| ▼ 徳翁導誉さん
> で、北京の生産値ですが・・・確かに低いかも知れませんね。
> WW2Onlineからの流用なので、実はあまり深く考察してないんですよ(笑)。
> 一方で、あの時代なら満州の生産値が高過ぎますね。
> 満州の生産値を減らし、北京を多くしてみました。
遅れましたがありがとうございます。
> ただその一方で、確かに北京(扱い的には華北)の人口は多かったものの、
> その人口が生産に寄与したかと言うと、結構難しいところだと思います。
> 近世以降の中国と言うのは、江南の生産が華北の消費を支えるようになってましたし、
> 華北は何と言っても、農産力が低かったですからねえ。
> 特にあの頃の清朝では、トウモロコシやサツマイモが入ってきた事により、
> 一時的に華北の農産力が上がって、人口が爆発的に増えたんですが、
> それらの作物は土地の消耗が激しく、砂漠化して農産力は更にガタ落ち。
> 結局、19世紀の後半には無駄に人口ばかりが多かったのが実状ですので。
なんで、華北では工業化が押し寄せなかったのでしょうかね?
華南では余剰人口をいくらか工場が吸収したそうですが。
> まあ最初のうちは、疲弊した国土の復興に回るんですが、
> その後に来るのは海外への進出と言うわけです。
> 1880年代にハワイやフィリピンへとアメリカが拡大し、
> そして中国を目指して、日本と衝突し出していくのもその為ですね。
>
> と言うか、そもそもこの南北戦争自体が、
> 南部「俺らの綿花を英国に売りたいから、自由貿易やろうぜ!!」
> 北部「バカ!そんな事したら英製品が流入して俺らの工業壊滅じゃん!!」
> 南部「ぜった〜い、自由貿易!自由貿易!!」
> 北部「ぜった〜い、保護貿易!保護貿易!!」
> 南部「じゃあ良いよ、俺らは独立するから」
> 北部「はぁ!?お前らは俺らの製品を消費する役目があるだろ?」
> 南部「勝手なこと言ってんじゃねえよ!独立だ、独立!!」
> 北部「先生〜 南部君が奴隷使って酷い事してま〜す」
> って感じですからねえ(笑)。
> 実はそこまで、戦争目的に奴隷問題って大きくない訳です。
南部は州の為に国があると考えていたので、元々中央集権的な北部に反感を抱いていたとも
思います。直接的な原因は経済ですけど。
> 最後に、前載のデータが気に入ってもらえたみたいなので、
> 同じデータの1900年以降も貼っておきます。
> 出典は「International Industrialization Levels, 1750-1980」です。
> って、孫引きなんですけどね(笑)。
> 因果関係が分かるよう、各間の歴史的出来事も追加しておきました。
>
> 地域 英 仏 独 伊 露 米 日 中 印 歴 史
> 1750 1.9 4.0 2.9 2.4 5.0 0.1 3.8 32.8 24.5
> 米独立・印植民地化
> 1800 4.3 4.2 3.5 2.5 5.6 0.8 3.5 33.3 19.7
> 英国で産業革命
> 1830 9.5 5.2 3.5 2.3 5.6 2.4 2.8 29.8 17.6
> 阿片戦争・ムガル滅亡・仏帝政
> 1860 19.9 7.9 4.9 2.5 7.0 7.2 2.6 19.7 8.6
> 南北戦争・ドイツ統一
> 1880 22.9 7.8 8.5 2.5 7.6 14.7 2.4 12.5 2.8
> 米西戦争・独3B政策
> 1900 18.5 6.8 13.2 2.5 8.8 23.6 2.4 6.2 1.7
> 日露戦争・清朝滅亡
> 1913 13.6 6.1 14.8 2.4 8.2 32.0 2.7 3.6 1.4
> 第一次大戦・ソ連誕生・世界恐慌
> 1938 10.7 4.4 12.7 2.8 9.0 31.4 5.2 3.1 2.4
> 第二次大戦・米ソ冷戦・印パ戦争
> 1953 8.4 3.2 5.9 2.3 10.7 44.7 2.9 2.3 1.7
> ベトナム戦争・高度経済成長
> 1973 4.9 3.5 5.9 2.9 14.4 33.0 8.8 3.9 2.1
> 毛沢東の死・改革開放の開始
> 1980 4.0 3.3 5.3 2.9 14.8 31.5 9.1 5.0 2.3
>
> 1750年から1980年までの資料ですから仕方ないんですが、
> 1980年以降もあれば、ソ連邦崩壊やバブル景気、
> 印中の急成長(と言うか回復?)なども見られて面白かったでしょうね。
これを見ると結構フランスって「駄目な子」なんですね。
毎回ドイツに苦戦するのは納得。
1913年以降下げ幅が大きいのは第一次世界大戦で消耗したからでしょうか? |
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