、芸術色の強かったカラー時代の作品まで、
いろいろと感じ取ることが出来て、決して悪くないチャレンジだったかと、我ながら覚えています。
旧トルコ担当さんのサイトを覗くと、実写映画に関する感想も書かれてましたし、
アニメだけでなく実写の方もOKであるのなら、試してみて損は無いんじゃないですかねえ?

> 岡田斗司夫は「そのジャンルのベスト3を抑えとくんじゃなくて、ワースト100を全部見るのがオタクの道」と言いつつ、
> 「それは結局、コンテンツの数が限られていた時代(例えばアニメであれば、週に10本程度しか放送されていなかった時代)だからできたことだよなあ」とも言っています。
> コンテンツが無限に溢れ、SNS含めたら人間関係すらも無限に存在する時代に、コスパ意識を持たず生きることなんて不可能ですし、
> ワースト100を全部抑える昔のオタク道は不可能ですが、であればあらゆるジャンルから自分の好きなものだけを集めて、
> それを勝手に1つのジャンルにすれば良いだけだと思うんですけどねえ。

まあ、「ワースト100を全部見る」とかは、さすが過剰な表現にしても、
(そもそも60〜80年代のアニメ総数が680作品なので、ワースト級が100本もある訳ありません)
氷山の一角を見るだけでは、その一角部分すら満足に理解できないのは確かなので、
氷山の一角をキチンと把握しようと思えば、必然的に氷山全体の把握も必要となるでしょうね。
そして、物理的に全てを把握するのが困難であるならば、世の中には「抽出」という方法論があるんですよ!!
スープの味を確かめるのに、スープ全てを飲み干す必要は無いんです(笑)。

例えばアニメ10本を見るとして、その全てを自分好みの作品で固めると、
同種ばかりでは、どうしたって半分くらいは、微妙な出来の作品も含まれてくるはずです。
であれば、その半分の5本は、世間で話題となった作品を押さえて、流行った理由を考察したり、
逆に失敗作とされる作品を見て、どこがダメで、どうすれば良くなるかを考えてみたり、
興味は無いけど誰かが薦めたいたりとか、たまたまタイトルが目に入ったなど、偶然要素も取り入れれば、
それこそコスパ良く、広さと深さという2匹のウサギを追えますよ!!

また、私に言わせれば、誰かが決めたベストやワーストを基準にするのではなく、
自分の見た作品をランキング付けして、その中から自らのベストとワーストを決めるのが、オタクの道じゃありません?
そして、ベスト10とワースト10に妥当性を持たせるとなると、対象作品数は自ずと100作くらいは必要になる感じで。

> 幅広く抑えることが正しいならば、そもそもアニメばっかり見てないで、
> アメリカ映画も、プロ野球も、アウトドアも、何から何まで全部薄く広く抑えるのが正しいのか、という話になってしまいますし。
> 広く浅くであっても、狭く深く出会っても、結局重要なのは全体の総量と、
> あとはどれだけそれを自分のモノにできたか、ということだと思います。

身も蓋もない事を言うと、「総量」が最重要なら、広くて深いのが理想ですけどね(笑)。
と言いますか、ドリルなどの特殊機具でも使わない限り、
深く掘ろうと思えば、小さな穴では必然的に限界が来るので、結局は穴自体も大きくなりがちですし、
また、穴をたくさん掘っておくと、その間の土が脆くなるので、繋げて大きな穴にする事も可能です。

> 私が友達いなくてもいいや、と思うのも、結局これなんだと思いますね。
でも、1人で広くて深い穴を掘ろうとしても、どうしても限度があるので、
より大きな穴を掘ろうと思えば、他の人と協力するのが、最も効果的な気はしますけどね。
まあこれは、リアル関係だけでなく、ネット上も含めての「ネットワーク」って事ですが。


> > > > > > > 女性も女性である程度身だしなみに気を使ったりしている姿なんて、やっぱ気持ち悪いですよ。
> > > > > > > そういうのが女の一番気持ち悪い部分だと思いますし(またそういうこと言ってる……)。

> > > > > > え〜と、この発言↑って正直、この発言↓と整合性は取れてます?
> > > > > > > 感情の大きさで言えば自分が女に生まれなかったことへのむなしさの方が、よっぽど大きいですね。
> > > > > > > それこそ、女性は毎日お化粧しているわけですし。
> > > > > > > セーラー服も、ウェディングドレスも、何一つ1度も着ずに死ぬのかと思うと、
> > > > > > > 何のために生きているんだろう、と思うことはよくあります。
> > > > > > > 女装という選択肢もありますが、私はそういうことをしたいわけでもないので、
> > > > > > > まあでもこれは言ってもどうにもならないことではありますし。

> > > > > > 羨ましいから悪態をついてるようで、それとも少し異なる感じ・・・・
> > > > > > って、文章から漂ってくる、この感じの正体は何なんだろう。
> > > > > > うまく表現できないですけど、女の子の事を「2.5次元」的に捉えているのかな?
> > > > > > なので、3次元な生身の部分には嫌悪感が生じるし、2次元的な可愛らしさには憧れて、
> > > > > > もし生まれ変わるなら、女性になりたいと言うよりも、アニメの美少女キャラになりたいみたいな感じ。
> > > > > > そう考えると、前回のチアの話題も、何となく腑に落ちる所があるかも。

> > > > > 2次元か3次元か、と言われても、そんな簡単にどっちですとは言えません。
> > > > > 3次元の生身の女の子をちゃんと理解してますよ、と言い切る自信もないですが、
> > > > > 2次元の美少女にあこがれているというほど、単純な憧れでもないので。

> > > > 今更ですけど、ぶっちゃけ この話題って、旧トルコ担当さん的には どうなんですか?
> > > > 既に結構深い所まで話が進んでますし、これ以上踏み込むと、更に深まりそうな話題ですけど、
> > > > あまり大っぴらに語りたくないとか、そういうのは無いんですかねえ?
> > > > 旧トルコ担当さんが構わなければ、私の方にタブー意識は無いので、このまま続けちゃいますけども。

> > > 今さらでしょう。
> > > 管理人さんが俺ガイル見てしまった時点で、もう隠したいもの全部ばれてしまった感じですし。

> > いや〜、俺ガイルを全話視聴するのって、そんな大層な話だったんですか!?(笑)
> > まあ、それは良いとして、では更に踏み込んだ話をしていくと、
> > そもそもの話として、旧トルコ担当さんの恋愛対象は、「女性」って事で良いんですよねえ?
> > まずはここをハッキリさせておかないと、話の方向性がズレていくと思いますので。

> 中学の時にクラスの男子が好きだった話は、チラッとしてたような気がしましたが、
> 前の書き込み見ても確認できなかったので、してなかったのかな?

されてますよ↓
http://tokuou.s500.xrea.com/cgi/kjbn/kjbn.cgi?tree=c24107
で、私の方は「思春期特有の性感情」という話をしたと。
そして、だからこそ、確認したという面もありますね。
あと、「女性に生まれたかった」というのは、男の子が好きだったという話とは別件ですよねえ?

> 高校の時に気になってた子は普通に女子でした。
> まあでも性別にこだわりがあるわけじゃないので、婚活するなら普通に女性で探すと思いますよ。
> 可愛い女の子を色目で見て罪悪感を覚える程度には、普通に女の子好きですし。

ちなみに、そこで「罪悪感を覚える」のは何でんなでしょ?
また、女性が身だしなみに気を使う姿が、「気持ち悪い」といのも何故なんでしょう?


> > 学校の給食じゃないですけど、最初に与えられる情報というのは、
> > 良くも悪くも、事前に大人がバランス調整を施しているモノでしょうし、
> > 中高年のネトウヨ化問題という話もしましたけど、
> > 結局の所は、「耳あたりの良い情報」の誘惑に負けて、そちらに流されるケースがほとんど気がします。
> > で、これは前回も喩えたように、試験前にゲームの誘惑に負けて、テスト勉強を怠る行為に似ていて、
> > まあそれは、実に人間臭い選択ではあるので、それ自体を非難している訳では無いんですよ(笑)。
> > ですが、誘惑に負けずに成果を残した人を「ズルい」と叩くのは、やはり間違っているかと。

> 管理人さんが言っていることも理解できますが、要求レベルが高すぎる気がしますね。

ぶっちゃけ、それは旧トルコ担当さんの勘違いで、私自身は「要求」すらしていないんですよ・・・・
だからこそ、前回の「怒濤の質問6連発」というのは、
そうしたズレに気付いてもらおうとして返したモノだったりします。
まあ、1つも答えて貰えませんでしたけど(苦笑)。

> 都合の良い情報だけに惑わされないよう心掛ける、という点においては管理人さんはクリアしているかもしれませんが、
> では人間力チェックみたいなものがあったとして、様々な角度から今までの善悪をすべてチェックされた場合、
> 管理人さんはそのすべてに合格できるのでしょうか?
> 私は自信ないです。

そもそも論として、その問い自体が、二元論的な旧トルコ担当さんの価値基準に則ってますからね。
私の視点からすると、他者に適応する「善悪」とか「合格」なんて基準さえ、基本的に持ち合わせていないので・・・・

> 確かに、人間のそういった愚かさが戦争などを起こすのは事実ですけど、
> 一方でじゃあ絶対に自分がそちら側に与しないかと聞かれれば、そんな自信はないですし。
> 「もし1932年のドイツに生きていたら、ナチ党に投票しなかったと断言できる自信があるか?」
> というのは私が中学生の時に考えていましたし、

なぜ、「投票しない」前提なのでしょうか?(笑)
メタ的な視点も含みますけど、私はシャハトの経済政策を高く評価していますし、
その全てでは無いものの、文化事業や厚生事業に関しても、それなりに評価しているので、
条件次第なので断言はしませんが、恐らくナチ党に投票してるんじゃないですかねえ?

例えば、小泉政権に対する私の評価は低いですけども、
小泉総理で初めて迎えた2003年の衆院選の際は、自民党に投票してますし、
別にノリで投票した訳では無いので、当時の投票判断が悪かったとは今でも思っていません。

> いつだか歴史オジサンが集まってこの話した時も、
> 「一回ナチに任せてみるか」みたいなノリでナチに投票しそうだよな〜って話になりました。

選挙である以上、「任せる」という選択を行うのは、当然の事ですよ!
問題なのは、「ノリ」なんて言葉を使う事で、自らの選択責任を有耶無耶にする事なのであって、
現状からの変化を望むのであれば、野党側に任せてみようとするのは、民主主義では当たり前です。

それこそ、2009年に起こった民主党への政権交代というのも、
実際の所、「一回民主に任せてみるか」というノリ(空気感)で生じましたし、
それが失敗に終わったのも、民主党政権が稚拙だった以上に、有権者が稚拙だったんです。
(「2位じゃダメなんですか?」発言が叩かれた事など、その最たる例だったのでは?)
まあ、ぶっちゃけた話をすれば、「何々を代えて欲しい」という具体的な意見を持たず、
漠然と「何かを代えて欲しい」というイメージ先行でしかないと、
地味に四苦八苦するよりも、ウケの良いアピールをする方が、ずっと効果的ですからねえ。
簡単に言ってしまえば、ノリで推す人間は、ノリで離れるし、ノリで無自覚に壊すんですよ・・・・
そして自身の責任から逃れる為、安易に口にするんです、「民主党に裏切られた」と。

あとは極端な話、ヒトラーにせよ、プーチンにせよ、「独裁者が暴走した」という側面だけでなく、
そうした民意に背中を押され、「暴走せざるを得なくなった」という側面もある訳で、
単純に選挙結果だけの事ではなく、その後の事だって非常に重要なんですよね。
また、青年時代の親友クビツェクが語る、独裁者としてではない「人間ヒトラー」というのも、
実際にナチス・ドイツが行った数々の諸行は別として、いろいろ考えさせられる部分はありますし。
って、「アドルフ・ヒトラーの青春 親友クビツェクの回想と証言」↓は、現在絶版になってますね。
https://www.amazon.co.jp/dp/4879191590

そういえば確か、YouTubeの ゆっくり2chまとめ動画でも、
この本を元ネタとしたスレッドの動画化があったなと思い出し、とりあえず見つけたので貼っておきます(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=CGmb_yA4xgg

> 銀英伝のルドルフ大帝の逸話に
> 「ルドルフが愚か者をすべて殺そうとしたとき、それまでルドルフに賛同してた市民の声は急速に沈んだ。
> 自らを愚か者でないと自信をもって断言できるものは少ないからだ。」みたいな話がありましたけど、

これなんて まさに、作者の田中芳樹が浮き世離れしているのを示す一文じゃないですか?(笑)
自分が愚かかも知れないと疑える人って、それは充分に賢い人であり、
人は愚かであるほど、自らの愚かさを自覚できなくなるモノなので。

例えば、ビートたけしを始めとして、
「バカに選挙権を与えるな!」と提唱する人は、決して珍しくありませんが、
そういう人って、「自分には選挙権が与えられる」と、当たり前のように信じてると思うんですよ。
「バカに選挙権を与えるな!」と本気で言えちゃうくらい、その人自身も言うなれば「バカ」なのに(苦笑)。
また、安倍政権の際に、よく目にした「嫌なら日本から出ていけ!」という主張も、
「だったら自分は、民主党政権の時に日本から出ていったの? それとも民主党支持だったの?」って話ですけど、
「嫌なら日本から出ていけ!」と言える人は、そこまで自分を見つめ直さないから、そういう事が言えるんです。

> 自分を含めた愚か者が構成しているのがこの世の中であって、
> それを認めないと優秀なものだけが生きることを認められる、えげつない社会になると思うのですが。
> 管理人さんはそういった社会で、自分が淘汰されない自信はあるんですかね?
> 私はその自信がないので、戦争を起こすかもしれない愚かな自分が、
> 戦争を起こすかもしれない愚かなその他大勢の人と、一緒に生きていくしかないと思っていますよ。
> ただ、管理人さんがそうしてネットde真実という言葉を使っているところを見ると、
> 自分もまた"別のタイプの"愚かでダメな人間である可能性を想定していないと思うんですよね。

何だか、旧トルコ担当さんの中での、私の「虚像」がドンドンと膨らんで、
その虚像とばかり、話し合うようになってませんか?
以前したテニスの壁打ちの話じゃないですけど、実際の私は置いてきぼりにされてる感覚です・・・・

淘汰が云々という話も、新自由主義的な価値観を持つ旧トルコ担当さんが、一方的に持ち出しているだけですし、
私がネトウヨにならない理由なんて言うのも、単に問われたから答えただけの話で、
別に私の中では、酒を飲まない理由とか、ギャンブルをしない理由とかと大差は無く、
そもそも私自身の価値観を、世間一般にまで拡張して適用しようなどとは考えていません。
要するに、酒が飲みたい人や、ギャンブルをしたい人を、わざわざ非難しないのと同様、
ネトウヨになりたい人を非難しませんし、以前にも述べたようにドラッグ使用や殺人だって そうですよ。
ただ単に、その行為に伴う責任は自覚した上で、「やるなら、敢えてやれ」と言っているだけで。

それと戦争に関して言うと、既に2015年の安保法制が通った時点で、
その確率はグンと上がったと認識してますし、もう半ば覚悟はしてますよ。
個人的に私は反対でしたけども、日本国民が選択した以上は仕方の無い事ですし。
でも、あれだけ韓国人を嫌いながら、韓国の為に日本人の生命と財産を危険に晒す方向に進んだのは、
余程のツンデレか?マゾなのか? ・・・って、大多数は それこそノリなんでしょうけどね。
まあ その前段階として、民主党政権時の前原も、尖閣問題でマッチポンプ的な煽りをやってましたから。
あとは、そう選択した人々が、いざ自分が被害者になった場合、自らの過去の責任を自覚するかですけど、
現実的には まずしないでしょうし、そういう人の割合が増えるほど、結局は国益を損ねていくのは事実です。
それでも、国家にせよ、社会にせよ、要は人々の集団なので、因果応報と言うだけの話でもあります。

> > そういう意味では、まあ中には、ネトウヨ教師やネトウヨ両親も実際に居たりしますので、
> > そうした環境で育った子供は、確かに「不運」だとは思いますけど、それだってネトウヨの多数派ではないはず。
> > 何だかんだ言って、子供の前で感情むき出しにヘイトや陰謀論を唱える大人は、それほど多くは無いでしょうし、
> > 少なくとも学校の方では、数年前から授業の中で「情報リテラシー教育」が行われていますからねえ。

> まあでも、私の高校時代の先生(大学ではなく)にも、自虐史観の打破を、みたいなことを授業中にポロっという先生はいましたし、
> ネトウヨ教師とかっていう存在は、結構身近なのかも?

それは普通に居るでしょ。
教師だって学校や専門教科から離れれば、どこにでも居る一般市民と同じですし。

また、ネット利用者のネトウヨ率は、東北大学の調査(2017)だと1.5%、大阪大学(2014)の調査だと1.8%であり、
愛知リコール不正事件(2020)で集まった有効署名が1.2%、参院選(2022)での参政党の比例得票率が3.3%なので、
ネトウヨ層は「2%前後」(ライトな同調者は10倍と見積もっても20%)とすると、割合としては低いですが、
でも教員って小・中・高合わせて90万人以上ですから、単純計算だと「1.8万人」くらいは居ますからね。

とは言え、仮にネット上ではネトウヨであっても、それをリアルにまで持ち込む人は少数派でしょうし、
しかも、生徒にまで布教を行ってる教師の数となると・・・相当に限られるはずです。
なので、そうしたルートでネトウヨ化した子供が実際に居ても、そこを基準に語る数では無いであろうと。

> あとまあ、ネトウヨや陰謀論に染まるほど極端にはならなくとも、
> ネットと既存マスコミが同じカテゴリーだからこそ、徐々にネットしか見なくなって、偏る土台はできてる人は多そうな印象。
> 逆に言えば、そういう人たちはネトウヨなどとカテゴライズされず、陰謀論者やネトウヨと自分たちは違うと思っているからこそ、
> ネトウヨとは違って多数派になりえる可能性を占めていますし、真に恐れるべきはこれなのかもしれません。
> いや本当に、これは私も含め。

極端ではなく、ある程度の傾向という事であれば、それは普通にありますよ。
以前にも述べましたが、既存マスコミだって、一昔前に比べれば確実に右寄りになってますし、
それは別に、マスコミが扇動しているとかではなく、視聴者のニーズに合わせて変化している訳で、
結局の所は、社会全体の価値観の方が変化していくんです。
と言いますか、世の中の意見なんて移ろいやすいモノですから、そもそも不変な訳が無いと。

ただ一方で、集団を構成する人数が増えれば増えるほど、その変化量というのは、
余程の劇的な環境変化が無い限りは、小さくて遅いのが一般的であり、
今やネットというのも、国民の大多数が利用している以上、そこまで大きな違いは恐らく起こりません。
異なる点は、マスコミ発信だとフィルターに掛かる極端な意見が、
ネット発信だとノイジー・マイノリティーとして、逆に却って目立ちやすくなるくらいかな?
ぶっちゃけ、ネット民はリアル民でもあるので、現実的に割合なんて大して変わりませんよ。

> > 繰り返しますけど、まず大前提として、例えばYouTubeとかでニュースを見ようとすると、
> > まず最初のフラットな状態でオススメとして出されるのは、大手メディア発信の動画ばかりですよ。
> > 当たり前かも知れませんが、そちらの方が再生数も高評価も多いので。

> この辺はメディア媒体にもよるんでしょうね。
> YouTubeだと、確かにネトウヨや陰謀論も、そういう動画がおススメされる時点で「ユーザー自身が選んでいる」という要素が大きそうですが、
> Twitterでは、そこまで選択的に選ばなくても、フォロワーに一人でもネトウヨっぽい人がいるだけで、その手のツイートが流れてきますからね。

Twitterなんて、尚更そうでしょ?
誰をフォローするかなんて、それこそ自分自身で選ぶのですから。
しかも後述のように、Twitterも情報のコントロールを行っているのであれば、別に避けられない選択でも無く、
もっと言うと、Twitter利用数の大多数は感化されてない事実を踏まえれば、運だの何だので片付けられませんよ。

> そしてTwitterでは、どうも日本支社が一部の政治的な主張を目に留まりやすいように操作していたという噂があり、
> これが本当なのかどうかは知りませんが、
> 私のタイムラインでも、イーロン・マスクがトップに就任してから、
> イラストレーターが描いた萌えイラストのツイートが数倍流れてくるようになったのは事実ですし。
> 今までは無いと信じていた、GAFA等によるネット世論工作というのも、本当に現実味を帯びてきているのかも?

そりゃ、情報のコントロールくらいは当然するでしょ!?
Twitterだってボランティアではなく、営利企業なのですから。
とは言え、これは何らかの意見に誘導しようと、世論工作をするような類のモノではなく、
その9割近くを広告収入に頼るというビジネス・モデルである以上、
依頼する企業側も、イメージを損なうような罵詈雑言の中に、わざわざ広告は出したく無いでしょうし、
そういう環境を整える意味での、Twitterという場の市場価値を落としかねない投稿にフィルターを掛けるのかと。

まあ、こういうのって別にTwitterだけに限らず、YouTubeとかも同じですよね。
それこそ一昔前のYouTuberなんて、テレビじゃ出来ない事をやって注目を集めてましたけど、
YouTubeの規模が大きくなり、それに伴って広告収入も莫大となると、
却って今ではテレビ以上に、コンプライアンスの縛りが厳しくなってますからねえ(笑)。


> > > まあ本当に、既存の枠組みが崩壊しているんだなあと、改めて実感しますね。
> > > 女子校について調べていても、女子校ごとに校風が存在して、
> > > そこで数年間を過ごせば、皆多かれ少なかれ、その女子校っぽい子になる。というような話も、
> > > 今であればスマホがあり、SNSやYouTuberの動画なりを誰も見ているでしょうから、
> > > 女子校の校風ってそこまで各人に影響を与えなさそうですし。
> > > それは家柄とか、地域性とか、あらゆるものが当てはまるのだろうなあ、と。

> > でもまあ、進研ゼミが調べた昨年の小学生・流行語ランキングによると、
> > なんと1位は、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね?」だったそうですが(笑)、
> > https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2212/04/news023.html
> > これも「実感」という割に「感想」というか、自身のイメージだけで語ってません?

> 感想ですよ。個人的備忘録ですので。
> というか、他の人が見たら単に感想でも、私が見れば書いていない行間を勝手に読めるので、全然違う話になるみたいなものです。

いや、そういう話をしているのではなく、
「実感」の「感」はあっても、「実」の方が欠けているでしょ?という話です。
小説から実を得ようなんて、土台無理な話でしょうに、
それで掴めている気でいる時点で、既に実像から大きく外れてるように思うんですよ。
逆に言うと、それこそSNSを活用すれば、いくらでもリアルな話が集まるんじゃないですか?

> 私のゼミ生は半分アジアの留学生でしたが、そのうちのネパール出身の留学生は、
> ネパールでは男女が別々の部屋で食事すると言っていましたし。
> でもこういうのって、やはりスマホとかとは共存不可能な文化でしょう。
> イスラム圏では出会い系サイトとか厳しく禁止しているらしいですが(適当情報)、
> そういうのってどのみち無理な話だと思いますし。

なぜ、「共存不可能な文化」なのでしょうか?
例えばイスラム教では、飲酒や婚前交渉が禁止されていますが、
酒屋や飲み屋が無ければ、そもそも飲酒自体が困難ですし、
ラブホテルや1人暮らしが無ければ、婚前交渉の方も困難です。
どんなにネット空間が広がっていても、私たちが生きている場所はリアル空間なので。

ただ一方で、イスラム教で禁じられているのは、あくまでも婚前交渉ですから、
イスラム教とは別に存在する、田舎の古い慣習などに捕らわれない地域では、
職場などでの恋愛結婚だって普通にありますし、実は「出会い系サイト」もあったりします。
戒律に厳しそうなイランでも、少子化対策として出会いの場を増やすべく、許可されました(笑)。
もちろん出会い系とは言っても、健全なモノでなければ規制の対象ですけど、
まあ、闇サイトみたいな所であれば・・・売春系のモノも恐らくあるでしょうね。
とは言え、これはネット以前より あった事ではあるので、新たな手段が加わっただけとも言えますが。

> > > > 先日、YouTubeのAIがオススメしてくれた動画の中に、
> > > > 岡田斗司夫が、アシモフのSF小説に出てくる「心理歴史学」について語る動画があったのですが、
> > > > 以前、旧トルコ担当さんが、心理歴史学について語ってくれた事があったかと思いますけど、
> > > > あれって、この動画がキッカケだったんですか? それとも、無関係に原作小説の方から?

> > > 「心理歴史学」は完全に岡田斗司夫の影響ですよ。

> > やはり、原作小説が先ではなく、岡田斗司夫キッカケだったんですね・・・・
> > これで何となく、今まで抱えてきた違和感が、少し解消されるかも知れません。

> 管理人さんの考えるほど、岡田斗司夫の影響は受けてないですよ。

う〜ん、だとすると、旧トルコ担当さん自身も自覚が無く行っているんですかねえ?
もちろん、全てが全て、岡田斗司夫の影響だとは私も思っていませんけど、
しかし一方で、旧トルコ担当さんの話を聞いていると、
「岡田斗司夫がこう言っている」「岡田斗司夫が言った これを実行している」という話が非常に多く、
自分の考えを述べていると言うよりも、岡田斗司夫の代弁者と化しているケースが目立つんですよ・・・・

> ちなみに、 「ヤマト、ガンダム、エヴァ、ハルヒ」では、
> ヤマト:岡田斗司夫の間接的影響
>     岡田斗司夫が昔のオタク話をするので、そこからオタクの過去の作品にも興味を持ち、気になったので見ました
> エヴァ:同上 ただし、岡田斗司夫はヤマト特集はしていませんけど、エヴァ特集はしているので、これは直接的影響かな?
> ガンダム:父親の影響 小学生のころから好きでした
>      他にも父親の影響で、初代仮面ライダー(初代〜ライダーマンまで)とか、
>      初代ウルトラマン(初代〜ウルトラマンタロウまで)とかも見てますね

なるほど、ガンダムは違うんですね。
しかも、仮面ライダーやウルトラマンまで、お父様の影響で見ていると。
わざわざ子供に見せているという事は、お父様も多少なりともオタク系なのかな?(笑)
ちなみに、旧トルコ担当さんにとってのリアルタイムである
平成ガンダム・平成ライダー・平成ウルトラマンの視聴の方は、どうでしたか?
こちらが先にあっての旧作視聴なのか? それとも、こちらは見ずに旧作視聴なのか?

> ハルヒ:岡田斗司夫関係なく、ラノベの金字塔なので読んだ感じ 実は原作しか読んでなくてアニメは見てないですですね。
まあハルヒに関しては、話の流れ上から引用しただけで、
私も、これは岡田斗司夫とは無関係であろうとは思ってました。
そもそも私が以前紹介した、岡田斗司夫と東浩紀との対談動画の中にも、
酔っぱらった東が、岡田にハルヒの視聴をしつこく薦める場面がありましたからね(笑)。

ちなみに旧トルコ担当さんからは、00年代アニメに関する話題って、ほとんど出てこない印象ですけど、
自身より少し前の時代であり、岡田斗司夫もあまり扱わない時代なので、もしかしてエア・ポケットになってます?
だとすると、そこを改めて掘ってみるのも、面白い試みかも知れませんよ!!
デジタル作画の導入や、深夜アニメの激増など、1998年を転換点として、
そこから10年あまりは、アニオタ向け作品の「カンブリア紀」↓とも言えるような時代でしたので(笑)。
https://image.itmedia.co.jp/business/articles/2006/02/l_rh_animewintc02.jpg

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