| ▼▲ 第12章:民由合併と小沢の復活 ▲▼
その後も高い支持率をキープした小泉内閣は、
参院選後に行われた統一補選でも勝利し、久しぶりに衆院で単独過半数を獲得。
また、小泉内閣誕生の立て役者であり、外務大臣の職を与えられていた田中真紀子が、
外務省と衝突して外交が機能不全に陥ると、遂にはこれを更迭。
それにより、一時的に支持率は低下するも、
北朝鮮に渡り「日朝平壌宣言」を発表して支持率を回復。
国民からの支持により、党内力学を飛び越えて総理総裁になった小泉は、
高い支持率を維持する事で、内閣の後ろ盾を固めていきます。
一方、小泉劇場により、完全に蚊帳の外へ追いやられていた民主党では、
小泉訪朝と拉致被害者の消息がマスコミを賑わす中、代表選で再び鳩山と菅が対決。
結果は、事前の根回しにより旧民社党系を味方に付けていた鳩山が、
わずか12票差で菅を振り切り、民主党の代表に再選。
その後の人事で、旧民社党系の中野寛成を党No.2の幹事長に任命しますが、
これを「論功行賞だ」として、菅側に付いた議員たちが猛反発。
中野幹事長はすぐに辞任へと追いやられる事となります。
って、ハッキリ言って当時の民主党は、
代表選自体よりも、その後のゴタゴタの方でマスコミを賑わせるような状態で、
こうした党内の足の引っ張り合いにより、政党の支持率を下げ、
NHKの政治調査で、遂には民主党の政党支持率が『2.9%』という所まで転落させます。
代表に再選されたものの、就任早々から躓いてしまった鳩山は、
党と自らの威信を回復させる為、小沢自由党との合併へ動き出します。
まあこれは、少数野党へと転落した小沢が、
再起を賭けて、民主党へアプローチを続けていた結果でした。
しかし、幹事長人事でいきなり躓き、求心力を失っていた鳩山が、
今度は「自由党との合併する」と言った所で、民主党内の反発が増すばかりで、
結局鳩山は、自由党との合併構想を勝手に進めて党内を混乱させたとして、
再選からわずか2ヶ月あまりで、代表辞任へと追い込まれます。
再び行われた代表選挙で、若手議員は岡田克也を擁立するものの、
菅が圧勝で念願だった代表の座に返り咲きます。
ですが、再び菅が出てきた所で、既に国民的な人気を失い、
今では小泉人気に湧いている国民には、ほとんどインパクトのない再登板でした。
そうした状況もあり、自由党との合併話で鳩山を引きずり落としながらも、
今度は菅が自由党との合併を進めますが、これに民主党内が纏まらずお流れに。
また、この代表選の結果を受け、岡田支持に回っていた熊谷は民主党の将来を悲観し、
自分たち保守系が党内で蔑ろにされている現状から、民主党からの離脱を決意。
自民党の好調を余所に、公明党と連立政権を共にしながら、
議席数を減らし続けている保守党と合流して、新たに『保守新党』を結成。
党首には熊谷が就任し、民主党の保守系議員の受け皿になろうとしましたが、
民主党を抜け出し、政権与党へ加わった事で、
熊谷は却って、「裏切り者」のレッテルを貼られてしまいます。
合流した保守党も、元は自由党を裏切って出来た党である為、
マスコミはこぞって、保守新党を「保身党」と揶揄しました・・・・
ちなみに、保守党の党首であった野田は、既に党の将来を見限っており、
密かに単身での自民党復帰を画策していた所、それが未然に発覚して総叩きに合い、
保守新党へ参加する事なく、小池百合子などと共に自民党へと移ります。
こうして迎えた2003年の衆議院選挙ですが、
その直前、遂に民主党は自由党との合併を果たします。
再起を賭けてアプローチを続けた自由党にとって、
実に3度目の正直による『民由合併』の実現でした。
これが、第3期とも言うべき「現・民主党」ですね。
まあ、リベラル系の議員は保守政治家の小沢を警戒し、
保守系の議員も多くは新進党出身なので、未だに小沢を毛嫌いし、
民主党内では相当の小沢アレルギーがあったものの、
現状に於ける自民党と民主党の勢いの差を鑑みれば、
衆院選を前にして、背に腹は代えられなかったという事ですね(笑)。
そうした民主党内の反発を少しでも抑える為に、小沢は自由党を解党し、
吸収合併という形で民主党に加わり、自ら「一兵卒として働く」と宣言します。
また、このような表面上のパフォーマンスだけでなく、
事前に旧社会党系の横路と会談し、政策を摺り合わせたのも大きかったですね。
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* 2003年 衆議院選挙(480議席)
* 与党 自民:237 公明:34 保守新:4
* 野党 民主:177 共産:9 社民:6 その他:13
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そして、小泉の前に苦戦も予想されていた民主党は、
終わってみると、なんと177議席獲得という大勝利!!
これ程の議席数は、「過去に自民党以外では獲得した事がない」と言えば、
それが如何に、民主党にとって大躍進だったかが分かると思います。
小泉の首相就任から2年が経ち、さすがに人気が落ち着いてきた事と、
小沢が加わった事で、民主党が政権交代可能な政党に変化するのでは?という、
有権者の思いが加わっての、民主党の勝利と言われています。
とは言え、別に自民党も負けた訳ではないんですけどね。
自民党単独でも、過半数近くの議席は取っていますし、
公明党も堅実に議席数を積み上げて、連立与党では十分に過半数に達してますから。
ただし、連立内での保守新党だけは別で、この衆院選で4議席しか獲得できず、
選挙から10日あまり後、自民党へと吸収合併されます。
これが今の自民党『二階派』ですね(二階は保守新党No.2の幹事長職にありました)。
まあ、公明党との連立も4年近くが経過し、既に党内外での拒否感が薄まった為、
社民党やさきがけの如く、用済みとなったという事ですよね。
ただ小泉の凄い所は、用済みだとポイ捨てするのではなく、
保守新党の党首である熊谷に対し、無所属ながら清和会支援で城内実をぶつけて、
熊谷を落選へと追い込んでいる所です!!(笑)
そして党内では、最大派閥である橋本派と同じ51人を当選させ、
着々と、清和会勢力の拡大を進めていきました。
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