| > > > 冷戦は何故全面戦争に突入しなかったか、についての一説がここで取り上げられていますね。
> > まあ米ソの関係は、自民党と社会党みたいな関係でしたので・・・って、
> > この例えは分かり辛いかなあ?(笑)
> 55年体制ですね。二大政党制であらゆる支持が二極に集束されたということで?
そんな感じですかねえ?
まあ、あまり深く考えての例えではないんですけど(笑)。
55年体制下では、自民党が与党役を、社会党が野党役を演じ分けることで、
その他の勢力を排除していく、自社馴れ合いの八百長試合みたいな所がありましたから。
ほとんどの参加者を二極化した世界へと連れていき、
しかし敵対しているはずの2大勢力では、両方のボスがその地位を守る為、
相手のボスと出来レースをしながら、互いの地位を保護し合っていたと。
> > 核の概念を導入すれば、核による攻撃対象は生産値とする予定です。
> > 核を使いすぎると、生産値の総合計値も減少していき、
> > 結果的に両者とも、勝利ポイントに達することが出来ずにドロー裁定と。
> でも指摘されているように一方が圧倒的優位に立つ段階まで来ていれば、もう一方は妨害しようと核兵器を
> 濫用し、ドロー裁定ばかり…ということにはなりませんかね。しかも何発を何処に打てばドローにできるか、
> ということを逆算できるので、恣意的にドロー裁定を引き起こすことは可能ですしね。
ドローというか、両者敗北と言った方が近いですかねえ。
って、まあその辺は言葉遊びくらいにしかならないかな?
極限にまで達すれば、劣勢側は核を使って御破算にする事を目論むでしょうし。
でもまあ、それこそが冷戦の世界観じゃないですかねえ?
相手を追い込みすぎ、暴走させても負けと言うのは。
一応、核に射程距離を設ける事で、
必ずしもそう言った終わり方ばかりにはならないように、するとは思いますよ。
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