| > BGMですが、通信や部隊の配置にと地域アイコンをクリックすると、
> 「BGMあり」のままBGMが停止してしまいます。
> 一度クリックして「なし」にしてから再度ありでまた流れますが、
> 先程の続きではなく、頭に戻ってしまいます。
とりあえず対応しておきましたが、
銀凡伝とは違う表示方法なので、対応しない方が良いかも知れませんね。
そもそも、別にBGMは必要ないかも?(笑)
> あとはアリソン大統領ですね(笑)
少なくとも、私にはもう無理です(笑)。
> オーストリア担当ですが
> オーストリアだけ文面が2行で悪評・好評どちらもなく
> 就任しただけに近い存在ですが、ゴルバッハとはどういった人物なのでしょうか?
> 一応検索はしては見ているのですが、歴代の人ですらパッとしないので
> 良ければどの様な人物か教えて頂ければ嬉しいです。
デンマークでの書き直しも認めていただけたので、
オーストリアの方も書き直しておきました。
まあ、略伝は4行に纏めてますので(簡潔にするのも意外と大変)、
「どの様な人物か」までは、そこまで伝わらないでしょうけど(笑)。
http://www.geocities.jp/kako_log4/red_session/ryakuden.html#Gorbach
と言う事で、付け足しに少し書いておきますと、
ゴルバッハは、未だオーストリアがハプスブルク帝国の統治下にある1898年、
地元のキリスト教幹部の息子として、チロル地方に生まれたそうです。
で、父親は息子を同じく聖職者とすべく、学校に通わせるんですが、
第一次大戦、敗戦による帝国の崩壊、共和制への移行という時代に重なると、
学校で歴史に興味を持ったゴルバッハは、次第に政治にも興味を持ち始め、
父親の希望通りとはならず、政治の世界へと乗り込んで行く事になるのだとか。
その後、ゴルバッハは地方議会で頭角を現していくんですが、
時あたかも大戦前の時代で、同じドイツ民族の国家である隣国ドイツではナチスが台頭し、
1938年には、「民族統一」を訴えるドイツによってオーストリアは併合されてしまいます。
まあヒトラーにしても、オーストリアは自身の母国でしたからねえ。
この併合に関して、オーストリア国内では賛否両論あった訳なんですが、
結果的には、ナチス・ドイツが軍事力を背景に、強行に押し進めます。
その為、併合反対派の人々も、その多くは恐怖によって口を塞ぐものの、
ゴルバッハは、併合後も明確に反対を表明したそうです。
そのような強い精神力は、キリスト教への強い信仰心が基礎となったのだとか。
家庭環境からして、そういった所で育った人ですからねえ。
聖職者にしたいという父親の希望は叶わずとも、
息子へと施したキリスト教の教えが、政治家ゴルバッハの「土台」を築いた訳ですね。
でもまあ、こんな政治姿勢をナチスが許すはずもなく、
ゴルバッハは政治犯としてすぐに収監され、
一度は釈放されるものの、数ヶ月後には再収監されて終戦を迎えます。
結局、併合期は基本的にずっと檻の中って事ですね。
ただ、そうした反骨的態度が「反ナチス」の象徴のような人物として扱われ、
大戦後、連合国による占領下でオーストリアがドイツより分離されると、
国民議会(国会第一院)の議員に選ばれると、国民議会議長にまで選出され、
戦後16年間で13年もの間、国会議長の職を務め続けます。
そして、その実績を買われて、独立時の首相であるラーブの跡を継ぎ、
1961年にオーストリアの首相に就任し、1964年にクラウスへ首相職を譲ります。
そしてゴルバッハは首相退任後、1970年まで議員を続け、1972年に死去したそうです。
ちなみに、このラーブ、ゴルバッハ、クラウスはともに、
中道右派政党である「オーストリア国民党」の議員で、
首相としてのゴルバッハも、前任者ラーブの路線を引き継いでいたみたいです。
その路線とは、米ソ両陣営との協調関係は保ちつつ、永世中立は維持するというモノですね。
大戦後、オーストリアもドイツ同様に米英仏ソの4カ国による分割占領を受けたのですが、
中道右派の国民党が自由主義陣営との友好関係を築き、
中道左派の社会党が共産主義陣営との友好関係を築き、
国内では、国民党と社会党が二大政党で連立政権を築く事により、
オーストリアは、ドイツのように国家分断される事なく独立を果たします。
(二大政党での連立政権は、両党とも過半数に達しなかったという事情もありました)
ナチス・ドイツによる併合を直近に経験した政治家たちならではの行為だったかも知れません。
国を失ってしまえば、元も子もないと言うことを肌で感じた人々ですし、
政治力を失ってしまう程までは、国を失ってからの時間経過が無かった事も幸いでした。
(とは言え、やはり多くの混乱があり、それを救ったのは社会党のレンナーでした)
まあ勿論、協調関係にある政党が政権を取れば、オーストリア全土に影響力を及ぼせたり、
東西陣営の最前線であるオーストリアが緩衝地帯となる事での負担軽減、両陣営のパイプ役など、
米ソ両国の思惑も絡まって、「非分断&永世中立」という結論に達した面もありますがね。
でもまあ、この辺は、連合軍の占領下で臨時首相を務めたレンナーだったり、
独立を果たした時に首相を務めていたラーブだったりの功績で、
彼らの跡を継いだゴルバッハは、その路線を堅持しただけなんですけどね。
とは言え、ああした冷戦下のような混迷した時代では、
体制を作り上げるだけでなく、その体制を継続させていく事も重要なので、
「議員の良心の象徴」を求められる国会議長職を長く歴任し、
ナチスによる併合にも屈しなかった反骨の政治家であるゴルバッハには、
そうした「継続者」としての役割をこなすだけの、十分な力量を持っていたのかも知れません。
冷戦対立には局外を決め込み、大連立によって国内へは社会の安定・成長・平等をもたらし、
そう言う意味では、「路線の堅持」も十分に評価の対象にはなりますでしょうか?
まあゴルバッハも、激動の時代が作り上げた人物の1人かも知れませんね。
100年ほど早く生まれていれば、「頑固で歴史好きな地方の重鎮聖職者」で終わっていたかも(笑)。
って、何だか途中からオーストリア政界の話になりましたので、
ついでに、その後の展開も少し書いておきますと、
1966年の選挙では、国民党が過半数を獲得して国民党単独政権となり、
続く1970年の選挙では、今度は社会党が過半数を獲得して単独政権となります。
とは言え、今までの経緯からして、どうしても「馴れ合い」を呼んでしまうのか、
1986年の選挙では、両党とも過半数に達せず、再び大連立を組みます。
そして冷戦体制が崩壊すると、オーストリアは中立からEU加盟へと進むのですが、
この辺りから、大連立政権への国民の不満が表面化して来るんですよねえ。
冷戦集結により、東西両陣営の最前線での中立という緊張状態からの解放に加え、
EU加盟により、労働福祉の切り下げや移民労働者の流入などが起きて、
それで発生した国民の不満を、極右民族政党の「自由党」が取り込んで躍進していきます。
そして2000年には、国民党と自由党との連立政権が誕生し、
自由党という極右政党との連立に、欧米諸国からは大きな反発や非難の声が挙がります。
まあ、自由党党首のハイダーなんて、ナチスの突撃隊出身という経歴ですからねえ。
その後、2006年の選挙で社民党(冷戦終結に伴い社会党より改名)が第一党となると、
社民党と国民党との大連立体制へと戻るんですが、
それで国外からの声は収まって、国内からの声は当然収まらないんですよねえ。
で、今年の9月末、つまりは1ヶ月半ほど前に行われた選挙では、
社民党も国民党も大きく議席を減らし、2党で何とか過半数は維持。
その一方で、自由党や、ハイダーが作った新党「未来同盟」といった極右政党が躍進し、
極右政党は2党で、議会の3割を占める大勝利を収めました。
しかし選挙から2週間後、まだ勝利の余韻も残る中、ハイダーが交通事故死と・・・・
どうなるんですかねえ、オーストリア政界は?
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