| ▼▲ 第1章:自民党の5大派閥 ▲▼
1970年代前半、日本最長の7年8ヶ月も続いた佐藤政権の後継を巡り、
自民党5大派閥の領袖(ボス)により、総理総裁レースが行われました。
この5人の領袖「三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫・中曽根康弘」より、
1文字ずつ取って出来た造語が、いわゆる『三角大福中』です。
三木派、田中派、大平派、福田派、中曽根派と、5つの大派閥があった訳ですね。
で、佐藤後継レースは、中曽根・大平・三木を仲間に付けた田中角栄が勝利を収め、
その後、残った4名も総理総裁の座を手にしていきます。
そして1989年、世界では米ソ両首脳によるマルタ会談で冷戦が集結し、
日本では昭和天皇の崩御、リクルート事件、消費税導入で揺れた年、
派閥の領袖も、『中曽根派』以外は既に代替わりが行われていて、
『三木派→河本派』『田中派→竹下派』『大平派→宮沢派』『福田派→安倍派』となっていました。
この辺まで来ると、ポツポツと聞き覚えのある名前も出てきますかねえ?
で、この中で最も力を持っていたのが、最大派閥「竹下派」でした。
つまり、「与党の中の与党」って事ですね。
55年体制下での日本の政治というのは、「自民党が与党、社会党が筆頭野党」というのが固定で、
政権交代の擬似行為が、派閥間での抗争によって行われていました。
そもそも、「55年体制」とは何かという所から始めると、
1955年、分裂していた右派社会党と左派社会党による『社会党再統一』が起こり、
それに対抗する形で数ヶ月後、自由党と日本民主党による「保守合同」が起こりました。
この保守合同で誕生したのが『自由民主党』ですね。
ちなみに、物凄く大雑把に言ってしまえば、
自由党は「吉田茂」中心の党、日本民主党は「鳩山一郎」中心の党でした。
そして今、吉田茂の孫である「麻生太郎」と、鳩山一郎の孫である「鳩山由紀夫」が、
政権を巡って激しく火花を散らしていると(笑)。
もっと言うと、鳩山由紀夫が引導を渡そうとしている自民党の初代総裁こそ鳩山一郎だったりします。
う〜ん、因果なんですかねえ?
って、話が脱線してしまったので、話題を元に戻しますと、
先述の5大派閥の中で、自由党の流れを汲むのが「田中派→竹下派」と「大平派→宮沢派」、
日本民主党の流れを汲むのが「福田派→安倍派」「三木派→河本派」「中曽根派」で、
角栄の佐藤後継レース勝利後、自民党内での主流派は旧自由党系の2派閥でした。
「叩き上げ軍団」である実業系の「田中派→竹下派」を『経世会』、
「エリート集団」である官僚系の「大平派→宮沢派」を『宏池会』と言ったりしますね。
「自民党一党による単独政権」とは言っても、
党内部では、主流派の旧自由党系と、非主流派の旧日本民主党系があり、
更に、主流派である旧自由党系の中でも、経世会と宏池会による主導権争いが行われていたと。
ついでに、党内の非主流派である旧日本民主党系の派閥も簡単に書いておきますと、
「福田派→安倍派」は、小泉政権後に特に有名になった『清和会』ですね。
「中曽根派」の『政科研』は、経世会・宏池会・清和会に比べると、知名度が薄いかな?
「三木派→河本派」は・・・領袖である三木の存在感により5大派閥の1つに数えられましたが、
もともと所属議員の数が多くない為、三木の後は他の4派閥より存在感が劣ります。
まあ旧日本民主党系は、与党内の非主流派と言う事で、
存在感の薄い多数の議員と、存在感を示そうとする少数のタカ派議員とに大別されますね。
ああ〜、何か前振りの昭和部分だけで凄く長くなってるなあ・・・・(笑)
本当はもっと、いろいろと説明を加えるべきなんでしょうけど、
そんな事をやってると一向に話が進まないので、一気に話を平成まで進めます!!
1989年、昭和天皇の崩御により、時代は昭和から平成へと移る訳ですが、
その時、日本政界を騒がせていた話題こそ「リクルート事件」でした。
リクルート社が、大物の政治家や官僚に対して手当たり次第に、
値上がり確実な未公開株を大量にバラ撒いていたという事件で、
各派閥の領袖や後継者クラスも、そのほとんどが受け取り名簿に名を連ねていた為に、
大規模な「汚職事件」として連日報道が行われ、国民の政治不信がピークに達し、
更にそこへ「消費税の導入」が追い打ちとなり、自民党への支持が大幅に下がりました。
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