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[9576] 戦前の日本絵画返信 削除
2009/1/2 (金) 19:58:15 徳翁導誉

> 面白かったですよ。藤田の肖像が出た時点でええっ、と思いましたね。
> 奇抜な出で立ちというのも砕けすぎかなあ、と。
> 黒田の下に居たということは白馬会の系統だったのですか。

いや、藤田が東京美術学校の西洋画科に入学した当時、
そこに君臨していた黒田清輝だったって事ですね。
「片や大先生、片や一学生」という関係です。
藤田は黒田に関する記述を残していますけど、
黒田は藤田に関する記述を残していないらしく、
まあほとんど、一方通行に近い関係と言う事ですね。

光の溢れる「外光派」と呼ばれた黒田の絵に対し、
正岡子規は「陰にすら紫を使う」といって「紫派」と揶揄しましたが、
藤田は「外光派=西洋画」という学校での指導に違和感を覚え、
卒業制作に黒色をふんだんに使った絵を描いたら、黒田にボロクソに批評されたのだとか(笑)。
で、パリへ渡ってみたら、そこには様々な画風が自由に飛び交っていて、
やはり自分の考えが間違っていなかったと確信し、
「家に帰って先ず黒田清輝先生ご指定の絵の具箱を叩き付けました」と書き残していますね。


> あと有名なのが岸田劉生の「麗子微笑」でしょうか。
> これは何故だか分かりませんが、不安な気分にさせられる絵なんですよねえ・・・。

「不安」と言いますか、「不気味」な感じがしません?(笑)
それでいて同時に、菩薩様の微笑に通ずるような感じもして、
何と言いますか、不思議な感じのする絵なんですよねえ。
海外の絵に例えるなら、ダ・ビンチの「モナリザ」に近いかも?
容姿は普通の少女なのに、達観した老婆の様な表情で描かれている感じがします。
モデルとなった麗子本人の写真は、普通にかわいい女の子なんですけどねえ(笑)。

あと、ついでなんですが、
帰化した藤田が付けた「レオナール」というフランス名は、
レオナルド・ダ・ビンチのフランス語読みから取ったそうです。


> 佐伯祐三はあまり知られていないのでしょうか。確か彼も同時期に
> パリに留学した画家だと思うのですが。。。

確か、教科書にも載っていた記憶があるので、
知っている人は知っているけど、
知らない人は知らないって感じですかねえ?


> 戦争協力については、何がしか当時の美術家も関与していましたよね。
> 宮本三郎もそうですし、作家の高村光太郎もですね。

横山大観からして、戦争協力を行った美術会の会長でしたからねえ。
状況が状況ですし、余程強いポリシーを持った人でもない限りは、
積極的か否かは別にして、基本的に協力姿勢だったんでしょうね。

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