| > > 例えば同じように、キリスト教とイスラム教の等距離にあっても、
> > リビアなどは、火薬庫にならない訳ですし。
> リビアは砂漠による無人地帯もあり、距離を置けているので
> 火薬庫にならずに済んでいそうですね。
> わざわざ灼熱の砂漠を越えてまで争いにいくのもナンセンスですし(笑
まあ、リビアというのは、
敢えて、かなり極端な例を出したんですけどね(笑)。
> > 中部フランク王国(ロタール領)って、かなり無理がありますよね(笑)。
> > ライン川流域と北部イタリアが地続きだとは言え、
> > ど真ん中にアルプスが走ってますからねえ。
> 語弊がありましたが言いたかったこととしては、
> ロタール領の辺りがちょうど境目になっているという事で
> あの王国そのものが持続しうるものとは考えていません。
いや、それはもちろん分かっていますよ。
ただ、ロタール領の話題が上がったので、
「やはりその分割は無理があるだろ?」って事を、ただ書きたかっただけです(笑)。
河川での国境って難しいんですよね。
山岳国境と違い、河川は障害であると同時に航路でもありますので。
しかも河川の両岸には、平野が広がっている事が多いですし、
二勢力が対峙する場合、河川を境にピタリと分かれるよりも、
どちらか一方の勢力が河川の両岸を支配し、
その相手側の岸の限界線あたりが、国境になる事も多いような気がします。
> > > まあ、フランクが分裂したのは実は彼らの遺産相続方法が
> > > 分割相続だったからなのですが(笑
> > だからこそ、イフを思うんですよね。
> > これがもし三人兄弟ではなく、二人兄弟でしたら、
> > アーヘンを中心とするフランス・ドイツと、
> > ローマを中心とするイタリアとに二分されたでしょうからねえ。
> 三分割される前は相続権者が一人しかいなかったために
> 分裂しなかったと言うこともあるのでこのイフは一考に値しますね。
そうなんですよねえ。
そう言う状況が、あと何代か続けば・・・と思う反面、
やはり一度くらいは分割相続で痛い目を見ないと、
一括相続には移行できないかも?と言う思いもあります。
ただ、その痛い目を見る分割相続が、
史実とは異なりアーヘンとローマの二分割であったら・・・と考える訳です。
まあ、所詮はイフですが(笑)。
> > 確か、学研から出ている「歴史群像シリーズ」の三国志の巻でしたかねえ?
> > そのような「天府の国はデマ」説の記事を読んだ事もありますが、
> > その記事自体に、間違えやいい加減な記述が多すぎたので・・・・
> 実を言いますと「天府の国はデマ」説のソースはその記事です。
> あの記事の信憑性は低かったのですね・・・
だって、いきなり成都平野を話題の対象から除いてますからねえ。
四川農業の中心である成都平野を無視して、四川の農業事情は語れませんよ。
「雨水が多いから栄養素が流されて貧土になる」とも書いてますけど、
栄養素は流される以上に、上流からも流れてきます。
それは四大文明などを考えても分かりますよねえ?
あと、「広辞苑に古来より天府の国だと載っているが、それは間違い」という主張も、
では何故、そうした伝聞が有ったのかについて、一切の検討がなされてませんし、
「今も昔も中国で最も貧しい地」とありますが、
少なくとも現在の四川は、世界を代表する米の大穀倉地帯です。
それに、これだけ大きく話を振っておきながら、
最終的な結びが、「穀物は作れるが、作柄は今一つダメである」って、
言い換えれば、「作柄は多少落ちるが、穀物は十分に作れる」と書いている訳です。
続いて、漢中・北伐関連の記事ですが、
気温と日照時間は足りているが、水温が低いので稲作は「不可能」と結論付けてますが、
十分な気温と日照時間があるなら、貯水池を設けるだけで水温なんて上がりますし、
そもそも水田に水を張るのですから、そこで日光により温まりますよ。
更に、「米倉は満ち溢れた」という記述を引用して、
具体的な収穫量の記述がない事を理由に、現実は逆だったろうと結論付けるのは、
幾ら何でも、無理があり過ぎでしょう・・・・
> 漢は関中制覇後、こちらに本拠地を移していますので
> 四川から外に出る事が重要ですね。
> 先の北周の例でも本拠地は長安ですし。
四川は守りやすく、豊かな地だからこそ、
天下を狙う上では、後方基地としての利用がベストでしょうね。
北伐が成功し、関中を掌中に収められたのなら、
本拠を長安に移す事は、十分に有り得た事だと思います。
長安は前漢の首都ですし、そちらの方が正統性を主張しやすい面もあるでしょうから。
あとは如何にして、東方の守りを固めるかですね。
本拠を長安に移すならば、関中の守りは良いとして、
問題は四川に於ける長江沿いの守りですか。
秦や漢の時には、まだそのルートも未発達でしたし、
北周には、江陵に緩衝国となる西梁が存在してくれましたが、
荊州失陥後の蜀漢には、そう言ったモノがないですからねえ。
如何に長江ルートが難行路だとは言え、
呉や魏の大勢力により江陵を押さえられていると、何かと面倒ですし。
そうなると、やはり関羽の荊州失陥の話になっちゃうんですよねえ・・・・
それにしても他の2勢力は、見事に本拠地がそのままですね。
魏晋南北朝と、一括りにされる時代ですので、
時代的な継続性もあるのでしょうが、やはりそこが要地なんでしょうね。
特に呉の建業なんて、この時代には建康と名を変え、その後に南京となる訳ですし。
> イフとして入蜀後、本拠地を荊州のままにするということを考えた事がありますが
> この場合は孫権との争いを助長させてしまいそうですね・・・
> まあ、交通の便はいいので外に出るには打って付けなのですが。
それはアリだと思いますよ。
と言うか、最初の構想としては、そう言ったモノもあったかと思います。
最初のうちは関羽だけでなく、張飛や諸葛亮も荊州に残留してますし、
そもそも劉備の大義名分は、荊州牧くらいしかありませんからねえ。
あっさりと益州を手に入れられてて、益州の統治にも不安がなければ、
本拠地を荊州のままにしていた可能性は有ると思います。
孫権との対立にしても、劉備が何処にいようと、
荊州を狙う呉の動きは変わらないでしょうし、
劉備が荊州に居る事で、却って呉は手を出し辛くなったかも知れません。
魏を脅かすにしても、荊州に居た方が効率的ですし、
荊州を囮にして関中を狙ったり、逆に関中侵攻を囮に荊州から狙ったりと、
作戦の幅も大きくなりますからねえ。
ただ問題は、荊州を本拠地にして、四川を無事に保てるかですね。
四川自体の統治面の問題もあるでしょうが、ここでは軍事面に限定しますと、
荊州に居ては、関中方面からの四川侵攻には抵抗し切れない。
となると、漢中の張魯を温存し、緩衝国化する方法もありますが、
それでは国力を北方や関中に伸ばす事が出来ませんし、
魏からの侵攻ルートを一本に縛り、防衛しやすくなる代わりに、
自分たちの魏への侵攻ルートも、一本に縛って攻め難くなってしまう。
だからと言って漢中を押さえると、防衛面では二方面での対処を強いられる。
そうなると、「漢中―上庸―襄陽―江陵」という、
漢水ラインで防衛線を築こうという事になるんでしょうね。
ただ、このラインも地形的にかなり厳しいんですけど・・・・
結局、荊州を本拠地にし続ける場合、
魏との戦いは短期で決着に導く方向にしないと、
かなり難しいような気がします。
荊州と漢中の二正面ですと、魏の方が移動が楽ですし、
荊州は呉とも接するので、魏と呉に挟み撃ちにされる危険性もありますからねえ。
江陵は、「湖北と湖南」「四川と江南」を結ぶ十字路にあるので、
交通の要所として便利すぎて、逆に危険なんですよねえ。
何処の勢力にしても、絶対に押さえておきたい土地ですし。
そう考えて行くと、「北周・北斉・陳・西梁」のバランスは実に絶妙(笑)。
> > オスマン皇帝が「スルタン」と「カリフ」を兼任したイスラム教では、
> > スルタン制の廃止と運命を共にして、
> > 結局、カリフ制は現在まで生き残れませんでしたからねえ。
> 確かオスマン朝のスルタンが廃位された際に、カリフの称号を残そうとしたものの
> こちらも没収されたんですよね。
> まあ、トルコは脱イスラム路線だったので受け入れられないものだったのかも知れません。
スルタン制の廃止が1922年で、カリフ制の廃止が1924年と、
2年の時間差がありますからねえ。
ケマルも反発を恐れて、一気に事を進められなかったんでしょうね。
取り敢えずは、亡命した皇帝を廃位させてスルタン制のみを廃止し、
カリフの職だけを、皇太子に継がせるなんて処置を取ってますし。
カリフ制の廃止には、
脱イスラム路線という要素も確かにあったのでしょうが、
ケマル自身の保身的な要素もあったように思います。
ケマルがアンカラで蜂起した時、オスマン皇帝はカリフの力を用いて、
ケマルたちを「神の敵」とし、カリフ軍を組織しましたし、
特にこの帝国主義の時代には、欧米列強からの侵攻や迫害を受ける事で、
国外のイスラム教徒からも、カリフを重く見る風潮が生まれて来るんですよねえ。
欧米列強に対抗すべく、イスラム団結の象徴になりえますからねえ、カリフは。
しかし為政者であるケマルにとっては、こんな存在は脅威以外の何物でもありません。
それに、スルタン制の廃止後も、
カリフを象徴的存在とする立憲君主制の意見も多く、
急進的で強引なケマルに対して、反発や離脱した人たちも、
カリフの元に集約し、反ケマル派を形成し始めて来るんですよねえ。
だからこそ、ケマルはカリフ制廃止という大ナタを振るったと。
しかし、前皇帝のカリフ軍なんていう伝家の宝刀を抜かなければ、
ケマルとしても、ここまで強引に事は進められなかったと思います。
そう言う意味では、歴史とは個人が動かす部分も確かにあるんですよね。
> > って、三大国家に囲まれている状況自体は日本も同じなので、
> > あまり他人事ばかりでは、居られないんですけどね・・・・
> 欧州系を除いた大国勢揃いですからね・・・
欧州に「大国」はあっても、「超大国」までは無いですからねえ。
まあ、EUがどれくらい団結できるかで、
それも変わってくるかも知れませんけど。
何だかんだで、ユーロも幅を利かせ始めてきますし、
EU大統領やEU外相の誕生も、間近みたいですからねえ。
> > 北朝鮮の上層部にしても、統一にデメリットはあってもメリットは皆無。
> > 結局、どの国も「現状維持」が最良なんですよねえ。
> おそらく本音ではどこもそう考えているような気がします。
> ただ一国を除けば・・・
しかし北朝鮮を、上層部ではなく国民として見た場合、
現状維持を望まない国は、まさにここでしょうけどね。
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