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[13592] 赤い嵐オンライン版WW2版が終了しました。返信 削除
2010/12/9 (木) 16:47:55 聖職者

赤い嵐オンライン版WW2版が終了しました。
結果はドイツ第三帝国陣営が大戦に勝利しました。

保存のほうをよろしくお願いします。


[13594] Re:赤い嵐オンライン版WW2版が終了しました。返信 削除
2010/12/9 (木) 19:18:06 シャイン

今後の要望なのですが盟主が他の陣営に入っていると自治国は盟主にptを直接わたせないという仕様を変更していただきたいです。
現在の設定だと盟主が別陣営に入った場合その陣営に入った盟主の陣営の自治国は盟主にptをわたせません。
盟主が別陣営に入れる仕様は存続していただければなと思います。


[13595] Re2:赤い嵐オンライン版WW2版が終了しました。返信 削除
2010/12/9 (木) 20:08:22 孫市

今度は現代版と同じく貿易システムを作ってほしいです
石油とpを交換するのが非常に手間で
現代版みたいに貿易システムがあると
払いすぎや払い忘れがないと思います


[13599] まとめレス返信 削除
2010/12/12 (日) 15:55:33 徳翁導誉

> 赤い嵐オンライン版WW2版が終了しました。
> 結果はドイツ第三帝国陣営が大戦に勝利しました。

お疲れ様です。
過去戦場の方へアップしておきました。


> 今後の要望なのですが盟主が他の陣営に入っていると自治国は
> 盟主にptを直接わたせないという仕様を変更していただきたいです。

ああ、そう言うケースを想定してませんでしたね。
対応しておきました。


> 今度は現代版と同じく貿易システムを作ってほしいです
これは今回、初期化までに追加が間に合わなかっただけなので、
次回以降は入ると思います。

あと、現状では自治国を独立国にさせるメリットが無いので、
同族エリアの生産ポイントが一律で最大値「200%」なのを、
自治国なら「160%」、保護国なら「140%」、支配国なら「120%」
にしようかな?と考えています。


[13611] Re:まとめレス返信 削除
2010/12/14 (火) 17:08:05 プロイセン

▼ 徳翁導誉さん
> あと、現状では自治国を独立国にさせるメリットが無いので、
> 同族エリアの生産ポイントが一律で最大値「200%」なのを、
> 自治国なら「160%」、保護国なら「140%」、支配国なら「120%」
> にしようかな?と考えています。

しかし同盟国にすると、同盟国は生産の半分しか陣営の総生産値に
加算されないので、結局使われない可能性もあるのでは?
これ自体は賛成です。


[13612] Re2:まとめレス返信 削除
2010/12/15 (水) 18:36:14 シャイン

▼ プロイセンさん
> ▼ 徳翁導誉さん
> > あと、現状では自治国を独立国にさせるメリットが無いので、
> > 同族エリアの生産ポイントが一律で最大値「200%」なのを、
> > 自治国なら「160%」、保護国なら「140%」、支配国なら「120%」
> > にしようかな?と考えています。

> しかし同盟国にすると、同盟国は生産の半分しか陣営の総生産値に
> 加算されないので、結局使われない可能性もあるのでは?
> これ自体は賛成です。


終盤とかに一斉に自治国化とかしそうですね。
それとですができれば知らない元首とかいるのでキューバと同じく時代の指導者の説明リストがあれば・・・と思います。
んまぁ、これはあってもあまり変わりませんが・・・。


[13618] Re3:まとめレス返信 削除
2010/12/19 (日) 19:26:32 徳翁導誉

> > > あと、現状では自治国を独立国にさせるメリットが無いので、
> > > 同族エリアの生産ポイントが一律で最大値「200%」なのを、
> > > 自治国なら「160%」、保護国なら「140%」、支配国なら「120%」
> > > にしようかな?と考えています。

> > しかし同盟国にすると、同盟国は生産の半分しか陣営の総生産値に
> > 加算されないので、結局使われない可能性もあるのでは?
> > これ自体は賛成です。

> 終盤とかに一斉に自治国化とかしそうですね。

ならいっそ、同盟国でもそのまま、陣営の総生産値に加算でも良いかも?
今のままでは、完全独立させるメリットが薄いですしねえ。


> それとですができれば知らない元首とかいるのでキューバと同じく時代の指導者の説明リストがあれば・・・と思います。
> んまぁ、これはあってもあまり変わりませんが・・・。

う〜ん、今はもう流石に、あれだけ書く根気が・・・・(笑)。
キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
まあ、タンガニーカのニエレレだけは、掲示板の方で少し書きましたが↓、
http://f25.aaa.livedoor.jp/~douyo/kjbn/kjbn.cgi?tree=s13266#13266
あれを4行に纏めると言うのも、結構大変な作業でして。

どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、
キューバ危機版のように、未記入部分の補完執筆ならいざ知らず、
ゼロの状態から書くというのは、流石に酷でしょうからね。
いっその事、Wikipediaの該当ページをリンクしましょうか?(笑)
第二次大戦期の指導者なら、おおよそは記事が作られているでしょうし。


[14103] 列伝返信 削除
2011/2/20 (日) 22:28:56 御神楽

▼ 徳翁導誉さん
> キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
> 興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
>
> どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、


という事で、少しは知っている三名について、
もう一度調べなおすついでに作成してきました(笑
間違いがありましたらご容赦ください。

リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew - 1923〜)
初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年)
弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。
63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。
シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。
同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。

スミス首相 ( Ian Douglas Smith - 1919〜2007)
初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年)
植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。
英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。
その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。
最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。

カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda - 1924〜)
初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年)
62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。
社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。
アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。
その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。


[14138] Re:列伝返信 削除
2011/2/24 (木) 01:19:11 プロイセン

▼ 御神楽さん
> ▼ 徳翁導誉さん
> > キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
> > 興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
> >
> > どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、

>
> という事で、少しは知っている三名について、
> もう一度調べなおすついでに作成してきました(笑
> 間違いがありましたらご容赦ください。
>
> リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew - 1923〜)
> 初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年)
> 弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。
> 63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。
> シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。
> 同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。
>
> スミス首相 ( Ian Douglas Smith - 1919〜2007)
> 初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年)
> 植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。
> 英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。
> その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。
> 最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。
>
> カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda - 1924〜)
> 初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年)
> 62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。
> 社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。
> アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。
> その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。


じゃ、ケニヤッタを。

ケニヤッタ首相 ( Jomo Kenyatta )
初代・ケニア首相[のちに大統領](1963年 - 1978年)
1963年に英連邦王国としてケニアが独立すると、初代首相として就任。共和制移行後は
終身大統領として統治した。一貫して親西側の外交を進め、アフリカの地域大国に育てる。
一方、国内では出身民族を優遇する政策を推し進め、後の民族対立の端緒となる。
 


[14139] Re2:列伝返信 削除
2011/2/24 (木) 10:28:20 ミクシャ

▼ プロイセンさん
> ▼ 御神楽さん
> > ▼ 徳翁導誉さん
> > > キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
> > > 興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
> > >
> > > どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、

> >
> > という事で、少しは知っている三名について、
> > もう一度調べなおすついでに作成してきました(笑
> > 間違いがありましたらご容赦ください。
> >
> > リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew - 1923〜)
> > 初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年)
> > 弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。
> > 63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。
> > シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。
> > 同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。
> >
> > スミス首相 ( Ian Douglas Smith - 1919〜2007)
> > 初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年)
> > 植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。
> > 英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。
> > その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。
> > 最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。
> >
> > カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda - 1924〜)
> > 初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年)
> > 62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。
> > 社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。
> > アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。
> > その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。

>
> じゃ、ケニヤッタを。
>
> ケニヤッタ首相 ( Jomo Kenyatta )
> 初代・ケニア首相[のちに大統領](1963年 - 1978年)
> 1963年に英連邦王国としてケニアが独立すると、初代首相として就任。共和制移行後は
> 初代大統領として統治した。一貫して親西側の外交を進め、アフリカの地域大国に育てる。
> 一方、国内では出身民族を優遇する政策を推し進め、後の民族対立の端緒となる。


お二人でここまでやっていますので、最後を取りましょう。
ジュリウス・ニエレレとカフタン・アル=シャービです。

アル・シャービ大統領 ( Qahtan Muhammad al-Shaabi )
初代・南イエメン大統領(1967年 - 1969年)
FLOSYやFSA政府との内戦に勝利し、英国より独立承認を取り付け、独立後大統領に就任。
ソ連に接近しアデン港をソ連海軍の基地として提供。「アラビアのキューバ」と呼ばれる。
北イエメンとの統合促進や協調体制を進める一方、ドファール内戦で共産ゲリラへ支援を行う。
しかし、政権内では内紛が生じたため、69年失脚する。

ニエレレ先生 ( Julius Kambarage Nyerere )
初代・タンガニーカ首相[のちに大統領](1960年 - 1985年)
イギリス留学後教職にあったが、政治活動へ転身を果たし初代首相に就任後一度職を辞す。
62年に大統領制が敷かれると大統領に就任。ザンジバルとの連合国家形成を成功させた。
アルーシャ宣言に基づき、ウジャマー村構想といった独自の社会主義政策を進め中国に接近。
が、経済政策の失敗から引責辞任。アフリカ連合設立に携わりアフリカの安定に大きく寄与した。


[14175] Re3:列伝返信 削除
2011/2/27 (日) 00:38:35 徳翁導誉

> > > > キューバ危機版の方にしても、新たに追加した6名の分すら、
> > > > 興味深い人物が並んでいるのに、未だに埋められていませんからねえ。
> > > > どなたかが書いて下さるなら、コピペするだけで済むのですが、

> > >
> > > という事で、少しは知っている三名について、
> > > もう一度調べなおすついでに作成してきました(笑
> > > 間違いがありましたらご容赦ください。
> > >
> > > リー・クワン・ユー首相 ( Lee Kuan Yew - 1923〜)
> > > 初代・シンガポール首相(1959年 - 1990年)
> > > 弁護士を経て政治に身を投じ、人民行動党を結成。59年、自治政権を獲得する。
> > > 63にはマラヤと連邦を結成するも人種対立により失敗。事実上連邦を追放された。
> > > シンガポールが生き残る為に徹底的な商業国家を志向し、開発独裁体制を敷く。
> > > 同国の経済発展を指揮し、最も成功した独裁者の一人に数えられる。
> > >
> > > スミス首相 ( Ian Douglas Smith - 1919〜2007)
> > > 初代・ローデシア首相(1965年 - 1979年)
> > > 植民地政府の首相に就任し、白人政府の維持を望んで英国の方針と対立。
> > > 英国から一方的に独立を宣言して、人種差別政策を推し進めた。
> > > その為に経済制裁を受け、黒人の独立闘争も激化。国力の疲弊を招く。
> > > 最終的には調停を受け入れて総選挙に臨んだが、黒人解放組織に敗北した。
> > >
> > > カウンダ大統領 ( Kenneth Kaunda - 1924〜)
> > > 初代ザンビア大統領(1964年 - 1991年)
> > > 62年に選挙に勝利して自治政府首相となり、64年の独立後は大統領に就任。
> > > 社会主義政策を推し進め、好調な経済成長にも支えられて一党独裁体制を築く。
> > > アフリカ民族主義の指導者で、近隣諸国の黒人独立運動を強く支援した。
> > > その後、国民の不満が高まり複数政党制を導入するが、大統領選に敗北した。

> >
> > じゃ、ケニヤッタを。
> >
> > ケニヤッタ首相 ( Jomo Kenyatta )
> > 初代・ケニア首相[のちに大統領](1963年 - 1978年)
> > 1963年に英連邦王国としてケニアが独立すると、初代首相として就任。共和制移行後は
> > 初代大統領として統治した。一貫して親西側の外交を進め、アフリカの地域大国に育てる。
> > 一方、国内では出身民族を優遇する政策を推し進め、後の民族対立の端緒となる。

>
> お二人でここまでやっていますので、最後を取りましょう。
> ジュリウス・ニエレレとカフタン・アル=シャービです。
>
> アル・シャービ大統領 ( Qahtan Muhammad al-Shaabi )
> 初代・南イエメン大統領(1967年 - 1969年)
> FLOSYやFSA政府との内戦に勝利し、英国より独立承認を取り付け、独立後大統領に就任。
> ソ連に接近しアデン港をソ連海軍の基地として提供。「アラビアのキューバ」と呼ばれる。
> 北イエメンとの統合促進や協調体制を進める一方、ドファール内戦で共産ゲリラへ支援を行う。
> しかし、政権内では内紛が生じたため、69年失脚する。
>
> ニエレレ先生 ( Julius Kambarage Nyerere )
> 初代・タンガニーカ首相[のちに大統領](1960年 - 1985年)
> イギリス留学後教職にあったが、政治活動へ転身を果たし初代首相に就任後一度職を辞す。
> 62年に大統領制が敷かれると大統領に就任。ザンジバルとの連合国家形成を成功させた。
> アルーシャ宣言に基づき、ウジャマー村構想といった独自の社会主義政策を進め中国に接近。
> が、経済政策の失敗から引責辞任。アフリカ連合設立に携わりアフリカの安定に大きく寄与した。

おお〜、これで補完が完成ですねえ!!
御神楽さん、プロイセンさん、ミクシャさん、本当にありがとうございます。
早速、列伝の方にペタッと貼らせて戴きました↓。
http://www.geocities.jp/kako_log7/red_session/ryakuden.html

ちなみに、ちょっと気になったので、初めてカウンターを覗いてみた所、
多い月だと100件以上、平均しても毎月50件程のアクセスがあるみたいですね。
しかも、その4割近くが当サイト外からのモノらしいので、
私の想像以上に、地味ながらも需要はあるのかも?

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