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[5564] Re6:戦術の歴史返信 削除
2008/2/24 (日) 20:41:16 物秦

> 欧州は分裂しているのが常態であり、中国は統一されているのが常態であった。
> それは一体どうしてかと問えば、
> やはり「地形」の問題が大きいと思うんですよ。
> 海に囲まれ、複雑な地形を擁する欧州に比べると、
> 中国は比較的に平坦で、大きな障害は長江くらいですからねえ。

 黄河やチベット高地も障害と思えます。
> ですので、「春秋時代で止まってる」と言うか、
> 地形的な要因からそうなったんだと思うので、
> 欧州の場合、例え統一されても、それを維持できないんじゃないですかねえ?

 一度でも統一されてれば「統一欧州を復活させ」と思う人だ出たと思います。
実際ローマ帝国を復活させようと頑張った人がでたので・・・
> だからこそ、以前おっしゃられていたような「決戦」は、中国の方こそ多かったのかと。
> 昆陽や[シ肥]水(ヒスイ)に該当するような戦いって、
> 欧州の歴史にはそんなに無いような気がします。

統一を目指す勢力自体が少ないのに起因すると思います。
> でもまあ、地形的要因により、
> 欧州が分裂し、中国が統一したのが、
> 歴史の「必然」であるとまでは言い切りませんけどね。
> そう言った意味では、地形による「分裂・統一」の「必然性」と「偶然性」を語る上で、
> 分裂期以外で、四川に独立国が登場しなかったのは、

望帝の蜀以来出てませんね。
>
> > 今更ですが石原莞爾も戦争に関しては西洋のほうが発達したと考えています。
> > それにかんして、石原莞爾は物秦さんの指摘した点が原因だと本に書いています。
> > 簡単に説明すると、東洋は中国が強大であり、北方民族に征服されたりもしたが、北方民族は中国の文化を尊重した。
> > 民族意識も大きくはなかったし、土地も広大であったため、戦争の深刻さを緩和した。
> > しかし西洋は狭い土地に多数の強大な民族が存在したうえ、民族間の対立もあった。
> > そのため、戦争が発達したと。

> どれだけ場数を踏んで来たかって事ですよね。
> それは外交面でも、よく見受けられると思います。
> 複数の国家が林立している欧州各国に比べると、
> 日本の外交力というのは、本当に御粗末な面が目立ちますよねえ・・・・
> 「欧州情勢は複雑怪奇」と言って、首相が辞めちゃうくらいですし。
>
> それと、物理をやっていて感じさせられるのは、
> やはり西洋人って、モノの考え方が凄く論理的なんですよね。
> 論理的である事が最良であるかどうかは別としても、
> それでも、例えば微積分を取ってみても、
> 運動を変化で捉える所から始まった欧州に比べて、
> 日本の和算は、クイズ的に図形の面積を求める為に生まれましたからねえ。
> 数学的なセンスが同程度であったとしても、
> そこから繋がるモノが、全く異なってくる訳です。

 欧米人は理屈で行けば話易い相手何ですよね・・・
> > つまり、西洋では同レベルの国家が狭い土地を巡り、
> > 戦争を繰り返す状況が続いたため、発達した。
> > 東洋では基本的に中国が強く、民族意識も低く、土地が広大であったため戦争の必要が薄れ、
> > あまり戦争は発達しなかった。
> > というのが、石原莞爾の意見です。

 唯一の競争相手で有る騎馬民要因が大きかったように思います。制御する術を手入れてからはもう弱すぎるOrz
> 複数の国家が併存しづらく、その分、統一されやすかった。
その割には動乱期が長いような漢代以後六朝、五代、の長大乱と北宋末期〜元成立、明末清初の動乱、辛亥革命後の軍閥・・・
> そうして、統一の為に民族的な混融が進み、民族意識までも混ざり合った。
 異民族でも漢族になれるシステムがその原因ですかね?
> とは言え、近現代の民族主義的な民族意識に関しては、
> 発生までの誤差が数十年程度あるだけで、中身はそこまで大差無いように思います。
> まあ、石原莞爾が生きた時代は丁度、
> その「誤差ある数十年」の時期だったですけど。
> 実際に石原の中国人観も、コロコロと変わってますからねえ。

確かに・・・そうですね。
> あと、「土地が広大」と言う点が上げられていますが、
> 広大な土地は、膨大な人口を抱えている訳で、
> 「人口密度」として捉えた場合は、どうなんでしょうかねえ?
> また、遊牧民の住む北方となりますと、
> 土地があっても、生産力が低いですからねえ。
> ここで出てくるのが、第二の地理的要因です。
>
> 北方の民族が中国文化を尊重したというよりは、
> 中国を統治する以上、そう変質せざるを得なかったんでしょうね。

文化面ではチャイナドレスがその結晶ですね。
>> 文化的に似かより易い東西の繋がり、
> 南北両方向を海に囲まれた生産力が等しい土地柄と、
> 共存・接触・均衡のバランスがうまく取れていたんでしょうね。
> ローマ教皇という、宗教的な存在もありましたし。
> 一方で中国には、統一を促す「漢字」という存在もあったと。
> かなり大雑把に言ってしまえば、こんな所ですかねえ?

違いは帝國が出たかでないかですか・・・
> それと、書いていて少し思ったんですが、
> 南北に伸びる中国に於いて、
> その中心は「長安→洛陽→開封→北京」と西から東へ移り、
> 東西に伸びる奥州に於いて、
> その中心が「地中海南岸→地中海北岸→北海沿岸」と
> 南から北へと移っているのは、ちょっと面白いですね。
> 互いに、南北と東西のバランスは保ったままですが、
> どうしてこう言う感じになったのかは、興味深い所です。

 人間狭いところから広いところへ行くのが習性なんですかね?

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