| > (ただ、トルコ民族の領域については、エンヴェル・パシャががんばったのが
> 冷戦以前と言うこともあって、縮小するべきではないかと思いました。どうでしょうか。)
自分もテュルク語族を一括りにしてしまうのは少し疑問です。
歴史的に考えますと、アナトリアから中央アジアまで単一国家が支配していたのは
セルジュークか分裂以前のモンゴル帝国まで、トルキスタン全土ではティムール帝国まで、
中央アジアだけなら1991年までロシアの統制下でしたが、
現在では国境問題などの緊張を抱えています。
また、汎テュルク主義もアナトリア側から発せられた事例が多いです。
すなわち第一次大戦前後でのエンヴェル・パシャ、第二次大戦前の泡沫的な運動、
現代におけるトルコ共和国の中央アジア諸国への支援がそうですね。
ここで注意すべきことは、アナトリアの中央アジア進出という側面を持ち合わせていることです。
真剣にトルコ民族の連帯を掲げている人物や団体もいるかと思いますが、
エンヴェル・パシャの場合、例えば中央アジア独立によって長年の敵対国である
ロシアへの牽制、ないし反露同盟のパートナーとして支援していたという動機があっても
おかしくないわけです。多くの人を動員する主義を掲げている政治的人物が、
本心から運動に何らかの利益を見出そうとしていない、という事はなかなか珍しいですからね。
バスマチ運動の事例もありますが、ロシアの支配者に対する政治的ナショナリズムは
汎テュルク主義から割引いて考えるべきでしょう。アフリカやアジアの植民地化されていた
多民族地域では支配者と被支配者に分かれ、多民族が政治的連帯を見せたこともありましたので。
もし、20世紀の世界でアナトリアから中央アジアにかけての単一国家が誕生しても、
ソ連やインドネシア以上に脆い状況になったのではないでしょうか?
ロシア民族とウクライナ民族はスラブ民族の中でも言語学では近い関係にあります。
そしてエカテリーナ女帝からソ連崩壊までウクライナはロシアの一部であり、
歴史的体験を共有していました。しかし2004年に起きた結果はどうでしょうか?
ウクライナが世界に見せつけたのはウクライナ人が反モスクワという考えを支持したことです。
そういえば、オーストリアも大戦直後はドイツへの合併を熱望していましたが、
ドルフス政権ではイタリアを引き込んでナチスの圧力に反抗しました。
オーストリア・アイデンティティーには反ベルリンも一つの柱かもしれませんね。
ともかく民族的に親和が高くとも、歴史的体験を共有する時間が長くても先のウクライナや
アラブ連合のような事例がありますから、ましてやアナトリアとトルキスタンに分離されている状況で、
しかもソ連の大ロシア人ほどアナトリア・トルコ人の割合は高くないでしょうし、
歴史的な共有性も近世以前で終わってますし、トルキスタン側が「我々はアンカラより
収奪を受けている!」と憤慨して連邦解消、トルキスタンもバラバラに・・・。
というのが現実に起こりそうです。というわけで汎テュルク主義に基づく統一国家というのは
結構非現実的ではないかと考えます。 |
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