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[5593] Re8:戦術の歴史返信 削除
2008/2/27 (水) 21:09:28 徳翁導誉

> > 中国は比較的に平坦で、大きな障害は長江くらいですからねえ。
>  黄河やチベット高地も障害と思えます。

長江と並び、中国を代表する大河である「黄河」ですが、
実の所、この2つの大河は全く性質が異なります。
激しく流れる長江と違い、黄河は広く緩やかに流れるんです。
現在の中国に於いても、長江は洪水が問題となっていますが、
黄河は水が途中で途切れて下流まで流れ着かない「断流」が問題となっています。

つまり、長江に比べると黄河は渡るのに容易な河であり、
そこまで「天然の要害」とはならない河なんです。
実際、中国の歴史を見てみても、
勢力が南北に分かれる境は、黄河ではなく長江になっています。

それと、ここで言っている「中国」とは、
漢民族の住む土地、すなわち「支那」や「唐土」の事を意味しているので、
チベットやウイグル、モンゴルなどは、始めから含んでいません。

> > ですので、「春秋時代で止まってる」と言うか、
> > 地形的な要因からそうなったんだと思うので、
> > 欧州の場合、例え統一されても、それを維持できないんじゃないですかねえ?

>  一度でも統一されてれば「統一欧州を復活させ」と思う人だ出たと思います。
> 実際ローマ帝国を復活させようと頑張った人がでたので・・・

思うことと、出来ることとは別ですよねえ?
実際に統一できたとしても、それを維持するのは更に難しいですし。
それにその理屈ですと、ローマ帝国という実例が有るのですから、
欧州にも何度か統一勢力が出現しても良いと思います。
しかし、実際にそう言ったモノは出現しませんでした。

> > 複数の国家が併存しづらく、その分、統一されやすかった。
> その割には動乱期が長いような漢代以後六朝、五代、の長大乱と北宋末期〜元成立、明末清初の動乱、辛亥革命後の軍閥・・・

それって、統一されていた期間と比べると、
微々たる期間だと思いませんか?
回数は多いでしょうが、あれだけ長い歴史がある以上、
それも当たり前の事ですし。
「歴史的に見ても、中国は分裂する」とか言う人が居ますが、
その理屈で行けば、日本にもそれが当てはまるでしょうね。

> > そうして、統一の為に民族的な混融が進み、民族意識までも混ざり合った。
>  異民族でも漢族になれるシステムがその原因ですかね?

それは「原因」ではなく「結果」です。
中国にも多数の民族が存在していたものの、
地理的条件により、それらを分かち、維持するような環境になかった為、
結果として民族同士の混融が進んだと。
だからこそ、漢民族としての確固とした定義がない反面、
明確な区分が無いからこそ、異民族をも取り込んでしまう訳です。
システムとは、原因があって作られるモノであり、
そのシステムに原因を求めるというのは、因果が逆だと思いますよ。


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> > 海に囲まれ、複雑な地形を擁する欧州に比べると、
> > 中国は比較的に平坦で、大きな障害は長江くらいですからねえ。

> 付け加えますと地形が平坦と言うことは規模の小さい集団では
> 自衛が困難になると言う面もありますね。
> 現に欧州でも地形が比較的平坦なポーランドやハンガリーは
> 征服されるか領域の大きな国家で纏まるかと言った傾向があります。
> 逆に地形が複雑な辺り(スイスなど)は割と小集団でも存続できてますね。

その中でも典型的なのが、欧州内で最も地形が複雑なバルカン半島でしょうね。
あのように地形が複雑であればこそ、多数の民族が存続でき、
それ故に、複数の民族が入り組んで「火薬庫」となってしまうと。

> 中国は小集団だと周辺国の餌食にされるので
> 大集団で纏まろうとするのでしょう。
> ただ本来的には各地方は別集団なところがある(ex.北京語・広東語が別言語と言ってもいいくらいに異なる)
> のでかなり無理して纏まっている感はありますね。

無理をしていると言うか、
かなり緩やかな纏まりですよね。
「漢民族とは何ぞや」と問われた時に、
明確な解答を出すのは、本人たちも難しいんじゃないですかねえ?

分裂しているよりも、1つに統一されている方が長い中国ですが、
しかし統一王朝の治世でも、全土がキチンと1つに纏まっている訳ではなく、
1つの王朝という枠組みの中で、地方地方は結構バラバラですからねえ。
他の小さな民族が「氷」だとすれば、漢民族とは「水」といった所でしょうか?
って、私の例えでは訳が分からないですね(笑)。
替わりに、勝海舟の言葉を引用しておきます。
「中国は西洋の概念にある国家ではない。あれは人民社会の集合体だ」

> > ですので、「春秋時代で止まってる」と言うか、
> > 地形的な要因からそうなったんだと思うので、
> > 欧州の場合、例え統一されても、それを維持できないんじゃないですかねえ?

> 統一していたローマでも分割統治(テトラルキアなど)は頻繁に行なわれていましたし、
> フランク及びは分裂、ナポレオンや第三帝国に至っては
> 僅かな期間しか存続しえませんでしたので維持は出来ていませんね。
> せいぜいでEUのような緩やかな纏まりが限界でしょう。

イフを語るとすれば、「フランク王国が分裂しなければ」ですかねえ?
アルプスで遮られるイタリアは仕方ないにしても、
東西のフランク王国が分裂せず、現在のドイツとフランスが1つの国家を形成していれば、
あの位置に、それだけの巨大な勢力が存在すれば、
欧州の歴史も大きく変わったでしょうからねえ。
ドイツとフランスとの間には、アルプスやピレネーほどの境は無いですし。

しかし現実には、ドイツ(神聖ローマ帝国)はイタリアを目指したと。
地形が生み出す結果を「必然性」だとすれば、
歴史的や宗教的な価値として、ローマを目指すというような、
人の行為が生み出す結果は「偶然性」と言えるかも知れません。
そして今、ドイツとフランスがEUの中心に居るのは、必然性の産物なのか?(笑)

> > 分裂期以外で、四川に独立国が登場しなかったのは、
> > 結構面白い議題だと思います。

> 四川は独立していくにはあまりにも土地が貧しすぎる
> (日照時間が極端に少ないため麦や米などの作物が育たない)ので
> 独立したとしても中原に飲み込まれていく宿命と言えるのかも知れません。

でも四川って、古来より「天府の国」と呼ばれ、
農作物が豊穣に収穫できる土地じゃなかったでしたっけ?
日照時間が短いと言っても、日本の7割くらいはありますし、
気温も高温で、水が豊富にあったので、
四川に自生する稲や麦なら、よく育ったと思いますよ。

> あと長安などの政権中枢及び湖北・湖南の経済的重要拠点を脅かせるので
> 放置しておくには危険と言う面もありますね。

それが大きいように思います。
雲南なんかは、独立を保っていた時期が結構長いですし。
豊穣の地であり、要地に隣接しているとなれば、危険な存在ですからねえ。
特に長江流域の場合、四川が陥落した事でドミノ倒しになるケースも有りましたので。
そして、四川の外は更に広大であり、そこを統一した勢力には、
天然の要害に守られ、泰平を謳歌していた四川の勢力は勝てないと。
ただ、よく「天然の要害」と言われる四川ですが、
滅びる時は、結構あっさりなんですよねえ。

攻められにくいけど、攻め出しにくい。
豊穣の地で食うには困らないけど、僻地なので住民の文明は遅れ気味。
気候は温暖だけど、晴れの日が少なく、湿度が高い。
う〜ん、やはり覇気を奪う土地なのかな、四川は?(笑)
外敵が居ない分、内部から腐敗していくケースが多いですし。
堅牢な地形こそが、人の心に隙を生じさせるんでしょうね。
何か、こう四川の事を書いていると、
四川視点からの歴史について、ちょっと纏めてみたくなりますね。

> まあ、春秋戦国期の技術革新は当時としては凄まじいものだったので
> この辺りでほぼ完成してしまった部分もありますね。

戦車に、弩、騎馬など、
基本的なモノは、春秋戦国期に完成してますよねえ。
せっかく火薬を発明しても、
それをなかなか有効に使えませんでしたし。
って、ほんの半世紀前の朝鮮戦争で、
人海戦術により、あのアメリカ軍と対峙してしまった事を見ると、
技術革新は有効であっても、必ずしも絶対ではないのでしょうけど。

> > 中国の場合、地形が平坦であったが為に、
> > 複数の国家が併存しづらく、その分、統一されやすかった。
> > そうして、統一の為に民族的な混融が進み、民族意識までも混ざり合った。

> 複数国家の併存自体は割と出来てしまうところもあると思います。
> 五代十国期あたりがいい例ですし、民国期もある意味
> 併存と言えるのではないでしょうか。

一時的な併存は可能でしょうけれど、結局それも短期間の事で、
最終的には、統一の方向へ流れますよねえ?
長江を境にした南北の分断を除くと、
それ以外の分裂って、ほとんど続かない印象です。

> > 気候的条件が異なれば、生活様式まで異なり、
> > 生活様式が異なれば、文化まで異なるものです。
> > それにより、文化による棲み分けが容易となり、
> > 接触や衝突も、幾分か減るように思います。

> まあ、その気候が変わってしまいますと、
> 牧草地(+略奪品)を求めて南下したり、北方へ農地(+防衛ライン)を広げたり
> してしまうので住み分けはなかなか持続しませんね・・・

気候の変動以前に、気候自体が、
明確な線引きにより、分かれている訳では無いですからねえ。
北方の遊牧民と南方の農耕民のせめぎ合いが、その境界地域で行われると。
で、中国は「万里の長城」という人工的な線引きを行う訳ですね。

> > しかし欧州では、国家の林立を許す複雑な地形、
> > 文化的に似かより易い東西の繋がり、
> > 南北両方向を海に囲まれた生産力が等しい土地柄と、
> > 共存・接触・均衡のバランスがうまく取れていたんでしょうね。
> > ローマ教皇という、宗教的な存在もありましたし。

> 個人的には古代末期の民族移動が大きいんではないかと見ています。
> ゲルマンと一口に言っても様々な部族がいたので
> 後に成立した国家はこの部族が土台となっています。
> (ex.フランク→仏・独、ランゴバルド→伊、西ゴート→西etc)
> 西欧の王権は皇帝権と違い血筋に基づいているので
> 王権では他部族を支配する正統な理由がありません。
> それで同君連合といった話が出てくるのですが、
> 統一となると皇帝権に拠る他ありません。

そこで出てくるのが、やはり宗教(キリスト教)だと思うんですよ。
王権も、皇帝権も、その拠り所とするのは「神」ですよねえ?
そして、「神の代理人」であるローマ教皇が存在すると。
まあ、教皇と国王や皇帝との関係は、時代によって様々ではありますが、
これらの複雑な関係が、国王を守り、皇帝を弱体化させていた面もあると思います。
だからこそ、外交や戦術なども発展したんでしょうね。

一方、中国に於いては、
宗教の影響が強く及ぶのは、春秋戦国の頃までで、
それ以降は、そこまで大きな影響は及ぼしませんよねえ。
他国を滅ぼすとその家の祭祀が途絶え、それにより滅ぼした国の祟りに合うという
春秋時代の祖先崇拝の考え方が生き残り、国家の林立が続いた上で、
祖先崇拝から生まれた儒教が、欧州でのキリスト教的な役割をすれば、
中国も欧州のような状況で落ち着いていたかも知れませんね。
北方の遊牧民はさながら、欧州に於けるイスラム勢力でしょうか?

また、日本の場合なら、天皇でしょうか?
天皇家が存続し得た理由も、この辺に有ると思います。
まあ、島国である日本の天地の狭さから、
複数の国家が存続する事もなかったので、
教皇みたいに、政治にまで大きく影響を及ぼすような存在ではないですけど。

> > 一方で中国には、統一を促す「漢字」という存在もあったと。
> > かなり大雑把に言ってしまえば、こんな所ですかねえ?

> 欧州とは対照的に中華皇帝は権力が強大だったため、
> これに対抗できる勢力が無かったことも理由として挙げられるでしょう。

では何故、中国では皇帝の権力が強大に成り得て、
一方で、欧州ではそう行かなかったのか?
そうなると結局、地理的要因に戻ってきませか?
中央集権に適した地だったのか、そうでなかったかで。

> > 南北に伸びる中国に於いて、
> > その中心は「長安→洛陽→開封→北京」と西から東へ移り、
> > 東西に伸びる奥州に於いて、
> > その中心が「地中海南岸→地中海北岸→北海沿岸」と
> > 南から北へと移っているのは、ちょっと面白いですね。

> 中国の場合は専ら利便性の問題でしょうか?
> 長安は秦の統治システムを利用、洛陽は生産力が高い、
> 開封は大運河の結節点、北京はモンゴルや満州に近い
> といった利点があります。

そうでしょうね。
春秋戦国あたりですと、長安周辺で人口を養えたものが、
人口の増加により、守り易い土地から、生産性の高い土地へと移っていったと。
日本の城で言えば、山城から平城に変遷したような感じでしょうね。

> 欧州の場合は元々南方が先進的であったものの
> 潜在的な力は北方の方が優れていたため、
> 開発が進むにつれて北へ移ったといったところでしょうか。

これも、そうだと思います。
環境が厳しいだけの土地では、多くの人口を養う事が出来ず、
逆に、過ごしやすい環境で生産性も高いと、人はあまり考えない。
文明とは、高い生産性と厳しい環境を持ち合わせた土地、
つまり、大河を擁する乾燥地帯で生まれました。
四大文明の発祥地を見ても、それが当てはまると思います。

しかし、厳しい環境では、それ以上の成長があまり望めず、
より過ごしやすい環境へと、文明の中心は移っていく。
それが最も顕著だったのがヨーロッパだったんでしょうね。

> ちなみに個人的にはローマ帝国がなぜイタリア半島から生まれたか?
> という点が興味深いですね。
> 中世以降のイタリアの歴史を見ていると、よくあんなところで
> 潰れずに成長できたなあ、と感心させられます。

正直な所、私はあまり西欧史に詳しくないので、
正しいかどうかは分からないですが、「ポエニ戦争」による結果だと思います。
イタリア半島のつま先に、シチリア島が浮かんでいる訳ですが、
この島は、かなり農業生産の高い土地なんです。
しかも地中海のド真ん中に位置する島なので、交易面でも重要な島。
当時のローマはまだ、ただの農業国でしたが、
目と鼻の先にある豊かな島が、カルタゴの影響下にあったわけで、
農業生産的にも、国家安全的にも、抑えておきたかった。
そして、第一次ポエニ戦争の勝利によってシチリアを勢力下に。

続いて起きた第二次ポエニ戦争でも、ローマが勝利するものの、
ハンニバルにより、20年近くもイタリアは蹂躙されて農地は荒廃。
しかもローマは市民兵で戦う為、市民たちも疲弊。
農地を荒らされ、財産を失い、疲弊した市民たちが大量にローマ市内に流入。
しかしカルタゴに勝った事で地中海の交易圏を握り、
シチリアやカルタゴ、エジプトなど、
ローマ以上に豊壌な土地から、安い穀物が大量に入ってきてローマ市民は大助かり。
ここからローマの変質が始まり、大国化していくと。

結局、ローマの大国化を地形に求めるとするなら、
それは「イタリアの3km先にシチリア島が浮かんでいたから」でしょうか?(笑)
地政学的に捉えても、あの島はかなりの要地なので。

ついでに、地政学的な側面から話を進めると、
イタリアというのは半島国家なので、地理的条件的には結構不利なんですよね。
半島って、三方を海に囲まれ、大陸とも接してますので、
海陸両面から侵攻される訳です。
しかも、半島というのは面積に乏しいので国力が低いケースが多く、
その低い国力では、海陸両面の防衛を行うのは大変です。

しかしその反面、海も陸も抑えられれば、
海洋国家と大陸国家のメリットを併せ持つ国となり、大国化する事があります。
カルタゴを破った事で地中海を内海化でき、
大陸側はアルプスで蓋をされ、その両端には巨大な勢力が存在せず。
こうした条件を兼ね備えたローマ帝国は、まさにその典型例でしょうね。
ローマ帝国と同じ様な例は、他にはオスマン帝国ですかねえ?
ただし、半島国家としての弱点は残したままなので、
守勢に回らされると、一気に崩壊して行くんですがね・・・・


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> 中国ですが
> 中国に関しては、礼(文化)の束縛と文官の統治(中央集権の確立)(古代春秋時代の遺産のおかげ?)

武官と文官の扱いの差というのは、結構大きな要素かも知れません。
儒教の影響で、文官は武官より重んじられましたからねえ。
統治には適していても、戦争には向いていなかったと。

> 西から東に行ったのは、中央集権の規模(上流の生活を支える基盤)が大きくなっていき、また、外交や物流が関係してるような。
そうだと思います。
物流面で言えば、開封は北の黄河と南からの運河を結ぶ地でしたし、
北京は、モンゴルと中国を同時に見られる土地ですので。

> ヨーロッパでは
> 南から北に行ったのは、
> 肥沃な三日月地帯の原生作物・家畜などの人の手による拡散(小麦・大麦・馬・羊・山羊)
> ギリシャ移民の拡散、ローマの拡大と地方経済基盤の樹立
> 気候変動及び土地の劣化(塩化・砂漠化)が原因では

文明の伝播などは確かにそうなんですが、
ローマが最盛期を迎えた頃にも、
エジプトの穀物に頼り切っているんですよねえ。

> また、ヨーロッパは分散する民族が居たこと、ギリシャ・ローマなどにより、技術が広まったが
> 中国は中央集権でそれらが少なかった?

少なかった訳ではないですよ。
周の時代は、その範囲は黄河流域周辺くらいで、
それにつぐ春秋戦国時代などでは、秦や楚なども異民族でした。
現在の首都である北京なども、当時はまだ僻地でしたしねえ。
「漢民族」が異民族を吸収し、「中国」が拡大・膨張する事により、
文明や技術も周辺へ広がっていきました。
日本もまた、その恩恵を受けた1つですね。

> え〜と、五時ダツジは見逃してくだし。
最後のこの一文が、最も誤字脱字がひどいような気も(笑)。

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